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安倍政府や産経新聞に、福岡の虐め教師を非難する資格は無い!

2006年10月18日 07時31分52秒 | 教育基本法やらせ改悪
・「担任がいじめ誘発」 福岡の中2自殺で学校謝罪(産経新聞)
 http://www.sankei.co.jp/news/061016/sha000.htm
・中2自殺、元担任の言動がいじめ誘発か(TBS:ニュース動画有り)
 http://news.tbs.co.jp/part_news/part_news3403526.html

 福岡県筑前町立三輪中学校2年男子生徒の自殺事件が、世間の耳目を集めています。背景には、担任教師による虐め言動や、それを隠蔽しようとした学校側の体質があった、との事。以下は、産経新聞の上記記事からの引用です。

>父親(40)によると、1年生の時に男子生徒が自宅で見ていたインターネットの内容を両親が担任に相談したところ、担任は後日、相談内容を同級生に暴露し、クラスで男子生徒に不本意なあだ名が付けられた。担任は級友の前で男子生徒を「偽善者」「うそつき」とからかったりもした。<
>また担任は、学業成績をイチゴの品種に例え「(高価な)あまおう」「出荷できない」などとランク分けして生徒を呼んでいた。男子生徒は成績上位で「あまおう」と呼ばれたが、父親は「親としては、こうした教師の格差意識が、いじめを助長したと受け止めている」という。<

 そして、この「教師による虐め主導・誘発」という事態に遭遇して、文部科学省の方でも、係官を現地に派遣して事実調査に乗り出す、との事。

 その他の新聞・TVでもこの事件を大きく取り上げていますが、その殆どが、この問題教諭叩きや、精々が学校の隠蔽体質を指弾する所まででお茶を濁しているような気がしてなりません。

 確かに、まず指弾されるべきなのは、当該の問題担任です。実は私自身も中学生時代の一時期に虐めにあった経験があるので、自殺に至った生徒の心中も痛いほど分るし、当該問題教師に対しても、憎しみと哀れみが内混ざった様な、ある種言い知れぬ複雑な感情を抱いています。しかしその一方で「そういう”個人叩き”だけで終わらせて良いのかな」という気持ちもあります。
 この問題教師は、その「歯に衣着せぬ物言い」で他の生徒ともトラブルを抱えていた一方で、その言動が生徒の人気を呼んでいた部分もあり、また統率力もあったので学年主任も兼任していた、との事。私などは「何でこんな教師が学年主任に収まる事が出来たのか」と思うのですが。

 そして一番肝心な事を、どのマスコミも「あまり追及していない」というか、「意図的に言及を避けている」という気がして仕方が無いのが、「こうした教師の格差意識が、いじめを助長したと受け止めている」(同上の新聞記事より)という自殺生徒の親の指摘。この指摘が問題の全てを物語っています。

 「虐め」事象と言うのは、その事だけが単独で発生する事は余りありません。大抵の場合は、その陰に隠れてまた別の「虐め」事象が存在するものです。それも生徒間や生徒・教師間の虐めだけでなく、教師間の虐めも伴って。例えば下記記事の様に。

・中学教諭自殺:校長行き過ぎ指導の可能性 千葉市教委調査(毎日新聞)
>校長は昨年4月に、教諭は今年4月に同校に赴任した。関係者によると、今年の夏休み前から、教諭は仕事上の報告をする際、校長から大声で叱責されることが多くなった。また校長は、他の教諭にも声を荒らげることがあったという。<
 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061017k0000e040024000c.html

 何の事は無い。そこに見られるのは、正に企業内でのパワー・ハラスメントと全く同じ構図です。ヨドバシカメラやニコン熊谷工場で起こった会社側による派遣・請負労働者虐めにも相通じる様な。そして、それを促してきたのが、小泉・安倍ネオリベコンにまで続く歴代自民党政府の教育政策ではなかったのか。

 安倍政権の教育政策は、飛び級や中高一貫教育・学区制廃止などの「学校選択制」、成果主義賃金や教育免許更新性などの「学校評価制」、アメとムチの教育予算配分で学校間格差を拡大する「バウチャー制度」が、その3本柱だと言われています。
 「全体的に底上げを図る」という事を曲がりなりにも建前としてきた戦後教育の思想を単に「悪平等」と切って捨て、その逆に「出来る子供、国家に貢献出来る子供」の拾い出し・能力開花・伸長ばかりに力を入れ(先の「3本柱」や全国一斉学力テストの実施もそれが狙い)、その他大勢の「凡人、落ちこぼれ」については「もう勉強は程々で言い、お国もあんた達などにはカネを掛けていられない」「ただ、お国に歯向かうような事だけはするなよ」と言わんばかりの様な。そこにあるのは典型的なサッチャーリズムであり、それはある種の社会ダーウィニズムにも通じる様な思想です。
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/38cc0eb1daf59a898b6c16c2a0b94191
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-29/2006092903_01_0.html
 http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/29/20060829000036.html

 だから、学校間競争が義務教育まで蝕んだ結果、生徒が集まらなくて新入生ゼロの公立小中学校が続出したり、経済格差によって給食費や修学旅行の学費も払えない家庭が激増しても、平気でいられるのでしょうし、「底辺の底上げ」にしかならずに「英才教育に重点配備すべき予算を食い物にしている」ような低学力校・定時制高校や、教育基本法の理想である「個人の人格の完成、民主的・平和的社会の形成者・主権者」育成を目指した教育実践が行われている学校などを、軒並み狙い撃ちして統廃合の対象にしているのです。
 http://www.nakajima-msi.com/mzbox/mz0135.html
 http://www.hcn.zaq.ne.jp/cabhk402/gide.html
 http://ins.jp.org/takanan/1015.pdf#search='%E9%AB%98%E6%A7%BB%E5%8D%97%E9%AB%98%E6%A0%A1%20%E7%B5%B1%E5%BB%83%E5%90%88'

 そして忘れてはならないのは、この様な格差・差別・選別教育の犠牲者は何も定時制や低学力校の生徒ばかりではなく、「優等生も、ある意味ではこの教育の犠牲者なのだ」という事です。長年の優等生生活の中で人格を歪められ鼻持ちならない人間に育て上げられてきて、いざ社会に放り出されてから初めてその事に気付かされ、それまで散々身につけてきた「受験学力」も、実生活上の問題解決には全然役立たない代物だった事を、嫌という程思い知らされる。私が昔読んだ(今はもう絶版か?)「開成・東大十四年」(伊藤悟・著、一光社)という本には、その優等生が「その後どうやって人間らしさを取り戻していくか」という苦闘の軌跡が書かれています。

 そういう教育をやってきた(今もやっている)側や、それを散々持ち上げてきた(今も盛んに持ち上げている)御用マスコミが、今頃さも他人事であるかの様に「係官を現地に派遣して事実調査に乗り出す」とか「元担任の言動がいじめ誘発か」とか言うに至っては、もう「何をか況や」「盗人猛々しい」としか言い様がありません。安倍政府や産経新聞ごときに、福岡の虐め教師を非難する資格は無い!   
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