書こうかどうか迷いましたが、やっぱり書く事にします。私の兄貴の事について。
以前にも一度だけ書いた事がありますが(2008-02-22 12:49:11コメント「ネオコンの兄貴」参照)、その兄貴とは、ここ数年来、政治的な議論になると悉く私と意見が衝突して、お互い気まずい思いをする事がしばしばでした。じゃあ、「そんな政治的な話なぞしなければ良いのに」と思うでしょうが、私は全然その気が無いのに、いつも兄貴の方から議論を吹っかけてくるので、もう頭にきているのです。「適当に受け流せば良いじゃないか」と思いつつも、私からすれば兄の意見が余りにもトンデモなので、ついつい私もムキになって応戦してしまい、後で互いに気まずい思いになるのです。
その前に、兄と私の関係について、もう少し詳しく説明しておきます。歳は50歳代後半で、私とは10歳近く歳が離れています。大学卒業後は、10年ほど地方銀行に勤めた後、脱サラしてビデオ屋を始めました。そして、それと同時に嫁さんをもらい、私の実家から独立しました。今も嫁さんと二人で住んでいます。子どもはいません。
ビデオ屋は、当初は羽振りが良かったものの、2000年前後から次第にネットに押され、商売に陰りが出てきました。今まで雇っていた二人のバイトも辞めさせて、代わりに私が、バイト終了後の空き時間に、自分の収入補填も兼ねて、店を手伝うようになります。今は、もう後述するように、そのビデオ屋も店終いしてしまいましたが。
最初は政治絡みの話題をする事もなく、普通に兄貴の店を手伝っていました。しかし、2003年のイラク戦争開戦前後の頃から、兄の「政治的異変」が、次第に目につくようになりました。兄は、事ある毎に、当時のフセイン・イラク大統領の悪口を言うようになりました。尤も、フセインは当時から「悪の枢軸」呼ばわりされていた人物ですから、悪口を言っても一向に不思議ではないのですが、その嫌い方が、私から見たら、とても尋常ではなかったのです。世界の独裁者は他にもおり、それどころか、イラク開戦に踏み切った米国のブッシュも覇権主義の権化のように思われていたにも関わらず、明けても暮れてもフセインだけを、まるで今の金正日みたいに論っていたのです。
私は、当時既に今のブログの前身HPで、イラク戦争については反ブッシュの立場に立っていたので、しょっちゅう兄貴と衝突していました。
次に兄と衝突したのは、橋下徹が初当選した2008年大阪府知事選挙の時でした。その時には、兄は既に熱狂的な小泉・橋下信者に変貌していました。小泉の「自民党をぶっ壊す」発言や両者の「脱官僚」姿勢に心酔していたのです。私が、「小泉改革や郵政民営化なんてニセ改革にしか過ぎない」「今までの土建屋利権から米国のハゲタカファンド利権に乗り換えただけじゃないか」と、幾ら口を酸っぱくして言っても、一向に聞く耳を持ちませんでした。
また、その頃から、「嫌韓流」漫画や「新しい歴史教科書をつくる会」関連本を読み始め、北朝鮮・拉致問題についても異様な関心を示すようになりました。何が異様かというと、事あるごとに、私に向かって「北朝鮮や金正日についてどう思う?あんな悪い奴は他にいないだろう」と、しきりに言ってくるようになったのです。
既に私も、前身HPや今のブログで金正日を批判していたので、「反・金正日」については異論はないものの、それでも、余りにも「北朝鮮の脅威」ばかりを言い募り、それと対を為すブッシュのアフガン・イラク侵略や、それに無批判に追随する当時の小泉外交については何も言及しない、兄の思想的偏りぶりには、流石について行けませんでした。
