進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

フューチャーセンター

2013-08-31 16:15:56 | AKB48_オピニオン

運営が完全知に基づいて意思決定を行っていると考えるのは、現実的ではない。

いつだって不確実性の高い状況で意思決定をすることを求められている。

しかし、だからといって結果責任から免れることができるわけでもない。


スピンオフひとつうまくやれず、もう手が詰まってる。


走り続けても追いつかないなら、


フューチャーセンターでも作ったらどうか。


それくらいしか思いつかない。

コメントに関するお願い

2013-08-31 15:28:35 | AKB48_軽ネタ

■お願い

これまでルールのようなものを掲げてはきませんでしたが、

同じ内容のコメントを何回も投稿するのは、可読性が落ちるのでやめてください。

私は、対話への発展性があるならば、批判や否定も受け入れる方針でブログを運営していますが、

同じ内容のコメントの連投は、内容の問題に関係なく、その発展性が見えませんので削除します。

不本意ですが削除するので次回から気をつけてください。



また、せっかくですのでみなさん仮の名前を使ってください。

Unknownだと識別しにくく対話がしづらいので。

よろしくお願いいたします。

時限チームなんかやるより、1軍/2軍制度を導入した方が面白い。

2013-08-26 20:55:23 | AKB48_軽ネタ
ネタです。


チーム4について話を振られて

チーム4は時限チームで若手育成したら解散みたいなこと言われるのですが、

そんなことするくらいなら、たとえば1軍/2軍を作った方が面白いと思うよ。

(本日はスピンオフ論はお休みです。)

これまで正規生/研究生の区別しかなかったところに、正規生に1軍/2軍的な枠組みを導入すると。

3チームが1軍で、それ以外が2軍。

「チーム4昇格で、チームBが2軍へ」とかね。

2軍は選抜凍結ね。(総選挙を除く)

とりあえず今からチーム4は選抜凍結。

先輩たちを叩き潰すためにがんばってください。

2軍落ちしたら辞めるメンバーも出てくるかもしれないし、ドラフト会議も面白いかもね。

チーム間で競争させるんだったら、運動会やるより盛り上がると思うよ。

(チーム間でファンが殺伐としそうな気もするけど・・)


課題は、評価方法だね。

選挙のチーム毎の総得票数とか、劇場公演での投票とか、人気なのか実力なのか、短期的な利益に偏らないか?などなど考えることはいっぱいありそうだけど。

「議論」ではなく「対話」のススメ ~ダイアログ~

2013-08-21 02:14:32 | AKB48_オピニオン

「議論」ではなく「対話」もあるよ、というお話。


ドラフト会議
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/d1ad73b4eb65f76a3a6b6fec2735c6bf


↑上のエントリで繰り広げられた議論を読んで思ったのですが、ちょっと混乱しているようなので、ちょっと私の方で整理しますね。
(既に見習いさんが、非常によいコメントをしてくれていますが。)

論者の立脚している知見が、とりわけ「理念」と「組織」に対する考え方に大きな隔たりがあるので、このまま議論を進めても平行性だと思います。

なので、まず「理念」をおさらいし、「対話」でないと成立しないよという話の展開の後、簡単に「対話」についてお話します。


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当Blogでいう「理念」とはビジョナリー・カンパニーの「基本理念」のことです。

「ビジョナリー・カンパニー」は現代のドラッカーとも呼ばれるジェームズ・C・コリンズが提唱した「学説」でもありますし、持続的に利益を生み出す卓越した企業の「呼称」でもあります。

(なんで現代のドラッカーかというと・・出版社の売り文句だと思いますけど、ドラッカーがそうであったようにビジョナリーだからなんだろうなぁと思います。)

当Blogでも過去何度か触れています。

AKB48はビジョナリーカンパニーになれるか?!
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/2462f432dbc5e3b5b22c8fa39f7b877f

時を告げるのではなく、時計をつくる
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/91429274914372eb7fc7865aac457f6d

AKB48も踊る
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/148e8f87673bb92ee979d213b1926620

アイディアを狩る狩猟採集生活から、土壌(組織力)を醸成しタネ(アイディア)を育てる農耕生活へ
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0319c34c9503377d8b175908352da252

「育む」という発想で、継続的な努力が活きる生き方をしよう
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/eaf9943d3704e917e3377c127067f036


