進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

立候補の捉え方がシリアス過ぎる。立候補するのに理由はいらない。

2013-03-30 13:22:55 | AKB48_オピニオン

今は「立候補制」の是非は横に置くとして、

メンバー側が立候補するしないについて構え過ぎだ。

重く受け止め過ぎである。

たとえAKB48が未開の土地を切り拓くことを信条に掲げたとしても、それはあくまでエンターテイメント領域の拡大であり拡張という話だ。

愉快でなければ、もしくは愉快に繋がらなければダメだ。

メンバーにとってもファンにとっても。

もし、そうなっていないのであれば、ひとえに運営のコミュニケーションの失敗であろう。

ステークホルダーに解釈の幅を与えることは既定路線なれど、その方向性がズレてる時は何らかの手段で補正することも必要だ。

『AKB48の戦略! 秋元康の仕事術 (田原総一朗責任編集)』の中でも、やすす先生は「いいコンテンツは深読みされる」と説明している。)

コミュニケーション・デザインである。

不作為も過ぎると罪であろう。

言われるまでもない話だと思うけれど。



最近では、中心メンバーが「大人」になったことも大きな影響を与えていると思うが、AKB48全体にシリアスさが増してきている。

関わる問題の難しさが変化していることはよくよく認識するべきことだ。

AKB48が挑戦している難しい問題 ~社会的複雑性(多様性の高まり)~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/81af48ec44ccac04b031909ccd3327c3

私達が置かれている世界や社会や組織というものは、とても複雑なものなのだ。
動的で因果関係が複雑怪奇にこんがらがっている。

紛争問題の解決に関する世界的なファシリテーターとして有名なアダム・カヘンは、その著書『手ごわい問題は、対話で解決する』の中で物事の複雑性には3つの種類があると述べている。

・物理的複雑性
 原因と結果が時間的にも空間的にも離れているかどうか

・生成的複雑性
 過去の経験で解決できないくらい変化が激しく、未来が予測不可能かどうか

・社会的複雑性
 問題に関る人たちが価値観や認識、見解が大きく異なるかどうか


私は、AKB48から弾けるネアカ(根明)さが失われていると感じている。

シリアスさがあるのよいが、明るさがなければだめだ。

そういうこともあり、研究生でスピンオフ・チームを作って独自活動でもしてみたらどうかと提案もした。(理由はそれだけではないが)

研究生でチーム8を作ったらどうか?
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/a8dc7ad391013fd4ab6644a69075a5bd


話がそれたので、立候補を重く受け止め過ぎという件について。

そもそも、AKB48に在籍すること自体が「立候補」なのであるからして、その時点で一つの「踏絵」を踏んでると考えるべきだ。

AKB48に在籍している時点で「踏絵」を踏んでいて、その上で「立候補」でもう1つ踏絵を踏ませるのか?

そうではない。

立候補は「踏絵」ではない。


AKB48は未来の正統派である ~ 「踏絵のアイドル」と「焚香のAKB48」 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1ac77147ea4e33f6ceef3a40ff34b0c5


もし、「AKB48のメンバーであることの踏絵」で解決できない問題を、「立候補という踏絵」で代替解決しようとしているのだとしたら、本質論に立ち戻るべきだ。

そうやって問題が起きる度に次から次へと踏絵を差し出すようになると、がんじがらめになって近い将来、身動きが取れなくなる。

巧い回避策に頼り続けると、いずれ基礎体力は落ち、根本的な変化があった時に適応できずに崩壊するのが歴史の必定である。

(私は、そもそも「AKB48のメンバーである」ことも「踏絵」であってはならないと思っている。「焚香」であるべきだ。)



なので、ここで「選抜総選挙の位置づけ」を明確にしておくべきだ。



まず「立候補」するのに理由はいらない。

宣言する必要すらない。

なぜ立候補するのに理由が必要なのか?

たしかに衆議院議員になろうと思ったら理由が必要だろう。

それなしに誰も支持してくれないからだ。

それと同様に「立候補宣言」しなければならないとすれば、それは選挙を有利に進めるためだけだ。

だが、根本的にAKB48の選抜総選挙に立候補するのには理由は不要だ。


なぜか?

AKB48グループのメンバーというだけで立候補するための条件が揃っているからだ。

その条件は何か?

それを理解するためには、逆に「なぜ立候補するのに理由がいるのか?」を考えるのがよい。

順位が落ちることを恐れない覚悟が必要だからか?

結果が圏外、負けだとわかっているからなのか?

やる気を誤解されてはならないということなのか?

ファンに無理をさせたくない、ということなのか?

総選挙の主旨にそもそも反対ということもあるかもしれない。

コマーシャリズムに反対など。

AKB48に対する批判を気にしているなど。


だが、それらに総じて言えることは、「結果」を気にしているということだ。

「結果」を気にするから、立候補の理由を考える。

それが、そもそもの誤りだ。


理念に立ち戻るべきだ。

「AKB48は一塁に向かってヘッドスライディング」だろう?


