アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

伊吹・石原みたいな輩などトットとクビにして、太田光を政治家に

2006年11月18日 23時51分29秒 | 教育基本法やらせ改悪
 文部科学省が伊吹大臣名で、虐め自殺防止の緊急アピールを出しました。
 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06110713.htm

 その緊急アピールには「弱い者虐めは恥ずかしくて卑怯な事」「虐めている側も、いつ虐められる側になるかわからないんだよ」「虐められている事を話す勇気を持とう」等々という趣旨の文面が並んでいます。私から見ると、「架空履修で現場に責任を擦り付けた挙句に何人もの校長を自殺に追い込んでおいて、よくもこんな白々しい事が書けるなあ」と、思わずツッコミを入れたくなるような文面なのですが。まあそれはとりあえず横に置いておくとして。

 実は昨夜たまたま、日本テレビ系列番組の「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中」を見ました。「見ました」といっても、仕事で帰りが遅くなったので、実際に見る事が出来たのは番組終了間際の10分ぐらいだけでしたが。そこで司会の太田光が良い事を言っていました。その発言で、改めて彼を見直しました。「やはりこいつは、只のタレントではないな」と。

 その番組では、「国民の怒り募集」という事で、「国民が怒っているネタ」を10個集めてそれぞれのネタにコメントを加えていて、私が見たのは最後の第1位の「虐め問題多発」ネタでした。
 私は最初、「虐め事象の上っ面を取り上げるだけで、その裏にある教育格差の問題や、今一番大事な教育基本法改悪問題に、何故正面から切り込まないのか」「これが民放の限界なんだな」と思いながら見ていました。番組コメンテーターの面子(山本一太、原口一博、金美齢など)も全然期待外れだったし。

 そこでは、金美齢がまず口火を切って、「何故、虐められている事を親や兄弟に言わないのか、相談しないのか」と発言していました。これは言葉を返せば、「大人しく黙っているから虐められるのだ」「虐められるのは、そいつが弱いからだ」という「自己責任論」でしょう。実際、金美齢のその時の口調も、かなり詰問調でしたしね。

 それに真っ向から反論したのが、タレントの和希沙也でした。彼女は自身の虐め経験から、「虐められる方は、もう虐められるという事で自分自身が凍りついてしまって、何も言えなくなる」「虐められるのは虐められる側が弱いから、という理屈には絶対に納得できない」と言っていました。

 その後の太田光の発言が秀逸でした。番組を見た当初は引いていた私ですが、「この発言で唯一救われた」という感じがしました。
 太田曰く、「和希沙也は、自分の悩みなども飾らずに曝け出せる、自分に正直で誠実なキャラなんだけど、世間では得てしてそういう人は浮いてしまう」「そういう人にとっては、徒に頑張れ頑張れと発破を掛けるのではなく、自分を丸ごと肯定してくれる、そういう自分の居場所が必要なのだ」と。そう、SMAPが歌っていた「世界に一つだけの花」に出てくる下記の歌詞の様な、そんな居場所が。

 ♪そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
  一人一人違う種を持つ
  その花を咲かせることだけに
  一生懸命になればいい

 ♪小さい花や 大きな花 一つとして
  同じものはないから
  No.1にならなくても いい
  もともと特別な Only One
  http://www.momo-mid.com/mu_title/sekaini_hitotsudakeno_hana.htm

 虐められる側だけでなく虐める側も、そういう「ありのままの自分で良い」という、人それぞれが誰でも持っている個性を最初に認められた上で、「その素晴らしい個性を、更に素晴らしいものにするためには、どうしようか?」という事で初めて、「自己評価の必要性」や「長所の伸長・短所の克服」という事がその次に来るのでしょう。そこで初めて、「頑張る」とか「勇気を持とう」とか言う気持ちにもなれるのでしょう。今の競争教育の問題点は、そういう人間教育として必要不可欠な「自己肯定感」や「多様な個性の尊重」という事を完全にすっ飛ばして、市場原理主義・新自由主義に基づく大人社会の「××に負けるな、差をつけろ」という価値観からいきなり入っていっている所から、全て来ているのではないでしょうか。だから子供同士の間でストレスが生まれ、虐めも無くならないのです。

 これは「競争が全て悪だ」と言っているのではありません。「勝ち組・負け組」教育ではなく、一人一人の個性を認め合った上で、お互いに良い所を評価し合い至らない所は直し合って、みんなの力が必要な事については協力もし合いながら、一人の落ちこぼれも出さずに全員が高まっていく―そういう競争なら大いに結構なのです。ともすれば人のあら捜しに陥る減点法(相対評価)でなく、人の長所を評価する加点法(絶対評価)に基づく教育。

 フィンランドが総合的な学力評価で世界トップの座にあるのも、長年のそういう教育の賜物でしょう。フィンランドは何も特別な教育をしてきた訳ではありません。日本の教育基本法が目指した戦後民主教育の理想を、歪曲せずにそのまま素直に実践してきただけなのです。その後の日本政府の教育政策が、教育基本法の理想とは似ても似つかない「受験・競争・格差」教育、戦争や弱肉強食の社会の仕組みをただただ宿命として受け入れ、ひたすら国や企業の言いなりになる人間作りに邁進してきたのとは、凡そ対極にある教育の姿がそこにはあります。

 そういう「一人一人の違いや多様性、それぞれの良さをお互い認め合った上で、そこからみんなで一歩前へ進んでいこう」という視点が、文部科学省の虐め自殺防止緊急アピールや金美齢の発言には全然見られません。太田光は、その事を既に見抜いていたのではないでしょうか。和希沙也が番組で垣間見せた誠実さも、見ていて好感が持てました。

・「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中」公式サイト
 http://www.ntv.co.jp/souri/
・「和希沙也」公式サイト
 http://www.horipro.co.jp/talent/PF077/

 その太田光や和希沙也と対極の立場にあるのが、石原慎太郎の11月10日の定例記者会見での暴言。文部科学省に送られてきた自殺予告手紙に対して、「届けられた方は迷惑千万でね、放てきするわけにはいかないだろうから、防ぎようもない」と言い、しかもそれだけでなく、「とにかく親が関与すべきではないか。私なんか、子どもにけんかの仕方を教えた。非常に効果があって、たちまち相手を倒したら小学校で番長になっちゃった」「自分で戦ったらいい。ファイティングスピリットがなければ、一生どこへ行ってもいじめられるのではないか」とまで言い放ちました。「弱肉強食大いに結構、やられたらやり返せ、それが出来ない奴など一生虐められて当然」と言っているようなものです。
 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061111k0000m040066000c.html 

 当の本人はそれで一端の傾奇者気取りでいるのでしょうが、「言われた方はどう思うか?」という事を慮るだけの感受性など、この御仁に期待するだけ無駄でしょう。和希沙也が聞いたら、どう思っただろうか。

 安倍や伊吹にしても、今でこそしおらしく虐め自殺防止の緊急アピールなんて出していますが、自分の所にお鉢が回って来ていなければ、絶対にそんなモノは出さなかったでしょう。石原慎太郎は、安倍や伊吹が言いたくても言えない事を、本音の形で言っただけにしか過ぎないのです。
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