進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

なぜ、人はお坊さんの言葉を聴くのか?

2012-11-30 18:15:27 | AKB48_心の叫び
非常に時間がないので中途半端ですが、これだけ言わせてください。



高僧が口を開いて「人生とは・・」なんて話をし始めたら、ちょっと話を聴いてみようと思いませんか?

高僧でも枢機卿でも、牧師さんでも、学校の先生でもいいかな。

説教なんて聴きたがる人、今の日本には少ないですかね。

若い人はうざったいだけですか?

もしくは、甲子園で活躍した高校球児でも、相撲の横綱でも、オリンピックの金メダリストでもいいですね。

私は、この人達が何を言うのか聴いてみようとすると、自分で思うのです。

もちろん、忙しくなければね。



なぜ、なんでしょうね?



だって、この人たち、地を這うような努力をしてきたかもしれませんが

ロクに俗世的な人生経験せずに生きてきた人たちですよ。

その道のことだけに打ち込んできた人達です。

そんな人たちの言葉を、なぜ聴くかといえば、その言葉に力があるからです。



なぜ言葉に力があるのか?



その人にしか見えない世界を、自分の知らないであろう世界を見てきた人だと、私たちが思うからです。

それは、私たちが思う普通の世界とは違う、日々の努力と研鑽による賜物として特別な視点を手に入れたと思うからです。



「それが当たり前だから」という言葉を鵜呑みにして「特別なこと」を犠牲にするのが賢いとは限らないと思います。

もちろん、モノによるのは言うまでもありませんが。

人生は理路整然としたものではなく、「矛盾」と「葛藤」に満ちているものだからこそ、

「特別なこと」に価値があるのだと思います。



AKB48が特別であろうとすることは悪いことではないと思うのです。

だめかな?

チームK?

2012-11-29 10:45:54 | AKB48_軽ネタ
クッソワロタww


チームKやばすぎる・・・(akb(メ・ん・)?)
http://akbakb0048.doorblog.jp/archives/20476263.html






>永尾まりや●変態



なんで?!(笑)









> 永尾まりや●金持ち




なんでだよ(笑)

別に金持ちでもなんでもいいだろうよ~。

出自は変えられないんだから。

「金持ち」じゃ人となりがわかん。



>永尾まりや●エビカツセンター

>永尾まりや●演劇部副部長

>永尾まりや●顔小さい

>永尾まりや●実は人気者

>永尾まりや●意外とマジメキャラ

>永尾まりや●○○やぎ


・・・しっくりこない


>永尾まりや●NGO


まぁまぁ、

やっぱり、


>永尾まりや●馬鹿野郎!


これだな。

でどう?

通じないかw

やるな増田

2012-11-29 02:45:04 | AKB48_心の叫び
【週刊文春】AKB48増田有華、ISSAとお泊り不倫愛(AKB48まとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51854053.html


【速報】AKB48増田有華 週刊誌の報道を受け辞退を発表(AKB48まとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51854084.html



やるな、増田。

潔い。

さすがベテランメンバー。

ベテランらしい、実にAKB48メンバーらしい決断であった。

理念に反することはなんであれ許されないことを身をもって示したのである。

増田はAKB48メンバーとしてただ生きる道ではなく、

AKB48メンバーとして誇り高く生きる道を選んだのである。

平米騒動を思い出した。


本当にファンならば、米沢・平嶋を辞めさせてあげるべき
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/dba091475661864fbfa6d107ddca8faf

2人には古参ゆえのプロ意識があるのです。(AKB48への理解)
プロ意識の欠如ゆえに引き起こしてしまった事態ですが、それと同時にプロ意識ゆえに脱退するのです。
これは、その昔、侍が切腹を誇りとしたのに近い理由です。

切腹の言い渡し理由が、理不尽である場合もあったでしょう。
なぜその人が死なねばならぬのか、疑問に思った人もいるはずです。
しかし、侍は、侍として生きる道を選ぶからこそ、切腹するのです。

侍には、他にも選択肢はあるのです。
切腹するくらいなら、死んだつもりになって違う選択肢を選ぶこともできます。
刺し違い覚悟で一矢報いることも、逃げることも、弁解することもできます。
しかし、侍は自らの体を自ら切り刻む選択をします。
クレイジーかもしれません。
でも、それが侍であるための作法なのです。

侍として生きるために死ぬ。
これを矛盾と見るか、誇りと見るか、それは考え方、視点、意識の違いです。

2人は、AKB48のメンバーゆえに辞めなければならないのです。
AKB48のメンバーとして活動中には、AKB48のメンバーになりきれていなかったのです。
だから最後に、AKB48のメンバーとして生きるために、AKB48を辞めるのです。

それが、米沢・平嶋の両名がAKB48のメンバーであることの証拠であり、誇りなのです。
2人に批判を受け入れる覚悟があるのは言うまでもありません。
2人の侍がそう思っている時に、親方はぐっと我慢するのが作法というものです。

だから、死に花を咲かせてやるのが、ファンのあり方というものです。
ここで2人を引き止めるのは、2人の誇りを傷つけるやり方であるし、2人のためになりません。

侍もAKB48も、所詮は人工物です。
人が、そういうものだと決め付けた枠組みです。
その枠組みの外で生きることだってできます。
でも、人は、誇りや気高さを手に入れるために、その枠を求めます。
ただ生きるということよりも、誇り高く、気高く生きたいと、人は心からそう思うからです。

2人には、誇り高く、気高く生きて欲しい、私はそう思います。
もし、地獄の底を見て這い上がってくるなら、その時、本当のファンなら手を差し伸べてあげてください。


2人を解雇した方が誰もが楽だったのです。
一罰百戒の効果も期待できたはずです。
でも2人とも辞退する結果になりました。
そのことをもって、AKB48はAKB48であり続けることもできる。
そう言えると、私は思っています。




