進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

[つぶやき] 恋はいかなる状況でも生まれるものなのか

2010-05-31 20:19:20 | ブログ情報(News Release)
女子高生機転、強盗未遂男をメアド交換で誘い出し逮捕…明石(YOMIURI ONLINE)
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20100531-OYO1T00666.htm?from=main3

あほすぎる・・
一体どういう状況なのだ。
この男はそこから始まる恋でも想像したのだろうか。

何が起こるかわからないのが人生だ。


[つぶやき] これからの「正義」の話をしよう  したいな

2010-05-31 18:09:05 | ブログ情報(News Release)
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学(マイケル・サンデル,鬼澤 忍 (翻訳))


買っちゃった。

すごい人気あるらしくAmazonでは売れ切れだったので、職場近くの本屋に行ったら、この本の部分だけごそっと無くなっていて、私が買ったのが最後の1冊だった。
しかし、自分の周りに、この本を読む人達が結構いると思うと不思議な気持ちがする。
サンデル教授の議論についてこれるなら、日本ならオピニオン・リーダーになれると思うのだが、、一体どこにいるのか。
隠れたヒーローはいたるところにいるものだ。
名もなき戦士達だ。

「ハーバード白熱教室」の方では、ついにアリストテレスの「共通善」が出てきた。
ついにコミュニタリアニズムへの導入だ。

講義内では「共通善」の考え方が斬新な意見のように出てきたが、実はこれ当Blogによく出てくる「相対性」の話なのである。

この世に絶対的な価値観なんてない。
だから我々にできるのは、一つ一つの価値観(相対価値)を積み重ねるように共有していくことだけだ。
これを前提に議論をすれば、もう少し建設的な議論も増えるだろうに。

小沢一郎が民主主義政治家であることを何度でも言おう

2010-05-31 14:20:45 | 政治
最近、イノベーションの話題が多かったので、たまに政治について語りたい。

「選挙が全て。」

有識者が語る小沢一郎に対するイメージだ。

小沢は政策論的にはボロボロに叩かれる。

「あいつは政策に興味がない。選挙に勝つことだけ。」

「だからポピュリズム的政策ばかりなのだ。」

そういって批判するのだ。

なぜか?

そう考えなければ、理解できないからだ。

小沢一郎という男を。

こんな見方もある。

例えば、いつも政策についてインサイダー的な明晰な分析を行う高橋洋一氏だが、彼も民主党の政策について小沢の影響に言及する。
「小沢陰関数」という形で。

鳩山由紀夫の政治を科学する (帰ってきたバカヤロー経済学)(高橋 洋一, 竹内 薫)


先に挙げた両者の立場に共通するのは、「民主党がよくわからない政策(みえみえの利益誘導政策)に偏るのは、小沢一郎がいるからだ。」
という点だ。

なるほど。

だが、言葉は悪いが、実に馬鹿馬鹿しい考え方だ。

私は「それが何なのだ?何が悪いのだ?」と言いたい。

何を分かりきったことを言っているのだ。

当Blogでは繰り返し説明していることだが、小沢一郎が選挙にこだわって見えるのは、それが日本の民主主義の実力だからだ。

小沢がいうように「国民のレベル以上の政治家は生まれない」のだ。

そして、政治家は、ただ、その国民の要求に応えているだけだ。

より多くの国民が同意する政策を導入する。

それを「選挙を基準とした政策決定手法」というのなら、そうなのだろう。

しかし、それこそ民主主義ではないのか?

国民の多くが望んではいないが、一部の政治家や官僚や有識者が正しいと思うことを実行することが民主主義なのだろうか。

何度もいうように、小沢一郎がやろうとしているのは「特定の政策」ではなく「日本の民主化」である。

それを「衆愚政治」「ポピュリズム」といって批判することはできるだろう。

しかし、それなくして、どうやって、将来的にみた日本の民主主義を高めることができるのか。

むしろ逆なのだ。

国民の意見をもっとダイレクトに反映する仕組みがないから、国民が国家に対する責任を認識できないのだ。

もっとポピュリズムが可能な仕組みを導入しないから、日本に民主主義が根付くことがない。

多くの政治家や官僚や有識者と呼ばれる人々が、国民を信じていないから、国民は自律しない。

小沢は、そういうことを見切っている。

彼は、日本にいる唯一の民主主義政治家だ。

[つぶやき] 鳩山首相も立場変れば凄い人 にちがいない

2010-05-31 12:53:40 | ブログ情報(News Release)
鳩山由起夫はOR(Operations Research)の専門家だ。
東大工学部を出た後、米国の名門スタンフォード大学でPh.Dを取ってる。
Ph.Dは日本の大学の博士とは格が違う。

私ならスタンフォードのPh.D持っていると聞いたら、それだけでその人の意見をちょっと尊重するだろう。
(日本の博士認定基準はザルだ。そもそも学会誌の査読論文の通過基準が低すぎる)
マスコミも街角インタビューに答えているみなさんも、みな鳩山首相の頭がおかしいと言うが、本当にそんなレベルだったらとてもPh.Dなんかとれない。
私はいつも権威主義を疑う立場を表明しているが、スタンフォードのPh.D持っているのが事実なら、そういう「鳩山首相の頭がおかしい」という見方は即効棄却される。

彼の迷走は彼の頭がおかしいからではない。
彼の頭の中にある最適化ロジックが誤作動しているのではなく、彼の頭の中にある最適化ロジックへの「入力」がおかしいか、「目的関数」がおかしいからなのだ。
で、その「入力」と「目的関数」を制約しているのは何か。
それは彼を取り囲む環境なのだ。

どれだけ優秀な人でもコンピュータでも、入力を誤れば答えを誤るのは必定だ。
偏った入力をいれれば、偏った答えが出てくるだろう。

もちろん、彼自身の問題がほとんどだ。
彼自身が、彼自身への入力が偏らないようにすべく行動するべきなのだ。
が、しかし、総理大臣ともなると、個人の時間と自由が制約されるので、そうも言ってられない状況が生まれる。
だから、その能力と人間性とに信頼のおけるチームを構築しておくことが重要だ。
人間が一人でできることは限られている。
リーダーに求められるのは、個人的能力ではなく、チーム全体の力を総合的に発揮させるための能力である。

