進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

「好き」になりたい人へ [再掲]

2012-05-25 15:51:40 | 恋愛
昔のブログ・エントリが好評だったようなので、再掲します。


「好き」になりたい人へ
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ea36a1dff95e745bb367a955b4e0b8b9


私自身、言われるまでこのエントリを書いたことを忘れてしまっていたのですが・・思わぬところで、昔の自分に出会うものです。

人と人が付き合っていくということ

2012-01-17 13:01:44 | 恋愛
恋人でも、子供でも、友達でも、誰でもいい。

2人寄りそって歩くことを考える。

歩幅の大きさや、足を前に進める速さは、

人それぞれだから、2人の歩く速度は合わない。

お互いに歩く速度を合わせようとすると、

片方が遅くしなければならないとき、

片方は速くしなければならなくて、

片方が遅くすると、もう片方は速くしようとしているから、

遅かった方が速くなってしまって、速かった方が遅くなる。

お互いに合わせようとすると、ずっと2人の歩く速度は合わない。

すれ違う。


そこで、どちらかが相手に任せてみると、今度はうまくいく。

片方が、相手を信じて待ち、

もう片方が、相手が待っていると信じ、歩く。

すれ違わなくて済むから、歩く速度が合うのだ。

2人寄りそって歩くことは、

どちらかが速すぎる速度で歩くか

どちらかが遅すぎる速度で歩くか、ということだ。

片方が速く歩くことに疲れたら、

今度はもう片方が遅く歩くことにする。

だから、2人の歩く速度は、いつも違う。

速くなったり遅くなったりする。

そうやって、人は、2人寄りそって歩いていくのだ。

CANDY

2011-10-14 00:36:28 | 恋愛
Mr.Children CANDY


この1年間で1,000回近く聴いたと思う。

ひとはこの歌を、別れの歌だという。

違う、これは始まりの歌だ。

またひとはこの歌を、言葉にできない未練のようなものを語っているという。

違う、これは新しい発見の歌だ。

どうしようもない孤独と向き合ってわかったんだ。

自分の心のポケットの中に、

まだキャンディーがあることを。

まだキャンディーがあることが。

その喜びの歌だ。

泥臭い男女の揉め事 オープン・コミュニケーション・プラットフォーム

2011-09-22 23:42:29 | 恋愛
面白いなぁ・・。
状況はいろいろあると思いますけど、この手の男女の揉め事はありふれた話だと思いますよ。
表に出るか出ないかの違いで。

そういったものが表に出てくるのはいいことなんじゃないですか。
これまで泥臭い話は表に出ることが少なかったので、
独りよがりの恋愛が多くなったのだと思います。
お花畑か、独善的な正義感たっぷりか、そんな感じの男女が多いような気もします。


何様の立場でものを言っているのか、もちろん自分のことは全て棚上げして主張するのです。

若かりし頃の恋愛は角が立った石ころがぶつかり合う泥臭い恋愛になるのですが、
それを避けて浅い人間関係しか作れない人が多くなった昨今、
しかし、その経験なしには大人の階段なんか登れないんです。

恋愛ってキレイゴトなんかじゃないんですよ!
(いやもちろんキレイゴトな部分もありますが、)
食うか食われるかの緊張感の中で行われる真剣勝負なんです。
(リンク先の男のパニックさを感じ取ってください。これですこれ。)

だから、本気になる。

だから、得るものがある。

だから、大人になる。

泥臭くいきましょうよ。
だって人間って泥臭い生き物じゃないですか。

【ニコ生】女子中学生が有名大学生配信者との淫行を生々しく暴露
http://www.youtube.com/watch?v=FbH8Ly60CVM

さすがにリンク貼れないんですが(笑)


社会構造の変化という観点からすると、
単に情報がオープンになったということではなくて、
コミュニケーション・プラットフォームを介して、
コミュニケーションというトラフィックがオープンになってきたということなのだと思います。

人間の快楽はコミュニケーションに依存している部分が大きくて、
それが如実に出てきているなと。
この女の子がなぜこうも性にあっけらかんとしているかというと、
彼女にとって性行為というのはなんのことはない、単なるコミュニケーション・ツールだからなのです。
コミュニケーションを獲得するための道具(手段)であって、目的でないのですね。

心のつながり、心の一体化、こういったものに飢えているわけで、
その飢えは、性の飢えなんかよりずっと上なのです。

携帯やネットといったテクノロジーの進化が、コミュニケーション欲求により答えるようになって、
みながむさぼっている中で、
オープンプラットフォームを介したコミュニケーションが必然的にオープンになってきていると。

この場合、男女間で目的の認識がずれいてるので、もめるわけですな。
片方はオープンにして何がわるい?となるわけ。
クローズにするような重要なことでもないじゃないと言わんばかりです。

