福島第一原発事故、スリーマイル超えレベル6相当に(asahi.com)
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103240465.html
今になってレベル5からレベル6になったことについて騒ぐ人たちがいるが、少なくても私の知っている限りネット上では「スリーマイル以上、チェルノブイリ未満」が主流で、初めからレベル6ではないかと言われていた。
状況証拠を積み重ねるだけでも十分レベル6を想定することはできたし、そもそもレベル5でもレベル6でも現場の実態が変わるわけではないので、現時点でそういう分類があまり重要とも思えず、当局の発表に逐一反応する理由がない。
騒ぐのはニュースが欲しい報道機関だけ。
国内と海外での評価結果の違いも指摘されているが、状況は何も変わらないのだったら意味が無い。
レベルが変わると退避エリアが変わるとか支援内容が変わるとか、輸出規制が行われたりするのであれば、意味があるだろう。
知っている人がいれば教えてください。
それと、内田先生がいつものトーンで次のようにつぶやいていらっしゃるのですが、「想定内の条件での操業なら安全だ」などと主張している人がいるとは思えません。
少なくても科学技術者なら「想定内」という言葉が如何に力が無い言葉かをみな理解しています。
なんらかのシステムを設計した経験のある人なら誰でもわかっているが、この世界に起きるすべてについて想定し尽くすことなど不可能という認識が基本中の基本。
その上で、想定外のことをどう想定していくかに頭を使っているわけだから、かなりピントがずれている意見と思われます。
そういう意味で「想定内の条件での操業なら安全だ」と言う人がいるなら、ほんの極一部のカルト集団だけでしょう。
この期に及んで、まだ福島の事故は想定外の災害だから、想定内の条件での操業なら安全だという主張をなしている人がいます。それは同語反復でしょう。
昨日のエントリでも書きましたが科学技術者達はみな次のように考えているのです。
世界に冠たるブランド「FUKUSHIMA」誕生
私たちは科学の力で、この人類の発展と平和を築こうとしてきました。しかし、残念ながら原子力に関しては、原爆という兵器の開発が先行しました。そのために、原子力の平和利用という原発は常に負のイメージをもって推進されてきました。科学に善し悪しはありません。しかし、科学には善悪は判断できないとしても、事故は付き物です。科学の限界も当然あります。ヒューマンエラー、人のエラーも積み重なります。科学は単に原子力工学だけではありません。医学もそうです。あるいは経済学にしてもそうです。政治学もそうです。科学はありとあらゆる学問体系を含みます。その根幹は皆様方が持っている生き様、哲学です。そして、宗教学です。こういうものを全部含めたものが科学です。その科学が作り出した原子力発電所の過ちや事故を、じゃあ誰が清算し、誰が元に戻すことができるのでしょうか。それはやはり、科学の過ちは科学でしかコントロールすることはできません。これは人間の性です。人間の守備範囲である、自分たちが作り出した物に対しては自分たちで責任をとるという必要があります。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103240465.html
今になってレベル5からレベル6になったことについて騒ぐ人たちがいるが、少なくても私の知っている限りネット上では「スリーマイル以上、チェルノブイリ未満」が主流で、初めからレベル6ではないかと言われていた。
状況証拠を積み重ねるだけでも十分レベル6を想定することはできたし、そもそもレベル5でもレベル6でも現場の実態が変わるわけではないので、現時点でそういう分類があまり重要とも思えず、当局の発表に逐一反応する理由がない。
騒ぐのはニュースが欲しい報道機関だけ。
国内と海外での評価結果の違いも指摘されているが、状況は何も変わらないのだったら意味が無い。
レベルが変わると退避エリアが変わるとか支援内容が変わるとか、輸出規制が行われたりするのであれば、意味があるだろう。
知っている人がいれば教えてください。
それと、内田先生がいつものトーンで次のようにつぶやいていらっしゃるのですが、「想定内の条件での操業なら安全だ」などと主張している人がいるとは思えません。
少なくても科学技術者なら「想定内」という言葉が如何に力が無い言葉かをみな理解しています。
なんらかのシステムを設計した経験のある人なら誰でもわかっているが、この世界に起きるすべてについて想定し尽くすことなど不可能という認識が基本中の基本。
その上で、想定外のことをどう想定していくかに頭を使っているわけだから、かなりピントがずれている意見と思われます。
そういう意味で「想定内の条件での操業なら安全だ」と言う人がいるなら、ほんの極一部のカルト集団だけでしょう。
この期に及んで、まだ福島の事故は想定外の災害だから、想定内の条件での操業なら安全だという主張をなしている人がいます。それは同語反復でしょう。
昨日のエントリでも書きましたが科学技術者達はみな次のように考えているのです。
世界に冠たるブランド「FUKUSHIMA」誕生
私たちは科学の力で、この人類の発展と平和を築こうとしてきました。しかし、残念ながら原子力に関しては、原爆という兵器の開発が先行しました。そのために、原子力の平和利用という原発は常に負のイメージをもって推進されてきました。科学に善し悪しはありません。しかし、科学には善悪は判断できないとしても、事故は付き物です。科学の限界も当然あります。ヒューマンエラー、人のエラーも積み重なります。科学は単に原子力工学だけではありません。医学もそうです。あるいは経済学にしてもそうです。政治学もそうです。科学はありとあらゆる学問体系を含みます。その根幹は皆様方が持っている生き様、哲学です。そして、宗教学です。こういうものを全部含めたものが科学です。その科学が作り出した原子力発電所の過ちや事故を、じゃあ誰が清算し、誰が元に戻すことができるのでしょうか。それはやはり、科学の過ちは科学でしかコントロールすることはできません。これは人間の性です。人間の守備範囲である、自分たちが作り出した物に対しては自分たちで責任をとるという必要があります。