それと、来るべきものが来てるということだ。

あれだけ人数が、古参も増えてきてるわけだから、押し寄せる波の数は増えていくだろう。

特にAKB48がヒットしてからは活動は外に向かっていってるわけだから、外部との接触も自然と増える。


いいじゃないか。

それでこそ、やり甲斐がある。

立ち向かい甲斐があるというものだ。

疲労困憊でナチュラルハイになっているから言うわけではなく、

当たり前のものが目の前にあるというだけだ。

ここからが勝負だ。


ここを乗り越えることができれば「恋愛禁止条例」は本物になる。

もし、ここで「恋愛禁止条例」が瓦解するようなことがあると、AKB48が崩壊するだろう。

理念の喪失だ。

そんなことをすれば、至る所でほころびが出始める。

そんな軟弱なAKB48はお呼びでない。

わるるがいい味を出してきたな~

2012-11-27 17:19:50 | AKB48_軽ネタ



有吉AKB共和国実況スレ「有吉AKBラジオ局 小嶋陽菜、ゲスト、島崎遥香、大場美奈、市川美織」(AKB48タイムズ)
http://akb48taimuzu.livedoor.biz/archives/20378281.html


いやー、番組を見たけど面白かった!!

島崎、大場よかった。

わるるらしさが出てよかったねー。

前にも述べたけれども、ぱるるは端にいても全く目立たないが、真ん中にいるとひときわ光ると思う。

そのコントラストが多くの人の反感を買うが、ここは発想を変えて、みんなのためにセンターやってもらおうよ。

みんなのために、グループ全体のために、ぽんこつセンターの役をやってもらうと。

打算的なことをいうと、センターなんてやっても割に合わないからここはみんなで御輿を担いでさ…

なんて言ってると怒られるのかな…(汗



AKB48のメンバーは戦士だな

2012-11-27 12:52:00 | AKB48_軽ネタ
前田敦子出演の自動車部スペシャルin沖縄がとてもよかったさー(AKB48まとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51853597.html


番組を見た。


ジェンダー的に問題のある発言かもしれないけど、
(フェミニストはいないよねここに)


あっちゃんAKB48辞めて「女性」になったな。


普通の綺麗なレディーになった。


AKB48らしさが抜けたってこと。


女子校効果だな。


女子だけ集まると、荒々しくなる。


共学だと、男女の役割を互いに意識するので、女っぽくなる。


やっぱりAKB48のメンバーは「戦士」だなと思った。

「潤沢さ」を理解し利用することで、フリーを武器にする

2012-11-25 18:38:29 | AKB48_行動原理系
前回の補足を。


如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062


AKB48を語るときに知っておきたい「フリー」
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/82ed0d579063ea817ff35cfff964832d


今回も参考図書としてクリス・アンダーソン『FREE フリー <無料>からお金を生み出す新戦略』を使います。





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■ゼロの歴史

上のリンク先でも述べたのだが、ゼロの歴史は古代バビロニアまで遡る。

古代文明において文字が発明されたのは契約や管理の必要性に迫られたからだとする学説が有力であるが、おそらくゼロにも類似した背景があったと思われる。
(中国の甲骨文字は宗教的背景により生まれたとされている。)

(古代バビロニアは時間を基にした60進法だったので、時間との相性が良い。)

数の数え方を工夫する必要があったのだ。

ただ、多くの文明が記号としてゼロを使っても、「概念としてのゼロ」にはたどり着かなかった。

古代ローマ人はローマ数字でゼロを使わなかったし、古代ギリシャ人ははっきりとゼロを拒絶した。

彼らの数学は幾何学に基づいていたので、数字は長さや角度、面積などの空間を表すものだった。

そのため「ゼロの空間」は意味を成さなかったのだ。

ギリシャの数学を代表するのはピタゴラスとピタゴラス学派で、算数がマイナスの数字や無理数、さらにはゼロを生み出すことを理解していたが、それらは自然の形ではないという理由で否定していた。


■概念としてのゼロ


この視野狭窄もわからないでもない。

数学が現実の物事を表すものだとされる社会では、何もないことを表す数字は必要ない。

それは抽象的な考えであって、抽象的な数学の世界に出てくるものに過ぎない。

イギリスの数学者アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは1911年に次のように記した。

ゼロについて大事なことは、日常生活ではそれを使う必要がないことだ。
誰も魚をゼロ匹買いに行かない。
ある意味でゼロは奇数の中で最も洗練された数字で、洗練された思考のために必要となるに過ぎない。


インド人は数字が現実の物事だけを表すものだとは見ずに、概念としても捉えた。

東洋の神秘主義は陰と陽の二重性を通して、有形と無形のモノを両方とも取り込んだ。

シヴァ神は世界の創造者であると同時に破壊者だ。

ニシュカラ・シヴァ神の一側面は、「何もない」、つまり空のシヴァだった。

数字を現実の物質と切り離すことで、インド人は代数学を考え出せたのだ。

数学を発展させていき、9世紀までには、マイナスの数字とゼロなどを論理的に導き出していた。

「zero」の語源はインドにある。

インドでゼロは「空」を意味する「sunya」であり、それがアラビア語の「sifr」に転じて、西洋の学者がラテン語化し「zephirus」として、それから現在の「zero」になったのだ。


■武器となるフリー


「ゼロの概念」を理解することは、「フリー」を考える上で非常に重要だ。

今日、市場に参入する最も破壊的な方法は、既存のビジネスモデルの経済的意味を消滅させることだ。

既存ビジネスが収益源としている商品(商品を規定している重要な要素)をタダ(ゼロ)にするのだ。

すると、その市場の顧客はいっせいにその新規参入者のところへ押しかけるので、そこで別のモノを売りつければよい。

(クレイトン・クリステンセンは既存のビジネスモデルの中で中核となっている要素を無効化するそのようなイノベーションを「破壊的イノベーション」と呼んだ。)