もちろん、みんなは、できれば大切なものはクローズドな環境でやりとりしたいわけですが、
出会いがオープン・プラットフォーム上で行われるようになると、
その境界が変わるわけですな。

ソーシャルネットワークの進展で、今後はよりコミュニケーション獲得競争が起きるでしょう。
はてさて、どんなコミュニケーションがあらわになるのでしょうか。

日常的に重要なことなのに存在感の薄いもの

2011-07-25 00:04:11 | 恋愛
CDショップの店員さんに告白してこようと思うwwww(ハムスターそくほう)
http://hamusoku.com/archives/5242814.html

感動した・・。
なんてイイ話だ。
素晴らしい結末。

これだ。
いつも言うように、こういうものがこの国には足りない。

そして、またアドバイスしてる人たちがいい奴らなんだ。
自分もこの話に加わりたかった。
結果を変えることはできないかもしれないけれど、重要なのは、みんながこういう経験を通して学ぶ機会があるということ。

それなりに経験のある人や、何かを持っている人たちが、誰かの経験を通して、みんなで知恵を共有し合う機会、こういうものが徹底的に欠けている。
この国では、人生を生きていく上で本当に大事なことを誰も教えてくれない。

勉強の仕方とか、金の稼ぎ方とか、仕事の仕方とか教えてくれるけれど、どうやったら人生を有意義なものへ変えていけるか、といったものについてあまりに無頓着だ。
うすっぺらい教科書なんかでは表現できない圧倒的な現場の臨場感、カッコつけた講師が語る成功談では決して理解することのできない心の底からの葛藤、こういうものを共有する機会があまりに少ないんだ。

そもそも、恋愛のように日常的でありながら重大な悩みについて、この国ではまるで存在が無いかのように、話題にものぼらない。
それがとてもプライベートなもので、汎用的でないから、共通認識を持つのは難しい。
恋愛というのは非常に個人的なものだ。
逆に言えば、だからこそ1人ひとりにとって、すごく重大なことになる。
重大なことだから、そこから得られるものは大きい。
人生を語る上で避けては通れない。
避けてはならんものだ。
問題の根底にある共通項を見出し、再発見し、再解釈して、共有する。
そういうことがみな苦手なんだなぁ。。

ふぅ。
これを読んで、とても自分が恥ずかしくなった。

「恋」とは何か? 恋は理屈ではない

2011-07-05 15:53:57 | 恋愛
アイドル・ビジネスについて考える前に、もっと根本的なところについてお話しておきましょう。
当Blogでは何回目かの議論ですが、最近読み始められた方もいらっしゃると思いますので、再度まとめてみます。


さて、男性諸君に質問です。
(女性でもよいですが)

あなたは女性と(意中の人でも妥協でもなんでもよいが)付き合いはじめました。

「私のどこが好き?」という質問に対する完璧な答えがあるだろうか。
(別に「俺のどこが好き?」でもよいのだが、どこか気持ち悪い・・)

あなたならどう答えるだろうか。

「全部」と言うだろうか。
(「え~」とか「もっと具体的に」とか言われるのがオチだ。)

「かわいいところ」とか「性格がいいところ」と言うだろうか。
(「他は?」とか「どこがかわいいの?」とか言われるのがオチだ。)

「目が」とか「スタイル」とか言うだろうか。
(そんな答えで彼女の納得を得ることはないだろう。そもそも、そんなところで人を好きになるか!)


では、そろそろ私の見解を述べるとします。

この質問に答えはありません。
いや、答えはなくても、お互いに納得する解を見出すことには意味があるかもしれません。
私はその行為を否定しませんので、どうぞお好きなようになさってください。

ただ、確かなことを言えば、答えはありません。

恋は理屈ではない。
恋とは、まだ人が人になる以前のずっと原始的な生物だった時代から続く情動だから。

よって、「説明できる恋」はなどというものは、「恋」ではありません。
「俺は○○だから彼女が好き」とか「私は△△だから彼氏が好き」などという話を聞いたら100%嘘だと思ってください。
(ただ、信仰は個人の自由なので、心の中でそっと思っておけばよいです。)

恋に理由があるのだとしたら、それは「後付バイアス」によるものです。
後付バイアスとは、人が持って生まれた習性のようなもので、後から理由をとってつける癖のことです。
後付バイアスは素晴らしい機能であり、また同時に人に災悪をもたらすもので、ガラスの剣です。
後付バイアスにとって、その理由が正しいかどうかは関係ないからです。
その人が、その理由で事象を解釈し納得するのに十分かどうかだけが問題です。
なので、後付バイアスによって付けられる理由の程度は、人によって異なります。
単純な理由で納得する人と、ちょっとやそっとじゃ納得できない人では変わるのです。

