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JR名松線ダイヤから国鉄分割民営化のデタラメを読み解く

2023年04月10日 00時24分09秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
4月8日・9日の土日連休を利用してJR名松(めいしょう)線に乗って来ました。同路線は三重県松阪から伊勢奥津(いせおきつ)まで全15駅43キロ余りを約80分で結んでいます。当初は松阪から名張までを結ぶ予定だった事から路線名が付けられました。しかし私鉄の参宮急行(今の近鉄大阪線の前身)の方が先に開通した為に、伊勢奥津から先は工事が中止されてしまいました。
 
それ以降も沿線の美杉村や白山町、一志町(現在はいずれも市町村合併で津市の一部に)の住民の足として活躍して来ましたが、近年のモータリゼーションや過疎化、少子化による交通需要の減少の為に、存廃論議が浮上していました。そして2009年の台風18号による被害の為に、家城(いえき)から伊勢奥津まで長期に渡って運休し、代行バスによる輸送が行われて来ました。
 
しかし、沿線には県立の高校や病院もあり、今も通学生や通院患者の大事な足になっている事から、住民団体の「名松線を守る会」や高校生を中心とした「名松線勝手に応援団」などによる存続運動が展開されて来ました。その結果、線路復旧をJR、治水工事を三重県、周辺環境整備を津市がそれぞれ受け持つ事になり、2016年に全線復旧を遂げる事が出来ました。その為に「奇跡の名松線」と呼ばれ、地味なローカル線であるにも関わらず、最近では多くの観光客が押し寄せるようになりました。
 
 
JR名松線は全線単線の為、途中駅の家城で上下列車が行き違います。その際にタブレット交換が行われます。家城から先は閉塞区間となり、一つの列車しか進入出来ません。ここから先は、タブレットという輪っかのような通行手形を持った運転手の列車しか走る事が出来ません。そうする事で、他の列車の進入による衝突事故を防いでいるのです。このタブレット交換も、名松線以外には千葉県の小湊鉄道や青森県の津軽鉄道など、ごく限られた場所でしか見る事が出来ません。今や貴重な光景です。
 
名松線沿線には色とりどりの花が咲き誇っていました。終着駅の伊勢奥津にはSL時代の給水塔の遺構が残り、蔦の絡まる給水塔としだれ桜を列車と一緒に収めた写真の撮影スポットになっています。他にも比津駅のミツマタや伊勢鎌倉駅の桜が有名です。二日目には伊勢奥津からさらに奥にあるミツマタ群生地や三多気の桜も見て来ました。
 
また、名松線は雲出川の渓谷沿いに沿って走るので、家城ラインと呼ばれる渓谷美も堪能出来ます。更に沿線には宿場町の遺構や温泉付きのリゾートホテルも立地しています。リゾートホテルは一泊2万円以上もするので、私には手が届きませんでしたが、景色を見るだけならタダです。
 
 
名松線の存続運動には地元の高校生が大きな役割を果たしました。家城駅の近くにある三重県立白山高校では生徒の手による駅弁やポスターが作られました。駅弁は地元の店で、ポスターも主要駅で見る事が出来ます。
 
JR名松線は輸送密度(1日1キロ当たりの輸送人員)わずか195人の超赤字ローカル線です。活発な存続運動もさる事ながら、ドル箱の東海道新幹線を抱えるJR東海の傘下にあるからこそ、長期の災害運休から立ち直る事が出来ました。しかし、今後はどうなるか予断を許しません。
 
幸い私の乗った車両には後述の例外を除き、常に十数人の乗客が乗っていました。そのうち数人は練習帰りの高校野球部員でしたが、それ以外の方はほとんど鉄道ファンと思しき人たちでした。何故なら、それらの人たちはほとんど全て、松阪から終点の伊勢奥津まで乗車し、折り返しの列車で帰って来たからです。地元の客ならこんな乗り方はしません。
 
 
 
前述の例外が8日15時8分伊勢奥津発の上り松阪行き単行ディーゼルカーです。ここには60人以上もの人が乗っていました。多分、一つ前の列車に乗りそびれた団体観光客が、次のこの列車になだれ込んで来たのでしょう。そして、この列車に元々乗るはずだった団体客とかち合い、思わぬ休日のラッシュアワーを出現させてしまったのでしょう。他に、途中の家城から野球部のユニフォーム姿の高校生が6名乗って来ましたが、それ以外はほとんど全て鉄道ファンだと思われます。
 