■潤沢な時代


20世紀には、人々がフリーを概念として受け入れはじめただけではなく、そのフリーを現実のものにするための重要な現象も起きた。

それは、モノが潤沢にある時代の到来だ。

それ以前のほとんどの世代は、衣食住の欠乏を常に心配していたが、この50年ほどの間に先進国に生まれた人は、モノが潤沢になることが当たり前になっている。

そして、人間が生きるために最も必要な食料において、この潤沢さは顕著なのだ。

この50年ほどの間に、農業の世界では劇的な変化が起きて、人間は植物を育てるのがとてもうまくなった。

技術革新によって稀少だった農作物が潤沢になったのだ。

そして、この話からは、稀少な主要資源が潤沢に生産されるようになるときに何が起こるかを知る手がかりになる。


■農業革命<緑の革命>


農作物を育てるのに必要な要素は5つである。

太陽、空気、水、土地(栄養)、労働力の5つだ。

太陽と空気はタダだし、農作物を育てる場所の降雨量が多ければ、水もタダになる。

(繁栄した文明は大規模な灌漑施設を作って水の問題を解決していた。)

残るのは土地(肥料)と労働力ということになるが、これはタダではないので、農作物の価格の大半はその費用となる。


産業革命は19世紀になると農業を機械化し、労働コストを大きく下げて、収穫量を増やした。

だが、食糧経済を本当に変えたのは、1960年代に発展途上国で農業の効率化を進め、労働力の削減へと繋がった「緑の革命」だ。

この第2の革命の鍵は、化学にあった。

人類の歴史の大半において、人間が得られる植物の量を決めてきたのは、実は「肥料」である。

農作物の収穫高は、動物と人間の排泄物を中心とした肥料をどれだけ使えるかで決まった。

そして、農地で家畜と作物による栄養サイクルの相乗効果を望むのであれば、両者の使う土地を分けざるを得なかった。

しかし、19世紀の終わりに、植物学者は植物に必要な主栄養が「窒素」と「リン」、「カリウム」であることを解明しはじめたのだ。


20世紀に入ると、一部の化学者がそれらの栄養素を合成する研究にとりかかり、そして飛躍的進歩はBASF社で働くフリッツ・ハーバーの発見によってもたらされた。

空気と天然ガスを高圧・高温下で混ぜることによって、空気の中から窒素をアンモニアの形で取り出すことに成功したのだ。

安価な窒素肥料は1910年代にカール・ボッシュの手で商品化された。

それにより農作物の生産量は大きく増え、マルサス主義的災厄、つまり人口爆発による飢餓という長年危惧されてきた辞退を避けられるようになった。

現在、アンモニアの製造で世界の天然ガスの約5%を消費していて、それは世界のエネルギー消費の2%に当たる。


この窒素肥料は、肥やしに頼っていた農民を解放した。

窒素肥料と化学殺虫剤、化学除草剤によって緑の革命は成し遂げられ、世界の食料生産量を約100倍に増やすことで地球は増加する人口を養えるようになった。

特に、新たに登場した中産階級は食物連鎖の高いレベルにある食べ物を望み、穀物よりも資源集約的な肉を好むようになった。

食料生産量が上がった効果は劇的だった。

先進国の家庭の平均収入に占める食費の割合はかなり低下したのだった。


■潤沢さの象徴:トウモロコシ


農作物の潤沢さを私たちが実感できるものといえば、「トウモロコシ経済」だ。

実にデンプンが詰まったこの特別な植物は、人間が何千年もの間、品種改良により実を大きくしてきたので、1単位面積あたりの生産高は地上のどの作物よりも高い。

歴史家は、米と小麦、トウモロコシという3つの穀物を通して主要な古代文明を見てきた。

米はたんぱく質が豊富だが、育てるのが難しい。

小麦は育てやすいが、たんぱく質が少ない。

トウモロコシだけが育てるのが簡単な上、たんぱく質が豊富なのだ。

それらの穀物が必要とする労働力に対する実に含まれるたんぱく質の量の割合が、その穀物を主食とする文明の進む道に影響を与えた。

その割合が高ければ高いほど、少ない労働で自分たちを養えるので「社会の余剰」が発生する。

それが与える影響は肯定的なものに限らない。

米と小麦を主食とする社会は農耕社会で、内側へ向く文化になりやすい。

おそらく米と小麦を育てる過程で彼らはかなりのエネルギーをとられてしまうからだ。

一方、マヤやアステカなどトウモロコシを主食とする分化は、時間とエネルギーが余っていたので、よく近隣の部族を攻撃したという。

この観点に立てば、アステカ人を好戦的にしたのは潤沢なトウモロコシだったのだ。

(実際の歴史は、このトウモロコシによって支えられた文明は大陸からやってきた侵略者に征服されてしまう。これはトウモロコシの品種改良には非常に長い時間がかかっており、古代文明の食糧生産における優位性は小麦や米のほうに軍配が上がるからだ。また南北アメリカ大陸には大型動物が生息していなかったため、動物の家畜化による恩恵を受けれなかったことも大きい。このあたりは『銃・病原菌・鉄』が詳しい。)


今日、我々はトウモロコシを食べる以外の用途にも使っている。

合成肥料と育種技術により、トウモロコシは太陽と水を他のどんな植物よりも効率よくデンプンに変換できるようになり、人間が食べきれないほどの量を作れるようになったのだ。

そのため、トウモロコシは絵の具から容器まで様々な製品の材料となっている。

チキンナゲットはトウモロコシ尽くしだ。

鶏はトウモロコシを餌に育てられ、ナゲットにはつなぎとしてコーンスターチが使われているし、バターにもコーンフラワーが入っているし、コーンオイルで揚げている。

ナゲットに入っている酵母やレシチン、モノグリセリド、ジグリセリド、トリグリセリド、魅力的な金色にして鮮度を保つためのクエン酸も全てトウモロコシを原料としている。

練り歯磨きや化粧品、使い捨てオムツ、洗剤、段ボール箱、壁張り用材やパテ材、床、接着剤にまでトウモロコシが含まれる。

スーパーマーケットにある商品の4分の1にトウモロコシが入っているといわれている。

有り余るトウモロコシは、今ではエタノールという形で車の燃料にも使われている。


■たくさんありすぎて気づかない


人間は、モノが潤沢なことよりも、稀少なことを理解しやすいようにできている。

なぜなら私達は生存のために、脅威や危険に過度に反応するように進化してきたからだ。

我々の生存戦術の一つに、モノがなくなりそうな危険に注意を向けることがある。

進化の観点から言えば、潤沢にあることは何の問題にもならないが、稀少な場合は奪い合いになる。


トウモロコシの例のように、我々はその一生の間にモノが潤沢になっていくことを実際に経験しても見落としがちだ。

ひとたびモノが潤沢になると、ふだん空気を意識せずに呼吸をしているのと同じで、我々はそれを無視しやすくなるのだ。

経済学が「稀少なものの選択」の科学だと定義されるのはここに理由がある。

潤沢にあるときには選択の必要がないので、それについて考えなくてよいのだ。


中世ヨーロッパでは、海に面していない地域では塩が不足していたので、塩は金と同じように「通貨」として使われた。

現代の塩はどうだろうか?

