進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

[つぶやき] 横浜市が物価日本一?

2010-06-25 11:13:47 | 経済
なんだってー!

横浜市、物価水準初の首位 東京を逆転 (日経新聞)
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819481E0E7E2E2958DE0E7E2E4E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;at=ALL

東京都区部より横浜市の方が物価が高いだって?
なぜ・・ほわい?

「東京は食料品価格の下落が大きかった」って理由になるのかなぁ。
それだと競争が東京の方が激しいってことになる。
東京も貧しくなってきたってことか。

名監督に条件はあるか

2010-06-25 10:30:55 | 哲学・思想
デンマークに完勝だった。

デンマークは日本に勝たないと決勝トーナメントに進めないため、どうしても攻撃に出ねばならず、状況としては日本に有利だったが、先制点を取れたことで圧倒的に有利になった。
基本的に、攻撃するためにはリスクを犯すわけで、相手にチャンスを与えることを意味するからだ。
戦略の基本セオリーが教える通り、戦いは攻める方が不利なのである。

(もちろん、力の差が圧倒的にある場合、例えば相手がブラジルやアルゼンチンだったら話は変る)

デンマークは得点で日本に先行されたので、集中力を欠いてしまい、組織的で戦術的な動きができなかった。
デンマーク攻撃陣は組織的に良く守る日本デフェンス陣の餌食になった。

よく近代サッカーは戦術性が増したため、つまらなくなったと言われるが、私は最近のサッカーを見るにつけ「組織力とは何か」を自問してしまう。
スーパースターばかりを集めても、戦略的に陳腐なチームは試合には勝てない。
チームを作るフロントや監督は、チームを取巻くあらゆる要素を、試合に勝つために構築していかなければならない。

試合に勝つための最終的な力を、ここではチーム力と呼ぶことにしよう。

チーム力を高めるためには、どんなに優れた選手も要素の一つでしかないのであり、ゆえに、そこにはある種の非人道的なものが入り込む。
勝つためのチーム力を高めることが、チームを経営する側には目的付けされるため、選手は重要な要素とはいえ一つの要素に過ぎないのである。
特定の能力に秀でる人気のある選手が起用されないことは十分に有り得る。
チームにとって重要なのは、チーム力を高めることであって、それは選手の能力に比例するとは限らない。
チーム力を高めるために必要な要素と、その構築方法が主眼点になるのだ。

ただし、この議論が有効なのは「試合に勝つことが目的」である場合だ。
実際には、世界はより複雑で、ただ単に試合に勝つことが目的になることは稀だ。
「どう勝つか」「どう負けるか」も注目されるし、監督の人生も選手の人生も、その試合や大会だけでは終わらないのだ。
「我人生、この試合のためにあり」と言えるようならばよいが、監督も選手もスタッフも、その後の人生は続く。
「"その"試合に勝つことがだけが目的」になることはない。
誰もが一時的かつ短期的に、それを求められるが、情熱は冷めるのが必定である。

こうした実世界の要求は、監督や選手やスタッフに矛盾した要求となって突きつけられる。
"その場"では勝つことが目的となるが、場が変れば目的が変ってしまうのだ。
そういった目的が変更してしまう状況を予測できる場合、人はどう動くのか。

それは結局「名目としてチーム力を高めることが最善でありながら、それとは別に他の価値基準を求める」という形になって表れる。
なかなか人間を管理する役割についてコンピュータが人間にとって変らないのは、この裁量的バランス感覚を、人間がなかなか形式知化できないということにある。

名監督や名選手に条件はないのだ。

若者は節約志向ではない

2010-06-24 16:49:51 | 社会
リンク先のブログの内容よりも、テーマに注目してしまった。

若者が節約志向になった理由(日本経済をボロボロにする人々)
http://blog.livedoor.jp/nnnhhhkkk/archives/65469571.html

「なぜ若者が節約志向になったのか?」

経済に詳しい人々はこういう。
「若者世代の相対的貧困化と世代間不均衡が原因だ」と。

確かに、主要因の一つなのであろう。
しかし、私は違う見方をしている。
そもそも私はこう見ている。

そもそも「なぜ若者が節約志向になったのか?」という問題設定がおかしい。

どういうことか?
説明しよう。

人類的スケールで眺めてみれば、若者は節約志向になんかになっていない。
人類学的に見てみれば、むしろ節約志向が正常であり、いや、それでもまだ日本の若者は異常なほど豊満人生を暮らしており、我々が「正常な消費性向を持つ若者」だと思っている若者こそ異常なのだ。