その一方で、拉致被害者や北朝鮮人民の「人権」を云々するくせに、例えば橋下徹が提唱する「関西州」「道州制」については、私が「あれは『平成大合併』の都道府県版ともいうべきもので、大都市圏による地方切捨てでしかない」「切り捨てられるのは地方だけでない。大都市圏に住む低所得者層も、福祉・教育予算を削減され、『ヒルズ族』による都市再開発の踏み台にされるだけだ」と言うと、何と「離島や山間部なんて元々人の住む所ではない」「農業も外国から安い農産物を買い叩けばそれで良い」という意味の事を言ってのけたのです。言い方は流石にそこまで露骨ではありませんでしたが、言っている事はそういう内容でした。そんな「弱肉強食論者」が、よくも北朝鮮・拉致問題についてだけ「同情」出来るものだと、呆れたのを覚えています。
そこで、兄に対して「ネットウヨクみたいな事を言うな」と言ったら、「わしはあくまでも反自民だ、ムチャクチャ言うな」と、えらい反発されたのを覚えています。しかし、当然ながら「反米」や「反自民」にも色々あります。「アフガン・イラク反戦、憲法改悪・派遣切り反対、ジェンダーフリー要求」も「反自民」なら、「第二次大戦は米国の陰謀」「日本核武装・更なる規制緩和推進、女系天皇反対」という「後ろ向きの反米・反自民」もあります。「反米・反自民」と「ネットウヨクではない」事とは、全く別問題なのですが。もう反論するのもアホらしくて、そこまでいちいち言いませんでしたが。
確かに、兄はウヨク一色ではありません。元々兄貴は昔も今もノンポリです。寧ろ、昔はどちらかと言えば革新系の意見に近かった。ビデオ屋時代も民商に加入し、辻元清美を支持してピースボートのポスターを店の横に張ったりしていました。「日の丸・君が代」強制にもどちらかと言うと批判的で、北朝鮮についても、最初の頃は「戦前の日本と同じだ」と言って批判していました。
それが、この前の日曜日に所用で兄貴の家に行った時も、ちょうど例の「やしきたかじん」のバカウヨTV番組を見ていて、また暫くするといきなり「中国は侵略国家」で「日本に攻めてくるかも知れない」だの、「このままでは第三次世界大戦になるかも知れない」「今はもう食うか食われるかだ」「もっと日米同盟を強化しなければいけない」だの言って来た。
それに対して、私も「経済成長の真っ最中で、米国債も世界で一番買っている中国が、いきなりそんな、自分で自分の首を絞めるような真似なぞする筈ないだろう。もう少し冷静に物を考えられないか」「沖縄・普天間の問題にしても、戦時中に米軍が勝手に村や農地を潰して、強盗みたいにして作った米軍基地を、たった一箇所返せという事すら言えないとは、幾ら同盟国でもおかしいじゃないか」と言い返し、私も兄の事を「ネオコン」(新保守主義者=覇権主義・軍国主義の米国保守派)呼ばわりして、また互いに気まずい雰囲気になってしまいました。私も、そんな事は言いたくはなかったのですが、あそこまで言われると、黙ってはいられなかった。
しかし、何故、兄貴はここまで変わってしまったのかね。実は私、兄貴には、自分がこのブログをやっている事は、今に至るまで一切喋っていませんし、今後も喋るつもりは一切ありません。下手に喋って荒らされでもしたら、適いませんから。もう漫画みたいな話ですが、残念ながら実話です。
以下、考えられる要因(可能性)をいくつか挙げてみました。その中でも、まだ(3)の場合なら良いのですが・・・。若しこれに補足する点やアドバイスなどがあれば、コメント投稿やメールでも構いませんので、お願いします。