ジェームズ・C・コリンズは過去の企業業績を調査し、卓越した企業になるための「条件」と思われていた項目が実は嘘だと明らかにしました。

これは「12の神話の崩壊」として説明されています。

(1) 「すばらしい会社を始めるには、すぐれたアイデアが必要である」とは言えない
(2) 「ビジョンを持った偉大なカリスマ的指導者が必要である」とは言えない
(3) 成功している企業は、利益の追求を最大目的とはしない
(4) 成功企業には、共通した「正しい基本的価値観」があるとは言えない
(5) 「変わらない点は、変わり続けることだけである」とは言えない
(6) 「優良企業は危険を冒さない」とは言えない
(7) 「優良企業はだれにとってもすばらしい職場である」とは言えない
(8) 「成功企業は綿密で複雑な戦略を立案し最善の動きをとる」とは言えない
(9) 「根本的な変化を目指すには社外からCEOを迎えるべきだ」とは言えない
(10) 「成功企業は競争に勝つことを第一に考えている」とは言えない
(11) 「二つの相反することは同時に獲得することはできない」とは言えない
(12) ビジョナリー・カンパニーが成長を遂げたのは、経営者の発言が先見的だからでは全くない。

その上で、唯一つだけ、卓越した企業に共通してる点があるとしました。

それが「基本理念を持っており、病的なまでに基本理念に忠実である。」ことです。

コリンズはこう言います。

世界は変化している。
この難題に組織が対応するには、企業として前進しながら、その基礎となる信念以外の組織のすべてを変える覚悟で望まなければならない。
組織にとっての聖域は、その基礎となる経営理念だけだと考えるべきである。

基本理念を、文化、戦略、戦術、計画、方針などの基本理念ではない慣行と混同しないことが、何より重要である。
時間の経過とともに、文化の規範は変わる。
戦略は変わる。
製品ラインは変わる目標は変わる。
能力は変わる。
業務方針は変わる。
組織構造は変わる。
報酬体系は変わる。
あらゆるものが変わらなければならない。
その中でただひとつ、変えてはならないものがある。
それが基本理念である。
少なくとも、ビジョナリー・カンパニーになりたいのであれば、基本理念だけは変えてはならない。

この点から、本書の中心になっている概念が導き出される。
概念とは「基本理念を維持しながら、進歩を促す」であり、これこそ、ビジョナリー・カンパニーの真髄である。

組織を築き、経営している読書に向けた本書の主張のなかで、何よりも重要な点をひとつあげるなら、それは、基本理念を維持し、進歩を促す具体的な仕組みを整えることの大切さだ。
これが時計をつくる考え方の真髄である。

会社を究極の作品と見るのは、極めて大きな発想の転換である。
会社を築き、経営してるのであれば、この発想の転換によって、時間の使い方が大きく変わる。
製品ラインや市場戦略について考える時間を減らし、組織の設計について考える時間を増やすべきなのだ。

ビジョナリー・カンパニーが素晴らしい製品やサービスを次々に生み出しているのは、こうした会社が組織として卓越しているからに他ならず、素晴らしい製品やサービスを生み出しているから素晴らしい組織になったのではないと思われる。



「会社を究極の作品と見るのは、極めて大きな発想の転換である。」

これは極めて重要な発想の転換です。

ビジョナリー・カンパニーは「時を告げるのではなく、時計をつくる」のです。

昔は正確に時を告げる能力は貴重なものであった。
その才能のある人が才能を生かして、生涯、正確な時を告げる役を負うか、そうではなく、正確に時を告げることのできるシステムとしての「時計」を創るのか、は大きく役割が違う。


この部分に関する考え方が大きく異なると、議論は進みません。

「持続的な利益を生み出し続けるAKB48という組織(システム)こそ究極の作品である!」と主張する人と、「AKB48のブランドも組織も、個々のメンバーの自己実現のためにある!」と主張する人の間には、基本的な考え方に大きな隔たりがあるからです。

また、今時「ミッション・ステートメント」や「経営理念」を掲げない企業はほとんどないと思いますが、「ビジョナリー・カンパニー」を信ずる人と、そうでない人の間には、これまた「理念」に対する考え方の大きな隔たりがあります。

一方は「基本理念は全てに優先する」と考えているわけですから。


以上を踏まえると、考え方の違う両者が語らうためには、見習いさんが指摘してくださったように、

これらを踏まえて次の議論が成立しませんか?
AKBは理念を掲げずに成功するパターンを作りたいのか、それとも今でも理念を掲げているのか、掲げたいが掲げる事ができていないのか、ここがハッキリしていません。
そして恋愛禁止条例=理念とする考えは主流派の考えではなく同意が得にくい部分です。

ガチ・マジという理念は必要か?
必要ならどういう形で具体化するか?

