進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

AKB48という破壊的イノベーション 第2話 ~ヘビーローテーション~

2010-07-31 14:50:06 | AKB48
※軌跡を統計を元に時系列的に追求していけば、ビジネス研究としてビジネス系学部の卒論やビジネススクールの一課題程度にはなると思う。
※でも当Blogではそんなに労力かけられず中途半端なものになっているがご容赦願いたい。

最近、AKB48ビジネス研究のためにヘビーローテーションしていたら、「ヘビーローテーション」という曲が発表された。

ヘビーローテーション

PVは即削除されたみたいね。。

YouTubeには、このPVに失望したというファンのコメントが多いようだ。
これまでのAKB48とは方向が違うといった批判や、
PVを作った監督の趣味によるもので、監督はAKB48のことがわかっていないという批判が多い。
要は、AKB48のファン層についての理解が足りないと言いたいのだろう。

しかし、AKB48ファンには悪いが、この曲のPVは完成度が非常に高い。
製作者側の意図も明確だ。
結論から先に言えば、AKB48は何度目かの移行期に入ったということだ。

AKB48は上位市場に移行するに従って、これまでと違うAKB48にならなければならない。
これは、前回説明したように経営者が直面するイノベーションのジレンマだ。
成長を諦めればそんなジレンマから開放されるが、しかし、そんなことは許されないし、
何よりも発展を諦めたら失速するしかなくなる。
現状を維持するためだけでも全力で走り続けなければならない中で、
発展しない程度に走り続けるような、そんな絶妙なことができるなら、
一部の識者が語るような非経済成長モデルを日本に構築するのにも誰も苦労しないわけだ。

ビジネスを拡大しながら、どうやってこれまでの要求に答えるのか。
実は、その答えは、AKB48以前からある。
それは、上から下までラインナップを揃えるという、あらゆる業界で採用されている戦略だ。

まず、AKB48をグループ名ではなくブランド化することを狙い、そして最上位市場を狙う。
AKB48の品質が認められれば、AKB48グループに属するほ他のグループに影響力が波及する。
上からアンダーガールズ、SKE48、研修生などといった感じで抑えればよい。
シャワー効果を狙うわけだ。
また、今後AKB48の上位者はソロ活動にも力を入れる事になるだろう。
これはジャニーズが得意とするところだが、
グループがあるレベルに達すると次はソロで人気を高める。
グループに戻った時に相乗効果が期待できるからだ。
これは人間心理を操る妙技であるので、回を改めたい。

そうなるとAKB48に求めるのは一にも二にも「品質」だ。

これもまた回を改めたいと思うが、
秋元康がAKB48に厳格に課す「恋愛禁止」は、この「品質」を保つために非常に重要な戦略なのだ。
単にアイドルにとっての恋愛が、人気低下の要因だからご法度になるのではない。
モーニング娘。などのアイドルグループが崩壊した原因を分析すると、
(秋元氏の長年の経験と分析による結果なのだろう)
何をキッカケにグループが崩壊していくかという点で「恋愛」が重要なファクタになるからだ。

また、それと同時にAKB48エコシステムを拡大するためには、
パイを広げることが何よりも重要で、AKB48に対する一般的認知を上げる必要がある。
秋葉原での活動よりも、全国的な活動が優先される。
要は、アキバ・アイドルからの脱皮、つまりアイドル化なわけだ。
既存のファンが失望することは覚悟の上なのだ。
費用便益分析をしていないわけないだろう。
損失を覚悟の上で利益を取りに来ているだけだ。
リスクテイクだよ。
もちろん、イメージとして旧来のアイドル化を回避する施策は多々やるはずだ。

徐々に本質的なところに入っていきたいと思う。

AKB48エコシステムが非常に計算されていると考えられる点は、
AKB48ヒエラルキーが上位市場から下位市場までを抑えているという点よりも、
むしろ、下位グループが上位グループに対するバッファーになっている点だ。

