進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

ようこそ "進化する魂" へ

2020-06-23 15:59:12 | はじめに。この日記について
★お知らせ★

■このブログをご覧の皆様へ


最近、他ブログや掲示板サイトにて当Blogへのリンクが貼られているらしく、

荒らし行為との関連の確認や、荒らし行為の片棒担いでいる等の苦情が相次いでおります。

私自身はそれら個別事案の詳細や、全部でどの程度問題が起きているのか把握しておりませんが、

苦情が入るくらいなので、荒らし行為と思われるような使われ方をされているのだと推測しています。


私には、このブログを宣伝する気はありません。

紹介して頂けるというお話も全て断っております。

ですので、勝手にリンクを貼るのはやめてほしいと思っています。


が、当Blogへのリンクうんぬんの前に

まず、ご自分の言葉で語るべきだと思います。

良識ある言動をとって頂きたい。

当Blogの読者で、それが理解できない人はいないと信じております。


よろしくお願いいたします。


■お願い


これまでルールのようなものを掲げてはきませんでしたが、

同じ内容のコメントを何回も投稿するのは、可読性が落ちるのでやめてください。

私は、対話への発展性があるならば、批判や否定も受け入れる方針でブログを運営していますが、

同じ内容のコメントの連投は、内容の問題に関係なく、その発展性が見えませんので削除します。

不本意ですが削除するので次回から気をつけてください。


また、せっかくですのでみなさん仮の名前を使ってください。

Unknownだと識別しにくく対話がしづらいので。


よろしくお願いいたします。



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■このブログの説明


迷言

迷いながら、悩みながら噛み砕くべき言葉。


時に「トンデモ」や「世迷言」ともいいます。

これは個人的な見解でしかありませんが、ぐっと心に刺さる言葉というのは、本質的な部分を突くだけではなく、どこか逆説的であったり、風刺が利いていたりするものです。

人がスポーツや演劇などで人の人ならざる超越的なところに感銘を受けるのと同じように、人には先天的にある何かの枠や構造を飛び越える創造性に反応する感覚を持っているのではないかと思うのです。

作家のオスカー・ワイルドは、こう言います。

「偉大な芸術家は、物事をありのままには決して見ない。それをしてしまえば、もはや芸術家でない。」


また、スティーブ・ジョブズはピカソの言葉をもじってこう言います。

ピカソには格言がある。彼はこう言った。
「そこそこのアーティストはコピーし、偉大なアーティストは盗む。」
私たちは前から偉大なアイディアを盗むことを恥ずかしいとは思っていなかった。

実際には、Picassoの発言は「Bad artists copy. Good artists steal.」。
これをジョブズが言い換えて「Good artists copy. Great artists steal.」にした。


このブログは、妄想族の一員である管理人が、妄想とパクリでニワカ道を突き進み、迷言力に磨きをかけるブログです。

オリジナリティはほとんどなく、「道」に目的はありません。

かのウォルト・ディズニーは言いました。

ディズニーランドは永遠に完成しない。
世界に想像力がある限り成長し続ける。


私は、こう言うことにします。

このブログは永遠に完成しない。
世界に妄想力がある限り。


ニワカ、トンデモ大いに結構。

みんなでニワカ道を突き進みましょう。

その他、絶賛工事中です m(_ _)m


■カテゴリー欄の説明

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その他

焚香のAKB48

2014-06-11 16:17:25 | AKB48_軽ネタ
コメント欄を読んでいて、どの意見にも読む価値があるなと思っています。
ここで私の考えを述べたいと思います。