なぜAKB48は一塁に向かってヘッドスライディングなのか、イチローがその答えを教えてくれた
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7e0acb731f2860261a35e5be769bb353




このやりとりには、AKB48に関する重大な論点が出てきていない。

結局「なぜAKB48は一塁に向かってヘッドスライディングなのか?」という問いに答えられていないということだ。

「マジ」や「ガチ」に人が惹き付けられるから、ということだけが理由なのだろうか。

違う。

もっと哲学的、思想的なものなのである。


上で述べた番組の終盤で、番組スタッフから「野球選手としての終わり方(理想の完成形)は何なのか?」について質問されてイチローは次のようなことを述べた。


人間としての円熟期はもっと先にあると思う。

しかし、物事というのは、たいていそれを辞めてから(野球選手なら引退してから)理解することが多い。

僕は、現役の間にそれをわかりたいと思う。

それが僕の挑戦。


それがどういうものか見えてるものがあったりしますか?


何もわかっていない。

でも、それがわかっていないから、ありったけの気持ちを込められるのだと思う。

それをわかりたいから。

わかっていたら、ありったけは有り得ない。



これが、答えだ。

一塁に向かってヘッドスライディングをする理由だ。


なぜ、高校球児は内野ゴロで一塁にヘッドスライディングして、プロ野球選手はしないのか?

「マジ」や「ガチ」だからではない。

結果がわからないからだ。

いや、言い方を換えればこうなるだろう。

「可能性を信じているから」

「内野ゴロでアウトになるって誰が決めた?」という話である。

内安打を大量製造するイチローに聞いてみるといい。

「なぜ、あなたは内野ゴロでも一塁に全力疾走なのですか?」と。



選挙の結果を気にして「選抜に入れないから」とか「順位が落ちる」とか「どうせ私なんか」などというのは、AKB48ではない。

「そこに山があるから」やるだけだ。

AKB48のメンバーである限り、立候補するのに理由はいらない。


「大人の事情に振り回されるのがいや?」

気持ちはわかる。

だが、では何を考え、どうすべきであろうか。

拒絶するべきか。

立候補せず不買運動で拒絶の意思を表明するべきか。

それも選択肢としてあるだろう。

それは自由だ。

だが、眼前に全力を出すためのステージが用意されてる。

選抜総選挙はAKB48にとって最高の舞台だ。

その機会を、どう捉えて、どういう形でモノにするのか、どうよいモノにするのか、それは初めに決まっているものではなく、それに参加する人々が決めることだ。

自分に何ができるかを考えた結果、初めから諦めて、選挙拒否ならそれならそれで仕方がない。



東京・横浜では今週で桜も見納めだと思うが、桜を見ていると選挙による栄枯盛衰、それもよきことかなと思う。


桜の「はかなさ」について
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e2cad56815e1fa4ea20c71aa755335d6




「桜のはかなさ」とは何であろうか。「はかなさ」とは、桜の花が散る様を見て語られるものだが、果たして、桜の花が散る様は「はかないもの」なのだろうか?

桜は1年を通して「休眠(秋)」「休眠打破(冬)」「生成(早春)」「開花」というプロセスを辿る。桜が美しく咲くために、冬の寒さと春の暖かさが重要な役割を果たす。つまり桜の美しさと四季の移ろいには深い関係がある。日本人が桜、四季、そして人生を重ねたとしても不思議ではない。

だが、桜のプロセスを理解すれば、桜の違った側面が見えてくる。桜の花が咲くのは昨年の夏につけた花芽の成長の結果であるが、桜の花が散るのは、次の花を咲かせるための準備である。桜の花が散るのは1つのプロセスの終わりであると同時に新しいプロセスの始まりでもあるのだ。そしてそれはより大きなプロセスの一部でしかない。

解散に合わせて組閣についても考えてみた

2013-03-29 22:07:45 | AKB48_軽ネタ

選抜総選挙を「立候補制」にするなら、この際「解散総選挙」も仕組みとして導入しよう
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/f67e1e67bc7f63eb59190ca4a3e7b1be