なぜ、後付バイアスなるものが存在するのか。
大雑把に言えば、人は「不知」に耐えられるほど強くないということです。

不知は「不安」を生み出します。
不安に溢れた人生が楽しいものではないことは、多くの人が想像できるものだと思います。
生物として生存していくために、どうなるかわからない状況は避けたいものです。
どうすれば不安をかき消すことができるでしょうか。
単純に、「不知」を「可知」に変えればよいでしょう。
過去に起きた事象を理解可能なものにし、未来を予知可能なものにする。
(科学技術の発展がこの動機によるものですがね)
これが後付バイアスの最大の機能です。

説明するまでもないことですが、上記の説明をなぞるように、脳の進化もなされました。
脳は進化の過程で温泉旅館のように増築を繰り返して、今の形になっています。
中央によるほど原始的な機能を司る部分があり、外側に行くほど人間らしい理性的な機能を司る部分があります。
脳はちぐはぐな設計のためCPU(中央演算装置)のような司令塔をもちません。
ちぐはぐなコンポーネントを高次に結合して統合性を生み出しているのです。
その統合性を保つために生み出された概念が「人格」だという説もあります。
だから人のように複雑に進化した生物は、人格なしに統合性を発揮できない。
(「私とは何か?」という議論につながるわけですね。)

で、恋の話に戻ります。
もうわかっておられると思いますが、恋は中央から発せられる感情です。
感情には理由という便利なラベルはついていないのです。

だから「恋は理屈じゃない。」のです。

それを外側で解釈して理由をつけようとします。
「なぜ私はあの人のことを好きなのだろう。整合的な理由が欲しい。」と思うのです。
しかし、論理的で整合的な理由なんてつけることはできません。

すると、統合性を生み出す人格が崩れます。
理屈ではない恋という感情が強ければ強いほど、一貫性と整合性と論理性を持つ人格を保つことができない。
人格が破綻しそうになり、悩むのです。
人によっては、自分のことが嫌いになるかもしれませんし、自分のことがよくわからなくなるかもしれません。
普段は理論整然とする人が、恋をした途端に人格が破綻するかもしれません。

そうです。
当Blogがなぜ「恋愛」にこだわるのか、その理由です。

恋は人の人格を揺さぶるのです。
凝り固まった論理性や整合性を破壊し尽すもの、それが「恋」。
人生における最大のファクターです。

恋なくして成長豊かな人生は有り得ないし、恋を語れない人が人生の何を語ってもつまらないのです。
(語れる力のある人は、恋愛というものがよくわかっている人でしょう?)
恋一つできなくて、人の何がわかるか。

ちょっと長くなったのでそろそろ閉めましょう。

上記で述べたことを総覧すれば、恋の仕方を一つとってもみても、完璧な答えなんて存在しないことはわかります。
アイドル・ビジネスにおいて、この恋というファクターをどう喚起し、どう制御できるか、これを考えていく必要があるでしょう。

つづきは・・あるかな?

知識がないから間違うという誤解

2011-03-08 21:11:03 | 恋愛
今週も録画した「大切なことはすべて君が教えてくれた」を見た。

感動した。
特に中盤のシーン。

簡単に前置きを説明すると・・

生徒の模範であるべき先生が、
浮気騒ぎを起こして婚約者であった同僚の先生と別れて、
しかもその先生が妊娠していたことが後になって発覚し、
でも依りを戻さず最低先生扱いを受けている最中、
生徒の母親がそんな先生に子供の進路指導をするのは拒否したいと申し出たところ。


母親:

すみませんけど、先生に指導して頂く必要はありません。

本来、避妊や病気のことを教えなければならない立場の人でしょ?
(先生に)幻滅しています。


女子生徒:

馬鹿じゃない!?
子供が間違うのは知識がないからだと思っているの?

避妊や病気のことなんかクラス全員知っているよ。
わかっているよ!
わかってて、でも頭でわかっている通りにできないから
悩んだり困ったりするんじゃない?

大人だってそうでしょ?!

