進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

ちょっとグタグタ的にフジテレビの韓流ビジネスを考える

2011-07-31 23:08:10 | ブログ情報(News Release)
イケパラを見ながら書き直す。
視聴率に加算されないけれど、これが私の気持ち。
次の妄想シリーズ(誰も期待してない)は前田さんで行こうと思いました。
テーマは「壁」と「ホーム」ですな。

さて、前回、読み直しすらせずにかなり急いでエントリを書いたので、ちょっと雑でした。
なので、少し書き直しました。
(自戒を込めて前のエントリを残しておきます。)

参考として↓下記をお読みください。ここをスタート地点にします。(私と少し考え方が違います)

CXは別に売国奴じゃない。みんながユニクロに行くようなもの
http://soulwarden.exblog.jp/14236392/

まず、フジテレビさんの韓流ビジネスをビジネスモデル的に解体すると、理に適っています。

私の昔話で恐縮ですが、今から10年くらい前でしょうか、ある局のTVマンの言葉に感銘を受けたことがあります。
当時、インターネットの出現で「通信と放送の融合」やらが盛んに叫ばれていた時代です。
常識のようにこうも言われていました。

インターネットの出現でTV局のビジネスモデルは破綻する。


今でもよく聞く言葉ですね。
TV放送波のメディアとしての伝送能力が、インターネットのそれに追い越されるのは必然であり、そうなればコンテンツをTV放送波で流す理由がなくなる。
なぜなら、インターネットの方がよりインタラクティブな機能を実現できるから。
というのが大きな理由でした。(細かいこといったらいろいろありますが)
当然、そのTVマンもその問題意識が頭の中にあるのです。
しかし、彼はこう言いました。

TV局の最大の資産とは何か?
それは、「コンテンツ」ではありません。
コンテンツを作成する力でもありません。

「編成力」です。
視聴者に、この番組を見たいと思わせる力のことです。

極論すれば、コンテンツは外から買ってくればいい。
コンテンツ作成に関しては世界中で行われております。
優秀なクリエーターをTV局が囲い込むことなどコストの面からも不可能です。

編成力こそ、TV局の本質的な力なのです。

納得しました。
全くもって、その通りです。
わかりやすくいえば商社ですね。
見込みのあるコンテンツを買ってきて、それを広告や販売方法を工夫して、価値の有るものに変え、収益源にするのです。
(ドラマ制作も同じで、見込みのある人材や設備に投資して、それを工夫して価値のある作品に変えるわけです)
自分たちが作った方がよければ作れば言いし、買ってきた方が早ければ買えばいい。
とにかく、潜在的に価値のあるもの、これを磨いてより価値のあるものにできればTV局として勝ちです。
だって、元から価値のあるものは、元が高いですから、収益になりません。
制作費が高いならペイするだけの売り上げが期待できるものでなければなりません。
結構リスクが高いのです。
そういうこと考え出すと、200点の大ヒット狙うよりは、60点のスマッシュヒットを連発したくなる気持ちもわかるでしょう。

さて、韓流ビジネスについて考えてみます。
上記で述べた基本に実に忠実なのです。

安く買って、売り方を工夫して、より高く売る。
それだけです。
日本と韓国の物価差は利用しない手はないでしょう。
しかも、TV局はドメスティック企業ですから、為替も大いに利用できます。
円高とウォン安ですから。(最近、さすがに韓国も国内事情が許さずウォン戻してるらしい)
韓国でしっかりと金と労力をかけて作ったコンテンツを割安で手に入れることができます。

このあたりのビジネスモデルは、ユニクロも同じようなものです。
しかし、TV局に関して言うと、一つ根本的に違う点があるので注意が必要でしょう。
やっていることはユニクロと似ているかもしれませんが、競争条件が違います。

ユニクロのライバルは無数に存在しますが、TV局の場合、電波という参入障壁があります。
メディアはTVだけに限らないわけですから、TVの電波がなくてもライバルになれるだろ?という意見もあるかもしれませんが、それは少しフェアでないですね。
日本には時差がないので国民全体で同時性を共有できるTV電波の価値は非常に高いのです。
限られた周波数に守られているわけで、新規参入の恐怖から多少救われているわけですから、TV局は少し有利、ユニクロと同じだと言うのは少しフェアではない。
それだけしっかり抑えておきましょう。

TV局は電波の関係上、独占市場なので、参入障壁が高くてライバルが少ないのです
自分がリーディングポジションをつかめる可能性が高いわけです。
他のTV局よりも先に日韓でのアービトラージに積極的に手を出したという意味で、ビジネスとしてはフジテレビの勝利といえると思います。

単に視聴率というだけでなくて、AKB48も韓流も同じなのですが、どれだけ視聴者を深く掘れるか、これも重要です。
その意味で、韓流ビジネスを考える時は、視聴率だけで語るのもよくありませんね。

一方、韓流ビジネスを韓国側から考えても利益があります。
国家戦略の一つであるコンテンツ輸出戦略に合致します。
対日工作と言われて反発も受けるが、総じて日本に対するイメージ戦略を兼ねています。
ヒトラーではないですが、イメージ戦略の要諦は女性を味方につけることです。
女性が味方につくと男性もそれに続くからです。
日本人の韓国に対するイメージが上がると、いろいろとメリットがあります。
韓国に観光に訪れる日本人が増えることもあるし、韓国企業が日本に進出するのに、韓流ドラマやK-POPが浸透するのは好都合です。
これまで日本で韓国製品は苦戦していました。
世界で勝っても日本市場ではイメージから苦労していました。
例えばサムスンなんかはまず携帯で進出して、かっこいいブランドイメージ作ってから他の製品を売り込むというやり方を使っていますが、そこにドラマやK-POPといったソフトが使えるようになれば、よりやりやすくなります。

