進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

[つぶやき] アイデンティティの無い者はプロデューサを目指す

2010-10-27 01:12:13 | ビジネス

2つともためになるな~。

ビジネスモデルを理解しないビジネスマンかぶれのエンジニア達に聞かせてやりたい言葉たちだ。

[翻訳][ポール・グレアム]ポール・グレアム「Yahooに起きてしまったこと」
http://d.hatena.ne.jp/lionfan/20100815



[前略]

メディア企業のフリをするのは、マイクロソフトの追求を逃れるにはいい手だっただろう。だが残念なことにYahooは、本当にメディア企業的なものになろうとしてしまったのだ。たとえばYahooのプロジェクト・マネージャは「プロデューサー」と呼ばれた。そしてそれ以外の人々は「プロパティ」と呼ばれた。だがYahooは本当はハイテク企業を目指すべきだった。それ以外のものになろうとしたことで、結局は中途半端になってしまった。それが企業としてのYahooが、ついに明確なアイデンティティを持てなかった理由だ。

メディア企業を目指した最大のツケは、プログラミングに専念できなかったことだ。(かつての)マイクロソフト、Google、Facebookにはすべて、ハッカー中心の文化があった。だがYahooはプログラミングを商品のように扱った。Yahooでは、ユーザ向けのソフトはプロダクトマネージャーとデザイナーが管理していた。プログラマの仕事は、プロダクトマネージャーとデザイナーの仕事を、コード化して仕上げることにすぎなかった。

この慣習による明らかな結果の一つは、Yahooの作るものが最高ではないこともしょっちゅう、ということだった。だがそれは最悪の問題ではなかった。ダメなプログラマを雇ったことこそ最悪だった。

[中略]

それでは、どんな企業にはハッカー中心の文化が必要となるのだろう? この場合「ソフトウェア業界」とはどんな企業だろう? Yahooが発見したように、このルールが適用される領域は、ほとんどの人々が思っているより広い。答えは「良いソフトウェアを必要とするすべての企業」というものだ。

[中略]

ハッカー文化は、しばしば無責任に見える。だからハッカー文化を破壊する人は「オトナの管理」といった言葉を使う。Yahooでもそんな言葉が使われていた。だが、無責任に思われるよりも悪いことがある。たとえば企業間競争に負けることだ。



Yahoo! JAPANを退職しました(nokunoの日記)
http://d.hatena.ne.jp/nokuno/20101026/1288105003
当然の帰結。

ソフトバンク増収増益の秘密

2010-10-21 23:50:25 | 経済
このエントリは怒りを込めてお送りします。

ソフトバンク増収増益の秘密(ソフトバンクのブログ)
http://maruta.be/sbblog/48



[前略]

5万円で売っているにもかかわらず、端末購入者には10万円のローンを組ませます。そうしますと、ソフトバンクは帳簿上10万円の売り上げを記すことが出来ます。

5万円で売ったものの売り上げを10万円に見せる。

これが、ソフトバンクが順調に増収増益を続けるために使われている詐術でございます。

[中略]

ソフトバンクが今後端末価格を高騰させずに今日の売り上げを維持するためには、今日を越える数の端末を常に売り続けなければなりません。すなわち、純増数が永久に増え続けなければならないのでございます。現在13万を超える純増数を記録しておりますが、これが万一10万を切ったり、あるいは5万にまで落ち込んでしまうと、早晩大変な赤字に陥ることになってしまうのでございます。加入者数が増えるだけではなく、加入者数が増えるペースをも増やし続けなければ成り立たない自転車操業になっているのでございます。微分値を売り上げに変換しておりそれを担保に借金を続けているのですから当然なのでございます。

あるいは、ソフトバンクが端末販売価格をまた引き上げ始めましたら、ソフトバンクの財務に重大な事態が生じていることを示唆するものでございます。ソフトバンク株主の皆様には、店舗で一番小さい字で表示されている端末販売価格総額にぜひとも今後注目していただきたく存じます。



この手法、私は気づいていました。

私が使用している携帯電話はソフトバンクです。
何度目かの機種を買い換える時のことです。
「スーパーボーナス」という、如何にも怪しい割引制度をはじめたというのです。
ソフトバンクの店員は機種が高いのでお得な「スーパーボーナス」をすすめてきます。
いや、あたかも「スーパーボーナス」を使って買うという選択肢しかないような薦め方です。

だって、普通に考えれば疑問に思うでしょう。
その「スーパーボーナス」の原資はどこから来るのかって。
ソフトバンクが通信料金収入分から負担するの?
うそん。それやめたから機種代が高くなったんじゃなかったっけ?
私はこの制度に疑問を持ったので質問をしてみることにしました。

