進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

天の時、地の利、人の和

2012-08-28 10:48:05 | スピリチュアル
単なる故事の話





孟子曰
天時不如地利
地利不如人和


孟子いわく、
天の時は地の利に如かず
地の利は人の和に如かず


孟子は言う。
天のもたらす幸運は地勢の有利さには及ばず、
地勢の有利さは人心の一致には及ばない。



この孟子が戦略について語ったとされる言葉を、通常はこう解釈する。


何かを達成しようとするとき、

天の時を得ていても、

地の利がなければ成就することはできず、

地の利を得ていても、

人の和がなければ、これも成就することはできない。

人の和が何よりも重要である。


と。

「人は財なり」とよく言う。

個人的には、この言葉をさらにもう少しだけ進めて解釈することも優位であろうと思う。

実は、この言葉には続きがある。

(訳は面倒なので、ネットからコピペします。)

http://members.jcom.home.ne.jp/diereichsflotte/XunziMencius/LuckyIsNotAsLooksIsNotAsCooperation.html


三里之城、七里之郭、環而攻之而不勝。
夫環而攻之、必有得天時者矣。
然而不勝者、是天時不如地利也。
城非不高也。
池非不深也。
兵革非不堅利也。
米粟非不多也。
委而去之、是地利不如人和也。

故曰、
『域民不以封疆之界、
固国不以山谿之険、
威天下不以兵革之利。』
得道者多助、
失道者寡助。
寡助之至、親戚畔之、
多助之至、天下順之。
以天下之所順、攻親戚之所畔。
故君子有不戦。
戦必勝矣。



三里四方の内城と七里四方の外城を持つ程度の、たいして大きくもない町を攻囲しても勝てない。
そもそも攻囲を行っていれば、必ず天のもたらす幸運が訪れるときがある。
それなのに勝てないのは、天のもたらす幸運が地勢の有利さには及ばないからである。
城壁が高くないわけではない。
堀が深くないわけではない。
武器が鋭くなく、防具が頑丈でないわけではない。
食料が足りないわけではない。
それなのに、これらを放棄して退却せねばならなくなるのは、
地勢の有利さが、人心の一致に及ばないからである。

だから、
『民衆を領内のとどめるのに、盛り土による境界線を使わず、
国の守りを固くするのに、地形の険しさを頼らず、
天下を自らの威令の下に敷くのに、軍事力の優越を用いない。』というのである。
正しい道を心得ている者は、多くの援助が得られ、
正しい道を失っている者は、少ない援助しか得られない。
援助が少ない者の、極端な場合には、親戚さえもこれに背き、
援助が多い者の、極端な場合には、天下さえもこれに従う。
天下が従うところを以て、親戚さえも背くところを攻める。
だから、君子は戦うまでもないのだ。
戦えば必ず勝つ。



端的に言うと、正しい道を進めば、天下さえも従い、戦うまでもなく勝つことができる。

ということだが、結論だけに注目して、ついつい「人の和」に注目してしまいがちだ。

ただ、孟子が言いたかったことは、「人の和」が何より大事というようなことではなく、

「天の時」「地の利」「人の和」の3つを得ることが大事なのだが、

その3つを得るためには「人の和」を重んじることが大事だということだと私は思う。

それゆえ、「人」というより「天地人」というフレーズで覚えた方がいいのではないだろうか。



なにゆえ、このような話をしているかというと、「チャンスの順番」という言葉が多用されるにつき、誤解の可能性を感じるからだ。

人によって解釈が変わるこの言葉で、もちろん非常に立派な理解をしている人も多いのだが、そうでもない人も中にはいる。

そういう場合、「チャンスの順番」=「天地人」と解釈したら、わかりやすいのではないかという気がする。


かえってわかりにくいという人は、使わないでください(笑)

祭りのあと

2012-08-27 21:31:49 | スピリチュアル
私の通っていた小学校には、その地域の祭りの日に休校になる伝統があった。

規則があったわけではないが、暗黙の了解として休校になるその日に、子供たちは祭りに参加することが求められていた。

もちろん、当時はみな何も考えずに参加していた。

地域の祭りのため、みな親と一緒に参加していたのだから、参加しないという選択肢などなかった。

だが、私は考えてしまうダメな子供だった。

なぜ参加したくないのに、参加しなければならないのか。

親と現地集合の約束をすると、私は家を出て集合場所に行くふりをして、逃げた。

自分が楽しくないのに、みんなのための祭りに付き合うのがバカバカしかったからだ。



当然、後でこっぴどく怒られた。

親とすれば、現地で私が来ることを待っていたのだ。

後で聞いた話では、みんなに心配される中、父親は「大丈夫、必ずくるはずだからと。」と私を信じてずっと待っていたらしい。

親に恥をかかせた以上に、身近な人の信頼を裏切ったことにはさすがに胸が痛んだが、当時の私には、そんなことで感傷に浸るほどの思慮深さもなければ、まずもって人生に期待などしていなかった。

人生を悲観していたら、誰かのことを気にかける必要性があるわけがないのだ。



なんでこんなくだらない昔話をしているかというと、急に「祭り」について語りたくなったから。

「祭り」の起源は、五穀豊穣を祈る神事だったとされる。

そこから幾多の変遷を経て今に至るわけだが、基本的には「信じること」が初めにあるのだと思う。

五穀豊穣を祈るにしても、その行為が、祈りが五穀豊穣につながると信じるから、祭るのだと思う。

地域から切り離された現代人は、ワールドカップやオリンピックという祭りに熱狂するわけだが、それも世界一や金メダルに価値があるとみな信じているからだ。



祭りをするのに、どれだけ多くの人が信じるか、が極めて重要だ。

地域のみなが農業を生業としていたら、五穀豊穣を祈る祭事に意味があると、みなが信じるのは容易い。

しかし、今の日本のように、国民の生活水準が高く、ほとんどの人々が衣食住にさほどこまらない状況に置かれていたら、資本主義が進める分業の力がより一層働いて、みなが違うことに精を出すことになるから、みなで同じことを信じるのは極めて難しくなる。

