進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

【AKB48】マス時代の終わりとアイドル戦国時代、そしてAKB48ネットワーク

2012-04-30 23:56:45 | AKB48_アナリシス
GW中にも関わらず全く考える時間がなく・・まとめるのを放棄してちと思うままに書かせて頂きます。
(まとめるのを放棄した時点で当Blogの価値は0に近いかもしれませんが・・)

しかし、うまくまとめることのできない時のストレスはたまりませんね・・
まだうまく解釈できていないということなのだと思いますが。
その分、文章がとても長くなります・・。

◆◆◆◆◆◆


突然ですが、ドラッカーを。

ドラッカーは15世紀に起きたグーテンベルクによる印刷革命が300年後の18世紀における「国民国家」というイノベーションに繋がったとしています。
聖書の大量印刷が宗教改革・戦争を、世俗的な文学や近代演劇を生み、社会革命が起きたと。
IT革命による次なる社会イノベーションが何であるか、それが「ネクスト・ソサエティ」だというのです。

また、これまでの1,000年を振り返るならば、西洋の歴史は多元主義が確立され、衰退し、蘇生した歴史であったといいます。
ドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』から、少し長いですが部分引用してみます。(ところどころ端折っています)


 南は地中海から東はギリシャにいたる西洋社会は、紀元1000年ころにはかなりユニークな社会になっていた。それは封建社会と名付けられていた。その中核にあったものが人類史上初の無敵の戦闘マシーン、甲冑に身を固めた騎士だった。

 この戦闘マシーンは、一人の騎士、3頭から5頭の馬と同数の馬丁、戦死率の高さから5,6人に及ぶ補充としての騎士見習い、高価な甲冑から成っていた。この戦闘マシーンを維持するには、100家族、500人の農民が必要だった。古代ローマの職業軍人、あるいは日本の武士が必要とした農民の50倍だった。

 西洋の騎士は、自らの土地を持ち、政治的、経済的、社会的な支配権を握る存在となった。それにつれて他のあらゆるものが自立した権力組織となった。国王や教皇など中央の権威に払うものといえば社交辞令ばかりで、税の類までは納めなくなっていた。それらの権力組織は、貴族、司教、修道院、自由都市、ギルド、大学、職業団体に及んだ。

 1066年に、征服王ウィリアム1世の勝利でイングランドに封建制が確立されたとき、西洋は隅々まで無数の権力組織から成る多元社会となった。全ての権力組織が自治と強力な権力、支配下にある全てに対する政治的、社会的支配権、そして裁判権、軍事力、貨幣鋳造権を求めた。

 その結果、1200年には、西洋社会はそれら無数の利害集団に占領されつくされた。それら利害集団のすべてが、自らの目標をもち、自らの権勢、富、力を追求した。社会全体の利益を考えるものはなかった。こうして社会から社会全体を考える能力が雲散した。

 俗世界において多元主義の蔓延に対する巻き返しが見られたのは、リヨン公会議の100年後だった。1350年ころにウェールズ人が発明しイングランド人が完成した長弓が、戦場における甲冑の騎士の優位性を崩した。さらに中国人が開発した火薬による火砲が、難攻不落の封建領主の城を攻め落とすようになった。

 その後500年間、西洋の歴史は、主権国家すなわち社会における唯一の権力組織としての国民国家の発展の歴史となった。 軍隊をもち戦争を行うことが国民国家の独占となり、私兵が禁じられたのが、30年戦争を終結させた1648年のウェストファリア条約だった。

 諸々の利害集団は次々に自治を奪われた。ナポレオン戦争以降は、ヨーロッパ中で国民国家が勝どきをあげた。聖職者さえ公僕とされ、国によって監督され、給与を払われ、主権者たる国王あるいは議会に従うべきものとされた。

 唯一の例外がアメリカだった。

 19世紀の半ば、ヘーゲルをはじめとするリベラルな政治思想家の多くが多元主義の永遠の死を高らかに宣告した。

 ところが、まさにそのとき、完全に死んだはずの多元主義が生き返ってきた。事実上の権力と自立性を最初に必要としたのが、人類史上前例のない存在として1860年~1870年にかけて生まれた「近代企業」だった。その後続々と新しい組織が生まれた。そして、いずれも社会的支配力を行使する独立した存在となった。労働組合、終身雇用の官僚機構、病院、大学だった。いずれも800年前の多元主義のそれと同じように利害集団だった。同じように自治を求めて戦った。

 それらのなかで全体のことを考えるものはなかった。第二次大戦のさなか、戦争遂行能力を損なうことを恐れて炭鉱ストの回避を呼びかけたフランクリン・ルーズベルト大統領に対し、労働組合指導者ジョン・L・ルイスはなんと答えたか。「大統領は国の為に働く。私は炭鉱労働者の為に働く。」だった。この言葉こそ、あまりに率直であったが、今日あらゆる種類の利害集団のリーダーたちの信念となり、かつ彼らに期待されていることの表白である。

 かくして再び800年前と同じように、今日多元主義が公共の利益のための政策を無効化し、社会の存在を危うくするにいたっている。

 しかし今日の多元主義と800年前の多元主義の間には大きな違いがある。甲冑の騎士、自由都市、商人のギルド、特権を与えられた司教区は、財産と権力を基盤としていた。他方、企業、労働組合、大学、病院など今日の組織は、それぞれの機能を基盤とする。それらの組織は、まさに単一の機能に焦点を絞ることによって成果を上げる。

 主権国家による権力の完全掌握というスターリンの壮大な試みは、つまるところ、企業や病院はもとより軍を含むあらゆる組織が、まさに自律性を奪われて機能不全に陥ったためについえた。

 実は、今日諸々の組織によって行われている仕事のほとんどが、つい昨日までは家族の手にゆだねられていた。家族の教育は家族が行っていた。老人や病人の面倒は家族が見た。家族の仕事は家族が見つけた。もちろん、19世紀の手紙や一族の言い伝えからも明らかなように、家族の手によってそれらの仕事が十分に行われていたわけではない。それらの仕事は、国やコミュニティから完全に独立した真に自立した組織のみが立派に行うことができる。

 したがって、これから始まる新たな1000年、あるいは100年における我々に課された最大の課題が、それら諸々の組織の自立性を保ちつつ、しかもグローバル企業にあっては主権国家の管轄さえ超えた自立性を保ちつつ、今日では戦時以外は失われてしまった社会の一体性をいかにして回復するかである。とはいえ、我々はいまのところ願うことしかできない。われわれは、いかにそれをなすべきかを知らない。

 しかしこの望みをかなえるためには、これまでに経験したことのないあることが必要となることだけは明らかである。それは、あらゆる組織が、それぞれの機能への絞り込みを厳しく保ちつつも、社会全体のために協同し、各々の政治機関と協力する意思と能力を新たにしていくことである。新たな1,000年を前にした先進国に対し、これまでの1,000年が遺した気の遠くなるほど大きな課題がこれである。


