進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

日本的な主張なのかもね

2012-09-30 18:10:49 | AKB48_軽ネタ
吉田松陰、朱子学、動機純粋論、日本の踏み絵とローマ帝国…。

理念に生き様…。

「思想への擬似宗教的な信仰」と言われると、たしかにそうかも。

そういう意味では、私の主張は、とても日本的なものかもしれない。

まぁしかしドラッガーもいうように最も21世紀(ネクストソサエティー)の思想に近いかもよ。

北原に託されたAKB48の未来

2012-09-30 10:44:35 | AKB48_軽ネタ
理由は一つではないと思うけど、私は皆とは逆の意見。

もちろん番宣や、あくまでも北原が決めたというところを事前に表明しておく意味はある。

だけど、それだけじゃない。

やすす先生はAKB48の未来を北原に賭けたのだと思う。

北原ならAKB48のメンバーとしてやり切ることが出来るという賭けだ。

ルールなんて守られないと意味がない。

そのルールを守ることに意味がある、価値があるということを共有して、はじめてルールの存在価値があるのだ。

守れと言って守ってくれるなら犯罪者はこの世に存在しない。

AKB48はルールを守る、守っているのが当然だということを示す。

それが北原に託された使命だ。

指原のスキャンダルがなければ指原だったと思う。

北原への信頼が無ければ任せられない。

リスクをとって賭けに出たのだと私は思う。

危険な賭けだが、やる価値のある賭けだし、意思を最も効果的に示すことが出来る賭けだ。


ただ…私もやすす先生も指原の件は外してるからな…それ故不退転の覚悟が無ければ賭けれない。


今ちょっと出先なので文章が雑です。


やすす先生の「北風と太陽」政策

2012-09-29 01:25:03 | AKB48_軽ネタ
もっとスピーディーに!










上の2つの共通点は?

「マジ」



あるとき、北風と太陽が力比べをしようとする。

そこで、旅人の上着を脱がせることができるか、という勝負をする。

まず、北風が力いっぱい吹いて上着を吹き飛ばそうとする。

しかし寒さを嫌った旅人が上着をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができなかった。




次に、太陽が燦燦と照りつけた。すると旅人は暑さに耐え切れず、今度は自分から上着を脱いでしまった。





これで、勝負は太陽の勝ちとなった。

なぜ自覚もプロ意識もあるのに問題を起こすのか ~現実否認~

2012-09-28 10:17:12 | AKB48_経営戦略・組織論系

Q:
不祥事を起こすメンバーに自覚はなかったのか?



A:
いいえ。
自覚はあります。



Q:
問題と知りながら、自制しなかったということか?



A:
はい。
そういうことになります。



Q:
しかし、バレたらまずいと思わなかったのか?



A:
まずいと思っていたでしょう。
でも、やってしまいます。



Q:
バレた時のことは考えないのか?



A:
考えますが、それしか考えないわけではありません。
当然ながら、バレない時のことも考えます。



Q:
バレる/バレないのリスクとベネフィットを天秤にかけたら、リスクを恐れないのか?



A:
人間がいつでも合理的とお思いですか?
リスクがあるから行動しないとなれば、恋も結婚も、ましてAKB48に入ることもありません。



Q:
リスクを過小評価しているのではないか?



A:
人間には、その時々において、リスクを過小評価および過大評価する性向があります。
モラル上の関係で実証実験の例は少ないのですが、
人には、性的に興奮状態にある時、リスクを過小評価する傾向にあるというデータもあります。



Q:
不祥事を起こすメンバーにプロ意識はあるのか?



A:
はい。
相対的な問題ですが、プロ意識はあります。
日々、苦悩と葛藤の中、よくがんばっていると思います。



Q:
自覚はあって、プロ意識もあるのに、なぜメンバーは不祥事を起こすのか?



A:
人間が、「現実否認」をする生き物だからです。
是非、↓こちらをご覧ください。



現実否認と夢 そして愛
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/20573f10f72f22c159495a6aee7bffdd


Q:
では、どうすればよいのか?



A:
1つの方法は、構造として権限をはく奪し、裁量を減らすことです。
つまり、手足を縛って身動き取れなくするということです。



Q:
そんな非人道的なことできるとは思えないが?



A:
はい。
非人道的の前に、何もできなくなるので、何も成立しなくなります。



Q:
もう一度聞くが、どうすればよいのか?



A:
ウソを付く技術を身に着けることが有効だと思います。



少年少女よ嘘をつけ!!
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1a4534769840e97713e977324b0abc3e


Q:
そもそも、このようなことを悪いと思うことが間違いである可能性は?



A:
しかしながら、「悪い」から問題なのではありません。
悪いというのは、ある基準に対して満足していないという評価です。
基準を設定しないか、もしくは変更するとしましょう。
それで問題が解決するのであれば、その提案にも価値がありますが、
間違った問題認識のもとに解決策を考えても仕方がありません。



Q:
では、どういう問題なのか?



