進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

武富士会社更生法から考える日本の構造的問題

2010-09-30 14:19:02 | 経済
このBlogは好きでいつも見ている。
今日のエントリも秀逸だ。

[金融]高利貸が取ったカネはどこに行ったのか。(漂流する身体)
http://d.hatena.ne.jp/bohemian_style/20100929/p1


まとめれば、利息制限法以上に取った高い金利の内、会社に残っていない約1兆円相当は、ざくっと55%が税金、25%が人と店舗と広告他の営業経費、20%が株主への配当に消えたという事である。比較的低所得者層と思われる消費者金融利用者の多大なる金利負担で、国と社員と非都心の駅前ビルオーナーとテレビ局・広告代理店、そして株主が食っていたという構造だ。故意じゃ無いにしても、国は出資法と利息制限法という二重構造を放置することで、結果的に大手4社合計でおそらく2兆円とかが、乏しい税収の足しになった。しかも、その原資は主に低所得者層の税後収入であるというのは、何ともはやと天を仰ぎたい感じである

「戦略」を論ずる前に「目的」について論ぜよ

2010-09-28 19:36:29 | 哲学・思想
「戦略」という言葉はどこかカッコいい。

「○○戦略室」「△△戦略会議」「□□戦略論」など。

知的だし、強そうだし、特別な感じもするし、とにかくスマートなイメージがある。

日本人は「戦略」という言葉が好きだ。

最近では政府を批判するのによく使われる。

「××戦略はあるのか?!」という形で。

しかし、「戦略はあるのか?!」と聞いている側の人々は

果たして「戦略」というものについて理解しているのだろうか。

そもそも、なぜ日本人は「戦略下手」なのか考えたことがあるだろうか。

なぜ、日本人は「戦略がない」「戦略はあるのか?」と永遠と言い合っているのかわかるだろうか。


答えは簡単である。

「戦略」というのは「政策目的」を達成するための「方策」のことである。

特定の目標を達成するために資源を総合的に運用する技術・科学だそうだ。

つまり、「戦略」というのは「政策目的」があって始めて意味を持つ。

逆に言えば、「政策目的」がないのに「戦略」が成立するわけがない。

これが、日本において「戦略がない」という議論が永久ループする原因である。

「目的」あっての「手段」なのに、「手段」の有効性のみが論じられる。

「手段の目的化」の最たるものなわけだ。

「戦略」について論ずる前に、まず「目的」を論ぜよ。

当たり前のことを当たり前に。

「外交」の問題も結局は「政治」の問題なのだなぁ

2010-09-28 13:34:50 | 政治
中国で内部統制が効きにくくなっていて、
親日派の胡錦濤国家主席も四苦八苦しているというのは以前より危惧されている。
胡錦濤の後継者争いで「反日」が利用されているというのもあるだろう。

独裁国家である北朝鮮ですら、三男を後継者として指名するのに大変な苦労を要するのである。
中国が共産党1党独裁政権だからといって政権移譲が楽なわけがない。

それもそのはずで、政権という国家権力とは「暴力装置」以外の何者でもないからだ。

「暴力装置」の扱い方を誤れば、とんでもない被害を受ける可能性があることを
"独裁政権ゆえ"によく理解しているともいえる。

「政権交代」が平和なセレモニー的な受け止め方をされる日本にいて、理解しがたいのはよくわかるが、
お隣の韓国に目を向ければ、政権交代が単なるセレモニーではなく「闘争」であることを理解できるだろう。

「暴力装置」を譲る側に立って見ても、譲られる側に立って見ても、
これは本当の意味での「死活問題」であるから切実な対応を迫られる。

日本がある意味で不幸で、そしてある意味で幸福なのは、
近代において政権移行に伴う大きな闘争をほとんど経験しなかったということだ。
明治維新では劇的な政変が迅速に行われたし、終戦時は米国の手による政変が行われた。
日本人は日本人らしさをよく発揮して、それらの政変を非常にスムーズに進めることができた。
他国につけいる隙を与えなかったという点において素晴らしい政権移行であるが、
おかげで国家権力に対する日本人の問題意識が低くなったということもいえるだろう。