たったそれだけのことだ。

いいかな。
人類はずっと飢餓に近い状態を生き抜いてきた種だ。
人間の身体的構造も精神的構造も、節約志向に最適化されている。
そうしなければ生きてこれなかったからだ。

そういう視点に立ってみれば、近代の多消費生活は人類にとって不自然なほど不慣れなものだった。
そんな不自然な状態を生きていれば、生きるために必要な様々なシグナリング機能が狂うのは当り前である。
悪い例えかもしれないが、近代の人間達はドラッグ・ハイに浸っている状態で、次から次へと現れる問題を前にして、さらなるハイを求めているようなものだ。
シグナリング機能が狂うから、近代的な人々は、自分達の考え方や暮らし方が、自分達にどの程度破滅的な影響力を持つかわかっていない。

我々がまだ原始的な生活をおくっていた頃は、暮らしの中に発生する異常さや違和感に敏感に気づけただろう。
起きていることが、将来の自分や、自分達の家族、部族に与える影響についてのシグナルを察知して、反応できていたことは多かったかもしれない。
現代科学とは違って、気候変動や自然現象による化学的影響の変化などには気づけなかったかもしれないが。
ある意味で、我々はシグナル察知機能とトレードオフにして多消費生活を手にしていると言えるかもしれない。

上記の文脈で語るとすれば、若者は、今後来るであろう不安定な社会の予兆を察知して、それに向けて対応を始めているということだ。
若者からすれば当り前のことである。
それがわからない若者ではない人達は、シグナル察知機能が狂ってしまったからだろう。

消費することが正しいというイデオロギーは、資本主義のせいでもなければ、自由主義のせいでもない。
物事の本質を見ようとせずにひたすら走ってきた若者ではない人々の虚栄である。
自分達の信じる価値観が絶対だと思う時点で、彼らの環境適応能力は既に瀕死なのであろう。

はてさて

[つぶやき] 冴えない自分と目的論

2010-06-22 12:06:12 | 哲学・思想
最近、本当に冴えていない。
これは自分自身、実感として手に取るようにわかる。
(当Blogのエントリが冴えていないのは前からだが・・)

忙しいとか体調が悪いとかとは関係がない。
暑くてダルい梅雨とも関係がない。

「自分自身が止まっている。」

そんな表現が丁度いい。
人生の複数均衡状態に陥った感じだ。
こっちを立てればこっちが立たず。
この世界は無限トレードオフ地獄(視点によっては天国)だ。

この悪い均衡状態から抜け出るためには、よくキッカケが必要だと言われることがあるが、そもそも無限トレードオフ地獄に完全解など存在しないから、神の視点に立てば「悪い均衡状態」などというものが存在しないはずだ。
私が、「それ」を「悪い均衡状態」だと「思っている」に過ぎない。

そういうことを気づかせてくれる格言みたいな言葉が昔からあって、例えば「幸せは足元に転がっているさ」とか「住めば都」とかがある。
宗教的な観点からいえば、悟るのに条件は必要ないわけだ。
「悪い均衡状態」などというものはもともと存在しておらず、私がそう思っているだけに過ぎないからだ。

だがしかし、私は人生を悟ること自体にさほどの価値を見出していない。
むしろ、私は悪い均衡状態から抜け出すことの方に価値を置く。
悟ることは生きることと違うと思っているからだ。
悟るのであれば、生きている意味が無い。
生きる意味が無いのだ。
仙人は人里離れた山奥でひっそりと死にながら生きればいい。
私はそういう生き方に興味がないわけではないが、望みもしない。

では、私はどうするべきか。
さきほど、「悪い均衡状態から抜け出すためのキッカケ」について話をしたが、これは少し違う。
悪い均衡状態から抜け出るために必要なことは、「キッカケ」ではなく「目的地」だ。
我々が単純な物理法則に従って生きるだけの存在なら、人生を考える上では「キッカケ」で十分だ。
だが、我々には意志がある。

例えるなら、大海原を航海する旅人だ。
我々はただ単に潮の流れに乗るだけの存在ではない。
目的地へ向かって航路を定め、嵐を避け、荒波にもまれながらも進むのだ。
キッカケは必要だが、キッカケだけでは不十分だ。