みなで何かを共有するとしたら、ワールドカップやオリンピックのように国家や国民というアイデンティティを基礎としたものや、東日本大震災や福島原発事故のような国家的危機くらいしか、ないのが現実だ。



マスの力を利用したい人々(それは結局、人々が心の底では祭りを求めているから、それを提供したいと思う人々が現れる)は、みなで祭れるものを日々探している。

それで、どこかで何かの祭りを見つける度に、その祭りについて「こんな祭りがありますよ!みんなで楽しみましょう!」というようなことをやってしまう。

「誰かの祭り」を「みんなの祭り」にしようとしてしまう。

だけれども、それは「みんなの祭り」ではない。

「これは楽しいものです!みんな参加しましょう!」などと言ってみても、聴いている人の心に響くわけがない。

「みんなのための祭りに付き合うなんてバカバカしい。」と思った子供の頃の私のように。



では、祭りを盛り上げようとする人は、どうするべきなのか。


繰り返しになるが、祭りというのは、信じることが最初にあるのだ。

であるならば、その「祭り」の未来に信じるべきものがある、ということを主張すべきであろう。

祭りを盛り上げようと、楽しくしようと努力するだけでは不十分だ。

それでは、所詮は自己満足に過ぎないと見透かされるだけで、祭りの後に何も残らず終わってしまう。



みんなにとって、その未来に信じるべきものがある。

ということを丁寧に説明すべきなのだ。

どれだけ多くの人に、その未来に信じる価値がある、と思うだけのものを発信できるかどうかに、そのものの行く末は大きく左右されることであろう。

その先の未来を見たくなるからだ。

車が通らない横断歩道の赤信号で、青信号を待つこと

2011-10-20 00:23:15 | スピリチュアル
伊集院光が語る「iPhone 4s発売日の行列はオカシイ」
http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-1723.html

う~ん、ピンとこないね。
人間って合理的な生き物じゃないから、全然おかしくないと思うけど。
だって並ぶことが幸せなんだもの。
デジタル技術がどう発展しようが並びたくなるんじゃないかな。
並ぶことがフォーカル・ポイントなら、そうなる。

車が通らない横断歩道の赤信号で、青信号を待つってことと同じさ。
合理的でないね君はって言うのは簡単だけど
なんで渡らないの?って聞くことに意味があるかな?

お釈迦様が「人生は苦だ」と言いましたと。
個人的には、その発言自体がすごくショッキングなことなのだけど、まぁそれはおいといて、
人生が苦なら死ぬのが善ですか?
遅かれ早かれどの道死ぬのに生きるのは無駄なことですか?

物語るってことなんじゃないかな。
生きるということは。
誰もが、自分自身の人生を生きているのさ。

スティーブ・ジョブズは自閉的だが江頭2:50は哲学的

2011-10-15 09:02:16 | スピリチュアル
個人的にはスティーブ・ジョブズよりも江頭2:50の方が深いしカッコいいと思う。
ジョブズは自閉的だけど、江頭は哲学的。

江頭2:50の好きな名言ランキング(goo)
http://ranking.goo.ne.jp/ranking/022id/egashira_quotations/


1位: 1クールのレギュラーよりも、1回の伝説。

2位: 99人があきれても、1人が笑うなら俺達の勝ちじゃねぇか。

3位: やろうと思ったら今すぐやれ!人生に保険なんてないんだよ!

4位: 謙虚と臆病を間違えるな!日本人!!

5位: おい!おい!おまえはいつだって全力だったと言えるのか?俺は言える!!!!

6位: 本気でやらないと、本気で笑えないんだよ。

7位: 幸福は自己満足。不幸は被害妄想。

8位: 人生は何度だってリセットできんだよ。 俺を見ろ。笑え。 笑って泣け。

9位: あのね、目が前についてるのは前に進むためなんだよ。

10位: オレはお金ないからさ。体で払ってきただけなんだよ

怪盗スティーブ・ジョブズ その魂よ 永遠に

2011-10-06 18:58:07 | スピリチュアル
本日の私のRSSリーダーがスティーブ・ジョブズ関連の記事で埋め尽くされてしまった。
私自身、直接彼と会ったことはない。
しかし、その存在感の大きさは十分に伝わってきていた。

彼の名言は数知れないが、中でも、2005年にスタンフォード大学の年卒業式で行われた彼のスピーチは「伝説のスピーチ」と呼ばれている。
彼への哀悼の意を表して、全文を掲載することにする。
少し長いが、一読することをお勧めする。
これが現在世界で最も価値の認められる企業を創り上げた人間の言葉だからだ。

英文はスタンフォード大学で公表されている原稿をそのまま使用し、
日本語訳については↓こちらの2つのページのものを個人的趣味でMixしています。

himazu archive 2.0
https://sites.google.com/site/himazu/steve-jobs-speech

http://sago.livedoor.biz/archives/50251034.html

※太文字強調は私によるもの


Thank you.

I'm honored to be with you today for your commencement from one of the finest universities in the world. Truth be told, I never graduated from college, and this is the closest I've ever gotten to a college graduation. Today, I want to tell you three stories from my life. That's it. No big deal. Just three stories.


今日、皆が世界最高の大学の1つを卒業する場に同席できて光栄に思う。私は大学を卒業したことがない。本当のところ、これは私にとって最も大学卒業に近い体験だ。 今日は皆に私の人生から3つの話をしたい。それだけだ。大したことじゃない。3つだけだ。


The first story is about connecting the dots. I dropped out of Reed College after the first six months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit. So why did I drop out?