日本人の多くは、「国家権力」=「暴力」という本質的な問題に気づいていない。
どちらかといえば、鳩山前首相のようにお花畑的平和主義、
(核密約で有名な)若泉敬曰く、
「経済的豊かさを追い求めるばかりで、国の安全保障問題に正面から向き合わない戦後の日本。愚者の楽園。」
でのうのうと生きる人が多いような気がする。(私も含めてだが)

若泉は「安保破棄」こそ日本人の意識改革に重要と考えたそうだが、
私は「安全保障」は非常に重要な問題なれど「政治」の問題に含まれるものだとも考える。
日本人の意識を改革したければ「安保破棄」などではなく、
いつも言うように「日本における民主主義の実現」これこそ重要なのである。
安保問題は戦後民主主義の副産物であり、安保問題が戦後民主主義を生んだのではない。
安保をどうするかもふくめて政治の問題なのであるから。

やはり、この問題は「日本民主主義の問題」として捉えるのが良いと思うのである。

日本のお父さん「波平」は健在だった

2010-09-27 19:16:38 | 政治
先週末、中国人船長が釈放されたその日、
私は「たちあがれ日本」を支持する保守派の人と上等な日本酒を飲んでいた。
団塊の世代の人で、口癖のように「我々の世代の感覚からすると~・・・」を連呼する。

私の知る普段の彼は、自身の政治的発言を強調するようなタイプではない。
普段は、相手の意見をよく傾聴し、噛み砕こうと努力する人だと思う。
しかし、その彼が、何度も悔しさを顕にしながら民主党の対応に不満を漏らし、
「日本は高い教育費を払ったと思うべき」とする私に自説を押し込もうとするのだ。
酒の勢いもあるためなのは理解しているのだが、私はナショナリズムの危険性を再確認した。

普段、政治的な意識をそれほど強く持っていない人も、
ちょっとしたキッカケでナショナリズムを大きく煽られるのだと。
「国家」という相対的価値は、こうも人に同族意識と排他意識を持たせてしまうものなのだ。
為政者が「敵」を作って求心力を獲得しようと欲求に駆られるのもよくわかる。

私が思うに、この問題は日本人に「安全保障」について考えるよいキッカケになったと思っている。
(私自身はというと安全保障について詳しくもないしよくも知らないが・・)
私も民主党の対応はよくなかったと思うが、
そもそも国民的関心の中で外交・安全保障の政治的優先度が低い日本において、
そんな国民によって選ばれた民主党政権なのだから仕方がない側面もあったのではないかと思う。
普段から外交・安全保障について議論する場が多ければ、菅政権の対応も違ったのではないか。
(その場合、そもそも官政権が誕生していない可能性の方が高いが・・)

私は彼に
「日米安保についてどう考えるべきか?」
「自衛隊の在り方は?」
「日本の核保有も視野に入れて対抗すべきか?」
「社会保障を減らしてでも軍事費を拡大すべきか?」
「徴兵制は実施すべきか?」
など投げかけたが、彼の返答はあまりはっきりしなかった。
(という私自身の答えがあるわけではないが・・)

彼が言うのは

「日本はもっと毅然とした態度を持つ必要があり」
「そのための手段はとらねばならない」

という政治家答弁みたいな話である。
政治的なポジションはとらないが「けしからん」というに過ぎない。
「けしからん」ものは「いかん」というサザエさんのお父さんこと波平かと思った。
日本の保守派っぽい人にはこういう人が多いような気がする。