期待させるだけさせておいて、最後に問題をぶち上げるだけぶち上げて投げっぱなすというのが如何にもドラッカーらしさといえば、らしさなのではなかろうかと思いますが、問題提起の能力「取り組むべき、考えるべき適切な問題を設定できる」のは重要なことです。


◆◆◆◆◆◆


で、これで思い出すのが昨年(2011年)の夏に放映されたNHKスペシャル「圓の戦争」だ。

NHKスペシャル 圓の戦争
http://www.nhk.or.jp/special/onair/110814.html

300兆円の4割をまかなった「圓」の戦費調達メカニズムと通貨戦争の側面を特集。
大陸での「現地調達」という名の強奪をどう金融システムとして正当化するかで、関東軍が編み出したのが圓。
アメリカは銀行の残高などから、日本に戦争を継続する力はないと見ていたが、当時の世界三大為替銀行だった横浜正金銀行がNYの隠し口座に大量(石油3年分)の資金を貯めこむなど、そして圓のシステム化により戦争継続が可能であった。
英米は日本の力を削ぐ為に大陸での圓の浸透を防がなければならず積極的に元を支援した。

つまり、日中戦争は通貨戦争(ドル+ポンド+元 vs. 圓)でもあって、通貨という名の信用(覇権)をどちらが握るかの勝負であった。
単純には信用を担保する力こそ国家なのだと言われるが、目的論的に捉えると、国家による通貨というよりも、通貨のための国家というややこしい関係性が見て取れる。
結局起きたのは圓の3万倍のハイパーインフレで日本は通貨戦争(信用獲得競争)に負けた。

しかし、この構図は結構本質的で、例えば民間企業で考えると、企業によるブランドなのではなく、ブランドのための企業という関係性を見い出せやしないだろうか。
難しく考えなくてもドラッカーやビジョナリーカンパニーと同様に目的論的な捉え方をすると、企業という組織は基本理念という名の存在意義を乗せる器であって、企業のために基本理念が存在しているわけではない。
ドラッカー風に「社会に機能を提供する社会的機関としての企業」を考えてみても、答えは同じだろう。
その機能を提供するために企業が存在するのだ。

その意味で、企業のためにブランドがあるのではなく「ブランドのために企業が存在する」と考えた方もできると思う。
企業が力を失えばブランドはインフレを起こすし、スタートアップだとかベンチャーだとか現況と関係なく、その企業に力があると思えば割引現在価値的にブランドは高くなる(時価総額も高くなる)。


◆◆◆◆◆◆


この記事も同様の視点で語られている気がする。

札束を積むより信用を築け!
~FacebookやTwitterがつくる21世紀の“信用主義経済”をよりよく生きるコツ~

http://diamond.jp/articles/-/13320

貨幣は『ショートカット(中抜き)』される時代へ
お金を介さない価値交換を実践しよう

http://diamond.jp/articles/-/13499

世界は三層構造でできている
「国家」「企業」より重視したい所属先は?

http://diamond.jp/articles/-/13597


これからの時代は、信用創造が多極化する分散型信用主義経済という話。
信用を担保するものが国家から企業、個人に変遷してきており、特にソーシャルネットの広がりがこれを加速している。
ゆえに本質的にネットと貨幣は競合関係にあって、今後は貨幣を中抜きした直接的な交換と交配が広がりを見せるという点は実に鋭い指摘だなと思うし、企業の立場として考えると信用、ブランドがあれば信用創造と同じことができる、つまりルールメーカーになれるということだと思う。


◆◆◆◆◆◆


ものすごくまえおきが長くなったが、ようやく本題に入ろう。

「戦国時代」の意味が質的変化を遂げたと思うのだ。

マス・アイドル時代が終焉を迎えて、ドラッカーが言うように機能に焦点を絞ったニッチなアイドルが多く現れた。
アイドル多元主義の時代だ。

その意味では、「戦国時代」とは言うものの、各アイドルの関係性は競合関係というより、住み分けられた別個のものと考えた方がいいかもしれない。
そういう意味では「戦国時代」という表現は不適切である可能性が高い。
「アイドル戦国時代」というより「アイドル多元主義時代」の方が意味的にはしっくりくるだろう。


その上で、注目すべきは、完全に死んだはずの封建主義が姿を変えて生き返ってきたように見えることだ。

この流れの主役は、もちろんAKB48だ。
AKB48を起点とするSKE48/NMB48/HKT48/JKT48/TPE48/SNH48といった地域に根差した「地域性」を持ち、ある一定の限界はありながらも「顧客参加型(しかし、決して民主主義ではない)」という側面を持つアイドルの誕生である。

ヲタと呼ばれるファン達は、それぞれのグループにおいて自分たちの領土(意見や関与)が認められることを求め、または自分たちの存在感を示さんとして日々闘う。
その結果として、ファンはゆるく組織化されることになる。
これを見て、新しい時代の封建主義を連想せずにはいられなかった。
多元主義時代の多元主義によって雲集霧散するのではなく、多元主義時代の封建主義によって一体性を確保するのだ。
自己組織化を誘引するメカニズムとしての封建主義なのだ。

AKB48とファンとの関係性は、形は違えど「信用創造が多極化する分散型信用主義経済」を利用した「領主と家臣の関係性」のアナロジーで説明づけられはしないだろうか。
昔の封建制度が「土地」を媒体とした主従関係であったのは、土地が信用を表す第一のものであったからだが、AKB48における土地は「推しメン」に関連するあらゆるコトであろうか。
(そういう意味ではメンバー1人ひとりが領主様なのだ・・)

あえていえば、「封建主義的な要素を持つアイドルによる多元主義時代」だろう。

これを単純にソーシャル・ネットワークの広がりと言うにはもったいない。
私には、信用創造の担保を地域性や物理的緊密性、顧客参加型という「リアル」に置きながら、そこを起点にネットワーク効果で何倍ものレバレッジをかけるようにバーチャルにとてつもなく大きな世界(ここでは「AKB48ネットワーク」と呼ぶことにしよう)を構築しているように見える。
信用創造の担保としての拠点がジャカルタ、台北、上海...と次々に増えていくことによって、このAKB48ネットワークはそれらを乗算するように大きくなる。
驚異的なスピードとネットワーク的な拡がりを見せているこの経済を何と呼ぶべきなのだろうか。
それこそ、以前から当ブログで主張している「東アジア・アイドル経済圏」の先鋭的な形が見えてきた気がするのだ。

またAKB48グループそのものが、異なる事業体の緩やかな連合体となるであろう。
それらを全てひっくるめて『AKB48』というブランドをグループ全体での一体性の確保のために使うのだ。

『AKB48』とは何か?
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/af87f1dafba669f391cb2f4b218cfd2b