ではないでしょうか?


となるわけですが、たぶんこの話も平行線になるのは目に見えています。

「理念」に関する議論に答えが出るなら、全ての企業がビジョナリー・カンパニーになっているわけですから。

つまるところ、何に価値があるか、何が正しいのか、といったことを論争する枠組みがあるのは多様性を醸成するのに非常に重要なれど、「理念」に関して言えば、これは明確な答えが出るものではないので、「議論」ではなく「対話」によって進めるのがよいかと思います。


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で、また言葉で説明するのが面倒なのでPPTのスライド貼りつけることにします。

(文字が小さくて見えるかな・・)









イノベーション普及理論とキャズム理論から、研究生ゴリ推しの理解と進め方を考える。

2013-08-19 16:37:42 | AKB48_イノベーション

これまで何度か「チーム4」「チーム8」「イノベーションのジレンマ」「スピンオフ」「リーン・スタートアップ」「AKB48第2章」etc.. と述べてきました。

今回はまた視点を変えて、エヴィリット・ロジャース『イノベーション普及理論』とジェフリー・ムーア『キャズム理論』から、「なぜ若手メンバーによるスピンオフなのか?」という疑問に対する問題提起をしたいと思います。

『イノベーション普及理論』に関しては、以前「イノベーター理論」として過去のエントリで用いたことがありますが、ここでは「イノベーション普及理論」と呼びます。


で、言葉で説明するのが面倒なので、PPTの画像を貼り付けときます。

(あえて画像のサイズを小さくしているので文字が小さくて見難いなどあるかと思いますが、ご容赦ください。)

何を言いたいかと言うと、例えば「研究生ゴリ推し」について、みんながみんな納得しないとか、「イノベーション普及理論」からすると当たり前なのです。

以前から主張しているように、この時期にゴリ推し批判と無駄にやりあっても体力の無駄遣いなので、運営はこのあたりをよく考えて、「創造的な価値観の摩擦」と「無駄な摩擦」の区別をしっかりして進めて欲しいなと、思うわけであります。

もっとわかりやすく言うと、「ゴリ推し」が「グループ全体推し」と解釈されると生産性の低い価値闘争が起きるから、「研究生ゴリ推しやるなら、独立した形で、たとえばスピンオフ的な形でやった方がいいよ。」といういつもの話です。

いつも通り使い回しなので、これ使い回しじゃんとわかった人はブロバレしてしまうわけなので絶対に口外しないように!











お父さん応援ソング作ってほしい

2013-08-19 15:19:18 | AKB48_軽ネタ

最近、AKB48の勢いが以前ほど感じられなくなった事もあってか、重い話が多くなりがちなので、またまたドウデモな話を。

これは、いきなり感たっぷりの話なのですが、願望です。


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乃木坂46にお願いなのですが、

『ガールズルール』の次は「お父さん応援ソング」を作ってほしいのだけど、やってくれないかな。

そのための「大人メン」であり「ガールズルール」だと理解しているよ。

イメージはFUNKY MONKEY BABYSの『ヒーロー』ね。

ももクロの『労働賛歌』みたいのではないからね。





乃木坂46のような女の子たちに価値を認められたいというか、「かっこいい」という価値観を作ってほしい。

是非、期待したい。


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真剣になるべきものは「抗議」ではなく、「提案」です。

2013-08-18 08:46:31 | AKB48_軽ネタ
留守の間になされたコメント欄での活発な議論を読んでおりましたら、「通りすがり」さんから↓次のようなコメントを頂きましたので、ここで考えを述べることにします。

主さんはせっかく恋愛禁止条例の理念を主張されているのにこのブログ内のみに留まって拡張性が無いのはもったいない。このブログは数少なくなったAKBのことを真剣に考える場なのに結局中途半端にメンバーを擁護して運営に言論統制されているのかと思ってしまう。ありえない現状に真剣に抗議すべきではないのか?