(1)最悪、「在特会」や勝共連合(統一教会)みたいなものに絡み取られてしまった可能性がある。まさかとは思うが、全く在り得ない訳ではない。現に「嫌韓流」本が本棚にあったのだから。まだ壷や経典の類がないだけでもマシなのかも知れないが。
(2)自営業としての物の見方も、微妙に影響しているのかも知れない。自営業(事業家・資本家)というのは、ある意味「弱肉強食」の競争社会。そこでは「団結して搾取と闘う」よりも「自分だけ這い上がろう」という考えになりがち。そのネオリベ(新自由主義=弱肉強食資本主義)的な発想が、歪んだ排外主義と結びつくと、「北朝鮮・中国なんかに負けてなるものか」という形になる。ネオリベの橋下徹が国粋主義的発言を繰り返し、右翼の石原慎太郎も経済弱者や少数派を露骨に差別するのが、その何よりの証拠だ。「北朝鮮・拉致問題」も、彼らが云々する場合は、自らの差別心を誤魔化す為の口実として使っているに過ぎない。
(3)カルトに染まったのでも、新自由主義に絡み取られた訳でもない。兄貴は、今はビデオ屋も畳んで、別の自営業と、ビデオ屋跡に入ったテナントからの家賃収入で、何とか食ってはいけている。しかし、過去の成功体験と現状との落差に、たとえ無意識ではあっても、心の中に忸怩たる思いを今でも抱えており、その憂さを「北朝鮮・中国叩き」で晴らしているのではないか。人間関係も、今の自営業中心の、狭いものになっている可能性がある。若しそうならば、もっと空き時間に可能な範囲でバイトをするなり、北朝鮮難民救援活動に参加するなりして(但し、ネオナチ・勝共・靖国右翼みたいな「変なトコ」以外で)、一刻も早く「北朝鮮オタク」状態からの脱却を図る必要がある。
以前にも一度だけ書いた事がありますが(2008-02-22 12:49:11コメント「ネオコンの兄貴」参照)、その兄貴とは、ここ数年来、政治的な議論になると悉く私と意見が衝突して、お互い気まずい思いをする事がしばしばでした。じゃあ、「そんな政治的な話なぞしなければ良いのに」と思うでしょうが、私は全然その気が無いのに、いつも兄貴の方から議論を吹っかけてくるので、もう頭にきているのです。「適当に受け流せば良いじゃないか」と思いつつも、私からすれば兄の意見が余りにもトンデモなので、ついつい私もムキになって応戦してしまい、後で互いに気まずい思いになるのです。
その前に、兄と私の関係について、もう少し詳しく説明しておきます。歳は50歳代後半で、私とは10歳近く歳が離れています。大学卒業後は、10年ほど地方銀行に勤めた後、脱サラしてビデオ屋を始めました。そして、それと同時に嫁さんをもらい、私の実家から独立しました。今も嫁さんと二人で住んでいます。子どもはいません。
ビデオ屋は、当初は羽振りが良かったものの、2000年前後から次第にネットに押され、商売に陰りが出てきました。今まで雇っていた二人のバイトも辞めさせて、代わりに私が、バイト終了後の空き時間に、自分の収入補填も兼ねて、店を手伝うようになります。今は、もう後述するように、そのビデオ屋も店終いしてしまいましたが。
最初は政治絡みの話題をする事もなく、普通に兄貴の店を手伝っていました。しかし、2003年のイラク戦争開戦前後の頃から、兄の「政治的異変」が、次第に目につくようになりました。兄は、事ある毎に、当時のフセイン・イラク大統領の悪口を言うようになりました。尤も、フセインは当時から「悪の枢軸」呼ばわりされていた人物ですから、悪口を言っても一向に不思議ではないのですが、その嫌い方が、私から見たら、とても尋常ではなかったのです。世界の独裁者は他にもおり、それどころか、イラク開戦に踏み切った米国のブッシュも覇権主義の権化のように思われていたにも関わらず、明けても暮れてもフセインだけを、まるで今の金正日みたいに論っていたのです。