最初の話は点をつなぐことについて。
私はリード大学を6ヶ月で中退したが、更に1年半ほど後に完全に辞めるまで、もぐりの学生として大学に顔を出していた。ではなぜ中退したのか。


It started before I was born. My biological mother was a young, unwed graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife -- except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl.


話は私が生まれる前に遡る。私の産みの母は若い未婚の大学院生で私を養子に出すと決めていた。生みの母は養父母は大学卒でなければととても強く思っていたので、私は生まれると同時に弁護士夫妻の養子になるよう万事整っていた。ところが、私が生まれるとその夫妻は女の子が欲しかったと言い出した。


So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking, "We've got an unexpected baby boy; do you want him?" They said, "Of course." My biological mother found out later that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would go to college. This was the start in my life.


そこで待機者リストに載っていた私の両親は夜中に電話を受け、「望んでいなかった男の子が生まれました。この子を養子に欲しいですか?」と聞かれた。両親は「もちろんです」と答えた。産みの母はその後、私の母は大学を卒業していないし、私の父は高校を卒業していないことを知り、最終的な養子縁組の書類に署名することを拒んだ。何ヶ月かして私の両親が私を大学にやると約束した時点で産みの母はやっと態度を緩めた。


And 17 years later I did go to college. But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn't see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out. And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life.


そして17年後私は実際に大学に通った。しかし、私は無邪気にもスタンフォードとほとんど同じくらいお金のかかる大学を選び、労働者階級の両親の蓄えはすべて大学の授業料に使われていた。6ヵ月後私はそれに価値が見出せなかった。私は人生で何をしたいか見当も付かなかったし、大学がそれを見つけるのにどう役に立つかも分からなかった。そして、その時点で私は両親がそれまでに貯めたすべてのお金を食いつくしつつあった。


So I decided to drop out and trust that it would all work out okay. It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made. The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn't interest me, and begin dropping in on the ones that looked far more interesting.


そこで中退を決意し、万事問題ないと信じることにした。その時はとても不安だったが、振り返って見ればそれはこれまでにした最良の決断の1つだった。中退した瞬間から興味を持てない必須科目の授業に出るのを止め、面白そうなものに出席し始めることができた。


It wasn't all romantic. I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms. I returned coke bottles for the five cent deposits to buy food with, and I would walk the seven miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. Let me give you one example:


夢のようなことばかりではなかった。寮に自分の部屋はないので友達の部屋の床で寝て、コークの瓶を何本も店に返して1本当たり5セントを受け取って食べ物を買い、クリシュナ 教の寺院で1週間に1回のまともな食事をとるために毎週日曜日の夜、街を横断して7マイル歩くことも厭わなかった。そんな日々がたまらなく好きだった。そして、自分の興味と直感に従った結果出くわしたものの多くは、その後、お金に換えがたいものとなった。たとえばこうだ。


Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed. Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and san serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.


当時のリード大学はたぶん、この国で最高の文字芸術(calligraphy)の授業を行っていた。キャンパス中のすべてのポスター、すべての引き出しのラベルが美しく手書きされていた。私は中退していて普通の授業を受ける必要はなかったので、文字芸術の授業を取ってその手法を学んだ。セリフとサンセリフの書体について、文字の組み合わせによって文字間のスペースを変えることについて、素晴らしい印刷物は何が素晴らしいのか、を学んだ。それは美しく、歴史的で、科学では捉えられない芸術的繊細さで、私には魅力的だった。


None of this had even a hope of any practical application in my life. But ten years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me. And we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the "Mac" would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts. And since Windows just copied the Mac, it's likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on that calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backwards 10 years later.


これらのどれも私の人生で実際に活用する見込みはなかった。しかし10年後最初のマッキントッシュを設計しているときにそれが私に蘇ってきた。そしてそれをすべてマッキントッシュの設計に取り入れた。マッキントッシュは美しい印刷技術を組み込んだ最初のコンピューターとなった。私が大学を中退してその授業を受けていなければ、マックが複数の書体やプロポーショナルフォントを持つことはなかっただろう。そしてウィンドウズはマックをコピーしただけなので、どのパソコンも持たなかっただろう。私が大学を中退しなかったら、その文字芸術の授業を受けなかっただろうし、パソコンは現在のように素晴らしい印刷技術を備えることはなかったかも知れない。もちろん私が大学に居たときに先を見越して点をつなぐことは不可能だった。しかし10年後に振り返ると、とてもとても明白だった。


Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something -- your gut, destiny, life, karma, whatever -- because believing that the dots will connect down the road will give you the confidence to follow your heart, even when it leads you off the well-worn path, and that will make all the difference.


もう一度言います。未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。



My second story is about love and loss.


2番目の話は大切なものとそれを失うことについて。


I was lucky -- I found what I loved to do early in life. Woz and I started Apple in my parents' garage when I was 20. We worked hard, and in 10 years Apple had grown from just the two of us in a garage into a two billion dollar company with over 4000 employees. We'd just released our finest creation -- the Macintosh -- a year earlier, and I had just turned 30.


私は幸運だった。人生の早い時点でたまらなく好きなことを見つけた。20歳のとき私は実家の車庫でウォズといっしょにアップルを始めた。私たちは懸命に働いて、10年でアップルは車庫のたった2人から4000人以上が働く20億ドル企業になった。1年前に私たちの最高の創造物であるマッキントッシュを出したばかりで、私は30歳になったばかりだった。


And then I got fired. How can you get fired from a company you started? Well, as Apple grew we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so things went well. But then our visions of the future began to diverge and eventually we had a falling out. When we did, our Board of Directors sided with him. And so at 30, I was out. And very publicly out. What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating.


