アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

絶望や排外主義からは何も生まれない

2023年12月06日 13時40分00秒 | その他の国際問題
 
この間、ガザ関連の映画を立て続けに見た。その一つが「ガザ 素顔の日常」だ。戦争のニュースでしか報じられないガザにも、人々が私たちと同じように住み、日々の暮らしの中で喜び悲しんでいる。それがよく分かった。長さ40キロ、幅10キロほどの海沿いの土地に、200万人ものパレスチナ人が閉じ込められている。イスラエルとの境界には高い分離壁が築かれ、壁に近づこうものなら即座に発砲される。海上も封鎖され、漁船も沖合10~24キロまでしか操業出来ない。まさに「天井のない監獄」だ。
 
しかし、そんな中にも日々の暮らしがあった。若者は海でサーフィンに興じ、浜辺のカフェではなじみ客がいつものラテを注文し、店主と笑顔を交わす。チェロを演奏する少女の夢は、海外留学して国際法や政治学を学ぶ事だ。40人もの子だくさんの漁師の家に生まれた息子の夢は、大きな船の船長になる事だ。後にグーグルマップで調べたら、ガザにもUSJのようなテーマパークがある事が分かった。マスコミが報じる「イスラム国」や「アルカイダ」のイメージとは大違いだ。
 
でも、そんな日常も戦争で全て潰されてしまった。映画はそれまでのほのぼのとした日常生活の描写とは一転して、戦争の場面に切り替わる。ガザでハマスが実権を握って以降、イスラエルはガザを分離壁で封鎖し、人と物の出入りを極端に制限した。ガザには援助物資も入らなくなり、飢餓が蔓延。その上、イスラエルの空爆や侵攻で、発電所や病院などのインフラも破壊され、新生児の死亡率は今や50%を超える。
 
そのような状況下では、ガザの人々に残された意思表示の手段は、イスラエルの築いた分離壁に向かって投石する事だけだ。日本だったらトー横やグリ下にたむろしているような少年や若者が、ここではパレスチナの旗を掲げて、壁に向かって盛んに投石し、古タイヤを燃やして気勢を上げている。
 
 
私はこの場面を見て、西成あいりん地区の暴動を思い出した。あいりん地区でも、過去には数週間おきに暴動が頻発した時期があった。この時も、仕事にあぶれた労働者たちが、警察や商店、チンチン電車の駅に向かって盛んに投石していた。西成では、そんな事しても機動隊に逮捕されるだけだったが、ガザではイスラエル兵によって即座に射殺される。それでも若者は投石を止めない。それは何故なのか?
 
思えば、私の子どもの頃も、パレスチナではイスラエルとの間で衝突が続いていた。航空機がパレスチナゲリラによってハイジャックされ、イスラエルの空港では日本赤軍の活動家が銃を乱射していた。あいりん地区でも暴動が頻発していた。しかし、それを取り巻く環境は、今とはずいぶん違っていたように思う。
 
当時はベトナム反戦運動や学生運動が盛んだった。左翼や労働組合の力も今よりもっと強かった。その中で、パレスチナゲリラも、今のようなイスラム至上主義ではなく、被抑圧民族の連帯を説いていた。敵は米国とイスラエルだけで、その二国に抑圧されている人々は、どんな民族や宗教であれ、同じ仲間であると見なしていた。アラブ世界でも、スエズ運河を国有化し、反帝・反植民地主義を説くエジプトのナセル大統領が、第三世界のリーダーとして君臨していた。
 
世の中の風潮も、今のような「お先真っ暗闇」ではなく、「こんな世の中でもいつかは良くなる」という風潮が、どこかにまだ残っていたように思う。しかし、その風潮も、やがて大きく変わり始める。ソ連崩壊で社会主義の理想はすっかり色あせてしまった。アラブ世界も、ナセルの死でまとめ役を失った事で、混迷の度を深め、「アラブの春」で各国の独裁政権が相次いで倒れた後も、民主化は達成されず、逆にイスラム至上主義のテロがますます広がる勢いを見せようとしている。
 