リンク先では、F1層にリーチできていない的なことが書いてありますが、最近では、若い子も韓流好きな人増えてきています。
お母さんの影響が大きいと思われます。
日本では核家族化してから、お母さんと娘の関係が友達のようになったため、お母さんからの影響を娘が受けるという構図も期待できるようになりました。
そういう意味でも、韓流は戦略的なビジネスモデルです。

日本企業も海外進出する時、イメージ戦略使いたいと考えるわけで、最近では国家戦略としてコンテンツ産業を積極的に使えみたいな話もあります。

ただ、韓国側も相応のコストを払っています。
まず、日本に売り込むために、コンテンツを日本にカスタマイズする必要があります。
日本に売り込むことを前提としたドラマの制作などが必要です。
また、韓流アイドルは日本語が上手です。
日本語を学ぶコストをかけています。
韓国と日本の両方で興行をするために、時間と労力が必要です。
大変な負担です。

だんだん書くのが面倒になってきてグタグタなので、まとめるといいながらやっぱり適当に流します・・。

とにかく、韓国側とフジテレビの利害が一致するのです。
不動産会社みたいに言われる他局よりもTV局っぽいことしてるという意味では評価できるかもしれません。

一方で、嫌がる人がいるのは間違いない事実です。
最近ノルウェーで起きた爆破・銃乱射事件もそういった事が原因と言われています。
(個人的には原因ではなくきっかけなのだと思いますが)
極右の青年が、移民政策に反対する意味で犯行に及んだわけです。
ノルウェーの場合は人種主義的な考えに近いのかもしれませんが。

日韓の場合、人種的にはそう変わりませんが、韓国が日本を敵視しているため余計にアレルギー強くなる側面があるかと思います。
領土問題もくすぶっていますし、

つまり、日本はアメリカみたいに世界から人・モノ・カネを集める国には、そう簡単にはなれないってことですよね。
(アメリカだって人口動態が変化してきていて、白人の割合が減ってきていることが非常に懸念されている問題としてあります。)


ちょっと構成間違えましたが、続けます。
高岡さんの問題は、フジテレビではなくて、事務所がビジネス上の判断で解雇したということですから、高岡さんの解雇でフジテレビを批判するのが間違いです。
ただね、だからこそね、私はフジテレビにがんばって欲しいと思うのです。

私が問題視しているのは、フジテレビの韓流ビジネスを批判したことで解雇に至らなければならなかったことで、韓流ビジネスではありません。
韓流ビジネスの良し悪しについて、人によって意見あるのは別にいいでしょと。
フジテレビに不満を持つ人が他局で活躍する、そういうことがあっていいはず。
むしろフジテレビと競争している局や芸能事務所が、積極的に採用するとかね。
そういう多様性があればこそ、言論の自由というのは維持できるのです。
別に映画俳優が映画否定してもいいし、芸能人が芸能界否定してもいいじゃないかと。
だってそうでしょ。
サラリーマンだからって勤めている会社を否定したらNGっておかしいよ。
組織の論理ばんざいってことですか。
自己否定できない業界や組織や人なんて、いつか自壊しますよ。

スターダストプロモーションがNGだったってだけで、他の芸能事務所に期待してます。

フジテレビさん、むしろここは堂々と正面からこの問題を取り上げて、付加価値つけて面白くしてください。
恥ずかしいことじゃないのだから、自分たちが韓流ビジネスに傾倒する理由について堂々と話したらいいし。
それに、そもそもこれはネタです。
おいしいネタが向こうからきてくれましたよ。
鴨が葱しょってやってきましたよ。
面白くなければTVじゃない!って言ってるんだから、是非この問題を面白くしてください!
この程度の問題を面白くできなかったら、これからやってくるもっと激しい批判に対応できないんじゃないかって思います。

だめだ。やっぱり適当で終わってしまった。

フジテレビで韓流が多いのは既得権を死守した末路
http://d.hatena.ne.jp/anti-monos/20110801/p1

フジテレビの韓流ビジネスは理に適っているが、ここは一つネタとして面白おかしくして欲しい。

2011-07-31 13:16:41 | ブログ情報(News Release)
時間がなかったとはいえ、ちょっと内容が雑すぎるので書き直します。


CXは別に売国奴じゃない。みんながユニクロに行くようなもの
http://soulwarden.exblog.jp/14236392/

フジテレビさんがやってることは、商売の基本中の基本である単にクロスボーダー・アービトラージ(国境を越えた裁定取引)でしょ。
(普通にアービトラージでいいだろ?って突っ込みは甘んじて受けます・・)

安く買って高く売る。
売り方を工夫して、いろんなものも一緒に売る。

ドメスティック企業としては普通の戦略。
円高でウォン安なんだから余計にそう。(最近ウォン戻してるらしいけど)

他の産業と違うのは、TV局は電波の関係上、独占市場なので、参入障壁が高くてライバルが少ない。
自分がリーディングポジションをつかめる可能性が高い。
他のTV局よりも先に積極的に手を出したフジテレビの勝利。