当Blogの主張を読んで頂ければ、私の「理念」に関する問題意識が「経営が存在しないAKB」さんや「通りすがり」さんと近しいことはわかると思います。

※お願い※
会話がしにくいので、もし同一人物であれば、何がしかのハンドルネームで統一して頂けるとやりやすいです。


しかし、「抗議」によってそれらの問題は解決し得ないとも考えています。

つまり、狭義の意味での問題意識は近いが、広義の意味での問題意識にはまだ乖離があるとも思います。

この解決方法については、既に何度も「イノベーションのジレンマ」を基に意見を述べているのですが、いつもとは異なる切り口で述べたいと思います。


「通りすがり」さんの主張を商店街のメタファーで考えると、「このままでは商店街がダメになってしまう。商店街を改革しよう!」というお話だと思います。

まっとうな話ですが、この商店街がAKB48という特殊性を持っているという点について考慮しなければならないと考えます。

AKB48という商店街には歴史があり、規模が大きく、商店街に頼らなくても単体で一定水準の収益性を獲得できる有力店舗が複数存在しています。

これは、既存顧客が多数かつ多様だということです。

休日に「商店街」にデートしにくるカップルもいれば、特定の専門商店にのみ訪れる買い物客もいるわけです。

ただ、特定の目的なしに商店街に訪れる人は減り、人気店とそれ以外の二極化が進みつつある状況ではあると。

もし、この状況下で商店街の会長を任されたら、どんな手を打つでしょうか。


まず、どんな商店街を目指すのか、考えなければなりません。

それは、顧客は何を望んでいるか(商店街は何から利益を得ることができるのか)、商店街と各店舗の利害をどう一致させるか、商店街が変革するための資源はどこから捻出するのか、商店街と各店舗の間でどう合意形成をするか、などを含む話です。

おそらく、商店街の顧客が多様であるほど、それらの作業は難しくなるでしょう。

短期的には、既存顧客に奉仕することこそ利益最大化への近道であるため、特定のコンセプトを重視することが既存顧客の損失に繋がる店舗が存在する限り合意を得ることはできず、誰でも納得できる折衷案を得ようとすれば、結局は何もしないことになります。

有力店舗が複数存在する場合(確固たる顧客ベースを持つ店舗が複数存在する)ならなおさら、商店街のパワーバランスをとることは難しくなります。


そこで「スピンオフ」です。

特定コンセプトのアネックスを作って、新しい顧客の獲得を狙います。

そして、新しい顧客を獲得できたら、そこをテコにして商店街全体の変革を実行していくのです。

どの世界でも組織の変革に近道はなく、組織が大規模で複雑になればなるほど難易度は上がります。

理想を実現するための方法論を考えなければならないと、私は考えます。

(「イノベーションのジレンマ」や「リーン・スタートアップ」の話を以前から繰り返し出していますが、具体化までは流石にやってられません。)


という意味で、真剣にならなければならないものは「抗議」ではなく、「提案」だと思います。

それが理想を実現するために、現実的だからです。


(というのもあるし、抗議されてる側は抗議されている内容についてはよくわかっていると思う。問題がわかるということと、解決策がわかるということの間にはかなりの差があるとも思う。)




■補足

もし、顧客として語るなら「抗議」はあってしかるべきだと思います。

「一流の板前は一流の客が育てる」という言葉があるように、よい抗議は組織を育てます。

しかし、組織や経営の側に立って語るなら、「抗議」では組織は変えることはできないことを認識すべきです。

もちろん、理想や理念、問題認識を共有することに時間をかけるのはよいことですが、それだけでは話が進みません。

AKB48運営の側に、意思と能力と情熱を持ったチェンジエージェントが存在すれば、その限りではないかもしれません。

が、それが期待できない場合は、やはり実現方法を考えなければなりません。


私はAKB48関連のブログはまとめサイトくらいしか読まないので、他の論客の皆さんがどのようなことを考え、提案しているのかわかりません。

ですので、あくまでも私の日常的な感覚でのお話になりますが、「通りすがり」さんらの狭義の意味での問題認識の持ち方自体は、私は間違っていないと思います。

大企業で働くサラリーマンでそのレベルで語れる人はそういないと思います。

かなりレベルの高い方だと思います。

(決して上から目線ではありません。私の周りにもそういう人がいれば・・もう少し楽になる。)