私は、当時既に今のブログの前身HPで、イラク戦争については反ブッシュの立場に立っていたので、しょっちゅう兄貴と衝突していました。
次に兄と衝突したのは、橋下徹が初当選した2008年大阪府知事選挙の時でした。その時には、兄は既に熱狂的な小泉・橋下信者に変貌していました。小泉の「自民党をぶっ壊す」発言や両者の「脱官僚」姿勢に心酔していたのです。私が、「小泉改革や郵政民営化なんてニセ改革にしか過ぎない」「今までの土建屋利権から米国のハゲタカファンド利権に乗り換えただけじゃないか」と、幾ら口を酸っぱくして言っても、一向に聞く耳を持ちませんでした。
また、その頃から、「嫌韓流」漫画や「新しい歴史教科書をつくる会」関連本を読み始め、北朝鮮・拉致問題についても異様な関心を示すようになりました。何が異様かというと、事あるごとに、私に向かって「北朝鮮や金正日についてどう思う?あんな悪い奴は他にいないだろう」と、しきりに言ってくるようになったのです。
既に私も、前身HPや今のブログで金正日を批判していたので、「反・金正日」については異論はないものの、それでも、余りにも「北朝鮮の脅威」ばかりを言い募り、それと対を為すブッシュのアフガン・イラク侵略や、それに無批判に追随する当時の小泉外交については何も言及しない、兄の思想的偏りぶりには、流石について行けませんでした。
その一方で、拉致被害者や北朝鮮人民の「人権」を云々するくせに、例えば橋下徹が提唱する「関西州」「道州制」については、私が「あれは『平成大合併』の都道府県版ともいうべきもので、大都市圏による地方切捨てでしかない」「切り捨てられるのは地方だけでない。大都市圏に住む低所得者層も、福祉・教育予算を削減され、『ヒルズ族』による都市再開発の踏み台にされるだけだ」と言うと、何と「離島や山間部なんて元々人の住む所ではない」「農業も外国から安い農産物を買い叩けばそれで良い」という意味の事を言ってのけたのです。言い方は流石にそこまで露骨ではありませんでしたが、言っている事はそういう内容でした。そんな「弱肉強食論者」が、よくも北朝鮮・拉致問題についてだけ「同情」出来るものだと、呆れたのを覚えています。
そこで、兄に対して「ネットウヨクみたいな事を言うな」と言ったら、「わしはあくまでも反自民だ、ムチャクチャ言うな」と、えらい反発されたのを覚えています。しかし、当然ながら「反米」や「反自民」にも色々あります。「アフガン・イラク反戦、憲法改悪・派遣切り反対、ジェンダーフリー要求」も「反自民」なら、「第二次大戦は米国の陰謀」「日本核武装・更なる規制緩和推進、女系天皇反対」という「後ろ向きの反米・反自民」もあります。「反米・反自民」と「ネットウヨクではない」事とは、全く別問題なのですが。もう反論するのもアホらしくて、そこまでいちいち言いませんでしたが。
確かに、兄はウヨク一色ではありません。元々兄貴は昔も今もノンポリです。寧ろ、昔はどちらかと言えば革新系の意見に近かった。ビデオ屋時代も民商に加入し、辻元清美を支持してピースボートのポスターを店の横に張ったりしていました。「日の丸・君が代」強制にもどちらかと言うと批判的で、北朝鮮についても、最初の頃は「戦前の日本と同じだ」と言って批判していました。
それが、この前の日曜日に所用で兄貴の家に行った時も、ちょうど例の「やしきたかじん」のバカウヨTV番組を見ていて、また暫くするといきなり「中国は侵略国家」で「日本に攻めてくるかも知れない」だの、「このままでは第三次世界大戦になるかも知れない」「今はもう食うか食われるかだ」「もっと日米同盟を強化しなければいけない」だの言って来た。