A:
このブログに書いてあることを、読み砕いてください。



進化する魂
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future

釣られ耐性

2012-09-27 19:40:27 | AKB48_軽ネタ
すみません、つい釣られてしまいました。


釣られ耐性が低いようです。



ただ、誤解されないように言っておくと、私は組織として「規律」を保つ努力をしていれば、こんなことが起きて、誰かが傷つくことが起きなくて済んだということなのです。


みんなを守る気があるのであれば、なすべきことがあるだろう!というのが私の想いです。


個人を責めたいのではなく、回避できる無駄な問題は、回避すべきだということです。


結果論を言いたいのではありません。




--------------------------


あちらは運営&本人ともに謝罪という直球できましたな。


報道に関するお詫び(株式会社メインキャスト)
http://ameblo.jp/daisuke-hirose/entry-11365487457.html


皆様へ(廣瀬大介)
http://ameblo.jp/daisuke-hirose/entry-11365666987.html

今回の騒動のおかげで、AKB48から「規律」が失われていることが明らかになった。

2012-09-27 11:07:20 | AKB48_心の叫び

「AKB48」というものを、ある一側面から象徴していたのが佐藤亜美菜だった。

運営から特段の優遇も受けずとも、メンバーとしての資質が認められれば、ファンからの熱い支持が得られることを示した。

また、その仕組みは、AKB48という顧客参加型グループだから可能になった。

ある観点からの「AKB48らしさの体現者」とでも言おうか。

また「干されメンヲタ vs. 運営」の先駆者でもある。



第4回選抜総選挙において、特徴的であったのが、古参メンバーの躍進である。

とりわけ梅田彩佳の選抜入りは、多くの人に勇気を与えたことだろう。

苦労人梅田の23歳での選抜入りだ。

高橋みなみではないが、「努力は報われる」ということを知らしめた。



佐藤亜美菜には大きなチャンスがあったと思う。

紆余差曲あったが、長年の不遇、物語を築き上げるには十分な材料が揃っている。

AKB48ファンとしてAKB48に入り、不遇にもめげずAKB48に奉仕する姿は、多くの人の共感を得ることができるストーリーだ。

あとは本人の意思と、演出の問題だけであった。



だが、今回の件で、それもおしまいだろう。

これまで佐藤自身の噂が絶えなかった上に、週刊文春の前田敦子の合コン報道で周囲が騒がしくなっていたタイミングで、今回の騒動。

意識の高低うんぬんの前に「佐藤亜美菜はAKB48にマジではない」ということが広く知れ渡ってしまった。

一度貼られたラベルは、そう簡単には剥がせない。

信頼を失うのは容易いが、失った信頼を再び得るにはその何倍もの努力が必要になる。

関係者の気持ちを慮ると・・残念だ。



いろいろ考えたが、「馬鹿」の一言に尽きる。

時期が時期だけに弁解の余地もない。

今回も「カラオケであって合コンではない」「合コンは恋愛ではない」「運営は許可している」などという全く本質ではない言い訳が流布しているが、

もし、問題はないと思っての行動なら、自分の信じるところに従っての行動なら、堂々としていればいい。

バレたから隠すというのでは、余計に誰にも信じてもらえない。



運営が意思を示さないからこういうことが起きる。

何度も繰り返すように、組織から「規律」が失われていることが問題だ。

今回の件によって、AKB48という組織から「規律」が失われているということがよくわかった。

もし、AKB48の品質に関する問題を各事務所に預けるというのなら、もう運営にはAKB48全体の方向性を決定する力はないということだ。

AKB48の未来も危ういものとなるだろう。

運営に組織運営者としての自覚が足りないと思う。

それとも、意図的な無作為なのか。

遅すぎるということはないから、今から学習しないか。

すばらしい学習の機会になったと言おうじゃないか。

この問題の本質を再認識しない限り、今後もこの手の問題は起き続けるだろう。

それでも天に向かって手を伸ばし続ける ~天地明察とコペルニクス的転回~

2012-09-26 14:10:52 | AKB48_軽ネタ



(私は原作を読んでません。)

映画『天地明察』を観た。

これは面白い!!

原作の方が面白いという話もちらほら聞きますが、いやいや映画単体で全然面白いです。


今よりも夜空が神秘的だった時代、徳川4代将軍家綱の頃、平安時代から800年間使われてきた宣明暦を、中国の元時代につくられた授時歴を日本に合わせて修正した大和暦(貞享暦)に変更する話です。

宣明暦は遣唐使によって輸入された暦で、平安時代初期から暦は朝廷の管轄であり神聖かつ不可侵なものだったのですが、この映画の主人公である安井算哲による改暦によって、それ以降は徳川幕府が掌握するようになったようです。

(現在は、明治時代に輸入した太陽暦(グレゴリオ暦)が使用されております。)

全くの素人なので、暦の歴史や天文学のことはさっぱりわからないのですが、ほんわかしたり、がっかりしたり、涙したり、ガッツポーズしたくなったり、濃厚な内容でありながら、ネタも多過ぎず少な過ぎず丁度良いバランスで、時間を忘れて引き込まれました。

出演する俳優陣の演技も素晴らしかったです。

少しわざとらしいところもありましたが。

しかし、怒った時の宮崎あおいは怖いですね・・(笑)

脇役の中井貴一、松本幸四郎、市川猿之助、笹野高史、岸部一徳、佐藤隆太あたりも素晴らしい演技で主役を盛り立てていました。

とりわけ、笹野高史、岸部一徳の涙誘う演技はたまりません。

そして、何気に徳川4代将軍家綱役の染谷将太がいい感じの雰囲気を出してましたね。

おススメできる作品です!


---------------


(原作ではもっと詳しく語られているのかもですが・・)映画の中では、暦の重要性についてあまり語られていませんでした。

どちらかというと、理念や宗教上の権威といったところに焦点があたっていた認識です。

(それだけでも十分に重要ですが。たとえば、祭祀の日付が狂っているのは信仰の上では一大事です。)


現代人にとっては暦なり時計といったものは当たり前のもので、暦を巡る闘いに違和感を感じるかもしれません。

暦がなにゆえ、それほど大事なのかと。

もし、世界が1つの村だったら、(宗教上の理由を除けば)暦も時間も重要ではないかもしれません。

しかし、離れた場所にいる者同士が協調して何かをやったり、また後から振り返る時に、暦と時間がずれているとお話になりません。

例えば、天地明察の中にも出てくるのですが、あの織田信長も暦には苦労したそうです。

彼の場合は、全国に方面団を展開している関係上、各方面団への作戦司令や、現場からの報告といったものが狂ってると困ります。

また、各証言の整合性を確認するためにも、日時が非常に重要です。(だから現在も無駄に日付印使わされますよね。公証制度が日付を求めるから。)