どの料理もタダ同然で入れられる調味料だ。

安すぎて誰も気にしない。


1900年に、最も基本的な男性用肌着はアメリカでの卸価格が約1ドルだった。

(この価格はインフレ調整前のもので、当時の1ドルは今の25倍、今なら25ドルだ。)

1ドルは高かったので、平均的なアメリカ人はシャツを8枚しか持っていなかった。

しかし、今では使い捨てである。


20世紀における潤沢さの最も身近な例は、プラスチックだろう。

タダに等しく、加工しやすい。

究極の代替商品であるプラスチックは、製造と材料のコストを実質的にゼロにまで下げた。

形も質感も色もお望みのままだ。

第2次世界大戦中に、プラスチックは重要な戦略物資となり、アメリカ政府は10億ドルをかけて合成樹脂製造工場を作った。

戦後、その生産能力はすべて消費者市場に向けられ、この加工しやすい素材はとても安くなった。

プラスチックの第1世代は、使い捨てではなく、優れた素材として売られた。

それは金属よりも望みの形に加工しやすいし、木よりも長持ちする。

ところが、第2世代のプラスチックやビニール、ポリスチレンはとても安くなったので、無造作に捨てられるようになった。

1960年代には、カラフルな使い捨て商品が物不足を克服した工業技術の勝利を告げる社会の象徴となった。

工業製品を使い捨てることは無駄ではなく、進んだ文明の特権だったのだ。

ところが、1970年代に入ると、使い捨て文化が環境に与えるコストが目立つようになり、過剰に溢れるモノに対する姿勢が変わり始めた。

プラスチックはタダ同然の価格だったが、それはたんに適切な価格付けがなされていなかったからだ。

環境に悪影響を与える外部不経済のコストも考えれば、おまけで付いてくるおもちゃを1回遊んだだけで捨ててしまうのは、後ろめたく思うべきなのかもしれない。


■潤沢さは勝利する


20世紀について特筆されるべきは、潤沢さがもたらした大きな社会・経済的変化だ。

自動車は膨大に蓄えられた石油を地下から採掘できるようになったことで実現した。

石油は、稀少な鯨油に代わり、どこでも手に入る液体燃料となった。

巨大コンテナのおかげで、港での積卸に大勢の港湾労働者は必要なくなった。

そのため、船積みの費用は安くなり、余った労働力を他に回せるようになった。

そして、コンピュータは情報を潤沢にした。


水が常に低いところへ流れるように、経済も潤沢な方へと流れた。

あらゆる製品はコモディティ化されて安くなっていき、企業は儲けを求めて新しい希少性を探している。

ここで一つ重要なことは、コモディティ化した商品は安くなるが、その価値はよそに移っていくということだ。

クレイトン・クリステンセンは(『イノベーションのジレンマ』次作の)『イノベーションへの解』の中で、マイケル・E・ポーターのバリューチェーンを産業界全体に拡張した上で、価値がそのバリューチェーンの上を移動していく「魅力的利益保存の法則」を主張している。

価値あるものがコモディティ化して価値が下がり、価値のあるものは、まだコモディティ化していないものへと移る。

知識労働者は希少性を求めてコモディティ化の川をさかのぼっていくが、その線引きは常に動いている。

システムは本質的に動的で複雑なのだ。


潤沢さにもとづく思考は、何が安くなるのかを見つけるだけではなく、価値がどの方向へと移ろうとしていて、その結果、何の価値が上がるのかを探り、利用することでもある。

それは、19世紀はじめにイギリスの経済学者、デイヴィッド・リカードが国同士の比較優位を唱えるずっと前から、成長の原動力となってきた。

これまでの潤沢さは、他国の潤沢な資源や安い労働力による製品で成り立っていたが、今日の潤沢さは、シリコンチップと光ファイバーによる新しい製品によって作られている。


■潤沢さを理解し利用する


ここまで長々と説明してきて、最後はあっさり締めようと思う。

(いや、疲れたんだ・・昨日、知人の結婚式で深夜まで飲んで二日酔いっていうのもあり)



稀少なものと、潤沢なものの管理が重要だ。

いや、正確には、何を稀少なものとして、どういう潤沢さを利用するか、もしくはどういう潤沢さを醸成するかという視点である。

何か望むもののために、価値のあるものを実現しようとする時、その前段で、どういう潤沢さを獲得すべきなのか、ということである。

潤沢さそのものは目的ではないが、目的を達成するために必要なものである。

さらにいえば、潤沢さは目的の達成を保証しない。


だが、潤沢さの勢いは留まることを知らない。

あらゆる業界で潤沢さの波は押し寄せてくる。

しかし、人間は潤沢さには気づけないから、潤沢さを理解しようとしなければ、押し流されてからその波に気づくことになる。

そして潤沢さは勝利するであろう。

「フリー」を武器にできるもできないも、この「潤沢さ」理解し、利用することができるかどうかにかかっている。

AKB48カフェの商品の価格帯は良心的だと思う

2012-11-25 15:54:44 | AKB48_軽ネタ

AKB48カフェってボッタクリじゃね?(AKB48タイムズ)
http://akb48taimuzu.livedoor.biz/archives/20272801.html


何度も行ったことあるが、ボッタクリどころか、むしろ良心的な価格帯の商品を扱うカフェだと思う。

市場価格からすれば決して安いとは言えないかもしれないが、秋葉原駅前という立地やAKB48ブランディング・ショップであること、サービス内容を考えると、意外と言っていいくらい安い。