それでいいじゃない?!
私達、そういうのを見て、ばかだなぁとか、
自分はもっとしっかりしようとかいろいろ考えるんだから

駄目な大人がいるから私達先に進めるの

信頼できる駄目な大人が。



母親:

・・頭の良すぎる子だ
ほんと私じゃ手に負えないときがあるんです。


なんと達観したコメント。
とても高校生とは思えない。

彼女の言うとおり、先生はいろんなところにいるのだ。
学ぶ側に意志さえあれば、あらゆるものが先生になる。
世の中に存在しもしない先生像や聖人君主な政治家像を求めるのではなく、学びとは、教える側と学ぶ側の相互作用であるということをよくよく理解する必要があるというお話し。

そして、「子供が間違うのは知識がないからだと思っているの?」という問いは実に本質的だ。
その通り、知識だけで理解できるなら誰も苦労しないのであって、知識は経験に裏付けられて初めて理解できる。
だから人は人に理解を与えることなどできない。
自分で理解するしかないのだ。
なのに大人は経験を与えない。
だから子供はわからない。

でも今時の高校生の方がよくわかっているのかもしれない。
大人たちの考える形だけの絵空事に呆れているのが現状だろう。
それでも純粋培養されることを受け入れる悲劇。

う~ん。

恋愛を妄想できない大人たち

2011-03-08 16:59:58 | 恋愛
恋愛論(小幡績)
http://blog.livedoor.jp/sobata2005/archives/51681534.html

妄想論(小幡績)
http://blog.livedoor.jp/sobata2005/archives/51683003.html

美しい。
内容に思わずうっとりしてしまいました。

そして、コメント欄の次の指摘もその通り。


青年期の大切な次期を勉強だけに費やしてしまうと、おっさんになってから苦労しますね。


しかし、日本にはそういうものが足りないのです。

恋愛の一つも妄想できない大人たちが多いことがこの国の問題なのです。

大切なことはすべて君が教えてくれる

2011-02-22 11:08:32 | 恋愛
大切なことはすべて君が教えてくれた(フジテレビ)
http://www.fujitv.co.jp/kimigaoshietekureta/index.html

久しぶりに"録画"をしてドラマを見ている。
なぜ見始めたのか、それは全くの偶然(第1話の再放送)であったのだが、最近いろいろ考えるところがあって最初から全て見ている。

月9ドラマを見ること自体、かなり珍しく、若者向けのドラマを見ると、ついつい「若いな・・」などと悟ったフリをして冷めた視線で受け流すのが癖ついていたのだが、どうも見方がスパイラル周回したらしく受け取り方が変わってしまった。

決して悪いことではないが、人間には物事を帰納的に考える癖があって、身の回りに起きる事象に関して一般化(法則化、定式化)してしまう。
ブラックスワンのタレブ曰く、後付バイアスによる「プラトン化」というやつだ。
往々にして、これはかなり特殊な前提条件に基づく一般化なので、想定外の事象をうまく包含できない。

恋愛でいえば、人間はある程度の経験をすると、マクロで恋愛を捉えようとして、一定の傾向から、自分なりの恋愛理論を構築してしまう。
一度、恋愛理論が出来上がってしまうと、この理論に基づいてしか恋愛を見ようとしなくなるので、人は想定外の事象については事象の論理を単純化して理論における論理矛盾を回避するか、もしくは事象そのものをなかったことにするという無視作戦をとることになる。

どうすればよいか答えのわからない問題について、人は向き合うことを避けたがる。
(日本の教育が回答の用意されている問題ばかり解かせるから、日本人はこの手の問題が苦手というのもあるだろう)
人は、「どうしたらよいかわからない」という状態に対して「不安」を感じる生き物だからだ。
「知らない恐ろしさ」というやつである。
「不安」は生き残るための危険検出センサーなので、知らない恐ろしさが存在すること自体は生物学的に言って正しい。

しかし、日本の教育は知ることのできることばかり教え、それに答えることができる人を優秀とする傾向が強いので、日本人の多くは「知らない恐ろしさ」に対する耐性がない。
また、全知全能な神を宗教的背景としてもたないし、神道や仏教の影響が薄れ、人間の未成熟さを肯定する素地がないということもあるだろう。

だから、日本人はやたらと「知らない恐ろしさ=不安」を恐れている。
「不安」を排除するために安定的な生活を手にしようと躍起になっている。
日本人は事象をプラトン化して「論理の単純化作戦」と「事象の無視作戦」に全力を傾けるのだ。
そして、時としてそれが不毛な努力になり、人生から幸せを追い出している。

当Blogでは、以前より「恋愛」に焦点を当てている。
何度も言うように、「恋愛」こそ、その日本人のプラトン化を打ち破る鍵だからだ。
凝り固まった自分を破壊し、新しい秩序を求める原動力になる。

恋愛の1つもできないような日本人に何を変えることができる。
この社会の何を、この世界の何を、この文化の何を、変えることができるのだ。

嫌いなことから物事を変えることはできない。
物事を変えることのできる条件は、唯一、それが好きであるということだけである。

答えは、上述したように、人間にとって「好きである」ということが既存の構造を破壊し、新しい秩序を構築するために最も優れた動機となるからだ。

「大切なことはすべて君が教えてくれた」は、全くもってその通り。

大切なことはすべて好きになったものが教えてくれるのだ。
あなたが、大切なことを知る条件はただ一つ、好きになるということ、それだけだ。



ちなみに、ドラマの話ですが、私は佐伯 ひかり(武井 咲)と柏木 修二(三浦 春馬)とがうまくいって欲しいです。
お願いします。

[追記]

