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紀伊半島水害と大阪都構想

2011年10月27日 22時40分32秒 | 都構想・IRカジノ反対!
紀伊半島・台風12号の大水害の様子(旧熊野川町)9月4日


 今年9月に台風12号で和歌山県や奈良県が大水害に見舞われました。和歌山県の田辺市・那智勝浦町・新宮市、奈良県の十津川村・野迫川村で鉄砲水や土石流の被害が広がり、土砂崩れによる堰止湖が5箇所も出来ました。テレビ・ニュースで堰止湖の映像が延々と映し出されました。しかし、何故これほどまでに被害が広がったのか。多くのマスコミは、その原因を「通報・避難指示の遅れ」に求めました。しかし、では、何故通報や避難指示が遅れたのか。その陰には、過疎による人口流出・住民の高齢化や、市町村の広域合併(平成大合併)による行政機能の低下が潜んでいる筈です。しかし、不思議なほどに、それを指摘するマスコミはありませんでした。

 私も、それをおかしいと不審に思いながらも、当時反原発デモの話題を追うのに手一杯で、この問題をブログで取り上げる所まで行きませんでした。それが、橋下知事の権力闘争、もとい大阪の府知事・市長ダブル選挙で、「大阪都」構想が脚光を浴びるにつれて、この問題もその観点から取り上げなければならないと、改めて思うようになりました。何故なら、「大阪都」構想も「平成大合併」も、不景気や過疎といった地域経済の疲弊を、疲弊をもたらした真の原因(国の経済政策)の是正には手をつけずに、単に地元自治体の「器の置き換え・統廃合」の問題に摩り替えているだけという点で、正に同じものだからです。

 確かに、水害は何も今に始まった事ではありません。和歌山県や奈良県の山間部は、昔から台風や豪雨の常襲地帯でした。台風銀座の太平洋岸南斜面に位置し、海岸近くまで山が迫っています。主な集落や町村も、大抵川べりか海岸沿いに分布しています。地図や航空写真からも、鉄砲水に襲われやすい地形である事が一目で分かります。
 実際、過去に何度も大きな水害を経験しています。明治以降になってからも、例えば1889年の十津川大水害では、住民の1割以上に当たる数百人の死者・行方不明者を出し、堰止湖も数十箇所で出現しました。十津川村民の一部は、故郷に見切りをつけて北海道に移住しました。現在の北海道新十津川町は、この移住開拓によって作られた町です。
 その後も、この地域はたびたび水害に見舞われます。戦後間もない1953年の紀州大水害でも、千数百人もの死者・行方不明者を出しています。その為、戦後は吉野熊野特定地域総合開発の対象地域に指定され、数多くのダムが吉野川・十津川・熊野川水系に作られました。

 しかし、水害は根絶されませんでした。今度の台風12号でも、戦後稀に見るほどの被害を蒙る事になりました。
 そこで改めて調べて分かったのが、水害被災と広域合併や過疎との関連です。被災地の多くが、平成大合併による広域合併を経験した地域です。5箇所出来た堰止湖のうちの2箇所、和歌山県田辺市熊野(いや)と奈良県五條市大塔町赤谷がそれに該当し、奈良県十津川・野迫川(のせがわ)両村にまたがる残りの3箇所も、平成以前の過去に広域合併が推進された地域です。
 例えば、山間部の熊野(いや)に堰止湖が出来た和歌山県田辺市にしても、2005年に、旧・田辺市に周辺の龍神村・中辺路(なかへじ)町・大塔村や、本来は峠向こうの熊野川水系に属し文化圏も異なる筈の本宮町まで加わって、県下一の面積を誇る新・田辺市が形成されましたが、その結果、従来の海岸部の旧・田辺市が主に担っていた津波・高潮防災計画に加えて、それまでは山間部の町村が主に担っていた山津波・鉄砲水の対策も、新・田辺市の仕事になりました。しかし、面積は数倍に拡大したにも関わらず、市役所の職員は逆に役場の統廃合で数分の一に縮小されたのです。これで一体どうやって通報や避難指示の迅速化を図れと言うのか。