リーダーシップにはいろんな形があると思います。
マッチョで派手なものから暗黙的で静かなものまで、世の中にあるリーダーシップ論の数だけあるのだと思いますね。

しかし、組織やチームを構築するにあたって重要なことは、ある程度決まっています。
これはあくまで私の考えですが、

組織やチームビルディングにおいて重要なことは、どれだけ優秀な人材を集められるかではなく「組合せ」です。
一にも二にも組み合わせが重要です。
スーパーリーダー・タイプだけ集めてもチームは成立しません。
ここでいう「成立しない」の意味ですが、「チーム」というのは1+1が2以上になるために存在するのであって、足し算にしかならないのであれば、チームになる必要がありません。
「6人で9人分の仕事ができる」といった生産性向上を可能にするチーム学習や相乗効果にこそチームの存在意義があります。

それを踏まえて書くのですが、

私は以前よりAKB48が新しい価値(物語)を生み出していくためには、多様性の醸成が必要不可欠と主張してきました。
外に向かっていく力と内に向かっていく力の双方を活かし、外部環境よりも豊かな多様性を醸成することが大事です。
その観点からして、「こうでなければならない」という意見が多様にあっていいと思うのです。
その価値闘争による創造的摩擦が新しい価値を生み出す原動力になるからです。

ただ、それが成立するためには「理念」が必要だとも主張してきました。
ただ異なる意見があることがよいのではなく、ひとつ高い視点から見た時に、それが実は大きな枠組みでは同じ方向を向いていることが大事です。
でないと価値分裂して一つひとつが小粒の多元社会になり、統合的な活動の効果が減少し、全体としては徐々に衰退すると考えるからです。

アイドルグループとしては非常に大きな多様性を持つAKB48をどう統合するかが問題になると思います。
そこで私は「ガチ×マジ」をわかりやすく体現する「理念としての恋愛禁止条例」を提案しました。
今でもリーダーシップやマネジメント手法の違いを乗り越えることができる理念だと私は考えています。

一方で、恋愛禁止条例は原理主義的な発想だと批判される時もありました。
ですが、私は、恋愛に関する様々な考え方があることを知っています。
恋の力は理性が抗えないほど強い力であり、時として判断を誤る時もあるでしょう。
しかしながら、だからといって恋愛禁止条例の旗を下げる気持ちにはなれません。

私の考える恋愛禁止条例は踏絵ではないし、失敗を責めたいのでもありません。
マジかどうかを問うものです。
しかし、マジにはいろんな種類があるでしょうし、誰でも失敗はするものです。
ですが、同じ方向を向いていればこそ(その旗の下に集う限り)、その失敗を取り返すことができるのです。
それも倍返しで。

AKB48は未来の正統派である ~ 「踏絵のアイドル」と「焚香のAKB48」 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1ac77147ea4e33f6ceef3a40ff34b0c5


私から見ると、渡辺麻友も指原もマジであるように見えます。
両者が評価されること自体はなんら不思議なようには思えません。


少し話を変えて、

指原のHKTでのマネジメントとしての役回りはわかりやすいですが、一方、渡辺麻友はどうでしょうか。
「彼女はリーダーとして何かをしているのか?」という問いが発せられて当然だと思いますが、実はしています。
それも大きなリーダーシップを発揮しています。
渡辺麻友はみんなの期待を背負う形で、その存在によってリーダーシップを発揮しているのです。
世代交代が行われる時に、この役割を引き受けてくれる人材がいることはとても幸運なことです。

逆に、ちょっと不幸だったのは他のキャプテンたちですね。
組織全体が落ち込む時、キャプテンというのは損なものです。
全体の落ち込みの責任の一端を背負わされるからです。
他のメンバーとは異なる基準で評価され、評価を落としてしまうという場面もあるでしょう。
そういう意味で今回の総選挙はわかりやすかった。
人は現状を打破したい時には強いリーダーを求めるものです。
その傾向が出たように感じています。
しかし、だからといって日常的な活動のマネジメントに価値がないわけではありません。
また見直される時期がくるでしょう。


私は、ここ数か月AKB48から離れておりましたのでちょっと第3者的な意見になりますけれども、総選挙において渡辺麻友と指原の対立軸が浮かび上がったこと、非常に喜ばしく見ています。
こういう価値の創造的摩擦を起こす内在的な力がAKB48にはまだあるのだと驚きました。
ここ1年失望することの多かったAKB48ですが、まだまだその瞳は死んでいないと思わされました。

これも渡辺麻友と指原という一見対称的な2人が、実は同じ旗の下に集っている仲間であるということなのだと思います。
「焚香のAKB48」なのです。

渡辺麻友おめでとう!