経営学を参照するまでもなく、組織は結局のところ顧客に資源を制約される。
アイドルグループであれば、そのファンに資源が制約されてしまう。
いくらプロデューサーや経営者が権力を持っていても、
売れないアイドルを維持していくことはできないし、
ファンの望まないことをやっても長続きしない。
だが、組織は制約されっぱなしということもない。
つまり、制約のされ方を在る程度コントロールすることは可能かどうかという議論は有り得る。

循環論法になってしまう話だが、
組織は顧客に資源を制約されるが、顧客もまた組織に制約されている。
ファンをある程度支配下に置くためには、供給側に競争力がなくてはならない。
では、どうやって競争力を保つか。
それは一にも二にも「品質」で、
基本は、AKB48のメンバに競争力のある人材を確保できるかどうかだ。
では、それをどうやって?

それはハロープロジェクトがとった戦略と同じで、
AKB48が女の子にとって魅力的な存在でなければならない。
競争力のある女の子に、「私もAKB48に入りたい」と思わせなければならず、
それは女の子から見て「かわいい」「かっこいい」「かがやいている」という事が絶対条件なのである。

今回のヘビーローテーションのPVを見て、
「(男目線で)エロい」だとか「(男目線で)やりすぎ」だと思っているような人は、
所詮は男脳的発想でしか理解しようとしていないのだ。
あのPVを見たら、どう考えても女の子にアプローチしているようにしか私には見えない。
あのカラフルさ、エロ可愛いさ、そして浮世絵離れしたフワフワ感の中に少しビビットな画作り。
夢を見たい女の子をターゲットに据え置いている。

女の子から見て魅力のあるグループになり、
そして競争力のあるメンバを確保し、
そして、それぞれの階層に適したグループにメンバを配置する。
という極真っ当なビジネス戦略なのである。

所詮、男なんてものは、女に支配されてしまうのだから・・。
全部わかられているんだよ。
男は残念な存在だ。


実は最初にヘビーローテーションを見たときに違和感を感じたが、
10回くらい見たら良さがよくわかって、
30回くらい見たら素晴らしい作品だと理解できた。
暇がなければこんな分析もできない。
日本人はせかせかし過ぎているから、仕組みの創造に目が行かないのだ。

水野氏投入で菅政権はリアリストになるか。

2010-07-29 15:02:51 | 哲学・思想
内閣府審議官に水野氏起用へ=民間の著名エコノミスト-政府
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2010072900413

水野和夫氏を投入ですか・・
いろいろやることが違うな菅政権は。
確かに彼は「新自由主義は終わった」と主張してますね。
そういうところは菅首相と一致するのかもしれませんね。
経済オンチを指摘されて、分析家を投入という感じでしょうか。

彼の歴史や哲学に関する分析はいいと思いますけれど、彼はポストモダン色が強くてね。。
夢のないエコノミストのイメージが強いけれど、そんな現実路線の分析を突きつけられて菅政権は大丈夫なのだろうか。
菅首相にはもう少しリアリストになって欲しいと思っている人には朗報だろう。
個人的には、水野氏は傾聴に値するエコノミストだと思いますけれど、行動派ではないから、政治の世界でもまれてどうなるか、悪い方向に振れなければよいなと願います。

AKB48という破壊的イノベーション 第1話 ~モーニング娘。~

2010-07-29 12:46:59 | AKB48
昨日は時間があったので、ひたすらAKB48について考えていた。
人気の秘密について考えていたら夜眠れなくなってしまって、そのまま朝を迎えてしまった。
おかげで朝の通勤電車で激しい腹痛を感じて途中下車という最低な事態を招いてしまったが、
しかし、なんとかありきたりではあるが個人的な答えを見つけることができた。