のつづき。


前回、あえて「組閣」権は外しました。

なぜかというと、投票によって選抜を組閣することは不可ですし、チームの組閣は権限が大きすぎます。

で、ちょっと考えてみました。


これは、あくまでもAKB48全体でもっとチームに力を入れるということが前提になるのですが、

解散権、総辞退権に合わせて、チーム・キャプテンの「任命権」でどうでしょうか。

総選挙トップと、各チームのキャプテンによって内閣を組織するという意味で「組閣」。

チームのキャプテンは、劇場やコンサートといった公演のチームのセットリスト決定権を持つことにすると。

キャプテンは、セットリストをパフォーマンス基準で決めてもいいし、若手を重用するでもよし。

総選挙トップは時勢に合わせて内閣改造(キャプテン交代)を行うと。

AKB48全体の戦略やマスメディア、各メンバーの活動などは運営や各事務所がやるわけですが、チーム活動についてはメンバーに自治させて、運営はオブザーバーになると。



まぁいろいろネタ的なことを語っておりますが、その心は、メンバーはもっと大きなことを語っていいと思ってるし、そのための素材を用意するべきだと思うんですよね。

いろいろな夢や自己実現の形があっていいと思っていて、個人の夢だけでは終わらないAKB48の夢とか目標とかいったものも出てきていいと思うんです。

以前は、個人の夢のためのAKB48ってだけではなくて、自然と個人の夢とAKB48の夢をリンクさせられていたわけですよ。

何度も繰り返していますが、AKB48全体の成長が個人の成長に繋がるので、個人の組織への献身が自然と得られたのです。

個人の利益と組織の利益が一致していたわけです。

それは、ある意味でズルいのですよ。

まさに創業者利益なのです。

個人の成長の力を組織に、組織の成長の力を個人に展開できたわけですから。

今は組織の成長が停滞しているから、片腕もいだ状態で「今の若手はやる気ない」とか訳のわからんこと言っちゃうわけなので、この構造的な問題をなんとかせにゃならんのです。

「時代が違う」とか言ってちゃだめで、新しい時代を切り拓くための施策を考えなければなりません。

ネット世論はというと、フリーやスピンオフして個人立ちしてる人々の意見に偏りがちなので「個人の資質」に注目があつまりがちですが、それだけじゃ世の中回らないわけでやっぱり「組織」に注目する人々が必要なのです。









選抜総選挙を「立候補制」にするなら、この際「解散総選挙」も仕組みとして導入しよう

2013-03-27 11:55:22 | AKB48_軽ネタ
ネタです。


今は任期1年制なわけなので、頻繁に解散されても困るけど。


選抜総選挙で1位に選ばれた者(通称:センター)は選抜の解散権を持つ。

選抜は解散すると、30日以内に選抜総選挙を実施し、20日以内に新しい選抜を組織しなければならない。


この選抜ではだめだ!と思ったら解散に打って出るとかね。

あいつばっかゴリ推ししやがって、現状誰が支持されているのか民意を問う!とかね。

他にも「恋愛禁止条例」で混乱して、どっちなんだ?!という民意を問うのに解散するとかね。


選抜の総辞退も入れようか。

総辞退すると運営が選抜を組織する。



選抜総選挙後、1回選抜やってすぐ総辞退する、みたいなのが慣習になって、それに倣わないセンターが異例のセンターと呼ばれるとかね。

幕末における理念闘争

2013-03-25 12:33:23 | AKB48_心の叫び
かなり乱暴なまとめですが、流れはわかるかと思います。


「幕末の尊王攘夷派は政権とってからリアリストになって開国派に転向した。」


という話を聞くのだが、たぶん事実と違うと思う。

よく考えてみると不思議に思うはずだが、

「尊王攘夷」というテーマだけで250年余続いた幕藩体制を覆すほどの支持を得ることができたのだろうか?

もちろん、答えは「否」である。

明治維新が成功したのは、尊王攘夷のテーマが優れていたからではない。

物語的には、黒船来航による外圧によって、日本人のアイデンティティーが感化され「尊王攘夷論」となり、これが反体制派のテーマとなって明治維新を成し遂げた。

と考えられることが多いが、明治維新の原動力は、体制内外の改革派の力だ。

体制派も反体制派も一枚岩ではなく、それぞれの立場で先進的な思考の持ち主はいた。

そして、最終的にどちらが、その先進的な思考の取り込みに成功したのか、ということが勝敗の決め手となった。

つまり、よく見られる幕末の「体制派」と「反体制派」の闘争という括りは適切ではなく、幕末の動乱における本質は、「改革派」をどう取り込むかという「理念の闘争」なのである。

大義名分もなく大勢の人間をまとめられるわけがないので、当たり前である。


丁度よく最近坂野潤治『日本近代史』を読んだので、幕末における理念闘争の移り変わりを極簡単にまとめてみよう。




「アヘン戦争」と、その10年後に起きた「黒船来航」は日本国内で世論を二分した。

「尊王攘夷論」と「佐幕開国論」である。

幕府はどちらでもない曖昧な意思決定に終始したが、それにしても「尊王攘夷論」というのは滑稽である。

「尊王攘夷」は日本古来の伝統「尊王」と、江戸幕府による鎖国「攘夷」の組み合わせであり、それを朝廷側が幕府に迫るというのはなんとも言えない話である。

というのも、「尊王攘夷」の核心は、日本の統治権を幕府から取り上げるということであり、「朝廷を中心とした共和制」というイメージが時間経過とともに浮かび上がっている。





井伊直助のトップダウン・マネジメントの有り方は、「公議輿論(共和制)」に火をつける。

もともとボトムアップの国である日本は、トップダウン・マネジメントを否定する。(桜田門外の変)