当時は、暦が統一されておらず、地方によって暦が異なっていたりしたので、現場から中央へ集められた報告書を時系列的に整理するのも大変な作業だったようです。

信長からすれば、織田軍団の生命と財産がかかっているわけですから、暦は非常に重要です。

それに加えて、朝廷が支配している暦が旧態依然とした体制の象徴だったことも相まって、信長は朝廷に対し、改暦を迫ったといいます。

しかし、その後、信長は本能寺の変にて自害という結末を迎えることとなり、その件はうやむやになりました。

映画の中でも、改暦に対してものすごい抵抗が描かれているわけですが、安井算哲らによる改暦は、幾多の苦難を乗り越えて「天に手を伸ばし続けた」結果であり、「あの信長でさえ果たせなかった偉業」なわけです。


------------------


昨日たまたま『時を告げるのではなく、時計をつくる』というエントリを書いただけに感じるものがありました。

「コペルニクスの地動説」と同じで、多くの人が「間違っている暦」に対して問題とは思わなかったわけです。

「暦」という当たり前のものに対して、正しいとか、間違っているとか、誰も考えなかったのです。

これが、この問題の本質です。


トマス・クーンの「パラダイム」が同じ文脈で使われますが、(言い方がおかしいかもしれませんが)パラダイムそのものが抱える問題を、どのように認識し、理解し、解決するかという問いなのです。

「間違っている時計」でも時を告げることはできるが、時計が変わった時(パラダイムシフトが起きた時)に何の意味もなくなります。



コペルニクスの後、ガリレオ・ガリレイは「それでも地球は回っている」という今に語り継がれる名言を残しました。(証拠がないため創作ともいわれているが)

安井算哲は、「それでも天に手を伸ばし続けた」と言いました。

さて、私たちは、それでも手を伸ばし続けるようなものを信じることができているのでしょうか。



------------------


ちなみに、やすす先生の名言の一つに、「止まっている時計は、1日に2度正確な時刻を示す。」というものがありますね。

これは、どちらかというと「時を告げる」ことについてのお話です。

どのような時計をつくるのか、ワクテカです。

時を告げるのではなく、時計をつくる

2012-09-25 11:32:54 | AKB48_オピニオン
HEY*3を観た。


指原莉乃withアンリレで「意気地なしマスカレード 」をテレビ初披露(AKB48まとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51843757.html


指原莉乃2ndシングルType-Aのジャケ写センターがまさかの川栄李奈(AKB48まとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51843809.html



もう、いかにもやすす先生って感じ。

発想がらしいなと思った。

視点をずらして、マイナスをプラスに変換する。

素材を作るのではなく、素材を加工して付加価値をつけて出していく。

指原を活かしつつ、他を引き立てる。

(そういう意味で、指原そのものの価値だけではなく、指原の利用価値がまだまだあると考えているのだろうね。)

うまいと思う。


ゴリ推しの光と影
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/287519bfb7ede2710136f5afe67b9b95



でも、やっぱり考える時間が足りないかもしれないと、心配になる。

あらかじめ決めつけない、予定調和を壊すというのをポリシーにしているのはわかるのだけど、全体のストーリーが弱かったりしないか。

戦略が「点」なっていないか。(気のせいかもだけど)

「線」なり「面」のストーリーになっていない。(気がする)

企画が単発だから、ネットワーク効果も複利効果も、つまるところ相乗効果が生まれない。(気のせいかも)

規模が大きくなる前には有効だった施策が、今では沼に杭を打つように沈んでいく。

『AKB48』ブランドを消費するばっかり。(なんだか唯我独尊的な楽しみをひたすら見せつけてる感じ)

ブランド力がある今のうちに使わなければ!という焦りばかり感じる。(個人的な感覚的な話)



いつも観念的で悪いのだけど、ジェームズ・C・コリンズの『ビジョナリーカンパニー』の名言を噛みしめて欲しいな。


時を告げるのではなく、時計をつくる



調査研究の結果、ビジョナリーカンパニーになるためにカリスマは全く必要ないという結果になったのだ。

ビジョナリーカンパニーのCEOたちは、偉大な指導者になることよりも、長く続く組織を作り出すことに注力したことがわかったのだ。


昔は正確に時を告げる能力は貴重なものであった。
その才能のある人が才能を生かして、生涯、正確な時を告げる役を負うか、そうではなく、正確に時を告げることのできるシステムとしての「時計」を創るのか、は大きく役割が違う。


(まだ読んでないけど最近『ビジョナリーカンパニー 4 』が出版されたようなので、ついでに宣伝しておくと)

『ビジョナリーカンパニー』の第一巻が解き明かしたのは、我々が卓越した企業に持つイメージが間違っている、という点だった。

(興味を持った人は是非どうぞ。『ビジョナリーカンパニー 2 』の方が人気かもしれませんが。)


「12の神話」が崩壊した。

(1) 「すばらしい会社を始めるには、すぐれたアイデアが必要である」とは言えない

(2) 「ビジョンを持った偉大なカリスマ的指導者が必要である」とは言えない

(3) 成功している企業は、利益の追求を最大目的とはしない

(4) 成功企業には、共通した「正しい基本的価値観」があるとは言えない

(5) 「変わらない点は、変わり続けることだけである」とは言えない

(6) 「優良企業は危険を冒さない」とは言えない

(7) 「優良企業はだれにとってもすばらしい職場である」とは言えない

(8) 「成功企業は綿密で複雑な戦略を立案し最善の動きをとる」とは言えない

(9) 「根本的な変化を目指すには社外からCEOを迎えるべきだ」とは言えない

(10) 「成功企業は競争に勝つことを第一に考えている」とは言えない

(11) 「二つの相反することは同時に獲得することはできない」とは言えない

(12) ビジョナリー・カンパニーが成長を遂げたのは、経営者の発言が先見的だからでは全くない。



---------------


川栄か。

有りだと思うけれど・・勘だけど、リスクはあると思うな。

注目を集めれば、これからいろいろとあることないこと暴かれていくのだろう。

それが心配。


---------------


これからのことを今批判しても仕方がないのだが、一言いいたい。

そもそも、こういうメンバーの売り方をするのだったら何のために組閣したのかわからない。

(メンバー単体で売り出すなら、チーム4を売り出す手もあったのではないかと。)