政治だけではなく、日本のあらゆる組織で欠けている考え方だ。
聖人君主を求める文化では難しかろうことは想像に難しくはないが。

簡単なイノベーションの復習

2010-05-28 22:01:47 | ビジネス

イノベーションについて素養のある人にとっては釈迦に説法なので読み飛ばしてください。

クレイトン・クリステンセンの名著「イノベーションのジレンマ」は、イノベーションを語る上で大変有意義な"教材"である。
この書籍が語りかけるイノベーション・モデルについての本質的な分析は、この書籍を古典と呼ぶに十分なレベルのもので、イノベーションを学ぶにあたってまず最初に用いられる教科書になるであろう。
本エントリでは、当Blogのイノベーションに関する主張の理解を、より深めるために、この教科書から、いくつかの興味深くかつ有用なトピックスを取上げる。

英語を日本語に翻訳した感じで書いてみました。
でも疲れるので、以降はいつも通り流して書きます(笑)

まず初めに、イノベーションに対するありがちな誤解を解くカギについて取上げる。

書籍「イノベーションのジレンマ」では、ディスクドライブ・ビジネスの歴史からイノベーションがどのような形で起きてきたのかを解き明かすのだが、この中で「持続的イノベーション」「破壊的イノベーション」を使い分けている。
これは非常に重要な示唆を我々に与えてくれる。
彼は「破壊的技術」が果たした役割は大きいものの、「破壊的技術」そのものが「破壊的イノベーション」を起こすとは言及していない。
逆に彼が言うのは、「破壊的技術」それ自身では「破壊的イノベーション」にはならないということだ。

どういうことか。

ディスクドライブの歴史は、小型化・高密度化の歴史でもあるが、大まかにみるとディスクの大きさに従って幾つかのステージにわかれていることがわかる。
14インチ、8インチ、5.25インチ、3.5インチ、2.5インチ、1.8インチ
ディスクドライブは時代が進むにつれて小型化していく。
また、これとは別に、同インチ数内での容量の高密度化において技術革新が行われている。

よくある解釈は、同インチ数内での容量の高密度化における"技術的革新"を「持続的イノベーション」とよび、14インチから8インチへの"技術的革新"を「破壊的イノベーション」と呼ぶ。
が、これはありがちな誤解を含んでいる。

まず、端的に技術革新度からいえば、14インチから8インチへの移行よりも、同インチ数内での高密度化の方が高度である。
容量という性能からしてみれば、大きいインチ数の方が遥かに有利なわけだから、インチ数の小さい方が技術革新というのは、少しおかしい。

では、なぜインチ数の小型化が、破壊的イノベーションと関係があるのか。
それは、14インチ、8インチ、5.25インチ、、、が何と結びついているかに深い関係がある。

(世界初のディスクドライブは24インチらしい)
14インチ:メインフレーム
8インチ:大型汎用コンピュータ・ミニコン
5.25インチ:大型汎用コンピュータ・パソコン
3.5インチ:デスクトップパソコン
2.5インチ:ノートパソコン
1.8インチ:携帯音楽プレーヤ
フラッシュメモリ:

ディスクドライブが小型化されるのと同時にモデルが置き換わっているのだ。
いわゆるモデル創新(イノベーション)である。
新しいビジネスが始まっている点が破壊的イノベーションの由縁である。

これで何がいいたいか。
それは、ディスクドライブの小型化だけでは、イノベーションは起きないのだ。
「破壊的イノベーション」は「破壊的技術」によって起こされるわけではない。
それだけでは、イノベーションになれずに忘れ去られる名もなき戦士達で終わりだ。
既存の枠組みの置き換えを迫るものが、イノベーション。
そして、その仕組みをイノベーション・モデルといっているのである。

[イノベーション] 10年後のプラットフォーム競争が見えた

2010-05-27 12:31:17 | ビジネス
ここ数日、うなされています(笑)
悪夢ではありません。
自分が取り残される危機感に抗おうとしています。

今、私の頭の中では10年先のプラットフォーム競争が繰り広げられています。
そこで私は敗北感にさいなまれているのです。
人間というのは実に不幸な生き物です。
起きてもいない想像の世界のことで不安に駆られ、恐怖し、不幸を感じるのです。

「未来に対する不安は、その対象そのものよりも大きい。」
これは有名な言葉ですね。
だからフランクリン・ルーズベルト大統領は就任演説でこう言いました。
この言葉もあまりに有名です。


So first of all let me assert my firm belief that the only thing we have to fear is fear itself - nameless unreasoning, unjustified terror which paralyzes needed reforms to convert retreat into advance.

まず初めに、私の強い信念を自信をもって断言する。
私たちが恐れなければいけない唯一つのことは、「恐れ」そのものである。
後退を前進へと変革するのに必要な改革を麻痺させる、
名付けがたく、理性的でなく、不当な恐れそのものである。


私は不安に駆られています。
不安は恐れを生み出します。
わからないから不安になる。
不安だから恐れる。
恐れるから避ける。
避けようとして閉じこもる。
また避けようとして攻撃する。

マザーテレサが「愛の反対は無関心」という意味がここにある。

私が抱く不安がどういう不安か。

最近、電子書籍のプラットフォーム競争の話が繰り広げられていますが、私が思うにこれはもう手遅れです。
日本企業が今からこの業界でプラットフォームをとる可能性は極めて低いと思います。
アプリだとかフォーマットだとか。
皆が気づいた時には先行されているんです。
AmazonにしろGoogleにしろAppleにしろ、もうずっと前から構築し進化させているビジネスモデルに基づいて行動しており、コアとなるプラットフォームは絶対に逃がさないように戦略が練られている。
日本企業がとれるのは精々「プラットフォームと呼ばれるモジュール」だけです。
先進企業が将棋でいえば詰る寸前のところで競争しているのに、大逆転できると思い込んでいるだけです。
いや、戦局を理解していないから、自分達が目指しているのが「大逆転劇」だということにさえ気づいていないのです。
kindleやiPadが出てくるとわかってから騒いでも遅いのですよ。
いいですか、考えればすぐわかることです。
kindleやらiPadやらを世に出そうとする人々が、その端末だけに熱中しているわけないでしょう。
kindleやiPadを構想する時点からビジネスモデルを作りこんでいる人々からすると、少なくても3年は遅れています。
日本を代表する企業の担当者からこんな今更感のある発言が聞く度に、正直がっかりします。
期待していたのに、なんだ結局何も考えていなかったのかと。

