藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

見えない。でも感じる・・・。

2009年08月01日 | 雑感
 積乱雲が無い八月、九州の海では赤潮被害で、魚が死んでいます。北海道の大地では、日照不足で作物が実らない。うつむく人たちに、自分は何が出来るのか、と考えてしまう・・・。早く本当の<夏>になって!と祈ることしか出来ないでいます。

 本日予定していた行事が延期となり、ポカッとできた時間に、机の前のメモ整理をしました。ベタベタといろんなメモは重なって、もうメモとしての機能が無いのもありました。
 そこに、気にしていながら手をつけずにいた、「長崎被爆者の声」という被爆した方たちに取材して記録したCDを作った方と、ホームページをつくった方のメモがありました。「そうだ、機会をつくって、この方のお話を聴く集まりをやろう」と、その方の住所をきれいに書いて、貼り直しました。知り合いの知り合いだし、調布にお住まいだし、近いな、と。
 一応整理できて、さてと、一息いれながら、新聞を読もう。・・・と、開いたところ、目に飛び込んできたのは、まさにその方の<死亡記事>でした。

 こんな事があるのだろうか。
 これはどういうことなんだろうか。
 物事を後回しにした、私へのバツなのだろうか・・・。

 自分では、仕事を、特に他の人が関わる事は、早くやっているつもりなのですが、まだボンヤリして機を逃すことが多いのかも、と、反省いたしました。

 話は少し逸れますが・・・

 「あの人どうしているかな・・・」と考えていると、電話がある。
 夢の中で、誰か名前を思い出せない人に逢う。その人が「おれ、・・・だよ。」と名前を言う。翌日、まったく偶然その人に逢って訊かれる「おれ、覚えてる?」私は当然そうに「・・・君でしょ!」と答える。
 そんなことって、ありますよね。
 良いことなら嬉しいですが、いったいこれは何でしょう?


 こういう、時々先のことがわかったら、それがもっと公に役立つ内容なら、自分の仕事に活かしたいものです。でもきっと、本来の<先見の明>は、こんないい加減なもんではなくて、もっと知識と経験に裏打ちされたものなんですよね。

 私の仕事には、理論的なことも必要だけど、感覚的・感情的な分野も必要だと思
っているんです。これまた、上質で、深くなきゃいけませんけど。
 すぐ頭にくるようなことは控えなきゃ、ね。
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