これでは「AKB48」を売りたいのではなく、「メンバー」を売りたいと思われても仕方ないよね。

実際、そうなんだろうし、それが悪いというつもりはないけれど。


AKB48戦略転換
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/795401940e489eaa4bfd4d143d5416cd

AKB48第2章という華々しいテーマのその裏で・・

2012-09-24 19:24:21 | AKB48_軽ネタ
今時間ないから後で書く・・かも



このタイミングで、サイードが辞めることに少なからずショックを受けてしまった。


実は、意外でも予想外でもない。


知らせを聞いた時は「やはりそうなのか。」と思った。


正直言って、「今後、飛躍的な活躍が期待できそうか?」と聞かれたら「少し難しいのではないか?」と答えるかもしれない。


もちろん、未来のことなどわからないので、これはあくまでも主観的で乱暴な私的見解でしかない。


しかし、それでも私がショックを隠し切れないのは、彼女が「飛び抜けて目立つ存在」ではなかったからだ。



AKB48というプラットフォームの、極めて特徴的な点でありながら、よく批判される点でもあるのが「普通の女の子がスターになる」ということだ。


これは、「スターとしてあるべき人物がスターになる」という既存のアイドル概念を覆したAKB48の画期的な点の一つである。


絶対的エースと呼ばれた前田敦子も普通の女の子だったし、そのライバル大島優子はAKB48でその才覚を発揮することになった。


そういった従来のAKB48観からすると、サイードが辞めることが、とても悲しいことのように思えてならない。


とりわけ、最近のAKB48を見ていると、スターを望む声が大きくなってきている気がするから、余計にそう思う。


「国民的アイドル」などと言って持て囃され、そうなろうとしている自分たちもいることは確かだろう。



いや、それを無条件に批判するつもりもないし、進む方向が間違っているというつもりもない。


人それぞれ、自分自身の人生を生きるのだし、人生で何が正しいかなんてことは誰にもわからない。


サイードの判断が正しいか間違っているかなんてことについて、とやかく言うつもりは全くない。


それに、普通の女の子をスターにするために、多くの普通の女の子の踏み台を必要とする訳であるから、進む道を一つにできないことは必然と言えば必然である。

ただ、「AKB48第2章」という華々しい謳い文句のその裏で、AKB48という組織は、何を残し、何を変え、何を捨てようとしているのか、ということがひたすらに気になるのだ。


疑問を呈したいのではなく、ただ知りたいのだ。


「AKB48第2章とは何なのか?」


新しい目的のために、これまでの美徳や美意識を捨てることもあるだろう。


だが、それは本当に自分たちが望むべきものなのか、今一度、考えてみる価値のある問なのかもしれない。



最後に、尊敬する盛田昭夫さんの言葉で締めくくることにしよう。

私は、この言葉を、自戒の言葉として折にかけ思い出すようにしている。

(今のソニーの現状を考えると、失笑されるだけかもしれないが・・)


私自身はソニーに「神話」があったとは思っていない。

本質を見失ってはいけない。
見失うと、いつでも「改革」という美名のもとに大切な本質が失われる。
変えるべきは変え、変えないべきは変えない。

我々は発明発見だけでなくとも商品企画に大変な想像力を働かせることで
世界中の人々にもっと新しい喜びを与えられると思っております。

MBAや弁護士、それに資金の魔法使い達を、技術者や製品企画担当者よりも高く評価する社会は間違っている。

高い効率と高生産性を望むなら社員の志気を高めるべきであり、彼らと心を通わせることが大切だ。

我が社はいつでも先駆者であります。

(盛田昭夫)

AKB市民をどう醸成していくかが本丸 ~ 恋愛禁止条例は「コモン・ロー」である ~

2012-09-24 13:55:06 | AKB48_オピニオン
なんとなくわかってきた気がします。

ルールの概念に関する認識の違いもあるのかもしれないなと、素人なりに思い始めました。


-------------------


私の考えの大きな方向性は↓この時述べたことから変わっていません。


アイドル新世紀 ~AKB市民の誕生~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e8148ecc0f83ae634b5b695deec77638


-------------------


まず、恋愛禁止条例は「コモンロー」であると思います。

恋愛禁止条例は、あくまでも慣習法的なものであり、(犯罪等に関する最低限のルールを超えた部分で)制定法化する必要もないし、制定法的な扱いにしない方がよいと考えます。

(なぜ、制定法化しない方がいいかというと、これまで繰り返し述べてきたように、恋愛を禁止することがこの問題の本質ではないからです。)

それゆえ私は、AKB48という「コモンズ」において規律を醸成するために、AKB48運営は「コモンセンス(パンフレット)」を示すことが重要であると繰り返し主張してきました。

AKB48は、AKB48というコモンズによって自治されるのです。

端的に述べれば、「AKB48のルールはAKB48が決める。」ということです。



AKB48に関する論説の中によく見かけるのは、「ファン参加型」という言葉です。

私は、もう少しこの発想を進めてみるとよいと考えています。

当Blogでは、以前から『AKB48』というブランドの価値を非常に強く主張してきたつもりですが、

その観点から見れば、AKB48は「ファン参加型」なのではなく、「全ステークホルダー参加型」なのです。

AKB48に関係する全員が、メンバーもスタッフも含めて『AKB48』というブランドに参加している、と捉えるべきなのです。



これら全員によってAKB48という開かれたコモンズが構築され、そこに息づく皆によってコモンローが形成される、それこそが理想だと私は思っています。

理想は「AKB48はアイドルグループ」ではなく、「AKB48とは、我々のことだ!」ということをファンが思えるということですね。

欧米やK-POPなどの既存のエンターテイメントと一線を画く、AKB48の革新性がここにあると、私は思います。




-------------------


失われた日本のコモンロー(池田信夫)
http://agora-web.jp/archives/1459733.html


御成敗式目(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E6%88%90%E6%95%97%E5%BC%8F%E7%9B%AE


コモン・ロー(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC


-------------------


ちなみに、法に関しては素人なので、いろいろと教えてもらえると嬉しいです。

人と自己存在を繋ぐチャネルとしてAKB48を捉え直せば、恋愛禁止条例も理解しやすい?