そこで編み出されたのが「公武合体論(朝廷と幕府による政治体制)」である。

これなら「尊王攘夷派」の中にあって「開国派」である人々を統合できる。





長州が最後まで「攘夷」を捨てなかったために反体制派は結合できていなかった。

この情勢が変えたのは、坂本竜馬の仲介で長州が薩摩名義でグラバーから銃を買い付けた件である。

薩摩と長州は「攘夷 vs. 開国」を棚上げすることで「尊王倒幕」で一本化されたのである。





これで反体制派側の準備が整う。

長州が「攘夷」を放棄したことで、「開国派」で貿易を重視していた諸藩と反体制側の結合が可能になった。

「尊王倒幕」と「富国強兵」の結合である。

この中心は薩摩であり、西郷隆盛である。





幕末の最終局面では、「公議輿論(共和制)」によって幕藩体制は崩壊する。

新政府は実質的には薩長の藩閥政治となるのであるが、幕府を潰す大義名分として「公議輿論(共和制)」を掲げるのである。

ここに「富国強兵」が組み合わされ、明治維新は完成するのである。



それぞれのダイヤモンド

2013-03-21 22:32:30 | AKB48_軽ネタ
春だから~








よく「あの人は○○だ。」とか「あいつは△△だから~」、「私は◇◇な人間です。」という話を聞くことがある。


しかし、人間というのはそんなに単純なものではない。


人格というのは、ダイヤモンドの多面体のようなものだと思う。


ダイヤモンドはカットの仕上がりで光の放射量が変わるから、


ダイヤモンドが光り輝くためには、多面体の有り様が非常に重要だ。


一つひとつの面を磨くことも重要だが、その一つひとつの面が合わさり、全体として光り輝けるか、ということも重要だ。


また、ダイヤモンドは照明環境の違いや、それを見る位置によって表情を変える。


人格も同様だ。


環境や視点によって見え方は大きく変わる。


ダイヤモンドの有り様に完璧がないことは、人格のそれと同様である。


ダイヤモンドは自発光しないので、光の無い暗闇では輝くことはできない。


果たして人間はどうか。




そして、もう1つ重要なこと。


一つひとつの面とは何か。


人は、何もしてない時には、何者でもない。


人は、何かをする時、何者かになるのだ。


何かをした後で、その何かの意味を理解する。


その軌跡が、ダイヤモンドの多面体のように人格を形成する。




それぞれのダイヤモンド。


あなたのダイヤモンド。


私のダイヤモンド。


それらが合わさって、またダイヤモンドになる。

「表の選抜」と「裏の選抜」~伝統芸能と新しさの共存~

2013-03-15 17:41:13 | AKB48_オピニオン
余裕がなくて適当な事ばっかりになっていると思われてそうですが、割と真剣です。


仮定の話。

伝統芸能と新しさの共存みたいな話をしていたので、そのネタを。


仮に新劇場ができたとしたら、今のAKB48劇場は殿堂にしよう。

「殿堂」とかやすす先生が嫌う話かもしれないけれど、そうではないという話。

いつもは見学だけが出来て、年に夏と冬の2回公演が開かれる時のみステージが使われる。

「夏の甲子園」と「冬の甲子園」みたいに。

冬はAKB48劇場で初公演が行われた12月8日で、夏は選抜総選挙の直後。

AKB48の中で最も権威の高いものといえば、たぶん「選抜総選挙」だと思うけど、

それとは別にAKB48の最高権威を作る。

夏公演選抜は選抜総選挙の上位16名で、冬公演選抜は毎劇場公演の度に行われるファン投票の1年間分の累積によって決める。

冬公演選抜の投票は、劇場公演1回参加につき1票入れることができ、1年間の結果上位16名が選ばれる。

夏の公演選抜が「アイドルとしての人気の選抜」なら、冬の公演選抜は「パフォーマーとしての実力の選抜」と言われるようになる。

人気のセリーグ、実力のパリーグ的な。

言うなれば、AKB48の「表の選抜」と「裏の選抜」。

この裏の選抜に選ばれ、冬公演に参加することはAKB48のメンバーとして裏の最高の栄誉であり、

1位は冬講演の前に、つまりデビュー○周年に際して、あの邪魔くさい二本柱に年輪テープを貼る大役を任せられる。

テープを貼った者の名前はテープに名前が記される。

表と裏、両方の選抜に選ばれるメンバーは、名実ともにAKB48の中核メンバーとして権威づけされる。



人気出てもいいけど人気出なくて、それでも認められて欲しいメンバーがいると思うのです。

そういうメンバーを積極的に評価する文化があってもいいなと思った次第です。

研究生でチーム8を作ったらどうか?

2013-03-13 19:59:18 | AKB48_オピニオン
SKE48は、次世代エース級メンバーを「SKE48バス」で全国武者修行させたらどうか?
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/6522173ea3af32a26b55cbddf8cad599


のつづき。


私だったら、研究生で「チーム8」作るかな。

これまで通りの研究生→正規生昇格→既成の3チームに配属、という流れには反対。

最近のAKB48を見て個人的に感じてるのが「不屈の精神」とか「努力」、「悲壮感」、よくいえば「美学」的なものといったところ。

歳をとったということなのか、直面する問題がより難しくなったということなのか。

それはそれでいいんだけど、

「前向きさ」とか「キラキラ感」、「ドキドキ感」、「フレッシュ」といったもの感じにくいんだよね。

両方欲しいなぁと。

AKB48の凄さって、その両者をうまい具合に両立していた点にもあると思うんだよね。

草の根デビューというのか地下デビューというのか。

もちろん選抜凍結でチーム8がヒットしたら歓待されると。


個人的な趣味の話だけど。

チーム4を解体してしまったが、まだやれる手はあると思う。

研究生、メンツも揃っていそうだし。

SKE48は、次世代エース級メンバーを「SKE48バス」で全国武者修行させたらどうか?