2014-06-07 21:27:02 | AKB48_心の叫び
AKB48は総選挙という場で意思を表した。

指原がということではなく、渡辺麻友1位というところに意思を感じたし、可能性を見た。

純粋に感動した。

AKB48の力はまだ死んでない。

素晴らしい。


■補足

言葉足らずで誤解を生むかもしれないので補足します。

私の発言には深い意味はなくて、私が「AKB48はまだ死んでいない」と書いたのは、「AKB48のダイナミズム(動きを生み出す力)はまだ残っている。」という意味です。

このダイナミズムを持っていれば、まだまだ物語を創ることはできるでしょう。

正直に言って驚きましたし、率直に感動しました。

私自身は「渡辺麻友が1位でならねばならない」とは考えていなくて、「渡辺麻友が1位でなければならないと考えるファンが渡辺麻友を1位にした」、このことについて感動したと書きたかったのです。

また、私はAKB48の強さが「推しメン」システムの頑健さにあると考えているのですが、最近ではAKB48コミュニティはその推しメンによる多元社会になり、分裂気味である印象を持っていたのですが、総選挙にて渡辺麻友1位にするべく推しメンの「境界」を超えて結束し、、また渡辺麻友1位に歓喜するファンの姿に民主主義の芽生えを見た、と印象を述べました。



それと、私は伝統というのは大事だと考えています。

「保守」ではなく「復古」。

三谷博氏の『愛国・革命・民主』の影響を多分にウケているのですが。

どの時代も、ナポレオンもヒトラーも、明治維新も復古によるものだから。

「進歩」ではなく「復古」が大事という話がしたいのだけど、また今度・・。

保守:現状肯定、参照点過去
復古:現状否定、参照点過去 ←過去に戻るという意味ではありません。
進歩:現状否定、参照点未来

AKB48のガーディアン

2014-05-28 02:10:59 | AKB48_オピニオン
無差別的な暴力行為に対するリスクをどう軽減するか、について私見を。

まえおきとして、警備というのは具体的なものなので、それはそれでしっかりと進めるべき課題。

ここで述べるのは、それとは別に、今後どういう方向性でメッセージを打ち出すべきかについてだ。


安全保障と同じ種類の問題と考え、ゲーム理論を基に考えると。

先制攻撃が有利な状況で相手に攻撃をさせないためには、その先制攻撃が失敗する可能性が高く、さらに確実な反撃がなされることを認知させる必要がある。

そのため常設の戦力(常備軍)の充実が不可欠(最大戦力よりも訓練され機動性を持った常備軍が重要)であり、それゆえ軍拡競争になるのであって、究極は核兵器による相互確証破壊によって平和はもたらされるのであるが・・

(もちろん国家権力によって暴力は抑制され、報復は認められていないわけだが。)

とにかく、狩猟採集民にとっての農耕民が座せる標的であったように、功撃する側からしてAKB48は座せる標的なわけだから、先制攻撃を封じないといけない。



ということで、私なら次の手を検討したい。

コストはかかるが、OJS48の専門集団化・強化・拡充だろう。

単なる用心棒でも警備員でもなく、特殊部隊のように、常設の最強エリート警備集団であるという認知を得ることが重要だ。

ボディーガードではなく、王室を守る近衛兵のように尊敬を集める存在でなければならない。

あくまでもエンターテイメントとしてこの問題の解決をはかりたいと思う。


まぁ・・そのためにはAKB48自体が高潔でなければならないのだが・・。




「常備軍は維持・運用コストが高すぎる」と指摘されたのだが、警備会社と合弁でやれば設備投資は抑えられる。
警備会社側にもプロモーションメリットがあるようにしかければいいと思う。