2012-09-23 14:51:20 | AKB48_心の叫び
しつこいですが、今日も恋愛禁止条例の話。


「努力と結果」と「マジ」から恋愛禁止条例を捉えなおす ~アイドル教AKB48派~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/06274a88e4fb6eb09fdaa1c1cb125590


↑前回のエントリを書いていたら、ふと日本理化学工業の会長、大山泰弘さんのことを思い出した。

恋愛禁止条例の是非に関する議論に欠けている論点が、この日本理化学工業にはあると思ったからだ。

今回は、私がいつも述べる「理念」だとか「生き様」だとかとは少しだけ違う視点から、恋愛禁止条例について考えを述べたい。


--------------


日本理化学工業株式会社
http://www.rikagaku.co.jp/


いろんなメディアで取り上げられた企業なので知ってる人もいると思うが、日本理化学工業は、1937年(昭和12年)に設立された老舗チョークメーカーである。

(最新の情報が手元にないので少し前の情報になるが、2008年当時は社員数が73人、売上は5億3900万円、純利益が1600万円、売り上げの7割をチョークが占め、国内シェア30%)

日本理化学工業が注目される理由は、社員の7割が知的障害者だからである。

しかし、同社は障害者のために設立された会社ではなく、あくまでも営利企業である。

そんな日本理化学工業が障害者を雇うきっかけはなんであったのか。



1959年、ある養護学校の教員が同社に訪れ、その施設の子供の採用を懇願してきた。

当時、2代目社長として経営を引き継いだばかりであった大山さんは、「障害者は足手まといになる」と断った。

経営者として当然の判断かもしれない。

しかし、その教員は諦めずに何度も何度も大山さんに懇願した。

何度目かの時、教員はついに諦めた。

ただし、採用は諦めるが、施設の子供たちに働く体験をさせて欲しいと願い出た。

期間は2週間。

大山さんは、2週間で済むならという気持ちで引き受けることにした。


こうして、日本理化学工業は2人の15歳の少女を2週間だけ受け入れ、彼女らができそうな単純な仕事を形式的に与えた。

すると、2人は毎朝誰よりも早く会社に来て、声をかけるまで手を止めないほど真面目に働き続けた。

約束の2週間が終わろうという頃、大山さんに2人の雇用継続を願い出たのは、なんと現場の社員たちだった。

「この子たちを採用してください。私たちが面倒を見ますから。」という。

小さなチョーク製造会社に余裕があるはずがなかったが、一生懸命に働く彼女らの姿と、それを支援する社員たちのことを想うと、大山さんは彼らを採用したいという感情が込み上げた。

悩んだ大山さんの背中を押したのは、創業者である父が病床でつぶやいた言葉だったという。

「知的障害者が働く会社が、ひとつくらい日本にあってもいいだろう。やってみたらいい。」

この2人の少女は、その後定年退社を超えてまで同社で働くことになる。



社員の7割が知的障害者で、業界トップの業績を上げるようになるまでの道のりは決して平坦なものではなかった。

まずもって、知的障害者を雇用することは、効率性の面では決してよいこととは言えない。

普通であれば、一度で済む指示や説明を、何度も繰り返さなければならない。

また、一般社員は自分の仕事だけではなく、障害者のケアまでしなければならない。

事実、そうした不満が社内に充満したこともあったという。

金融機関からも、「なぜ障害者を雇用するのか」と疑問の声があがった。

しかし、大山さんは障害者雇用を優先する理念を貫いた。

大山さんはこう説明する。

(これは、非常に重要な論点なので、噛みしめて読んでもらいたい。)


 障害者を雇うようになって数年たっても、彼らがなぜ喜んで工場に通ってくるのか、私は不思議でなりませんでした。工場で働くよりも施設で暮らした方が幸せではないかと思っていました。言うことを聞かないため「施設に帰すよ」と言うと、泣きながら嫌がる障害者の気持ちがわかりませんでした。

 そんな時、ある法事で禅寺のお坊さんと席が隣り合わせになり、その疑問をぶつけたことがありました。するとそのお坊さんは即座に、

「幸せとは、(1)人に愛されること、(2)人に褒められること、(3)人の役に立つこと、(4)人に必要とされることです。愛はともかく、あとの3つは仕事で得られることですよ。」

とおっしゃったのです。私のその言葉に深く納得しました。人が働くことは、自分のためであるが、人のためでもある。企業が利益を追求するのは当然ですが、同時に社員が幸せを求める場であると考えるようになりました。

 49年前、知的障害者の受け入れを始めたのはほんの偶然でしたが、健常者・障害者を問わず、働けることは幸せなことであり、その幸せを与える場が企業なのだと考えるようになった私は、障害者雇用にこれまで以上に積極的になりました。


もちろん、理想ばかり高くても飯が食えねばならない。

当然のことながら、日本理化学工業は「知的障害者の戦力化」のための様々な工夫をしている。

「人間を工程に合わせるのではなく、工程を人間に合わせる」という発想のもと、1人ひとりの特性に合わせて最も効果的な作業を考案しているのだが、その点を語りだすと長くなるので、詳細は他を参考して欲しい。


----------------


私は、この話の中に、恋愛禁止条例に関する議論の混乱を解決する糸口があると思っている。

それは、お坊さんが語ったとされる人間の幸せについての部分だ。

「幸せとは、�人に愛されること、�人に褒められること、�人の役に立つこと、�人に必要とされることです。愛はともなく、あとの3つは仕事で得られることですよ。」


(こういう時に便利な)「マズローの欲求段階説」を使って、この話題について考えてみよう。





人生は(狭義の意味での)「恋愛」だけで構成されているわけではない。

「恋愛」は偉大ではあるが、あくまでも人生を構成する重要な要素の1つだ。

その他にも重要な要素は数多ある。

それを「仕事」という媒体を通して得られるのだとしたら?