そして私は首になった。どうしたら自分が作った会社を首になれるかって?そう、会社が成長する過程で一緒に会社を経営するのにとても才能のあると思えた人を雇い、最初の1年ほどはうまくいった。しかしその後、将来のビジョンが分かれ始め最終的に仲たがいとなった。そうなったとき取締役会は彼の側に付いた。それで私は30歳にして失職した。しかも、とてもおおっぴらに。私は大人としての人生全体の中心だったものを失い、それは衝撃的だった。


I really didn't know what to do for a few months. I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down -- that I had dropped the baton as it was being passed to me. I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly. I was a very public failure, and I even thought about running away from the valley. But something slowly began to dawn on me: I still loved what I did. The turn of events at Apple had not changed that one bit. I had been rejected, but I was still in love. And so I decided to start over.


何ヶ月か何をすべきか全く分からなかった。一世代前の起業家達を失望させたのではないかと感じた。私に渡されつつあったバトンを落としてしまったと。デービッド・パッカードとボブ・ノイスと会った。そして、失敗してしまったことを謝ろうとした。私はよく知られた落伍者となり、シリコンバレーから逃げることも考えた。しかし、何かが徐々に私の中で湧き上がってきた。自分がしてきたことが、まだたまらなく好きだった。アップルでの出来事はほんの少しの影響も与えなかった。私は拒絶されたが、まだたまらなく好きだった。そして私はやり直すことを決意した。


I didn't see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me. The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything. It freed me to enter one of the most creative periods of my life.


そのときには分からなかったが、アップルを首になることは私に起こり得る最善のことだった。成功していることによる重圧は、再び新参者となったことによる軽快さで置き換えられ、何事にも確信の度合いが減った。私は人生で最も創造性豊かな時期へと解き放たれた。


During the next five years, I started a company named NeXT, another company named Pixar, and fell in love with an amazing woman who would become my wife. Pixar went on to create the world's first computer-animated feature film, Toy Story, and is now the most successful animation studio in the world. In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT, and I retuned to Apple, and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple's current renaissance. And Laurene and I have a wonderful family together.


それから5年間、私はNeXTという会社を起こし、もう1つPixarという会社も起こし、素晴らしい女性と恋に落ち結婚した。Pixarは世界初のコンピューターアニメーションの長編映画、トイストーリーを製作するまでになり、現在最も成功しているアニメーション制作会社だ。驚くべき事態の展開により、アップルはNeXTを買収し、私はアップルに戻り、NeXTで開発された技術は現在進行中のアップルのルネッサンスの中核をなしている。そして、ローレンスと私は素晴らしい家庭を築いている。


I'm pretty sure none of this would have happened if I hadn't been fired from Apple. It was awful tasting medicine, but I guess the patient needed it. Sometime life -- Sometimes life's going to hit you in the head with a brick. Don't lose faith. I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You've got to find what you love.


ここで確かなのは私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったということです。それは大変苦い薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。人生には頭をレンガで殴られる時があります。しかし信念を失わないこと。私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛しているからということに他なりません。君たちも自分が好きなことを見つけなければなりません。


And that is as true for work as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do. If you haven't found it yet, keep looking -- and don't settle. As with all matters of the heart, you'll know when you find it. And like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So keep looking -- don't settle.


それは仕事でも恋愛でも同じこと。これから仕事が人生の大きな割合を占めるのだから、本当に満足を得たいのであれば進む道はただひとつ、それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること。もし見つからないなら探し続けること。落ち着かないこと。心の問題と同じで、見つかったときに分かるものですし、愛する仕事というのは、素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに自分を高めてくれるものです。だから探し続けること。落ち着いてはいけない。



My third story is about death.


3番目の話は死について。


When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I've looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.


私は17歳の時、こんな感じの言葉を本で読みました。「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そうすればいつかあなたが正しいとわかるはずです。」これには強烈な印象を受けました。それから33年間毎朝私は鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だしたら今日やる予定のことは私は本当にやりたいことだろうか?」それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと私は「何かを変える必要がある」と自覚するわけです。


Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything -- all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure -- these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.


自分が間もなく死ぬことを覚えておくことは人生の重要な決断を助けてくれる私が知る限り最も重要な道具だ。なぜならほとんどすべてのこと、つまり、他の人からの期待や、あらゆる種類のプライド、恥や失敗に対するいろいろな恐れ、これらのことは死を前にしては消えてしまい、真に重要なことだけが残るからだ。いつかは死ぬということを覚えておくことは落とし穴を避けるための私が知る最善の方法である。何かを失うと考えてしまう落とし穴を。あなたはもう丸裸だ。自分の心のままに行動しない理由はない。


About a year ago I was diagnosed with cancer. I had a scan at 7:30 in the morning, and it clearly showed a tumor on my pancreas. I didn't even know what a pancreas was. The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months. My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctor's code for "prepare to die." It means to try and tell your kids everything you thought you'd have the next 10 years to tell them in just a few months. It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family. It means to say your goodbyes.


約1年前私はガンと診断された。朝7:30にスキャンを受け、膵臓にはっきりと腫瘍が映っていた。私は膵臓とは何かも知らなかった。医者達はこれはほぼ間違いなく治癒しない種類のガンだと告げ、3ヶ月から6ヶ月より長くは生きられないと覚悟するように言った。医者は家に帰って身辺整理をするように勧めた。これは医者の言葉で死の準備をせよということだ。子供にこれから10年間に教えようと思っていたことすべてをたったの数ヶ月で教えろということだ。可能な限り家族が困らないように万事準備が整っていることを確かめておけということだ。別れの言葉を言っておくようにということだ。


I lived with that diagnosis all day. Later that evening I had a biopsy, where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor. I was sedated, but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope the doctors started crying because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery. I had the surgery and, thankfully, I'm fine now.