「スーパーボーナスを使わないで購入するといくらなんですか?」と。

そしたら白黒コピーされた如何にも業務用らしき紙が出てきて、
(ちなみにスーパーボーナスの説明資料は上等な用紙にグラフィカルでわかりやすいものだった)

「それだと・・この金額ですね。」と指を刺す。

そうすると、やっぱり・・。
おいおい、半額じゃないかよ。

私は嫌な客なので、実際に計算して見ましたよ。
ちゃんと諸経費含めてその場で計算しましたよ。
(仮にも理系で大学院まで出てますからね私は。ちょちょいですよ。)

同じ額。
同じ額なら条件はスーパーボーナスの方が不利ですな。
2年間ソフトバンクに固定されちまいますからね。

よく考えてみたら、店員は

「こちらがお得」

とは言わず

「割引がききます」

とか

「みなさんこちらになさいますよ」

とか確信犯的なこと言うではないか。
これじゃほとんど詐欺じゃないかよと。
割引じゃないじゃん。
何が「スーパーボーナス」だよ。

私は孫氏は尊敬するけど、ソフトバンクのこういうやり方嫌いです。
ホント人をバカにしたような営業姿勢、なんとかして欲しいです。

なんか前に指摘されてたよね。
広告の内容が詐欺に近いって。

「反日」を解決する方法について考えよう。世界戦略を考える手前で

2010-10-20 11:19:34 | 政治
原因や理由を断定するのは危険だということは百も承知ですけれど、
話の単純化のために、割り切った話をします。

多くの日本人(特に若者)には想像し難いと思うけれども、
政治的混乱の大きな理由の一つは「貧困」と「不公平感」です。
貧しい人々は活路を求めて行動を起こす。
これは世の常であり、それが多少過激だからといって
貧しい人を責めるのはあまり生産的なやり方ではありません。

なぜなら、彼らが行動を起こす原理と、
彼らに論理的正当性や整合性があるかというのは関係ないことだからです。
彼らが求めるのは「人生」のようなものです。
「あなたは○○だから人生を諦めろ。」と言われて納得されますか?
それがどれだけ論理的に正しくとも、無理でしょう。

もし、周囲の全てが貧困状態であるならば窮状を訴える相手が存在しないわけで、
その場合「人生とはそんなものだ。」と思えるかもしれません。
実際、原始人はそうやって生きてきたと思います。

問題は、今が原始時代ではないということです。
我々は、否応なしに富める者が存在することを知ってしまう。
そして、富める者が楽をして富を手に入れたと考えるのは浅はかですが、
しかし、そういう側面ばかりに注目してしまうというのもまた事実です。
富の蓄積が可能になったことは経済発展の礎でもありますが、
それと同時に既得権益者を作り出してしまった。
我々は生まれながらにして、
不公平感を感じやすい世界に身を置いてしまっていると言えます。

当Blogで紹介した『超ヤバい経済学』にこんな話があります。
ある複数の地域の犯罪率を調査すると面白いことがわかったというのです。
TVの普及率と犯罪率に有意な相関が見られるのです。
(本の中では同時にTVの普及率が男女格差の解消にも影響することが述べられています。)
もちろん、TVの普及率だけで社会を語れるはずもありません。
しかし、これは非常に重要な観点を我々に提供していると思います。

私はこう思います。
TVで放映されるコンテンツが人々の行動様式を変えたのではなく、
TVが「人々と社会を繋ぐ情報の窓口」になったため、
「人々」と「社会」の関係性を変えてしまったのだと。

「人々」と「社会」の「接点」が変化してしまったために、
これまでの接点からもたらされる情報と、
今の接点からもたらされる情報との間に差異が生じ、
「人々」と「社会」の「関係」が変化してしまったのです。

その変化とは、不公平感を感じやすくなったということです。
先日取り上げた『競争と公平間』で述べられているように、
実社会は平等でもなければ公平でもありません。
人間を生物学的に見えても平等とは言い切れない要素は多々あります。
要は、知らなくてもよかった情報を知ってしまった。
パンドラの箱を開けてしまったのです。

以上をわかった上で、例えば、反日デモが頻発する中国を見てみましょう。

この件に関しては、既に多くの両国の識者が述べているように、
この「反日」は、実は「反政府」の派生です。
多くの中国人の根本にあるのは上で述べたように「貧困」と「不公平感」なのです。

中国政府は共産党政府ですが、その共産党というのは、
もとは貧しい農民達のための共産主義を唱えたところから始まっています。
都市部の富裕層を排斥し、革命を起こすことが当初の目的であるため、
共産党の権力基盤はなといっても、圧倒的多数の貧しい人々になります。
ゆえに共産党政府は「貧困」と「不公平感」をむしろ利用する側であって、
この非常に「反政府」と結びつきやすい国民感情をうまくコントロールする必要があります。
日本という仮想敵を作り上げることでなんとか回避しているのです。