何より、味、ボリューム、価格のバランスを考えると、この手の店は、たいてい中身が伴わないことが多いのだが、AKB48カフェはしっかりしていると思う。

初めて行ったとき、予想と違って驚いた。

これは私個人の意見だけではなくて、行った人がみんな口そろえて「意外としっかりしている」と言っている。



となると、俄然気になってくるのが収益構造だろう。

グッズ販売で補完しているのか、それともAKB48ブランドによる集客でペイできているのか。

少し気になりはする。



※シアターのディスプレイ、あれもっとマシなやつに変えられないのかなぁ・・とりあえず「4K」にしてみくれw。それと劇場に行けないからここに来たという感じの家族連れがもう少し楽しめる内容にして欲しいなぁと切に思います。とにかく「秋葉原にきたらAKB48」と感じるように、重要な戦略拠点として位置づけてがんばって欲しい。

今更ながらアニメ「AKB0048」を観た

2012-11-24 11:34:01 | AKB48_軽ネタ
今更ながら、アニメ『0048』をまとめて観たのだが、面白かった。

ストーリーそのものはSFだが、作品に込められているアイディアは実際のAKB48を多分に反映(デフォルメ)しているので、解釈しようと噛めば一味も二味も深いものが楽しめる。

さらに、実際には実施されないが「こうだったら面白い」といったアイディアも組み込まれていて、SFならではの良さも出ている。

特に、「襲名」というコンセプトが面白い。

襲名は「名」を継ぐことであるが、歌舞伎や落語、相撲など伝統的な世界で行われている。

名は、単なる名前ではなく、芸風や芸格を表しているので、名に見合うレベルにならないと襲名できない。

強引に襲名したとしても、それを顧客が認めなければ興ざめとなるだけなので、製作者側と顧客側とが協調した認知作業とも言える。

端的に言えば、みんなが同じ方向性を持った価値観の下でひとつのモノを創り上げていく作業である。

そういう意味では、「襲名」というコンセプトは、顧客参加型という観点だけで見れば、AKB48との親和性が高いと思う。

(「襲名」といわずとも、名を継ぐ「名跡」自体はより一般的な概念で、古来から武家や商売でも使われていたし、近代では「苗字」として民衆の間でも使われている。企業の経営陣の交代も襲名と似たようなものだと思う。)



アイドルグループの栄枯盛衰を決める一つの要素に「世代交代」があると思う。

人が変わると名前から認知し直さなければならないが、この認知コストが思っているより高いと思う。
(この手の実験がなされたことがあるのかは知りません)

「ダンバー数」によれば、人間はこれまでの進化過程の中で、150人程度の集団であれば認知可能な能力を身に着けたそうだが、頻繁にメンバーが変わるとなると、この上限を容易に超えていくことになる。
(日常の生活の中で、既に何人かを認知しなければならないから、余裕は150よりずっと少なくなるはずだ。)

それに、これは実感としてみなが感じていることだと思うが、人を知ろうとする行為は大変に労欲を要する。

とにかく人が変わると、名前とともにキャラクターも変わるとなると労力がかかる。

これを乗り越える一つのアイディアとして「襲名」を使うのは面白い。

認知コストを下げる効果があるし、提供するサービスの水準を保証することでもあるからだ。

名を継ぐ者にとっての行動指針にもなる。



ただ、「温故知新」を旨とする伝統芸事には向くだろうけれど、常に新しい価値観(つまり新しい名前)を生み出していこうとするグループには、そのまま適用できないだろうとは思う。

では、他の芸能はどうしているのかというと、演劇では「役」が名前に近い役割を果たしているような気がするし、クラシック音楽では楽曲そのものが名前的なものになっている気はする。(ちょっと強引か・・)

そういう意味では「センター」と、その争奪戦は、「襲名」に近い役割を果たしているような気もする。

AKB48が100年続くグループであるならこの手のことを考える価値はありそうだ。

AKB48を語るときに知っておきたい「フリー」

2012-11-23 18:33:16 | AKB48_行動原理系
題名が偉そうですみません・・
今日は過去エントリの補完をしておきたいと思います。

※よく使う概念は書いておいて使い回すのが吉ですな


如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062


上のエントリで「ゼロ」の力を使ったAKB48の戦略のあるべき姿を述べたのですが、一段と理解を深めるために、今回はそこでは説明しなかった前提知識をいくつか書きます。

参考図書は、フリーといえばこの本が有名ですね。

クリス・アンダーソン『FREE フリー <無料>からお金を生み出す新戦略』




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■「フリー(free)」とは何か?

「フリー」という言葉は多くの意味を持つし、その意味は時間とともに変わってきた。
フランス語やスペイン語、イタリア語などラテン語を起源とする言語では、「自由」と「無料」は別々の単語となるのでわかりやすい。
それに対して、英語の「free」は「自由」と「無料」の2つの意味を持つ。
その両義性ゆえにマーケティング上の長所もある。
「自由」という良い意味が、セールス上の策略に対する我々のカードを下げさせるのだ。
とはいえ「free」が2つの意味を持つのは紛らわしくもある。

どうして、英語では「free」という1つの言葉になったのだろうか?
面白いことに、「free」のルーツは「friend(友人)」と同じだという。
語源学者のダグラス・ハーパーはこういう。

「free」と[friend」の古英語の「freon」「freogan」という「自由」と「愛」を意味する言葉に由来する。
元の意味は、「最愛の、友人」だったと思われるが、ドイツ語やケルト語をはじめ、いくつかの言語で「free(自由)」の意味が発達したのは、「親愛の」や「友人」の言葉が、同じ氏族の奴隷に対して使われるようになったからだろう。
「無償で与える」という意味は1585年に登場したと思われるが、これは「費用からの自由」と考えられたのだ。

「free」は、社会的意味の自由、つまり「奴隷からの自由」と「費用からの自由」に由来する。

なので、ここでは「free」という言葉を「無料」ではなく、「費用からの自由」の意味で使うことにする。


■内部相互補助


There's no such thing as a free lunch.
(「この世にただのランチはない」を意味する慣用句)