(もちろん仕事以外によってでも得られるだろうけれども。相対的に仕事が得やすいという話。)

そして、人はそれらの要素を総動員して、「自分という存在」を確かめようとする。

人生は、ありたい自己を確立するための、そのありたい自己というものが何なのかを知るための旅だ。



「人」と「仕事」を繋ぐ「チャネル」、最終的には「自己存在」を探求するための「チャネル」として『AKB48』を捉え直した時、「恋愛禁止条例」が持つ意味を理解できるのではないだろうか。

(芸能界予備校という概念ではこれを説明づけられない。早急に古臭くなったフレームワークから脱却しよう。)

大山さんの言葉を、読み替えてみよう。

49年前、知的障害者の受け入れを始めたのはほんの偶然でしたが、健常者・障害者を問わず、働けることは幸せなことであり、その幸せを与える場が企業なのだと考えるようになった私は、障害者雇用にこれまで以上に積極的になりました。


企業をAKB48に、知的障害者をメンバーに置き換えてみれば、きっと感じるものがあるに違いない。

「努力と結果」と「マジ」から恋愛禁止条例を捉えなおす ~アイドル教AKB48派~

2012-09-22 10:09:23 | AKB48_心の叫び
昨日の補足

「努力と結果」のイデオロギーからの脱却こそ「マジ」 AKB48の神髄
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1fdb9f4aa28287548cbf6f689fdb0bd6


----------------------


前回、『「努力と結果」のイデオロギーからの脱却』の重要性と、そのイデオロギーが近代思想のフレームワークだと説明した。

しかしながら、誤解してはならないのは、そのイデオロギーは必要だから、重要だから我々にとって当たり前のことになったのである。

近代における人間社会の飛躍的発展の背景には、「勤勉であることが有効である」と信じる人々が一定多数必要だったのだ。

不確実性を排除して、結果がある程度に見通せること、つまり、「がんばれば未来は明るい」とする信仰がなければ、今の不遇に耐えながら努力することができたであったであろうか。

「努力と結果」の関係が見えることは、非常に重要なのだ。



だが、情報通信技術の発展が、勤勉であることの意味を変えた。

人々が多くの情報を触れることが可能になると、ある意味で人々が賢くなると、未来を見通すことがより簡単になる。

すると何が起きたか。

人々は「諦め」はじめた。

本質的に現実は不確実で不可知なものであるのだが、情報は(人々の不安を回避したい欲求もあいまって)不確実性を排除して未来を可知可能なものに変える。

ここで重要なポイントは、「技術の発展により入手可能になった情報を処理するだけの十分な能力を人間が先天的には有していない。」ということである。

(このあたりについては、当Blogの行動経済学シリーズをどうぞ)



また、人間は様々な意味で学習し、成長する生き物であるのだが、ここに学習のジレンマがある。

現在という位置から、将来自分が何を学び、どう成長するのかを見通せないというジレンマである。

学ぶ前に、学んだ後の自分のことがわかるわけがないのである。

今自分が見る世界と、10年後の自分が見る世界とは異なるであろうことは、誰にでも予想できるにも関わらず、人間は未来を見通すとき、今の自分から見える世界を基にする。

今の自分から見えるもの、今の自分にできることを基にして、未来を考えるというわけだ。

端的に言うと、状況は常に動的に変化するものであるから、未来を見通すことは非常に難しいものだのだが、人間は未来を単純なものとして決め込んでしまう習性を持っているとうことだろう。



近代社会において「努力と結果」の関係が見えることが社会善として求められたわけだが、その弊害として未来は単純なものとなった。

このジレンマが、現代の閉塞感に繋がっている。

社会には「諦め」と「冷笑」が溢れている。

こんな環境においては、アイドルなどというのは茶番でしかなかった。



そこに颯爽と現れたのが、AKB48という「マジ」であろう。

今日のジレンマを乗り越えるためには、「努力と結果」のイデオロギーから脱却し、「マジ」になることが有効であり、それがAKB48が老若男女問わず熱狂的に支持される所以である。

それゆえAKB48は、「マジ」を素晴らしいとする美意識を礼賛し、崇め奉らなければならない。

「マジ」から外れることは、なんであれ軽蔑し、排除するべきである。



以上の視点から「恋愛禁止条例とはルールではなく理念である。」ということを考えれば、多少は理解されるのではないだろうか。

AKB48とは、アイドル教AKB48派なのである。



「恋愛禁止条例」はAKB48の理念を表している ~ アイドル教AKB48派 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/fb518f6221cfa532af9d4b1469b53676


「恋愛禁止条例」はAKB48の理念を表している [補足説明]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ba840f94f972945974968a742e827fc9

「努力と結果」のイデオロギーからの脱却こそ「マジ」 AKB48の神髄

2012-09-21 15:20:42 | AKB48_心の叫び
このエントリは、参照するリンク先の主張を批判するためのものではなく、あくまでも当Blogの意見を主張するためのネタとして使うものであります。
「よいネタを提供してくださりありがとうございます。」という気持ちで書いているので、その点誤解がないことを祈ります。

m(_ _)m


-----------------------


AKBじゃんけん大会に見る、我らの競争と戦争
http://blogos.com/article/47089/

「全力で努力(献身)しなさい、ただし結果(報酬)は求めるな」



まず、リンク先のブロガーの方が↑の言葉を問題視したくなってしまうのは、「努力には結果がある」というのが近代教育の賜物であり、思い込みがあるからである。

(結果をどう定義するか次第だが)


