藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

大きな袋を持った人達

2011年03月18日 | 雑感
 東日本地震・東北関東大震災・・・呼び名も定まっていませんが、亡くなられた方が、阪神大震災を超えたそうです。まだまだ行方不明の方達が一万人をこえています・・・。

 大きな袋を持った人達が日頃人影もまばらな稲城市内に多く見かけられます。

 朝、開店前のスーパーに並び、日用品や備蓄品を両手に提げて歩く方々。

 昼頃に行くと何も無い状態です。

 体の弱い方やご高齢の方は、日常の品が手に入っておられるでしょうか。
今日、お一人にパンを届けてきましたが、やはり大変そうです。

 不安が一杯で、つい買いだめをしている方、あなたの隣に空っぽのカゴを持って不安そうに歩いているご高齢の方がいらしたら、声をかけてくださいますか。
少しづつ、分け合ってこの時を乗り越えましょう。ひとつのパンも必要ですし、少しの優しさが心を暖かくします。

 昼頃に大きな袋を提げた人達が市役所方面に歩いていきます。

 青年会議所が、新聞折込で、救援物資の提供を呼びかけたことに呼応した方達です。

 石鹸・ナプキン・おむつ・お菓子など、大勢の方達が手に手に持ってきた物を、若い人達が手際よく受け取っていきます。次から次へと人が来ます。皆さん何かしたい、と思っていたんだと感じます。

 同じ大きな袋。

 私は人間の性善説を指示するほうです。大きな袋には、自分達のものもあって当然ですが、他人(ひと)のためのものも忘れないでほしい・・・。

 今、停電になるかも知れない時間ですが、大きなお月様がみえます。
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2 コメント

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スキムミルクと大震災 (フミ)
2011-03-19 10:44:06
今回の、大震災で思い出したのは、小学生の頃の給食の時に出たまずいスキムミルクのことでした。
はなまるさんは食べたことありますか。

なぜって友達たちは、スキムミルクをまずいまずいと言って残す生徒が多かったのですが、私も口ではまずいと言っておりましたが、私は好きなほうでした。さめて、ミルクの上に幕がはっているのは気持ちの悪いものでしたが、それでも飲めないほどではありません。

大人になってアメリカではスキムミルクは家畜の餌として与えていると聞きまして、そんな国と戦争しても勝てるわけないと思いました。

我が家は貧乏でしたから、給食はごちそう?でした、とりわけあげパンが出た時の幸福感?(大げさな表現だけどそれくらい感激しておりました。)はありませんでした。

先日、スーパーに妻に買い物をたのまれ、一人で行きました。(二人ではあまり行きたくないその理由は長くなるので、ここでは説明しません)その時の混雑は異様でした。平日の開店10分後ぐらいに店に入りましたが、スーパーは大混雑で、超満員でした。いま、マスコミで大騒ぎしている日用品の買いあさりでした。確かにコメや、パンの棚に何もないと食べられなくなるという不安心理で買いあさるのだろうが、我欲で自分だけ良ければというのを感じました。

われら戦前、戦後すぐの世代は貧しさや、食べるのが大変なことをおぼろげながらも体験しているので、食べられなくなったってなんとか生き延びることができるというのがありまして、買いあさる人々を冷静に観察して当面必要とする昼飯の焼きそばと、お菓子を買って帰りました。

ちょっと、スーパーの買いあさりは、異常でしたが、被災地では皆で助け合い分かち合って暮らしてられるということで安心しました。
日本人まだまだ、困ったときにはお互い様、助け合いの精神があり捨てたものではないと誇りに思っております。
梅文
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買いだめ (津川宏志)
2011-04-19 07:58:02
私も当日のことを思い出します。スーパー開店前の異常な行列。若い人が多かったです。不安なのでしょうか?
家族を思う気持ちは分かりますが、悲しくなりました。
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