進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

今一度、AKB48総選挙について語ろう

2011-05-31 16:32:29 | AKB48
先週から長々と総選挙絡みのネタについて語ってきたが、ここで問題を整理する意味で、今一度、そもそも「総選挙とは何か?」という点について議論してみたい。
現状認識がズレていないかを再確認しておくことが、議論を混乱させないためにも重要だ。
(過去のエントリと似たような内容になるのはご了承頂きたい。)

これは主催者にインタビューしたわけではないので、あくまで私の妄想なのだが、おそらく総選挙の当初の目的は「どのメンバーがファンにどのくらい支持されているのかを明らかにするもの」であったと思う。
(インタビューしたところで人によって意見が変わるだろうし本音を語ってくれるとも限らない。インタビューアーの力量次第ではあるが・・)
選抜プロセスを総選挙という形で公開し、ファンに対する透明性を向上させる狙いがあった。
ファンにより近い位置にいるアイドルを印象づけるために。

その上で、どうせやるならば「年に1度のお祭り」的な位置づけにして、メンバーやファン、ビジネスサイドら全てのステークホルダーを巻き込んで盛り上げていくAKB48最大のイベントにしたのではないか。
メンバー間に競争意識を芽生えさせ質の底上げを図るだけでなく、広報戦略も兼ねている。
一挙両得的なコンセプトであったに違いない。

コンセプトとしては正しいと思う。
問題は、そのコンセプトを実現する戦略がよく練られているかということである。
次は、その点について考える。

コンセプトの実現には、実にシンプルな方法が用いられている。
総選挙における投票権をCDパッケージ1枚につき1つ付与したのだ。
日本の国政選挙なら条件によらず成人一人一票がルールだが、AKB48の総選挙はCDパッケージを購入すれば年齢制限もなく誰でも、そして購入数分だけ権利を手にすることができる。

主催者側がCDパッケージを利用した最も大きな理由は、管理コストの小ささだと私は考えている。
総選挙をやるにも、大規模になればなるほどコストがかかる。
このコストをどこから捻出するかだが、慈善事業ではないので、投票権を有料にするのが合理的であろう。
しかし、ダウンロードコンテンツに投票権を与えるには新しいシステムを構築しなければならない(ハッキングに対応するとなると運用コストが大きい)し、ライブやコンサートに参加した人に与えるやり方だと、全国のファン全員に投票権を与えることができない。

最も安上がりなのは、CDパッケージに投票券を付与する方法である。
これならば、既存の仕組みを応用する形で、簡単に実現可能になる。
CDパッケージの製造も、流通も、全てレガシーシステムを利用できる。
(しかも、CD製造もCD販売も、全て右肩下がりのレガシーだ。)


ちなみに、投票方法は下記。
初回限定版に、全国握手会券と総選挙の投票券が入っており、総選挙に投票する場合は、投票券に記載されているシリアルナンバーを、携帯かパソコンに打ち込んで投票する。
初回限定版のみなのは、総選挙期間が決まっているからで、ゆえに品不足による混乱をさける為には、初回出荷枚数を積み上げる必要がある。
(売り上げを見ながら積み上げる方法をとれない。)

このレガシー・システムを総選挙システムとして応用したのだ。
レガシー・システムと投票券との新結合によって、この総選挙イノベーション(モデル創新)が生まれたのである。

ここまではよかった。
コンセプトを実現するビジネスモデルはイノベーティブだ。
問題は、その先だ。
ビジネスモデルを持続可能な形で維持していけるかどうか、ここの戦略が今問われているのである。
一発屋で終わるのか、今後も継続していけるモデルなのか。
エクセレント・カンパニーで終わるのか、ビジョナリー・カンパニーになれるのか、ここが分水峰である。

今、最も問題視されているのは、CDパッケージの購入に制限がかけられない(制限をかければ買収やダフ屋的行為が活発化してしまうリスクがある)以上、投票権が無制限に与えられる点である。
いや、主催者側とすれば、CDパッケージが1枚1000円を超えることから、この価格が制約を与える働きをすると考えたはずだ。

仮に投票権を単体で100円で売るとなると、1万円で100、100万円で1万票買えてしまう。
(その前に投票権のみの販売が認められるかどうか専門家に聞いてみたいところ。主催者側は怖くてできないと思う。)
CDだったら買いすぎたら無駄だし、転売するのも面倒だ。
投票権を販売するよりもCDパッケージとして販売した方がずっと敷居が高く、ビックプレーヤを防止できる。
(逆に価格が高すぎても敷居が高くなり過ぎてNGだ。メインターゲットの20~40代男性以外にも、小中高生にも投票して欲しいならなおさらだ。)

しかし、実際には1度の総選挙に数百万円を投じるファンが何人か確認されてしまった。
今回(第3回総選挙)では、5500枚分(880万円分)の投票権を持つビックプレーヤが現れるに至ってしまった。
第2回の1位が3万票強だったことを考えれば、この数字のインパクトの大きさを理解できるであろう。

とりあえずリリース。
つづきを作成中。
本エントリを更新します。

AKB48批判が全く的外れな件について イノベーションを理解できない日本人

2011-05-30 13:03:39 | AKB48
本エントリは、最近、当Blogで展開しているAKB48シリーズの1つであり、他エントリと関連があります。
合わせてお読みいただければ幸いです。

AKB48シリーズ

AKB48『Everydayカチューシャ』の出荷予定枚数が驚愕の200万枚

AKB48『Everyday カチューシャ』のPVを視聴してみた

AKB48総選挙におけるビック・プレーヤの存在について考えてみる

「育てるアイドル」とアイドルの株式会社化

AKB48「マジすか学園2」を見てみた。

AKB48「マジすか学園」を見て思った。「もしドラ」の次は「もしビジョ」でどうでしょう


AKB48のCD売り上げ枚数については、初動枚数と総売り上げ枚数との間に差がないことでも有名ですが(= 最大瞬間風速が初週に来て即おさまる)、その初動売り上げ枚数がミスチルを抜いて1位になったそうです。
このCD売り上げ不況の中、脅威の数字ですね。

AKB48がミスチルを抜き歴代シングル初動ランキング1位に(痛いニュース)
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1628789.html

歴代シングル初動ランキング  TOP10

初動   累計
 1,254,354 ********* Everyday,カチューシャ / AKB48
01 1,208,230 2,308,790 名もなき詩 / Mr.Children
02 1,067,510 1,784,050 Addicted To You / 宇多田ヒカル
03 1,025,740 2,918,220 だんご3兄弟 / 速水けんたろう、茂森あゆみ、ひまわりキッズ、だんご合唱団
04  955,780 1,642,530 Winter,again / GLAY
05  951,140 1,862,050 LOVE PHANTOM / B'z
06  942,479 1,073,852 桜の木になろう / AKB48
07  924,780 2,895,060 君がいるだけで / 愛してる / 米米CLUB
08  841,280 1,625,520 誘惑 / GLAY
09  828,480 2,296,200 CAN YOU CELEBRATE? / 安室奈美恵
10  826,989 1,030,136 Beginner / AKB48