◆◆◆◆◆◆

ここまで書いて思うが読み手に伝わる気がしない・・
こりゃ書き直すことになりそうだ・・(汗

少し解説しておくと、企業の中は封建主義的ですよね。
経営陣と従業員の関係が。
でもAKB48とファンはそういう関係にないですよね。

しかし、広い意味では、顧客と企業は価値を共有しているんですよ。
顧客価値と企業価値(利益、従業員価値、株主価値、etc..)はセットですからね。
言うなれば、顧客のゴールと企業のゴールは異なるものになるかもしれないが、方向性は合わせられるということです。

その1つの手段として、AKB48とファンの間で自己組織化を起こすことがあると思うのですね。
そのやり方として、メンバー1人ひとりを領主様とした封建主義的なやり方があるのかもしれないなと。
いや、強引なのはわかっていますけどね。

なんだ、たった数行で書けたじゃないか・・

クリスのソロイベント行きそびれた

2012-04-28 01:09:03 | AKB48_軽ネタ
モザイクかけると何か怪しい・・




今日、秋葉原のAKB48 Cafe で開催されたクリスのソロ・イベントに知人に誘われて行くつもりだったのに、予定の調整がつかずに行けなくなった。
残念すぎる・・。

本当はこの写真に写っていたかもしれないというのに(笑)


たとえばホテルでのディナーショーなんていいと思うんだよね。
一部のファンを優遇とかでだめなのかな?
でもAKB48 Cafeでやっても同じことじゃないか。
料金が高いとヘビークレーマーが出てくるとかあるかもなぁ。
難しいところだ。

【AKB48】『AKB48』とは何か?

2012-04-27 12:39:43 | AKB48_アナリシス
『AKB48』とは、記号である。

もっといえば、

「えーけーびー、ふぉーてぃーえいと」という音であり、表音記号である。

それ以上でもなければ、それ以下でもない。


『AKB48』の役割は何か?

それは、情緒的な期待感を醸しだすことである。


「えーけーびー、ふぉーてぃーえいと」という"音"を聞いた時に連想する何かである。

また、文字として『AKB48』を見た時に頭の中で再生される音であり、それによって連想する何かである。

それ以上であってはならないし、それ以下であってもならない。


当初の意図がどうであれ、今はそうであるべきである。


今『AKB48』の音を問い直してみると、実によくできている。

たとえば「ふぉーてぃーえいと」という音。

「さーてぃーえいと(38)」でもなければ「ふぃふてぃーえいと(58)」でもなく、

「ふぉーてぃーふぁいぶ(45)」でもなければ「ふぉーてぃーせぶん(47)」でもなく、

「ふぉーてぃーえいと」であったことの有意性。

これはもうセンスでしか語ることのできない曖昧で抽象的でふわったした話なのだが、

「えーけーびー、ふぉーてぃーえいと」で表現したいものは、ずばり、そのふわっとした情緒的な期待感なのである。


私は『AKB』が「秋葉原」に由来していることは、説明を欲しがる人にはしておけばよいと思っていて、

しかし、その実は意味ではなく音だということの方が重要だ。と思う。


そうすることで、「『AKB48』とは何か?」という問いに対する多様な解釈を生み出すことが可能になる。

それが多種多様な価値観を生み出し、メンバーを含めたAKB48関係者や消費者が物語を紡ぐことを助けるのだ。

そうして基礎づけられたアイデンティティー「物語」が『AKB48』へ還元し、「AKB48」は進化し続ける。


偶然の産物とはいえ、大きな物語を失ったポスト近代社会において、

この再帰的な認知プロセスによって新しい物語が生み続ける『AKB48』という破壊的イノベーションの凄さを改めて感じいるのであった。



参考:
AKB48のフリみて、我がフリ直せ
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/b4842260fe6ab87a808ee0c49d1b3157

なかやんの『非選抜アイドル』が4万部突破したが、納得の内容。

2012-04-25 11:12:38 | AKB48_軽ネタ
内容は4万部売れても全く不思議でないレベルの出来なので、今後プロモーションされれば、さらに売れる可能性があると思います。

AKB仲谷明香 自叙伝4万部ヒットに驚き「こんなに売れるとは」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120424-00000073-spnannex-ent

 AKB48の仲谷明香(20)の自叙伝「非選抜アイドル」(小学館101新書)が4万部を超えるヒットとなり「こんなに売れるとは思ってなかった」と本人も驚いている。今月2日の発売を待たずに予約だけで増刷が決まり、すでに2度、重版されている。

 「暴露本なのかと思って買う人もいると思うけど、そうじゃない。そこは期待を裏切ってすみません(笑い)。この本は私と同じように非選抜に生きる人たちへの応援メッセージです」

 自らの半生を振り返りつつ一度もAKB48で選抜されたことのない「非選抜組」の立場を面白いと思うまでに至った過程を描いた。

 半年前、20歳の記念として出版が決定。仕事の合間を縫ってパソコンでコツコツと書き進めた。もともと国語や漢字を覚えることは好きだったが、本格的に文章を書くのは初めてとあって悪戦苦闘が続いた。

 ベストセラー「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の著者・岩崎夏海氏は仲谷の文才を見抜いた一人。「ですます調だけじゃなく“…だ”“…である”など、いろいろな言葉の使い方があることを教わった」という。

 「結構物事を忘れやすいから、まず自分の歴史を振り返るのが大変だった。ギリギリにならないとやらない人なので(定期的に決められた)締め切りの前日とか公演後に書いていたんだけど、文章が短すぎて(岩崎氏らに)差し戻されたこともあった」

 ヒットをよそに本人は自然体。「20歳の記念に出して“はい、終わり”で事足りるはずだったんです。これからも普通にやっていきたい」。目標とする声優としての独り立ちに向けてマイペースで走り続ける。




↓『非選抜アイドル』の内容は秀逸です。是非、お読みください。

仲谷明香『非選抜アイドル』 ~彼女の才能に今さらながら驚いた!~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/665750fb755f78183242c992679474d0

求められているのは完成度の高さではなくて、自由度の高さ

2012-04-25 00:49:11 | AKB48_オピニオン
ヘビーローテーションの生演奏クッソワロタwww
http://akb48matome.com/archives/51817217.html

そういうもんかねぇ。

ちょっと違うと思うけど。

私が制作サイドだったら、OKすると思うよ。

だって、巧かったらそのTV番組を見る必要がないんだもの。

インターネットの力が増大し続ける昨今、TVを見る意味は何か?ってことです。

TV局はTVを見て欲しいからね。

そこでしか見ることのできない価値がなければ、見ないでしょうね。

どの番組見ても同じフリで同じ口パクの歌だったら、見る必要ないしね。

そういう意味でAKB48って需要があると思うんですよね~。

バリエーションが多いから。

番組によってカスタマイズしやすいでしょ。

生演奏して欲しくて仕方ないよね~。

自由度が高いもんね。

歌以外にもね。

「ゆび祭り」は「アイドル」のためにやるのであって、CDを売るためではないと思います [再追記]

2012-04-23 11:03:33 | AKB48_オピニオン
あえて「ゆび祭り」についてエントリ書くことにしました。
ただ考える時間があまりなかったので、あとで修正するかもです。
参加するグループは多数ですが、あえてももクロにだけフォーカスしています。
理由は、単純に書くのが長くなって大変だからです・・。

指原もプロセス参戦
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bb6860ec4a882a55e836fc60dfca302d

ゆび祭りにももいろクローバーZも参加決定!(AKBまとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51816639.html


同意頂けない方も大勢いらっしゃるとは思いますが、まず私の考えを述べます。


私は、この話を知ったとき、面白いと思ったし、喜ばしいとも思いました。
私が関係者なら喜んで賛同したと思います。

なぜか?