今回の事件について「テロ」と表現されている方がおられますが、私の認識では、今回の件では「無差別」ではあるものの「テロ」ではないです。

「無差別」と「テロ」は意味合いが異なります。

テロの場合は、既に標的になっていることを前提としなければなりませんが、

無差別という場合には、標的になることを避けなければなりません。

この本文で述べた常備軍による抑止力的な話は、テロのような非対称戦を想定しているわけではありません。

「AKB48は標的だ」というのであれば、もはやAKB48だけで解決できる問題ではありません。

やれることは城壁を作って防御することくらいです。

運営にはメンバーを守る意思がない ~「自己責任」の本当の意味~

2014-03-16 13:25:18 | AKB48_軽ネタ

忘れさられている観点があるから代弁しておこう。

みな「スルー」を打算的なものと解釈しているようだが、実態はもっと酷い。

戸賀崎さんの時も言ったことだが、運営としてスルーするのは組織の機動性を貶めるばかりか、本人を苦しめる残酷なやり方である。

断腸の思いでも何でも、組織として何らかの処分をしてケジメをつけるのはメンバーを過剰な攻撃から守るための優しさであり思いやりである。

今回のことであれば、半年間程度の研究生降格、選抜凍結、兼任解除あたりで禊のチャンスを与えてやれば、まだ本人にも努力のしようがあるだろうが、スルーではどうしようもなく手が詰まる。

どうやら最近の運営にはメンバーを守るつもりがないらしい。

酷なことをする。

これが本当の「自己責任」の意味であろう。



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Google先生に聞けば何でも教えてくれる時代において、隠し事してどうする。

アイドルや、そのファンはピエロか。

違う。

これは政治でも企業のブランドマネジメントでも同じこと。

みんながわかっているのに、玉虫色で決着つけようとしても、そんなもの何の役にも立たない。

逆に、自分達を貶めるだけだ。

AKB48はタダでさえいろいろ批判されるが、自分達の進む道を信じなければ何もできない。

誇り高く生きよ!!

誇り高く生きるとは、条件によって人生を生きるということではなく、信念によって生きることをいうのだ。

信念は君達を貧しくも、孤独にもするかもしれない。

だが、それが君達の人生を気高いものにする。

美しくも、素晴らしくもするのだ。


変わりたくない人へ
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/d37210581b47b4c5f7349e05ad43a429


ググタス黒歴史記念!咲子師匠、あやりんに贈る『風は吹いている』
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7d18beac2c9b79c9486e83f4dc7618f3

人はどこかで心のバランスをとってる。

2014-03-13 13:17:28 | AKB48_軽ネタ
それぞれのダイヤモンド
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ace542f42bc7d4829e28372bb1dc31ef


人には多面性がある。

なぜか?

