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法律や権利をただの飾りにしてしまってはいけない

2015年03月11日 19時59分39秒 | 職場人権レポートVol.3


 次も「職場人権レポート」カテゴリーの記事です。でも今回はいつもの「会社批判」ネタではありません。もっと深刻な話です。この話については、私も書こうかどうか迷いました。でも、仲間内に留めておくだけでは、いつまで経っても解決しないので、敢えてブログに書く事にします。

 私の職場同僚の中に、非常に経済的に困窮している人がいます。プライバシーに関わる事なので、今回は仮名にもしません。ブログでは一応「彼」と呼ぶ事にします。
 その「彼」には親父介護の負担が重くのしかかって来ています。近畿地方の日本海側にある「彼」の郷里には、仕事のケガで半身不随になった親父が一人で暮らしています。母は既に他界し、後は遠縁の兄が一人、遠く離れた地方に住むのみです。しかし、「彼」も郷里を離れ大阪に出て来て、非正規のアルバイトとして自分だけがどうにか食べていくだけで精一杯です。とても親父の面倒を見る余裕なぞありません。それでも「家族の中では自分だけがまだどうにか親の面倒を見る事ができる」と、月末の休みには郷里に帰って親の面倒を見ています。

 「彼」自身は、会社にも真面目に来て仕事もきちんとこなしていますが、家賃も滞りがちで、先日も税金の減免申請に区役所に行って来たそうです。私や他の同僚からも2千円、3千円と借金して、それでどうにか食いつないでいる状態です。最近はその返済も滞りがちです。
 「彼」の親父のケガは仕事によるものですから、当然、労災保険で治療費はまかなわれているはずです。また、親父は生活保護も受けているようなので、最低限の生活費についても心配の必要はないでしょう。でも、実際は10万円ほどの親父の過去の借金が後になって明るみになり、「彼」がその借金返済を全部立て替えたりした事もあったようです。

 その「彼」の姿を見るに見かねた私は、ついに一計を案じる事にしました。もう2千円とか3千円とかではなく、一度に1万円を「彼」に貸す事にしました。しかし、私も「彼」と同じ非正規労働者です。そんなに金銭的に余裕がある訳ではありません。そんな中で1万円もの大金を貸す訳ですから、当然、借用書を取りました。但し、借用書と言っても、「無い袖は振れない」事はこちらも分かっているので、無利子・無担保で、支払い遅延も1回だけは認める(2度目からは催告の通知なしに一括請求されても異議なしとする)という、比較的緩やかな返済条件の内容にしていますが(左上写真参照)。
 そして、今の税込16~17万円の月収でも実際は食うや食わずなのに、それでも生活保護をもらうにはまだ「高過ぎる」ので、次回の契約更新で、1日5時間などの短時間勤務に敢えて変えてもらい、必要生活費に満たない分だけ生活保護の申請をするように「彼」にアドバイスしました。そうすると、額面収入は今よりさらに減りますが、その代わりに家賃や帰省・通勤等の交通費は全てタダになりますので。日弁連(日本弁護士連合会)HPの生活保護申請マニュアルも、パソコンからダウンロードして、その時に一緒に「彼」に渡しました(中央・右上写真参照)。
 「彼」、非常に喜んでくれて、早速、地元の区役所に生活保護の申請に行って来ました。もちろん、申請理由も以上述べた通り、正直に申告させた上での受給申請です。「彼」の申請は区役所に受理され、今は審査待ちの状態です。

 確かに、これは余り褒められたやり方ではありませんが、では他にどんな方法があると言うのでしょう。
 なるほど、今の日本には、生活保護以外にも、貧困層対象の生活支援制度がいくつかあります。「生活福祉資金貸付制度」や「高額療養費補助制度」などです。しかし、これらの生活支援制度も、実際には「帯に短しタスキに長し」で、余り使い勝手が良いとは言えないのです。

 「生活福祉資金貸付制度」というのは、生活保護をもらうほどではないが、それよりもわずかに収入が多いだけの、ちょうど今の私や「彼」のような貧困層に、無利子や低利で生活資金を貸し付けてくれる制度です。地元の民生委員を通したり直接本人が役所に出向いたりして、借り入れを申し込み、審査で認められれば、社会福祉協議会から、日々の生活費や教育資金、住宅資金として、10万円ぐらいから借りる事が出来ます。半年間は返済据え置きで、その後の返済期間も最長20年間あります。
 でも、これは生活保護のような返済義務のない給付型の支援ではなく、期日内に必ず返済しなければならない貸与型の支援です。進学・就職・住宅購入などの一時的な資金を、将来返済できる当てがあって初めて借りる事が出来るものです。一時的どころか、常に何かでカバーしなければ日々の生活もままならない中では、たとえ公的な低利の融資制度と言えども利用する事は困難です。