AKB48が努力を推奨するのは、「努力をして結果を出せ」と言いたいからではなく、「努力せよ、努力する姿が美しいのだ」と言いたいからである。

それは、人が「母が子を守る姿」や「甲子園球児が全力プレーをする姿」などのような「何かのために自己犠牲をいとわない姿」に美しさを見い出す生き物だから、というところを哲学的な基点としている。

そもそも、「献身」というのは「自己犠牲」のことであり、見返りを求めない行為なのであるからして、「報酬」を求めないのは当たり前なのである。


むしろ、逆である。

AKB48が問いかけているものは、

「結果」が得られることがわかっていなければ、「努力」できないのか?


というまさに近代思想に対するアンチテーゼなのである。

そのことを理解した上で、下記の論説を読めば、視点が真逆であることがわかる。


結果が偶然でしか決まらないから、手を抜いたり、その場から実質上「降りる」などという態度は、不道徳であり、また美しくないのである。

努力の結果(報酬)を全く求めない、求めてはならない行為が、全身全霊での奉仕が、こうして称揚され、強要される。


だが、誰がそれを強要するのか?

産業のシステムであり、国の体制が、それを押し付けてくるのだ。

どれほど結果(報酬)の得られることが少なくとも、それに全く結びつかないことさえあっても、競争を、そのための努力を、したがってこの現行のシステムのための献身を、決して怠ってはならない。

「努力の結果」などを求めるのは、エゴイズムであり、この社会のシステムへの、また国家への反逆者である。

とにかく競争せよ、そして奉仕せよ。見返りは何も求めるな。競争と奉仕こそが、お前の幸福であり、存在の意味だ。

僕はそこに、小さな個々人の生というものへの、欲望や夢や感情や生存それ自体を含めた、個々の生そのものへの、圧倒的な暴力と愚弄を感じる。

無論、自分自身もそれに加担しているということを含めて。



産業システムや国家体制の根底にある思想的フレームワークが、「努力と結果」を求めてくるから、AKB48はそれに反旗を翻したわけだ。

「努力と結果に囚われないことが、お前の幸福であり、存在の意味だ。」が正しい理解だ。

つまるところ、「結果のみにとらわれて努力をすることは、この世界で最も愚かなことだ。」というサイババ(笑)の言葉が適切だ。

努力を、合理性から解き放ち、人間が原始的に持っている真善美に働きかける要素として訴えかける。

これは、決して暴力などではなく、人間の尊厳を最大化する試みでもある。

「努力と結果」というイデオロギーから脱却し、己の「道」へとつながるチャネルが「AKB48」なのである。

人生は「道」だ。

そして、それこそが「マジ」なのである。




と、考えようという話ね。


---------------------


命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ = 自分の最大化
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/501074afa7200ae4a03732f073f12c61


命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。
此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして 国家の大業は成し得られぬなり


(西郷隆盛)



「努力は必ず報われる」 高橋みなみ道
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/63fc307f92313690d76a5205a2b94607


どこへ向かえばいいのか、事前にわかっているなら、努力のしようもあるが、
ほとんどの悩みは、どうしたらよいのかわからない、ということからくる。
そして人生にありふれているものといえば、その類の悩みだ。
努力する気持ちを持っているなら、それだけで幸せなことだ。

しかし、もっと幸せな努力がある。

それは「道」である。

「努力ができる人」という意味で、「努力の天才」という言葉が使われることがある。
それは間違いだ。
努力をするのに天才も馬鹿もない。

違うのだ。

前述したように、普通、努力は「事前に想定した、ある特定の目的を達成する」ために行われる活動だ。
しかし、多くの人は、目的すら持っていない。

いや、

この相対的な宇宙の中では、絶対的な価値などないのだから、
どんな目的も冷静に考えれば全てその瞬間に泡になって消えてしまうものばかりなのだ。
本当の意味で意味のある目的なんてない。

だから「道(みち)」なのだ。
(タオでもいいけど)

道には、終わりがない、明確な目的もない。
ただ極めるようとするところに意味がある。
柔道、剣道、茶道、華道、アイドル道、etc...

努力というのは結果を約束するものではない。
「事前に想定した、ある特定の目的を達成すること」=「報われる」としてしまうと、
目的のない者にとって、人生は突然、無意味なものになる。

だが、人生を道だと捉えると、すっと「生きる」が心に入ってくるだろう。
人生は軽快で華やかになる。

目的がなくても、その道を極めるために努力ができる。
幸せだ。

どうしたらよいのかわからないのが人生だとしても、
なんら恐れる必要はない。

人生は道だ。

「高橋みなみ道」とかけて「努力は必ず報われる」ととく、

その心は、「人生は道」だから。



高橋みなみの努力、原みづきの努力、やすす先生の努力 ~努力と競争戦略と学習のトリレンマ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/955b300923bbc4c6a1a256fab4a5c0df


不確実性で表現される未来というのは、単に「わからない」というレベルなのではなく、未来は本質的に「未知」なのである。
どれだけ将来予測のパラメータを増やしたとしても、そのパラメータの有効性自体が保証できないのだから、過去のパラメータから完全には予測できないものが未来なのである。
という意味で、未来は本質的に「未知」であり、不確実なのである。

(どれだけ優秀なスーパーコンピュータがあっても未来は予測できませんよ。と考えてもらってよい。この発想自体を証明することはできないが)


とはいえ、では我々が努力の報われ方を、どのように考えるべきなのか、という問いについて考えておくべきであろう。

努力の報われ方を知るための手段は、「経験」と「学習」しかない。
最も力強い学習は直接的な経験から得られる。

経験のない者に「理解しろ」というのは酷というものである。
(一を聴いて10を知ることができる人は稀である。)

私達が食べることやハイハイをすること、歩くこと、意思を伝達することを学んだのは、直々の試行錯誤、つまり、ある行動をとり、その行動の結果を見て、新たにまた別の行動をとることによってである。

だが、行動の結果を観察できないときには何が起こるだろうか?