人格形成の過程において多面性が必要になるからだ。

「私の信条は、"正義は必ず勝つ"です。」と主張する人が、本当に正義しか認めなかったら、この人は生きていけないだろう。

不確実性のある環境下で生きていくのには、様々な面でバランスをとらなければならない。



表向き聖人君主と呼ばれる人が、実は裏でスキャンダラスな生活を送っているかもしれない。

外で壮大なビジョンを語る大演説家が、自堕落な生活で生活習慣病に苦しんでいるかもしれない。

おしどり夫婦が家では喧嘩ばかりかもしれない。

プロ意識が高く目先の利益に惑わされないと言われている人が、実はウソをついているかもしれない。


しかし、それは当然だ。

むしろ、「あの人はすごい」と言われるような人こそ、危うい。

特別なコトや無理をしなければならない人は、その反動を必ず何らかの形で処理しなければならない。

バランスをとる必要があるからだ。

だから、とりわけ特別なことを宣言しなければならないような人こそ、危うい。

自分を追い込んでいるわけだから。



ゆえに、問題はバランスが崩れることではなく、「どうバランスを取るか」ということなのだ。

本当の人生巧者というのは、このバランスの取り方を知っている人のことを言う。

しかし、人生経験の浅い若者に、このバランス感覚を持てと言うのは少し酷なことなのかもしれない。

大組閣のメッセージは「変わらないために変わる。」

2014-02-25 14:58:15 | AKB48_オピニオン
今回の大組閣について雑感を述べます。


まず、事前に私は2つエントリを書いています。

(1)
大組閣について
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/8563d9a0d7b5f4ac130fbbd1795a6ae8


(2)
これからのAKB48の向かう方向性を示すために大組閣をする
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/27611652f45fa6f1b5417e545cf282c3


「大組閣」と聞いて感じたのが(1)。

AKB48は大組閣をせざるを得ない状況に追い込まれていると書きました。

しかし、せっかく「大組閣」をやるのだがら、この機会を活かした方がよいと言いたくて書いたのが(2)です。

(1)に近かったですね。

いや、正直に言えば、ほとんど想定通り(1)でした。

コメンテーターのみなさんも指摘しておりますが、今回の組閣案は現場のボトムから上がってきたものを基本に、後から全体的な整合をとっただけのもの、と言われるとしっくりきます。

後ろ向きなことを言っているのではなく、はじめにコンセプトありきのものではなく、必要性に応じて考案されたもの、と考えるべきものかもしれないということです。

ここは表現次第でポジティブにもネガティブにもなるところなので、言葉を選ぶのに注意が必要な部分です。

が、端的にいえば、AKB48グループが持つ各グループ資産をもっと柔軟に運用したいという「内部的」な話でした。

これは、ケイパビリティ(組織能力)を向上させ、顧客価値を高める能力を高める経営方針だと言われれば理解できる話です。


で、ここまではまえおきです。

私が(2)を書いたのは、これを機会にどういう方向性を打ちだすべきかを考えた方がいいという話でした。

それはそうです、何も意味がないのにやるわけありません。

良い悪い、意図的かどうかは別にして必ず顕在的にも潜在的にも意図はあります。

で、実際の大組閣を受けて、AKB48運営の考えるAKB48の方向性が打ち出されたと受け取ることにした方がよいです。

この大組閣に秘められたメッセージは何か?


それは、「変わらないために変わる。」ということです。


今回の大組閣で、今後のAKB48の方向性は打ち出されました。

AKB48は、これまで大事にしてきた劇場やチームといった価値観を今後も大事にするということです。

サプライズ優位ではなく、基本を大事にするグループだということです。

ただ、そのためにこれまでのグループやチームの垣根を飛び越えた運用を可能とする必要があった、ということでもあります。

その背景には、国内にAKB48/SKE48/NMB48/HKT48/乃木坂46と各グループがあって、それぞれに成長したものの、その相乗効果が思うようには得られていないというジレンマがあると思います。

パッチワーク的な増改築を繰り返し、いつやら温泉旅館のように全体性のないものになってしまい、むしろ力が分散してしまって各グループ、各メンバーの潜在性を活かせていない可能性も大いにあると考えられるわけです。

なので、今回いったん仕切り直したと。

だから前向きに捉えれば「変わらないために変わった」ということであるし、少しネガティブに捉えれば、どのようにすれば相乗効果が得られるのか、という点についてAKB48という組織は悩んでおり、その答えをいまだに見いだせていない、ということです。




私は、今回の大組閣で体制を整えたので、これでようやく次の仕掛けの準備も整ったのだと受け取るのはありだと思います。

(2)で述べたことです。

外に可能性を開いていく前に内部を固める。

今はそれです。

次回タイミングを見計らって、グループとしてコンセプチュアルなものを仕掛けてくるものと、可能性が増したと感じたのでした。

佐村河内守というイノベーション

2014-02-12 22:18:23 | AKB48_軽ネタ
世間とは真逆のことを言う。


佐村河内守『交響曲第1番 HIROSHIMA 』
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0ebe8dab31cbcc5df38603638d561e96