しかし、中国も文化大革命の傷が癒え、目覚しい経済発展を遂げるようになると、
一部の富裕層が生まれてきます。
共産党としては皆が豊かになることを目的としているのですが、
そのためには、中国という国が豊かになるためには、
市場原理を取り込んで先行的に豊かになる人々、
もっとわかりやすくいえば格差を認めなければなりません。
これは、共産党のもともとの目的と矛盾してしまうのです。
しかしながら、それでも皆が豊かになることを目指さずにはいられません。
皆が貧しくなれば、今は反日で済んでいる騒動が反政府に向かってしまう可能性があるからです。

このため、現在の中国政府の問題意識としては、
どうやって、この内部矛盾をうまく解いていく作業を進めるか、
ソフトランディングによる政治改革をどうやって実現するのかということになるわけです。

世界的な中国のイメージというと「狡猾」「拝金主義」「自己中心的」などがありますが、
中国政府もまた、これらの人々とうまく付き合っていかなければならないのです。
一つ政治判断を誤れば、政治体制が瓦解してしまう緊張感があるのです。
日本のように総理大臣が頻繁に変わるゆるい政治運営は許されないのであり、
どうしても、強権的な姿勢を取らざるを得ません。

中国国内の政治闘争が国外にも染み出てきているというお話もありますが、
いずれにしても、中国の政治指導者は、
既得権益者ぶった態度を国民に見せるわけにはいかず、
共産的であることが求められてしまうのです。

よって、もし日本が中国に対して影響力を持ったパートナーとして
戦略的互恵関係を構築することを望むのであれば、取るべき戦略は明らかです。
中国の「貧困」と「不公平感」を解決するソリューションを示すことです。
もちろん、日本国内の問題も解決できないのに中国国内の問題に精を出すとはと
批判されることはわかっております。
しかし、これは大局的にみれば日本の問題でもあるのです。
誇りや筋の問題もわかりますが、
ここれは冷静に自分達の利益のために、どうすべきか考えてみるのがよいのではないでしょうか。

具体論が欠けているというご批判が出ることは、
想定した上でのエントリということでお許し頂きたい。

『競争と公平感』 市場との付き合い方を知らない日本人

2010-10-20 00:47:22 | TV・書籍
『競争と公平感』(大竹 文雄 (著) )

本書は「週刊東洋経済」2010年上期 経済書・政治書ベスト2位にランクインしている。
評価を得るに値する本なのは間違いない。
特に、第1章の「競争嫌いの日本人」の中で語られている
日本人が「市場」や「国による再分配」をどう考えているかというくだりは、
今後様々なところで引き合いに出される事になるであろう。
(実際、いろんなところで耳にする)

だが、私はこの本を読み終えて紹介予定本としてスタックに積んだのだが、
どうにも筆を進めることができず、実際にこうしてエントリ化するのに非常に時間がかかった。
なぜかというと、この本で取り扱っている「公平」というテーマがあまりに壮大過ぎるからである。
「公平」に関する自分の立ち位置を明らかにすることができるかどうかが悩みだった。
著者が思い切って自説を並び立ててくれれば、まだ私の意見も表明しやすいのだが、
この本は、著者の誠実さがよく出ており、「公平」について無理な解答を用意していない。
それがこの本の良さでもあり、悪さでもある。

ただ、「公平」の問題がやっかいなのは、壮大というだけでなく日本における今日的なテーマであるという点だ。
難しいからといって避けて通ることもできない問題なのである。
議論を躊躇して踏みとどまるよりも、一歩踏み出すことによって得るものの方が大きい。
そんな動機で、今日このエントリを書くことができた。
「公平」に関する議論はこれからも永遠に続くのかもしれないが、
だからこそ皆で話し始めることに意味があるともいえる。
そのキッカケとして、この本は大変役に立つことだろう。

では、内容について少し触れたい。
この本のハイライトは、前述したように第1章にある。

まず、
日本人は、社会主義国家よりも、市場を信用していない。
しかし、それと同時に、
日本人は、アメリカ人よりも、国による再分配も信用していない。
つまるところ、
日本人は、格差を嫌い、格差が発生しない仕組みによって貧困を抑止することが重要だと考えている。

これには、幾つか予想できる理由がある。
まず、
日本人は、人生における成功は、努力に依存するのではなく、運やコネに依存すると考えている。
自分の胸に手を当てて考えて欲しい。
多くの日本人は、成功とは、自分の力とは関係ない他の要素で決まるのだと考えているのだ。
そして、
日本人の多くは、勤労努力をすれば貧困を避けることはできると考えている。
要は、日本人の頭の中では、貧困と怠惰が結びついていて、国による再分配は怠け者を助けることになるのだ。