何の目的も持たずに漂流することも、時として有意義かもしれない。
しかし、我々がただ流れに流されるだけの存在ではないために最も必要なものは目的なのではないか。

そうだ。
私は、人生すら目的論的論法で語るべきだと思っている。
当Blogで繰り返し述べていることだし、多分、私は死ぬまでこれを繰返すのだろう。

私が悪い均衡状態に陥って思い悩んでいるということは、私にとっての目的が見えていないからに他ならない。
目的地があれば、進むべき道は必要ない。
道は見えるし、必要なら作られるものだからだ。

人生は私に問いかける。

「お前の目的は何だ?」

人生で最も難しい問いだ。

[つぶやき] オランダ戦と自分のこと

2010-06-21 12:51:18 | TV・書籍
前半は想定通りの試合展開だが、後半開始早々のスナイデルに得点を許したのは誤算だったろう。
当Blogで懸念した通り、サイドをえぐられてデフェンス・ラインをゴール前まで下げられた後、ボールをトップに当てて一つ後ろにいるスナイデルへ。
日本からすれば気をつけていたものだし、オランダからすれば狙い通りだった。
そこまでは計算通りだが、計算外だったのは後半開始早々のもたつきを狙われたところだ。
前半の守備がよくできていたからこそ、逆に相手の攻勢に慌てたのだろう。
本来ならば、あそこでスナイデルのフリーを許すわけにはいかなかったが、サイドをえぐられたせいで注意がそれてしまった。
しかし、あの失点を責めるのも酷だ。
あの位置から決めれるのはさすがスナイデルと言ったほうがいい。
ボールがGKの若干手前で変則的な動きをした可能性があるし、GKからすれば接触後のボールが予想外の軌道でゴールに入っていった可能性もある。

さて、岡田監督からすればオランダを0点で抑えることが最も優先度が高かったと思われるが、1点取られてしまった以上、勝ち点1をとりにいきたくなる。
あの時点ではデンマークvsカメルーン戦の結果がわからないので勝ち点を狙いに行くのが合理的だろう。
後半の後半は日本の攻める時間になったが、攻め手を書いた。
最もおしかったのは岡崎のシュートであったが、あれを決めれるなら一流の選手であり、むしろあれを決めれないのが日本の弱さなのだから、あれを責めるのも酷だ。
日本人選手のシュートが枠に飛ばないことは、もう何十年も前から指摘され続けている弱さでもある。

ただ、あのシーンを自分に重ねて見てしまった。
優れた戦術の下、最後の一歩手前まで演出することについて日本人は結構巧い。
だが、最後の一歩がヘタクソなのだ。
まるで自分を見ているようだった。
私も、あーでもないこーでもないと散々考えて、素晴らしい演出をするところまではよいのだが、いつも最後のワンピースをはめることができない。
ありきたりの言葉で言えば、勝負に弱い。
ありったけの計画を検討したとして、あらゆる問題に手を打っても、最後の最後で失敗する。

実は、自分なりに原因はわかっている。

そもそも計画や検討に時間をかけるのは、失敗について考慮するからだ。
こうなったらあーする、もしこうならこっち、などといってアメリカ人からすれば馬鹿みたいに非合理的なケーススタディを繰返すのだ。
私を含めて日本人は失敗しないための方策を一生懸命に練る。
これが勝負弱い最大の原因だ。
最後の最後、勝負の時に、失敗することを考えるからだ。
失敗したら・・などといって自分にプレッシャーがかかってパフォーマンスを発揮することができない。
クイズ番組で本番になると答えられないのと似ている。
人は、自分責任を認識すると急にうろたえる。
失敗を恐れてしまうからだ。

私は、自分自身でこのことに気づいたのは大学受験の時だった。
勝負の時に、何かを考えるようではだめなのだ。

そのために何が必要なのか。
それは自分が納得できるという意味での努力以外にないのだ。
準備の段階で、勝負がはじまる時点で既に勝負はついている。
スポーツ選手や武道における無私とは、そういう意味なのである。

