進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

大組閣のメッセージは「変わらないために変わる。」

2014-02-25 14:58:15 | AKB48_オピニオン
今回の大組閣について雑感を述べます。


まず、事前に私は2つエントリを書いています。

(1)
大組閣について
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/8563d9a0d7b5f4ac130fbbd1795a6ae8


(2)
これからのAKB48の向かう方向性を示すために大組閣をする
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/27611652f45fa6f1b5417e545cf282c3


「大組閣」と聞いて感じたのが(1)。

AKB48は大組閣をせざるを得ない状況に追い込まれていると書きました。

しかし、せっかく「大組閣」をやるのだがら、この機会を活かした方がよいと言いたくて書いたのが(2)です。

(1)に近かったですね。

いや、正直に言えば、ほとんど想定通り(1)でした。

コメンテーターのみなさんも指摘しておりますが、今回の組閣案は現場のボトムから上がってきたものを基本に、後から全体的な整合をとっただけのもの、と言われるとしっくりきます。

後ろ向きなことを言っているのではなく、はじめにコンセプトありきのものではなく、必要性に応じて考案されたもの、と考えるべきものかもしれないということです。

ここは表現次第でポジティブにもネガティブにもなるところなので、言葉を選ぶのに注意が必要な部分です。

が、端的にいえば、AKB48グループが持つ各グループ資産をもっと柔軟に運用したいという「内部的」な話でした。

これは、ケイパビリティ(組織能力)を向上させ、顧客価値を高める能力を高める経営方針だと言われれば理解できる話です。


で、ここまではまえおきです。

私が(2)を書いたのは、これを機会にどういう方向性を打ちだすべきかを考えた方がいいという話でした。

それはそうです、何も意味がないのにやるわけありません。

良い悪い、意図的かどうかは別にして必ず顕在的にも潜在的にも意図はあります。

で、実際の大組閣を受けて、AKB48運営の考えるAKB48の方向性が打ち出されたと受け取ることにした方がよいです。

この大組閣に秘められたメッセージは何か?


それは、「変わらないために変わる。」ということです。


今回の大組閣で、今後のAKB48の方向性は打ち出されました。

AKB48は、これまで大事にしてきた劇場やチームといった価値観を今後も大事にするということです。

サプライズ優位ではなく、基本を大事にするグループだということです。

ただ、そのためにこれまでのグループやチームの垣根を飛び越えた運用を可能とする必要があった、ということでもあります。

その背景には、国内にAKB48/SKE48/NMB48/HKT48/乃木坂46と各グループがあって、それぞれに成長したものの、その相乗効果が思うようには得られていないというジレンマがあると思います。

パッチワーク的な増改築を繰り返し、いつやら温泉旅館のように全体性のないものになってしまい、むしろ力が分散してしまって各グループ、各メンバーの潜在性を活かせていない可能性も大いにあると考えられるわけです。

なので、今回いったん仕切り直したと。

だから前向きに捉えれば「変わらないために変わった」ということであるし、少しネガティブに捉えれば、どのようにすれば相乗効果が得られるのか、という点についてAKB48という組織は悩んでおり、その答えをいまだに見いだせていない、ということです。




私は、今回の大組閣で体制を整えたので、これでようやく次の仕掛けの準備も整ったのだと受け取るのはありだと思います。

(2)で述べたことです。

外に可能性を開いていく前に内部を固める。

今はそれです。

次回タイミングを見計らって、グループとしてコンセプチュアルなものを仕掛けてくるものと、可能性が増したと感じたのでした。

佐村河内守というイノベーション

2014-02-12 22:18:23 | AKB48_軽ネタ
世間とは真逆のことを言う。


佐村河内守『交響曲第1番 HIROSHIMA 』
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0ebe8dab31cbcc5df38603638d561e96


私も感想を述べた交響曲第1番『HIROSHIMA』であるが、実はこの楽曲を作曲したのは、佐村河内守ではなく新垣隆であったわけだ。

私は驚いた。

すごいことが起きたと。

これはイノベーションである。


今回の話を総合すると、佐村河内氏は「作曲家ではなくプロデューサーであった。」という話である。

マーケティングの部分で意図的なウソがあったため、詐欺と言われても弁解の余地はない。

この部分について争う気持ちはこれっぽっちもない。



しかし、幾つかの点において誤解もある。

まず、楽曲について。

今は存在がなかったことにされそうな新垣氏が作曲した楽曲たちだが、時が経てば認められる可能性は結構ある。

後の時代の人たちはモノの良し悪ししか見ないからだ。

新垣氏は『HIROSHIMA』を作曲するにあたってマーラーやチャイコフスキーなどから多くのヒントを得たため「パクリだ」と批判されているが、実際のところパクリとかどうでもいい話だ。