行動の結果が表れるのが遠い先のことであったり、私達の営みを含めた、より大きなシステムの遠く離れた部分であったりする場合はどうなるのだろうか。

私たち一人ひとりに「学習の視野」がある。
つまり私たちは、時間的にも空間的にも、ある一定の幅の視界の中で自身の有効性を評価するのだ。
行動の結果が自身の学習の視野を超えたところに生じる時、直接的な経験から学ぶことが不可能になる。

ここに我々の前に立ちはだかる学習ジレンマの核心がある。

私たちにとって最善の学習は経験を通じた学習なのだが、多くの場合最も重要な意思決定がもたらす結果を私たちが直接に経験できないのだ

非常に重要な意思決定は、数年あるいは数十年にもわたって続く結果をもたらす。
たとえば、今日、学校でトイレ掃除をすることの意味を感じることができるのは、20年後、親となり子供の教育について考える時かもしれない。
たとえば、基礎的な研究開発における意思決定は、その結果を表すのに10年以上かかるかもしれない。

私たちは「学習の視野」を広げること、または「学習の視野」を超える視座を獲得することはできるのだろうか。
どのような方法によって、それが可能になるのか、当Blogでは考えていきたい。




努力とは何か
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/41d467943e58f7ecfb1f4a6f09805542


努力は嘘をつかない
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/efe787789cd71820e94b2b7dc1f5e24d


NMB48城恵理子卒業 城に100点満点を贈る
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/760bd79d88a27ff5d4126989a1435dd0

やらせ疑惑について

2012-09-19 17:30:03 | AKB48_軽ネタ
話題にするまでもないが、やらせ疑惑について。



あるわけない。

やらせだとわかった時点で、AKB48の「ガチ」「マジ」のイメージに泥を塗るばかりか、

今後「じゃんけん大会」という興行は不能になる。


また、あれだけの参加人数に、口封じをするのは不可能。

恋愛禁止条例関連の問題ですら情報統制できないのに、この問題を統制できるわけもなく、

しかも、非常に良い交換条件を提示しても、やらせを受け入れないメンバーもいるかもしれない。

特に若くて正義感溢れるようなメンバーがいれば、それでおしまい。

その場合、結果やらせにならなくても、憤慨・失望したメンバーからバレる可能性がある。

メンバーが卒業した後にばらす可能性などもある。


仮に八百長できたとしても、人数の関係では、せいぜいベスト8、ベスト4以上の段階で、しかも聞き分けのよいメンバーだけだ。

この段階まで、ぱるるが勝ち残る保証はない。

ぱるるの対戦相手だけ全員、やらせに応じるように要求しても、一人でも断るメンバーがいれば、それでやらせがバレる可能性が高くなる。



ミリオン連続記録などAKB48にとってシングルは非常に大きいのかもしれないが、リリース内容や間隔などはAKB48側がいくらでも柔軟に変更できる。

シングルの売上の落ち込みを防ぎたかったら、他にも手の打ちようはある。

カップリングを凝ってみたり、特典を凝ってみたりできる。

逆に、ぱるるを打ち出したければ、無理にシングルのセンターにしなくても、他にも方法がある。

AKB枠にどんどん送り込むとか、今もやっているがドラマの主役に抜擢するなどだ。

たしかに、センターが一番ぱるるの宣伝に効くかもしれないが、やらせがバレれば、ぱるるはAKB48内にいられなくなる可能性も高い。

運営が、ぱるるの将来性に期待するなら、あえてそんな危険な橋を渡る理由がわからない。



つまるところ、やらせをするリスクとベネフィットが合っていない。

やらせのベネフィットに対して、リスクの方が大きすぎる。

運営がとんでもないバカでない限り、やらせは有り得ない。



やらせ疑惑に乗るような人は、単にぱるるが嫌いなだけか、想像力が欠如しているかどちらかだろう。

いや、回りまわって、やらせ疑惑を言う人は、運営がとんでもないバカだと言っているわけだから、つまるところ運営を批判しているわけだ。

なるほど。


------------------


運営ではない誰かが仕組んでいる可能性もないわけではない。

総選挙で組織票を入れるように、個別でやらせをもちかける輩がいる可能性は否定できない。

これは自己利益のために組織全体を危機に陥れる輩だから、もし、そういうことを考える人物がいる可能性があるのであれば、即刻、調査をして、見つけたら追放する必要がある。

組織が大きくなると、組織に害をなす寄生虫は沸いて出てくるので、これを駆除しなければならない。

この作業を怠ると、組織全体を蝕まれるので注意が必要だ。

AKB 28thシングル「UZA」 アイドルグループ→エンターテイメントグループ

2012-09-19 11:15:10 | AKB48_軽ネタ
「UZA」を見て、感じたこと。

その2

やはり、AKB48全体として既存のアイドルグループの定義にとらわれず、上から下まで抑えるエンターテイメント・アイドルグループへ変貌しようとしているのかな。

「芸能界予備校」は返上ってことでよい?

チーム構成などを考えても、1つ1つのチームをしっかり作るという方向性なのは間違いないと思う。


とりあえず、EXILEとのコラボは決まったようなものですね。


それと、前から公演のセットリストや、楽曲などで、難易度の違いなどが出てくるとよいという話もしていたので、難易度の高い楽曲ができること自体はいいと思う。


---------

追記