私は一日中その診断と共に過ごした。夜になって生体検査を受けた。つまり、内視鏡を喉、胃、腸を通して膵臓に針を刺し腫瘍から何個か細胞を採取したのだ。私は鎮静剤で眠っていたが妻もそこに居たのでその時の様子を教えてくれた。医者達は細胞を顕微鏡で見ると叫び出したそうだ。なぜなら非常に稀な形体の膵臓ガンで手術で治癒可能なものと判明したからだ。私は手術を受け今は全快している。


This was the closest I've been to facing death, and I hope it's the closest I get for a few more decades. Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept: No one wants to die.


これはこれまでで最も死に接近した体験だ。そして何十年かに渡ってこれが最接近であり続けて欲しいと願っている。この体験を経て、死が有用ではあるが純粋に概念上のものであった時よりはより自信を持って次のように言える。


Even people who want to go to heaven don't want to die to get there. And yet death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life. It's Life's change agent. It clears out the old to make way for the new. Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it's quite true.


死を望む者はいない。天国へ行くことを望む人でさえ、そのために死にたいとは思わない。それでもなお死は我々すべてが共有する運命だ。それを免れた者はいない。そしてそうあるべきなのだ。なぜなら死はほぼ間違いなく生命による最高の発明だからだ。死は生命に変化をもたらす主体だ。古き物を消し去り新しき物に道を確保する。現在は皆が新しき物だが、いつかそう遠くない将来皆は徐々に古き物になり消し去られる。芝居がかった表現で申し訳ないが正に真実だ。


Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma -- which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.


君たちが持つ時間は限られている。人の人生に自分の時間を費やすことはありません。誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。自分の内なる声が雑音に打ち消されないことです。そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従い、勇気を持って行動することです。心や直感というのは、君たちが本当に望んでいる姿を知っているのです。だから、それ以外のことは、全て二の次でも構わないのです。


When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the "bibles" of my generation. It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch. This was in the late 60s, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors, and Polaroid cameras. It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along. It was idealistic, overflowing with neat tools and great notions.


私が若い頃 "The Whole Earth Catalogue 全地球カタログ" というすごい出版物があって、私と同じ世代ではバイブルのように扱われていました。それはステュアート・ブランドという人が、ここからそれほど遠くないメンローパークで制作したもので、彼の詩的なタッチで彩られていました。1960年代の終わり頃はパソコンもDTPもない時代ですから、全てタイプライターとハサミとポラロイドカメラで作られていました。それはまるでグーグルのペーパーバック版のようなもので、グーグルが35年遡って登場したかのような理想的な本で、すごいツールと壮大な概念に溢れかえっていました。


Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue. It was the mid-1970s, and I was your age. On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous. Beneath it were the words: "Stay Hungry. Stay Foolish." It was their farewell message as they signed off. Stay Hungry. Stay Foolish. And I've always wished that for myself. And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.


スチュアート達は全地球カタログの版を幾つか重ね、自然な成り行きとして最終版を迎えた。それは70年代半ばで私は皆の年齢だった。最終版の裏表紙は朝の田舎道の写真で、冒険好きがヒッチハイクをしていそうな場面だ。その下にこんな言葉がある。「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ」。これはスチュアート達が活動を終えるに当たっての別れの言葉だ。ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。そして私は常にそうありたいと願ってきた。そして今、皆が卒業して新たに歩みを始めるに当たり、皆もそうあって欲しいと思う。


Stay Hungry. Stay Foolish.



ハングリーであれ、バカであれ。



Thank you all very much.


ご静聴どうもありがとう。


また、これも彼の名言だ。


ピカソには格言がある。彼はこう言った。
そこそこのアーティストはコピーし、偉大なアーティストは盗む。
私たちは前から偉大なアイディアを盗むことを恥ずかしいとは思っていなかった。


全世界の人々の心を盗んだ大泥棒、その名はスティーブ・ジョブズ。
永遠に。

たった一つの言い訳

2011-09-20 10:14:15 | スピリチュアル
準備をせずに機会だけを望む者は、

その機会が目の前を通り過ぎても遣り過ごし、

「今日は運がなかった。」という。

しかし、明日も、明後日も、運がなかったと言い続けるうちに、

機会はありふれた日常の風景と化す。

そして、そんなことを繰り返していると、

いつしか、「自分の人生には運がない。」と言い出す。

人生は機会に溢れているのに、

たった一つの言い訳が、人生をつまらないものにする。

呼吸を意識した途端に、息をするのが辛くなる

2011-09-15 22:27:08 | スピリチュアル
誰かが言った。


「呼吸を意識した途端に、息をするのが辛くなる。」


と。


人には、心の奥底に閉じ込めて起きたいものもある。


あの時、あの瞬間、あのこと、今かもしれない。


本当は意識していたいけれど、それが辛いから、どうしようもなくて。


それで、息を止めて、少し苦しくなったら息をする。


深くふかく息をする。


息をするのが、幸せだ。


こんなにも素晴らしいことだったなんて、と感じ入る。


そして、しばらくすると、何もなかったように息をするのを忘れる。



今、息をするのが辛い。

大人になるということ

2011-04-27 21:39:56 | スピリチュアル
心は目に見えない。

だから人は表面的なものを繕ってしまう。

誤魔化せると思うからだ。

そして一度隠せると思ってしまえば、どこまでも表面的になってしまう。

たいてい大人になる過程でこの嘘を覚える。

しかし、人は心に嘘をつけない。

よって表面と内面との矛盾は避けられない。

大人になると悩みは増える。

時に純真さを失うという。

心が見えないということが、葛藤を生み出のだ。

ただ、人は葛藤のうちにしか成熟することができない。

大人になるということだ。

生きるということが善なら、完璧な答えなんてあるわけない

2011-04-18 16:32:53 | スピリチュアル
つぶやきもしたがブログでも語る。

池田信夫氏は、もともと批判されることが多い人だが、今回の原発でも相変わらずだ(笑)
ただ、批判者は最初から彼に対して偏見を持っているようで、内容を見ると感情的な批判が多い。