2013-03-08 01:47:59 | AKB48_オピニオン
ずっと前に当Blogでは、SKE48の根拠地中京圏はAKB48の東京圏、NMB48の大阪圏に比べて都市人口では劣ってはいるが、むしろ他のグループは経済的な中心地である東京・大阪に構造的に縛り付けられてると捉え、機動的かつ草の根的に全国を走り回ってファンを稼ぐ戦略をとるべき、つまり「会いに行くアイドル」になるべきと主張していた時があったのだが、今こそ、その時なのではないかと思う。

湯浅元SKE48支配人が「(NMB48はやってるのにSKE48は)ツアーやりたかったが、やらせてもらえなかった。」と苦しい心境を述べていたが、もうね、そういう発想が面白くないわけ。
(ごめんなさい)

あと、よくファンが「結局仕事は東京にあるから東京に進出しないと云々」という話も、正直言って面白くないよね。

もともとAKB48はマスメディアに依存しないグループとしてスタートしたわけでしょ。

批評家の宇野さんがうまいこと言ってるけど「朝廷(既存メディア利権構造)に対する鎌倉幕府(自主独立)」なわけだよ。

AKB48の強さは、マスメディアに依存しない自分たちの経済(顧客)基盤を持っていたことだった(過去形)から、マスメディアに対する支配権を確保できたし、面白い仕掛けや好きなことをいろいろやれたのだ。

SKE48がさらなる飛躍を目指すなら、やるべきことは新領域の顧客の開拓だよ。

ツアーなんてやっても来るのはファンだけ。

もちろん、既存のお客様を大切にするのは当たり前です。

だけど、今のSKE48に必要なのはそういうことじゃない。

今SKE48について知らない人、つまり「新しいファン」を掴まないといけない。

だからさ、みんなが「東京」「東京」言ってる時にさ、SKE48は「地方」に行くんだよ。

アイドルなんて興味のない人々のところに行くわけ。

「あいのり」みたいに6人くらいでバスに乗って草の根的にね。

メンバーは次世代エース級をずらっと揃えてそこにベテラン1人くらいのミックスで。

自分たちのお客さん(未来のお客さん)を自分たちで持ってこさせる努力をさせるべきなんだ。

先輩たちが作り上げた地盤を引き継ぐのではなく自分たちで創るんだよ。

その昔、小沢一郎が泥臭い「ドブ板」を推し進めたのは、政治家は有権者のところへ行って直接面と向かって話し合うことで相互理解を深めることができて、そうすると選挙を気にして時勢に流されることがなくなり、国会で自信を持って自分の意見を主張できると考えたからだ。

目の前にいるのが自分たちのお客さんたちじゃないから、先輩たちからいくら叱咤激励されようが変われないわけ。

やる気がないんじゃなくて、構造的な問題なのだ。

それなのにいくら吠えたって変わらないよ。

自分たちのお客さんを掴むだけではなく、そのプロセスがメンバーたちを育ててくれる。

これはAKB48初期メンバー達が経験したことでもある。

クルマは性能が許せば鉄腕ダッシュのだん吉よろしくエコカー(太陽光)で、

でその「SKE48バス」にはBBQ松村香織が研究生兼マネージャ兼カメラマンとして毎回随伴する。

バスメンバーには1日最低2回はライブをすることが義務付けられ、毎日ライブのためにお客さんを集めなければならない。

学校行って呼びかけたり、スーパー行ったり、拡声器持って宣伝して回ってたら警察に怒られるとかして、やれることはなんでもやる姿勢でやる。

集客だけではなく、場所も交渉して確保すると。

時には、田んぼの真ん中でお客さん1人のために歌って踊ることもあるわけだ。

「今日は香川に来てるからお昼うどんにしよっか」とか「今日の目標はライブで10人以上にCD買ってもらう」とか。

田舎に行って「知らない」とか「AKBなら知ってる」とか言われながら、「(SKE48は)紅白歌合戦に出ました。」と言って「あ~、あのバク宙の?!」「それ私です!(もちろんメンバーには藤本参加)」という会話をするという紅白ブランドを使った会話を楽しみつつ、ダーツの旅的な知らぬ土地でのいろんな人との出会いあり。