で、こんな批判的なことを書くと「じゃ、お前どうなんだ?」と、そう言われると思います。
だからちょっとアイディアを紹介します。
これはもう私の中でプラットフォーム競争が始まっており、私自身どう関わるのかというところでもがいています。


「環境エピジェネティクス」+「クラウド」+「○○○」これです。(○○○は伏せます)

これは、「人類にとってのプラットフォーム」になる話です。
○○○のところが重要で、競合他者は「Google」です。
10年後に現代を振り返って、この産業の歴史を振り返る時、おそらく出てくるであろう企業名が「23andMe」です。
アイスランドの会社ですね。

で、気づくとGoogleは布石を打っている。
これはGoogleの行く先を考える上で、極めて重要な情報です。
2007年の時点で。
この先見の明は流石Googleという他ない。

グーグル、バイオ技術企業23andMeに390万ドル出資(CNET Japan)
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20349348,00.htm

で、Googleが2008年に立ち上げた「Google Health」

グーグル、「Google Health」を発表--個人健康記録を集約(CNET Japan)
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20368434,00.htm


 「なぜGoogleがここに参加したか」。Google最高経営責任者(CEO)のEric Schmidt氏は、同社としてこれまで参加したことがないというトレードショー「Health Information Management Systems Society(HIMSS)」での基調演説でこう語りかけた。「最も重要な検索とは何か?」

 答えは健康だ。Schmidt氏は、米国人の約2人に1人が慢性の疾患にかかっていると述べた。一方でSchmidt氏は、同社に報告があった、Googleを使って心臓発作の症状について検索し、その後救急車を呼び一命を取り留めた男性を例に上げ、人々は既にウェブから情報を集めている、と語った。

 Schmidt氏は、「われわれは、医療分野の主要企業と提携して相互に交流し、(中略)インターネットの原理の活用を通じて」業界の改革を図っていくと語った。「第一の原則は、それがユーザーのデータであるということだ。別の医師の診察を受けたり保険会社を乗り換えたりした場合、消費者がどこに行こうとそこにデータは付随していく」


シュミット氏は本音を出していません。
多分、とぼけています。
先乗りされないようにね。
これがとぼけてではなくマジなら、それこそGoogleに先行する大チャンスがあります。

重要なのは次の部分です。


 現在、特定の医療制度での利用に用途が制限された個人健康記録システムは200以上存在すると同氏は言う。

 Google Healthは、米国で年間行われる20億回のX線検査、6200万回のCATスキャンなどの健康データを、患者がオンライン上でアクセスできるようにすることを目指す。

 将来的には、Walgreen、Aetna、Wal-Mart Store、カリフォルニア大学サンフランシスコ校、American Heart Association、Quest Diagnostics、Longs Drugs、American Medical Association、Cedars-Sinai Medical Center、スタンフォード大学Lucile Packard Children's Hospitalなど大規模病院、薬局、保険会社とも提携していく。


多分、これだけでこの話を理解できる人もいるでしょう。
今すぐ取り掛かかれば、10年後に世界の覇者になれるかもしれません。
人類社会に貢献するチャンスです。

先日、偉そうな人が環境エピジェネティクスでどうやってビジネスするのか偉そうに疑問を呈している姿を見たのですが、故にチャンスです。
現代を生きるビジネスマンは、このビジネスモデルに気づけていない。


本エントリをかなり偉そうに書いたので、ご気分を悪くされた方もいらっしゃると思うのですが、これは今の私の心境を表しているのです。
焦って不安に駆られているのです。
やられてしまう可能性を真剣に危惧しているのです。

これが破壊的イノベーションになる理由は、まだ技術が確立されていないということです。
"今存在していない市場(見えない敵)"なのです。

このイノベーション・モデルについては、クレイトン・クリステンセンの名著「イノベーションのジレンマ」を参照すれば理解していただけると思います。

研究開発の段階でまだ世に存在しない技術だが、必ず浮上する技術です。
その時からビジネスモデルを考えていたんでは遅いのです。
妹尾堅一郎氏の言葉を借りれば研究開発戦略、事業戦略、知財戦略の「三位一体経営」です。

イノベーションを起こすのに、研究開発が先行していなければならない理由はどこにもありません。
イノベーションは「技術革新」ではなく、「モデル創新」「新結合」といった意味の言葉で、故に技術は必要十分条件ではないのです。
よく考えて欲しいのです。
人間社会に影響を与えるものは、何らかの枠組みの変更ですね。
イノベーションは常に結果としての影響をいうのです。
結果として、何かの枠組み、パラダイム、フレームが変る。
その変える仕組みをイノベーション・モデルという。

[つぶやき] ブログ奨学金制度

2010-05-27 10:17:11 | ブログ情報(News Release)
な、なにー!