例えば、この記事を読んで欲しい。
この記事の本質的な内容は、当Blogでも何度も繰り返した人間の持つバイアスの話である。
念押ししておくが、著者が語りたいのは人間は全てのリスクを公平に評価していないというバイアスの話である。

世界は史上最も安全である - 『リスクにあなたは騙される』(池田信夫)
(http://p.tl/-zdT)

[前略]

このようなバイアスには明らかな法則性があり、その原因は進化心理学でよくわかっている。人間の脳は旧石器時代から進化しておらず、人々は感情で動くからだ。

あなたの脳の中には、旧石器時代から変わらない反射的な感情(古い脳)と、新しい知識を学習して論理的に思考する理性(新しい脳)が同居しており、まず行動を決めるのは感情である。特に強い感情は、恐怖である。これは命を守るためのメカニズムなので、理性を超えて強く作動する。だから「放射能がくる」などとわずかな恐怖に訴えることが、メディアが売るための常套手段である。

古い脳のもう一つの特徴は、変化率に反応することだ。これは進化の戦略としては合理的である。外界から入ってくる情報は膨大なので、それをすべて処理することはできない。画像圧縮と同じように計算を省略し、変化する部分だけを認識して動く相手から逃げるのだ。このため人々は、ありふれた大きなリスクより新しい小さなリスクに強く反応する。

しかし統計的にみると、人類は歴史上もっとも安全な世界に住んでいる。1900年にアメリカで生まれた子供の20%が5歳までに死んだが、その比率は今では0.8%である。日本の平均寿命は1900年には44歳だったが、今は82歳である。「癌の死亡率が上がった」と騒ぐ人がいるが、それは他の病気で死ぬことが減ったからだ。客観的リスクを評価するには、変化する「事件」に過剰反応するバイアスを自覚し、新しい脳を使って数字を見ることが大切である。


しかし、多くの批判者は池田氏が原発事故の被害を過小評価していると批判する。
これは本質的に批判する内容を間違っている。

原発事故の被害を正確に捕捉することはもちろん非常に重要だ。
それはそれで事実ベースで議論すればいい。

ただ、彼がここで問題にしているのは「原発事故の正当な評価」ではなくて「原発と他のものとの間での正当な評価」である。
「原発の被害は大きいか」ではなくて「原発の被害が他と比べてどの程度大きいか」「被害全体を減らすためにどういった政策が望ましいか」という話である。

なぜこのようなバイアスの話をする必要があるかは、冒頭に書いてある。(私も震災後に取り上げたネタだ)


9・11のあと飛行機に乗る人が激減し、人々は自動車など他の交通手段を利用した。その結果、死者は減っただろうか? 残念ながら2001年の9月以降の1年間に、アメリカで飛行機の代わりに自動車を使った人は1595人死亡した。同じ距離を移動する交通手段としては、飛行機がもっとも安全であり、自動車がもっとも危険だが、人は一挙に多くの人が死ぬ事故でリスクを評価する。

このようなバイアスが、もっとも愚かな政策を生んだのが、本書のテーマである「テロのとの戦い」である。イラク戦争では民間人を含めて数万人の死者が出たが、テロの犠牲者は全世界で年間300人前後で変わらない。これは1年間にプールで溺死するアメリカ人の数より少ない。平均的なアメリカ人がテロで死ぬ確率は1/10000以下だが、これは落雷で死ぬのと同じぐらいの確率である。


この意見に対する反論として「だからといってテロを警戒しなくてよいということにはならない。」というものがあり、それはその通り。
テロを警戒しないと、より大きなテロが起きる可能性もあるからだ。
だが、テロを警戒することが同時にテロよりも多くの被害者を生んでいるという事実にも目を向ける必要があるということだ。
(テロの怖さはここにある。戦争で勝つ必要がない。人々の心を実効支配できればよいのだ。)

「なんだ?結局お前も答えのない話じゃないか。」と思った人がいれば、少し思考の訓練が足らないようだ。
この世に、完璧な答えなんてない。
例えば、生きるということを善として考える。
しかし、人は100%死ぬ。死亡率でいえば100%。
だから放射能や交通事故や排ガスや癌で死ななくても、必ず何かで死ぬ。
今日、あなたが脱線事故で死ななかったら、明日交通事故で死ぬ確率は上がる。
かりに20年間は交通事故で死ななかったとしたら、癌で死ぬ確率は上がる。
人は必ず何かで死ぬ。
生きるということにこだわる以上、死に関わる全ては襲いかかってくる恐怖になる。
そして、それから逃れることはできない。

生きるということが善なら、完璧な答えなんてあるわけない。
だから人々は宗教に頼る。
よりよい生とは何かを考える。
人生の意味を考える。
そうやって生きていくしかない。

我々にできることは、何によって死にたいかってことと、そのために何ができるかってことを冷静に議論することだけだよ。

もともとリスクに関する議論は迷走しがちだ。
人間の予知能力はたいしたことがないし、知性も理性も完璧からは程遠いレベルだ。
我々が限定合理性の中でしか判断できないことは、議論の前提中の前提。
だから、どんな人も議論する際には少し謙虚になった方がよい。
できれば、原発に関しても、もう少し冷静な議論を心がけたい。
もちろん私もだ。

桜の「はかなさ」について

2011-04-12 17:02:31 | スピリチュアル
桜の「はかなさ」について。

日曜日は花見日和であった。桜のあるところに人々がにぎやかしく集まり、酒を飲み交わし、一時を楽しむ。満開の桜の美しさが人々を引き寄せるのだろう。また、人はよく「桜のはかなさ」を人生のいろんなものと重ねて感傷に浸る。満開の桜で現在を分かち合い、散りゆく桜を見て行き交う時を感じ入る。時にそれは日本の美学とも言われる。

しかし、「桜のはかなさ」とは何であろうか。「はかなさ」とは、桜の花が散る様を見て語られるものだが、果たして、桜の花が散る様は「はかないもの」なのだろうか?