そんな中、AKB48がオリコンのランキングを無意味にしてしまったと批判がなされています。

「CDは終わった。」
「オリコン・ランキングは無意味になった。」
「邦楽は終わった。」

どうしてもっとマシな批判ができないのか。
批判に反論したいのではなく、批判の仕方が間違っており、全く批判になっていないので、当Blogでいちいち取り上げてみます。
着眼点が間違っているのです。

まず、「CDは終わった。」について。
「CDによる音楽販売」は、もうとっくの昔にピークアウトしており、AKB48によって終わったということはありません。

次に「オリコン・ランキングは無意味になった。」について。

オリコン・ランキングの意味なんてものはCDが売れなくなった時に既に終わっているのです。
そもそも、なぜオリコン・ランキングなるものが重宝されてきたのか。

それは、CDを一人一枚購入する時代には、各楽曲が大衆的にどれだけ聴かれているか、支持されているかを表すのに、オリコン・ランキングが最も適した指標であったというに過ぎないわけです。
例えば、その時代にも、オリコン・ランキングの他に有線ランキングも共存していました。
有線はリスナーからのリクエストを集計しているので、皆(有線ユーザー)が今聴きたいと思っている曲を把握することができたからです。
ただ、有線がカバーしている領域が、オリコン・ランキングよりも小さかったため、オリコン・ランキングが一般的に使われただけのことです。
他にも「心に残る名曲ランキング」などという形で、TVやラジオの各番組が独自のランキングを作っていたではないですか。
今では「ダウンロード・ランキング」もよく使われるようになってきています。
その方が、その楽曲がどれだけ聴かれ、どれだけ支持されているかを炙り出すのに適しているからです。

つまり、元の意味からすれば、CDが売れなくなった時に、ダウンロード方式の楽曲販売が普及して一人一枚の時代でなくなった時に、これまでのオリコン・ランキングの役割は終わったのです。
むしろ、AKB48は、既に終わっていたオリコン・ランキングに、これまでとは違う命(意味)を吹き込んだのです。

まず、これまでのオリコン・ランキングの意味に終わりを告げたのです。
引導を渡す役割をしたのです。(現実を突きつけてやったんです。)

その上で、まさに「これをイノベーションと呼ばずになんと呼ぶ?」ということなのだが、終わったはずのCD販売というレガシーを、投票権や握手権と新結合させることによって、新しいビジネスモデルを構築した。
先週『AKB48『Everydayカチューシャ』の出荷予定枚数が驚愕の200万枚』でも説明したが、もはや「CD = 楽曲」の時代ではなくなったのだ。
いや、AKB48がその定義を変えたのである。
CD販売はAKBエコシステムの1つのパーツでしかないのである。

この意味を理解できない人たちは、今グローバル・ビジネスの中で日本企業が斜陽にかかっている原因を理解できない人たちである。
能力や技術の問題なのではない、ビジネスモデルの問題なのだ。

パラダイム・シフトが起きている時に、昔のパラダイムに捕われたまま物事を語ることほど空しいものはない。
そのコンセプトが、より上位のコンセプトによって支配されていることに気づけないと、そこでの努力は、そのほとんどが効果を上げずに無きものにされてしまう。

オリコンさんもよかったのではないですか。
全く見向きもされなくなったランキングに再度脚光を浴びたのですから。

にも関わらず、昔の認識を引きずったまま(古い頭のままで)AKBを批判するなどということこそ、時代遅れ。
ノスタルジーを抱きしめて黄昏の日本と心中したい人たちなのでしょう。

そして、最後「邦楽は終わった。」という人たちへ。

こういう人たちは、きっと音楽を聴かない人たちなのだから、性質が悪い。
もっと考えてから批判した方が身のためです。
批判していて、虚しいと思いませんか。
私はこう思います。

「邦楽は終わってはいないし、これからも終わらないだろう。」

人類が言葉を持つ前から音楽はずっとあるし、これからも我々とともにある。
私はそう確信している。

【追記】
コメント欄に書いたことですが、売り出し中の頃にはオリコンランキングの上位に入ることに意味がありましたが、今となってはAKBにとって何の意味もないでしょう。
1位とったところで何の広告にもなりませんから。
「ランキングに入るためにえげつない商法を使っている」といってAKB批判するのは間違った認識だと思います。
思考実験すればすぐわかりますよ。
AKBの販売実績をオリコンランキングから外してもらってもAKBは別に困らないと思います。
困るのはオリコンさんの方でしょう。
何度も言うように、CDの販売実績に依存しているランキングシステムで、楽曲の良さや支持をはかることなどもはやできない時代になったということです。

AKB48「マジすか学園」を見て思った。「もしドラ」の次は「もしビジョ」でどうでしょう

2011-05-30 11:20:30 | AKB48
クリエイティビティの欠片もない私のような者が語ることでもないのですが、クリエイターのジレンマの1つは「自分が思う最高のものを表現できるわけではない。」ということがあろうかと思います。

制限があるからです。

過去に発表されているアイディアを真似すると「盗作」と言われてしまいます。
いや、言われるだけならよいですが、ビジネスの世界では訴訟を起こされて金を毟り取られてしまいます。
今、世界で猛威をふるっているのが「特許トロール(patent troll)」です。
(トロールというのは怪物です。)
本当に嫌な連中で、Wikipediaによると定義は↓下記です。

自らが保有する特許権を侵害している疑いのある者(主にハイテク大企業)を見つけ出し、それらの者に特許権を行使して巨額の賠償金やライセンス料を得ようとするが、自らは当該特許に基づく製品を製造販売したり、サービスを提供したりしていない者を指す英語の蔑称である。

最近では、「NPE(Non-Practicing Entity)」と呼ばれる特許管理企業が投資家から資金を集めて特許トロール化し、さらなる活動範囲を広げていっています。
この流れはとどまることはないでしょう。
事業会社は、今後より一層、戦略的に特許ポートフォリオを組んでいく必要性があり、訴訟コストと相まって間接コストはうなぎ登りになること間違いなしです。

このように知的財産権が主張される社会では、非常に過去の創作物に関する権利意識が強いのです。
(今後、中国のような権利意識の低い国家がグローバルに力を持っていく過程で衝突が起きるでしょうけれど、ここでの戦いの結果がどうなるのかは見ものです。)

エンターテイメントの世界では、ここまで厳しくはないかもしれませんが、盗作疑惑が立つと最も重要な「評判」が落ちますので、それでも十分に気をつけねばならない事には間違いありません。

閑話休題。

この話と「マジすか学園」がどう絡んでいるか、というのが本題です。
(ちょっと強引ですが)