まず、始めに言っておくが私はAKB48のファンでもなければ、最近までメンバーの名前も知らなかった。
巷では人気があるらしいが、私もずいぶんと歳をとってしまって周囲に若い人がおらず、
体感温度としてAKB48の人気を感じることはできていない。
つい数週間前まで歌を聴いたこともなかった。
伝え聞く話とTVとインターネットの情報から人気があると考えているだけだ。

でも、実際に人気があると思う。
人気が出る要素を持っており、それは人々が欲してやまない要素でもあるからだ。
そして、それは政治を語る上で欠かせない要素でもある。


人気の理由について語る前に、そもそも、なぜ私がAKB48に強烈な関心を持っているのかを説明したい。
それは、たまたま先週の金曜日にSMAP中居くんの番組に出演していたゴマキを見たところから始まる。

今から10年ほど前だろうか、モーニング娘。に新メンバーとしてゴマキが加わると同時に発売された「ラブマシーン」は日本に衝撃を与えた。
見たものに与えるなんとも言えない違和感と高揚感。
そして、失われた10年の中で日本を覆っていた閉塞感を打ち破ってしまうような"勢い"だ。
「モーニング娘。」というグループ名からして奇をてらっているわけだが、「ラブマシーン」のインスピレーションは実に斬新で画期的だった。
人々が持つ凝り固まっていたアイドル像やエンターテイメントのイメージを、常識を破壊した。
エンターテイメント界に起きた破壊的イノベーションの匂いがした。

当時、人々は生活が豊かになるとともに、上質のエンターテイメントを求め彷徨っていた。
近代社会の必然として、人々は「生きるために必要な何か」ではなく、「生きていくために必要な何か」を求めるようになる。
エンターテイメント界は、そんな欲求に答えるべくして努力をした。
人々のより高度な要求に答えるべく、様々な試行錯誤が行われ、歌手やアイドルにもより高いハードルが設定されていた。
しかし、人間の物理的制約の変化速度は、人間の思考の変化速度よりも遅い。
エンターテイメント界は、留まることを知らない欲求に答えることができず、人々の心はとりわけマス・エンターテイメントから離れていった。
まるで、高度に発達したはずの現代科学をもってしても、今日的問題を解決できないように。

そこに颯爽と現れたのがモーニング娘。だった。

モーニング娘。は素人の集団で、メンバーもスタッフも、あらゆることが未完成で、従来のアイドル基準に照らし合わると多くの点で満たないものだった。
メンバー1人ひとりを見ると、到底ソロでは売り出せないレベルだったのでる。

だが、モーニング娘。は売れた。
そのふざけた名前からしても、誰もが一発屋で終わること前提のグループだと考えたが、デビュー後も売れ続けた。

人々は、高級路線のエンターテイメントに疲れ切っていたのだ。
毎日、高級料亭や三ツ星のフレンチで食事をし続けていたら、たまにはラーメン屋や牛丼、カレーなんかが食べたくなるだろう。
モーニング娘。は下位市場に照準を定めた新しいビジネスだったのだ。
しかし、初めは誰もがモーニング娘。をとるに足らない一過性の現象と決め付けていた。
だが、結局は多くの人々がモーニング娘。を選んだ。
人々は創られた既存のアイドルにはもう満足できなくなっていた。
リアルを求めていたのだ。
モーニング娘。は素人の女子がアイドルになっていく過程すらオープンにし、多くのリアルを提供したのだ。
パラダイムが変っていた。

そこに現れたのがゴマキであり、ラブマシーンであった。
一度見たら虜になる違和感と失笑と斬新さと軽蔑と、数多の感情とともに、既存パラダイムを破壊した。

その後、モーニング娘。を真似した後続者が多く現れたが、モーニング娘。は先行者としての優位を守った。
だが、モーニング娘。は下位市場から上位市場へと移行する中で、多くの点でビジネスモデル的な観点で失敗をした。
「創造、発展、維持」という3段階でいうならば、創造は巧く行ったが、発展の段階で失敗を埋め込み、維持の段階では失速に変った。
失敗点は多くあるが、中でも2つ大きな原因がある。