 その疑問は、下記の田辺広域合併協議会の資料に目を通す事で、更に強まります。これは、過去の国勢調査による旧市町村ごとの人口推移を記したものですが、中心市街地の旧田辺市では人口が微増ないし横ばいに止まっているのに比べ、周辺山間部町村の人口はこの半世紀で半減してしまっているのです。その山間部旧町村の中でも、本宮町の人口減がひときわ目に付きます。元々この町は、町名からも分かるように、熊野本宮大社の門前町として栄え、近所には湯の峰・川湯などの温泉もあり、50年代には人口1万人を数えた所です。それが今や旧龍神村をも下回る3千人台にまで減少してしまっています。峠向こうの田辺市との合併にわざわざ加わったのも、「この機を逃せばもう後はない、背に腹は代えれない」との、ギリギリの選択だったのでしょう。



 特に、1960年から70年の間に、人口流出が一気に進んだ事が、この表から伺えます。いずれの町村も、この10年間で2千人から3千人の減少を記録しています。この時期は、ちょうど高度経済成長の最盛期に当たります。太平洋ベルト地帯には巨大コンビナートが次々と作られ、都市部への人口集中と四日市ぜんそくなどの公害問題が広がりました。それとは対照的に、農村部では農業切捨ての減反政策・農産物輸入自由化、山間部では林業切捨ての外材輸入自由化が強行され、地域からの人口流出が進みました。
 それは、この田辺地域でも例外ではありませんでした。本来ならば吉野杉の産地で、多くの温泉や熊野大社・熊野古道などの観光資源も豊富な、それなりに発展の可能性を秘めた地域であるにも関わらず、顧みられる事無く打ち捨てられてきました。その結果、過疎や住民の高齢化が進み、山も荒れ放題となり、せっかくの観光地も、国による経済失政のお蔭で、不況が長引く下では客足も遠のく一方。その挙句に、税収減による財政赤字のお荷物として、市町村の広域合併が推進されたのです。
 合併協議会の資料には、住民サービスの向上や地域分権が合併目的に上げられていますが、それは只の付け足しです。その本当の狙いは、役場統廃合・職員数削減による自治体リストラに他なりません。

 その結果どうなったか。自治体職員は、人手不足の中で高潮対策と山津波対策のニ正面作戦を強いられる事になりました。地域住民も、高齢化で年老いた身体に鞭打って、少ない人数で地元の消防団活動を担わなければならなくなりました。和歌山県庁の役人が田辺市役所に電話しても誰も出ない。痺れを切らして役人が夜9時に市役所を訪れてみると、市職員は住民からの電話対応に掛かりっきりで、県庁からの電話に出れる人間など誰もいなかったそうです。そして過疎と産業衰退で山も荒れ放題。せっかく作られた巨大ダムも、実際の主目的は発電にあり、必ずしも治水用に作られたものではなかったので、水害防止には大して役立たなかった。その挙句に起こった今回の水害は、どう見ても「人災」です。

 もし「大阪都」構想が強行されれば、大阪も早晩必ず、田辺のように広域合併の弊害が出てきます。不景気をもたらした国の経済政策や格差拡大はそのままにして、地方自治体の「器の数や形」だけをいじくる。高級官僚も福祉職員も一緒くたにして、後者だけを減らして、前者は外郭団体や民間への天下りで逃がし、後には行政サービスの低下だけが残される。何故なら、橋下の主張は、「地下鉄や保育所の民営化」に典型的に見られるように、ただ単に「官の仕事を民間大企業にもよこせ」と言っているに過ぎないからです。官僚利権を民営化利権に置き換えようとしているだけで、利権癒着の構造自体をなくすものではないからです。彼も所詮は、自民党や民主党と同じ穴のムジナにしか過ぎない。
 その挙句に、「不景気は地元の自己責任、金が欲しけりゃ自分で金儲けしろ」とばかりに、拝金・競争至上主義を地方自治の分野にまで持ち込み、住民を企業の金儲けの餌食にする。「カジノ・風俗」礼賛「ギャンブル資本主義」の橋下の事ですから、恐らく「温泉地をラスベガスや雄琴のようにすれば良い」ぐらいにしか思っていないのでしょう。彼にとっては、いくら自然が荒れようが、住民生活が困窮しようが構わない。見かけの財政赤字さえ解消されれば、それで良いのですから。後は野となれ山となれ。ハリケーン水害で荒廃した米国ニューオーリンズの下町のように。
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