 「高額療養費補助制度」というのは、大病を患った時に、いくらかかるか分からない高額の医療費を、一定の上限額に抑える事が出来る制度です。自分が今加入している健康保険組合に、この制度を適用してもらうよう申請します。しかし、その「上限額」も貧困層にとっては高額な為に(最低でも月21000円)、せっかくのこの制度も、一人暮らしのワーキングプアや高齢者にとっては余り意味のない物になってしまっています。



 何故「彼」はこんなにお金や親の介護の事で苦労しなければならないのか?
 まず第一に、非正規労働者の賃金が余りにも低すぎるからです。「彼」や私の会社も時給はわずか900円です。これでは税込みでも月収17万円前後にしかなりません。通勤手当や税金、社会保険料を引けば1ヶ月の手取りはわずか13~14万円にしかなりません。
 この日本の低賃金は各国の最低賃金の比較からも明らかです。日本以外の欧米先進国では、今やどの国も最低賃金は時給千円を上回る様になりました。日本だけが未だに時給700円台の低水準に抑え込まれているのです。最近ようやく最低賃金が引き上げられる様になりましたが、これすら、他国と比べたら「雀の涙」ほどの賃上げでしかない事が分かります(左上資料参照)。しかも、日本の場合は、ただ低いだけでなく、正社員と非正規との賃金格差も他の先進国よりも大きいのが特徴です(右上資料参照)。
 正社員をパート・バイトや派遣社員などの非正規雇用に置き換える流れは、今や日本だけでなく世界共通に広く見られるようになりました。しかし、他の先進国では、むしろ非正規雇用の方が時給単価が高いのです。これは、より不安定な非正規雇用だからこそ、その見返りに、正社員よりも時給単価を引き上げようとしているからです。
 
 第二に、家賃が余りにも高すぎます。民間の賃貸マンションでは最低でも月4~5万円はするでしょう。手取り13~14万円しかないのに、そこから家賃に4~5万円、その他に水光熱費や携帯電話料金も払わなければなりません。今や携帯電話はぜいたく品ではなく必需品です。これが無ければ求職活動もままなりません。それらを払ったら、もう後にはいくらも残りません。「貯蓄ゼロ」の世帯が今や日本の全世帯の4割近くにもなろうとしています。
 以前、「派遣切り」に遭った人が、派遣会社の寮も追い出されて、そのままホームレスになる事例がニュースで大々的に取り上げられました。また、職を失い生活保護も打ち切られた母子家庭で、追いつめられた母親が子供を虐待したり、料金滞納で電気・ガスも水道も止められた末に、母子ともに飢えて亡くなり、死後数か月も経ってから発見される事例が今も後を絶ちません。しかし、こんな事が頻発しているのも、実は先進国では米国と日本だけなのです。
 少なくともフランスやドイツ、イギリスでは、国が住宅開発を民間業者だけに任せるような事はせず、公営住宅も積極的に建設してきました。それは、これらの国々では、フランス革命などの伝統から、住まいや食生活も基本的人権の一部として、公営住宅の拡充に国も力を入れてきたからです。
 翻って日本ではどうか。公営住宅もあるにはありますが、それはあくまで「付け足し」にしか過ぎず、今やそのわずかに残ったUR(都市再生機構)の公営住宅も、行政リストラの対象として縮小される方向にあります。その下で、生活保護だけが唯一の命綱となり、そこからも落ちこぼれたら、住居さえ失い、マック難民・ネットカフェ難民やホームレスになるしかない「ハウジングプア」の状態に追いやられるのです。



 以下、国家公務員一般労働組合(国公一般)のブログ「すくらむ」の中の記事「ハウジングプア、路上に放り出される若者 -貧困な日本の住宅政策、住まいも自己責任」より引用します。

