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北朝鮮問題にどう向き合うか―私なりの結論

2007年02月19日 00時53分18秒 | 北朝鮮・中国人権問題
 以前の記事「北朝鮮とどう向き合うか―1.21シンポ参加報告」でも触れた事ですが、「北朝鮮とどう向き合うか」については、左右のスタンスが大きく異なります。
 国内外での拉致や政治犯収容所、極度の個人崇拝、特権階級の存在と人民の飢餓。この元凶である金正日体制は清算されなければならない、そこまで行かなくても、少なくともこんな政治はゴメン蒙る。この北朝鮮問題の<現状認識>については、右翼と左翼の間でもそんなに意見の違いは在りません。しかし、その前後の、北朝鮮問題の拠って生まれた<原因>と、それを解決するための<方針、展望>は、右翼と左翼とでは全然異なります。

 右翼は、「金正日体制は共産主義の申し子である」と説き、「日米ネオコンの力で、イラク戦争と同じやり方で、北朝鮮とそれを支援する中国の共産主義を打倒しなければならない」と主張します。
 それに対して左翼は、「金正日体制は東西冷戦の申し子である」と説き、イラク戦争の様な侵略戦争には反対します。日米ネオコンを当てにするなどという「別の独裁で以って独裁を制す」やり方などではなく、あくまで日本国憲法や世界人権宣言の論理で北朝鮮の独裁に対抗します。その上で、ある人たちは太陽政策による緊張緩和・開放促進を主張し、また別の人たちは東欧型の革命による解放を主張します。有体に言えば、ざっとこういう風に分かれるのではないでしょうか。
 これを縦横の座標軸で説明してみます。横軸は左端が左翼、右端が右翼。対する縦軸の指標は左右両方に二種類あり、右側が国権(国益)、左側が人権です。こうして横の左右軸、左縦の人権軸、右縦の国権軸という三本の軸を設定します。次にグラフを二本引きます。国権軸下端から人権軸上端に向かう左肩上がりの人権度グラフを一本と、人権軸下端から国権軸上端に向かう右肩上がりの国権度グラフをもう一本。この二本のベクトルが交差する座標点にあるのが北朝鮮問題なのです。(あまり上手く説明できませんが・汗)

 この「北朝鮮とどう向き合うか」という問題は、「戦争もリストラも人権抑圧もゴメンだ」という当ブログにおける最大のテーマでもあります。私は、今までこの問題について、ずっと考えてきました。そして、この間の北朝鮮難民支援活動へのささやかな参加を通して、この問題について、ようやく、自分の進むべき道がおぼろげながら見えてきた様に思えます。

 「北朝鮮問題にどう向き合うか」について、以下が自分なりに決めた結論です。

・あくまでも、日本国憲法や世界人権宣言が指し示す、平和・人権・民主主義を基調に考える。
・その観点から、北朝鮮の人権抑圧を非難し、脱北者救援・定着活動を支援する。その事を通して、北朝鮮民主化促進と同時に、日本国内における排外主義克服・多民族共生の在るべき姿を追求する。
・「別の独裁(ネオコンによる帝国主義戦争)で以って独裁(金正日体制)を制す」イラク戦争のような形での「解決」、東アジア・日本民衆の「平和に生きる権利」「人間らしい暮らしや幸福を求める権利」「自分たちの将来を自分たちで決める権利」を犠牲にして憚らないような形での「解決」、改憲・右傾化・増税・生活破壊・売国政治の方向には明確に反対する。

 拉致問題が表面化してこの方、よく「北朝鮮・拉致問題の解決には右も左も無い」という事が言われました。これは、確かに言っている事は間違いではありませんが、実際には奇麗事にしか過ぎないと思います。先の座標軸の説明で言うと、確かに二本のベクトルが交わる点はありますが、互いのベクトルが向かう先はそれぞれ右肩上がりと左肩上がりという様に、全然方向性が異なります。
 米国や安倍政権を巡る左右の評価の違いに、それが最も鋭い形で現われています。教基法・憲法改悪・靖国参拝・教科書・従軍慰安婦・命令放送の問題然り。WE・消費税増税・食と農の安全・格差社会・グローバル化・国内産業空洞化の問題然り。沖縄・岩国・在日米軍再編・海外派兵・アフガン・イラク・パレスチナ・新植民地主義の問題然り。
 それらの問題のどれをとっても、右翼側の言い分は「北朝鮮・拉致問題がある限り、我々日本国民は米国ブッシュ政権や日本の安倍政権を支持しなければならない」というものでしょう。それに対して左翼側(というよりは我々)の言い分はというと「いくら北朝鮮・拉致問題があるからと言われても、こんな自分たちを貶め苦しめるような政治など支持できるか!」というものです。誰が、こんな「自分で自分の首を絞めるような真似」など容認できますか。
 これは断じて、単なる「イデオロギー」の問題などではありません。拉致被害者と同様に、こちらも生活がかかっているのです。いくら「日本を信じろ」と言われても、そう簡単に「はいそうですか」という訳にはいきません。

 そういう実際にある矛盾を「右も左も無い」の奇麗事でウヤムヤにするから、得てしてミイラ取りがミイラになってしまったり、逆にそれを怖れる余り、問題自体から目をそむけてしまったり、という事が起こるのです。「右も左も無い」のではなく、「右と左の違い」を正直に認めた上で、その相反するベクトルが交わった瞬間においては期せずして「別個に進んで撃つ」事もある。それぐらいで丁度良いのではないかという気がします。

 運動の歩調を左右で無理に合わせる必要もありません。「救う会」が北朝鮮経済制裁発動を求めているからといって、左翼が同じ様にそれに歩調を合わせたり無理に態度表明をする理由はありません。内部で今すぐ結論が出ない間は無理に結論を出そうとしたりなどせずに、目先の脱北者救援に精力を注いでおれば良いのです。一致点を見出だす努力は必要だと思いますが。
 これはまた右翼側にも言える事だと思います。「家族会」の座り込みを巡って「救う会」支持者の間で意見が割れた事がありましたが、これは左翼側の戦術を無理に真似ようとした所があったのかも、という気がします。
 そうではなくて、左翼・右翼でそれぞれが自分たちの得意分野や持ち味を生かして、それぞれが北朝鮮問題に取り組む。左翼ならば日朝交流や在日の人権擁護、右翼ならば日米政権との太いパイプを生かすとか。両者はそもそも拠って立つ世界観・価値観が違うので、ベクトルが交差する事は殆どありませんが、偶にはベクトルが交差する瞬間も在る。これ位に割り切った方が、結果的に北朝鮮問題解決の進展にも資する事に繋がるのでは。
コメント
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