桜は1年を通して「休眠(秋)」「休眠打破(冬)」「生成(早春)」「開花」というプロセスを辿る。桜が美しく咲くために、冬の寒さと春の暖かさが重要な役割を果たす。つまり桜の美しさと四季の移ろいには深い関係がある。日本人が桜、四季、そして人生を重ねたとしても不思議ではない。

だが、桜のプロセスを理解すれば、桜の違った側面が見えてくる。桜の花が咲くのは昨年の夏につけた花芽の成長の結果であるが、桜の花が散るのは、次の花を咲かせるための準備である。桜の花が散るのは1つのプロセスの終わりであると同時に新しいプロセスの始まりでもあるのだ。そしてそれはより大きなプロセスの一部でしかない。

桜の花が咲くのは1年を通してわずか数日間ほどのことでしかないが、そのために1年間準備をしてきたことに想いを馳せると、私には桜吹雪が、まるで桜が皆のために新しい季節のはじまりを祝っているように思えてならない。卒業生が謝恩会で先生や在校生に催し物をするのを見て「はかなさ」を感じないように、私も桜の花が散るのをみて「はかなさ」を感じることはない。

改めて思ったが、この国には「命」についての議論が致命的に欠けている。

2011-03-31 10:17:20 | スピリチュアル
リンク先のブログの内容とは関係がありません。
現在のこの国の世論の迷走について、ヒントを与えてくれたので取り上げます。

雇用メルトダウン(池田信夫)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51693332.html

このままでは「余命3年」どころか、あと1年ぐらいで日本経済が「焼け野原」になるおそれもある。しかし被災地のみなさんには申し訳ないが、財政が破綻しても人が死ぬわけではない。3万人の命が失われる状況は戦争を除けば考えられないのだから、戦後最悪の災害をくぐった日本人は、危機に立ち向かって改革する勇気を得たのではないか。


あります。
毎年3万人超えするものが。
「自殺」です。
年間5000人の交通事故死亡者よりも多いです。

自殺の理由は「健康的問題」や「経済的問題」が大半です。
つまり、日本人にとって経済的問題や健康的問題が非常に重要だということです。

原発の放射線ばかりに注目するのは局所的合理性であり、大局的に見れば「経済」や「健康」について包括的に考える方がずっと重要なのです。
放射線は「健康」を害する一部のファクターでしかなく、「健康」を害するものはタバコや偏食・暴飲暴食・寝不足など他にも山ほどあります。

当Blogでは初期の頃によく取り上げた問題なのですが、日本には「命」について総合的に考える機会が足りていません。
日本では「命」に関する議論がまるでタブーのように敬遠されてしまいます。
答えがないからです。
宗教的背景が薄いから、教えることのできる人がほとんどいない。

「命」に関する議論は「生き様」に直結する話なので、人がどう生きるかという点について重要な役割を果たします。
逆に言えば、命の議論をしない人々は「どう生きるか」という点について考えを持っていないのです。
生きることへの指針がないから、目の前の問題にどう対処するかが人生のメインテーマになる。
だから、些細な情報に振り回される。

日本人は、安全保障の問題も、エネルギー政策の問題も避けてきましたが、それは当然です。
その前に「命」に関する問題を避けているのですから、安全保障もエネルギーもどう考えたらよいかわからないのです。

言葉にできない。こんな時、人はどうすればいい?

2011-03-29 14:01:41 | スピリチュアル
言葉にできない・・・。

東北関東大震災に寄せて(みすこそ)
http://misukoso.com/?p=477

日々死者数や行方不明者数がカウントアップされて行くが、数字は何も語ってくれない。
だが、数字の裏に、それだけの物語がそこにあるかと思うと想像を絶する惨状が思い浮かぶ。
表現のしようのない感情と、ただ自分の無力感に気が滅入る。

しかし、答えなどないのだ。
「問題には答えがある」というのは現代社会のドグマだが、実際には答えなどないものばかりだ。
善とか悪とか、そういうものが存在するのは人間社会だけの話。
幸せや不幸といったものさえもだ。

今回、多くの命が失われたが、それ自体には善悪も正誤も幸不幸もない。
善悪や正誤や幸不幸といったものは、それを感じる人間の側にあるのだ。
我々が失ったことと、それについて感じること。
その答えは、我々人間の側に託されている。

善とか悪とか、そういったものを基にして物事を語ってはならない。
それは人の手によって創られたものによって、人が振り回されるということだから。
我々は物事に真摯に向かい合って、できることを一つひとつ積み重ねていくことしかできない。
それ以外に答えに辿り着く道は無い。

人の手によって創り出されたものなら、人によって治める方法を考えなければならない。
我々が今回の震災から何を学び取り、そして今後何を生み出せるのか、その一点のみにおいて、我々は失われた多くの命たちに報いることができる。
その時、新しい言葉が生まれるだろう。

いや、やっぱり言葉が必要ないことがわかるのかもしれない。

「愛するべき」で愛する人は、その愛によって滅ぶ

2011-02-25 15:55:54 | スピリチュアル

「愛するべき」で愛する人は、その愛によって滅ぶ。

人の心は理性で制御することができない。

理性で制御できるのは人の表面的な振る舞いだけだ。

何人も自分に嘘は付けない。

心は嘘をつくことができないからだ。

嘘をつけるのは理性によってだけで、心を騙すことはできない。

人の心が変わらない限り、永遠に理性によって嘘をつき続けなければならない。

偽りのない愛を知りたければ、心が変わらなければならない。

しかし、愛さないということを知らなければ、愛するということを知ることはできない。

つまり、愛さないということを通してのみ、愛するということを知ることができる。

この葛藤の中に身を置いてこそ、人は成熟し、愛を知ることができる。

「愛したい」で愛する人は、その愛によって栄える。


私は知らないことを知っている

2011-02-21 17:39:37 | スピリチュアル
私は知らないことを知っている。
そして、知らないことを知りたいと願っている。
そこに私の知らないことがあるから、知りたいと思う。
そこに私の知らない桜の木があると思うから、見たいと思う。
その時、私がどう感じるかは知らない。
知らないから知りたいと思う。
ただ、それだけだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆

最近、これまでと異なった形で「先験的感覚」を実感するようになった。

脳の歴史は、生物の進化にしたがって内側から外側に向かって増築された歴史である。
原始的な生物から人間に進化するまでの脳の過程は、内側から外側に向かって説明できる。
だから、原始的な欲求は脳の内側から発し、人間らしい理性の部分は外側で活動する。

よく「理屈じゃない感情」というが、これは本当だ。
理屈じゃない原始的な欲求は人間の内側から発し、これを人間の外側の理性で抑制するなり、導くなりしている。
理屈じゃない感情を、理性によって後付的に解釈することはできるが、感情レベルが理性で制御できるレベルを超えると人間は自己同一性を保持できなくなる。
人は普段、理性によって仮想的に「自分」を構築しているわけだが、自分に統合できない感情をうまく処理できず「自分」を統率できなくなるからだ。

時に、人は自分でない自分を恐れ、「自分」を統率できない状況を避けたがる。
人にとって自分を統合している基準を失うことは非常に恐ろしいことだからだ。

しかし、この「自分を破壊する感情」は人にとって非常に重要な役割を果たす。
ある特定の「自分」で凝り固まってしまった場合に、そこから抜け出す機会をもたらすからだ。
悪均衡状態を抜け出すために、重要なのだ。

そして、ここからが本題だ。
「理屈じゃない感情」が善にも悪にもなるとして、
では「理屈じゃない感情」は、その性質ゆえに理性によって制御不能なのだろうか。

実は、理屈じゃない感情を包含する理屈が存在する。
それが「先験的感覚」である。
言葉の通り、経験に先立つ感覚である。
人は、この先験的感覚を使って理屈じゃない感情を発火させることができる。

いや、理屈じゃない感情が発火するのは、この先験的感覚が故である。
理屈じゃない感情が発火する前に、この先験的感覚が先立って存在している。

ゆえに先験的感覚を研ぎ澄ませば、
ある程度の方向性を持って理屈じゃない感情を発火させることができるし、
また、理屈じゃない感情の解釈にも有意な影響をもたらす。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆

私には文才がないので、自分の考えを文章にするのは骨が折れる。
話し言葉なら幾分かまだ楽なのだが、誰にでもわかる文章にするのには決して楽ではない。
だから今日も他人の言葉を使わせてもらう。
ありがたや。

こびとさんをたいせつに(内田樹)
http://blog.tatsuru.com/2009/10/03_1726.php


[前略]

今回はふと口を衝いて「ゼミの目的は自分の知性に対して敬意をもつ仕方を学ぶことです」と申し上げてしまう。
言ってみてから、そういえばそうだなと思う。
ポランニーの「暗黙知」(Tacit Knowing)も、カントの「先験的統覚」も、フッサールの「超越論的直観」も要するに、「私は自分の知らないことを知っている」という事態を説明するためにつくられた言葉である。

[中略]

どうやらわれわれの知性というのは「二重底」になっているらしいということに思い至る。
私たちは自分の知らないことを知っている。
自分が知っていることについても、どうしてそれを知っているのかを知らない。
私たちが「問題」として意識するのは、その解き方が「なんとなくわかるような気がする」ものだけである。
なぜ、解いてもいないのに、「解けそうな気がする」のか。
それは解答するに先立って、私たちの知性の暗黙の次元がそれを「先駆的に解いている」からである。
私たちが寝入っている夜中に「こびとさん」が「じゃがいもの皮むき」をしてご飯の支度をしてくれているように、「二重底」の裏側のこちらからは見えないところで、「何か」がこつこつと「下ごしらえ」の仕事をしているのである。
そういう「こびとさん」的なものが「いる」と思っている人と思っていない人がいる。
「こびとさん」がいて、いつもこつこつ働いてくれているおかげで自分の心身が今日も順調に活動しているのだと思っている人は、「どうやったら『こびとさん』は明日も機嫌良く仕事をしてくれるだろう」と考える。
暴飲暴食を控え、夜はぐっすり眠り、適度の運動をして・・・くらいのことはとりあえずしてみる。
それが有効かどうかわからないけれど、身体的リソースを「私」が使い切ってしまうと、「こびとさん」のシェアが減るかもしれないというふうには考える。
「こびとさん」なんかいなくて、自分の労働はまるごと自分の努力の成果であり、それゆえ、自分の労働がうみだした利益を私はすべて占有する権利があると思っている人はそんなことを考えない。
けれども、自分の労働を無言でサポートしてくれているものに対する感謝の気持ちを忘れて、活動がもたらすものをすべて占有的に享受し、費消していると、そのうちサポートはなくなる。
「こびとさん」が餓死してしまったのである。
知的な人が陥る「スランプ」の多くは「こびとさんの死」のことである。
「こびとさん」へのフィードを忘れたことで、「自分の手持ちのものしか手元にない」状態に置き去りにされることがスランプである。
スランプというのは「自分にできることができなくなる」わけではない。
「自分にできること」はいつだってできる。
そうではなくて「自分にできるはずがないのにもかかわらず、できていたこと」ができなくなるのが「スランプ」なのである。
それはそれまで「こびとさん」がしていてくれた仕事だったのである。
私が基礎ゼミの学生たちに「自分の知性に対して敬意をもつ」と言ったときに言いたかったのは、君たちの知性の活動を見えないところで下支えしてくれているこの「こびとさん」たちへの気遣いを忘れずに、ということであった。