ですので、なおのこともったいないと思います。

AKB48のファンにこれだけ語れる人がいるのに、そのエネルギーをうまく活かせていないことが、実にもったいないです。

AKB48としての機会損失ですね。

こういったエネルギーを止揚することに、もう少し運営には頭を使ってほしいのが私の本音なのですが・・

このブログをご覧の皆様へ

2013-08-18 00:43:34 | ブログ情報(News Release)
このブログをご覧の皆様へ


最近、他ブログや掲示板サイトにて当Blogへのリンクが貼られているらしく、

荒らし行為との関連の確認や、荒らし行為の片棒担いでいる等の苦情が相次いでおります。

私自身はそれら個別事案の詳細や、全部でどの程度問題が起きているのか把握しておりませんが、

苦情が入るくらいなので、荒らし行為と思われるような使われ方をされているのだと推測しています。


私には、このブログを宣伝する気はありません。

紹介して頂けるというお話も全て断っております。

ですので、勝手にリンクを貼るのはやめてほしいと思っています。


が、当Blogへのリンクうんぬんの前に

まず、ご自分の言葉で語るべきだと思います。

良識ある言動をとって頂きたい。

当Blogの読者で、それが理解できない人はいないと信じております。


よろしくお願いいたします。

ドラフト会議

2013-08-10 08:52:14 | AKB48_軽ネタ
※たぶん再来週になるまで余裕がなく、留守状態が続きます・・


AKB48G ドラフト会議 開催告知映像 【発言全文】
http://akb48matome.com/archives/51890003.html



ドラフト会議について幾つか思うところを簡単に。


AKB48グループは、地域密着型のプロスポーツ・クラブをモデルにしようとしている、という話もある。

欧米型のサッカー・クラブとUEFAチャンピオンズリーグのような祭典の組み合わせで持続的なビジネスモデルを構築できるかは、確かに興味深いところである。

それとドラフト制は直接的には関係していないが、各グループの独立性を高めるにあたって、各グループやチームの人気の偏りが、人材の偏りに直結してしまわないように、グループ間の均衡をどうとるかを考慮する必要がある。

その時に、「ドラフト制」を使うという発想は普通に有り得る話だ。



このドラフト制がこれまでと全く異なるのは、チーム編成権を運営からチームキャプテンと支配人に委譲するというところだ。

これは、大きな変化だ。

小泉純一郎は、首相の権限の源泉は「解散権」と「人事権」にあると喝破していたが、その人事権の一部を委譲するというのだから。

「ドラフト制」と「組閣」のバランスをどう取るのかよくわからないが、運営は組閣(解散権)という伝家の宝刀は保持したままとなるだろう。


グループやチームの独立性を高めることと、運営の権力のバランスをどうとるかであるが、

以前「運営の権力の源泉は選抜の編成権にある。」と書いた。(あまり賛同してもらえなかった気がするが。)