勘違いされるかもしれないので補足しておきますが、
ここでいう恋愛とは人と人の恋愛だけにあらず、
人と人と物事すべてとの関係性の話です。

ちなみに、この恋愛話は私の持論で、だいぶ前の学生時代の頃から採用面接時にも語った内容でもあります。
これくらいのことが語れなければ学生した意味がありません。

[つぶやき] 自分を決めるもの

2010-05-14 20:59:22 | 恋愛
つぶやきたいだけ・・

ちょっと前に東レの佐々木常夫氏の講演を聴きに行った。
長男が自閉症で妻がうつ病。
壮絶な人生を送られた方で、それでも東レの重役になった。
(現在は東レ経営研究所社長)
著作もベストセラーになり、今では経済雑誌でも人気コーナーを持つカリスマ・ビジネスマンだ。

いつも聞かれるであろう質問を、その日も会場からされていた。
「私のような弱い人間は、どうしたら佐々木さんのように強くなれるのでしょうか?」
「家族の問題、仕事の問題、自分も歳をとり老いていきます。」
「今にも負けそうになることも多いです。」

佐々木氏は妻の3度目の自殺未遂の時、「俺が死にたいよ」と愚痴をこぼしたことを明かした。
その上でこう述べるのだ。
「私が強いのではありません。そうせざるを得ない環境におかれただけです。」
「私も弱い人間です。」
「よく仕事と家庭の両立について驚かれますが、私にとって仕事は息抜きでした。仕事がなければやってこれなかったと思います。」
「リタイヤすることは考えませんでした。自分が決めた道に自分自身で責任を持とうと思っただけです。」

人間に強い弱いなんかない。
(腕っぷしの強さはあるけれど)

よく「立場の違い」というけれど、これは「背負っているものの違い」ともいえる。
何を背負うのかによって、人は変るのだ。
ペルソナだ。
自分が弱いとか強いとかいうことを考える前に、自分というものを決め付ける前に、自分が何を背負っているか考えた方がいい。
背負うものを何も持っていない人が強いわけがない。
逆に、背負っているものが重いなら、下ろせばいい。
自分を決め付ける前に、自分を決めているのが自分だということに気づくべきなんだ。

なぜか金曜日の夜はしんみりしてしまう。
背負いたいものを背負っていないからかもしれない。

自分を語ることの難しさ

2010-03-15 11:43:59 | 恋愛
昨日は子供が深夜に体調を壊してしまったので寝不足だ。

昼間は絶好調だったのに。

それが予兆だったのか、今日は朝からおかしい。

諦めかけていた物事がうまく進みすぎている。

季節の変わり目の影響なのだろうか。

人の心の移ろいを肌身で感じている。

卒業シーズンは何が起こるかわからない。

一つの物事だけがうまくいくならまだしも、3つ同時である。

偶然が重なるとしても、事故も奇跡的な確率で起きるとはいえ、

これは明らかにおかしい。

ここから読み取れるメッセージはなにか?

これは「バブル」か。

「バブル」には自然均衡点に戻ろうとする力が働く

上がって、落ちて、また上がって、また落ちる

今がピークで、これは罠か?


人生が難しいのは、自分の予測が最も難しいからだ。
達観した仙人レベルでないと自分のことは客観的に見ることができない。

だめだ。
気持ちが盛り上がれば盛り上がるほど、客観を離れていく。
客観には楽しさはないからだ。
ちくしょう。
どうすりゃいいんだ。

[結婚] 「結婚」について語ろう

2010-03-10 16:44:59 | 恋愛
昨年末に恋愛ブログ宣言をしたものの、形だけで終わってしまった。
今思えば「恋愛」という枠組みが漠然としすぎていることが問題であった。

そこで、次の議論ネタを決めました。
ずばり「結婚」だ。

数回にわたり結婚について議論していきたい。
コメント求む!

