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こういうデモは日本のTV報道では黙殺されるんだろうけど、原発すべて停止したら復興不能になってしまう。
感情論に流される気持ちはわかるが、0か1の二元論で語るのはやめよう。
渋谷で1000人規模の原発反対デモ、「即刻原発を停止せよ」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0322&f=national_0322_014.shtml
東北大学の学生は、東北関東大震災による被災から1週間が経過してもなお、物資や医療要員が足りず、改善が見られない被災地の現状を紹介し、「これらはみな日本政府の原発への過信が生んだもの」と主張した。福島第1原子力発電所での放射線漏えい事故は震災救援の大きな障害となっているとし、「即刻すべての原発を停止する必要がある。今回の原発事故は想定外の損失と混乱を引き起こした。東京電力の情報の透明度には疑問が残る」と主張した。
以前から当Blogで主張しているように、死ぬまで病気しない人を健康というのなら、この世界から病気はなくならないし健康な人も存在しないことになる。
しかし、病気とうまく付き合っていくことを健康というのなら、多くの人が健康に生きることができる。
この相対的な宇宙に存在するモノは全て、トレードオフから逃れることなどできない。
絶対など有り得ないのだ。
相対性の悪魔から逃れることは人類の見果てぬ夢だが、生きている限り実現は不可能だ。
日本人ノーベル賞作家が海外誌で原発批判を展開していたが、その理由が原爆の犠牲が生かされていないということらしい。
だったら火を使うのも辞めようと呼びかけたらどうだ。
今もリビアや多くの国々で多くの火力兵器が人を殺傷している。
鉄もだ。
刃物も使うな。
歴史上、多くの人を殺してしまった。
人類が人殺しの道具とするものは何でもだ。
次世代のことを考えたら、どうしてそんな無責任なことが言えるのだ。
人々は今すぐ原始的生活に戻れるわけではない。
自然と共生して生きていく道を選ぶとしても、全てがすぐ変わるわけでもないし、全ての人がそれを望むわけでもない。
人々はいつだって現実に向き合って生きていくしかないんだ。
今日、この瞬間を1つ1つ積み重ねて生きていくしかないだろう。
にも関わらず科学万能主義だとか現代人の驕りだとかいって、現実を無視するのは文学の中だけにしてもらいたい。
原子炉を今すぐ停止したら、どれだけの人間が路頭に迷うか考えたことがあるのか。
経済活動が停滞し、社会情勢が不安定化し、治安が悪化したとしても、貧しかった時代に戻れば人々は助け合って幸せに生きるとでもノスタルジーに浸って考えているのか。
被災地の人々のことを想像してみろ。
これが日本の報道期間が全く教えてくれない現実だ。
(注意:悲惨な状況が苦手な人は見ないでください。)
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1375.html
こういう人々を助けるのに、何が必要だ?
真剣に考えたことがあるのか?!
想像力が欠如した人間の言うことだ。