今日と言う日。
長崎に原爆が落とされた日です。
そうですね、6日は広島に。
やっぱり暑い日だったとのことですね。
もう24年も前になりますが、稲城に「地人会」という劇団が来て、「この子たちの夏」-1945・ヒロシマナガサキ という朗読劇を行なったことがあります。
構成・演出が木村光一氏で、著名な女優さんたちが出演するのですが、いくつかのせりふを一般の希望する人に朗読をと、募集がありました。
私、応募して、舞台に出させてもらったんです。
舞台の幕の後ろに、私を入れて五人の応募した女性が座って、せりふの時にだけ、ライトがあたります。
私が詠んだのは。
息すでにひきとりし子をゆさぶりて、泣き叫ぶは母か、瓦礫の上に
迫りくる火は下敷きの子を焼かんとす 狂気の如く泣き叫ぶ母
朝笑みし 乙女の夏衣(ころも)血に染み(そみ)て
もう、朗読を聴きながら、泣いて泣いて、お客様に見えないようにお尻のうしろに涙や洟水を拭いたティッシュが沢山。でも自分の番がきたら、しっかり詠みましたっけ。
原爆投下された人々の気持ちは、私がわかるといったらウソになる。
でも、この台本を読むと、今また自分の魂が痛くなるような悲しみに襲われる。
いやなことは、なるべく忘れたり触れなかったりして、楽しいことを描いて荒波を乗り切ろうという生き方は、間違いではないと思います。
でも。
これからの子どもたちやその子どもたち、これから先、ずっと忘れちゃいけないこと、伝えていかなければならないことは。
時々忘れても、時々ちゃんと思い出す「忘れない箱」に入れておいて、いつでも取り出して開けられるようにしておこうではありませんか。
悲惨なことも直視できないことも、一番下にせめて<希望>というものを入れて。