「マジすか学園」は、初めから「これは他のドラマとは違って学芸会の延長線上にあるドラマです。」割り切っているから、思う存分よいと思うものを作ることができるということです。
(もちろん予算制約や技術制約はありますよ。)
要は「真剣に作ったドラマです!」というと、「おい!そこ○○の構図のパクリじゃないか?!」とか「その台詞、△△と同じでは?!」なんてことを指摘されてしまいます。

それでは、せっかくのAKBの各メンバーの個性を生かせません。
普通にドラマを作ろうとすると、普通の条件をクリアするために多大な労力がかかってしまうと同時に、出演者の表現にかなりの制約をかけてしまう可能性があるからです。
そんなこと言われるくらいなら、初めから「このドラマは一般的なドラマの条件を満たしていません。」と言ってしまえば、思う存分よいと思うものを作ることに専念ができて楽です。

平たく言ってしまえば、このドラマは、「ドラマの質を高めるためにAKBメンバーを使っている」のではなく「AKBメンバーの個性を輝かせるためにドラマの質を高めている」のです。

※AKBだけでなくSKEとSDNからも出演していますが、ここでは総じてAKBと呼ぶことにします。

実に素晴らしい戦略じゃありませんか。
「ビジョナリーカンパニー」に通ずるものがあります。
私個人としては、「もしドラ」ブームの次に、「ビジョナリーカンパニー」ブームが来てくれたら嬉しい。
ドラッカーのマネジメントよりも、「ビジョナリーカンパニー」の方がスケールの大きい夢が描けますし、何よりも日本人が大好きな物語なのです。
サクセス・ストーリーが描きやすいのでドラマや映画にしやすいと思いますよ。

マジです。

「もしドラ」の次は「もしビジョ」でどうでしょうか。
「もし美女」とかかっていてよい気がします。

・・ジョークです。

結論。
「マジすか学園」は、ドラマを楽しむためのドラマではなく、AKBを楽しんでもらうためのドラマなのです。
AKBを知りたい方におすすめです。


ちなみに私は週末は仕事だったのですけど、寝る時間を捨ててマジすか学園1と2を全部見ましたよ。
ブログで書いた以上、全部見ないとと思って。

AKB48「マジすか学園2」を見てみた。

2011-05-29 02:13:19 | AKB48
このエントリは相変わらず個人の妄想による適当エントリです。夜中ですし。

遅ればせながら「マジすか学園2」を見てみました。
(すみません。AKBファンと見せかけて実は全然です。)

見た感想ですが、これは面白い。

AKBのことが、すごくよくわかります。

いや、単なるドラマとして見ちゃだめですよ。
設定はめちゃくちゃですし、演技は↓こうあるように、見るべきところが違います。

【お断り】
このドラマは、学芸会の延長であり、
登場人物の一部にお見苦しい(?)
演技がございますが、温かく見守って
ご覧いただければ幸いです。

(パート2となり、さらに下手な演技がパワーアップしている場合もあります)

これはAKBのためのドラマです。
あらゆる意味で。

企画・原作は「秋元康」ですか。
彼が承認だけしているのか、ネタだけ提供して詳細を詰めている人が他にいるのか、ほんとに原作しているのか知りませんが、よくわかっている人がつくってるなと。
「よくわかっている」のか「よくわからせたい」のかは難しいところですが。
みんなが考えている構図を炙り出しているように見えて、実は構図を植えつけているのかもしれませんしね。

言うなれば「合気道」ですね。

しかし、話はめちゃくちゃでも各要素はしっかりしています。
ちゃんと準備して作られているドラマであることには間違いないですね。
秋元さんの強さは、この周りをかためてるサポートの強さか。
思い切って割り切るから大胆なつくりができるわけですよ。
個人的に好きですよこういうつくり。

そして、秋元さんだからなのか、どうしてもあの時代の雰囲気がありますよね。


それにしても、主要メンバーの演技もすばらしい。
配役の時点で、よく考えられているのかな。
いや正確に言えば、配役のもっと前の、役を作りこむ時点でよく考えられている。
各メンバーにハマるように作られてる。
特にチョウコクやセンターは抜けてるし、ネズミがハマリ役ですね。
ゲキカラはセンセーショナルな役で女優デビューって形が合いそうなキャラですね。
そして新部長の持ってる雰囲気が・・AKBっぽくない気がしてならない。
アイドルじゃなくて女優だな。秋元さん時代の。

というかセンターが江角マキコ的なものに見えて仕方ない。

・・・ごめんなさい。

「育てるアイドル」とアイドルの株式会社化

2011-05-28 15:49:51 | AKB48

突如オリコン1位「ぱすぽ☆」の戦略に議論勃発(R25)
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/jikenbo_detail/?id=20110520-00020170-r25

運営会社とファンが、がっつり手を組んで事業展開するというのは有りだと思います。
双方にとってメリットがあるからです。
この場合、広告戦略を推進するにあたってファンの力を借りたわけですね。

それと、最近、ようやく気づいたのですが、イトーヨーカドーのCMで出演しているアイドルグループはAKB48ではなくてavexの「スパガ」ことSuper Girlsというグループらしいじゃないですか。
このグループは「育てるアイドル」を標榜しているグループだそうです。

うむ。
近頃、この「育てるアイドル」というやつが多いような気がします。

でも「育てるアイドル」って何でしょうか?
私の単純なイメージは、ゲームの実写版みたいな感じです。
簡単に言えば「プチ・プロデュース的感覚でアイドルを応援できる」ことかなと思います。
もちろん費用は発生しますが。

しかし、前回のエントリで述べたように、「アイドル」というのは大衆性と公的性を持つ存在なのです。
アダルトサイトのとあるサービスのように、ネットの向こうの女性が有料でこちらの希望に答えてくれるというのとは種類が違うものなのです。

「育てるアイドル」と言えでも、実際は運営側の基本戦略の上に乗っかった状態で、その戦略に影響を及ぼさない程度のオプション商品を提供できる程度のものです。
しかも、このようなオプションを提供できるのは売れる前までです。
メジャーになると、ファンが多すぎて意見を集約するコストが大きくなるので、この程度のこともできなくなります。

アバターでアイドルが成立するなら、メジャーになっても育てることは可能かもしれません。
でも、ファンがそれで納得できるのかは微妙でしょう。
2次元ファンならそれでいいかもしれませんが。

つまるところ、「育てるアイドル」という存在そのものが、アイドルの駆け出し時でのみ、もしくは売れていない時期でのみに限定されたものだということです。

私なんかは「育てるアイドルです。」なんて聞かされたら、「売れるまで育てることが可能です!今のうちですよ!」という売り文句だと脳内補完してしまいます。
「育てるアイドル」はアーリーアダプターを引き付けるマーケティングなのです。