空気に支配されることなかれ

恋愛ベタが語る外交ほど本質を外しているものはない

2010-09-26 22:44:19 | 政治
(誰にも求められていないが)
とりあえず雑感を。

恋愛もできない人に政治家が務まるとも思えないが、外交ならなおさら思えない。

恋愛ベタの要因は「相手の気持ちがわからない。」もしくは「相手の気持ちをわかろうとしない。」

そして「相手の気持ちがわかっても、どう行動すればよいかがわからない。」

結局のところ、恋愛経験が少ないか、もしくは学習能力がないか、どちらかだ。

今回の場合は、”どちらも”かもしれない。


「ボタンの掛け違い」は恋愛でなくても人間関係上、よく起きる問題だ。

普段、我々は「ボタンの掛け違い」のような問題に、どのように対処しているのだろうか。

少し考えてみたらよいのではないだろうか。


これはあくまでも私見でしかなく、偏見かもしれないが、

民主党(とりわけ菅政権)は「人間」や「社会」というものの複雑さについてとても無理解に見える。

物事を単純化して捉えることも重要だが、民主党の政策などを見ていると

物事を単純化し過ぎているのではないかという危機感を覚える。

「多様性」なんかに対してあらゆる意味で無頓着というか、自意識過剰というか。


今回の尖閣諸島の問題についても

「彼女の男遊びの処理を失敗した彼氏」に見えた。

「男脳」で考えたら「女」のことがわからないのに、

「男脳」の存在すら気づかない彼氏みたいな。


民主党の方々には失礼極まりないかもしれないが、

まずは「意識改革」からはじめるべきなのかもしれない。


中国関連ということで、最後にいつもの孫子の言葉を。

敵を知り己を知れば百戦危うからず

彼を知らずして己を知らば一たび勝ち一たび負く

彼を知らず己を知らざれば、戦ふ毎に必ず敗る


恋愛の王道である。

数として見た時には行動しない。ひとつの例を見た時には行動するのだ

2010-09-18 00:39:10 | 社会
小さいで生きてきた人類からすれば、数で表現される世界や、規模の大きいものを理解でいない方が当たり前なのである。

統計よりも「1人のストーリー」が有効な理由(WIRED VISION)
http://wiredvision.jp/news/201009/2010091722.html


統計データの難点は、われわれの道義的感情に訴えかけないことだという。厳しい現実を数字で見せられても、われわれの心は動かない。

人間の心は、そこまで規模の大きな苦しみを理解することができないのだ。

われわれは、ひとりの子供が井戸に落ちたら心配で目を離せないが、清浄な水が無いことで毎年何百万人もの人が死ぬことには関心を持たない。

雑誌の表紙に載ったひとりの戦争孤児には何千ドルもの寄付が行くが、ルワンダやダルフールで大虐殺が起こっていても無視される。

マザーテレサの言うように、「数として見た時には行動しない。ひとつの例を見た時には行動する」のだ。



しかし、このような違いがなぜ出るのだろうか。

それは、慈善行為というものが、つまるところは人間の同情心に根ざしたものであり、論理的かつ実利的な計算に基づくものではないからだ。



チリの鉱山事故で閉じ込められた労働者たちを、どんな方法を用いても救出しようとするのが間違いだというわけではない。

そのような気持ちに駆られることは、人間の最も気高い衝動のあらわれだ。

しかし、「身元の分かる被害者効果」が存在することは、同情の気持ちが自然に涌いてこないとき、つまり、1人1人を特定できないほど多くの被害者が出ているときにこそ、われわれは余計に思いやりの心を働かせる必要があることを示している。

「若さ」とは最適化しないこと

2010-09-17 00:02:42 | 哲学・思想
モギケンは冴えてるよね。

モギケンは頭がいいし、物知りだし、何よりも若い。
若さとは精神的な若さをいう。
精神的な若さの意味は、最適化し切らないってこと。
個人的に「老い」の定義は「最適化具合」だと思っている。

なぜ人間は老いるかって言えば、最適化しないために常にオープンな部分を持っていなければならないからだ。
これってそんなに簡単じゃない。
簡単だったら日本人みんなあんな暗い顔してないだろう。