何のために、このイベントがしかけられたのか、わかりやすかったからです。

「アイドルのため」です。

「CDを売るため」では決してないと思います。

拡大解釈かもしれません。
メンバー各自は「盛り上がりたい」という単純な想いもあるでしょうけれど、しかし大人の事情な方々がなぜ共闘するのか「アイドルのために」としか言いようがありません。

ももクロが目標としていた武道館、ももクロ運営がその重みをわからないわけがありません。
ももクロ運営が同意した理由、それはもっと大きな目的があるからです。
(AKB48もプロ野球の開幕戦で君が代を歌いましたよね。東京ドームで。)

誤解を恐れず言います。

AKB48がどうか、ももクロがどうかというのは、ここでは小さな話なのです。

たとえば、ももクロが目標の一つである「NHK紅白歌合戦出場」のために必要なことは何か、考えたことがありますか?
ももクロが今以上に売れることでしょうか?

あえて「違う」と言いましょう。
(異論・反論はあるでしょうけれど・・)

ももクロがNHK紅白歌合戦に出るために必要なこと。
「アイドル」というジャンルが日本の中でもっと認められることです。
1つの産業として、エンターテイメント・ビジネスとして、何よりも「1つの重要な存在」として認められることです。

それが、アイドル関係者の誰もが誇り高く生きれる道でしょう。
もちろんファンも。

全体の利益のために、個別の利益を超えて手を取り合う。
(それこそ、これまで「大人の事情」で手を取り合うことができなかった。)

私はその姿に純粋に驚きと、感銘を受けました。

こういうことができるなら、アイドル業界は、これからもっと面白くなっていきます。

◆◆◆◆◆◆

ちょっと大きな話をし過ぎましたので、ちょっと打算的な話をします。

当然、全体の為にもなり、個の為にもなる。
受け入れるなら、これが条件です。

本当にいろいろあり過ぎて、書くのが面倒です。


「ゆび祭り」が「AKB祭り」だったら、他のアイドルグループの参加、というよりコラボレーションが難しくなります。
規模が違いすぎるからです。
「AKB48」と「ももクロ」という組み合わせの効果を最大化するためには、「まゆゆ」とか「さしこ」といった形でのコラボがベストです。
「ゆび祭り」がアイドルフェスタなのは、実に自然なことだと思います。


ももクロにとって武道館は目標の1つですが、目標はあくまでも「単独公演」でしょう。
やる側からみたら別に気にすることでないと思います。
ステージが与えられれば、そこで全力を出し切るだけです。
それは「武道館」が目標なのではなく、武道館で自分達のファンたちと自分達の創るステージを共有することが目標だからです。
ただ、処女信仰が根強くあるように、条件にこだわりたい人はどうしてもいるので、批判があるのはいかんともし難いところです。


アイドルのメンバー自身は、競合グループに対してライバル心を持っても、敵対心を持っているわけではないと思います。
それこそ、「大人の都合」で敵対させられているだけですので、仲良くもしたいし、共闘できるところはすべきです。
ほんとメンバー同士は他のアイドルのファンだったりするわけですから。
乃木坂46なんか見てると無駄にライバル心を掻き立てられて可愛そうというか・・
あんな管理されてると個人が成長しないから大成しない気がしますけど・・。
敵対するようにファン心理を煽っているという話もあるかもしれませんが、それは誤解です。
アイドル陣営がやっているのは、自分達の価値をライバルよりも高めて支持を集めたいと思っているだけで、ライバルより先んじたいという姿勢が結果として敵対を煽って見えるだけです。


ももクロファンに怒られるかもしれませんが、ももクロ運営にして見れば、大ブレイクへの方法論が喉から手が出るほど欲しいと思います。
(単純にマスコミ露出しても効果が一定にしか出ないのは乃木坂46で実証済みですね)
現状で満足することも可能だと思いますが、より上を目指すのであればです。
効果の期待できるチャネルがあるなら、利用したい。
ゆび祭りというアイドル・フェスタならクイズ番組に出るよりもいい効果が得られるだろうから、参加できるならしたい。
これが本音だと思います・・。


まだまだいろいろあって、アイドルフェスタに参加するメンバーの刺激ですね。
いろんなアイドルに触れることでいい刺激になるのは言うまでもないです。


独禁法について。(※専門家の意見を緩募!)

やり方によっては、抵触する可能性があると思います。
ただ、指原陣営も、その批判が出るのはわかっているので、慎重にイベントを組んでる気がします。

まず基本ですが、「第一回ゆび祭り~アイドル臨時総会~」は、「指原がプロデュースするアイドルイベント」なので、「あくまでも指原が主催する指原のイベント」だと主張してくると思います。
その上で、参加するアイドルグループの力を利用してCDを販売しようとしている意思の有無、つまり参加するアイドルグループを抱き合わせにした、抱き合わせ販売なのか、というところについては逃げ道を用意していると思います。
指原の枠と、参加するアイドルグループの枠を分けて「参加するアイドルグループのファンに指原のCDを販売する意図はない」と言える状態にしています。
指原の枠が優先的に良い席が割り当てられるのは、「指原のイベントだから」と言うつもりと思います。
(枠の配分割合に恣意性が入り込む可能性は十分にありますが)
おそらく個人認証をしっかりすることで、転売防止対策もやるでしょう。
などなど言い訳はいろいろできそうです。

それでいて、他のレコード会社から不公正な取引で訴えられる可能性は、今回の場合ないです。
他のレコード会社が認めているからこのイベントが実施可能だからです。
指原というAKB48の人気チャネルを通じて自分達のアイドルをプロモートするチャンスですから。


で、申し訳ない感じで最後にもう一度振り返ります。

アイドル業界を活性化するのには同意するものの、指原の人気にあやかる必要もないのに、「武道館」への想いを台無しにされるのは耐え難いというのは、ファン心理としてよくわかります。
でも、あえて言えば、それも「一つの意見」ということです。
もう一方には、そう思っていない人がいるということも間違いのないことです。