1つは、「つんくの存在」だ。
モーニング娘。のメンバーはつんくに決定権があった。
消費者がつんくの用意したメニューに満足するかどうかは、つんくの能力に依存した問題だ。
結局、モーニング娘。は創設したつんくの能力を超える存在にはなれなかった。

もう一つは、「イノベーションのジレンマ」である。
立ち上げ時と、発展期では、求めるものが変る。
モーニング娘。は下位市場から上位市場へと移行して、行き場を失ったのだ。
メンバーは、その時々のモーニング娘。に足りていないモノを持つ者が選ばれたし、今のモーニング娘。モデルを発展させるであろう人物が選ばれた。
懸命な判断であろう。
だが、それがモーニング娘。にとっては命取りになった。
結局、上位市場に合わせてアイドル化されてしまい、下位市場を手中に収めた時のような戦略がとれなくなっていたのだ。

モーニング娘。は失速し、そして事実上破綻した。

そして、今、AKB48という破壊的イノベーションがまた起きた。

ようやく本題である。

AKB48は、このモーニング娘。の問題をよく研究されてできたグループなのだと読み取ることができるのだ。
考えれば考えるほど、AKB48というプラットフォームは、非常に念密にビジネスモデルが練られている。
これは、只者ではないビジネスマンが考えたエンターテイメント・ビジネスモデルなのである。

疲れたので続きはまた・・・

社会保障という前に、そもそも人類は貧困に勝てるのか

2010-07-28 11:57:29 | 社会
最近、ベーシックインカムとかナショナルミニマムとか、そんな言葉が大流行しているようです。
かなりの知識人たちが口を揃えてそれらに言及しています。

ただ、私はこの議論に少し違和感を感じています。
ベーシックインカムを否定しているわけではありません。
むしろ、国家のリストラのためにもやるべきです。
複雑怪奇に入り組んだ行政の仕組みをベーシックインカムで統合して効率化を図るのは非常に有意なことだと思います。

しかし、私は、そういう議論の前に、するべき議論があるだろうと考えています。

どういう議論かというと、

そもそも我々には、我々全員の生活の質を保証するだけの力があるのか?

ということです。

多くの方が、それこそ高い意識をお持ちの方ほど、生活に困窮している人々や、将来の不安で震えている人々を助けたいと考えています。

「なんとかしなければならない。」
「この国の形を変える!」
「国の仕組みを変えて、新しい国家を構築するのだ!」
と考えている志ある、それこそ坂本龍馬のような人々は大勢いらっしゃいます。

しかし!
しかしですよ。

この国の形を変えたとして、それって本当に実現できるの?

「できるかできないかではない、やるのだ!」

やろうと思えばできるはずだ。ですか。
それはそれで気高き精神だと思います。
傾聴に値する意見です。
しかし、そのロジックは民主党の政権交代すれば何でもできると同じレベルのものです。

まず、我々は、我々の力を知るべきでしょう。
当Blogでいつも使う孫氏の兵法を思い出しましょう。

彼を知り己を知れば百戦危うからず。
彼を知らずして己を知れば一勝一敗。
彼を知らず己を知らざれば戦うごとに必ず危うし。

彼が貧困だとして、己は我々です。
今、我々はようやく貧困について知り始めた程度のレベルです。
己はどうですか。
我々は己について知っているといえますか。

貧困というのは、人類が生まれる前から、生物が生まれた時からずっと解決できずにいる問題です。
人類は、ほんのここ数百年というわずな期間、少し裕福になったということでしか過ぎません。
我々には、地球上から貧困を撲滅するだけの力があるのでしょうか。
これまで成し得なかったことが、どうして今、成し得ると確信できるのですか。