果たして日本人のこの考え方は正しいのだろうか。
著者は、日本人の市場競争に関する無理解が、この誤まった考えを導くと示唆している。
つまるところ、多くの日本人は、市場と市場との付き合い方を知らないのだ。
(日本が置かれている状況にも理解が足りないということもいえる)
この原因としては、日本の学校教育の問題や、文化的背景も影響していると思われるが、
この本では「公平」に関して多角的に説明しているので是非参照されたい。

私自身、この問題についてどう考えるかというと、
基本的には「負担と利益の関係が見えにくい」というところに
「運やコネ」や「貧者の怠惰」といった思い込みの原因があると思う。
「負担と利益の関係」が見えないために、「公平な負担」を実感することができないのだ。
しかし、これは歴史的に見れば、むしろ責任を分散するための知恵であったとも思え、
一概に「見える化」や「オープン化」が日本における解決に直結するとは言い難い。

やはり、陳腐な言い方になってしまうが、
市場経済の発達とともに、日本人の意識も変わっていかなければならない部分があったのだが、
意識の方に変わらずに残ってしまった部分が多いのではないか。
日本人が構築したシステムがなまじ素晴らしかっただけに、
意識の変革を必要とせずともある水準までの経済発展が可能であった。
これ自体は成功なのだが、しかし、この成功体験が今日の行き詰まりの原因となってしまった。
そうなると、本の紹介といいつつ当Blogの主張と結びついてしまうのだが、
戦後民主主義の功罪ということにならないか。

続きは、この本の内容からはずれてしまうのでやめにしておこう。

[つぶやき] リア充すぎないだろ別に

2010-10-19 23:31:40 | ブログ情報(News Release)
サイバーエージェント社の内定式がリア充すぎると話題に(ニュース2ちゃんねる)
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-958.html
いいじゃないですか。
楽しそうで。
このノリは趣味じゃないけど、気持ちはわかります。

2ちゃんでコメントいれてる多くの人が勘違いしているが、
こういうのは低学歴&DQNに多いのではなく、
むしろ首都圏の有名大学出身者の方に多いと思います。

日本は自由な国だから、
本当は人生設計の幅は広くとれるはずなのだけど、
進学・就職ともに硬直的で、
価値観が固定的だから実際には狭まってるわけです。
最近では不況の影響ももろに受けているからね。

そんな中、多くの学生は
大学入るまではある種固定的な人生観で生きてきて、
大学で人生観を開くわけなんだね。
そんな人にとって、就職というのは
人生初めての自己実現ステップに見えるわけですね。

これまでの人生に投資してきた分
(つまり受験なんかで犠牲にした青春)
このチャンスを生かして元をとろうとする
インセンティブが働くわけです。

特に、就職っていうのは、
人生に非連続性を持ち込むという点で
非常に大きなチャンスでもあるわけですよ。
例えば、私の知っているだけで数件あるんですが、
就職をキッカケに整形する方もいます。
バレにくいし、自分の価値を最大化するチャンスをみすみす逃すのもったいないじゃないですか。

そういうこともあって、
自分を良く見せようとしたり、
人生の再出発を図ろうとしたりで、
こういう雰囲気になりがちなのが新卒ってやつです。

大手の内定式は、どこもこんなもんだと思います。
一般化するつもりはありませんけどね。

まぁ、最後に誤解を恐れず少し偉そうなことを言わせてもらうと、
単にCA社が必要としているのがそういう人材ってことだし、
CA社の実力で取れる人材がそのレベルだってだけの話だと思います。

[つぶやき] 東アジアの興亡の歴史地図

2010-10-18 14:48:37 | ブログ情報(News Release)
他のBlogで知ったのですが、面白い地図がありました。

ここ2,000年間における東アジアの興亡がわかります。

↓どうぞごらんあれ

http://www.ugoky.com/chizu/ugoky_chizu.swf

2,000年というタイムスケールで見ると、
東アジアの興亡の主役は中国なのだなぁと改めて思い知る。
魅力的な土地と、それを奪い合う猛者たちの構図。
世界の中心「中国」というのは伊達ではない。

ただ、私は世界の中世化を好ましく思ってはいない。

潜在的 大観光都市 金沢

2010-10-15 11:19:48 | 経済
Chikirin女史が金沢をべた褒めです。

私は金沢に縁深い人間なのですが、
以前より金沢の潜在的観光力には目をつけておりまして、
石川県か金沢市の観光プロデューサーならやってみたいと思っておりました。
(勝手に思っているだけです)

イケテル観光地 金沢!(Chikirinの日記)
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20101010


この前、金沢に遊びに行ったのですが、すごいコンテンツの豊富な街だと感心しました。沖縄とか北海道に負けてないレベルです。

・・・

さて、金沢で特に「いけるんじゃないの?」と思ったのは“リピートさせる力”のあるコンテンツが複数あるという点でした。

日本の観光地の黄金要素である「温泉とグルメ」はもちろん持っているのですが、これらは超パワフルな観光資源であると同時に、日本では持っている街が多すぎてそれだけでは差別化ができません。実際、日本海側の街では北から南まで、多くの街で魚介が美味しく温泉がでています。