CDを売るためではないし、指原の人気にもあやかっていないし、武道館の想いも踏みにじられていないし、ももクロのためになるから応援したい!
と考えている人も大勢いると思います。


ちょっと語りつくせる気がしないので、コメントで批判して頂ければ、個別の事案について考えていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。

◆◆◆◆◆◆

東京女子流は「Limited addiction」知ってます。
いい曲ですよね。
前にコメンテーターのtuneさんに教えてもらって以来、たまに聴きます。

◆◆◆◆◆◆

【追記】


完全に都合の話をしているだけかもしれませんが、書き忘れたことがあるので追記します。


まず、アイドル・フェスタ的なものをやりたいと思ったとしましょう。
単純にそういうものをやったら盛り上がるんじゃないか?という想いからです。

私だったら最初に考えるのは「どうやったら、アイドル・フェスタを実現できるか?」です。
「やろう!」と呼びかけて簡単に実現できればそれでよいのですが、現実には下記(たぶんもっといっぱい)考えないといけません。

顧客は誰か?
参加するアイドルは?
目的は?
企画の詳細、構成、進行は?
場所は?
日時は?
予算は?
価格は?
プロモーションは?
運営主体は?
どこと組む?
利益は?
もろもろの利害の調整はできるか?
そもそも、本当にやる価値があるか?
etc...


これはかなり個人的な考え方ですが、誰にとっても損にならないことは、たぶん誰にとっても役に立たないと思います。
秋元康氏ではないですが「幕の内弁当は心に残らない。」です。
だから、「幕の内弁当的イベントを開催します。」と言ったら、賛同してくれる人は少ない気がします。

(幕の内弁当に失礼極まりないこと、ここでお詫びしておきますが)
もっと根本的なことを言うと、幕の内弁当の為にがんばる人は、たぶん少数派です。
幕の内弁当ではドライブがかかりません。

これは何事にもいえるのですが、何かを成すために重要になってくるのは、その活動を自分のコトとして率先して進めてくれる人の有無です。

「たぶん」ばっかりで申し訳ないのですが、たぶん「アイドルフェスタをやります!」といったら急激に話が面倒になります。
あらゆることに幕の内弁当が求められるからです。
たぶん、いろんな壁にぶつかっていく中で途中でやる気が折れて頓挫することもあるのではないでしょうか。

ですから、誰かが自分のコトとして話を進めてくれて、そこに乗るのが楽なのです。
「カツどん的イベントを開催します!」と言ってくれた方がずっと気持ちが乗るのです。
もちろん、幕の内弁当と違って「カツが嫌い」という人には、どうしようもなく気に入られないものになってしまいますが。
ただ、誰にも嫌われないようにしてたら、何もしないことが正解になってしまいます。
そうではない道を選んでいる、ということではないでしょうか。

今回はカツ、次は味噌カツかも(笑)

コメントはあとで返信いたします。もう朝なので寝ないと・・

◆◆◆◆◆◆

【再追記】

話が抽象的でわかりにくかったようなので、再追記します。

コメント頂いている内容からすると、皆さんが心配しているのは、イベントの主旨には賛同するものの、「今回のチケットの販売方法に不安もしくは不満、疑念が残る」ということだと思います。

この問題に対する私の考えは簡単です。

「ゆび祭り」でなかったら、他にどういう実現方法があったか?
その方法に実現可能性はあったか?

私が考えるのはこれだけです。
そして、私の意見は「幕の内弁当では実現できなかった。」です。
つまり、指原による「カツ丼だからこそ実現できた。」です。

もちろん、ビジネスですから、指原がやる以上、指原に利があるようにやるでしょう。
ただし、「今回は」です。

「何もしない」という選択肢も有り得たわけです。
でも、批判が起きるのがわかっていながらやると決めた。
「その先」を見据えているからです。

他のアイドルは、ここで指原陣営に貸しを作っていますので、次は他のアイドルグループのイベントに指原(もしくは他の誰か)が出てくるでしょう。
ビジネスは静的なものではなく、ネットワークですよ。
動的なものです。

「ゆび祭り」はファーストステップに過ぎないのです。
ホップ・ステップ・ジャンプの「ホップ」です。
そう皆が考えたから、実現できるんです。

考えてみてください。
ももクロがやる西武ドームや、武道館に指原が出てくる可能性を。
(これはないかもですが)AKB48のコンサートにももクロが挑戦状叩きつけに来る可能性だってあります。
私はワクワクしますね。
考えただけで鳥肌ものです。
(リクアワみたいに、みのもんたがVTR出演するよりいいじゃない・・)

※こういう繋がりを嫌がる排他的な人には、何を言っても理解して頂けないと思いますが・・コラボ自体を否定されたらもう何も言えません。力不足です。

SNH48発足! AKB48の本気を垣間見た。

2012-04-23 03:08:01 | AKB48_軽ネタ
上海にて「SHN48」が発足のようです。

AKB、次は中国進出!上海拠点の「SNH48」誕生!


誰得?とか言ってる人がいるけど、そんな簡単な気持ちではやっていないと思うよ。
中国でアイドル・ビジネスを展開するリスクや不確実性について誰もが考えると思う。
もちろん日本側のいろんなところからの支援や現地の有力者とのコネ、ある程度の勝算(目論見)はあるのでしょう。
でも、多くの部分は、いろんなものを、単なるビジネス上の利益を超えて、将来を見据えたもっと大きくて複雑なものを背負って出ていっていると思う。
政治的要因で反対する意見もあるけれど、両国間の政治的な問題を乗り越えることも目的の1つだから。
まさにそういう反対意見を乗り越えていかんとする意思だよね。


それと、根本的に「ビジネス」を邪推なものだと捉えている人もいるけれど、「ビジネス」って本来尊いものだから。
秋元康氏の懐をあたためるためとか・・そんなことだけの為にリスクを犯せるわけがない。
自分が秋元氏の立場だったらって考えてみるといいけど、単なる欲だけでこんな意思決定しないと思うよ。
そもそも顧客価値なり社会的価値なりがないもので持続的な利益を上げ続けることはできないし。
ドラッカーは近代企業の役割を、社会に機能を提供する組織として描いたよね。
社会には組織の力なしにやっていく気力も能力もないと。
組織をして高度な成果を達成させるためにあるのが、「もしドラ」で有名になった「マネジメント」。


前に書いたことあるんだけど、目指す一つの形は国境を越えた「東アジア・アイドル経済圏」のようなことだと思う。
最近Googleと組むことが多いのは、Googleと「東アジア」というキーワードで一致するからだと思う。
今後の世界の主要な成長エンジンは東アジアであるのは間違いないし、FBやらTwitterやらライバルにまだ侵食されていないところ。(現地メディアもあるが・・)
お互いに不足しているものを補完し合えるし、お互いの世界戦略の方向性の一致だよね。

なんにせよ、簡単な気持ちではやっていないと思う。
いろんなものを抱えて、背負って、それでもより大きな目的に向かっていくという意思。
そういうことだと・・勝手ながら思う。


などなど、深夜に書くと雑になりがち。

【AKB48】真夏のSounds good !