それに対して、私も「経済成長の真っ最中で、米国債も世界で一番買っている中国が、いきなりそんな、自分で自分の首を絞めるような真似なぞする筈ないだろう。もう少し冷静に物を考えられないか」「沖縄・普天間の問題にしても、戦時中に米軍が勝手に村や農地を潰して、強盗みたいにして作った米軍基地を、たった一箇所返せという事すら言えないとは、幾ら同盟国でもおかしいじゃないか」と言い返し、私も兄の事を「ネオコン」(新保守主義者=覇権主義・軍国主義の米国保守派)呼ばわりして、また互いに気まずい雰囲気になってしまいました。私も、そんな事は言いたくはなかったのですが、あそこまで言われると、黙ってはいられなかった。
しかし、何故、兄貴はここまで変わってしまったのかね。実は私、兄貴には、自分がこのブログをやっている事は、今に至るまで一切喋っていませんし、今後も喋るつもりは一切ありません。下手に喋って荒らされでもしたら、適いませんから。もう漫画みたいな話ですが、残念ながら実話です。
以下、考えられる要因(可能性)をいくつか挙げてみました。その中でも、まだ(3)の場合なら良いのですが・・・。若しこれに補足する点やアドバイスなどがあれば、コメント投稿やメールでも構いませんので、お願いします。
(1)最悪、「在特会」や勝共連合(統一教会)みたいなものに絡み取られてしまった可能性がある。まさかとは思うが、全く在り得ない訳ではない。現に「嫌韓流」本が本棚にあったのだから。まだ壷や経典の類がないだけでもマシなのかも知れないが。
(2)自営業としての物の見方も、微妙に影響しているのかも知れない。自営業(事業家・資本家)というのは、ある意味「弱肉強食」の競争社会。そこでは「団結して搾取と闘う」よりも「自分だけ這い上がろう」という考えになりがち。そのネオリベ(新自由主義=弱肉強食資本主義)的な発想が、歪んだ排外主義と結びつくと、「北朝鮮・中国なんかに負けてなるものか」という形になる。ネオリベの橋下徹が国粋主義的発言を繰り返し、右翼の石原慎太郎も経済弱者や少数派を露骨に差別するのが、その何よりの証拠だ。「北朝鮮・拉致問題」も、彼らが云々する場合は、自らの差別心を誤魔化す為の口実として使っているに過ぎない。
(3)カルトに染まったのでも、新自由主義に絡み取られた訳でもない。兄貴は、今はビデオ屋も畳んで、別の自営業と、ビデオ屋跡に入ったテナントからの家賃収入で、何とか食ってはいけている。しかし、過去の成功体験と現状との落差に、たとえ無意識ではあっても、心の中に忸怩たる思いを今でも抱えており、その憂さを「北朝鮮・中国叩き」で晴らしているのではないか。人間関係も、今の自営業中心の、狭いものになっている可能性がある。若しそうならば、もっと空き時間に可能な範囲でバイトをするなり、北朝鮮難民救援活動に参加するなりして(但し、ネオナチ・勝共・靖国右翼みたいな「変なトコ」以外で)、一刻も早く「北朝鮮オタク」状態からの脱却を図る必要がある。
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だって、いくら古典的リベラリズムやネオ・リベを信奉する連中だって、まさか「奴隷所有の自由」までは主張出来ないでしょ?
つまり、ネオ・リベだって、何らかの社会的規制や社会的合意は前提としているはず。リベでも野放しの自由は主張し得ない。
一方、進歩派も「リベラル」や「リベラリズム」を肯定的に使う場合がある。
その辺、どうなんだろ?
