毎日の仕事に追われてしまい、なんだか自分がカサカサになっている感じがして、先日夫と「ローンレンジャー」を観に行きました。
「あれ?<少年H>じゃないの?」と、思われた方、ちょいとお待ちを・・・。
大抵仕事というものは、冗談で済むもんじゃなくて、一つ一つ丁寧に対応しながらやってくもんですよね。
すると、時々うまくいかない事があって悶々としてると、ま、自動車で言えば「オイル切れ」っていうんでしょうか、心が疲弊するんですよね。
そんな時、音楽を聴いたりまちをぶらぶらしたり・・・。
で、今回はジョニー・デップの出る「ローン・レンジャー」で心にシャワーをかけた、ということです。
うん、単純に元気がでてきたぞ!
そこで、今度は<子どもから観た戦争>の話として「少年H」を観た、というしだいです。
子どもから観た戦争、については、昔「もうひとつの太平洋戦争」(すみません!うろ覚えで、作者はたしか・・・にきえつこさん・・・)を読んだことがあります。
それは、障害のある子どもが、戦時中、学校でどんな境遇にあったか、を記録したものです。
将来、お国に命をささげる<戦闘員予備軍>であるとされた子ども達。学校での教育はすべてそのための教育を行なっていました。
でも、障害のある子たちは、始めから<非国民>扱いされたそうです。
「お国のために戦地にいけない、あるいは銃後を守れない、厄介者」だという・・・。
ここにも、戦争がおよぼした、人権侵害があったのですね。
映画では戦時中と戦後では、言動がまったく逆になった大人たちが複数でてきます。
それに、子どもとしての苦悩。大人への糾弾。
戦争を体験された方達が観れば、「こんなきれいじゃなかった」とか「もっと悲惨だった」と言われるかもしれませんが、こうして、あらゆる機会と手段をこうじて、戦争の愚かさや人の弱さ、平穏な暮らしが、それこそ見たこともない人たちの決めたことによって、簡単に壊されてしまうことへの憤りを、連綿と伝えていかなければいけないんです。
いつもコメントをくださる<みーたん>さんのご意見を読んで、久しぶりに、ドイツのヴァイツゼッカー大統領が第二次世界大戦を省みて行なった演説、「荒野の40年」を再度読んでみました。(ネットで「荒野の40年」で引けます)
有名な一説があります。
「過去に目をつむるものは、未来に対して盲目になる」
(ま、私としては<盲目>という訳より<見ようとしない>としたいですが。)
ドイツでも紆余曲折があって、いろんな考えの人がいて、でも、ホロコーストは一部のドイツ人だけの罪かもしれないが、全てのドイツ人がそのことを反省し、未来に向かって考えていかなければならない、となっていったそうです。それもドイツ市民の運動の中で。
日本もさ。
不戦の誓いをしない首相だけどさ。
集団的自衛権を確立させようとしてる首相だけどさ。
あきらめないで、いこうよ。ねっ!