余談だが、私も「恋愛工学」の学者になりたいな~。

不合理と知りながら男はなぜ結婚するのか(森川 友義)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2914

結婚のメリットは4つだという。

1、相手の独占的保有とセックス
2、自分の遺伝子を後世に遺す
3、シナジー効果による資本の増強
4、社会的ステータス

一方、デメリットも4つあるという。

1、恋愛感情の喪失
2、セックス欲の減退
3、視覚的価値の急減
4、不倫コストの大幅上昇


以上のことから、魅力ある男性が女性に対してプロポーズするというのは、かなり非合理的な意思決定なのかもしれません。男性にとっては、同棲・半同棲などの方法によって、結婚に伴うメリットだけを享受して、視覚的、性格的劣化が生じた時点で次の異性に乗り換えるというのが合理的判断と言えるかもしれません。

 女性側がそれを阻止する、つまり結婚に持ち込むには、男性が女性に欲しているものを提供することが重要となります。就職活動では「want」より「can」をアピールすることが内定に持ち込む重要な要素ですが、婚活においても「want」より「can」です。

 女性も男性に何を求めるかと考える時、私に何をしてくれるの?という要素、つまり「can」が重要と感じているはずですから、全く同じことです。


これまで私は「結婚観」を巡る議論で多くの女性の不快を買ってまいりました。
(もちろん、一般化できるほどサンプリング数が多いわけではありません)
女性にとって「結婚を分析しようとする行為」そのものが不快なのです。
(もちろん、そうではない人もいます)
しかし、このブログでは「結婚」について多いに語っていきたいと考えています。
(多分、読者のほとんどは男性と思われますし・・。)
腕がうなります。

ではまた次回

バブルになれない

2010-02-05 12:32:01 | 恋愛
至極同感、全くその通り。
古い日本人は過去のみが現実なのであり、未来は現実ではないのである。

朝青龍 相撲界が得たもの(小幡積)
http://blog.livedoor.jp/sobata2005/archives/51422609.html


そもそも、欠点があるものを育てると言う発想がない。相撲界を努力して発展させる、アイデアも能力もないのは仕方ないとして、その気概すらない。

気概のない、かつての相撲取りの方々の存在価値はないどころか、マイナスだ。


私も今ある種の女性バブルかもしれない。
しかし私の場合、バブルが崩壊せぬようギリギリのところで複数均衡状態が保たれている。
小さい頃から、なぜか私の女性バブルは絶頂に至らないようになっている。
何かの力がバブル崩壊を食い止めているように。
私の人生にはスタビライザーが埋め込まれているのだ。
バブルは崩壊せねばバブルでない。のか。
逆説的には崩壊せぬから私のはバブルでないのかもしれない。
バブルになれないのか。

嫌な人生だ。

女性バブル(小幡積)
http://blog.livedoor.jp/sobata2005/archives/51422602.html

「好き」になりたい人へ

2010-01-25 18:02:03 | 恋愛

初っ端から形而上学的といいますか観念的な話に終始しており、読み手の期待を裏切るものかもしれませんが、考えるところを書かせていただきます。


「彼女がいない」より、「惚れない」ことのほうが深刻なのでは?(シロクマの屑籠(汎適所属))
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20080908/p1


“恋の毒”が頭に回って、寝ても醒めてもいられない心境になることがない・なれないことのほうが余程でっかい問題で、恋が恋として熱情を帯びて始まらないということこそが、問題として最も重要かつシビアなのではないか、と僕は思う。異性が周りにいないというなら出会いの場が必要だろうけど、そうでない場合、本気で異性の誰かを好きになって、その人に自分がどうコミットしていくのかを真剣に思い悩む、というパトスが湧き出る湧き出ないのほうが、「彼女を作るための10のtips」などといった小細工的問題よりよほどクリティカルではないか。


「深刻」かどうかは別問題として横に置くとしても、確かに「人を好きにならない。」ということの方がより本質的な問いだと思います。
ただ、私はそれが(良くないという意味での)問題だとは思っていません。
「問題」だというためには、その事象によって受ける影響が損失だと言わねばならないからです。

別に「人を好きになるならない」なんてことはどうでもいいことですが、ただ、その理由を問うことは、そのことについて悩む人には処方箋となるかもしれません。
なぜ「人を好きになれる人」と「好きになれない人」がいるのでしょうか。
今日はそのことについて考えて行きたいと思います。

まず、初めに言っておくと、私は「人を好きになれる人」です。
いや、こんなことを書くと「不健全な人」と思われるかもしれません。
たいてい社会的道徳の中には「貞操観念」というものがあって、恋多き人は嫌われます。
「1人の人をずっと愛し続けること」を是とする文化もあります。

しかし、私は「人を好きになる。」のは生物として健全な能力の一つだと思っています。
(健全ってことはその逆の能力もあるの?いや、ない。単にニュアンスの問題。)
とりわけ、人間におけるこの能力は知性のある部分と強い関連があります。
個人的な意見を言わせてもらえば、人を好きになることができない人は、ある能力が低いことを示しています。


人と人との結びつきにおける重要な本能的な要因として「免疫関係」などがあると言われていますが、私はその考えに否定的です。
もちろん、無視できるかどうかについては議論がありますが、私は人が人を好きになるというのはもっと精神的なところに依存した問題であると考えています。