その60人以上もの乗客のうち、約27人の中年男女が一志駅で一斉に下車しました。この駅周辺には大きな商業施設なぞありません。しかし、地図で見たら徒歩数分ほどの所に近鉄大阪線の川合高岡駅があります。互いに連絡こそしていないものの、乗客の方で時間調整さえすれば充分乗り換え可能です。多分、この約27人は近鉄経由でやって来た団体観光客でしょう。
 
こんなにも名松線を愛する人がいたと勇気づけられる反面、一過性の鉄道ブームにいつまでも頼っていてはいけないと痛感させられました。大阪でも外国人観光客やカジノ誘致に行政当局が躍起となっていますが、肝心の国民の暮らしを守らずに、ひたすら外需頼みでは、やがて限界が来るのではないでしょうか?
 
 
ところで、旅の途中で面白い事に気付きました。それは名松線の朝のダイヤが途中の家城駅で分断されている事です。
 
例えば上り始発の400C列車では、伊勢奥津を発車した列車は途中の家城までしか行きません。家城で後続の松阪行きに連絡しています。でも、その待ち時間は6時半から38分まで8分間しかないのです。だったら、家城でわざわざ次の列車に乗り換えなくて済むように、400C列車を終点の松阪まで走せたら良いじゃないですか?
 
同じ事は上り次発の404C列車にも言えます。この列車も途中の家城までしか行きません。家城で後続の松阪行きに連絡しています。でも、その待ち時間も8時5分から19分まで14分間しかないのです。だったら、家城でわざわざ次の列車に乗り換えなくて済むように、404C列車を終点の松阪まで走らせたら良いじゃないですか?
 
なのに何故こんな無駄な事をしているのか?私が思うに、多分、家城で単行列車を2両に増結して、朝のラッシュアワーに対応しているのではないでしょうか。車両が増結されるので、時刻表でも別の列車として扱われているのです。朝のラッシュアワーでは、松阪・家城間と家城・伊勢奥津間にダイヤが分断されるのです。この時間帯は松阪と家城の間を2両編成の列車が行き来し、通勤客や通学客をさばいているのです。402C→407C→406Cと列車番号を変えながら。
 
特に、白山高校に通学する生徒を輸送するには、同校は1学年3クラスまであるので全校では300名くらいの生徒数となり、2両編成にしないとさばききれません。その為に、朝のラッシュアワーだけ、こんな変則的なダイヤになっているのではないでしょうか?
 
 
やはり思った通りでした。7時32分松阪発の407C列車は2両編成でホームに停車していました。でも今日は日曜日なので通学の高校生はいません。だから今日は1両だけしか止まっていないのでは。しかしJRは分割民営化以降も国鉄時代の親方日の丸意識がさらに悪い形で残っているので、ひょっとしたら土日祝日でも平日と同じ様に運行するのではないかと思ったら・・・本当に日曜日でも2両編成で停車していました。
 
大体、平日と土日祝日では、大都市圏でも利用状況はガラリと変わるのに、通学生しか主な需要のない地方で、何故、平日も日祝もダイヤが変わらないのか?その理由はJRの体質にあるのではないでしょうか。この間、地方に旅に出るたびに薄々感じていた事ですが、同じ赤字ローカル線でも、私鉄や第三セクターとJRとでは、鉄道利用者に対する接し方が全然違います。
 
一言で言えばJRは官僚的なのです。私鉄や第三セクターが赤字解消や鉄道存続の為に、あの手この手で経営改善やサービス向上に努力しているのに、JRはいまだに1日フリー切符一つ発行しないじゃないですか。地方の第三セクターならどこでも考えつくイベント列車(SLやお座敷列車)の運行もやろうとしない。通常ダイヤそっちのけでイベント列車にばかり力を入れるのも考え物ですが、それでも何もしないよりははるかに良いです。
 
これでは折角、住民が廃線反対の署名を集め、行政も存続に向けて観光キャンペーンを張っても馬耳東風です。だから、昨日は60人以上もの乗客がいながら単行1両のディーゼルカーで乗客をすし詰めにしながら、今日は全部合わせても12人ぐらいしか乗客がいないのに、2両編成のディーゼルカーで運行したのです。
 