ブログ奨学金制度をスタート (livedoor Blog)
http://blog.livedoor.jp/staff/archives/51460007.html


応募者の中から選ばれた方がブログ奨学金として年間支給金額で、特待生 300万円、第1種 120万円、第2種 60万円、第3種 30万円のいずれかの支給資格を得ることができます。それ以外に、ブログメディア構築支援や運用支援、サポートなどをさせていただきます。本奨学金は当選時から1年間の受給資格を与えられ、返還の義務はありません。


受給資格はというと、、


livedoor Blog 及び 他社ブログを1つ以上運営しており、月間PVが1万以上のブログを運営している方で、得意分野や専門分野の情報を発信する事で、世の中に役立つオリジナルコンテンツを発信していきたい方を対象としています。


月間PVはなんとかクリアしているが、得意分野や専門分野が・・ない!!
お、オリジナリティぃ・・最近嫌いになってきたなその言葉

Lilacさんのいうように、

人は男に生まれるのではない。男になるのだ。(My Life in MIT Sloan)
http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/a9527b2242e51f306bfe22e43328d190

意味的には「社会的存在」とか「社会的自我」というようなことと繋がってくるのだが、
「自己」という幻想(池田信夫blog)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51423906.html

「人はオリジナリティをもって生まれるのではない。オリジナルになるのだ。」
と読み替えれば、今からでもオリジナリティのあるブログになれるかもしれない。

奨学金で思い出したが、学生時代(院含む)に借りた奨学金を20年かけて返しているのだが、結構重いよね。
私の場合、返還なしの奨学金も百数十万円とかもらったりしたのだが、院まで行っちゃったもんだから、それ以上に返さなきゃいけない奨学金がその何倍もあって、毎月の返済が重い。
逆に私の周囲には学費+生活費を稼ぐのにバイトばかりしている学生などもいたが、それだと何のために学校きてるのかよくわからないなと思った。
まぁ日本企業では、学校で学ぶことより社会的生活で学ぶことの方が重要だという場合もあるのかもしれないけれど、そんなものでいいのかなと疑問に感じていたものだ。

あまり深入りすると政治的問題になるし、浅い話で終わらせるものでもないと思うけれども。

私は親の収入をあまり当てにできなかったので、金をもらったり借りたりしなければならなかったから、たまたま感じることができているのだが、そもそも教育が親の収入に依存するような状況は、国家としての姿勢が表れているなとシミジミ感じている。
教育を重要視し優先される国家では、そんな状況は避けなければならないわけだよね。
人材の損失なわけですよ。

子供はさ、親や家庭の状況ってすごい見て気を使うわけね。
本当は進学したくても、親に気を使って言えない状況ってある。
中にはさ、他の兄弟の進学のために自分は中卒や高卒で働くっていう涙のお話もあるじゃない。
それはそれで、コトの価値への気付きを与える重要なことかもしれないし、貴重な人生体験かもしれない、それこそプライスレスな。
でも、国家としてそれでいいの?って話はなくならないでしょ。

これはさ、私もハーバード白熱教室のサンデル教授と意を同じにするところなのだな。
(以下はサンデル教授の言葉ではなく、完全に私の意訳)
例えばハーバードに入るような学生は死ぬほど勉強してきてるわけだから、当然自分の権利を主張するわけですよ。
私は青春を犠牲にして勉強して奨学金とるなりしてハーバード来たんだと。
にも関わらず、家が貧乏な人を優先するとかいう制度あったらおかしいだろと。
でもサンデル先生はいうわけですよ。
いやいや、まてと。
でもさ、あなた「死ぬほど勉強できる環境にいたわけじゃないか」と。
「青春を犠牲にするという選択肢あったよね?」と。
「それを自由っていうんだよ。あなたは自由を活用して機会を得た。それはそれで素晴らしい。」
「じゃ自由ない人どうすんの?ほっとけばいい?生まれや運も才能のうち?」
民主義はさ、多数決だけど、今あなた多数派だからいいけど、逆の立場の人が多数派になったらどうすんの?

ロールズの時に言ったよね。
人がさ、正義や公平について冷静に判断できるのってどういう時なんだっけ?
無知のベールだよ無知のベール。
追い込まれてる人間が正常に判断できるか?
虐げられている人がまともな判断ができるか?
我々が、我々のために、冷静な判断を可能とするために、何が必要だっけか?
自分が良ければそれでいいって通る?
それ自分が追い込まれる立場になってもいえるかな?
仕方がないって。
この世はカオスだからレッセフェール(自由放任主義)がいいっていえるか?
そんな生き方は可能か。

話変っちゃったね・・

侍とビジネスマンが仲良くする必要があると思うんだ

2010-05-25 18:43:53 | ビジネス
最近、当Blogで扱っているGoogleのビジネスモデルについてのわかりやすい説明。
ただ単にアクセスを集めるだけではなく、どう買い物をするユーザのアクセスを集めるかが主戦場だ。
囲い込み戦術をとる企業は全てGoogleの敵なわけだ。

GoogleとAmazonの競争(経済学101)
http://rionaoki.net/2010/05/4136

これも最近話題にしているビジネスモデルの内容についてのわかりやすい説明。
垂直統合されているものを如何にモジュール化して、解体して、コアとなるモジュールを取れるかが重要。
というのは、利潤は価格支配力があるところに生まれるからで、その支配力は非競争力があるかどうかで決まる。
どんなシステムでもモジュール化されると参入障壁が下がるので、競争しないで利益を上げたければコア部分はモジュール化してはならない、もしくはモジュール化してもインタフェースだけ公開して内部を秘匿する必要がある。

電子書籍はフォーマットとアプリを制したものが勝つ(My Life in MIT Sloan)
http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/13f8195b8bcf97e42f9e5a23e7088876

と、わかったように書いているが、実は私は妹尾堅一郎氏の二番煎じ。
この1冊を読めば、今、ビジネスモデル競争の世界で何が起きているのか、だいたいのことは理解できる。
Googleの話は出てこないけれど。

技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか―画期的な新製品が惨敗する理由(妹尾堅一郎)

ただ個人的な経験からすると、この本を読んでも理解できていない人は多数いるようだ。
別に難しいことは書いていないのだが、パラダイムシフトは人々を置き去りにするのが常。
よく例えられるのは、時代の重点が制空権争いに移っている時に大鑑巨砲主義をやり続ける愚だ。
人間は、過去の成功体験を拭い去るのは難しい。
長らく環境変化が激しくなかった状況で生きてきた人類からすると、成功体験を即座に捨て去るのは合理的でなかったからだ。
だから「失敗から学ぶ」これしかない。
第2次世界大戦初期に先進的な戦術を駆使した日本に対し、連合軍は失敗から戦略的前進を遂げ、戦局を変えることに成功した。
失敗の本質―日本軍の組織論的研究