2012-04-21 20:53:02 | AKB48_軽ネタ
『真夏のSounds good!』のMVフルが解禁されたわけだが(AKBまとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51816570.html

真夏のSounds good !_AKB48




めちゃくちゃカッコいい!!

そして、まゆゆセンターいけてる。

成長したなぁ~と何も知らないのに感慨にふけてみました。

これなら全然いけると思う。


批判もあるけど、私の記憶が正しければヘビロテもエビカツも最初批判されてたよね。


それと、とにかくAKB48の層の厚さに驚くね・・

これだけのメンバーが競争してるんだから・・他のアイドルグループでは絶対勝てないよ。

ただ、AKB48が新規ファンを獲得できているかというと、厳しい気がする。

チーム4の伸び悩みがそれを表している気がします。

なんとなく、AKB48は2階建てになっていて、2階部分が伸びていない気がする。

2階部分(AKB48の新しい部分)は他のアイドルグループとたいして変わらないような。

やはり、時間が必要ということではないか。

誰か説明してくれないかなー。

まぁキッチンドリンカーやりながらの投稿なので、かなり適当です。

【AKB48】AKB48のフリみて、我がフリ直せ

2012-04-20 16:00:52 | AKB48_オピニオン


『ソニーのふり見て、我がふり直せ』を読んだら、「SONY」と「AKB48」が重なって見えてしまいました。
面白いので、内容を一部引用したいと思います。

井深・盛田時代からソニーを退社する2006年まで一貫してソニーのブランド戦略の中枢で活躍した河野透さんを、電通出身の山口誠志さんがインタビューという名の尋問をして掘り起こした世界的ブランド「SONY」のブランディングの真相をまとめたものです。
ブランドに興味があれば楽しめる本だと思います。

この本の序章にこうあります。

 お生憎いなことに、この本がこれから綴ろうとするソニーは、今散々にこき下ろされている。
ネットの書き込みでは「終わった」だの「死んだ」だのと、遠慮も憚りもあったものではない。長年にわたってソニーを追っているライター諸氏には、「さよなら」と題した本やら記事まで書かれてしまう。そればかりか、元従業員らの赤裸々な告白本も売れに売れて、まさに東京裁判さながらの戦犯探しと断罪の話が目白押しだ。
 そういうわけで、「いまさらソニーの話かよ」と訝る向きには、違う本を渉猟していただく方がいいと思う。というのも、この本は「それでも、やっぱりソニーだよ」という部類に入ると思うからだ。

 「それでも、やっぱり」の焦点は、ソニーのブランドに向けられている。
 今のソニーがどんなにこき下ろされたとしても、それでもなお、ソニーほどブランドでうまくやった日本企業は他にはないと私は思っている。
 見渡せば、ブランドにいいとかブランドに効くという手口はおびただしくあり、ダイエット用品のように現れては消えていく。ベンダー(広告代理店や製作会社)も昔ながらの広告会社に加えて外資系もネット系もあり、選択肢は量の手に余るほど増えた。ノウハウやスキルを伝授する機会も増えて、情報も知識も容易に得られる。それこそ「ソニーのようにブランドを毀損しないために」という解説やお節介もあって、至れり尽くせりだ。それなのに「終わった」会社=ソニー以上に、ブランドでうまくやった企業が見当たらないのはなぜだろうと思う。

この文章を、下記のように変えてみたいと思います。
「ソニー」→「AKB48」
「元従業員」→「元メンバー」
「日本企業」→「アイドルグループ」

 お生憎いなことに、この本がこれから綴ろうとするAKB48は、今散々にこき下ろされている。
ネットの書き込みでは「終わった」だの「死んだ」だのと、遠慮も憚りもあったものではない。長年にわたってAKB48を追っているライター諸氏には、「さよなら」と題した本やら記事まで書かれてしまう。そればかりか、元メンバーらの赤裸々な告白本も売れに売れて、まさに東京裁判さながらの戦犯探しと断罪の話が目白押しだ。
 そういうわけで、「いまさらAKB48の話かよ」と訝る向きには、違う本を渉猟していただく方がいいと思う。というのも、この本は「それでも、やっぱりAKB48だよ」という部類に入ると思うからだ。

 「それでも、やっぱり」の焦点は、AKB48のブランドに向けられている。
 今のAKB48がどんなにこき下ろされたとしても、それでもなお、AKB48ほどブランドでうまくやったアイドルグループは他にはないと私は思っている。
 見渡せば、ブランドにいいとかブランドに効くという手口はおびただしくあり、ダイエット用品のように現れては消えていく。ベンダー(広告代理店や製作会社)も昔ながらの広告会社に加えて外資系もネット系もあり、選択肢は量の手に余るほど増えた。ノウハウやスキルを伝授する機会も増えて、情報も知識も容易に得られる。それこそ「AKB48のようにブランドを毀損しないために」という解説やお節介もあって、至れり尽くせりだ。それなのに「終わった」会社=AKB48以上に、ブランドでうまくやったアイドルグループが見当たらないのはなぜだろうと思う。


近い未来の話みたいですね。

↓たとえば、こんな話題についても

AKBのファンってもっと肩の力抜いたほうがよくない?(AKBまとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51816372.html

「AKB48」という「ブランド」を意識すると違った側面が見えてくる気がします。
たとえば、↓ソニーのブランドについて語ったものですが、「SONY」を「AKB48」に置き換えて読んでみてください。


・世の中の8割を敵に回すも可なり

宣伝の話ですが、ソニーは日本の企業にしては好き嫌いをはっきり言う方でしたね。少なくても、そういう主張がある方に見えた。

河野:まぁ、嫌いな方は言うだけ無駄なので、好きな方だけガツガツ言わせてもらいました。

しかし、好き嫌いを言うことには度胸が要りますね。本来なら「皆さんの」って、万人受けを狙うのが筋ですから。

河野:ソニー的とか、ソニーらしさと言われるけれど、それって万人に好かれるものではないし、また万人が好きなものはソニー的ではない。そういう自覚がありました。

それでよかったんでしょうか?