[つぶやき] マニフェストがよくても自民党に任せる気になれない理由

2010-06-21 12:15:49 | 政治
点数がつけれるものでもないし、個別の案件を一つ一つ見ていくのも、整合性を確認するのも骨がおれる。
また、各人それぞれに立場があるので、全部に賛成ということはできない。
だが、読んで「出来が違う」ことはすぐわかる。
自民党の方が良く出来てる。
玄人が素人との自力の差を見せつけに来たことがよくわかる内容だ。
政権交代効果が出てきた。

ただ、残念なことに、彼らに任せる気にもなれない。
このマニフェストを実行するのに、どう考えても、マニフェストに適合していないと思われる政治家が散見されるからだ。

不思議だ。
マニフェストつくりに参加しない重鎮が腐るほどいる政党というのは何だろう。
ある意味で、日本の社会構造に似ている。
過去の繁栄を手にするために尽力した功労者達と、それを支える若者。
実務を任せて権限を手放さない。
なぜ彼らは、考えの違う組織にいつまでも居座るのか。
自分達が正しいのなら、その正当性をかけて戦うべきではなかろうか。
しかし、彼らは黙っている。
それは結局、組織がどうあれ、組織とは、自分達のための組織であるからだ。

歴史は、一つのパラダイムの終焉が、パラダイムの変革によってなされるのではなく、新しいパラダイムが生まれることによってなされることを教えてくれる。
さてはて、このシステムの持続可能性はいかほどか。


「民主党の政権政策Manifesto2010」(民主党)
http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2010/data/manifesto2010.pdf

「自民党政策集 J-ファイル2010(マニフェスト)」(自由民主党)
http://www.jimin.jp/jimin/kouyaku/22_sensan/pdf/j_file2010.pdf

[つぶやき] オランダ戦の展望

2010-06-19 09:24:32 | TV・書籍
オランダ戦を前にありきたりの話を一つ。

オランダの高さとシュート力、スピードを考えれば、日本はどれだけ高い位置でデフェンスラインを保てるかが非常に重要。
高さを使わせずに、近くからシュートを打たせず、スピードに乗る前に抑える。
また、前線の1つ前から自由にパスを出させない。

これが基本中の基本。

しかしながら、当然オランダも相手の戦術は検討が付くので、サイドをえぐってくる。
オランダはサイドを攻めあがることで、日本のデフェンスラインを下げれるし、センタリングで高さを使える。

日本はそれに対応するために、サイドは守備に専念することになる。
よって、日本はひたすら守る試合展開になる。
しかし、これが日本にとっての唯一の希望だ。

日本は、ひたすら守る。
後半開始20分くらいまで0-0をキープできればチャンスが訪れる。
相手が焦って前のめりになり、カウンターチャンスが得られるからだ。
その1回もしくは2回のチャンスを生かせるか。

本田のキープ力で、守備陣が休む時間を作るのも戦略にあっている。

引き分けでもいいわけだから、カウンター以外は狙わなくていい。
0-0でも十分に評価できるのだから。

[つぶやき] 男の悲哀

2010-06-16 12:37:44 | 社会
統計上は増加中! 強すぎる女房に立ち向かう方法(Reuters)
http://president.jp.reuters.com/article/2010/06/15/AFDF3564-71F2-11DF-93E1-98C13E99CD51.php


夫婦間のドメスティック・バイオレンス(DV)は、統計などを見ると圧倒的に夫から妻への暴力が多い。警察庁の調べ(2004年)では、DV被害の99%は女性で、男性の被害はわずかに1%しかない。


↑よく聞く話だ。しかし!!


しかし、興味深いのは東京都の調査(09年)だ。08年7~9月の3カ月間に、都のDV相談窓口に寄せられた電話相談を分析したところ、39.3%が妻からの暴力を訴えるものであったことが明らかになった。また内閣府の調査(06年)では、夫婦間の暴力があった場合、約53%の妻は専門機関など誰かに相談するのに対して、約84%の夫はまったく相談しないという。つまり、妻から暴力をふるわれる夫は潜在的に多いと考えられるのだ。


↑DV被害の4割が夫!!
驚愕の事実、いや、実際そんなものなんじゃないかという気がする。
うん、時間が経てば経つほど納得してきた。


男性の場合、そもそも夫婦間の問題を第三者に相談するのが恥ずかしい、世間体が悪いという理由から、一人で耐えてしまう場合が多い。ところが、それは妻からの暴力をエスカレートさせてしまいかねない。