「負けに不思議の負けなし(野村克也)」
これだ。

しかしながら、まず、「勝つ」「負ける」ということの基準を明らかにし、そしてそれを乗越える必要性があると思う。
この時点で思い込みによって相互不理解が発生していると、いかんともしがたいし、実際日本で起きているのはそれだ。

例えば「試合に負けて勝負に勝つ」みたいな言葉がある。
これは「侍魂」を基礎とする精神文化内でかなり支配的な考え方である。
(当Blogでは合理を求めない姿勢を「侍」とするのである)
何をもってして勝ちと言うのか、つまり何に価値基準を置くのか、という問いである。

「利益を上げるために姑息な手は使わない、一体何のためにビジネスをやるのか」といった考えを持つ日本人は多いだろう。
「利益至上主義」などと言っては否定されることがほとんどだ。


「ビジネスとは何なのか」これについては様々な議論が可能なので、ここでは深堀しない。
また日を改めよう。

しかし、ビジネスモデルの変革を訴える人々が主張するのは決して「利益至上主義」などではない。
彼らが問いかけているのは「モノ/コトの本質的な意味・価値」である。

もちろん、誰にも使われないが高い技術力を必要とする十文字槍を鍛冶屋が赤字で作り続けることに意味を感じる人もいるだろう。
誰にも見向きもされなくなった古びたオモチャを唯一人コレクトすることに価値を置く人もいるだろう。

それらを否定するものではない。
ただただ「モノ/コトの本質的な意味や価値」を追い求める点では同じことだからだ。
違いは、それを一般化することに意味や価値を見出そうとするかどうかである。
要は、どこに自己を充足し得る意味や価値があると信じるかだ。
そこに善悪も正誤もない。

「道」なのか「到達点」なのか。
前者が侍で、後者がビジネスマンだ。
道には終わりはない。
極まらないのが道。
ゴールを求めるのが到達点。

「到達点」を求める人にとって、「道」を求める人は牧歌的なおめでたい奴だろう。
「道」を求める人にとって、「到達点」を求める人は早急な未熟者に見えるだろう。

両者とも互いに馬鹿にし合っているだけで理解し合おうとしていないように見える。
この両者を橋渡しする広い意味での哲学が求められている

ような気がする。
途中で論点が摩り替わった気もするが、たぶん気のせいだろう。

[つぶやき] 介護って人海戦術以外ないのかしら

2010-05-25 13:58:02 | ブログ情報(News Release)
昨日、ちょっと体の調子が悪くて検査をしに病院へ行ってきた。
どこも同じだと思うが、そこは高齢者で溢れており、若者を見かけることはない。
そこでは、若い(?)女性の看護師が高齢者に1対1で付添い、笑顔で明るく介護をしている。
しかし、高齢者とてこれまでの人生を生きてきたプライド、人間としての尊厳があるゆえ、そう簡単に心を開くわけではなく、看護師には仕事とはいえ献身的でナイチンゲールのようなタフネスが求められる。


ちなみに私の兄弟に介護福祉士がいるが、仕事でないと割り切れないと言っていた。
そんな彼は実家暮らしだが、祖父の介護には全く関わっていない・・。

それを見て思った。
成長産業として医療・介護というが、この業界に若者が”人手”として吸収されていったら日本の成長力はガタ落ちだろうなと。
中には、暇だから話を聞いてもらいに病院に来ているのではないかと思われる人までいるではないか。
いや、もちろん、単なる人手としての雇用需要があるという話ではなく、高度医療のパーソナル化、ハイテク導入による生産性向上、新規サービスの創造など、ネタがあるのは知っている。
供給側の進化によって需要側の恩恵も大きいだろうと想像されるし、社会保障費という公的な負担をいかに民間需要に転換して抑制するかというところもホットな話題である。
しかし、現場で手を動かす人手も相当数は必要だ。
他の部分の生産性が上がらないと、その分、やはり低下するのではないか。
世の中には試算された数値などがあるのかもしれないが、どうなのだろう。
そんなことがちょっと気になった。

妹尾堅一郎氏風に言うと、「医療・介護大国」ではなく「医療・介護立国」にならないとだが、今後の動向が気になる。

それにしても、大病院は「紹介状が必要」とのことなのでネットで調べて家の近くの病院に行ったのだが、MRIがないから来週「他の病院のMRIやって結果持ってきてくれ」って言われた。
仕方がないとはいえ、めんどくさい・・

[虐待] 経済的困窮は理由にならない

2010-05-22 08:27:49 | 社会
生活苦と夫婦の不仲で“鬼父・鬼母”が急増!?
過去最多の児童虐待の裏に潜む悲しすぎる事情(Diamond Online)
http://diamond.jp/articles/-/8193

経済的困窮が虐待の理由なら、昔の日本には虐待しかなかったことになる。

違うのだ。
当Blogで繰り返すように、「個人」と「社会」の断絶が起きているのだ。

しかも、日本の場合「個人」と「社会」がないから、その断絶度が深刻だ。
「個人」と「社会」のないところに、「個人」と「社会」が前提となっている仕組みを前提とする社会システムが普及した。
しかし、「個人」と「社会」が前提となっている仕組みがないから、日本人と社会システムとの間に軋轢ができる。
そんな社会の中で「社会が悪い」と叫ぶ極端な人々が出てきても仕方がない。
彼らは社会の恩恵を感じることができずに生まれ、育ち、生きてきたのだから。
「一部の人々にのみ有利な社会なのではないか?」そう考えるのは自然の成り行きだ。
だから、国家のマクロ政策を語るにあたって、哲学的要素とまではいかないが、社会学的な要素を考慮しなければ、誰が話を聞いてくれようか。

「経済的困窮者を手助けする」みたいな発想では、この問題を解決することはできない。
もぐら叩きになるだけだ。
日本の社会的な構造的問題について深掘りしていかなければならない。

「Google TV」 ソニーの秘策はどこにある?