河野:一部には愛好されて一部には嫌悪される。その方がブランドの伝染力が強い。そう思っていました。

たとえば、ここに二人います。タイプAとタイプBです。タイプAがソニー好きならば、タイプBはソニー嫌い。セグメントとはそういうものですが。

河野:それが当たり前じゃないかと思った。そのセグメントの基準が間違いでなければ、好きな人がいれば、反対に嫌われる部分が出てきて、嫌う人が出てくる。その方が自然だし、そうあるべきだ。ブランディングはそういう状態を作ることだし、それは一部の愛顧をさらに強化していくことにもつながる。

握り合った者同士で、さらに深い関係を目指して杯を重ね合う。顧客関係の深化というやつですね。その対極にあるのがアメリカ系のマーケティングです。これは量と効率を追求する販売技術です。

河野:だから、それと混濁させてしまって、闇雲に全員に好かれようとする。その結果、全員から距離を取られてしまう。それで沈んでいく。今のソニーに限らず、そんなふうに見える商品やプロジェクトがたくさんあるように感じるけど、どうだろうか。

すると、ソニーが狙ってきたのは面よりも点ですか。

河野:ものの喩えですが、非常にソニー愛顧の強い人からソニーブランドが溢れだして周囲の人に伝染していく。それでソニー今日に入信してくれるならいい。だけど、ソニー愛顧者とアンチ・ソニーの人を足して二で割ってみると、こんなスコアになりました。そんな均した見方にが意味があるのか?ないですよ。

「Do you have a HONDA」という一連のブランド広告がありました。ホンダの方がズバリ言っていました。「あれは伝染なんだ」と。合議制の検討を重ねて、これがベスト・ソリューションです。そんなやり方は強烈な愛顧を生まないぞ。限られた人の支持であっても、ブランドは非常に濃くあるべきだ。そうおっしゃる。

河野:そりゃそうです。いろいろ比較モデルを検討して、AのセルかBのセル化。どっちのクラスターを重視するか。色分けしたり、セグメントを入れ替えたり、どっちのセルに寄せた方が得だとか損だとか。そうやって組み立てていく。条件肢をいろいろいじって、計算した気になれる。そういうのが多いでしょ。会社でも商品でもサービスでも。

昨今の市場理解の手順がそうですから。そういう説明が立たないと職場では馬鹿たれと言われてしまいます。

河野:そういう数字いじりがみんな好きだね。ソニーのトップの持論には、毒や独善が混じっていた。盛田さんにも大賀さんにも。ご本人たちも僕らもそれを自覚していた。だから、それを承知でみんな喜べという話にはならない。無理ですよ。むしろ、ブランドが精強になればなるほど、世の中の8割には嫌われるはずだ。その方が自然だろう。そう思っていました。僕らがやってきたのはブランディング。マーケティングなら落第でしょうね。

万人受けではない。とすると、ソニーの仲間、またはソニー感度をお持ちの方々の心をしっかりとグリップしとかないといけない。そうなりますね。その際、経営トップは何を判断するのでしょうか。

河野:何ならやりすぎ、何なら許容。そこをジャッジしていた。つまり、アクセルとブレーキ。ハンドルは現場。だから、ブランドのコントロールやメンテナンスは、できるだけ単純に大ずかみにやろうとした。ただ1点、責任の所在をはっきりさせろ。そこが肝心なところ。



あらためて伺いたい。ソニーにとってブランドとは何か?

河野:そもそもは商標。名前。単なる識別のためにある。

ブランド論が溢れているが?

河野:それでも根本は商標。1958年当時、ブランドなんて概念は日本になかった。なかったけど、逆に「暖簾」という考え方は脈々とあった。暖簾のアナロジーが説明される方が気持ちよく理解できると思うね。

表意ではなく、表音にこだわった理由は?

河野:海外だ。その時既に外国市場に乗り込むことを織り込んでいた。単純にアルファベットにするだけでもだめ。NECが「ネック」、Nikonが「ナイコン」と呼ばれたりという現象もあった。

SONYは、SOUNDまたはSONICのSOと、男児のSUNNYのNYを合体した造語という説明があるが?

河野:そんな説明的な読解よりも、ハナモゲラ語というかエスペラント語のような感覚にのって編み出された。表音文字だから記号化して図像として視覚で捉えることができる。たった4つの文字だからね。

先に名前を決めたら、それにふさわしい振舞い方があとから追いついた?

河野:明らかにそう。たまたま。たまたまトランジスタにぶち当たったし、たまたまそこに生きる道を見出した。

後年、ソニーの中でブランドのコンセンサスが齟齬を来すようなことは?

河野:それはない。極めて単純に定義していたから。妙に思弁的な解釈や疑念が入り込む余地はなかった。

具体的には何と?

河野:「SONY」という音であり記号であり図像です。それしかない。「2001年宇宙の旅」に出てくるモノリス(石柱状の謎の物体)みたいに、それだけがデーンとある

世界的で、最先端、未だかつてない。それがSONYだ?

河野:そういう連鎖・連想であり「ソニーとはそういうものだろう」という、まさに情緒的な期待感。


「SONY」と「AKB48」が重なるんだよな。
つまるところブランディングなんだ。

「バナナマヨパン」と「メープルきなバナナ」を食べた

2012-04-20 01:50:49 | AKB48_軽ネタ
体調不良で頭がガンガン割れそうですが、がんばって更新します。







秋葉原のAKB48 Cafe & Shopで食べてきましたよ。

「バナナマヨパン」と「メープルきなバナナ」を。

BBQのハヤシライスを食べたかったのですが、売れ切れだったようです。


で、食べた感想ですが・・


いや、普通です。


特筆すべき点がないという意味で、本当に普通です(笑)


なんら変化球っぽいところもなく、いたって普通に組み合わされただけ・・


バナナマヨパンは普通にパンにバナナ挟んで食べました、というだけで

実はマヨネーズが目立ちすぎないようにとか、違和感を減らす細かい工夫がこらされているのかもしれません。

バナナ・クレープみたいなものかな。


メープルきなバナナも普通です・・。

バナナマヨパンと同じ感想になってしまうのですが、バナナ食べてる以上の感動がない・・(笑)


むしろ、その普通さが魅力なのかもしれません。

メンバーが子供の頃に食べていた家庭の味、ありふれているけれども、そのありふれてる普通さを共有する魅力、ということに共感できる人なら、きっと楽しめるでしょう。

両方ともに280円ですので、一度食べてみてはいかがでしょうか。

価値のあれこれ

2012-04-19 23:00:07 | AKB48_オピニオン
価格決定論について詳細を説明する気力も能力もないけれども、「アルキアン・アレンの定理」というのがある。

簡単に言ってしまうと、「人は些細なコトの為に高い費用を払ったりしない」という単純な理屈だ。

今多くの人々の文化的消費活動は、誰かのブログ見たり、FBやらTwitterでつぶやいたり、ちょっとした調べものするといったコトの為に費やされていたりするわけなんだが、PCなんか立ち上げるのは遅いし、重いし、場所とるし、キーボードやらマウスやら邪魔だし、高いしやってられないという簡単な結論に至るわけだ。

スマフォが流行るのだって、iPadが狙ったのだって別にたいしたコトじゃなくて、実はこの些細なコトの為なのだ。

いや実際、多くの人々が求めているのは些細なコトなんであって、スマフォやらタブレットで大それたコトができることなんて求められても望まれていないし、大それたコトを押し付けようとすると「ごり押し」なんていわれる時代になったってことなんだ。

嫌消費だなんてよくわからないこという人いるけど、文化的消費活動ってのはつまり、自分だけの物語を紡ぐためにやるものであって、誰かに言われてやることじゃないってことなんだな。

いやだって世の中は些細なコトで溢れていて、それを簡単に手に入れることができるっていうのに、わざわざ大それたコトに高い費用を払うのって何で?