日韓で物価差があるし、韓国側もコンテンツ輸出戦略に合致するしね。
対日工作と言われることもあるが、日本に対するイメージ戦略も兼ねてる。
韓国企業が日本に進出するのに、韓流ドラマやK-POPが浸透するのは好都合だ。
これまでサムスンなんかは携帯で進出して、ブランドイメージ作ってから他の製品を売り込むというやり方を使っていたが、そこにソフトを使えればよりよいわけだ。

最近では、若い子も韓流好きな人増えてきたね。
お母さんの影響で。
核家族化してから、お母さんと娘の関係って友達っぽくなったから、お母さんを落とすと娘も落とせる可能性もある。
そういう意味で、韓流は戦略的なビジネスモデル。

基本中の基本だよ。
日本企業も海外進出する時、イメージ戦略使うんじゃない?
国家戦略としてコンテンツ産業を積極的に使えみたいな話してるくせにぃ~。

韓国側とフジテレビの利害が一致するんだから。
不動産会社みたいに言われる他局よりもTV局っぽいことしてるという意味では評価できるかもしれませんね。

一方で、嫌がる人がいるのは間違いないですよ。
最近ノルウェーで起きた爆破・銃乱射事件だって似たような話です。
極右の青年が、移民政策に違和感を感じていたわけじゃないですか。
どっちかというと人種主義的な考えに近いのかもしれませんがね。

日韓の場合、人種的にはそう変わらないのに、韓国が日本を敵視しているから余計にアレルギー強くなりますね。
領土問題もありますし。

つまり、日本はアメリカみたいに世界から人・モノ・カネを集める国には、そう簡単にはなれないってことですよね。
(アメリカだって人口動態が変化してきていて、白人の割合が減ってきていることが非常に懸念されている問題としてあります。)


私が問題視しているのは、フジテレビの韓流ビジネスを批判したことで解雇に至らなければならなかったことで、韓流ビジネスではありません。
韓流ビジネスの良し悪しについて、人によって意見あるのは別にいいでしょと。
フジテレビに不満を持つ人が他局で活躍する、そういうことがあっていいはず。
むしろフジテレビと競争している局が、積極的に採用するとかね。
そういう多様性があればこそ、言論の自由というのは維持できるのです。
別に映画俳優が映画否定してもいいし、芸能人が芸能界否定してもいいじゃないかと。
だってそうでしょ。
サラリーマンだからって勤めている会社を否定したらNGっておかしいよ。
組織の論理ばんざいってことですか。
自己否定できない業界や組織や人なんて、いつか自壊するって。

フジテレビさん、むしろここはさ、堂々と正面からこの問題を取り上げて、コメントしてくださいよ。
我々が韓流ビジネスに傾倒する理由について。
散々、政治家に「説明責任!」って言ってる人々なんだから。
(説明責任って都合よい言葉使ってるじゃないか)
我関せずを通さずに。
だってネタでしょこれ。
おいしいネタが向こうからきてくれましたよ。
面白くなければTVじゃない!って言ってるんだから、是非この問題を面白くしてください!
この程度の問題を面白くできなかったら電波利権の説明求められても、何にも応えられませんよ。


【AKB48】 「フライングゲット」のジャケット画像が公開

2011-07-30 11:37:21 | AKB48
これは・・・面白い。

最初2ちゃん特有のネタかと思った・・。
相変わらずうまいな~君たちはって思ったのに事実とは。

そっち?そっちか?そっちなのか?

AKB48の新曲「フライングゲット」のジャケット画像が公開 - MVは堤幸彦監督
http://journal.mycom.co.jp/news/2011/07/29/062/

AKB 22枚目シングルは昭和の映画ポスタージャケット
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110730-OHT1T00007.htm

AKB48が8月24日に発売する22枚目のシングル「フライングゲット」のジャケット写真が29日、公開された。

 6月に実施された選抜総選挙の上位21人が歌う新曲。「通常盤タイプA」は昭和の映画ポスターを思わせる仕上がりだ。

 1999年のTBCのCMで、木村拓哉をCGで登場させ、話題を集めたデザイナー集団「エンライトメント」が、写真を加工した。

 6曲収録のマキシシングルで、付属のDVDには同曲のミュージックビデオ、映画「20世紀少年」などで知られる堤幸彦監督が手がけた「武闘映画『紅い八月~フライングゲット篇』」、選抜総選挙のドキュメンタリーを収めたタイプもある。