なんでも同じだが、統計調査をそのまま信じるとだめだ。
基準は視点によって変るし、潜在的な値まで考えなければならない。
人間は数字に弱いからな・・その本質的な意味を理解できないから、解釈を鵜呑みにしてしまう。


また、妻から暴行を受け、これを避けようと妻の腕をたまたま強く握ったにすぎないのに、逆に妻から暴行や傷害で警察に被害申告された例もある。身を守るためにやった行為が、刑事罰の対象にされてしまったのだから、当人は踏んだり蹴ったりだ。


かわいそうに・・男の人生はそもそも哀愁で舗装されているのかもしれない。

[つぶやき] 政治家は大変だな

2010-06-15 11:14:03 | ブログ情報(News Release)
笑いすぎて辛かったぁ・・。
世の中にはいろんな性癖を持った人がいるから、誰に合わせて語るかというのは非常に難しい問題ですね。
いつも言うように政治家がポピュリストになってしまうのは、現行の政治制度の中では致し方ないことなのかもしれません。

まぁこれも一つのイベントだと思えば笑って終わりだと思います。

自民党のコスプレイベントがスゴ過ぎる件(俺の邪悪なメモ)
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100614/p1


三橋センセ曰く、「自民党は変わった」とのことですが、本当にその通りだと思います。

日本vsカメルーン戦 日本代表の戦術を勝手気ままに考える

2010-06-15 10:36:33 | TV・書籍
サッカーW杯を見た。
日本が勝利してよかった。
やっぱりW杯は面白い。
内容については、様々意見あるかと思うが、総じて意図通りだったのではないか。

実は私は今回のW杯については、直前まで注目していなかったため細かいことを知らない。
なので論評するのはおこがましいわけだが、ずっとサッカーを見てきた一人としてちょっと語ってみる。

日本はシステマチックによく守り、ボールを奪うのがうまいのだが、そこからの攻守の切換えが遅い。
攻守の切換えが遅い欠点を、縦に伸びた布陣でカバーしようとしているが、解決にはなっていない。
本田のところで出しどころがなくてボールを滞留させてしまうため、カウンターにならない。
むしろ本田のキープ力とミドルを活かしたポストプレーなのだが、そこからの手がほとんどない。
サイドから崩す、ミドルシュート、セットプレー以外の攻撃手段が絶たれてしまっている。
攻撃時に数的優位を作りだすために、リスクをとって前線に上がらなければならないが、負けないことを至上命題としたシステムの中でそのような独創性を賞賛するのは難しいし、間延びした陣形では物理的にそもそも難しい。
また、今の布陣でリスクを犯すためには豊富な運動量が要求されるため、終盤になってくるとバテてしまう。
日本は終盤になると極端に弱くなる。
これはサッカー日本代表の伝統的な欠陥でもある。

W杯のような1発勝負の場合、勝つことが重要で、「得失点差」よりも「勝ち点差」が重要なのであり、日本のように実力的に決して優位ではないチームにとって圧倒的に勝つことは全く必要なく、負けないこと、あわよくば勝つが何よりも重要、これはわかる。
それに日本代表のメンバを見てみると、W杯で活躍できるレベルの世界的プレーヤはいない。
特に、得点をすることが主目的であるFW陣は、贔屓目に見ても比較的劣位のレベルだ。
実際に試合を見ていても1対1で戦える選手が皆無であり、フィジカルの面から考えてみても、ガチでぶつかるのは得策ではない。
韓国と違って日本にパクチソンのような選手はいない。

岡田監督の戦術は批判されているが、W杯で戦うにはこれしかないという布陣に思える。
私も岡田監督の戦術には賛同せざるを得ない。
それ以外に道はないだろう。

問題は、では、どうやって相手陣形を崩すかだ。
攻撃スピードがないわけだから、相手が守る体制を整えている状態で相手を崩すしかない。
理想としては、相手が陣形を整える前に攻撃を完遂することだが、これは2兎を追うことのように思う。
もしくは1試合の中で1,2回しかない、その機会に期待しているだけなのかもしれないが・・。
たぶん、岡田監督にはイメージはあるのだと思うが、これが思う通りに出来ていない。

個人的には試合を見ていて思うところはあるのだが、なにぶん、サンプル数が少ないため意図を掴みきれていない。
オランダ戦を確かめてから、またコメントしたい。

それにしても、日本人らしい闘い方だなとあらためて思いました。
どの世界でも同じだなと。

[追記]
こういう見方もあるのね。
勉強になります。

日本にとって有利な試合(石井紘人のJOURNAL Referee~週刊審判批評)
http://news.livedoor.com/article/detail/4827495/

[つぶやき] いつまで大臣というポストは論功行賞であり続けるのか

2010-06-14 10:47:17 | 政治
不思議だ。

なぜ、亀井静香氏が大臣を辞任するのはよいが、なぜその後継に国民新党の人間が座るのだ?