これも前回のエントリ『AKB48総選挙のあるべき形とは何か』で言及したことなのですが、そう考えると余計にAKB48の総選挙を、駆け出しメンバーの登竜門として位置づけるのが最適とさえ思ってしまいます。
メジャーになったAKB48の上位メンバーを育てることはもはや無理ですね。

いや、確かに「一流の板前は一流の客が育てる」という言葉もあるように、ファンがあってこそアイドルも成長できるわけですので、全くアイドルの成長に寄与しないというわけではありません。
そうではなく、あなたの意思をどのくらいアイドルに反映することができるかということなのです。

ちょっと時間がなくなってきたので、本題に入ります。

本当に「育てるアイドル」を実現したいのであれば、アイドルの株式会社化というのもありなのではないかと思います。
既に初期時には、一部のコア・ファンは事業戦略に組み込んで、ファンの持っている資金を初期投資に回しているわけで、そういう意味では、運営側は初期コア・ファンには株式を発行して「ぱすぽ☆株式会社」みたいなものを設立する方がありなのでは?と思ったりもします。
その方が投資戦略の選択肢が広がるでしょう。
ファンの金を使うとなると商品を購入してもらう以外の選択肢がないじゃないですか。
一瞬の1位よりも、より有効な広告戦略があるかもしれないし、楽曲やPVの質を高める方が長期的にはプラスですよね。

議決権をある程度制限した方がよいのかとか、まぁ細かいところは何も考えていないのだけれども。
もはや熱狂的なファンからすると、ファンクラブの会員なんかでは満足できなくなっていて、もっと事業戦略に組込む形でないと喜びを得られなかったりしませんでしょうか。
もうずっと前から映画だってゲームだって会社ではなく、一つのタイトルに付き投資を募って、それを資金に事業を回していくモデルになっていることを考えれば、アイドルだって1人もしくは1グループにつき株式会社化することも十分に考えられるわけですよ。

自分の無知をさらすようですが、私は最初AKSはAKBの法人会社名かと思っていました。
そうでないとわかってからは、でもAKB48はいつか法人化するんだろうな思っていたのですが、全くそうではなさそうですね。
意外です。

本気で海外展開を考えるなら、その方がリスクをとって思い切った事業展開できるだろうし、その辺をなあなあで済ますあたりが韓流に押しまくられている現状につながっている気がするのですが。
SKEやNMBなんかも考えると、ご当地ファンにご当地スポンサーとして出資してもらえば、よりご当地アイドルとしての立ち位置も見えてくる気がするが、そうでないところがどうもなぁというのが本音のところです。


アイドルのM&Aなんかも起きて面白いかもしれません。
うちならもっと面白いビジネスモデルを用意できる!
君たちの力を発揮するステージを用意できる!
このアイドルとこのグループを組み合わせて・・
などなど。

まぁこういうのを嫌う人たちが多いというのもめんどくさいところなのですが。

こうなると「本気で育てるアイドル」になりそうです。
でも、本当のところはみんな「育てるアイドル」なんて望んでいないと思います。
深いコミュニケーションを取りたいだけなのです。
実際は「育てる」というファクターを利用しているだけに過ぎないのですね。

結局のところ「育てるアイドル」なんてものはマーケティングの一種であり、アイドルの分類をわけるほどのインパクトはないのだろうと、ちょっと最後に悲観的な意見を述べておきます。

AKB48総選挙のあるべき形とは何か

2011-05-27 22:17:50 | AKB48
本日も連続AKB48シリーズです。
これまでAKBネタはアクセス数の向上に寄与してこなかったのですが、連続するとさすがに効果が出てくるようです。

前回のエントリ『AKB48総選挙におけるビック・プレーヤの存在について考えてみる』の続き。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/504983d201dfc7f7d6da9387df894ee9

総選挙のランキングが「誰が最も投資を集められるのか」を明らかにするためのものであるなら、別にビックプレーヤの存在を否定する必要はないだろう。
しかし、ここで重要な問いについて考えなければならない。

「そもそもアイドルとは、何をもってアイドルといえるのか?」ということだ。

ここに、アイドルビジネスと風俗ビジネスとの根本的な違いがある。
それは、アイドルは大衆的・公的な意味合いが強いのに対して、風俗は非常に個人・私的な意味合いが強いという点である。
両者の本質的な違いではないが、重要な違いである。
もちろん、時代とともにアイドルの定義は変化してきた。
どちらかといえば、アイドル側が風俗側を侵食してきた歴史といえるだろう。
大衆的かつある種の信仰的なものであったアイドルが、価値観の多様化の中でパーソナルな領域に踏み込まざるを得なかった。
ユーザはより深いコミュニケーションを求めているのだ。
AKB48は、そうした流れの中で、身近なアイドル、育てるアイドル、会いにいけるアイドル、といった形で事業展開をしてきた代表格であろう。

しかし、アイドルは完全にパーソナルな存在にはなれない。
それはアイドルではないからだ。
もし金を稼ぐためにアイドルをやろうとしているなら、それは間違いである。
純粋に金を稼ぎたいのであれば、風俗業界で働いた方がいい。
金持ちのスポンサーが付けば、金持ち確定である。
しかし、アイドルを目指す人がいるのは、アイドルが大衆的で公的な性質を持っているからである。
歌手、女優、TVタレントといった形での活躍の場と、自己実現欲求とつながっていることがアイドルの重要な存在理由である。
それはアイドルを目指す人だけでなく、ユーザ側においても同じである。
アイドルが"アイドル"であることが非常に重要なのである。

アイドルとして成立することと、一部のビックプレーヤの影響力が大きくなることは、非常にバランスの難しい問題である。


重要な観点がある。
例えばTV番組を作るにあたって製作者が背負うのは「視聴率」であるが、これは基本的には金では買えない。
「人の数」がものを言う世界である。

映画の興行収入を考える。
これも「人の数」が圧倒的に重要である。
一人で100回リピートする人もいるかもしれないが、時間と労力がかかり過ぎる。
CDを100枚買うのとはわけが違う。

コンサートの興行を考える。
実は、これも「人の数」が圧倒的に重要である。
高額のプラチナチケットを販売して少人数精鋭のコンサートを開催するのもありだろう。
ただ、歌う側がそれで満足できればの話だ。

スポンサーCM(広告)について考える。
これも「人の数」が圧倒的に重要である。
スケールメリットがなければ全く意味をなさない。
お目当てのアイドルが出演するCM全ての商品を一人で買い捲ることはできない。
資本力があれば可能だが。

CDや写真集は金さえあれば一人で何個でも買える。
買ってすぐ捨てることもできる。

もし、私が言うように、アイドルが大衆的で公的な要素を持つものだとしたら、投票権が無制限に与えられる選挙システムで、どれだけアイドルの価値を示すことができるだろうか?

難しいのかもしれない。
投票権が無制限に与えられる選挙システムで、大衆性をどうやって計測することができる?