信じるのは自由です。
しかし、信じるだけでは状況は変りません。
我々には、まだ貧困を撲滅できる力はありません。

ないのです。

そういう都合の悪い情報を隠し、その上で砂上の楼閣を組み立てるばかりでは何も前には進みません。
これは、神の存在を無意識に是認している状況と同じです。
人類は(今でも)ある時期において、みな神の存在を前提としてあらゆることを語っていた。
それは時として、様々な時計の針を止めてしまいました。
現実を直視せず、己を知ろうとしなかったからです。

我々は現実を直視せねばなりません。
己についてもっともっと知ろうとしなければなりません。
利益を右から左に流すだけのゼロサムゲームはやめにすることです。

我々が、己から目を反らす限り、貧困という敵には勝てないでしょう。

辻元現象を巻き起こせ

2010-07-28 10:11:14 | 政治
私の離党届提出について(辻元清美)
http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2010/07/27-2007.html

私は、当然の帰着だと考えています。

私の意見に多くの人が理解を示してくれなかったのですが、
私は以前から権利を主張する人々を権力側に入れることについて賛同しています。

経済やら経営に見識のある多くの人達はこう言います。

そんなことしたら個別最適を指向する貪欲な人々に、貴重な資源を余すことなく貪られ、全体として損失を被ることになる。

確かにそうだと思います。
ですが、それでも私は個別最適指向な人々を権力側に取り込む努力を怠るべきではないと考えています。

理由は簡単です。

人というのは、問題を、自分の問題として認識しない限り、解決できないものなのです。
これが「責任」の本意なのです。

限定された個別最適を指向する人々は、自分達の問題しか認識していないから、全体の問題を取り扱わなければならない権力側の問題を解決することはできません。
トレードオフに気づけていないからです。

個別最適を指向する人々に、全体最適観点を持ってもらうためには、、全体最適が必要とされる立場に立たせてみるしかありません。
全体最適を自分の問題として認識してもらう以外にないのです。

ゆえに私は、全体最適論者が個別最適論者を見下して排除するのには賛成せず、むしろお互いの理解を共有する路線をとった方が近道だと思うのです。

朋有り遠方より来る

2010-07-23 14:31:01 | 哲学・思想

子曰く、学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。
朋有り遠方より来る、
亦た楽しからずや。
人知らずして慍みず、亦た君子ならずや。
(論語)

こちらに出張で着ている友と会った。
学生時代にいろんなことを語り合った友だ。
あの頃、自分が発していた言葉の意味を、今になって理解したりする。
まさに「学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。」である。

あの頃みた未来の自分には遠く及ばないかもしれないが、
決して退化などしていない。
進化していることには間違いない。
ただ、あの頃目指した自分とは違う自分になっているだけだ。

これは学びの本質的な問いを我々に投げかけている。

それは、人は学ぶ前に学んだ後の自分のことはわからないということだ。
だから学ぶ前に立てた計画や目標は、学んだ後にその意味を変えてしまうことが多い。
また、学んだことというのは、学んだ時に全ての結果が出るものでもない。
例えば、学校を卒業する時点で、学校で学んだことの全てを理解することは難しい。
往々にして、学校で学んだことは、卒業後、社会的生活の中で理解されることの方が多い。
理解というのもに限りはなく、何重にも繰り返し重ねられるものだからだ。

学んだことは、一度だけではなく、何度でも繰り返し我々に理解を求めてくる。
学びは決して完結しない。
そういう意味で、完結しない学びを提供できる教育こそ本来的な意味で意義深い教育といえるだろう。
教育機関が単に知識や技術を伝えるだけために存在するかのような幻想が日本を覆っている。

この国の形を変えるには

2010-07-20 10:11:42 | 政治
言うだけならタダなので勝手を言わせてもらうと・・。

改憲して「超大選挙区」がよいと思うのですが、だめでしょうか。
国会議員は、全国1選挙区で得票数の高い方から100人でよいと思います。
(首相の直接公選制度も兼ねるとか。)
小選挙区の2大政党制プレミアもよいですが、私は選挙区割りこそが国民の無責任化に拍車をかける主な元凶の一つと思います。
いろんな権威を破壊できると思います。