私も感想を述べた交響曲第1番『HIROSHIMA』であるが、実はこの楽曲を作曲したのは、佐村河内守ではなく新垣隆であったわけだ。

私は驚いた。

すごいことが起きたと。

これはイノベーションである。


今回の話を総合すると、佐村河内氏は「作曲家ではなくプロデューサーであった。」という話である。

マーケティングの部分で意図的なウソがあったため、詐欺と言われても弁解の余地はない。

この部分について争う気持ちはこれっぽっちもない。



しかし、幾つかの点において誤解もある。

まず、楽曲について。

今は存在がなかったことにされそうな新垣氏が作曲した楽曲たちだが、時が経てば認められる可能性は結構ある。

後の時代の人たちはモノの良し悪ししか見ないからだ。

新垣氏は『HIROSHIMA』を作曲するにあたってマーラーやチャイコフスキーなどから多くのヒントを得たため「パクリだ」と批判されているが、実際のところパクリとかどうでもいい話だ。

それをいうと現代以降の交響曲っぽいもの、たとえば映画音楽なんかはほとんどチャイコフスキーとかラフマニノフとかクラシックのパクリである。

いや、似ていたり、ヒントを得たりということがダメなのであれば、モーツァルト以降の楽曲全てがパクリかもしれないし、全ては真似からはじまることを考えれば、その発想自体がナンセンスだ。


AKB48若手メンバーに贈る「創造的模倣」のススメ ~守破離~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0b68de7ff3d86d1def6ac1907ebdedfc


つづいて「作曲家」について。

そもそも「作曲家」という概念自体が怪しいと思う。

音楽に限らず、多くの分野で、ほとんどの作品では創造的模倣や共作は当たり前のことである。

たとえばマンガの製作においては、ペンをほとんど取らない漫画家もいるだろう。

今回の件も、佐村河内氏を「作曲家」というからおかしいのであって、「作曲チーム」と言えば何もおかしいことはない。

佐村河内氏をプロデューサーもしくはリーダーとする作曲チーム、「チーム佐村河内」なら納得である。

やすす先生が作曲家を使いこなしてこそのAKB48なのと、同じである。


そして私が最も驚いたことは、佐村河内氏が作曲に関しては素人に近いということだった。

ある人はこう言う。

「交響曲『HIROSHIMA』が佐村河内氏と新垣氏の合作だと知って納得した。」

どういう意味か?

今時、音楽的才能がある人は、交響曲など書かないのだ。

才能の莫大な浪費だからである。

にも関わらず1時間を超える超大作『HIROSHIMA』はこの時代に産み落とされた。

なぜか?

それは素人が作った「計画書」があったからだ。

専門家なら絶対にやらないであろう交響曲の作曲を、素人が何の制約も感じずに描いたアイディアを元に、一流の作曲家が四苦八苦してモノにしてみせたのだ。

この曲の出来が悪いわけがない。

これは、自分ではモノを作れないが優れた発想力を持つ経営者のアイディアを、一流のエンジニアがモノにする、という構図に似ている。

『HIROSHIMA』は、素人と当代一流の専門家という通常有り得ないコラボレーションによって生まれた伝説的交響曲なのである。

まさにイノベーションである。

(イノベーションは「組み替え」のことである。)


私は、感想の中で「21世紀の交響曲」だと書いた。

それは、今の時代に「交響曲」にお目にかかるとは思いもしないかったからだ。

外してなくてよかった(笑)

これからのAKB48の向かう方向性を示すために大組閣をする

2014-02-01 19:56:14 | AKB48_軽ネタ
大組閣について
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/8563d9a0d7b5f4ac130fbbd1795a6ae8