極端な話、ある日突然、自分の家に他人が居候することになるのを許せるかって話と似ている。
うどん頼んだのに蕎麦が出てきて笑える素養があるかとかね。

その点、モギケンは偶有性について語るだけあって、不確定性を常に担保してる。
これが若さの秘訣だね。

どうせ、ベタ記事にしかならねえぜ。(茂木健一郎)
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/09/post-e532.html

「モノ」偏重主義の日本

2010-09-16 23:38:54 | ビジネス
ふむふむ、ためになる。
しかし、ちょっと違うと思う。

新幹線が売れない本当の理由(鉄道技術者のひとりごと)
http://railwaysignal.kitaguni.tv/e1696622.html

[前略]

「日本の新幹線は一列車あたりの遅れが1分未満といいますが、アメリカではそんな鉄道は求められていないと思います。むしろ二酸化炭素の放出量が削減されるという観点から・・・(後略)」

[中略]

元・ワシントン特派員である飯田氏は、アメリカ人が新幹線のようなpunctualな鉄道を求めているはずがないことは、肌で感じていたはずです。

[中略]

さらに私なりに踏み込んで言うならば、よく日本の鉄道関係者が口にする言葉に「日本の政治家は新幹線の売り込みに熱心でないから、外国に先を越されるのだ」というのがあります。はっきり申し上げて、それは新幹線のあまりの成功に目がくらんだ、日本の鉄道関係者の慢心にしか聞こえません。新幹線が売れない最大の理由は、何のことはない、相手のニーズに合った鉄道を売ろうとせず、新幹線は素晴らしい、これを導入しないのはおかしい、という戯言を繰り返す、日本の鉄道関係者の傲慢な態度に他なりません。

前原さんを担ぎ出す前に、本当にアメリカ人がほしがっている鉄道を提案できているのか、手遅れにならないうちに自らを見つめなおす必要があると考えます。


「パクス・アメリカーナ」的な価値観の押し付けを日本人が海外に行っているような切り口の分析ですが、ちょっと違うと思う。

なんで日本人が新幹線の品質に酔いしれるかっていえば、「モノの価値」が「モノゴト」の価値基準の大きな部分を占めているからに他ならない。

「モノがいいんだから、認められて当然だろ」的な発想だ。

これは全くの間違い。
世の人々にとっては「サービス」や「コト」に価値があるのである。

「モノ」に価値があるように思えるのは、「コト」の構成要素としての「モノ」の価値が高いからであって、「モノ」そのものに価値があるわけではない。
たまたま「モノ」の価値が高いことが「コト」の価値の高さに繋がっているだけに過ぎない。

この辺が日本人のハード偏重主義に表れてるわけだ。
戦艦大和なんか作っちゃうわけです。

市場規模を考えても、ハードの部分と非常に小さくて、ほとんどはサービス部門なのだよ。
まだまだ・・道のりは遠い。

ブルカ?

2010-09-15 16:54:47 | 社会
フランスでブルカ禁止法が成立 欧州初 イスラム諸国反発も(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100915/erp1009150831003-n1.htm


フランス上院は14日、「ブルカ」や「ニカブ」などイスラム教徒の女性の全身を覆う衣装を公共の場所で着用することを禁じる法案を賛成多数で可決した。法案は7月に国民議会(下院)を通過しており、同法は成立した。

 欧州ではイタリアなどで地方自治体がブルカ着用を禁止している例はあるが、国家レベルで禁止を法制化したのはフランスが初めて。


これがどういうことなのか極東ブログあたりに解説してもらいたいのだが、
竹下節子さんというパリ在住の評論家の方のBlogで少し述べてくださっている。

ブルカ禁止法(竹下節子)
http://spinou.exblog.jp/13536829/

う~ん、奥が深い。

フランスには、女性のズボンを禁止する法律がまだ残っているのだそうだ。
誰も罰せられないらしいが。

法律の弾力的運用とそうでない部分のバランスって難しいな・・。

「コミュニティ」と「私」

2010-09-15 16:20:13 | 社会
平野綾の恋バナで発狂してる人は『カラフル』を観ると良いよ!(俺の邪悪なメモ)
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100908/p1