比例選出よりも選挙区選出の議員が権威があるとかないとか聞くとアホらしい気持ちになります。
誰が信任されているのか一目瞭然であるし、選挙活動に無理な地域バイアスがかからないし、地方票を集める政治家や、組織票を集める政治家などが出てきたりと特色が出ていいと思います。
国が割当てを決めなくても、都市部に対抗するために自然と地域連合できるかもしれませんね。
国と地域の形を考えるいい機会にもなるでしょう。

政治家一人ひとりの政党化が進むので、政界再編が加速します。
コーディネーションの失敗の結果である日本の政党編成も本来の立ち位置に戻ることでしょう。

何よりよいのは、国民の選択の重みが増すことです。
「自分達が選んだ政治家」という意識を強く持つことが重要かと思います。

問題は、超大選挙区に耐えうるだけの資質を持った政治家をどれだけ育成できるかですか。
ある程度を政党で吸収していたプレッシャーを政治家本人が受け止めることになるため、一人ひとりが首相ほどの重責を負うことになってしまう。
志ある人でなければできません。
給料や待遇を高くしてもいいし、また政治家を支援するシンクタンクも育つかもしれませんね。

民度が試される選挙制度ですよ。

[虐待] 本当の弱者は誰か?

2010-07-16 00:28:41 | 社会

【西淀川児童虐待死事件】虐待で衰弱死した聖香ちゃん。最期はベランダに放置され 「ここで寝る。おやすみなさい」(アルファモザイク)
http://alfalfalfa.com/archives/410603.html


大阪市西淀川区で昨年4月、松本聖香さん=当時(9)=を虐待し衰弱死させたとして、
保護責任者遺棄致死と死体遺棄の罪に問われた母親の松本美奈被告(35)の裁判員裁判の第3回公判が14日、大阪地裁(樋口裕晃裁判長)であった。
13日の公判で証言を拒否した内縁の夫、小林康浩被告(39)=起訴=の供述調書が証拠として採用され、検察側が朗読。
ベランダに放置された聖香さんの痛ましい最期の様子が語られると、傍聴席からすすり泣きが漏れた。

聖香さんは死亡前夜に小林被告から激しい暴力を受けてベランダにほうり出されたまま、翌日午後3時過ぎに亡くなったとされる。
検察側は、小林被告が見たベランダでの聖香さんの様子について
「横たわったまま右手を動かし『ひまわりを探している』と言っていた」
「(死亡直前の)午後3時前に『まだここで寝んの』と聞くと『ここで寝る。おやすみなさい』と言った。その後、身動き一つしなくなった」とする調書を読み上げた。

また、松本被告について「一番激しくたたいたりけったりしたときも、そばで『何でわからへんの』と聖香をしかっていた」などとする部分を朗読し、松本被告が虐待に同調していたと強調した。

一方、この日は弁護側の情状証人として松本被告の父親(66)が出廷。
事件当時の松本被告について「生活環境が苦しく、鬼の顔になっていた」と振り返った。

------------------

132 まりもっこり(埼玉県) :2010/07/14(水) 21:43:11.82 ID:viTAj/BL

ひまわりのことは昔の母親の思い出なんだろうか・・・?