この汗あり、涙あり、喧嘩あり、出会いあり、別れあり、喜びありの泥臭い話は、毎日ググタスで動画配信され、全世界のファンに配信されます。

もちろん担当は松村。



とにかく、何度も言うように、今のAKB48グループの若手メンバー達はグループ問わず「自分たちのお客さんを自分たちで創り上げる。」というプロセスをほとんど踏んでいないのだから、いつになっても「後輩」のままだし、AKB48グループの成長も未来もない。

「自分たちのお客さんを自分たちで創り上げる」というやつ、AKB48はチーム4解体するしその後も全く何もせずやる気ないらしいから、SKE48がやったらいいよ。



忙しいのでラフ過ぎる文体ですみません。

恋愛禁止条例と選抜総選挙の絶妙な関係

2013-03-06 03:45:06 | AKB48_軽ネタ
貧乏暇なしで少しでも時間あったら仕事してる状態なので更新がかなり遅れます。

頂いたコメントには必ず返信いたします。(少々遅れます。)



で、そんな余裕ないと言いながらも、選抜総選挙と恋愛禁止条例の関係について。

以前から課題として話題にはあがっているものですが、

「総選挙という仕組みを使ってメンバーの評価を顧客側に任せる」という発想は有りだと思います。

が、2つ難しい課題があります。


1つは、これは「総選挙の結果を重視する」というメッセージであり、総選挙の結果をその後の運営に大いに反映させる必要が出てきます。

これまでは公式には「次のシングルの選抜を決める選挙」という位置づけであったので、総選挙の結果に関してはAKB48運営側が支配権を握っていました。

選挙結果に拘束されるのは次のシングルだけであり、選挙結果をどう使うのかは運営側に委ねられている部分が多かったのです。

もちろん、非公式な選挙効果には大きな影響力がありますが、運営への拘束力という意味ではうまく抑え込めていたと思います。

が、これが歯止めが効かなくなります。


そうなると2つめの課題です。

運営は、ファンよりも短中長期の時間軸、および全体・個別のバランスをよく考えて戦略を練ります。

運営は今だけを考えるわけにいきませんし、局所的に戦力を集中しつつ全体のバランス、公平性などを踏まえた判断をする必要がありますが、これが選挙結果に拘束されることになりますと、AKB48全体としての全体性や一貫性の欠如が目立つようになる可能性があります。

そうなると組織はバラバラ、理念は失われ、全体の力がどんどん落ちていく、ということになるかもしれません。

(あくまで可能性です。運営がファンより優れているという保証はありませんので。ただ全体を考える人の声よりも重視される声が出てくるということは注意すべきことです。)


どちらかを立てればどちらかが立たないものです。

これまでは恋愛禁止条例と次シングル選抜総選挙という絶妙なバランスでやってきたわけですが、前者が崩れたなるならば、後者をどう設計し得るかを考えなければなりません。

下手するとドミノ倒し的に両方倒れることになるでしょう。



よいサプライズとは過去・現在・未来を繋ぐストーリーである。

2013-03-03 10:05:21 | AKB48_軽ネタ
近頃、アドバイスしようとして自分の考えを述べる時、いつも説教くさくなるような気がするので自省しなきゃいけないなぁと思いながら、それでもここでも書いてしまいます。

今日の話題は「サプライズ」について。


前に「サプライズは喜んでもらうためにやるもの」と書いたことがあるのですが、言葉足らずでした。
(簡単に書いただけなので)


サプライズというのは喜んでもらうためにやるもの
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/8ccdcfd42b1ba6af03335377ec84dada


ある人が言うのです。

喜んでもらおうと思って、自分の想いを伝えるためにサプライズをしたい。

そう思う気持ちや行動を否定する気は全くないのですし、たとえ否定するとしても他人の私が意見するのは余計なお世話というものです。

ただ、それだけでは不十分であり、ほとんど無意味だと伝えたいのです。



ここに宮城県女川町立女川第一中学校2年生一同による「津波の被害を最小限にする方法」の提言があります。

ここでは1000年後の命を守るために、3つのコトを実現する必要があると提案されています。

さて、ここで問題です。

この3つに共通するものは何でしょうか?

女川中学生の訴え(朝日新聞:宮城県女川町立女川第一中学校2年生一同)

私たちは、社会の授業でふるさとの地理的な特徴を調べ、「津波の被害を最小限にする方法」を考えました。
 「大地震の時は一人ひとりがとにかく逃げる」
 あるグループで、こう結論が出た瞬間です。
 「逃げよう!と言っても逃げない人がいるんだよ。それはどうするの?」
 友達が涙ながらに訴えました。友達の祖父は、高台への避難を呼びかけ多くの命を救いました。しかし、逃げようとしなかった方の家に3度目に向かい、流されてしまったのです。
 「あの過酷な体験をした私たちにしか言えないことを出し合おう」と話し合いを最初からやり直しました。
 私たちはまだ中学生ですが、あの大震災の中で大切な命を、家族や先生、町の人など、たくさんの方々が守ってくれました。今度は、再びやってくるといわれる千年後の命を守るため、ぜひ実現したいことが三つあるのです。

 一つ目は、「互いの絆を深める」ことです。非常時に一人一人の命を守るためには、ふだんから互いの絆を深めることが必要だと、大震災での体験で感じました。もっと絆を強くしておけば、避難を呼びかけて亡くなってしまった、友達の大切な祖父や多くの人たちの尊い命を守れたはずです。
 第2は、「高台へ避難できる町づくり」です。住宅や病院、学校などは、津波が絶対に来ない高台に移します。でも、女川では漁師さんや加工場の人たちは海沿いで働くことになります。そこで、夜でも、初めて来た観光客にも分かるように、太陽光パネルを活用した避難誘導灯と高台への広い避難路を整備しておくのです。
 そして、何より大切であり、私たちがぜひ実現したいと願っているのは、この大震災の出来事を「記録に残す」ことです。



わかりましたか?