そんな中で金沢が有利なのは、加賀百万石(百二十万石?)の遺産があることです。金箔細工から和菓子、お茶屋街や武家屋敷街など、名残の特産や見所があちこちにあります。金沢の場合、「温泉・グルメ」と「観光ポイント」の両方が揃っているのが大きいです。

たとえば姫路城は、日本で最初に世界文化遺産に指定されただけあって、お城自体は驚嘆すべきすばらしさですが、姫路にはグルメも温泉もありません。反対に「温泉とグルメはあるけど、他には何もない」いわゆる“ひなびた温泉地”も日本には多数あります。

さらに金沢には「リピートさせる力のあるもの」が複数存在します。大抵の観光地には同じ客は一回しか来てくれません。


私には金沢在住の知り合いも多いのですが、
金沢に住んでいる人は、そのポテンシャリティを全く理解しておらず、
金沢に住んでいない私の方が力説してしまう程です。

"潜在的"であるところが私には魅力ポイントなのです。
金沢は既に認知された観光都市ではなく、
まだまだ認知されていない力を持った観光都市なのです。

一応、中立性を確保するために、マイナス要素も挙げておきましょう。
つまり、どうやったらより観光力を上げることができるかという点についてです。
(いつのまに中立性を気にするBlogになったのか・・)

まず、日本海側地域は、日照率が低い。
天気が悪いと気が滅入ります。
天気は非常に重要ですが、こればっかりはどうしようもありません。

そして、これは意外と思われると思いますが、新幹線が出来る事はマイナスです。
金沢の観光に関わる人々は、新幹線が開通することを心待ちにしています。
ですが、勝手なことを言わせてもらえば、新幹線は観光にとってむしろマイナスになる可能性があります。
まずはジャブ的な理由の説明です。
限界効用価値説によれば、モノの価値は「希少性」「有用性」「象徴性」で決まります。
新幹線ができるということは、「希少性」と「象徴性」の価値を陥れます。
が、この問題だけならば「有用性」の向上が「希少性」「象徴性」の劣化を上回れば問題ありません。

次に、本当の問題について説明します。
新幹線ができるとマイナスになる可能性があるというのは、
金沢に不足している最大の要素に関係があります。
それは「ソフト」です。

金沢にはハードの観光資源はありますが、ソフトが全く不足しています。
金沢が京都にも江戸にもなれないのは、ハード不足によるものだけではないのです。
(余談だが、金沢は「小京都」と呼ばれることが多いが、実態は城下町であるので、金沢の人は「小京都」と呼ばれることを好まない)

ここでいう「ソフト」とは「文化」のことです。
そして、その「文化」は「人」によって作られます。

「文化」がなぜ観光に必要なのか。
それは、その土地に行かなければ触れることができない要素こそが「文化」だからです。
文化とは、人に触れることで感じ取ることのできるものなのです。
そういう意味で、「金沢の文化」を熟成するために「金沢人」の養成が重要なのであり、
「金沢人の不足」という問題こそ、金沢の最大のマイナス要素なのです。

もちろん、この問題意識は金沢人達に共有されており、
例えば、地元紙である北国新聞などはものすごい地元偏重主義を通しております。
金沢に長期間滞在すればわかりますが、違和感を感じるほど地元偏重主義です。
いいですか。
金沢人を養成するのに、このガラパゴス感が非常に重要なのです。

新幹線が出来ると金沢の人々に精神的影響が出ることが間違いありません。
これまで金沢は日本アルプスという壁のおかげで大都市から遠かったのですが、
これが独自の文化(金沢人)を根付かせる重要な要素でした。
ガラパゴス金沢です。
しかし、新幹線が出来ると大都市が近くになるため、人的にも精神的にもストロー現象が起きます。

タイミングが重要です。
「新幹線ができる -> 金沢人が増える」は有り得ません。
「金沢人が増える -> 新幹線ができる -> 観光力が上がる」これが王道です。

新幹線ができることで観光力が上がるなどと考えている人がいるのなら、
それはものすごい勘違いです。
金沢人の養成こそが最重要課題なのです。
是非、そのための街づくり、仕組みづくりにがんばっていただきたい。


というわけで、久しぶりに「すごい可能性あるじゃん」と思える観光地でした。


なのである。

『脱「ひとり勝ち」文明論』 21世紀の予言の書

2010-10-14 12:45:17 | TV・書籍
『脱「ひとり勝ち」文明論』(清水 浩)