2010-05-21 09:59:52 | ビジネス
先にNYTが報じたSony×Google×Intelの噂は本当だった。

グーグル、「Google TV」プラットフォームを発表--テレビとウェブを融合(CNET)
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20413776,00.htm

Google、テレビ向けプラットフォーム「Google TV」発表 ソニーと提携(IT media)
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1005/21/news020.html

この情報を知ってからずっと考えているが、私にはソニーのこの手を読めないでいる。
報じられている情報だけでは何もわからないが、どう考えても私には、IntelとGoogleに利することはあっても、将来的にソニーの首を絞める手に見える。
一体、ソニーはどういう戦略を描いているのか。

秘策はなんだ?
ソニーは、どんなウルトラCを隠している?
他社に先行して提携した以上、他社に先んじる戦略があるはずだ。
昨日のエントリで述べた通り、IntelのCE向け戦略LSIと、GoogleのAndroid+Chromeを搭載しただけの製品では、他社もすぐ追従可能なので、これで差が出せるのは最初の1,2年だけだ。
Intel×Googleプラットフォームに乗っかる連中は、みな競争させられて価格競争の渦に巻き込まれるだけだ。
これは、Intel Inside型のビジネスモデルそのものであるし、Googleの広告収入・ビジネスモデルそのものでもある。
だから、ソニーには「プラットフォーム競争」に関する戦略が必ずあるはずだ。
Intel×Googleプラットフォームがdiffusionすることで、ソニーが利益を上げられる仕組みだ。
そのWin-Winの戦略なくして、これは対等の提携とは呼べない。
単にIntel×Googleに利用されるだけの、GoogleからSonyへODMされただけの話ではないか。
しかも、SonyのCE機器製造ノウハウをプラットフォーム側に技術流出して、他社がプラットフォームに乗りやすくなるオマケもつく。

まさか、ソニーが昨日のエントリで書いた「差異化原理主義」思想による迷走をしているとは思いたくない。
「プラットフォームに乗るしか選択肢がないのだから、その上で他社との差異化をする。」みたいな愚策を指向していないことを望む。


今思えば、久夛良木健氏がPS3を立ち上げる時に構想したWintelに変るプラットフォームとしてPSプラットフォームを提唱したことが懐かしい。
「プラットフォーム競争」を前提とした主張だったのだが、あの時、多くの人がその主張の意味を理解することができていなかった。
今、SonyがIntel×Googleプラットフォームに乗ろうとしている姿を見て、非常に残念に思う。
Cellが金食い虫だったということもあろうが・・Sonyにプラットフォームを前提とした戦略的思考がなかったことが大問題だ。
もうイノベーションを捨てた企業なのかもしれない・・

いや、必ず秘策があるはずだ。

頭の中がグールグル音を立てて混乱している。

[追記]

Sonyのプレスリリースを見てみた。

ソニー、“Sony Internet TV”を開発
~世界初の“Google TV”プラットフォームを採用したテレビの開発により、これまでにないテレビとインターネットの融合を実現~
http://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/201005/10-067/


ソニーは新たなビジネスカテゴリーの創出を目指し、これまでの視聴概念を覆す視聴スタイルや、ダウンロードによる拡張性、さらには快適な操作性やマルチタスクを実現する「進化するテレビ」の開発を進めてまいりました。
 “Sony Internet TV”は、これらを実現し、インターネットとテレビを融合させることで今までに無い楽しみ方を提供するだけではなく、アプリケーションのダウンロードにより進化し続けるという、新しい時代のテレビです。Googleのオープンプラットフォームを活用することで、お客様に向けてより魅力ある豊富なコンテンツやサービスをタイムリーに提供することが可能になります。


し、「進化するTV」!!
当Blogの名前は「進化する魂」なので、妙なシンパシーを感じます(笑)

やはり、あれですね。
ソニーは「User Experience」を思想的に前面に押し出してきますね。
「最終商品としてのユーザ体験価値」から戦略が出発している。
あくまでもConsumerブランドなわけですか。
これに対してプラットフォーム競争は、「ビジネス領域のどこで価値形成ができるか」という命題を考えるところから戦略が出発している。
この両者は全く違う。
一見すると、ソニーの戦略は、インテル・インサイド型ビジネスモデルではなく、アップル・アウトサイド型ビジネスモデルの方に近いように思えるが、本質的に違う。
アップルにはiPod×iTunesという排他的プラットフォームが前提だ。
最近ではAdobeとも争っているが、アップルは支配的プラットフォームを構築することに躍起だ。
それに対してソニーはこの商品によって何かのプラットフォームを構築できるのか?
アップルが魅力ある商品によって利益を上げているかのように見るのは浅い理解で、本質的には排他的プラットフォームの存在がiPodのビジネスを支えている。
スティーブジョブスの独善性と、その独創性ばかりに注目が集まるが、ビジョンとビジネスは全く違うものだ。
ビジョンを支えるビジネスモデルがその前段であるのだ。

アメリカにおけるビジネスとは戦略であるが、日本ではビジネスは自己実現なのである。
その差だ。
つまり、ビジネスが手段なのか、目的なのかの違い。
さらに違う言葉で言えば、「ビジネス=仕組み」なのか「ビジネス=事を成す」なのかの違い。
ビジョンとビジネスは違うものなのだが、日本だと混同しちゃうんだな。
日本人はすぐに手段の目的化に走っちゃう。
(この理由はこれまで当Blogで繰返してきたので省略)

それが悪いというつもりはないんだけども。


いつも日本人は・・っていうけど、ソニーのCEOのハワード・ストリンガーはイギリス人じゃないか!って批判が予想されるが、戦略を立てる中心人物は日本人達なんじゃないの?って思ってます。
まぁ具体事例について国籍を根拠に批判するのは間違いですね・・あくまでも「日本人が・・」は一般論としてですよ。
Sonyとは関係ないですね。すみません。

[再追記]

