先日来、大阪・熊本・新潟と、水俣病の認定に関する地方裁判所の判決が続きました。
原告の全員が認められた所と一部の人のみの所と、判決は分かれ、公式発見から60年経っても未だ肉体だけでなく精神的にも苦しむ人たちが大勢おいでだと気づきます。
足尾鉱毒事件を調べていくと、いろいろな課題が出てきます。
たとえば、川俣事件では、東京に訴えに行こうとした素手の人たちに対し、何故、警官がサーベルやこん棒で死亡者がでるほど暴力をふるったか。
ここには時代の背景と共に、人間の中にある「差別意識」が存在していると思われます。
また、広範囲に及ぶ環境破壊の実情を田中正造氏がいくら訴えても、何故、国は動かなかったか
これは大企業の発展が日本の産業分野に大いに貢献し、この勢いを優先したからと思われます。
更に、日本における最初の公害事件であろう足尾鉱毒の災禍に対し、何故、問題をそらすような「解決」としたか。
鉱毒そのものの発生を止めずに鉱毒の「沈殿場所」をつくるという手法を誰が決めたのか。
日本4大公害病と言われるのが
*水俣病
*新潟水俣病
*四日市ぜんそく
*イタイイタイ病 です。
足尾鉱毒の被害はそれよりはるか前、今から150年も前にありました。
先に書いた「水俣病」のように、地域や症状が違っても、大企業による環境汚染の被害に苦しむ人たちが絶えることが無いというのが現状です。
「田中正造終焉の地」という石碑を見たのが多分10歳くらい。
そこから始まった課題を、今70過ぎた私が歩いています。