運営はチームの独立性を強めながらも、選抜の編成権を握っていることでガバナンスをきかすことができる。

逆に言うと、選抜というボトムだけ押えておいて、あとは自由にやらせようという考えなのかもしれない。


昨夏の(チーム4が解散した)組閣時に書いたのだが、AKB48は事業部制になったということだ。

チームは「部」から「事業部」に変わり、それを統括する運営が「本部」になった。

企業組織と同じ道を歩んでいるような気がする。

※現時点ではチームレベルで「事業部」なのはAKB48だけで、他はグループで「事業部」相当か。



批判の的になっている「人材育成」についてだが、これは別途にしよう。

今まったく余裕がない。

ただ、1つだけ言っておくと、私は逆のことを考えている。

上述した事業部制と、最近の研究生ゴリ推しの件がリンクして見えるのだが、むしろ「運営は人材育成にしか興味がない」と言ってもいいくらいだと思う。

その方向性が正しいか、間違っているかについては今は語らないが、運営の問題意識の中で「人材育成」は強いだろう。

運営が事業部制の本部なのだとしたら、事業戦略は事業部に投げて、本部は全体戦略と、グループ全体でいかに良い人材を事業部に供給していくかを考える。

研究生をゴリ推すのも、チームに良い人材を供給するのが運営の仕事だから、と考えることができる。

ただ、この考えはドラフト制との相性が気になる。

採用された人材がどこに忠誠を尽くすのかが曖昧になるからだ。

運営が採用すれば、採用されたメンバーはAKB48全体に奉仕するだろう。

チームに採用されると、チームに奉仕することになる。

ドラフト会議前に運営による選考があるので、そこで一度は運営に採用された形にするのであれば、問題は解決するのかもしれない。

乱暴にまとめると、運営が育成したプロパー・エリート研究生と、チームが採用した抜擢・研究生による価値観の摩擦が生まれるのは狙いかもしれないなぁ。


留守にしてました

2013-08-06 01:36:09 | ブログ情報(News Release)

週末から今日まで留守にしていました。

完全に浦島太郎状態です。

が、今日はもう疲れたので休みます。




山本が名乗りを挙げたのか。

さすがだなぁ。

運営からすれば、対メディア戦略とメンバー保護という理由からガチを棚上げしたいところだが、ガチで行きたいと言うメンバーもいるだろう。

運営が「万策尽きた」とか言って諦めたらメンバーも諦めるようになる。

それではアカンというわけだ。

あっぱれなり。


しかし、これで大きなものを背負い込んでしまった山本が少し心配ではある。

部屋に飾っている土方歳三のように「鬼」になれるかどうかを、

高橋が跨げなかった敷居を跨げるかを、試される場面もいずれ訪れる。

それでも行くのか、茨の道を。

「恋愛禁止条例」に関する次の論点を挙げます。

2013-08-01 16:07:47 | AKB48_オピニオン
当Blogにおける「恋愛禁止条例」に関する最近の議論を、ここで私なりに整理したいと思います。

↓の続きというか、視点を変えます。(「恋愛禁止条例=理念」という説明がわかりにくいというので)

恋愛禁止条例 自己責任論に反対する
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ea854ba7bd0c3c1f300f624ca48032a2


今日は、レイヤー構造で「恋愛禁止条例」の意義を考えたいと思います。

(伝えるために、あの手、この手で、がんばります。)


まず「恋愛禁止条例は破棄されたのか?」という問いがあって、これはかなりグレーな問題です。

AKB48運営は掲げるとも破棄するとも明確にはしていません。

破棄したとする立場の人は、「スルー=破棄」や「指原が選挙1位になり恋愛に関することを公言=実質的に破棄(もしくは破たん)」という論理だと思います。

「恋愛禁止条例破棄」と「恋愛肯定」とは必ずしも一致しませんが、「スルー=実質的に肯定」とする立場から、今AKB48は実質的に恋愛を肯定している状態だとする意見もあります。

しかし、運営が恋愛に関して明確な意思を示さないからといって、即「恋愛肯定」になるわけではありません。

「恋愛」がアイドル活動に大きな影響を与えることは、ほとんど自明であり、メンバーには率先して恋愛を肯定する動機は合理的には存在しないからです。

「恋愛禁止」は、「恋愛禁止条例」を掲げなくても「アイドルの行動規範」としてコード化されているものなのです。

ただ、「恋愛」は生物学的に埋め込まれたコードで「人間の基本設計」にあたるものですので、恋愛に向かおうとする情動は、社会的なコードであるアイドルの行動規範よりも遥かに強いものです。

厳密にいえば、強いというよりも、人間それ自身が恋愛を肯定するフレームワークですから、その中で恋愛禁止を実現するのは、工夫が必要です。

「恋愛の真っ只中で、恋愛禁止を叫ぶ」くらいのお話です。

これをコンピューター・システムにおけるレイヤー構造のアナロジーで考えると、OS(オペレーティング・システム)がその上で動作するアプリケーションに対して優越するというか、アプリはOSの制約条件を超えることはできない、ということに似ています。

心理的には「恋愛」は「アイドル行動規範」に優越する存在なのです。

しかし、それは時としてアイドルとしてのエラーに繋がるものです。

実際、結構な数のエラーが発生しているのが今のAKB48の現状かもしれません。

そこで、「恋愛禁止条例」の意義が出てきます。

OSレイヤーに、「アイドル行動規範」に加えて「恋愛禁止条例」を組み込み、エラーの発生を抑制したわけです。

上位レイヤーに便利な機能を提供しつつ、システム全体の信頼性と完全性を保全するための存在として「恋愛禁止条例」の存在意義が出てきました。

AKB48の場合、他のアイドル・グループに比べてメンバーや活動にかなり多様性があるわけですが、多様性を高めることとガバナンスをきかせるというのは単純には矛盾しますので、これを「恋愛禁止条例」で方向性を合わせて両立させていたわけです。