135 柔道整復師(関西地方) :2010/07/14(水) 21:44:10.48 ID:aBitf4DX

6 名前:名無しさん@十周年 投稿日:2010/07/14(水) 20:51:56 ID:2WPU7SjM0
『ひまわりを探している』とはどういう意味だったのだろう
4月にひまわりとは


105 名前:名無しさん@十周年 投稿日:2010/07/14(水) 21:10:37 ID:jlA03K4F0
>>6
前夫との離婚前、弁当もって家族で遊びに行ったのがひまわり畑だったんだよ。



私は、彼女が最後に見たのは、決して「絶望」などではなく「希望」だったと思うんだ。
最期の最期まで、彼女は信じていたよ。
「ひまわり」は"すぐそこ"にあるはずだって信じてたよ。

胸が痛む話だ。
だが、これを親のせいにしていたのでは問題は何も解決しない。
親もまた追い詰められたウサギのような存在でしかないからだ。

当Blogでは前に説明したが、「罪を憎んで人を憎まず」の本意は、人に罪をきせたり、罰したところで何も解決しないという意味だ。
攻撃者は常に防御者なのだ。
恐れるから攻撃する。
臆病者は人を攻撃するのだ。

もし、我々が本当に虐待を解決したいと思うなら、虐待するものを守らなくてはならない。
彼らこそが本当の弱者だからだ。
これは我々の直感に反するかもしれない。
攻撃者を守るなどということは。

だが、これが真実だ。
虐待によって殺された彼女は強者だ。
このチャレンジの勝者は彼女なのである。

現に、ありったけの不幸を背負う事になったのは、虐待をした側であろう。

医療に破壊的イノベーションが起きる

2010-07-09 12:14:01 | ビジネス
近い将来、10~20年内に医療の世界に破壊的イノベーションが起きる。

医療業界の大きさは全産業の中で圧倒的に大きい。
公的部門が占める割合も大きいが、その潜在需要は全人類に共通しており、限りがない。
他にも、製薬業界上位10社が占める利益には、他産業が束になっても勝てない。
製薬業界では2010年問題が指摘され、今後は低減方向に向かうようだが、それで他を圧倒している。

なぜそんなことが可能か?

「健康」が人間にとっての最高の贅沢品であると同時に、その参入障壁の高さだ。
医療は強固な擦り合わせアーキテクチャによって成立している。
しかし、英サイエンス誌が言うように、どれだけ科学技術が進んでも病気は地球上から消え去ることはないし、万人に通じる医療も存在しない。
それに、実は多くの病気は気持ちで治る。
多くの臨床実験が物語っているが人間の自然治癒力は圧倒的で、この潜在力をいかに引き出すかも重要なのだ。

人類の前には、一体どういう道がある?

人間はいつか死ぬ。
なら諦めるべきなのか?

ただ死ぬだけか。
どういう生き方がある?

何を考えるべきなのか。

道はある。

人類の英知がこの壁を越える。
答えは「人類」が知っている。
我々は知らない。
「人類」が教えてくれる。

今、Googleが最も近いところにいるが、前にも当Blogで紹介したが、彼らは2007年に23andMeに出資し、2008年にGoogle Healthを立ち上げてから特に動きがない。
Google Healthからスピンオフしたアダム・ボズワースが立ち上げたKeasだが、彼らも何かピンボケたことを言っている。
初めは、わざととぼけているとばかり思っていたが、どうもGoogleはビジネスモデルとプラットフォームのそのほとんどを持っていながら、肝心の中核部分となるものを持っていないのではないか。
いや、もしかすると、KeasもGoogleも、既存のGoogleのビジネスモデルのそのパラダイムから抜け出せていないのではないか。
であるならば、KeasもGoogleも、あくまでも情報工学の分野からのアプローチでしかない。
もし、そうなら何度も繰返すように、ここに千載一遇のチャンスがある。

先日、私がこの破壊的イノベーティブなビジネスモデルを発想する元となった研究をしている研究者の話を再度伺う機会があったのだが、彼も全く同じ発想をしていた。
元ネタは彼だから、キャッチアップしたのは私の方だが、見ている方向が同じということでより自信を深く持った。
また、私だけでなく彼の説明を聞いてもこのアイディアを理解できない人達がほとんどなのである。
これで私の確信はより先鋭化されリアルになる。

この破壊的イノベーションは、医療の強固な擦り合わせアーキテクチャを破壊する。
人類社会にこれだけ貢献することもあるまい。