それをいうと現代以降の交響曲っぽいもの、たとえば映画音楽なんかはほとんどチャイコフスキーとかラフマニノフとかクラシックのパクリである。

いや、似ていたり、ヒントを得たりということがダメなのであれば、モーツァルト以降の楽曲全てがパクリかもしれないし、全ては真似からはじまることを考えれば、その発想自体がナンセンスだ。


AKB48若手メンバーに贈る「創造的模倣」のススメ ~守破離~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0b68de7ff3d86d1def6ac1907ebdedfc


つづいて「作曲家」について。

そもそも「作曲家」という概念自体が怪しいと思う。

音楽に限らず、多くの分野で、ほとんどの作品では創造的模倣や共作は当たり前のことである。

たとえばマンガの製作においては、ペンをほとんど取らない漫画家もいるだろう。

今回の件も、佐村河内氏を「作曲家」というからおかしいのであって、「作曲チーム」と言えば何もおかしいことはない。

佐村河内氏をプロデューサーもしくはリーダーとする作曲チーム、「チーム佐村河内」なら納得である。

やすす先生が作曲家を使いこなしてこそのAKB48なのと、同じである。


そして私が最も驚いたことは、佐村河内氏が作曲に関しては素人に近いということだった。

ある人はこう言う。

「交響曲『HIROSHIMA』が佐村河内氏と新垣氏の合作だと知って納得した。」

どういう意味か?

今時、音楽的才能がある人は、交響曲など書かないのだ。

才能の莫大な浪費だからである。

にも関わらず1時間を超える超大作『HIROSHIMA』はこの時代に産み落とされた。

なぜか?

それは素人が作った「計画書」があったからだ。

専門家なら絶対にやらないであろう交響曲の作曲を、素人が何の制約も感じずに描いたアイディアを元に、一流の作曲家が四苦八苦してモノにしてみせたのだ。

この曲の出来が悪いわけがない。

これは、自分ではモノを作れないが優れた発想力を持つ経営者のアイディアを、一流のエンジニアがモノにする、という構図に似ている。

『HIROSHIMA』は、素人と当代一流の専門家という通常有り得ないコラボレーションによって生まれた伝説的交響曲なのである。

まさにイノベーションである。

(イノベーションは「組み替え」のことである。)


私は、感想の中で「21世紀の交響曲」だと書いた。

それは、今の時代に「交響曲」にお目にかかるとは思いもしないかったからだ。

外してなくてよかった(笑)

これからのAKB48の向かう方向性を示すために大組閣をする

2014-02-01 19:56:14 | AKB48_軽ネタ
大組閣について
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/8563d9a0d7b5f4ac130fbbd1795a6ae8

↑このエントリを補足しておきます。


私は大組閣に反対しているわけではありません。
今運営が「組閣をやるしかない」と判断したのであれば相当に手が詰まっている、ということを言いたいのです。
もし、組閣後のストーリーを何も示さずに組閣のみを行うようなことがあれば、ですね。

ですが、ふつうに考えたら組閣をやるなら何かとセットのはずです。
セットというより、「○○をするために組閣する」でなければ。
それが大義です。

もしその大義がないのならば論外。
そして、その大義があるにも関わらず、方向感覚を全く共有できず混乱しか生まないのであれば、地盤が緩んでるのであるから、ここで腰をすえて考えた方がいい、とういことです。

みんなサプライズよりも、一緒になって「大切なもの」を作り上げたいと考えているのではないでしょうか。
それなのに、いつも運営は「大切なものはこちらが作る」というわけです。
「これだ。これに価値がある。」と言うのではなく、「みんなでこっちを向かないか?」と言うこと、それが優しさであり思いやりでしょう。
そういうところに気を配らない緩慢さは、いずれ(もうすでに)跳ね返ってくると私は思いますよ。

AKB48のアクティビティ(たとえばCD販売)が評価されていることは、推しメン・システムの頑強さを示しているだけで、必ずしもAKB48が支持されていることを意味しない、と私は思います。
この点について運営は、よくよくわかっているとは思いますが。

支配人人事のために組閣やるのだとしたらがっかりです。
それは単に組閣することと質的には何も変わらないからです。
(私は支配人兼任はやめにして、監督制にした方がいいと思います。)


今回、AKB48は、これからのAKB48の向かう方向性を示すために大組閣をするのです。
たとえば、前に述べていた「オープンAKB48」計画とかね。

AKB48を外に開く。
ただし、その場合はしっかりと内の基盤を固める必要があり、そのために自己強化型フィードバックループが回る内部的なしかけを入れる。
外と内の両面で進めなければ。

しかし、その設計が今のAKB48運営にできるのかは、わかりません。
外部の力を借りてやるのかもしれませんね。