この言葉の本質にあるのが、「内部相互補助」である。
ランチを食べた者がお金を払わないとすれば、それは結局、その人にタダでランチを提供しようとする誰かが払っているに過ぎない。

人々は時々、こうして間接的に商品の代金を払っている。
フリーペーパーは広告収入で運営されていて、それは広告主である小売業者などのマーケティング予算から出ている。
そして、その費用は商品の価格に上乗せされるので、最終的に読者かその周りの人が、価格が少し高くなった商品を買うことでそのコストを負担することになる。
スーパーマーケットの無料駐車場は、商品からの利益でまかなわれているし、無料サンプルのコストは、その商品を買う客によってカバーされている。

贈与経済というのもある。
例えば、ブログは無料で、広告収入がない場合も多いが、読者がブログを訪問するたびに何かしらの価値が交換されている。
コンテンツを無料とする代わりに、読者がそのブログを訪問したり、そこにリンクを張れば、そのブロガーの評判が上がる。
ブロガーはその評判を利用してよい仕事を得たり、ネットワークを広げたり、多くの顧客を見つけたりできる。
時として、その評判はお金に変わることもあるが、いろいろな方法があるので、一概にいうことはできない。



内部相互補助には、現在確認されているモデルが3つある。

- 直接的内部相互補助
- 三者間市場
- フリーミアム

そして、贈与経済のモデルとして1つ。

- 非貨幣経済


それぞれ説明する。


・直接的内部相互補助




「DVDを1枚買えば、2枚目はタダ」だとか、「無料サンプルお配り中」だとかといった売り文句に接することが多いだろう。
このモデルの先駆的な商品となったのが、ヒゲ剃りの「ジレット・モデル」だ。
ジレットは、使い捨ての刃がついたT字型の安全カミソリを開発し、安い値段で安全カミソリを売り、利益率の高い替え刃で儲けるビジネスモデルを構築した。
この数十億枚の替え刃を売ることで利益を上げるビジネスは、あらゆる産業のお手本となった。
(カミソリを無料で配ったという話は都市伝説らしい。)
「携帯電話をタダで配って月々の利用料で儲ける」や「テレビゲームの端末を安く売って、ゲームソフトで儲ける」、「オフィスにタダでオシャレなコーヒーメーカーを設置させてもらい、利益率の高いコーヒーパックで儲ける」といった話など様々である。


・三者間市場




メディアの基本がこのモデルである。
メディアが制作物をタダかもしくは安い価格で消費者に提供し、広告主がお金を払う。
おかげで、日本ではラジオもテレビも無料である。
(有料放送もあるが)

経済学者は、これを「市場の二面性」という。
お互いに支え合う2組のユーザー集団がいるからだ。
広告主は広告を消費者に届けるためにメディアにお金を払い、消費者はその代りに広告主を支援する。
結局のところ、そのマーケティング費用は、商品の代金に上乗せされた形で消費者が支払うことになる。

この形はメディア以外でも成り立つ。
例えばクレジットカードでは、銀行は無料で消費者にカードを発行し、消費者が店でそれを使えば使うほど、銀行に手数料が入る。
OSのプラットフォームを消費者にとって魅力あるものにするために、より多くの消費者に使ってもらおうと、アプリケーションソフトの開発者にOSツールを無料で配るのも同じだ。
消費者が基本製品が無料だと感じるように、コストは分散されたり、隠されたりする。


・フリーミアム




これはベンチャー・キャピタリストのフレッド・ウィルソンの造語だ。
Webにおけるビジネスモデルとしては一般的だ。

フリーミアムは無料サンプルを配るのとは少し毛色が違う。
従来の無料サンプル、たとえば試供品を作るのには実費がかかるので、生産者は少量しか配れなかった。
少量で消費者を引き付けて、より多くの需要を生もうとしていたのだ。

一方、デジタル製品においては、無料と有料の割合は全く異なる。
世にいう「95:5の法則」や「5%ルール」のことだ。
つまり、5%の有料ユーザーが残りの95%の無料ユーザーを支えているのだ。
フリーミアムのモデルでは、有料版を利用するユーザー1人に対して、無料の基本版ユーザーが19人もいることになる。
しかし、それでもやっていける理由があるのだ。
19人の無料ユーザーにサービスを提供するコストが、無視できるほどゼロに近いからだ。


・非貨幣経済




WkipediaやLinuxなどを見れば、金銭以外にも人を動機付けるものがあることはわかる。
エドワード・L・デシの「内発的動機付け」を筆頭に、最近ではダニエル・ピンクの「モチベーション3.0」として語られることが多いものだが、利他主義は常に存在してきたが、WebやSNSの登場で個人の行動が世界に影響を与えられるようになったのだ。
流通コストがかからないことが、「共有」を一つの産業規模にしたと言える。

貨幣経済からしてみれば、不当な価格競争のようにも見えるかもしれないが、その見方は、そこで創られるものの価値を近視眼的にしか評価していない。
シェア(共有)を促すものは、評判や関心であり、それより目立たないが表現、喜び、善行、満足感、あるいは単なる私利である。
時に知らないうちに誰かに何かを与えていたり、いやいやながらも与えたりする場合もある。

余談だが、私たちは、SNSの「いいね!」や「+1」を押したり、投票に協力したり、ヤフー知恵袋に応えたりする。
グーグルで検索するたびにユーザは、ターゲット広告の為のアルゴリズムにグーグルが磨きをかけるのを助けている。
サービスを利用する行為が、なんらかの価値を生み出している。
それはサービス自体を向上させるためだったり、どこかで役に立つ情報を作る事だったりする。
知る知らないに関わらず、我々は何か無料のものを手に入れる代償として労働力を提供しているのだ。


■ひるがえってAKB48


上記で、フリーの基本的なモデルについて説明したが、AKB48のビジネスの多くの部分はこのモデルを使って解釈できるし、戦略を練るにあたってはそのままというより、これらをミックスしていくことになる。