郵政担当相はよいが、なぜ金融担当相まで引継ぐ?

適材適所と全く関係のない人事じゃないか。

これじゃ「総理大臣すらそうなんだろ?」といわれてしまう。

そういうところが、民主党の弱さで、何を言っても説得力を持たない原因だ。

健康レボリューション

2010-06-11 21:25:40 | ビジネス
医療は必ず伸びる。

「健康」が「商品」化され「サービス」化されるからだ。
普及品から贅沢品まで様々な健康商品・サービスが世界に溢れるようになる。

外科手術を要せず「治癒」できるというばかりではなく、
そうではなく、手術を必要としない「予防」こそがメインターゲットになる。

そのときの医療は、今の医療とは違うものになっている。
パラダイムが変るのだ。

そのとき、人類に精神的変革が訪れる。
健康は生き方に関わってくるからだ。

科学技術が人類に貢献する最大のチャンスだ。

本気なら蓮舫ではなく河野太郎を行政刷新担当相に

2010-06-09 10:36:48 | 政治
規制仕分け-地熱発電 (河野太郎)
http://www.taro.org/2010/06/post-766.php


自民党の無駄遣い撲滅プロジェクトは、今日から規制仕分け。
不要な規制を洗い出して撤廃に繋げていく。


以前から必要性が訴えられ続けていた「規制仕分け」が動き始めた。
結果として、自民党も野党になってよかった。
既得権益を守るばかりでは、明日の繁栄を手に入れることはできない。
バリュー・ネットワークが変る時の時代の変革の波は、既得権益を守ってくれない。
その既得権益を守ろうとするものは、既得権益とともに廃退するのが必定。
それこそが破壊的イノベーションなのだ。
自民党は、このバリュー・ネットワークの変化を察知して、そして自身も変らなければならない。


日本の地熱発電のキャパシティは約2000万KWと言われる。現在の国内で行われている地熱発電は18地点21ユニット。そのうち1万KWを超えるものは12地点。合計54万KWが日本の地熱発電の現実だ。

CO2を25%削減する鳩山前内閣の政策の基礎になっている小沢大臣試案は、2020年までに地熱発電を171万KWに増やすとしている。(キャパシティの一割以下だ!)

が、地熱発電の調査に5年から10年かかり、工事に2年から3年かかるとすると、ほとんど小沢試案は達成できない。


小沢環境相はザル(無意味)ということで一部で有名なので、彼に期待しても無駄なのはまた事実。
鳩山首相はエコを前面に出しておきながら、実力のある者を環境相に付けなかった。
それを踏襲した菅内閣に環境政策が期待できるわけもない。

一方の見方として、環境相なんて権限ないから実力のある人を経産相へというものもある。
が、これは内閣としてどういう姿勢を見せるかということであって、それこそ行政刷新によって必要であれば環境相の役割を拡大する、それこそ民主党政権の本来の姿であろう。
そういう組織の仕組みを変えようとすることなく、これまでと異なることを実現しようとするから無理が出る。


昭和四十七年の局長通達で「公園内の地熱発電の開発は当面六地点とし、当分の間、新規の調査工事及び開発を推進しないものとする」というのが生きている。

公園内の六地点というのは既に開発済みなので、この通達がある限り、地熱発電は進まない。大臣試案で3倍にするはずなのに。環境省は、個別に審査するからいいんだとしているが、この通達がある限り、原則禁止、例外的にお上が認めてやるというスタンスになってしまう。