だから総選挙ランキングとセンターなどの序列は合致しない。
総選挙ランキングに全てを委ねることは、AKB48にとって合理的ではない。

総選挙の主催者は、総選挙の目的をより明確にする必要がある。
もし単に「次のシングル楽曲のセンターを決めるだけのもの。」であるならば、「総選挙」の位置づけをしっかりと認識してもらうよう努力する必要がある。
この認識違いによる混乱は、回りまわってAKB48の信頼に関わるものだと私は考えるからだ。

仮に、認識合わせに成功したとすると、おそらく、今の目的のままであれば、総選挙は回を重ねる毎に位置づけを変えていくだろう。
今のように主力級がトップを独占するのではなく、まだ注目度は低いが将来性のあるメンバーが、ファンの支持を得てランキング上位に上り、次のシングル楽曲のセンターで陽の目を浴びるという形で、「世代交代の基礎を築く場としての総選挙」になると私は思う。
まぁそれを「総選挙」と呼んでいいかは別の問題だが、総選挙の一つのあり方として参考になるであろう。

理想を言えば、「総選挙」という名に相応しいアイドルの価値をはかるランキングシステムを構築することだが、これはまた別の時に考えたい。


もちろん、一方ではどうやって投票権を制限できるのかという問題もある。
例えば、一人10票までと決めたとしたら、どうやってそれを守らせることができるか。
個人情報で照合したとしても、親兄弟友達の個人情報を金で買うことはできる。
いわゆる買収だ。
法律で買収が禁じられているわけでもない。
やるとすれば、物理的制約をかけることだろう。
コンサート会場や投票所でしか投票できないようにするなどだ。

AKB48総選挙におけるビック・プレーヤの存在について考えてみる

2011-05-26 11:03:12 | AKB48
連日のAKB48『Everyday カチューシャ』ネタです。

AKB48の新曲「Everyday、カチューシャ」を一人で2200枚買い込む猛者現れる
http://subcultureblog.blog114.fc2.com/blog-entry-2746.html

さらに5500枚(855万円)買った猛者もいると騒がれているようだ。

AKB48の投票券つきCDを5500枚(855万)買ったAKB48オタがネットで話題
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51792492.html

ちなみにこの猛者の推しメンは大島優子さんだそうです。
その甲斐あってか、速報で1位は大島さんのようです。

AKB48選抜総選挙速報でたああああああああああああ
http://akb48matome.com/archives/51735623.html

1 AKB48 大島 17156
2 AKB48 前田 16452
3 AKB48 柏木 12056
4 AKB48 高橋 8833
5 AKB48 渡辺 8582
6 AKB48 篠田 8016
7 AKB48 指原 7357
8 AKB48 板野 6596
9 SKE48 松井玲 6559
10AKB48 小嶋 6537


総選挙について主催者側の観点で考えてみる。

5500枚分の投票権を持ったビック・プレーヤーが市場に存在しているわけだ。
前回の第2回総選挙の結果を見てほしい。
1位から5位の得票数は、2万票から3万票だ。
5500票のインパクトがわかるだろう。
5500票を持ったファンの動向にランキングが大きく左右されてしまう。

1位 31448 大島優子
2位 30851 前田敦子
3位 23139 篠田麻里子
4位 20513 板野友美
5位 20088 渡辺麻友

ビック・プレーヤのランキングにおける支配力が極端に大きくなると、これは主催者側にとっても脅威になってくる。
総選挙が盛り上がること自体は喜ばしい事態だし、深くのめり込みたいファンに、深くのめり込む道を用意してあげて、これをビジネスサイクルに組み込むというのは、以前から説明するところだ。

しかし、アイドル・ビジネスを考える上では、あまりにビック・プレーヤの影響力が大きくなると、難しい問題が出てくる。
一つは、主催者が考える総選挙の形を維持できず、総選挙の目的を変えざるを得なくなること。もう一つは、アイドルビジネスと風俗ビジネスとを分ける重要な境を侵食しつつあることだ。

1つ目の点について、実は、主催者側は前回の総選挙時に既に予防線を張っている。
主催者側は、「総選挙におけるランキングは、次の楽曲のセンターを決めるものであり、AKB48のセンターや序列を決めるものではない。」としている。
当然ながら、大枚はたく熱烈なファンからは強い批判がなされたが、主催者側からすれば、もはや数千票を持つファンは大株主的な存在に見えてくる。
本来なら、総選挙は製作者側の意図から離れて、本当にファンに支持されているメンバーをあぶり出すための施策である。
その上で、ファンといっても全てのファンを同列に扱うことはできないと考えた。
深いファンと浅いファンがいるだろうから、その違いも鑑みて、よりAKB48にコミットしてくれているファンにはより多くの投票権をもたせたいと思ったのだ。
だが、あまりにも一部のファンがビック・プレーヤになるため、総選挙が本来の目的を果たせず、機能しなくなってきている。
当Blogでは、ずっと前に「AKB48の発展は総選挙というランキングシステムの拡張性と健全性をどう保つかという点にかかっている。」と書いたが、このような視点を欠き、何の対応もとらなかったので、今の事態に至っていると言えるだろう。

総選挙のランキングが「誰が最も投資を集められるのか」を明らかにするためのものであるなら、別にビックプレーヤの存在を否定する必要はないだろう。
しかし、ここで重要な問いについて考えなければならない。

「そもそもアイドルとは、何をもってアイドルといえるのか?」ということだ。

ここに、アイドルビジネスと風俗ビジネスとの根本的な違いがある。
それは、アイドルは大衆的・公的な意味合いが強いのに対して、風俗は非常に個人・私的な意味合いが強いという点である。
両者の本質的な違いではないが、重要な違いである。
もちろん、時代とともにアイドルの定義は変化してきた。
どちらかといえば、アイドル側が風俗側を侵食してきた歴史といえるだろう。
大衆的かつある種の信仰的なものであったアイドルが、価値観の多様化の中でパーソナルな領域に踏み込まざるを得なかった。
ユーザはより深いコミュニケーションを求めているのだ。
AKB48は、そうした流れの中で、身近なアイドル、育てるアイドル、会いにいけるアイドル、といった形で事業展開をしてきた代表格であろう。

しかし、アイドルは完全にパーソナルな存在にはなれない。
それはアイドルではないからだ。
もし金を稼ぐためにアイドルをやろうとしているなら、それは間違いである。
純粋に金を稼ぎたいのであれば、風俗業界で働いた方がいい。
金持ちのスポンサーが付けば、金持ち確定である。
しかし、アイドルを目指す人がいるのは、アイドルが大衆的で公的な性質を持っているからである。
歌手、女優、TVタレントといった形での活躍の場と、自己実現欲求とつながっていることがアイドルの重要な存在理由である。
それはアイドルを目指す人だけでなく、ユーザ側においても同じである。
アイドルが"アイドル"であることが非常に重要なのである。