著者は、最高速度370km超の電気自動車「Eliica」の生みの親として知られている。
メディアにも多数出演しており、科学技術者としての認知度は相当に高い方だろう。
その著名な第一線の研究者が本を書いた。

でも、本の名前に違和感を持った。

『脱「ひとり勝ち」文明論』

科学技術者による文明論はありがちだが、たいていピンボケやトンデモが多い。
それは、往々にして科学技術者が社会構造やビジネスモデルに疎いからだと思う。
(疎いというと語弊があるが、ある価値観に偏っている場合が多いという意味に近い。)
それなのに、この本の名前は"脱「ひとり勝ち」"と、
いかにも「これからのビジネスモデルを語るぞ」という雰囲気を醸し出しているではないか。
正直言ってあまり期待できないと思った。

それでも、この本を薦める人がいたので買って読んでみたのだ。

私の傲慢さは打ち砕かれた。
科学技術者だからこそ文明論について語れるのだと理解させられた。
それも中高生が読んでも理解できるわかりやすさとともに。

この本を絶賛する書評は多い。
だが、その多くは、この本が我々に与えてくれる本質的な価値について捉え切れていない。
多くの書評はたいていこのような文句を使っている。



「この本に未来がある!」
「この本には希望がある!」
「具体的な解決策を示している!」



それは確かなのだけれども、そこがこの本のメインテーマなのではない。
「Ellica」は未来への先導役だが、それがこの本の主旨ではない。
メインテーマは、本の冒頭部分を読めばわかる。



高校生の9割が「未来は悪くなる」と予測している時代


神奈川県のある県立高校で、僕は、特別講義をやりました。
講義の冒頭で、
「これからの世の中は、良くなると思いますか?それとも、ダメになると思いますか?」
と、50人の高校生に質問してみたのです。
結果は、
「良くなる」=2人
「ダメになる」=48人
というきびしいものでした。

・・・

しばらくして、ぼくの勤務先の慶応義塾大学を志望している高校生達のために開講されたオープンキャンパスの講義の中でも、同じ質問をしてみました。結果は・・・。
「良くなる」=3割
「ダメになる」=7割
講義の終わりに、もう1回、聞いてみました。
「良くなる」=9割
「ダメになる」=1割
というふうに、ぜんぜん違う結果になりました。



この結果が示すことは何か。
著者のプレゼンテーション能力が高いということではない。
将来を悲観している高校生達が、なぜ将来を悲観しているのか。
それは、高校生達が本当の問題と、その解決方法を知らないからである。
では、本当の問題とは何で、その解決方法とは何か。
その手がかりが、この本には書いてある。
そして、それがこの本のメインテーマだ。

この本のメインテーマは、力学と電磁気学を基にした「20世紀型文明」から、
量子力学を基にした「21世紀型文明」へのシフトなのだ。
我々は数々の地球的規模の問題を前にして、
将来を悲観して「このままでは未来は暗い」と議論することが多いが、
それは20世紀型文明の下で考えるからであって、
21世紀型文明の下で考えれば、それぞれ解決可能な問題なのだ。

この本が我々に迫るのは「パラダイムシフト」なのである。
だからこそこの本は「文明論」と名を打っているのだ。

また、著者は、力学や電磁気学をベースとした文明では、
豊かさとは資源の獲得であったため、「ひとり勝ち」することが利益に直結すると考えられたが、
量子力学をベースとした文明では、そうはならないと指摘する。
量子力学を基盤にした社会では、資源のあり方そのものが変わるからだ。

さぁ、人類よ。
20世紀型文明である「ひとり勝ち文明」から脱し、21世紀型文明へシフトするのだ。

脱「ひとり勝ち」文明論 = 21世紀型文明論。


【あとがき】
ちなみに、私はこの本を最初に読み終えた時、著者の人柄が出ているなと思った。
「希望がある」「未来がある」と絶賛する書評から、きっと著者は熱い人なのだろうと想像していた。
しかし、いざ読んでみると非常に物静かな文章で、正直に言って語り上手とはいえない。
プレゼンテーション方法よりも、中身で勝負という科学技術者らしい側面を見た気がした。

先日、著者のプレゼンテーションに直接に接する機会があった。
私の予想したとおり、静かな語り口で、確かなことをさらっというタイプの研究者だった。
「一番大事なのは中身」
久しぶりに本物の科学技術者に触れた気がした。
(誤解のないようにいうと、清水氏のプレゼンは十分に上手だ。私が言いたいのは、プレゼン能力でのし上がった人ではないという意味だ)

[つぶやき] 家のテレビが壊れた

2010-10-14 10:51:20 | ブログ情報(News Release)
家の液晶テレビが壊れた。
電源が勝手に入ったり消えたりするのだが、その頻度が徐々に高くなり、ついには視聴することができなくなってしまった。