分かった気がする。
CNET記事の次の部分。

Best Buyは、それらを販売する最初の小売店となる。

なるほど。
流通チャネルをSAMSUNから奪い取る戦略だな。
流通チャネルの覇権争いでSonyは完全にSAMSUNの後塵を排しているが、これを挽回する気だ。
言葉悪くいえば、中途半端に「国際斜形分業型イノベーション」のつもりね。
もちろん、商品の魅力の向上という面もあろうけれど、それも含めたより総合的な戦略のつもりなのではないかという気がしてきた。
私の問題提起が「なぜSonyはTVという枠組みにこだわりプラットフォーム競争から外れるのか?」だったわけだが、SonyがあくまでもTVにこだわるのは、既存のTVマーケット内での覇権争いが念頭にあるからだ。
新しい商品群を作り上げるとか、プラットフォーム競争で覇権を取るという発想ではない。
あくまでも、やられっぱなしのTVマーケットを挽回するために、TV商品像の軸をずらす発想。
SAMSUNに勝つための発想で、アップルがiPadやるのとは次元が違う話だ。
あくまでもTV事業の収益力の改善が目的なのであって、新しいTVを世に問いたいわけではない。
最初からプラットフォーム競争なんて副次的要素でしかなかったわけだ。

なんか肩透かしにあった気分だな。
そしてちょっとがっかり。

プラットフォーム競争の意味

2010-05-20 11:10:27 | ビジネス
最近、どこにいっても「日本はプラットフォームを取れない。」という嘆きを聞く。
しかし、よくよく聞いてみると「プラットフォーム競争」などと言っている人が、「なぜプラットフォームを取ったら勝ちなのか?」について全く説明していないことに気づく。
もちろん、専門家の人々は理解しているのだが、その話を聞いた人達がだ。
わからないままに「プラットフォームをとるのだ!」と皆が声を張り上げるもんだから、みんな混乱する。

「ゲームのルールを自分に都合よく作った者が勝つ」と言うが、その意味はなんだろうか。
この言葉は誤解を生みやすいと思う。
まず、どんなゲームでもよいわけでもないし、どんなルールでもよわけでもない。
ゲームは魅力のある人を惹きつけるものでなければならないし、都合のよいルールが認められるためには、ルールに従わせる必然性がなければならない。

そもそも、なぜゲームのルールを作った物が有利なのだろうか。
おそらく理由は2つある。

1つは、自分の得意分野に有利なように、不得意分野によって差が出ないようにルールを決めれることだ。
多くの人は、ルールメーカーが優位な根拠を、この理由に求めるだろう。
だけれども、多分この考えは陥りやすい罠だ。
日本企業がよく口にする言葉「差異化」がその端的な証拠である。
私はこれを「差異化原理主義」と皮肉をこめて呼ぶのだが、このような発想をする時点でプラットフォーム競争の意味を理解していない。
それに、多分このやり方で優位な立場を維持するのは楽ではない。
ルールもルールメーカーも研究されるから、常にルールを変更する立場を維持しなければならない。
だが、これは難しい。
格闘技の絶対王者もいつか敗れるようにだ。

違うのだ。
プラットフォームを取るとなぜいいのか。
その理由は簡単だ。
「競争に巻き込まれないから」だ。
プラットフォームをとると自分は非競争領域に身を置きながら、他者を競争させることができる。
これが優位点なのだ。
差異化という発想自体が「競争」を前提とした発想だと気づかなければならない。

プラットフォームに乗る者は、同じくプラットフォームに乗る者同士で差異化を目指して激しく競争する。
すると何が起きるか?
プラットフォームに乗っかるアプリや商品などが切磋琢磨して品質が向上する。
競争するからコスト競争が起きて、最終サービスなり最終商品の値が下がる。
商品の魅力が向上し、値も下がるから、結果として、市場拡大が起きる。
プラットフォーム自体は非競争領域だから利益を確保することができるが、プラットフォームに乗っかる起業は利益を上げることが難しい。
単純な話だろう。

有名なインテル・インサイド型、アップル・アウトサイド型のビジネスモデルは上記を忠実に指向している。
最近ではGoogleという企業を考えると、面白い。
GoogleがAndroidというOSを無償で作る意味があるか?
プラットフォーム自体では利益を上げないのだ。
しかし、意味は多いにある。
Androidが普及すれば、Androidの上で作られるアプリはGoogleのサービスを使う。
Googleは広告収益で儲けるビジネスモデルだが、ここで稼ぐ。
だからOSというプラットフォームで儲ける必要がない。
だから多くの企業や人が参加する。
Androidというプラットフォームに乗っかる製品が広がる、するとGoogleの検索プラットフォームに乗っかるものが増えるということを同時に意味する。
Googleはフハフハなわけだ。
だから、日本企業がAndroidに乗っかれば、いいところをGoogleに持っていかれるだけ。
日本企業が考えているのは、Androidに乗っかって、その上で他社製品との差異化を・・となるのだが、差異化できるのは最初の数年だけで、あとは低コストの新興国に駆逐され、シェアを落とす。

さて、日本企業はどのような方法でこのプラットフォーム競争を勝ち残るのだろうか。
他にも言いたいことはあるが、とりあえず今は概要レベルにしておこう。

今度、妹尾堅一郎氏の話を聞きに行くので、その前に考えをまとめただけです・・。

[つぶやき] AKB48というプラットフォーム

2010-05-19 00:36:52 | AKB48
どうでもいいことだけど、今日、品川駅で浜矩子氏とすれ違った。
実際見ると顔が怖いな。

そして金子勝氏のブログを初めて見た。

炎上日記再び:AKB48にはついていけない (金子勝)
http://blog.livedoor.jp/kaneko_masaru/archives/1260891.html

つまるところ、プラットフォームを誰が取るかって話と同じなんだな。
最近でいえば、孫×佐々木対談で佐々木氏が行っていた「コンテナ」の部分だな。
AKB48のメンバはコンテンツで、AKB48がコンテナ。
プラットフォームを持つことのメリットってのは、プラットフォームに乗っかる人々(AKB48のメンバ)が競争してくれて、当然そこにはコスト競争も起きるし、ついでプラットフォームそのものを拡大してくれて、市場価値を高めてくれるってことだ。
ディフュージョン(diffusion, 普及、伝播)ね。
AKB48というプラットフォームの支配権を持つ秋元康が一番儲かるビジネスモデルなわけね。