その能力とは「想像力」です。

「想像力」に欠ける人は「人を好きになること」はできないし、仮に性欲的充足や社会的地位のために一時的な関係を構築することはできても長続きはしません。


ここでいう「関係」とは実質的な関係であり、名目的な関係ではありません。
実質的関係がなくても名目的な関係、例えば夫婦関係を継続することは可能です。

なぜ「想像力」が「人を好きになること」と関係があるのでしょうか。

答えは簡単です。

「人を好きになること」とは、「知りたいと思うこと」に他ならないからです。
(これは当Blogの主張である「全ての欲求の源泉は知的好奇心である」と同じ意味)

想像してみましょう。
人でなくてもいいです。
あなたが好きな人、モノについて感じているものと、好きでない人、モノについて感じているものと何が違いますか。

あなたの横を好きな人が通ったらあなたはその姿を見ようとするでしょう。
隣り合った時に恐くて見れないかもしれませんが、あなたは見たいと思っているはずです。
夜寝る前に、あの人は何をしているのだろうと気になりませんか。
あなたが好きなバンドについて、あなたが好きな人はどう思うか気になりませんか。
あるレストランで美味しいメニューを見つけたら、一緒に来て相手の反応を見たいと思いませんか。
あなたが感動した話を、好きな人に話して反応を見たいと思いませんか。
あなたの考えを相手と共有したいと思い、共有できるか確かめたいと思いませんか。

あなたが人を好きになるとき、相手のことをもっと知りたいと思っているのではないでしょうか。

将棋でもスキューバダイビングでもいい。
あなたが趣味に没頭するとき、もっとそのことについて知りたいと思うし、もっといろんな世界を見たいと思うのではありませんか。
競技大会で優勝したいのも、優勝するとはどういうことか知りたいと思うからではありませんか。

こういう反論があるかもしれません。

「それは、人を好きになるから知りたいと思うのではないか。」と。

なるほど。確かに、人は自分が恋に落ちるというその瞬間についてよくわかりません。
原因と結果を取り違えることはままあります。
しかし、ここで答えを出しておきましょう。

人を知りたいと思うその瞬間に、あなたはその人を好きになるのです。
つまり、知りたいと思うことが、好きになるということなのです。
好きだから知りたいのではありません。
知りたいから好きなのです。

逆に言えば、あの人のことを好きではなくなったからもう興味がないのではありません。
あの人のことをもう知りたいと思わなくなったから好きではなくなったのです。

あったその瞬間にその人のことをもっと知りたいと思うかもしれません。
知りたくて知りたくて仕方がなくなる。
例えば、あなたは一生懸命努力してその人と付き合うことになったとします。
しかし、3年くらい経ってあなたは倦怠期を迎えました。
この3年の間に、知りたいことが尽きたのです。
お互いの趣味、考え方、相手のしぐさ、当初はあれだけ心を惹きつけたことなのに、あなたは興味をもてなくなります。

マザーテレサもこう言いました。
「愛の反対は無関心だ。」と。

ある学問ではこう教えます。

人類が生物学的進化の上で、子供をつくり、産み、育てるのに夫婦の関係が維持されなければならなかった時間は3,4年程度だから、ドーパミンが3,4年で効果を失い、恋はその時間軸で終わってしまう。
生物学的にみれば、種の保存のため、雄はさらに新しい雌を求めさまよう。

なかなか説得力のある説明ですが、私はこの考えは原因と結果を取り違えていると考えています。
(この話に反証可能性があるわけではありませんので、信じるかどうかは読み手に任されております。)
「知りたいと思う」仕組みが「生きる」ということなのであって、「生きる」から「知りたいと思う」のではないのです。
(機能不全のエロとかをどう説明するかだね。)


「恋愛への飽き」の問題をどう乗越えるかについて、回答になっているつもりです。

だいぶ深みにはまってまいりました。
ここでは深入りせず、話を元に戻します。

もし、私が主張するように「知りたいと思う」ことが「好きになる」ことだとするならば、「知りたい」と思えれば人を「好きになれる」ということです。
では「知りたい」と思うとはどういうことでしょうか。

実は「知りたい」というのは受身な行為ではありません。
「知りたい」とは知的かつ積極的な行為です。

例えば、目の前で何かの事象が発生します。
それを見て、あなたは知りたいと思うのでしょうか。
違います。
あなたは見た、感じたものについて「これはどういうことなのだろうか。」「もしかしてこういうことだろうか。」ということを思考します。
「知りたい」というのは、ある事象の裏にあるロジックや背景、もしくは自分の予測との整合性を確認する行為なのです。
これは受身ではなく、積極的な知的関与があって初めて成立するものなのです。

私はそれをここでは「想像力」ということにします。

だから、あなたが博識であればあるほど、いろんなものについて興味を持つでしょう。
逆にあなたが無知なら、目の前で起きたことに関心を持たないかもしれません。
その事象について思うところがないからです。