購入から4年と10ヶ月。
当時は液晶テレビの値段が1インチ1万円に届くかという時代で、今より値が張っていた。
思い入れのあるメーカーから購入したテレビであったが、
5年間の使用にも耐えられないとは、正直言って残念だ。
(確率的に"たまたま"私の買ったテレビが当たってしまったのかもしれないが)

デジタル家電の登場で耐久消費財のライフサイクルに対する考え方も変えなければならないということなのだろうか。
一般にはテレビのサイクルは7~10年と言われているが、経済産業省の調べによると、近年の製品のライフサイクルの短縮率が家電では60%になるという。
ここには、メーカーの思惑と消費者のマインドの間にギャップがあるように思う。
家電量販店で「テレビの寿命は5年間です。」などと言ってしまったら誰にも買ってもらえないだろう。
買ってくれるのは時間割引率の高い(夏休みの宿題を先送りする目先の利益追求タイプの)人々だけだ。

もし、テレビメーカーが5年間の使用に耐えればよいなどという発想で製品設計をしているのであれば、日本のテレビメーカーが製造するテレビにこれまでの価値などないということであろう。
どれだけ性能がよくても使える時間が少ないのであれば、割引現在価値はイメージよりずっと低いと思われる。
このようなイメージが一般化すればテレビの価格は新興国メーカーに近いところにもっと下落するはずだ。

残念無念だ。

『これからの「正義」の話をしよう』 正義に悩む人へのガイドブック

2010-10-08 15:47:02 | 哲学・思想
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学(マイケル・サンデル (著), 鬼澤 忍 (翻訳))

NHK「ハーバード白熱教室」の影響もあって、今年のベストセラーとなり、日本に哲学ブームを引き起こした。
この本が、なぜこれほどまでに受け入れられ、そして大議論のキッカケを作るに至ったのか。
その本質的な原因は、TV番組が面白かったというだけではない。
多くの日本人が哲学を渇望するからだ。

東西冷戦の終焉による大きな物語の喪失、経済成長力の鈍化、少子高齢化社会、過剰な財政赤字、社会福祉の行き詰まり、グローバリゼーションと新興国の台頭、地域コミュニティの崩壊など今、日本が、日本人が置かれている状況はかつてなく苦々しいものだ。
物質的な豊かさで見れば、日本は相対的に世界屈指の豊かさを手にしているのにも関わらずだ。
人々は、自分達には何かが足りないと感じている。
何が重要なことを見逃し、考えるべきことを見落としているのではないか、皆がそう思い始めた。
近年の政治的混乱が、より一層の日本の行き詰まりを暗示し、その思いに拍車をかける。

そこに颯爽と登場したのが、マイケル・サンデルであり、この本だ。
この本の導入が、その想いに答えている。



哲学は、机上の空論では断じてない。金融危機、経済格差、テロ、戦後補償といった、現代世界を覆う無数の困難の奥には、つねにこうした哲学・倫理の問題が潜んでいる。この問題に向き合うことなしには、よい社会をつくり、そこで生きることはできない。アリストテレス、ロック、カント、ベンサム、ミル、ロールズ、そしてノージックといった古今の哲学者たちは、これらにどう取り組んだのだろう。彼らの考えを吟味することで、見えてくるものがきっとあるはずだ。



皆がハーバード大学の世界最先端で活躍する教授の語る言葉に耳を傾け始めた。
「哲学なんて何の役にも立たない」と嘲り倒すだけだった多くの日本人にも世界の知見を取り組む用意ができたのだ。
「役に立たない哲学」があるのではなく、「哲学を役立てられない」自分達がいたことに気づいたのだ。

その意味で、この本はゴールではないし、何かを指し示しているものでもない。
この本はスタートだ。
哲学を実社会にどう適応させることができるかの、議論の始まりである。

ただ、1つ注意しておかなければならないことがある。
この本は「哲学という学問」を探求するものではない。
「新しい哲学」を発見しようとする試みではなく、
「既にある哲学」を現実の社会にどう適応できるか検証するための試みである。
哲学に関する専門性がなくても読むことができる一方で、
この本を読むことだけで哲学の深みを知ることは難しいと思われる。
その意味でも、この本はあくまでもスタートなのである。

この本のタイトルがそれをよく示している。

"これから"の「正義」の話をしよう

この本は読み終えて初めて始まる。

[つぶやき] あから

2010-10-07 10:19:57 | ブログ情報(News Release)
これはウケた(笑)

情報処理学会の創立50周年記念事業だそうです。

私も、その昔は関わっていた学会なわけですが、ちょっと適当だった印象が残っています。
そのゆるさが売りかもしれませんが。

これが人間を超えるかもしれないコンピューターの姿か……(俺の邪悪なメモ)
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20101004/p1