パレスチナゲリラも、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)などが説いた被抑圧民族連帯の主張は、次第に後景に押しやられ、イスラム至上主義を説くハマスやアルカイダ、イスラム国のような偏狭な主張が、次第に勢いを増して来たように思う。その中で、「こんな世の中でもいつかは良くなる」という風潮は影を潜め、代わりに「お先真っ暗闇」の風潮が幅を利かすようになる。
 
パレスチナの分離壁に投石する若者からは、ベトナムやアルジェリアのゲリラ兵士の写真からは感じられた「こんな世の中でもいつかは良くなる」という思いは、微塵も感じられなくなっていた。感じるのは「お先真っ暗闇」の絶望感の中で、「それでも投石するしかない。それ以外に自分の思いを表現する術はない」という、半ばヤケクソにも似た感情だけだった。これでは戦時中の特攻隊と何ら変わらない。
 
イスラエルのネタニヤフ首相が、いくら声を大にして、ハマスの非をなじり、過去のナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の例も引いて、「自国を防衛する権利」を説いても、私の心に全然響かないのは、「結局お前らは自分たちの事しか考えていないじゃないか」という気持ちがあるからだ。確かに、先にイスラエルの民間人を拉致したのはハマスだ。でも、それも、それまでのユダヤ人による入植地建設強行、パレスチナ人に対する度重なる嫌がらせ、令状なしの逮捕、いきなりの住居追い出し、井戸に毒を投げ込んでのインフラ破壊、「動物扱い」に対する因果でしかない。
 
そもそもシオニズムにしてからが胡散臭い思想だ。「ユダヤ人は今まで散々迫害されて来た。ナチのホロコーストを筆頭に。だから生まれ故郷の、エルサレムのシオンの丘に帰って、パレスチナの地にユダヤ人の国を作る権利がある」これがシオニズムの思想であり、それを体現したのが今のイスラエル国家だ。
 
でも、ちょっと待て。ユダヤ人がパレスチナの地を追い出されたのは、今からもう二千年以上も前の話だ。そこから二千年以上経ち、今はパレスチナは完全にアラブ人の国になってしまっている。そこにはアラブ人が、数世代に渡って、自分たちの生活を営み、文化を育んできた。エルサレムに住んでいるのもユダヤ人だけではない。市内にあるユダヤ教の聖地「嘆きの壁」のすぐ上にはイスラム教の神殿「岩のドーム」がそびえている。
 
「嘆きの壁」と「岩のドーム」(世界遺産マップのホームページより)
 
それを今頃になって、ユダヤ人がのこのこ現れ、アラブ人に向かって「お前ら出ていけ!」という権利なぞあるのだろうか?今も彼の地に住むベトナム人やアルジェリア人が、フランスやアメリカに向かって、植民地や外国支配からの独立を要求するのとは、訳が違うのだ。ユダヤ人が本当に、「迫害から逃れたい、もう二度とホロコーストのような目に遭いたくない」と思うなら、いたずらにシオニズムを振り回すのではなく、パレスチナとの二国家共存や連邦制、もしくは今の南アフリカのように、どんな人種・民族の人でも自由・平等・平和に暮らせる国を作るしかないのではないか。
 
この脈絡において、パレスチナ人はあくまで被害者でしかない。たとえハマスが先にイスラエルの民間人を拉致したとしても。今はまだボールはイスラエルの手の中にある。しかし、ユダヤ人もバカではない。ユダヤ人の中にも、今のネタニヤフ政権を良しとしない人は決して少なくはない。そういう人たちが、将来、イスラエルの政権を担う事になり、再び新たな「オスロ合意」を交わすようになっても、パレスチナ人が相変わらずイスラム至上主義、他民族排外主義に囚われているようでは、次はパレスチナ人が今のイスラエルと同じ苦境に立たされるようになるだろう。
 
映画『ガザ 素顔の日常』予告編

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