上記については、私も薄々感じています。ほら、「自由主義」とか「資本主義」とかいう言葉があるでしょう。両者とも同じ社会や考え方を指すのに、何故二つの用語で使い分けられなければならないのか。
前者は「自由・平等」の「自由」の意味合いで、元々は「保守主義」「封建主義」の対義語として使われてきました。それに対して後者は、「資本=お金万能主義」の意味合いで、主に「社会主義」「共産主義」の対義語として使われています。
しかし、今は前者も、社会主義・共産主義の対義語としても使われている。そこら辺で、イメージの受け止め方の所で、混乱が起こっているように思います。
「自由」という言葉には、この様に「拘束からの自由、身体の自由」としての側面と、「金儲けの自由」として使われる場合との、二つの側面がある事に留意しなければなりませんね。
だから、「新自由主義」という用語にしても、寧ろ「自由」ではなく「新資本主義」と言い換えた方がよっぽどスッキリするのに、我々も「自由民主党」と同様に、両者を混同して使ってきた面は否めません。
中段の「社会的規範」との兼ね合い如何については、もう少し考えてみようと思います。
これ、重要な視点でしょうね。
つまり、「自由」とか「民族自決権」のような概念は、それを抑圧し破壊するものとの関係ではじめて成立・正当化し得る概念なのでしょう。難しく言えば、「自由」とか「民族自決権」は、それ自体を抽象化・孤立化してしまうと、「疎外」を招く。
後段のような搾取の自由を求めることやカネ持ち住民が分離独立したがるような事は、概念の孤立化・絶対化としての「疎外」現象でしょう。
「自由」とか「民族自決権」は、それを拘束・抑圧する存在が現存するような事態の下で、それに対する対概念として、はじめて正当化しえるのだと思います。
その点で、辞書やWikiなどでの「リベラル」、「リベラリズム」関連の意味紹介にはちょっとムリがあると思うよね。
まるで、全人類に向かって「リベ」はこう使え!と説教しているようなムリがさ。概念実在論のような転倒がですよ。
「リベ」の定義に関しては、それだけの不確定や混迷状況が現在の人類社会の中に現存しているんじゃないのかな?本来(=当初)の使用法と、その後の無自覚な疎外態としての使用法との間の混迷が、現実においても辞書の編纂者にとっても明確に判断されていないような状況がある。編纂者のアタマに反映している。
概念の内包(=意味)や外延(=類例)もまた、歴史的に変化発展する(一時的に疎外もされる)弁証法的なものなんでしょうね。
この点に無自覚だと、原始アダムとイヴの時代から全ての意味概念や法体系が存在していたかのような勘違いをする。「法律学の幻想=観念論」に陥ることになるみたいですねwwww
ひょっとして、私の兄貴の場合もそうだったのではないでしょうか。今まで戦後民主主義だと信じていたのが、実は米国流民主主義・資本主義・帝国主義美化論でしかなかった。ところが、それに気が付かず、実際は「資本主義擁護論」でしかないものを、「民主主義」と勘違いしていたのではなかったか。
だから、「天皇・日の丸・君が代・北朝鮮・個人崇拝」を批判しながら、その一方で「ネオコン・ネオリベ・小泉政治」も容認出来て、しかも、その事に対して全然矛盾を感じないのではないでしょうか。
また、アンチ靖国右翼の辻元清美を支持しながら、日米安保の問題では平気で米帝擁護に終始し、その矛盾に気が付かないのも、その為ではないでしょうか。
そして、それは兄貴だけの問題ではなく、米国流のグローバル資本主義・帝国主義・新自由主義までも「民主主義の模範」として信じて疑わなかった、多くの戦後日本人の問題でもあるのではないでしょうか。
戦前は帝国主義国としてアジアに君臨した日本が、第二次大戦敗戦後は米国の属国に成り下がった。それに伴い、戦後初期には一定の民主化措置が連合国によって執られたが、それも東西冷戦激化によって、途中で頓挫させられた。
戦前日本社会の封建性・後進性は、そのまま対米従属下の戦後日本にも持ち越された。そして、後に続く高度経済成長期を通して、大分変容を遂げながらも、社会の差別構造自体はしぶとく持ち越された。それがこの長期不況下で、対米従属を補強する奴隷根性(「下見て暮らせ傘の下」)として、日常的に現れているのではないでしょうか。
まずプレカリアートさんが読んで、「これ凄く面白いよ」という形で紹介した方がいいとは思うんですけど、山本周五郎「正雪記」とか、あるいは「ちいさこべ」「人情裏長屋」(いずれも新潮文庫)とか、お読みになるようお薦めしたらどうですかね?