って逆に思われても仕方がないことなんだ。

じゃぁ、なんで遠距離恋愛って成立するんだ?

ってことについては、またいつか挑戦したい。

今一つだけ言っておくと、例えば高尚な文化の一つとして知られているウィーン・フィルの演奏を海を渡って聴きに行くとしよう。

でも、その演奏はCDというパッケージになっていてAmazonというサイトでクリックすれば数日の内に手に入れられたりするんだ。

じゃぁ、なんでいちいち海を渡る必要があるんだ?

って話になるだろう。

実は「アルキアン・アレンの定理」に言わせれば、それは費用が高いからなんだ。

なんか嘘くさい話だ。



あまりに投げやりなので、少しまとめるかな。

人は完全合理的ではなく、その意思決定を分析すると、利益と損失の評価に線形の関係性は見られない。

利益と損失のどちらを重く見るかについて参照点がある、というのがカーネマンのプロスペクト理論なのだが、この参照点が時代の変化とともに、とりわけIT技術の進化によってどう変わってきているか、というのが当Blogが表現したいテーマの1つである。

つまり、利益があると考えて行動を移すか、損失があると考えて自制するかの判断基準が、どう変わっているかということだ。
(その判断にさえバイアスが入り込むとういのが「ヒューリスティックスとバイアス」ですね。システム1とかシステム2のお話です。)

そして、このプロスペクト理論を強力に補足するのがアルキアン・アレンの定理だと思う。

この定理は、かけたコストに応じて期待する効用が変わるというものなのだが、交換コストが低下すると、かけるコストも低下するわけだ。

つまり、あらゆる情報を獲得するために必要な交換コストが下がってきている世界において、人々が期待するものも変わってきているということを言いたかったわけ。

ちなみに、プロスペクト理論が当てはまらない職業の人がいるという話もある。

「侍」です。

【AKB48】ガチなら事故も起きるし、怪我もする。 しかし、それがAKB48

2012-04-18 12:42:42 | AKB48_オピニオン
うたた寝しながら書いたから内容が足りなかった・・ので追記

運営の心ない対応にNMBメンバーが不満を漏らす(AKBまとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51815690.html


こういうやりとりを、ググタスでやることに批判があるけれども。

前から言うように、ガチなら事故も起きるし、怪我もするさ。

でも、ガチだから面白いし楽しいし、喜びもあるんじゃなかろうか。

メンバーにとっても、ファンにとっても、スタッフにとってもね。

その一方で、涙も怒りも、悲しみもあるけどね。

ググタスをガチな場にすると決めたのなら、ガチでやろうぜ。



誹謗中傷とか違法・脱法行為とかになってくると話は変わるけど、基本、許せる範囲であれば何でもOK.

許せるか、許せないかの基準はないよ。

それはもう感覚、感受性の問題。

しかも、時と場合によって、時代によって変わるもの。

誰のって、そこにいる人々の。

それとまぁやすす先生以下トップマネジメントの人々のね。

基準があるとすれば、「AKB48らしさ」という情緒的な期待感だね。

それも抽象的だけどね。

AKB48らしさを大事にしようよ。


【追記】

「許す」「許さない」とか、「AKB48らしさ」というような情緒的な反応をあえてクローズアップしたのには意味があります。

新しいものが生まれる時には、「複数の評価原理」が重要なのです。

話が小難しくなるのを避けるために、とんでもなく話を単純化します。

要は、一つの「正しさ」ではなく、いくつもの「正しさ」が共存した方がいいという話です。

なぜなら、新しいものが生まれる時というのは、必ず「正しさ」と「正しさ」とがぶつかり合ったところに生まれるからです。

これを「創造的摩擦」と呼んだりします。

「無」から「有」が生まれないというエネルギー保存則も同じですね。

イノベーションという新結合も、ゼロから何かが生まれるのではなく、何かと何かがオーバーラップして起こるのです。

いわゆる「多様性」の議論です。

ただ、少し注意してもらいたいのは、

多様性というのは種類がいっぱいあるという意味ではありません。

不協和が組織化されているということです。

あっ、話が小難しくなりましたね。。

まとめますか。

AKB48が、自らを自己革新させていく組織をめざし、そのためにガチを内包するというのは、つまり「不協和の組織化」をやるということです。

AKB48はたった一つの正義で何かを決める組織ではなく、多分にいい加減で曖昧なものを許す組織でなければならないのです。

これで理解して頂けると嬉しいです。

【AKB48】 高橋みなみの後継者は誰か? それはNEW SHIPのキャプテンだ。【追記】

2012-04-17 07:39:46 | AKB48_オピニオン
高橋みなみの後継者は誰か?(AKBまとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51815621.html



考えるまでもない問題だ。


いない。


高橋みなみが偉大かどうかは関係がない。


なぜ、高橋みなみがAKB48のキャプテンとして絶大なる権威を手にしているのか?


彼女の資質が理由ではない。
(もちろん無関係ではない。ただ直接的な理由ではないという意味。)


彼女がAKB48を創った主要メンバーの1人だからだ。


企業で言えば、いわゆる創業者の1人だからである。


高橋みなみの後継者として誰かをキャプテンにすることはできる。


しかし、形式的にはキャプテンになれても、高橋みなみには決してなれない。


本当の意味で、高橋みなみの後継者が欲しいなら


次世代のAKB48の創業者となるメンバーになるだろう。


後継者を育てるのであれば、AKB48の新しい船(NEW SHIP)の船長(キャプテン)になる人材であろう。


【追記】

もう1つの可能性について言及するのを忘れていた。

新しい船の船長になれる人物か、

または「高橋みなみのごとく振舞える人物」の可能性もある。

高橋みなみの考えを最もよく知る人物、最も体現できる人物なら後継は可能だ。

要は、「たかみなさんならこうする、だからこうしろ!」と言える人物。

この場合、後継者育成のために早々に高橋みなみのサブというより下につけとかないと無理。

たかみなと行動を共にする人。



しかし、みなさんお分かりだと思うが、高橋みなみの後継がいなければならないかどうかは、今後のAKB48がどうありたいかによって変わってくる問題だから、それ如何で決まる話でもある。