死んでしまった主人公<ぼく>の魂が、自殺した少年<マコト>の肉体にホームステイする

という、ちょっと不思議なお話。

この主人公<ぼく>には前世の記憶がなく、自分がなぜ死んだのかも知りません。もちろんホームステイ先である<マコト>のことも知らないので、奇妙な二重の記憶喪失状態で他人の人生を生きることになるのです。


やがて<ぼく>は、この<マコト>が、なぜ自殺したのかを知ることになります。

<マコト>は、元々うだつの上がらない鬱々とした少年だったのですが、

ある日、好きな女の子が援助交際してるのと、母親が不倫してるのを、偶然同時に知ってしまい、

そのことが引き金となり、自殺を図ったのでした。


好きな子の援交と、母親の不倫。

いってしまえば、どちらもセックス・スキャンダルなんですね。

原作では他にも自殺の引き金となったエピソードがあるのですが、映画ではこの2つのセックス・スキャンダルに絞られているのです。



この事実を知った時、<ぼく>は<マコト>と同じように、その汚らわしさ、気持ち悪さ、ままならなさに、さいなまれます。

しかし、そういった受け入れがたい汚らわしさと共にある人や世界の豊かさを知り、乗り越えてゆくのです。



つまり、この映画は思春期の童貞がセックス・スキャンダルを乗り越えてゆく物語なんですよ!



例えば「好きな子の援交と、母親の不倫。」を考える。
実体験として持っていないので、全ては想像の域を出ないが、
しかし思春期に経験するとなれば、その影響は甚大なものがあると思われる。
『カラフル』はあくまで仮想の話だが、
自殺したマコトが生きる意味のほとんどを失ったことは想像に難しくない。

しかし、私は単に「背徳的な行為」が人に与える「裏切り感」だけを言いたいのではない。

「背徳」というのは道徳的規範があって初めて成立する概念で、
確固たる道徳的規範があればこそ「背徳」の影響力は大きい。
思春期の少年少女にそのような確固たる道徳規範があるのであろうか。

あるわけがない。

「いやいや、少年少女は妥協を受け入れる素養が育っていないのではないか?」
という声が聞こえてきそうであるが、それとこれとは全く次元の異なる話である。

そもそも「道徳」というのは「何かを守るため」にある。
何ゆえ「道徳」が何らかの「価値基準」を提供するかといえば、
物事の順序、物事の優劣、物事の正誤に対する基準が曖昧だと困ることがあるからだ。

「守るべきもの」の認識が少ない者に、
確固たる道徳的規範が影響力を行使するなんてことは有り得ないことだ。
自分の「守るべきもの」に抵触しない限り、人は寛容(つまり、どうでもいい)なのだ。

ネット上で匿名者が無責任発言を繰返すのは当り前のことだし、
社会の事象がどのように自分に関係しているか分からない問題意識の無い人が、
いろんなものに関心を持たないのも当り前なのである。

じゃぁ、なぜマコトは自殺したのか?

それはコミュニティへの信頼が失望に変ったからだ。

マコトが自己アイデンティティを確立するために、
マコトは、自分が何者であるかという認識について
マコトが属する同級生や学校というコミュニティ、
家族というコミュニティに依存している。

そのコミュニティの支柱である「好きな子」や「母親」が、
コミュニティに対する背信行為を行ったことが、
マコトのコミュニティに対する信頼を裏切る行為なのである。

マコトにとって学校や家族というコミュニティの存在があまりに大きかったために、
そのコミュニティへの信頼を失ってしまうと、
自己アイデンティティの喪失に繋がってしまうのである。

マコトがもっと活動的かもしくは不真面目で、
学校や家族以外にも依存するコミュニティがあれば、結果は異なったであろう。

ただ、私はリスクヘッジとして複数のコミュニティに属した方がいいたいのではない。
人生をポートフォリオ化するかしないかは個人の自由だ。
もちろんトレードオフはあるのだから。