(引用開始)
 こうした「ハウジングプア」の状態が、幅広い立場の人にまで広がっている背景には国の住宅政策の貧困という問題があると思っています。
 日本の公的賃貸住宅は、2006年3月時点の数字で344万戸です。これは住宅全体の7%にすぎません。イギリスの公的賃貸住宅は20%、フランスは17%あり、それと比べて日本の公的住宅は3分の1程度しかないのです。
 1970年代以降、公的賃貸住宅の建設は減っていますが、とくに東京都は石原都政になった1999年から今まで都営住宅の新規建設はゼロ。このため、2005年度の公営住宅の応募倍率の全国平均が9.9倍に対して、東京都は32.1倍と狭き門になっています。
 日本の公営住宅は絶対数が少ない上に、若年単身者には入居資格すらありません。20歳を過ぎても親の家に同居する若者は「パラサイト・シングル」などと非難されたりすることがありますが、先進国で若年単身者に対する公的住宅支援や国による家賃補助政策などが無いのは日本だけなのです。ヨーロッパ諸国でほとんどの若者が早い時期に親元から自立をはたすのは公的住宅政策が充実しているからなのです。たとえば、フランスでは若年単身者への低家賃公営住宅への入居支援、若年失業者への公的住宅制度、借家契約の連帯保証人代行、保証金の無利子貸与、18カ月までの未払い家賃保障などの若者の移行期支援がきちんとあるのです。
 私は、日本にはワンパターンの「人生双六(すごろく)」しかなく、その「人生双六」から自分のコマが転げ落ちてしまうと簡単に「ハウジングプア」になってしまうような状況にあると思います。「標準的なライフコース」からちょっとはずれるだけで「ハウジングプア」になる可能性がとても大きくなってしまうのが日本社会です。
 これまでの「人生双六」は、終身雇用や右肩上がりの成長により、社宅や賃貸住宅にはじまり、給料アップとともにローンを組んで持ち家を購入するというパターン。でも今や非正規労働者が3人に1人、若年層では2人に1人が非正規労働者にされ、マイホームをゴールとする従来の「持ち家政策」や「住宅は自己責任」という政策を転換しなければ、とくに若年層の多くは「ハウジングプア」に陥ってしまいます。
 給料の半分が消えてしまうほどの高額な家賃や、一生かかって背負うことになる住宅ローンなど「家のために働いている」ようなこれまでの日本の「人生双六」を転換する必要があります。公的な住宅政策が貧困なために、これまで多くの人が人生のかなりの部分を“家”に縛られてきたわけですが、今や若年層は“家”に縛られるどころか派遣切りと同時に路上に放り出されるハウジングプア状態にさらされています。
(引用終了)

 これでもうお分かりでしょう。
 革命で市民が人権を勝ち取った歴史の無かった日本では、生活も住居も「基本的人権」としてではなく、あくまで個人の「自己努力」(自助)や、家族・親戚・近所づきあい等による「助け合い」「絆」(共助)でまかなう物とされてきたのです。国の福祉政策(公助)は、あくまでそれを補う為の、最後の手段でしかないという位置付けです。そして現実には、補う事すらせず、「公助」手抜きの口実に、「自助」や「共助」、「家族愛」や「絆」と言った美辞麗句を、人権保障サボタージュの隠れ蓑にしてきたのです。国が公営住宅建設よりも住宅ローン減税など「持ち家政策」の方を重視してきたのも、もし政策がうまく行かず国民が家を買えなくても、個人の責任に転嫁できるからです。
 そして日本国民も、革命によって人権を勝ち取るのではなく、「水戸黄門」や「天皇陛下」の「思し召し」や、最近では「橋下徹w」の「お力添え、ご威光」にすがり、その恩恵にあやかろうという考え方に染め上げられて来ました。その為には、ワンパターンの「人生双六」や「標準的なライフコース」から外れないようにしよう、「政府に楯突くなぞ畏れ多い」という、奴隷根性に支配されて来たのです。

 戦後70年と言えば長く感じますが、それでも明治維新以来の147年間の歴史からすれば、まだ半分にしか過ぎません。その戦後70年の中で、人権・民主主義や平和主義を定めた今の日本国憲法も、国民が革命で勝ち取ったものではなく、戦争に負けた結果、外国(米国を中心とした連合国)から与えられた物にしか過ぎませんでした。
 しかし、そうは言っても、それを70年の長きに渡り、隙あらば憲法の人権規定を骨抜きにしようとたくらむ自民党政治とも抗いながら、憲法の理念を守り発展させてきた国民の努力については、決して過小評価してはならないとは思います。しかし、その国民の長年に渡る努力も、今や、安倍政権が進める憲法改正(実際は改悪にしか過ぎない)によって、人権も民主主義も、単なる「お飾り」にしか過ぎない物に変えられようとしているのです。