小説ですから好き嫌いってものはありますし、本がお好きでなかったり、またそんな時間が全くないのなら仕方がないですけど、個人的には、このての世界を知っておくと、そんなに極端な所には行かないような気がするんですよ。
「正雪記」(上下巻)は、ある意味ワーキングプアとはいいませんけど、没落浪人層の悲劇です。その中で「人間として、自分だけが満足すればいいという生き方は誤りだ。もっとも多数の人たちと幸不幸を分かち合ってこそ、人間らしい生き方といえるだろう」という様なセリフが説得力を持って出てくる。もし本屋で見たら、下巻の375ページを開いてちょっと立ち読みしてみてください。
他2冊も含めて、山本周五郎は別に政治的な人でもなんでもないけど、結構こころに来るものが多いですよ。「ちいさこべ」は、とにかく人に頼らず生きる意地と、かつ弱い人を助ける優しさを持った「小経営者」の話しだし、その文庫に収録された「ちくしょう谷」はくじけそうになった時に読むと気合入ります。「人情裏長屋」とかはそのまま時代劇になるほどのかっこよさ。こういう文学が与える心理的影響って、結構大きいと思うんですけど。
「上」とか「右」は、「下」や「左」無くしては存在し得ない。自律出来ない。対概念である。
「上」とか「右」は、「下」や「左」無くしては成立しない。単独に実体化出来ない関係概念である。
「自由」もその主体複数形である「民族自決権」も、自律化・孤立化・抽象化・絶対化させてしまうと「右」の伴わない「左」のようなおかしなものになってしまう。
金体制による悪行や台湾の独立を民族自決権で免罪・支持してしまうようなことも、「奴隷所有の自由」を主張するようなある種の疎外であろう。「右」に「左」が必ず伴うように、「自由」や「民族自決権」の正当性には一方での「抑圧」の存在が不可欠であろう。
しかし、両項等価の反省関係と両項不等価の発生関係の違いは正確に見分けておく必要があろう。さもないと、唯物論の意味も政治闘争の意義も曖昧化されてしまう。
さて、「リベ」から「自由」や「民族自決権」の問題を経て、だいぶ遠くに来てしまった。形而上学的天空に昇りつめ過ぎてしまったwww
この辺で一応思考停止します。
私、時代小説を読むのは、多分、高校時代に教師に勧められて読んだ「さぶ」以来です。この作品も山本周五郎のもので、確か「苦しんでいるのは自分だけではない、誰かがきっと見守ってくれている」というメッセージが込められていた様に思います。
ただ、どうかなあ、兄貴は多分受け付けないでしょう。私と同じで時代小説なんて殆ど読まないし、特にこういう勧善懲悪物は受け付けないと思います。それなのに、何で金正日の悪行ばかりに異様に反応するのか、それが今以て謎なのですが。
それで、現時点での小説を読んだ私の感想ですが、「ちいさこべ」に出てくる火事で焼け出された孤児たちの面倒を見る棟梁一家の話も、「ちくしょう谷」に出てくる流人村救済に奔走する藩士の姿も、共に、今の派遣村村長の湯浅誠さんの姿と、ダブって見えます。正しくこれは、江戸時代の「派遣村」ではないかと。「派遣村」の比喩が不適切ならば、貧民救済を掲げて蜂起した大塩平八郎に準える事も出来るかと。
黒澤明の映画「赤ひげ」とか、観ればやっぱりくさいなあと思いつつ感動すると思うんですよ。ああいうポジテイブなメッセージというかね、人間、どうしようもない存在ではあるけれどやっぱりいいところもあるから頑張らねばいかんというか、そういう気持ちを嘘でもいいから持ち続けることは、変な差別主義やルサンチマンに陥らない為には必要だと思います。