[つぶやき] ちょっといい話

2010-09-14 22:30:57 | ブログ情報(News Release)
http://twitter.com/kamekoo18/status/24404862707


日本の親は、「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教えるが、インドでは、「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるそう。前者は、息苦しさを、後者には、ホッとするものを感じる。迷惑かけずに生きられるわけない。


↓これも面白い

相談者 女子高生 10代(galliano tumblr)
http://galliano.tumblr.com/post/856729731/10-10


無念

2010-09-14 16:34:12 | 政治
【民主党代表選】菅首相が小沢氏に圧勝 721対491(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100914/stt1009141537016-n1.htm

無念だな。
これだけの演説をしても、菅直人との格の違いを見せ付けられても、民主党員の心には届かんか。
(全ての内容に賛同するわけではないけれど)

【民主党代表選】小沢一郎前幹事長の決意表明全文(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100914/plc1009141532010-n1.htm

彼の民主主義観は、内田樹のそれと変らない。
国民に「責任」を取り戻す。
(まぁただこの内田樹の内容は、匿名でBlogを書いてる私には痛い)

法の制定について(内田樹)
http://uchida-tatsuru.blogspot.com/2010/09/blog-post_4100.html

小沢は最後まで部下に恵まれなんだな。
それが敗因だと私は思う。
小沢の下に小沢イズムを継承、乗越えるだけの若手が育たなかった。
これが理由で最後の最後まで小沢頼み。
無能な部下達のスケープゴートにされてしまった。

志とは、それを継承し、そしてそれを塗り替えるという新陳代謝が働くことによって進化する。
魂は進化する存在だ。
どのような魂も進化を止めることはできない。

逆らおうとすることはできるが、その試みは必ず失敗に終わる。
この宇宙は動くことによって存在しているからであり、
また、動かぬものは存在できないからだ。

小沢イズムを進化するものとして存在させることができなかった。
小沢の負けだ。


さて、これからどうする。

小沢後の世界、私にはまだ見えない。

年金問題の本当の問題

2010-09-13 10:24:44 | 政治
この問題は知っておくべき。

年金は経済問題じゃない(経済学101)
http://rionaoki.net/2010/09/4511


高齢化・年金問題が基本的に経済の問題ではないということだ。働ける人はたくさんいて、助けが必要な人の割合はあまり変わっていない。歳を取って働けない人を養うことは難しいことではないはずだ。


年金問題が混乱している最大の要因は、「人生観」の問題である。
「働き方」や「暮らし方」、そして「生き方」の問題なのである。

端的にいえば「老人とは何ぞや?」というお話だ。


では何故それが社会問題になるのか。それは65歳を過ぎたら働かずに年金=若い世代の稼ぎで暮らすのが当然という人が大勢いるためだ。しかしこの状況を打破するのが極めて困難であることは一番最初のグラフを見れば明らかだろう。


硬直した雇用慣行や経済成長の鈍化によって、環境制約が大きくなってきている。
日本では「老害」ばかりが問題視されるが、当の老人だってよりよく生きたいと思っている。
自分の能力や経験を活かせる場さえあれば、社会的貢献の意欲には満ち溢れている。
羽を折って黙っていろというより、彼らに自由に飛べる場を提供した方が社会にとってプラスだろう。

こんなことをいうと、「老人に鞭を打つのか?!」などと言われることもしばしばあるが、そんな少数派の意見にだけ耳を貸す必要は無い。

不幸がいっぱい

2010-09-10 16:39:15 | ブログ情報(News Release)
日本には不幸がいっぱい。

みんなの心の中に。

外にはあまりない。

なぜか。

それは

不幸の訪れに対する恐れは、不幸そのものよりも大きい。

から。

「取り越し苦労」は人類の好敵手。

不幸の元でありながら、同時に喜びの糧でもある。

「トレードオフ」

ここにも。

「相対性の悪魔」はいつでも健在。

この宇宙の住人なら諦める他無し。

あぁ、無念。