アイドルとして成立することと、一部のビックプレーヤの影響力が大きくなることは、非常にバランスの難しい問題である。

時間があれば、続きを議論していきたい。
今日はとりあえずこれまで。


※さきほど気づいたのですが、当Blogでは『Everyday カチューシャ』→『Everybody カチューシャ』と表記しておりました。
お恥ずかしいミスでございます。
ググッた時に見つけた『Everybody、カチューシャ』をそのままコピペしておりましたが、コピペ元が間違っていることに気づきませんでした。
ここにお詫び申し上げます。

AKB48『Everyday カチューシャ』のPVを視聴してみた

2011-05-25 12:50:39 | AKB48
遅ればせながら『Everyday カチューシャ』のPVを視聴してみました。

良いとか悪いとか、それは個人によって変わることですし、私は何かを代表できる立場にもおりませんので、作品の評価については棚上げさせて頂きます。
よって、これから述べることは、あくまで私個人的が感じたものを、極表面的に説明するものであり、いわゆる雑感です。
また、私はこのエントリを書く時点で、製作者側の意図を示す情報を全く掴んでおらず、ここに書かれているものは、完全に個人の妄想の範囲で書いたものです。
予めご了承いただけると助かります。

さて、私はこのPVを見て、まず率直に非常に難しい作品だと思いました。
「がんばり過ぎでは?」もしくは「メッセージを表現し過ぎでは?」と感じます。
単独の作品として見れば、初期のPVに比べれば遥かに優れた作品であり、言うことはありません。
ただ、ある程度製作者側の意図や戦略といったものに関して、連続性に着目してみると、理解するのが大変に難しいなと思いました。

まず、『Everyday カチューシャ』は『ポニーテールとシュシュ』の続編的なものと説明がなされていますが、確かに画のつくりはポニーテールとシュシュに非常に類似しています。
全体の構造としては、これまでのPVの構図を、ポニーテールとシュシュの画を使って表現しているといえるでしょう。
いわゆる「集大成」的なつくりになっています。

これが、まずわかりません。
あまりに多くの過去PVの構図を組み込むものだから、少してんこ盛り状態になっており、『Everyday カチューシャ』のPVとして何を伝えたいのかメッセージが曖昧になっています。
状況の展開が早く、製作者側の説明なしに理解することが難しい。
どの世界でも同様ですが、普通、表現者は有り余る表現したいメッセージをそのまま表現してしまっては受け手が混乱するので、わかりやすくする為に表現したいことの半分以上を諦めて、隠喩や暗喩を駆使して、作品を作るものです。
これはエンターテイメントでもビジネスでも同じなのです。
にも関わらず、何ゆえ、こんな集大成的なつくりにする必要があったのか。
なんでここまで欲張る必要性があったのか。

『ポニーテールとシュシュ』や『ヘビーローテーション』などの完成度が非常に高い作品を世に送り出した後、そして第3回総選挙用の楽曲で否が応でも注目されるこのタイミングで、こういう作品を出してくる・・。
これまでの実績を考えても、製作者側はプロです。
論理的に考えれば、これは"あえてこういうつくりを選んだ"と考えるしかない。
「斬新さ」や「わかりやすさ」などをあえて諦めて、他のもっと重要な何かを表現するためにこういう作りにしたと考える方が自然なのではないか。

それが何か?

これが全くわからない。
第3回総選挙の結果発表時に重大な発表がある?
世代交代の話か?
それとも憶測を呼ぶ状況を作るのが戦略か?
それは深読みし過ぎか?
各ステークホルダーからのVOCを調整し切れなかった妥協の産物か?
いや、それはない。
そんな選択をした時点でAKB48は終わりだ。
それは秋元康氏なら痛いほどわかっているはずだ。

この話題は一旦横に置くとしよう。
時期が来れば何かわかることもあるはずだ。

さて、私自身の『Everyday カチューシャ』評を最後に書くことにしよう。

以前書いた気がするが、やはりAKB48は今、最大の山場を迎えていると感じる。
組織として、最も難しい作業である。
それは、組織の在り方を発展させながら、組織の刷新を図るということだ。
AKB48そのものを発展させると同時に、世代交代をどうスムーズに行うか。

『Everyday カチューシャ』にはその苦悩が表れている。

あっ、大切なことを言い忘れましたが、出演しているメンバー達のパフォーマンスは大変にすばらしいと思います。
私はモーラでダウンロードなので誰にも投票しませんが。

AKB48『Everydayカチューシャ』の出荷予定枚数が驚愕の200万枚

2011-05-24 12:53:09 | AKB48
AKB48の前田敦子さん主演の映画「もしドラ」の主題歌『Everydayカチューシャ』の出荷予定枚数が200万枚だそうです。
(本当かどうか裏はとってませんが)

『Everydayカチューシャ』は2011年度の総選挙の投票券を内包しているため、2010年度の実績を鑑みると、かなりの数量の販売が期待されているようです。
CD1枚につき投票券1枚ついているわけです。

これに対して、以前より、このAKBのCD販売モデルが「ぼったくり商法」だとか「キャバクラ商法」だとして批判もされています。
一人のファンが推しメンのために何枚もCDを購入し投票することについてです。
中には100万円相当を1つの楽曲に費やしたり、これまで2000万円も注ぎ込んだ人もいるようです。
(2000万円そのまま推しメンの彼女に渡してあげた方がよいかもなと思ってしまいますが、それじゃ目的を果たせないんですよね・・)
新聞の投書欄に、孫がお小遣いの全てをはたいてAKBのCDを買うことについて悩んでいるおじいちゃんの話が載っていた時には失礼ですが笑ってしまいました。

私は、このいわゆる「AKB商法」についてかなり肯定的な立場をとっています。
もっと言うと、批判する人たちの根拠に全く説得力がないので、批判者に同調できないのです。
言いたいことは腐るほどあるのですが、語りすぎても実りが小さいので控えめに記載しておきます。

まず、第一に、AKB48の楽曲をCDパッケージで販売するにあたって、商品が「楽曲」"だけ"である必然性が全くありません。
CDにマスタリングされる「楽曲」はCDパッケージを構成する最低限の要素ではありますが、CDパッケージの構成要素が、それだけでなければならないというルールは存在しません。
批判者は販売されているCDパッケージを「楽曲」だと思っているので楽曲を視聴するのに複数枚購入する必要がないと思っているようが、購入者は「楽曲」だけとは思っておりません。
そもそもこのギャップが両者の意見の食い違いの根本的問題であると思います。

むしろ『Everydayカチューシャ』というCDパッケージが投票券を兼ねているなら、より多くの人に遍く配布でき、全ての人が思う存分に投票できる方が、投票結果に対する平等性や公平性をより適切に保持できると考えることもできます。
総選挙を主催する側として、投票したい人が誰でも投票できることを担保するために、より多くのCDパッケージを出荷する予定を立てることは、実に誠実な対応であろうと思います。