ようやく本題です。

目の前に異性がいて、興味を持つか持たないか。
もしくは、異性を求めて行動に移すかうつさないか。
それは、あなたのその時に持っている知識や想像力に強い影響力を受けるのです。

想像力が低い場合、あなたは人を好きにならないでしょう。
その場合、単に異性は経済的、性欲的、社会的な価値としてしか評価されないでしょう。

好きになりたかったら「知りたい」と思うこと。
そのために知識を持つというのもテクニックとしては有効です。


人を好きになるというのは、経済的、性欲的、社会的な価値を一つメタ視点でみた「知性的な価値」だという評価を私はしています。

ただし、自分の想像力を発揮させるための機会が異性にはないと自覚しているなら、それは想像力の欠如を示しているのではないので、全く問題ないのです。
ちなみに、私は妄想族で、「想像」と「創造」の区別もついておりません(笑)


本エントリでは「人を好きになる。」ということがどういうことか、話の単純化のために全く定義してません。


では、「知りたい」と思うためにはどうすればいいの?という問いがあると思います。
でもこの問いはもっと高度で、実は「知りたい」というのは人間の意識の中で何層にも重なっていて、解釈によっては跡付けで「知りたい」と思っているだけに過ぎないと言うこともできたりするのです。
自覚的に感じている「知りたい」だけでは説明し尽くせないので、また後日説明したいと思います。

恋愛ブログ宣言

2010-01-25 15:19:55 | 恋愛
最近は「小沢ネタ」「政治思想ネタ」をヘビーローテーションしましたので、今週は少し趣向を変えていこうと思います。
今週はブログ開設当初にメインに据えようと思っていた「恋愛ネタ」をメインで行こうと思います。

小沢ヘビーローテーションは流石にやり過ぎかと思っていたのですが、案外好評を頂いて驚いております。
できれば感想や雑感などもコメントしていただけると嬉しいです。
もちろん、反論やご指摘いただけるのも勉強のため大変助かります。
当Blogはエントリに関連する限り、コメント・トラックバックをフリーで運用しております。


私は、私のキャラクター上これまで数多くの人生や恋愛などについて相談を受けてきました。
(男女問わず、特に女性の方が多かったのですが。)
「恋愛相談」というと何か甘酸っぱい感じもしてきそうなワードでありますが、しかし時に大変に厳しいものです。
普段、政治や経済、社会情勢などばかりに注視している人にとっては他愛もないトピックスかもしれませんが、多くの人達にとって「恋愛」というのは人生の中で大変なウェートを占めるファクターです。
(例えば殺人などの犯罪における最大の要因は「男と女の問題」です。)
その人の人生を豊かにも狂わせもする計り知れないパワーを持っており、実際、私が見てきたところ「恋愛」は人間を変え得る最大の力を持っていると考えます。
しかも強烈な力(「魔力」といってもいい)を持つ「恋愛」には答えがありません。
そんな恋愛相談を受けるのは、往々にしてその人の人生の悩みを抱え込むようなものです。
相談相手との距離感に気をつけないと、答えのない底なしの泥沼にはまり、こちらが傷つき倒れます。
時には激しい討論も起きますし、修羅場と呼ばれる惨劇もあります。
私自身、そういう修羅場を体験してきましたが、本当に「恋愛」は人を人徳者にもするし殺人者にもするのです。

少しネガティブな話が続いたので、ポジティブな話もしましょう。
「恋愛」には良い面が多くあります。
「恋愛」がなければ、我々を魅了する小説も音楽も、多くの文化的な芸術も生まれなかったでしょう。
我々の住む世界はもっと退廃的なものであったかもしれません。
「恋愛」で我々が持つ願望が、多くのイノベーションを生んできました。
「会いたい」「伝えたい」「わかりたい」という気持ちが、どれだけ時空間を縮める技術開発に発展してきたことでしょうか。
「恋愛」は、我々に生きるという喜びを噛み締める機会も提供してくれます。
小さな幸せへの気づき、自分らしさというアイデンティティ、恋人や家族との関係を育む喜び、恋愛が私達に与えてくれるメリットを考えたらキリがありません。

これほど我々の世界に強い影響力を持つ「恋愛」。
「恋愛」をテーマに何も語れないわけがありません。
「恋愛」という切り口にすれば、社会の様々な問題が見てくるはずです。


「恋愛」というワードに馴染まない方は、ジョージ・アーサー・アカロフ風に「アニマル・スピリッツ」と言ってもいいかもしれない。

当Blogでは私自身の知識と経験から、恋愛関連の様々なテーマについての個人的な考えを、今後Blogで述べていきたいと思います。
質問などは随時受付けております。