これがわからない人はきっとサプライズ下手な人でしょう。

正解は「日常のコト」であるということです。


釜石の奇跡 信頼が生み出す希望
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/19e5c128b52b0dd9b2ebda6cd6fba210

不測の事態において、生死を分けるもの。
それは「信頼」なのかもしれない。
そして、その「信頼」は「個の自律」から生まれる。
1人ひとりが自分の命に責任を持つことによって、非常時にお互いを信頼して逃げることができる。

昔、武士の時代。
家族は、武士である夫や父が戦場で生き残るために自分たちに何ができるかを考えた。
その結論は、武士の家族たるものは、武士が後顧の憂いを持たぬように努めねばならないということだった。
戦場での迷いは一瞬であっても生死を分けるからだ。
家族は、夫や父が戦で思う存分に戦えるよう日ごろから準備をした。

現代においても、何か大業を成すために後顧の憂いをなくすという話がよくあるだろう。
「後顧の憂いをなくす」というのは、日常の話である。


では、続けて問題です。

なぜ「日常のコト」が重要なのでしょうか?

考えたことがありますか?

正解は「人は人に理解させることはできない」からです。


世に正義が存在すると信じる偽善、だがそれは人間の性 【リメイク】
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ac8cd9dbee06389b1a672c076d7cd0b8

彼はアウシュビッツの極限状態においても、最終決定権は他者にはないことを説明している。


人は、人に対して財産を剥奪し、尊厳を喪失させ、命を奪うことも、人に過酷な環境を与えることはできるが、しかし、その環境の中で、その場でどうふるまうか、という最終意思決定について強制することはできない。


「信教の自由」の権利があるとかないとか、そんな次元の話ではない。

単純に、人に信じ込ませることはできないのだから、「何を信じるかは個人の自由」なのである。


よく「教える」と言いますが、何人たりとも「理解させる」ことはできません。

人間には、「自分で理解する」以外に、理解する方法は与えられていないのです。

ですから「理解する」素地のない人に、いくら教えようと、諭そうと、理解させようと努力することは無駄です。
(厳密には、その努力が後々に繋がるので無駄とは言い切れませんが、その場で結果を得られることはまずない、という意味で無駄です。)

理解というのは日常的に作り込んでいくものなのです。


入山杏奈の素敵なクイズ投稿を支持する。みんなでファンの理解を引き出す方法論を探求するべき
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e4337029ed5bbe32ab7b48e2ec9f96c2

よって、「ファンの理解を引き出す」ことが重要だ。



「伝える」ではなく、「伝わる」努力
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7fc6b6a9239f3f30c6e5084a6cf0a85e

伝える技術や道具は世に溢れている

しかし、人は人に理解させることはできない。

人は人に理解を与えることはできないし、与えてもらうこともできない。

想いに実態も形もないから、取って渡すわけにもいかない。

最後は自分で理解するしかない。

だから本質的に人は孤独なんだ。

完全な伝える技術や道具を持たない。

本態的に人は弱い。

独りだから。

伝わるのだと、信じるしかない。

人は自分で理解するから。

想いは伝わるもの。

伝わっていくもの。

伝える努力、ではなく

伝わる努力


サプライズが相手の心に響くとき、相手の心の中で何が起きているのでしょうか?

「これだ!これだ!」「そうだよね!そうだよね!」となっているのです。

何かを理解する喜びです。

日常的なバックグラウンドがあるから、サプライズを機会にして相手のコンテキストを発火することができます。

準備もなしにサプライズだけで何かを理解しろというのは無理です。

中には、ちょっとしたサプライズに喜びを感じる安上がりな人もいることでしょう。

たとえば、普段は全く見向きもされずひどいことばかりされていても、年に1回くらい優しさを見せられると「あの人は気持ちを表現することは苦手だけど、やっぱり私のことを本当のところでは大切に思っている。」などというパターン。

しかし、その場合何が起きているかというと、その人は日常的に「あの人は本当はこういう人」と理解したいと思っているわけです。

で、優しくされた時に「やっぱりそうだ!」と思うと。
(それが幸せな人生なのか不幸な人生なのかは知りません・・)



そして、さらにいうと、理想的にはサプライズ後の「ストーリー」が見えるといいですね。

これまで述べたのは、「現在のサプライズ」が「過去をモノゴト」に対する理解を深めるというお話でしたが、よりいい理解というのは「将来」をも理解できるものだと思います。

現在のサプライズを機会に、その先にどういう世界があるのか、どういう経験(理解)が待っているのかを理解できると。

「ビジョン」とも言いますが。

過去、現在、未来をつなぐ方法論として「サプライズ」を考えてみてはいかがでしょうか。



ちょっと最後端折っちゃいましたが・・時間内に書く技術がなくて・・

「卒業」というが、いったい何から卒業するのか?