では、次の議題に移ります。

批判者の中には、さきほど述べた「全ての人が思う存分に投票できる方が、投票結果に対する平等性や公平性をより適切に保持できる」という意見に反対する人もいると思います。
一人が何票でも投票できるのに何が平等で公平だと思う人もいるのではないでしょうか。
しかし、こういう考えを持つのは、戦後の教育が悪平等主義だったことと無関係ではないと思います。
大昔は多くの国で投票権なるものが存在しませんでしたが、それが民主化プロセスの中で一部の貴族だったり、税金を一定額以上納めていたり、成人男性であったりと徐々に限定範囲を広げる形で広がり、それが男女平等、成人一人一票ということに変わっていったのです。
これは、国家の定義の変遷と無関係ではありません。
国家の役割が変わっていったから、投票権の形も変わっていったのです。
みんなが「国家というのは性差や階級、貧富に関係なく国民一人ひとりで平等でなければならない。」と考えたから、成人一人一票という形になっているのです。

では、AKB48はどうでしょうか?
AKB48には、AKB48が提供する商品を購入する人にも購入しない人にも平等に接しなければならない義務か何かがあるのでしょうか?
もちろん、ステージに立てばCDを買っていない人にも平等にパフォーマンスを見せてくれるはずです。
今は商品を購入してくれていなくても、将来購入してくれるかもしれない人たちへの営業活動も兼ねているからです。
しかし、購入した人と購入しない人で、よりAKB48を応援してくれる人とそうでない人で全く差がないというわけにも行きません。
小売業界でもポイントカードを発行したりしているじゃありませんか。
電気量販店のポイント還元制度なんて額が大きくて本当にすごいです。
ライバルと競争して生き残っていかなければなりません。
今ファンの人にはより深いファンに、今ファンでない人にはファンになって頂くようにしようと思うのが普通です。
より応援してくれる人にはより多くの投票権を与えたい!と思ったらCDパッケージに投票券を同封するのが合理的だった。そう考えるのも1つの考え方です。

よく考えてみてください。
ファンといっても千差万別です。
人生かけて応援したい人もいれば、少しだけファンという人もいるものです。
より深くファンになりたい人にはその道を用意するのも、ファンを想う上でもビジネスを考える上でも重要なことなのです。

いいですか。
ビジネスの理想はあらゆるステークホルダーとWin-Winの関係を構築することです。
AKB48メンバー、スタッフ、ビジネスサイド、ファン、etc.. みんながより深い喜びを分かち合える仕組みを用意し、それを持続的に回していく、こういうのをビジネスというのです。

みんなが既存のビジネスモデルに満足いかなくなり、誰もがエンターテイメント・ビジネスやアイドルに絶望していた時代だからこそ、AKB48がイノベーションでその構造を破壊し参入してきたことが受け入れられたと、私は思うのです。

いつも通り言葉足らずですが、説明を終わります。
以前にも何度かAKBネタで当Blog読者の方と議論してきたましたが、コメント歓迎します。
よろしくお願いいたします。

ちなみに私はAKB48の楽曲はモーラでダウンロードしているので私には投票権がありません。
聴きたいから聴いているだけです。

理念の力

2011-05-24 10:09:23 | 政治

外交素人なんで適当なエントリです。

やはりアメリカ合衆国というのは「理念の国」だなと改めて感じ入った。
よって、アメリカ合衆国大統領は「理念の人」でなければならない。

理念の方向性が間違うと大変なことになるが、良くも悪くも「理念」を基本としている点は、日本にとって学ぶべき点が多い。
(理念の国を礼賛したいのではなく、学ぶべき部分があるだろうということだ。)

アメリカ大統領ともなると、在任期間に何かを成し遂げなければならないプレッシャーもあるのだろう。
むしろ、何も成し遂げないのなら、何のために大統領になったのか自問自答しなければならない。
この辺りが日本の総理大臣と大きくことなる点だ。
直接選挙で選ばれる大統領と同じ土俵で比較するわけにはいかないが、少し情けなくなる。

さて、私が改めて感じ入った理由はオバマ大統領の中東和平に向けた演説である。
イスラエルのネタニアフだけでなく、ワシントン最強と言われるイスラエル系圧力団体アメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)に乗り込んでいって演説をぶったのである。
アメリカの人口に占めるユダヤ系は3%にあたる約600万人程度と言われるが、その組織力と資金力は他団体に比べかなり強く、政治家一人選挙で落とすくらい簡単にできてしまうらしい。
AIPACはイスラエルの第2外務省と呼ばれるほど政治的組織として機能している。
そのAIPACの総会という敵地に乗り込んでいって、イスラエルに1967年国境を守れと演説するのである。
それで、ブーイングありながらも概ね好意的な反応を掴み取ったというではありませんか。

人口動態や中東情勢の変化からイスラエルの安全保障を説き起こし、国境整備の必然性を納得させるのだ。
恐れ入るとしかいいようがない。
専門家なんかに言わせると、イスラエルとアラブ双方に美味しいことを言うだけ言って実現できずにアメリカの威信を低下させるだけではないかという意見や、最終的にはイスラエルの右翼をアメリカが力で捻じ伏せる覚悟があるのかといった意見があるが、しかし、オバマならやるかもしれん。
そう思わせる何かをこの人は持ってる。

「理念」そのものは善でもなければ悪でもない。
人類の持つ潜在的な力を存分に発揮させる潤滑油になる時もあれば、方向性を間違えば大きな損失を被ることになる時もある。
「バカとハサミは使いよう」という言葉があるけれども、「理念の力」こそ使いようではないかと思う今日この頃です。

[妄想]デジタル技術の力で人類をエンハンスする「美人に見えるコンタクトレンズ」

2011-05-23 12:45:03 | ビジネス
クリエーションの時代』の続き。

「整形」について。
私自身は「整形」について肯定もしなければ否定もしません。
整形に対する有効な反論に遭遇した試しもありませんし。

芸能人が整形したかどうかで批判されますが、私は別にいいと思っています。
たとえばAKB48の板野友美さんについては整形疑惑が語られていますが、私自身どちらでもよいと思っています。
やってよければやってよし。というレベルの認識です。
外科手術がよくて整形が駄目というのもよくわかりません。
また外見でコンプレックスを抱いて生きている人には、ぜひやってもらいたいと思います。
「コンプレックスから逃げたら駄目だ!」といって精神論的な批判をする人もいるでしょうけれど、私自身、私はかなりスピ系ですが、そこまでマッチョにスピリチュアルを追求する必要はないと思っています。

では「発毛」についてはどうでしょうか?
もし自毛発毛技術が確立されたら、利用するでしょうか。
私は大いに利用するべきだと思います。
ただ、誰でも自由に発毛できることになったら、むしろハゲが個性として認知される社会になるのかなと思ったりもします。