AKB48の新曲「フライングゲット」のジャケ写がセンスなさすぎと話題に
http://pirori2ch.com/archives/1573183.html


わかるよ。
予定調和を崩しに行きたいんだよね。
「トリック」みたいな感じね。
でもちょっとタイミングと方向が違う気もするけど、だからこそなのかという気もする。

プロの仕事だから、裏の裏を読んでいるとは思うけれどね。

ふぅ、気づいたら寝てて、午前を無駄にしてしまった。
あぁ・・もったいない。

桜蘭高校ホスト部を見た

2011-07-30 00:26:13 | ブログ情報(News Release)
2ヶ月ぶりの酒・・うぅ飲みすぎた。
気持ち悪い・・。

今さっき帰ってきてTVをつけたら「桜蘭高校ホスト部」放映中。

うむ。
よい。
非常によい。
イケパラよりずっとよい。

はぁ・・。
こんくらいでいいのよ。
主役はるなら深夜のこのくらいのニッチ感でいいのよ。

川口春奈のよさがよく出ている。
すばらしい。
素晴らしすぎる。
思わず推してしまいそうだ。
なんてこった。

脇を固める役者もいい。
イケパラよりイケメンじゃねーか。

いかん、完全に負けてる。
完全に戦略ミス。

くそつ、マネジメント私にやらせてみろ。

・・うそ。
冗談です。

これはオフレコです。


この制服もいいな~。
いいよいいよ。
メンズもいいよ。
もっと見ていたい。
そう思わせる要素もっているなぁ。

若手は川口春奈か武井咲だな。
圧倒的な存在感。

中国の高速鉄道事故の問題は技術やノウハウの問題ではない

2011-07-28 22:01:10 | 政治
繰り返すけれども、中国の高速鉄道事故の問題は、技術やノウハウ、システムの問題ではない。

よく考えてみて。

じゃ日本から運用ノウハウを提供しましょうと。
総合的なパッケージで提供しましょうと、なったとしましょう。

それで事故なくなりますかね?
なくならないよ。

なぜか?

一人ひとりの意識の問題だから。
知識だけで解決できる問題ではないのだ。

一人ひとりの意識が変わらなければ、いくら技術やノウハウを教えてもらっても、その意味を理解できないし、全てを継承することなんてできないのだから、必ず漏れ、抜けというものは発生するものなのだよ。
安全に関する考え方が少し違うだけで、安全に関する意識をする時間が、社員が1万人いれば、組織全体で1年間で200日×8時間×1万人くらいの差が出るわけですよ。
かなり適当な計算だけれども。
普段からの対応もさることながら、マニュアルにない現場対応などの場面で圧倒的な差になるわけ。

だから↓これの問題。

中国の高速鉄道事故に関する報道について
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/d18b5e38ee13c12e6e92a8f12380dcef

中国政府はこの問題を解決しようとすればするほど、共産党として苦い方向にふれなければならなくなる。

呆れた話

2011-07-28 21:49:06 | 社会
呆れてものが言えない。
経緯に関する情報がないので詳しいことはわかりませんが、呆れた。

高岡蒼甫がフジの韓流推し批判で事務所が解雇へ
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52480506.html

古い業界だな。
空気を読んだ結果、こうなるか。
Twitterの感情ダダ漏れ問題もさることながら、空気による過剰コンプライアンスの方がもっと大きな問題。

本来なら、TV局間で競争原理が働けば、フジテレビが駄目でも、他局で仕事がとれるはず。
韓流批判に賛同するTV局もあってしかるべきだ。
しかし、日本のマスコミは皆横並びで競争なんてあってないようなもの。
さらにいえば、TV局と芸能プロダクションの癒着構造がそれを許さない。
流動性のない固定的な社会や組織にありがちな話ではある。

しきたりや空気を守る限りにおいて、ムラ社会の論理で利益は守られる。

政治や企業を批判するマスコミが、最も批判されるべき対象の一つという皮肉が、この国の病を一番よく表している。

◆◆◆◆◆

彼は、彼自身がいつも語っている内容をつぶやいただけなのだろう。
飲み会や、その辺でする談笑する場で、ふつうに語っている内容に違いない。
ひょっとすると関係者もいる場でも言っている可能性はある。
でも、たとえ、その場に関係者がいても特に問題になることはない。
関係者は「その気持ちはわかるよ。」と思っているかもしれないし、「ちょっと問題発言だねそれは。」と思っても、問題にすることはない。
「まぁそういうふうに考える人もいても仕方がない。」と思うのだ普通は。
仲間内で語っている分には問題にならないのだ。

しかし、今回何が違ったのか?
Twitterでつぶやいたことで、不特定多数の人に知れ渡ることになった。
いわゆるエライ人に知れてしまうと不都合が生じかねない状況だ。


エライ人が怒ってしまうと考えて、先回りして問題をなかったことにしようとしてしまう風習があることが問題なのだが、もし仮に、その程度の批判で怒ってしまうエライ人がいるとすれば、相当の暇人なんだろうな。
他にやることがないから、そんな小さなことが気になって仕方がない人だから。
そんな人が経営陣なんかにいると会社に損失を与えるだけだから、辞めさせた方がいいよ。

Twitterでいつも通りつぶやいたら、問題になった。
政治家がオフレコだといって失言するのと同じ構図。

【AKB48】前田敦子さんは何故ここまで叩かれるのか

2011-07-26 23:46:51 | AKB48
たまにはこんな話題も。
何にも調査していないので、単に一般論を述べるに過ぎないのですが・・。

AKB48が叩かれる理由と、前田敦子さんが叩かれる理由は、ちょっと違うと思います。
前者については過去に何度も説明しているので、ここでは取り上げません。
後者についてです。
詳しいことは、今時間がないから述べないのですが、私は前田さんが叩かれるのは、前田さん自身の問題よりも、マネジメントの問題の方が大きいと思っています。
もちろん、マネジメントがどうがんばろうと前田さんそのものを批判したいアンチもいるでしょうが、そのアンチの発生を抑止するどころか増長させてしまっているということです。

前田敦子へのバッシングがネットで急増!! トップアイドルが何故ここまで叩かれるのか(ニュー速VIPブログ)
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52479775.html