(『フリー』については広告やメディア業界の皆様はよくご存知であろうから、当然そうなる。)

AKB48は各コンポーネントを持っているし、創り上げる力もあるので、それらをストーリーとして繋げていけば競合よりも強いビジネスモデルを作れるのであるし、実際これまでのAKB48の新規性の背景には、この収益モデルの新規性があったのである。

しかし、ここで注意すべき点は、環境が変化するとモデルにも修正が必要になってくるということだ。

状況が変わってきているのに、既存のモデルを使いまわすと無理が出やすい。

全てが変化するこの宇宙では、モデル自体をアップデートしていくのは必然であるのだが、このアップデートのスピードよりも状況の変化のスピードが上回ると衰退することになる。

状況が非連続に変化する時には、「持続的イノベーション」による漸進的な変化スピードではなく、「破壊的イノベーション」のような非連続なモデルのアップデートが必要となる。

最近のAKB48の勢いが落ちてきていると思われるような背景には、成長率の落ち込みの他にも、運営がどのようなモデルで収益を上げようとしているのか見えなくなってきているからというのもあるし、既存のモデルの無理強いに感じることが多くなってきているということだと思う。

(ちょっと最後時間ないのでなげやりに・・)

仕事としてではなく、天職として仕事をする

2012-11-23 15:01:29 | AKB48_オピニオン
久しぶりのBBQ松村ネタ。






みんなわかってないなー。

どうしたググタス民のみんな。

経費でおとすなんて全くもってナンセンス。

2.5米ドル/月 くらい自己負担しなさい。



どうせなら、「"AKB48" × "Google+" × "クラウド・ファンディング"」の事業提案するくらいならよい。

ググタス民の力が合わされば2.5米ドル/月くらい楽勝なのだよ。

ただ、AKB48的には収益経路にAKSが絡まないのは認められないだろうけれども。

そこをうまくAKB48が儲かる収益構造を設計できれば・・まぁそうしたらCDなり他のものが売れなくなるかもだから、慎重な設計が必要だが。



なんにせよ、BBQ松村が仕事としてググタスやってるなら、これほどの支持を集めていない。

私も応援していない。

結果として仕事に繋がっているかもしれないけれど、それはあくまで結果であって目的ではない。

そこにソーシャル・ネットワーク時代のビジネスの機微的なものがあるのだよ。

何度も繰り返している話だけれども。

それこそクリス・アンダーソンの『MAKERS』的な話ね。



それに、根本的な話として、BBQ松村が仕事としてググタスをやりはじめたら失速すると思うよ。

人気うんぬんの前に、BBQ松村自体のモチベーションがもたない。

内発的動機付けではなく、外発的動機付けのためにググタスやることになるから。

見返りを求めた行為は、その人自身の首を絞めることになる。

(詳しくは、『モチベーション3.0』を参照のこと)


だから、仕事としてこれをやるべきではない。

言いたいことはそれだけだ。


ただ、自分が出来てるかと言われると出来ていないのである(汗



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行動経済学者ダン・アリエリーは著書『予想通りに不合理』の中で次のような話をしている。


『トム・ソーヤの冒険』の中で、トムは面倒くさい堀のペンキ塗りの仕事を、友人達に羨ましい仕事だと思い込ませて、その仕事を代わらせるだけではなく、その特権を譲ることの対価を得た。

この話には、本来ならお金をもらえることをしているのに、お金を払っている人にとっての教訓がある。

作者のマーク・トウェインはこう述べる。

イギリスの裕福な紳士は、かなりの出費となるという理由から、夏の日中に四頭立ての馬車を20マイルも30マイルも走らせる。
もしも馬車を走らせることで報酬をもらえるとするならば、それは仕事となるので、彼らはやめてしまうだろう。



「意欲」だけがあって「意識」がない

2012-11-22 13:22:50 | AKB48_軽ネタ
最近、「努力」よりも「意欲」「意識」の違いが気になる。


みな「意欲」はある。


だけれども「意識」がない。


だからやることなすことヌカに釘で成果が出ない。


「意識」のない人に限って、何事につけ原因を「意欲」に求め、人に「意欲」を求める。


そして、人の話を聴かない。



「モチベーション3.0(内発的動機付け)」とは、「意欲」+「意識」である。


「自律性」も「マスタリー(熟達)」も「目的」も、「意識」がなければ成立しえない。


しかし、「意識」というのは姿が無くて見えないものだから、持とうと思って持てるものでもない。


与えてもらうこともできない。


自分で理解するほかない。


困った。


自分のコトは棚上げですみません

【ドウデモ】今朝の出来事 永遠プレッシャー

2012-11-21 13:24:41 | AKB48_軽ネタ
今朝・・


通勤中の話なのだが


当Blogについて話をする


中学生がいた。


Oh...これはいろんな意味でミラクル・サプライズww


(なぜサプライズなのか。これには話せば長くなる訳があるんだ・・)


え、永遠プレッシャー・・


やばい、今後は内容を考えるかもしれない。


私はビビりだ(イミフ)


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テラスハウスの横浜デートいいなぁ。


遠い日を見るようだ。


最後は大桟橋か。


あそこで赤レンガ見ながらこのブログ書いたなこの前ww


しかし、てっちゃんはいいやつだ。


恋愛するしないを理屈で語ったらいかんよ。


男と女は理屈では語れないぜ。



強心臓というけれどビビりほど生き残るのがこの世界

2012-11-20 13:34:22 | AKB48_軽ネタ
気づいたら、今gooブログのアクセス解析お試しキャンペーンみたいのをやっていて、無料でアクセス解析が見れるのだが、なぜか検索キーワード「島崎遥香」と「宮脇咲良」が多いのね・・。

そしてブラウザは「Safari」が一番多いというのは時代の流れを感じるなぁ。

2位のChromeにダブルスコアの大差。

当BlogはほぼAKB48ブログなのだが、Appleユーザーが多いというのは面白い。

まぁ今ではAppleユーザというのは、それほど特異な感じでもないのか。


そしていまだに「釜石の奇跡」で検索している人がいるという・・

「1コメダ」もまだまだあるね。


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話は変わって、AKB48のメンバーについて、よく度胸があることを「強心臓」と言ったりする。