アダルトビデオの写真に詐欺レベルの補正かかっているのは以前からですが、もはやプリクラだって詐欺レベルの画像補正が普通の世の中です。
何が現実かってことすら意味のない問いになってきています。
写真撮る時にライトあててシワを飛ばすのは許せて、目を少し大きくするのは許せないという理屈もよくわかりませんし、実際違いなんかありません。

世の中の女性に聞いてみてください。
「写真で撮った自分の顔が見たいか?」って。
誰も「見たくない。」っていいますよ。
多くの女性が年を取った自分の顔を認めたくないと思っています。

何度も繰り返し書きます。

人間は、見たいものを見、聞きたいものを聞き、考えたいことを考え、信じたいものを信じている

見たいのは現実なんかではなく、見たい自分です。

さて、この発想を逆から捉えた時、私は近い将来ある商品がヒットする予感がしています。

彼女/彼氏や妻/夫が「美人/美男に見えるコンタクトレンズ」です。
コンタクトレンズに画像処理技術を搭載して、特定の人の顔を好みのタイプに補正してくれるのです。
まさに現実版「愛しのローズマリー(20世紀Fox)
(私は当時この映画を見て腹筋がつるほど笑いました。実に素晴らしい映画です。)
人生バラ色になると同時に、愛に溢れた生活をおくれることでしょう。

素晴らしいアイディアだと思っています。
これなら整形する必要すらありません。
形は変えてません。見え方が変わるだけです。
こうなってくると相手を外見ではなく、健康などの生体情報を見て選ぶことになるでしょう。
生物学的に見れば実に人間をエンハンス可能です。

だって、いつもみんな「人間は見た目より中身」と言っているじゃないですか。
だから外見の条件をデジタル技術の力で取り外し、純粋に中身だけで勝負できるようにしてあげるという話なのです。

AKB白熱教室 大島優子教授による講義

2011-05-22 20:06:47 | AKB48
今日、久しぶりに夕方の時間帯にTVをつけていたらマイケル・サンデルのハーバード白熱教室を放映していた枠で、スタンフォード白熱教室をやっていたので見たわけです。
ハーバードの方は政治哲学の講義だったわけですが、スタンフォードはビジネススクールの講義で、今日はチーム・ビルディングの話でした。
自分自身が通っていた学校ではチーム活動が多かったものですから、学生時代を思い出しながら見ていました。

日本の場合、(昔の話なので今は知りませんが)高校教育までは個人に対するものが多く、大学に入ると突然としてグループやチームでの活動を行うための技術を試されます。
高校までに特定の目的に対して真剣に議論する場なんてものは部活動くらいで、しかも部活動は顧問の先生がいたり目的が明確であったりするから、正しさの基準というのがかなりハッキリしているので、あまり創造性が必要とされません。
そんな中、時には喧嘩などもしながら試行錯誤してチーム活動をしていたことが懐かしいです
(そういう意味で「もしドラ」の意味って大きいような気がします。学校教育の場にマネジメントという新風を吹き込むのですから。まぁもしドラ読んだことないから内容知らずに言ってますが。)

さて、話が少し変わるのですが、AKB48の大島優子さんが明治大学で講義した時の映像を発見しました。
大島流の処世術を披露しています。
たいてい器用な人には、地頭の良い人が多いですが、大島さんは非常に器用な方だと思います。以前からNo.1は伊達ではないと感じていますが、きっと冷静で洞察力のある方なのだろうなと思います。
でなければ、人間関係が重要な業界で長期間生き残っていくのは難しいでしょう。
そういう意味で講義自体は、大島さんならもうちょっと議論を深めることができたと思うので、少し残念です。
まぁ一つの企画でやっただけなので仕方がないとは思いますが。

大島優子教授による講義


よく考えると、前述したように日本の教育は、チームやグループ活動について疎いので、こういった芸能人、特にAKBのように、各メンバーがチームメイトでありながらライバルでもある関係の中で、どうやってチーム全体と個人のパフォーマンスを二兎を追って両立していくか。という状況に身を置いている人たちに大学で講義してもらうというのは、いろんな意味でいいのかもしれないと思う今日この頃です。
大学側も学ぶことは多々あるだろうと思います。

採点結果に責任持たないなら評価者がプロである必要がない。全くない。

2011-05-22 02:07:49 | TV・書籍
「お願いランキング」というTV番組を見たら、シェフや美食家による回転寿司店の人気商品をスコアリングをしていたわけですが、つけられる点数に全く説得力がないのに番組が成立しているという構図に驚きました。
何に驚いたかって言えば、点数に全く基準がないことです。
こんないい加減なスコアリングに挑戦者がいるとなると、番組制作者と挑戦者との間で「事前の調整」があるのではないかと疑いたくなります。
(きっとあるのでしょう。)

番組を面白くするために酷評しなければなりませんが、それだけではバランスが取れませんから、どうせ(今日は店対抗でしたが)単体でランキングする時は必ず満点があるようになってたりするんでしょう。
ゴールデンタイムの番組にはありがちな構図ではありますが。

番組のこのコーナーに格を持たせたいなら、次のような採点基準を採点者に課すのがよいでしょう。
付けた点数に責任を持たないなら評価者がプロである必要が全くないからです。
今のままでは道端歩いている人に採点させたのと同じです。

10点 :自分の名前を使って宣伝してもらってよい。(「○○が認めた!」「△△が推薦!」etc..)
8 - 9 点 : 他者に推薦したい
6 - 7 点 : 自分で料金を出してリピートしたい
4 - 5 点 : 無料ならリピートしてもよい
2 - 3 点 : 無料でも食べない
0 - 1 点 : 論評するのに値せず

これが大衆版のミシュランガイドだ!みたいな気合を感じないのが番組制作者側の怠慢か、それともそうできない日本という国の過剰コンプライアンスの悲しさか。。

Let It Go!! (ぱすぽ☆)

2011-05-21 03:02:43 | ブログ情報(News Release)
PASSPO(ぱすぽ) 女性グループ初の初登場首位デビュー
で取り上げた「ぱすぽ☆」ですが、デビュー曲は『少女飛行』だったそうです。

でも、ぱすぽ☆といったら断然『Let It Go!!』です。
PVだと動きがないですが、コンサートで見た時は激しかったし、とにかく臨場感からか迫力がありました。
一人ひとりの見え方も生だと全然違います。
映像で良さが伝わりにくいのが残念です。
これこそ、さらなるクリエーションが必要ですね。

【PV】Let It Go!!/ぱすぽ☆



ちなみに私は2回ミニコンサートを見た事があるというだけのぱすぽ☆素人です。
でも、ミニコンサートはすごくよかったです。
Let It Go!! はその時聴いてすぐ耳に残った曲です。
耳に残る、印象を残せるというのは非常に重要な要素かと思います。