AKB48はソロやスピンオフになると急に完成度が下がるというか、いい加減になるというか、何のポリシーも感じない普通の芸能活動になると思います。

所属事務所の意向が大きくなるのか、それとも戦線を広げすぎて管理し切れないのか、それとも他の理由があるのか、それはわからないが、とにかく、AKB48らしさが全く出なくなります。

ちょっと前にTwitterでつぶやいたが、私もリンク先のファンと同じような考えを持っていて、最近の前田敦子さんへのバッシングの大部分は、前田敦子さん自身の問題ではなく、マネジメントの失敗が原因のように思います。

女優になるのは前田さん個人の夢であると同時にビジネスでもあるわけですから、基本コンセプトが何で、それに忠実に戦略を立てれているかという観点で考えていくべきです。
ひょっとしたら、今は、とにかくいろんな経験をして、あらゆる可能性を探っている段階なのかもしれませんし、まずは内容よりも女優としての実績作りをしようとしているのかもしれません。
女優としての実績もなしに、女優としてドラマや映画を選ぶ側に立つというのも力関係上難しいことがあるのかもしれませんし、いろいろな交渉の結果で妥協せざるを得ないこともあるかもしれません。

だとしても、無駄にAKB48ブランドを消費するのは如何なものかと思います。
AKB48とメンバーそれぞれが相互にポジティブフィードバックをかけれるような関係が理想だと思います。
短期的な利益を追求して、代わりに長期的な利益を犠牲にしている可能性について考慮するべきです。
芸能人にとって忙しいということはある種のステータスなのかもしれませんが、基本コンセプトに基づいて選択と集中をしっかりとやるべきです。
仕事はやればやるほどいいというものではありません。
この時代、メディアに露出すればよいというものでもないでしょう。
やるべきことをやれる範囲内でやるべきです。

端的に言えば、詳しい事情は知りませんが、仕事の量を減らすべきです。
一つひとつの仕事の完成度が低くなるばかりでなく、忙しさは目の前の仕事の効率を上げようとさせはするが、もっと大きな視点での生産性の改善については無頓着にさせるのです。
休暇も取れないのでは、ゆっくり時間をかけて深く自省する暇すらありません。
疲れていては能率も下がりますし、疲れは見た目に表れます。
今、世の中は生産性の向上のため、様々なライフスタイル、ワークスタイル、ワークライフバランスの議論がなされています。
芸能界は古いままだったりしませんか。

目先の利益に捉われず、本人がやりたいといっても、ちゃんと基本コンセプトと戦略を示して納得してもらうことは、マネジメントとしてしっかりとやって欲しいと思います。

何も知らないで的外れなことを言っている可能性は大ですが。
時間のある時に、もう少し突っ込んだ分析をしてみたいと思います。
(あまり期待できないですが)


話し変わりますが、↓これは面白かった。やる夫がかわいらしい。

やる夫はAKB48にはまるようです(AKB48まとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51756901.html

日常的に重要なことなのに存在感の薄いもの

2011-07-25 00:04:11 | 恋愛
CDショップの店員さんに告白してこようと思うwwww(ハムスターそくほう)
http://hamusoku.com/archives/5242814.html

感動した・・。
なんてイイ話だ。
素晴らしい結末。

これだ。
いつも言うように、こういうものがこの国には足りない。

そして、またアドバイスしてる人たちがいい奴らなんだ。
自分もこの話に加わりたかった。
結果を変えることはできないかもしれないけれど、重要なのは、みんながこういう経験を通して学ぶ機会があるということ。

それなりに経験のある人や、何かを持っている人たちが、誰かの経験を通して、みんなで知恵を共有し合う機会、こういうものが徹底的に欠けている。
この国では、人生を生きていく上で本当に大事なことを誰も教えてくれない。

勉強の仕方とか、金の稼ぎ方とか、仕事の仕方とか教えてくれるけれど、どうやったら人生を有意義なものへ変えていけるか、といったものについてあまりに無頓着だ。
うすっぺらい教科書なんかでは表現できない圧倒的な現場の臨場感、カッコつけた講師が語る成功談では決して理解することのできない心の底からの葛藤、こういうものを共有する機会があまりに少ないんだ。

そもそも、恋愛のように日常的でありながら重大な悩みについて、この国ではまるで存在が無いかのように、話題にものぼらない。
それがとてもプライベートなもので、汎用的でないから、共通認識を持つのは難しい。
恋愛というのは非常に個人的なものだ。
逆に言えば、だからこそ1人ひとりにとって、すごく重大なことになる。
重大なことだから、そこから得られるものは大きい。
人生を語る上で避けては通れない。
避けてはならんものだ。
問題の根底にある共通項を見出し、再発見し、再解釈して、共有する。
そういうことがみな苦手なんだなぁ。。

ふぅ。
これを読んで、とても自分が恥ずかしくなった。

中国の高速鉄道事故に関する報道について

2011-07-24 14:00:15 | 社会
イエモンのJAMを引用して「乗客に日本人は いませんでした」を指摘する人がいるが、おかしい。
JAMには「嬉しそうに」がつく。
日本人がいるかどうかは中国に家族や知人がいる視聴者に求められている情報の一つだ。

価値基準について考えてみる。
日本と中国では人命の値段が違う。
費用対効果で考えたら安全性のコストが相対的に高まる。
資本主義が浸透していないと、費用対効果の発想も薄く、社会に埋め込まれた文化や倫理観の重要度が増す。
中国といえば文化が破壊されたのだったな。