 阪神・淡路大震災や東日本大震災の後、「家族愛」や「絆」が過剰にクローズアップされる中で、「日本って、実は外国よりも凄い国なんだ」という言説が、特に韓国や中国との対比の中で語られるようになりました。例えば、震災後の混乱の中でも、被災者が整然と行列を作って救援物資を受け取る姿などが、NHKのテレビニュースで大々的に流されました。
 しかし、その一方で、今も震災復興住宅の建設は遅々として進まず、原発事故も収束していないにも関わらず、東電も政府もその責任を取ろうとせず、相変わらず原発の再稼働や輸出を進めようとしているのに、それを表立って追求する声は小さくとどまったままです。
 本当に国民の間に「家族愛」や「絆」が満ち満ちているなら、こんな無責任な事は本来あり得ないはずです。これでは、本当はただ「無気力」「無責任」なだけなのに、それを「絆」などの美辞麗句で誤魔化しているだけだと言われても仕方ないと思います。

 だから、いつまで経っても最低賃金も引き上げられないし、安い家賃の公営住宅も建てられないのです。
 また、せっかくの生活保護制度も、「全ての国民には健康で文化的な最低限度の生活を送る権利がある、国にはその権利を国民に保障する義務がある」(日本国憲法第25条)との趣旨からすれば、年収200万円以下の貧困層全員に生活保護を受ける権利があるのに、実際に生活保護制度を利用できているのは、貧困層全体のわずか18%にしか過ぎません。これも、ヨーロッパ諸国では全体の60~90%にも達しているのにです。
 そして、そのわずか全体の18%の生活保護利用者に対してすらも、やれ「不正受給」だ何だのと、ごく一部の芸能人の特殊な例を持ち出して、実際は全体の0.53%にしか過ぎない不正事例を、さも大々的に行われているかのように政府は宣伝しています。利用者数や不正受給の少なさは、厚生労働省自身も自らの資料の中で明らかにしているにも関わらず。(いずれも前述の日弁連マニュアルより)
 そのくせ、小渕優子や松島みどり、下村文科相や望月環境相そして安倍首相自身の政治献金疑惑については、マスコミも国民も大して問題にしようとしません。それもこれも、時の政治家や経営者が、国民の「勤勉さ」や「家族愛」「絆」の上にあぐらをかいて、それを自分たちの都合の良いように利用しているからです。そして国民も、奴隷根性におかされて、己の無気力や無責任を棚に上げ、それをまるで政治家の宿命であるかのように捉えてしまっているからです。

 前回記事の中で、ネット通販大手の多国籍企業アマゾンのブラック企業ぶりについて書きましたが、少なくともドイツやフランスでは、そういうアマゾンのようなブラック企業にも、非正規労働者の組合が組織され、経営者の不正や搾取と闘っているのです。また、米国も日本に負けず劣らず格差社会ですが、この国も、「金の亡者」みたいな奴がウジャウジャいる一方で、それと闘う労働組合や市民運動の力も強いのです。これこそが本当の「絆」ではないでしょうか。
 2007年に北九州で、生活保護を打ち切られた男性が、「おにぎり食べたい」と日記に書き残して餓死する事件が起こりました。その男性は、何度も福祉事務所に生活保護を申請しに行きましたが、申請書も渡されずに放置され続けた挙句に、行政や社会から見殺しにされたのです。当時の北九州市も、国からの圧力の下、俗に「水際作戦」と呼ばれる生活保護削減策を強行していました。餓死した男性は、同じ日記に「法律はただの飾りか」と書き残して死んでいきました。
 法律も権利も、憲法も平和も民主主義も、決して「ただの飾り」ではありません。但し、法律に書いてあるからと言って、それだけで安心してしまい、国民がその権利を行使しないでいると、知らない間に本当に「ただの飾り」にされてしまいます。法律や権利を「ただの飾り」にしてしまうのも、実際に生活を守る武器として活用・拡充させていくのも、ひとえに国民の努力しだいです。
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