2013-03-01 15:31:14 | AKB48_軽ネタ
今日の東京・横浜は暖かく、着込んでいたので出勤途中に1枚脱ぎました。

春の訪れもすぐそこまできてるようです。

そして、いま「卒業シーズン」ですね。

個人的に、どことなく浮ついた街の感じが落ち着きがなくて好きではないです(笑)



さて、「卒業シーズン」といえば、AKB48もシングルとして『桜の花びらたち』『10年桜』『桜の栞』『桜の木になろう』『GIVE ME FIVE !』『So long !』と卒業ソングを出してます。

直近では『So long !』がリリースされたので毎日聴いているのですが、しかし、私はどうしてもこれらの「卒業」観にしっくりこないのです。

誤解を恐れず言えば、それらが「子供の卒業」で、「大人の卒業」ではないからだと思うのです。

一般に「卒業」というと「学校」を「卒業」する意味で使われるからでしょうけれども、この間違った「卒業」観がいろんなものの誤解を生み出し、不幸を呼び込むのだと思います。

「学校」を「卒業」することだけに「卒業」という言葉を使うならよいのですが、実際にはかなり拡大解釈(比喩表現)されて使われるのが「卒業」ですので、ここで「卒業」に関する私見を述べたいと思います。

AKB48を「卒業」するということについても。



とりわけ現代における「学校の卒業」は半強制的に出会わされ、半強制的に別れさせられるという意味で「強制的な卒業」であり、なおかつ、この卒業には学生の実態は一切反映されておらず、制約条件はほぼ「時間」のみのため「中身を問われない強制的な卒業」と言えます。
(単位取得や卒業論文などの話はあろうかと思いますが、基本的にはザルなので。)

その上、何から卒業するかと言えば「学校」からです。

学校というハコと、そのハコに所属する学生という身分から卒業するというのです。

何かを成し遂げたゆえに卒業するのではない、ということがここでの重要な認識です。

つまり、「卒業」が「(いい意味でも悪い意味でも)何かを成し遂げた」ということを意味していないのです。

前述しましたが、半強制的に学校という場で出会わされ別れさせられ、この別れのイベントを「卒業」と呼んでいるだけであり、それゆえ、中身が問われないので「So long !(またね)」なんて言いたくなるのです。

これが「子供の卒業」です。



「子供の卒業」と「大人の卒業」の違いは、「卒業させられる」か「自分で卒業する」かの違いです。

自分で卒業するというのは、自分で選びとった道から卒業するという意味です。

(いや、たぶん昔は今よりも「学校」というの自分で決めて自分で卒業するものだったのですよ。「卒業」という言葉ができた大昔の話ね。)

これは完全に中身の問題です。

その物事から卒業するべきだから卒業する。

だから「またね」なんて思わないし言うはずがないのです。

卒業後に期待しているのなら卒業する必要がない。



(これは「卒業」だけに限らない「別れ」全般に言えることなのですが)
だから、別れの時、「またね!」と言うとしたら、自分が何から別れようとしているのかを考えた方がいいです。

「私はAKB48を卒業します。」と言う時、果たしてAKB48の何から卒業するのでしょうか?



一体何から卒業するのか?



そんなことを考えていたら、似たような話を高みなもしていたようです。
(ちょっとニュアンス違うけど)


高橋みなみは痛みの分かっているリーダーだから、説得力がある(ビジネス誠)
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1302/28/news008_2.html

秋元:
痛みの分かっているリーダーだから、すごく説得力がある。例えば、メンバーの女の子が卒業していく。みんなは「おめでとう」「お疲れさま」「頑張ってね」と言って終わる。当たり前ですけど。ところが高橋みなみは、その子を呼び、ものすごく怖い形相で「お前は絶対に戻ってくるな」と言う。「もう、あなたの退路は完全になくなったと思いなさい。甘えていてはダメだ。それくらい、あなたには期待しているんだから」みたいなことを、えんえんと言うんですよ。




■参考

高橋みなみの努力、原みづきの努力、やすす先生の努力 ~努力と競争戦略と学習のトリレンマ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/955b300923bbc4c6a1a256fab4a5c0df

そろそろ「努力が報われるかどうか」などという古めかしい議論は卒業すべきではないか
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4221775c8e40413749a43c7091f0e26c

なぜAKB48は一塁に向かってヘッドスライディングなのか、イチローがその答えを教えてくれた
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7e0acb731f2860261a35e5be769bb353

桜の「はかなさ」について
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e2cad56815e1fa4ea20c71aa755335d6