共産党の一党独裁が続く限り、こういった事故は続く。
いくら中央政府が管理しようとして口うるさく指導したとしても、末端の一人ひとりの考え方まで統率できないからだ。
それが簡単にできるなら、どの組織も苦労しない。
今の体制下で「規律」を創生・維持したいのであれば、民衆みんなに共産党の理念を心のそこから理解してもらう必要があるが、難しいだろう。

日本にも当てはまる部分が多いにあるのだが、この状況を変えたければ、国民一人ひとりが自分で社会的安定性を向上・維持するためには何が重要なのか、考える必要がある。
それが一番得意なのは民主主義だ。
共産党中央政府にしてみれば、難しい二律背反の問題だろう。
事故や不正が続けば、中央政府への不満が高まる。
しかし、事故や不正を減らそうとすれば、自己否定をして共産党から距離を置かねばならない。

さて、時代はどう流れていくのか。

ノルウェー爆発・乱射事件

2011-07-23 23:58:55 | 社会
ノルウェー首都郊外の乱射事件、死者少なくとも80人に(ロイター)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-22338720110723

ノルウェー爆発・乱射事件、その動機は:識者こうみる
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-22339320110723

犯人については、極右組織とのつながり、アルカイダとの関連性、そしてTwitterでのつぶやきから思想の偏りなどが指摘されているか、まだ全容ははっきりしていない。

ノルウェーで一体何が起きたのか。
それが伝わってこない。

いや、逆かもしれない。
視点を間違えると、モノの見え方も不確かなものになる。

殺戮能力だけを考えれば、単独犯でも武器さえあれば大量殺戮は可能だ。
実際、戦争のように戦略目的を達成するために敵を殺すことが評価される状況では、一人で何十人も、多ければ数百人も殺すことだってある。
(その一方で全く戦闘行為で銃の引き金を全く引かない兵士も多くの割合いるが)

にも関わらず、大量殺戮行為が稀にしか起きないのは、人、家族、友人、学校や会社、地域といった社会を構成するものの中に、それを抑止する社会規範や文化、宗教、そして愛といったものが内包されているからなのではないか。
つまり、人間社会は、社会構造として大量殺戮が発生しにくくなるメカニズムを持っている。

人は大量殺戮が可能となる能力を有しているが、それを抑止するメカニズムのある社会に生きているので、大量殺戮を行わないのだ。
よって、今回の件で考えるべきは、「何が起きたのか」ではなく、「何が起きなかったのか」なのではないか。

ノルウェーで一体何が起きなかったのか、何が起きなくなっていたのか。
この観点での考察が重要だ。

単純な原理主義的なテロと結びつけるのは問題を簡単化してくれるが、それが真実を語ることになるのかは疑わしい。
この事件の背景にある時代の流れとは何か、我々はそれを捉えることができるか。

NMB48の狙い

2011-07-22 00:02:43 | AKB48
前回の『NMB48の存在意義について考える』の補足エントリです。

前回のエントリの最後でこう述べました。

総称としてのAKB48システム全体のパイを縮小させないための施策の一つとして、NMB48を受け皿にするという意味もあるだろう。

いうなればNMB48はAKB48の補完戦略か。
こうかくと何だかありきたりな話になるのだが、デビュータイミングにしろ、その内容にしろ、NMB48単体ではなく、AKB48システム全体の戦略のワンピースなのか、というところは抑えておいた方がよいのではないか、という気がする。
(だからいきなり全国デビューしてマス的要素を帯びてもよいのだ。)

これに対して、tuneさんに頂いたコメントがNMB48の狙いをえぐりとっている気がします。

絶滅黒髪少女いいですよね!主力メンバーが20越えのAKBでは無理目な曲だった気がします笑


そうなのです。
NMB48の狙いはそこにあると思います。
AKB48は時間をかけて成長しながら認知度を広げていったので、売れた頃には(初期メンバーも抜けてましたし)主力メンバーが大人になって、若さを前面に出して売り方ができなくなってしまいました。
いつもの繰り返しですが、ある程度新鮮さが必要だけど、若さだけではだめだし、バランスのとり方、世代交代の難しさがあって、そうこうしている内に、主力メンバーの下の層に穴が空いている感じになってしまったと。
AKB48からの派生ユニットでやれないことはないのですが、AKB48というバリューネットワークに縛られるし、やっぱりAKB48全体のパイを広げることになりにくいと思います。それに2軍扱いされると、新しい顧客へのリーチが足りません。

そこで、NMB48は、AKB48ブランドを使うことで、一気にその穴を埋めにいくのです。
AKB48ブランドで、NMB48は時間をかなり省略できるので、補完戦略を実行できるというのがミソかなと思います。

AKB48システム全体として見ると、姉妹グループにも2種類あるように思います。
地域にローカライズしたグループ:AKB48-Low、SKE48、NMB48、福岡48
たぶんマスグループ:AKB48-Hight、 乃木坂46?

