進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

モギケンに賛成

2011-03-03 23:31:55 | ブログ情報(News Release)

私なんかはモギケンの意見にすごく同意するのが。
今回の件で京大の信頼は失墜したと思う。
豚インフルの際にも冷静に「かかってもたいしたことないから免疫つけとこう」くらいのノリで意見表明していてさすがだなと思ったものだが、今回の件はがっかりだね。

茂木健一郎さんがTwitterでカンニング事件について語り暴走中(アルファモザイク)
http://alfalfalfa.com/archives/2416208.html

[つぶやき] 逮捕まですることか

2011-03-03 16:39:16 | ブログ情報(News Release)
逮捕か。
短絡的な犯行だけれども、逮捕までするべきことか。

大学側からの被害届けというが、今回の事件でどの程度の損失があったというのか。
そもそも大学側の試験監督体制に不備はなかったのか。
大学側がかけるべきコストをかけずに招いた不作為という観点も可能だろう。
大学として、カンニングをしない他の学生に不利がないように働きかけるのは当然であり、それができないのであれば、その大学の入学試験の信用が落ちて、大学の人気が落ちるだけである。
それが嫌ならカンニングの発生しない試験に切り替えるしかあるまい。

今回の事件で信頼を失墜したのは学生だけではなく大学も同じであろう。

京大の会見が面白くて「監視体制に問題はなかった。」だそうです。

にしても日本のTV局はすごい。
こんなニュースがトップニュースになるなんて。
カンニングがだめならインサイダーなり情報漏洩なり贈収賄なりもっと気合入れて取り締まれよ。
大人達はもっと大規模で悪質なカンニングやりまくっているだろ。

就職できなくて自殺?そんなもので人が自殺できるわけがない。

2011-03-03 16:24:47 | 社会
2010年の自殺統計によると、自殺者は31,690人で、うち就職失敗が動機と思われる大学生の自殺が46人で倍増だそうです。

こういう情報は世論をミスリードしがちです。
おそらく、この情報を聞いたら「就職できずに自殺した。」と考えますよね。
「今日の雇用情勢が問題だ。」と言い出す人が現れますね。

でも、就職できずに自殺した人は、仮に就職できたとしても、その後の人生の中で自殺した可能性が高いです。
もちろん、その後の人生がその人に与える影響を考えると自殺しない可能性も否定できないですが。

そもそも「自殺」という言葉がミスリードを生み出す元凶です。
「自殺」は「自殺」ではありません。
「殺人」ですよ、自分を殺す殺人です。
それも、他人を殺すよりもずっと条件の厳しい最上級の殺人です。

他人を殺すのは簡単です。
何かを奪いたくて、怨恨で、または特に意味もなく殺すことが可能です。
戦争ひとつ考えて見てもわかりやすいじゃないですか。
命令で人を殺せますよね。
ボタン1つかもしれません。
つまり、何らかの条件が揃えば殺せてしまう。
他人を殺すというのは、そういうものです。

でも、自分を殺すのは非常に難しいものです。
条件揃っても殺せません。
自分のことは。

大切だからですよ。
自分のことが誰よりも。

自分を殺せる動機はただ2つです。

自分より大切な誰かの為に自らの命を賭すこと。
いわゆる「無償の愛」です。
自分を殺すための条件はありません。

もう1つ。
それは「絶望」です。
そもそも人は、傷ついたり辛いからといって自殺することはありません。
そんな容易い条件では殺せないんですよ自分を。
何よりも大切な自分を殺せないんです。
でも「絶望」だけは違う。
「絶望」は人から条件を奪ってしまうから。

人は「希望」のある限り、生きます、生きようとします。
どんなに辛くても、悲しくても、「希望」が人を生かしてくれます。
「希望」は人に、人生に意味を与えてくれるからです。
人が生きれば様々なものとの関係性が生みだされます。
(人は関係性に意味を見出す生き物です。繰り返しなので省略。)
その可能性を信じさせてくれるものが「希望」です。
逆に言えば、人は「希望」を失うと関係性が生み出される可能性を信じられなくなり、人生に意味を見出せなくなります。
ビクトール・E・フランクルばりのことを言わせてもらえば、人は意味のない人生を歩むことはできません。
だから「希望」のある社会であることは、どのような社会であっても重要です。

しかし、人は簡単に「絶望」できるものなのでしょうか。
答えは否です。
簡単に「絶望」できるなら人類はとっくに滅亡していますよ。
人は、思いたいようには思うことはできません。
セルフマインドコントロールが簡単にできればうつ病だってなくなります。
「絶望」するのは大変なのです。


上記をまとめましょう。
人は、他人については条件で殺せますが、自分を条件で殺すことはできません。
自分を殺すことは非常に難しいことです。

にも関わらず自殺するということは、絶望して人生に意味を感じなくなったということです。
しかし絶望するのも簡単ではありません。
就職できずに絶望するということは、おそらくその人は、そもそも絶望しやすい環境に身をいているということです。
他のことでも絶望しやすい状況ということです。
絶望しやすい人なのではありません。
絶望しやすい状況に身を置いている、いや、正確に言えば、絶望という状況にあると思い込んでいる。

いいですか、当Blogでは何度も繰り返すように、意味というのは始めからあるものではなく、関係性があればそこに生み出されるものです。
絶望しないで生きるために必要なこと、それは生きようと思って生きることです。
でも逆に生きようとしないためには絶望するしかありません。
勘の良い人なら理解できるでしょうが、絶望への飛躍がなければなりませんね。

どうすれば人は絶望へ飛躍することができるのでしょうか。

「未来」を奪えばいいのです。

ひたすらにその人の「未来」を奪えばいいのです。
「未来」は人に「希望」を与えてくれます。
「未来」のある限り、人は「絶望」したりしない。

どうすれば「未来」を奪えると思いますか?

実は「未来」を奪うことなど誰にもできない。
その人の「未来」はその人のものでしか有り得ません。
「未来」はその人の中にしか存在しないものだからです。

だから、「未来」を奪うためには、ひたすらに「君には未来がない」と思い込ませることです。
「未来」を奪うことはできません。
だけれども、「未来」がないと思い込ませることはできる。

ひたすらに「未来はない。」と思い込ませるのです。
そうすれば人は「絶望」する。

これでようやく人は自分を殺すことができるのです。


結論です。
就職できずに自殺する人なんていません。
未来を奪われたとその人が思い込み、絶望することによって初めて自殺することができます。

就職できずで自殺した人は、何かに自分の未来を奪われたと思ったのでしょう。
「未来」があれば人生の可能性はほぼ無限大に開いているにも関わらずです。
「未来」を奪うことはできないのにです。
なぜその人は未来が奪われたと思えたのでしょう。

その「何か」が何なのか、国民的コンセンサスを得るまでには長い道のりを経ねばなりますまい。