『超ヤバい経済学』 経済学的アプローチという冷静さ

2010-10-06 12:45:17 | TV・書籍
超ヤバい経済学 (スティーヴン・D・レヴィット, スティーヴン・J・ダブナー, 望月 衛 (翻訳) )


訳者が同じ望月氏だからだと思うが、軽快な語り口が『ブラックスワン』と非常に似ていて妙な親密性を覚える。
内容としても、著者が主張する「経済学的アプローチ」が
タレブが『ブラックスワン』で主張する「懐疑的実証主義」と重なる部分があることもあるだろう。

「経済学的アプローチ」とは、できる限りバイアス(偏見)を排除して、
実証データや論理性に基づいて判断をしようというものだ。
そうすることで、日常見ている風景とは違うものが見えてくる。

しかし、この手の書籍の評価は難しい。
即効的な効果はあまり期待できないからだ。

「面白い話」として飲み会や世間話で使えるネタ程度の教養ものか、
それとも、読んだ人の「生き方や物事の考え方を変えてしまう」ほどの教養なのか、ということだ。

経済学を学んで、それが実際の生活に役に立つのか?という問いにも似ている。
もちろん役に立つ場面もあるし、本質的には読み手の資質にも影響されるわけで、
そういう意味では評価は読み手に任されていると言えるのだが、
この本については特に意見が分かれるだろう。

私が思うに『ブラックスワン』が評価されるのは、思想的転換を"分かりやすい形"で読者に迫るからである。
では、『超ヤバい経済学』はどうか。
私は、「新しい視点を提供してくれる書籍」と位置づけるのが良いように思う。

内容が『ブラックスワン』に比べて貧弱だとか高尚でないというのではない。
どのようなキッカケを読者に与えてくれるのかということだ。
力点の置き場所の違いと言えば、わかりやすいかもしれない。

我々が普段接するのは各種マスメディアから伝わる情報であるが、
この情報にはかなりバイアスがかかっている。
バイアスに振り回されないための心構えの重要性、
そしてそのためのツールを我々に与えてくれる書籍だ。

特に、売春ビジネスを経済学的アプローチによって焙り出す部分は、必読である。
ブラックマーケットの実態調査を進めると、意外に経済学的に説明できることが多いし、
そうすると「悪」や「善」だと考えていることも違って見えてくる。
(つまり論理的に説明できることが多い)
人間は、どこにいても最適化してしまう生き物なのである。

この書籍について、もう1つ触れておくべきことは「意図せざる結果」について力点を置いていることだ。
これも、「より大きな視点」、「より広い視点」を持つべきだという意見に換言できるが、
何かを行う時には「意図せざる結果」について考慮しておくという発想を身に着けておくことは
ついつい他人のせいにしてしまいがちな外部要因による事象について
自己責任を感化できるという意味において大変に意義深いであろう。

情緒的な人間の前に、ちょっと冷たいひとつの置石。

そんな書籍だ。

[つぶやき] 書籍の雑感をはじめることにした

2010-10-06 11:12:48 | TV・書籍
以前、当Blogでは書評はやらないと宣言したが、方針を転換しようと思う。
前に説明した通り、Blogで書評をやると「シグナリング」と「シーリング」の2つの効果があると思うのだが、
私はその2つの効果を期待しないから、書評をやらないと決めた。
といいつつも、本音は、
単に本をいっぱい読んでるよっていう自己アピールをしたくなかったということと、
(つまり、私にとってのBlogとは自己アピールの場ではない)
それと書評やるだけの能力が自分にはないということがわかっていたからだった。

しかし、ここにきてネタ不足もさることながら、
読んだ本の内容を時間が経つと忘れてしまうという悩みが増えてきたのだ。
頭に入ったことを書くことで整理して定着させる効果を期待したい。
副次的効果として、当Blogで書籍を紹介した書籍が役に立てばなお良いと考えている。

といっても、書評は荷が重いので「雑感」程度に定義することにする。
また、アフェリエイとはやらず、Amazonへのリンクだけ貼ることにする。

尖閣事件をよそに日本館がダントツ人気らしい

2010-10-06 09:48:14 | 社会
中国の知識層は最初からこんな感じです。
少なくても私の知っている上海人は非常に冷静です。
13億人いるのだから、一枚岩なわけがありません。
日本でだって大規模なデモやってるじゃないですか。
マスコミは報じませんけれど。

むしろ貧しい人たちの支持を集めることの方が政治としては大事と受け取れます。
要は、人数比で見ればまだ知識層は少数派で、
しかも経済格差の問題では、非知識層を取り込む必要性があるわけです。
もともと中国の共産党は、貧しい農民のためにできた政党ですから。

尖閣事件をよそに日本館がダントツ人気の現実
政府が「反日」の笛吹くも踊らない上海市民(JB Press)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4569

それと、仕事で関わった中国の会社員の方が言っていました。
「中国では政治の話はちょっと・・言えないです。」