 
かつて国鉄分割民営化を強行したのも、そんな官僚的な体質を是正する為ではなかったのか?それとも単に労働組合潰しだけが目的だったのか?おそらく後者でしょう。だから、「カラ出勤」だの「勤務中に入浴」だのと難癖付けて、労働組合員をシロアリ扱いして、組合潰しを強行したのです。
 
保線区や整備工場の現場職員は油や汚れまみれで仕事しているのだから、勤務終了前には入浴してからでないと、まともな格好で途中に買い物にも寄れない。実際、炭鉱夫もそうやって、入浴で身体を綺麗にしてから退勤していた。それを当時の自民党・中曽根内閣や、その提灯持ちの産経新聞は、まるで仕事をサボっているかのように、偏向キャンペーンを煽って、分割民営化に反対する国労や全動労などを潰しにかかった。
 
その結果どうなったか?親方日の丸の官僚体質はそのまま温存され、その上さらに金儲け至上主義、競争至上主義の新自由主義が加わり、全国各地でローカル線廃止が強行され、安全運行よりも儲けが最優先された為に、福知山線事故や信楽高原鉄道事故のような大事故が繰り返されるようになったのです。
 
 
実際に旅行先の松阪の踏切で、近鉄とJRの格の違いをこの目ではっきりと見る事が出来ました。踏切から向かって右側が近鉄山田線、左側がJR紀勢本線です。
 
確かに近鉄も、ナローゲージの内部・八王子線の貧弱な装備を何十年も放置した挙句に、赤字だからと地元の四日市市に経営を押し付け、第三セクターの四日市あすなろう鉄道にしてしまった前科があるので、手放しでは礼賛できません。
 
しかし、その近鉄ですら、非電化単線のJR紀勢本線と比べたら、はるかにマシです。JRグループの中では優等生のJR東海ですら、この有様なのですから、もう後は推して知るべしです。これでは、いくら沿線住民が鉄道存続署名を集めても、砂地に水をやるようなものです。地元の津市や三重県がいくら観光キャンペーンで名松線を盛り上げようと、なしのつぶてです。肝心のJRに、鉄道を存続する気が全然ないのですから。
 
 
私に言わせれば「宝の持ち腐れ」に等しい暴挙です。せっかく高校生が鉄道存続署名を集め、地元の方が終点の伊勢奥津の観光施設で「名松線にまた乗りに来てなあ」と垂れ幕まで掲げて見送ってくれて、観光客もそれに応えてどんどん乗りに来てくれているのに、肝心のJRにお客様を歓迎する気が全然ないのですから。
 
私は別に「お客様を神様だと思え」と言ってる訳ではありません。せめて観光シーズンぐらいは2時間に1本しかないダイヤを1時間に1本のダイヤに増やすぐらいの事は出来ないのでしょうか?他社のローカル線ではどこでも大抵販売しているお徳用のフリー切符ぐらい販売してくれても良さそうなものを。
 
伊勢奥津駅の隣にある観光物産施設「ひだまり」では、私が列車に間に合わないからと、飲み残したコーヒーのカップにわざわざ蓋までして、急いでいる私の所にまで持って来てくれたのですよ。レンタサイクルも終日無料で借りる事が出来ました。他の所では千円ぐらい取られるのに。官僚的なJRとは雲泥の差です。もっと列車が増発されたら、「ひだまり」にもお客がもっと来るはずです。
 
JRも、いつまでも親方日の丸の官僚体質や、ブラック企業並みの新自由主義体質にあぐらをかいて、今のような殿様商売やボッタクリ商法をこの先もずっと続けていたら、やがて企業の存続自体が危ぶまれるようになりますよ。現にJR北海道がそうなりつつあるように。
 
※なお、今回の更新では、1記事当たりの投稿字数の制約もあるので、表題に掲げたテーマに絞って記事を書きました。その為、せっかく乗り鉄を満喫してきたにも関わらず、やや硬派(政治的)な記事の内容になってしまいました。それ以外の旅の風景や旅先でのエピソードについては、次回で改めて紹介する事にします。

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