いろんな軸で対立軸を作り出すとともに、相互に補完し合う関係性を意識していると思います。

NMB48の存在意義について考える

2011-07-21 00:05:03 | AKB48
NMB48なかなかよい。
むしろ最近のAKB48からすっかり抜け落ちてしまったニッチ感というかオリジナリティがある気がする。

NMB48の全国デビュータイミングも、立ち上がって上昇気流に乗るタイミングをはかって、あるAKB48の状況に合わせて、そこから逆算して求めた気がする。
意図したものか、結果としてそうなっているだけなのかは知らないが、変な話、AKB48の倦怠期にぶつけてきたのかなと。

残念だけど、人は飽きてしまう生き物だから、だいたい好きという感情は3~4年で消滅してしまう。
(もちろん例外はあるだろうけれど)

ただ、人を好きになるというものは総合的なもので、感情だけでもなければ理屈だけでもないので、一言で語るのは難しいことだけれども、ただ一ついえるのは感情的な衝動は数年で倦怠期を迎える。
趣味としては持続することも向上することもあるだろうけれど、心の内から湧き上がる衝動を持続し続けるのは、一般的には難しいところがある。

AKB48がいかにソーシャルを基盤に持とうとも、長期間継続して1人の人にコミットし続けるのは容易ではない。
AKBオタと呼ばれる人たちも、ずっとオタでいることができるか、感情的な問題だけではなく生活環境が変われば気持ち変わることもあるだろう。

そうなると、AKB48のメンバーの世代交代だけでなく、ファンの世代交代、入れ替わりというのも、事業を継続していく上で一つの重要なファクターになる。
何度も述べたことだが、いかに既存のファンにより深いファンになってもらいながら新しいファンを獲得できるか、である。

もちろん無策でいるわけもなく、それなりの仕掛けは打っている。
その一つがAKB48の対抗軸を打ち出して、競争による成長戦略を描くことだ。

いくつかの意味があるだろうが、
(NMB48がグローバルローカライゼーションの一環であるのは言うまでもないが、それはここでは述べない。)
総称としてのAKB48システム全体のパイを縮小させないための施策の一つとして、NMB48を受け皿にするという意味もあるだろう。

いうなればNMB48はAKB48の補完戦略か。
こうかくと何だかありきたりな話になるのだが、デビュータイミングにしろ、その内容にしろ、NMB48単体ではなく、AKB48システム全体の戦略のワンピースなのか、というところは抑えておいた方がよいのではないか、という気がする。
(だからいきなり全国デビューしてマス的要素を帯びてもよいのだ。)

失言が許されるひとの条件

2011-07-20 23:17:43 | 哲学・思想
微妙に違う観点から。

失言が許されるひと
http://getnews.jp/archives/130183

世の中には“失言”をしても許される政治家がいる。たとえば、小泉元首相とか、いまの東京都知事とかがそれにあたる。逆に、失言によって大きな憤激を買う政治家もいる。松本元復興相などがそれに該当するだろう。

なぜ前者の失言が許されるかを考えると、結局のところ、人びとが彼らに対して複数の評価軸を持っているからなのではないか。都知事のケースで言えば、“暴言吐きの石原さん”と“リーダーシップの石原さん”という二つの評価軸がある。なので、いくら暴言を批判されようとも、前者の“石原さん”の評価に回収されてしまい、後者の石原さんの評価にまでは届かない。

逆に、松本元復興相のケースで言えば、ほとんどの人は松本さんがどんな人なのかを知らなかったのではないか。あるいは、同和問題や資産家という属性だけで判断していたのではないか。そこにきて例の恫喝(どうかつ)映像が流れたことで、我々は恫喝(どうかつ)という観点からしか松本さんを評価しようとしなくなった。社会心理学的に言えば、プライミング効果(先行する刺激が後続する刺激に影響を与えること)ということになろうか。

したがって、世論からの支持/不支持により政治家や内閣の命運が左右される現状では、政治家が生き延びようとするなら、どうにかして複数の評価軸を獲得する必要がある。つまり、失言や失策のダメージを引き受けてくれる“もう一人の自分”が必要なのだ。その“自分”を作り出すためには繊細なメディア・イメージのコントロールが必要になるだろう。


私が思う失言が許されるひとの条件。

それは「キャラが確立されている」ということ。
(キャラは利益にもなるし、損失にもなるという点で諸刃の剣である。)

人を見ればわかることだが、人というのは一面的なものではない。
どんな人にも多面性がある。
戦争ドキュメンタリーに涙して「戦争はいけない」と思った直後に、道端ですれ違いざまに肩ぶつけられて「あんなやつ死ねばいい」と思うように。
人の考えや感情も決して一貫しているわけではない。

しかし、人が人を認識するのに、ある一定の枠組みをはめる。
ある場面では非常に几帳面さを発揮する人が、他の部分を強調されて「あの人はいい加減だ。」という評判を得ることもある。
人知れず人道支援活動をやっている人が、日常的な仕事のみを見られて「非人道的なエゴイスト」と言われることもある。

要は、どのようにキャラとして認識されるか、ということが重要だ。

いくつか考え方はあるだろう。
ものすごい信頼されるキャラを確立しているがゆえに失言が許される。
多面性を持ったキャラを確立しているがゆえに、失言しても他の面が相殺して許される。
失言キャラを確立しているがゆえに、失言しても許される。
(ただし不信任フラグが立っていると許されない。)

キャラが確立されていると、その人に関する評価軸が確立されるのだ。
キャラが確立されていないと、その人に関する評価軸がなく「失言」そのものを評価することになる。
それ以外に評価軸がないからだ。
だから、キャラが確立されていない人の失言は、失言問題になりやすい。

ただし、キャラが確立されていても、信任されていない人は、失言問題になりやすい。
逆に言うと、信任されている人は、失言キャラでも許される。

複数の評価軸うんぬんというのは、結局のところ多面性を持ったキャラを確立しているということに他ならない。

と、簡単にぱぱっと考えた結果思う。

なでしこ旋風批判がまったく的外れな件について

2011-07-19 21:08:07 | 社会
ふぅ、またしても釣りタイトルで書かねばならないようだ。

「なでしこ」旋風に対する肯定意見と否定意見が百花繚乱という感じだ。

サッカー語れとか、ナショナリズム煽るなとか、願望を託すなとか、自分の功績じゃないだろとか、知ったかぶりするなとか、せっかくの功績を消費するなとか、タダのりすんなとか、騒ぎすぎとか、etc...