そして、総じてそれは良いことだと言う感じで使われるが、強心臓であることがいいことだみたいな話は何か違う気がする。

度胸があるのはいいことだが、ビビらないのがいいとは限らない。

むしろ、悪いのではないか。

ビビらないというのは、感度が鈍いということだから。

生存競争が激しい世界では生きていけないのではないか。

(平和な世界ならどこかが壊れている方が独自性が出せて、生き残る可能性が高くなる気もするが。)


AKB48戦略転換
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/795401940e489eaa4bfd4d143d5416cd


アンドリュー・グローブはこう言うように、

「Only the Paranoid Survive」
(病的なほど心配性だけが生き残る)

だと思うのだよね。


AKB48のメンバーといっても、中身はいたって普通の女の子だから、いろいろ悩みながら活動していると思う。

ビビりながら。

でもそれでいいと思う。

だから学ぶ必要性に気づけるし、向上する余地があるということだから。

ビビりの方が生き残る可能性高いと思うよ。



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■追記

コメントで補足して頂いておりますが、誤解される内容だったので、上でリンク張った先からもう少し引用します。


京セラ創業者の稲盛さんも似たことを仰られていましたね。

楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する。


悲観的に楽観的であれ。


妄想族より愛を込めて



敏感力/鈍感力の双方が必要です。

ただ、鈍感な人はアンテナの感度が低くなりますよね。

もちろん、ビビり過ぎて過敏なのは問題ですが、根本はビビりでないとそもそも何事にも感づけないので

鈍感力を持てれば、ビビりこそ生き残るという主張です。

北川謙二レーン

2012-11-19 01:25:54 | AKB48_軽ネタ
ワロタwww


NMB48全握よみうりにて北川謙二レーン登場wwww(AKB48まとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51852433.html



これは面白い。

まとめもよく出来てて。

みんなが言うように、しのぶレーンは人気出そうだな~。


この雰囲気がいいよね。

メンバー、スタッフ、ファンみんなで盛り上がっている感じが。

みんなファミリーというか、物語の一員なんだよなぁ。

一体感ね。

何事もみんなで同じ方向を向いてる時が一番楽しいものだ。

仕事も家族も友達も恋人も、そしてAKB48も。



それで、メンバーもグループも、方向性が違ってきたなってことになるとそっぽ向かれるしね。

AKB48だと特にその方向を合わせることの重要性が高い気がするのだよなぁ。

それで「理念」という言葉を何度も繰り返して主張するんだけど。

しかし、子供が育って親離れするように、メンバーも個々人がそれぞれの人生を生きて行かなければならないからね。

親がずっと子供の面倒を見るワケにもいかないし。

互いに異なることを考えなければならなくなるわけで、そうすると齟齬も生まれるよね。

それ自体は不可避だと思うけれど、うまくいく場合とうまくいかない場合の違いについては考えたいなぁと思ったりするかな。



なんにせよ、疲れていたところにいい記事でござった。

デヴィ夫人は既にAKB48側の人 ~井の中の蛙~

2012-11-18 09:00:57 | AKB48_心の叫び
デヴィ夫人が「AKB48は日本人を幼稚に」(AKB48タイムズ)
http://akb48taimuzu.livedoor.biz/archives/20021906.html



AKB48を批判したい気持ちは、感覚的にはわかる。


そう、「感覚的」にね。


そしてそれが全て。


どういうことか?


人間には、直感で判断してしまう癖があるということだ。


つまり、人間は気を付けていないと「直感で判断してしまう癖」で思わぬ判断をしたり、利用されたりするということだ。


例えば、今回の場合、AKB48を批判しているつもりで、実はもうAKB48の世界に足を踏み入れてる。


生態として見れば、まとめサイトで活躍するアンチたちとなんら変わらないのである。


ダニエル・カーネマンの「ヒューリスティックとバイアス」である。


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「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152


■ヒューリスティックとバイアス

説明に入るまえに、1つステップを踏みます。
プロスペクト理論を理解するにあたって知っておきたいのが「ヒューリスティックとバイアス」です。

バイアスというのは「偏見」だと思ってください。
ヒューリスティックというのは、人が判断するときに多用する直感的判断のことです。
直感的判断は、簡便で素早く結論を導き出しますが、バイアスという弊害があります。

進化論的な考え方としては、「直感」は、動物と共通して持っている「知覚」メカニズムから進化してきたメカニズムで、人間だけが持っているもっと高度な「推論」のメカニズムとの間の橋渡しをしているとされています。

 知覚 → 直感 → 推論


直感には制約があります。
たとえば、トランプに関するこんな問題を考えます。

[1] トランプ1枚の面積はどのくらいか?

[2] トランプ1組の厚みはどのくらいか?

[3] 1組分のトランプ全部を足した面積はどのくらいか?

[1]と[2]は直感的に処理できます。
しかし、[3]については計算してみないとわかりません。
直感的判断では解けない問題です。

直感を正確に定義することは難しいのですが、直感というのは、私達が一生懸命に努力して考えるのとは対照的な、大変に素早く働く考えのことです。
だいたいの場合、私達は直感的に考えています。
私達のもっとも熟練した認知活動のいくつかは直感によってなされているのです。
ただ、直感は、非常に洗練され大変高度なことをするのですが、系統だったバイアスやエラーを犯してしまう傾向があります。
じっくり考えた後であっても、時には直感から来る印象や判断が訂正されない場合もあります。
人が下す最終的な判断の中には、直感が犯しがちエラーの痕跡が見られるわけです。


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そういうことで、元スレにあった↓このコメントが全てである。





自分もネタを提供する1人になっているのだと、気づくべきなのだ。


JOHNNYS’ World ジャニーズ・ワールド の 凄さ!(デヴィの独り言 独断と偏見)
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-11405705021.html


きっと腰をぬかすでしょう。
きっと 自分達は ”井の中の蛙” だったことに気づき、
開眼することでしょう。



ブーメランというやつだ。