なぜか、この六地点を削除しろと言う要望にも頑として環境省はクビを縦に振らない。

小沢大臣のリーダーシップのなさには驚いたが、自分の試案を自分の役所がブロックしても、何にも大臣は言わないのだろうか。


彼に期待するのは酷である。
河野太郎は自民党政権化でも国交大臣辞めろと主張していた。
彼はやれる人間だ。

レンホウ議員ではなく、彼を行政刷新担当相に起用すべきだ。
必要であれば民間からでも野党からでも登用する、そういう政治の姿を見てみたい。

こんなんだから政治って小さいなって言われるんだ

恋愛ベタが語る政治ほど本質を外しているものはない

2010-06-08 10:03:13 | 政治
そうですね。

民由合併極秘会談に見る菅と小沢(永田町異聞)
http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10556441108.html

菅政権「脱小沢人事」に隠された小沢の思い(永田町異聞)
http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10554469680.html

そもそも論で考えてみればわかる。
「脱小沢」という言葉にたいして意味はないということが。

そもそも、鳩山首相が辞任したのは「政策」的問題のためである。
「脱小沢」かどうかというのは、政策とは関係がなく、「民主党」的人気の問題である。
「脱小沢」によって何かが変るわけではない。
菅直人氏が首相になっても、鳩山首相時代の方針から大きく変ることはできないからだ。

「脱小沢」が賞賛されるとすれば、その理由は「小沢」によって民主党の政策が歪められていたと言える場合においてのみである。
小沢がいなくなって、民主党の政策は変るのだろうか。
基本的に変らないだろう。

何度も言うように、民主党が迷走したのは小沢のせいではなく、もともと整合的な政権構想がなかったからだ。
政権を運営していくノウハウも能力もなかったから、民主党が繰り出す政策のそのほとんどがパッチワーク的になったのである。

にもかかわらず、民主党は「政治とカネ」や「小沢独裁」などという無意味なワーディングにこだわった。
本質的な議論を先延ばしにし、その名の通りポピュリズム政党の本分を発揮したのだ。
逆にいえば、小沢がいなければ民主党はもっと混乱して収拾がつかなくなっていただろう。
民主党は楽をしていたのだ。
民主党への支持が落ち込んでいる原因を、小沢にすればよかったのだから。

だが、残念ながら、民主党への支持が落ち込んでいたのは小沢のせいではない。
アンケート調査などから小沢や鳩山首相が原因だと考える人達が多いが、こういう人達は人間というものを知らな過ぎる。

いいかい。
誰かを好きや嫌いになる場合を考えてみればわかる。
誰かを嫌いになる場合、どのように嫌いになるだろうか。

例えば、あるカップルが分かれたとしよう。
女性の方が彼氏を嫌って振ったのだ。
それで、女性の方に理由を聞いてみる。

Q:「どこが嫌だったの?」
A:「部屋を片付けないところとか、食べ方が汚いところとか」

こういった理由を聞いた時、あなたはそれが理由だと思うのだろうか?
もし、その理由が本当なのだとしたら、この女性は、部屋をキレイに片付けて、お行儀よく食事をする男性しか好きにならないことになる。
本当だろうか?

違うだろう。
この女性は、男性を嫌いになったから、その男性の目に付く行為が気に食わないのである。
嫌いになる理由は他にある。
この女性は、次に他の男性と付き合い始めるとこう言うだろう。

「彼と一緒にいることだけで幸せよ」と。


はて。
どう考えるべきであろうか。

「脱小沢」なんて言葉に惑わされている人々は、恋愛ベタな人々に違いない。

[つぶやき]グーグルマップを使って車にひかれた女性がグーグルを提訴

2010-06-07 12:36:37 | ブログ情報(News Release)
「危険なルートを提示された」、車にひかれた女性がグーグルを提訴(AFP BB News)
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2732447/5828744


ローゼンバーグさんは2009年1月19日、ユタ(Utah)州パークシティ(Park City)のスキー・リゾートで、スマートフォン「ブラックベリー(BlackBerry)」を使って道順を調べた。グーグルマップに従って歩いていると、車が猛スピードで行き交うハイウェイのそばを歩くように指示され、歩道もなかったため、車にひかれたという。


訴える方はネタ・・ではなくわざとだと思いますよ。
でも、次のような視点も重要ですよね。


ローゼンバーグさんの弁護士が裁判所に提出した文書は、「グーグルは危険があることをあらかじめ警告しなかったばかりか、危険な道を使うよう指示した」とグーグル側の過失を訴えている。


ルート検索がどのような位置づけであるべきか。