↑このエントリを補足しておきます。


私は大組閣に反対しているわけではありません。
今運営が「組閣をやるしかない」と判断したのであれば相当に手が詰まっている、ということを言いたいのです。
もし、組閣後のストーリーを何も示さずに組閣のみを行うようなことがあれば、ですね。

ですが、ふつうに考えたら組閣をやるなら何かとセットのはずです。
セットというより、「○○をするために組閣する」でなければ。
それが大義です。

もしその大義がないのならば論外。
そして、その大義があるにも関わらず、方向感覚を全く共有できず混乱しか生まないのであれば、地盤が緩んでるのであるから、ここで腰をすえて考えた方がいい、とういことです。

みんなサプライズよりも、一緒になって「大切なもの」を作り上げたいと考えているのではないでしょうか。
それなのに、いつも運営は「大切なものはこちらが作る」というわけです。
「これだ。これに価値がある。」と言うのではなく、「みんなでこっちを向かないか?」と言うこと、それが優しさであり思いやりでしょう。
そういうところに気を配らない緩慢さは、いずれ(もうすでに)跳ね返ってくると私は思いますよ。

AKB48のアクティビティ(たとえばCD販売)が評価されていることは、推しメン・システムの頑強さを示しているだけで、必ずしもAKB48が支持されていることを意味しない、と私は思います。
この点について運営は、よくよくわかっているとは思いますが。

支配人人事のために組閣やるのだとしたらがっかりです。
それは単に組閣することと質的には何も変わらないからです。
(私は支配人兼任はやめにして、監督制にした方がいいと思います。)


今回、AKB48は、これからのAKB48の向かう方向性を示すために大組閣をするのです。
たとえば、前に述べていた「オープンAKB48」計画とかね。

AKB48を外に開く。
ただし、その場合はしっかりと内の基盤を固める必要があり、そのために自己強化型フィードバックループが回る内部的なしかけを入れる。
外と内の両面で進めなければ。

しかし、その設計が今のAKB48運営にできるのかは、わかりません。
外部の力を借りてやるのかもしれませんね。

大組閣について

2014-01-28 15:50:56 | AKB48_軽ネタ
※私は大組閣について特に強い想い入れはないが、ただ、観ていて残念な部分がある。


過ちて改めざる、これを過ちという



これは論語の言葉であるが、非常に重い言葉だ。

朝令暮改は悪い事ではない。

拙速な判断はよくないが、誤ったと思ったら修正した方がいい。


ただし、全ては内容次第だ。

今回、大組閣をやらざるを得なかったのだとしたら、運営としては相当に手が詰まってる、と私は感じる。

トライ&エラーも、予定調和を壊すのは結構だが、壊すことでしか状況を打開できないのだとしたら、ここで腰を据えて熟考した方がいい。

創造的破壊とは、創造するために破壊するのである。

今回の大組閣で何を創造しようとしているのか、それがメッセージとして伝わってこないから混乱する。

青臭い言い方をすれば、「大組閣の大義は何か?」ということだ。

それは、メンバーやファン、スタッフら1人ひとりの気持ちを乗り越えても掴み取りにいく価値があるのか、それともないのかという話だ。

明確である必要はないが、今は不確定だとしても未来を信じさせることのできる何かをメッセージとして伝えることができるか、それが大切だ。


未来は創造し、育んでいくもの。

ものが乱暴かどうかではなく、メッセージを伝えようとしているのか?

これまでは偶然に無意識的に伝わっていたものがある可能性についても忘れてはならないし、今のAKB48コミュニティでは、運営が考えている以上に空気を共有できていないから、前ほど伝わらないこともよく考えた方がいい。

これは技術論や方法論の前に「思いやり」や「やさしさ」の問題だ。

混乱の中心に「人間性」があることから目を離してはならない。


「予定調和を破壊する」という成功体験を破壊できずにいるのが今の運営だと思われても仕方がないだろう。