しかし、だからといってAKB48のメンバが悲観的かというとそんなことはない。
と、いうのは秋元康がAKB48のメンバより優位に立てるのは、AKB48のメンバがAKB48というプラットフォームに乗っかっていなければならない状況においてのみだから。
個人名で売れるようになると、AKB48にいる必然性はなくなり、今度はその個人名がコンテナになるわけだ。
そうなると、今度は個人が儲かるようになるし、AKB48内での熾烈な競争をする必要がない。
もし秋元康が自分の利益しか考えないのであれば、AKB48として売れるのがベストで、AKB48の個人が突出して売れると嬉しくないのだ。
まぁ十分儲けている人なので、今更そんな利益にこだわっているとも思えないが、ただ組織を維持するためには必要か。

そういう観点に立つと、次のことがいえる。
モー娘の時に、人が頻繁に入れ替わって名前を覚えられない、といったことが起きた。
モー娘の人気を維持するためには、モー娘を背負って立つスターを発掘する必要性があったからだと思うが、しかし、これはモー娘の人気を逆に低下させたと思われる。
だから、AKB48はAKB48として認知されればよく、個人が突出して売れる必要性はないのである。
ファンを個人に釘付けにすると時代とともに廃れるので、AKB48というコミュニティにファンをつなぎとめることができるのかが重要なのである。
AKB48というコミュニティをいかに築くか、これがメインテーマだ。

そう考えると、つくづく秋元康はビジネスモデルつくりがうまいの~と思う。

まぁいいたいことはいっぱいあるんだけど、このぐらいにしておこう。
夜だし。

リベラリズムと日本

2010-05-17 11:58:47 | 哲学・思想

常連コメンテーターのここなっつさんにコメントをもらいましたが、形而上学的な話題だけでなく、現実世界における今日的問題、例えば本エントリのような話題についても議論を深められていけると嬉しいです。
どなたでもコメント歓迎します。


16日放映の「ハーバード白熱教室」は第7回「嘘をつかない練習」だった。

ハーバード白熱教室(NHK)
http://www.nhk.or.jp/harvard/

前回から引き続きイマヌエル・カントが言う「道徳」からはじまって、今回は同じハーバードの教授だった政治哲学者ジョン・ロールズの「正義論」を基に公平な「契約」について議論を深めていく。

イマヌエル・カント(Wikipedia,japan)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88

ジョン・ロールズ(Wikipedia,japan)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA

この講義全体のテーマは「Justice(正義,公平)」で、正義とは何か、公平とは何か、それを実現する手段は何かについて、様々なトピックを取上げて議論を深めていく。

今回の見所は、ロールズの「無知のベール」だろう。


正義の根拠を、自由かつ合理的な人々が、彼が「原初状態」と名付けた状態におかれる際に合意するであろう諸原理に求めた。この原初状態とは、集団の中の構成員が彼の言う「無知のヴェール」に覆われた-すなわち自分と他者の能力や立場に関する知識は全く持っていない-状態である。このような状態で人は、他者に対する嫉妬や優越感を持つことなく合理的に選択するであろうと推測され、また誰しも同じ判断を下すことが期待される。そして人は、最悪の状態に陥ることを最大限回避しようとするはずであり、その結果次の二つの正義に関する原理が導き出されるとした。


仮説的な原初状態に置かれた個人は、平等な、それこそ公平な立場で判断を行うというわけだ。
この前段階でサンデル教授が説明するのが、カントの感性界/叡知界の区別。
カントは、人間は感性界(現象界)に属するだけでなく叡知界にも属する人格としても考え、現象界を支配する自然の因果性だけでなく、物自体の秩序である叡知界における因果性の法則にも従うべきことが論じた。
カント曰く、「叡智界の秩序に従うことが普遍的な唯一の道徳法則に従う方法だ」そうだ。

つまるところ、正義は「仮想的な社会契約」から導かれる。
そのために「個人は基本的に自由でなければならない」し「機会は均等化されるべき」だし、社会的/経済的不平等は「恵まれた人の経済的改善が恵まれない人の状況を改善する」なら許される。
格差自体を否定するのは共産主義だが、格差も恵まれない人の厚生に役立つならいいわけだ。

これがリベラリズムに繋がっていくわけだ。

違う言い方をすれば、国民全員が原初状態にいるのが理想で、そのためには国民全員の厚生福祉を政府が実現するという論拠にもなるし、また政治家の身分を保証することで、政治家が原初状態にいることができて、特定の利益団体の票に左右されずに済む訳だ。
この点は「政治家は質素清貧で志によってのみ動かなければならない」という日本とは大きく異なる気がする。

しかし当然ながら、この無知のベールなんて考えは攻撃されることになる。
最も単純な批判は、「原初状態なんて所詮、仮想であって人々が完全に無知になれるとは考えられない」というものだ。
まぁそれはいいとしよう。
あくまでも原初状態に近づければいいわけだから。

一方でリベラリズムの「他人の所得の増加から、自己の効用も増加する可能性」は多いにあると思う。
犯罪抑止とかね。
でも、一つ問題がある。
恵まれている人から恵まれていない人への「所得移転の最適化」は可能なのか、という点だ。
これは、今の日本で起きている今日的問題といってもいいだろう。
「金持ちに増税して貧困対策に用いる。」という問題設定だ。

増税って人のやる気を削ぐと思うんだ。
リバタリアニズム的観点から言えば、増税は奴隷制度に等しいわけだ。

結局、公平な分配などというものは、正義が相対的な価値観だから、有り得ないのではないか。
すると授業の最初「正義、公正とは何か?」に戻ってしまう。
今後、サンデル教授がどのような論理展開を行いながら、正義や公正を説明していくのか、目が離せない。