しかし、どれも的を外している。
(もちろん、批判の全てを見たわけではないので、あくまで私が知っている範囲内という前提だが。)


勘違いして欲しくないのは、私は「どれも間違っている」と言いたいわけではない。
そういう側面もあるが、それが全てではないし、またそれが本質的な問題でもないと言いたい。
的を外しているということだ。

どう的を外しているのか。

「なでしこ旋風批判」は、AKB48総選挙を批判するくらいに的を外している。
実は、構図が非常に似ている。

過去のエントリを参照いただきたい。

AKB48総選挙 これは祭りです。


当Blogでは過去にも説明したことがある話題なのだが、日本社会には古来より地域的なコミュニティに「祭り」というイベントがビルトインされていた。
細かいことは面倒なので説明しないが、祭りの元は五穀豊穣を祈る神事で、特別な意味合いを持っていた。
祭りの日は日常とは異なり特別なのである。
人々は日常から離れ、人が変わった様に祭りにのめり込むのだ。

それが戦後の近代化の中で、職業の工業化と、何よりも都市化により人の移動が促進されると、祭りはその姿を変えていった。
若者が労働力として都市部に移動することによって「故郷=祭り」を持たない世代が生まれたが、高度成長期の会社社会では「飲み会」という祭りが生まれた。
(今も少し残っている)

故郷から移動してきた人たちによって構築された町には祭りが存在しなかった。
これを憂う人々によって町内会や自治体によっては急ごしらえながら祭りがつくられたが、神事を元にする伝統を持たないがために形骸化することが多く、世代間で受け継がれる祭りはそう多くはない。

現代社会の若者世代は、祭りを知らない世代といえる。
そんな若者たちがどこへ向かったか。

それが「サッカーワールドカップ」や「ワールドベースボールクラシックス」、「オリンピック」、「ロックフェスタ」や「クラブ」むかしは「ディスコ」だった。
ワールドカップになると人が変わったように熱中する若者は、高齢者の目には異様に映ったかもしれない。
その時だけ妙にナショナリズムに煽られる若者の姿は。
しかし、それは若者にとっての「祭り」だからである。
彼ら「伝統的な祭り」を知らない世代が、「新しい祭り」を見出したのだ。

ここで一つの提案がある。
次の問いについて考察して欲しい。

「祭りとは現実か?」

祭りの場において「お前、大人なんだから現実に戻れ!」という言葉を言い放つことが、どれだけ無意味か、よくわかるだろう。

「大人だから祭る」のである。
子供よりも大人だから祭りの必要性は増すのである。

「祭り」の時に「現実」か「仮想」かなどどうでもよいことである。
重要なことは、それが日常とは違う「祭り」であるということだ。


祭りは日常と違わねばならない。
この「なでしこ旋風」は現代人にとっての祭りなのである。
祭りで騒いでいたら「お前ら頭大丈夫か?」と言われたと。

「は?何言ってんの?だって祭りじゃん。」

と言って話はおしまいである。

えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々

ご無沙汰しております。

2011-07-17 02:35:09 | ブログ情報(News Release)

ここ1ヶ月ほど家族そろって体調を崩しておりまして、体力の限界から更新が滞っておりました。
被災地に比べれば大した問題でないと思いますが、疲労+寝不足で毎日大変です。
まだ全回復しておりませんが・・。

コメント欄でけっこう語った乃木坂46の戦略については、別途エントリ化したいと思います。
私は「マス vs. ソーシャル」が読み解く鍵だと思っています。
(現実がどうかよりも、完全に個人的趣味による戦略分析なのですが)

それはそうと、今日はTBSの『音楽の日」という音楽番組を見ていました。

SMAPさすがだなと思いました。
AKB48の新曲がTV初お披露目だったようなのですが、これまた『Everyday、カチューシャ』以上に解釈が必要そうな曲でございました。
製作者側の意図が読めないというか、いや、もう解釈すること自体が間違いなのかもしれませんが、ついつい考えてしまいます。
今余裕がないのでまた今度じっくり聞いて考えたいと思います。

そして、Not yet を初めてみました。
みなさんの動きにキレがあるな~と思いながら、この4人の組み合わせを見て、何を狙ったグループなのか、非常に興味深いなと思います。
単に事務所の関係でしょうか?
Not yetの戦略が気になり始めました。
そもそもコンセプトから知らないので、まずそこから勉強しなきゃですね。

AKB48は人数が多いので、どうしても中心メンバー以外はフォーカスが当たらないので、こういう形で別ユニットで活動することはよいことだと思うのですが、これはNet yet だけのことじゃないのですが、そこの戦略といいますか、なんというか、AKB48に比べるとずいぶんとガサツでないですか?というのが気になったり気にならなかったりしますが、きっと知らないからの勘違いだと思います。