「恋愛禁止条例」がスタックから抜けると、これまで「恋愛禁止条例」に頼っていた分を何かで埋め合わせないといけなくなります。

一部コメントで頂いている「異分子を除去」というものを要約すると、「恋愛禁止条例がなくなって動作不安定になる原因となりそうなアプリは排除しよう」というお話になるかと思います。

コメンテーターが、システム全体の信頼性が落ちると予測していることからくる意見かと思います。

(表現を変えた方が理解は得られやすいと思いますよ。是非ご検討ください。)

一方、「恋愛禁止条例がなくなってもシステムは不安定にならない」という立場の人々もかなりの数いるわけです。

人によっては「むしろ制約が外れて動きやすくなった」という意見もあります。

この前提が合わないので、目指すべきものが合わないと思います。

他にも、ハイブリッド方式でいくべきだと主張する人もいるでしょう。

グループ内で使い分けるという意見です。

その場合、どこで線を引くのかが問題になります。

おそらく具体的に線を引くのは難しいでしょう。

さらに、もしあなたが複雑系システムの研究者ならば、こう言うかもしれません。

エラーこそ既存の体制を破壊してシステムを進化させるために必要だ。

エラーを許さないシステムではなく、エラーを一つ上の次元で利用するシステムを構築すべきだ。

と、言うかもしれません。

アイディアに説得力がありますが、どういう仕組みでそれを実現するのか、になるでしょう。









話を戻しましょう。

このエントリでは、「恋愛禁止条例の破棄≠恋愛肯定」だと説明しました。

その上で、「恋愛禁止条例」は、AKB48が価値創造とシステム全体の信頼性と完全性を両立させるためのフレームワークだと説明しました。

という認識に基づいて、では、結局、「恋愛禁止条例」を失ってシステムは不安定になるのか、それとも進化するのか、不安定になる場合はなぜそうなるのか、そしてどうするべきか、進化するのであれば、なぜ進化するのか、どう進化するのか、ここが議論の次の要点ではないかと思います。

研究生ゴリ推しについて

2013-08-01 00:03:44 | AKB48_軽ネタ

「研究生」という文脈では2つ言いたいことが。

つれづれなるままに書きます。



1つ目、何度かコメントで研究生に関する政策が当Blogの主張と似ていると指摘された点について。

「若手を推す」という関連があるだけで、全く異なるものです。

当Blogで若手を推すべきと主張する理由は、既存の体制の価値観に束縛されない政策を実施可能とするためです。

『イノベーションのジレンマ』の話は過去何度も繰り返している話なので、ここでは詳しく述べませんが簡単に説明します。

組織の事業規模が大きくなると、どうしても小粒な事業の魅力が相対的に低下し、また意思決定プロセスにおいても規模の大きい事業が優先されやすくなるため、経営資源の配分比率が規模の大きさに依存するようになります。

すると、潜在的に将来性のある事業の芽を潰す結果に繋がりやすくなります。

既存事業が魅力的もしくは改善余地があればあるほど、また将来予測が不確実であればあるほど、この傾向は強く出ます。

利益を生み出せるところで戦おうとするのが合理的な判断だからです。

しかし、自ら新しい市場やルールを作り出そうとする意思と行動を持たないと、市場の構造が劇的に変化する場合に、出遅れ競合に先行を許してしまう可能性が増します。

既存の事業を継続・強化しながら、新しい市場を作り出すというのは、基本的に利益相反になる話なので、これは簡単なことではありません。

たとえば、AKB48事業を継続・強化しながら、新しいアイドルグループを作る場合、ファンの取り合いが発生するため、新事業に比してAKB48事業が圧倒的に大きい場合、新事業は潰されるのが普通です。

そのため、これまでとは全くことなる新事業を起こす場合は「スピンオフ」をして既存事業と切り離すことが望ましいとされています。、

(完全にスピンオフする形態から、一部資源を共有する形態など、スピンオフのパターンは幾つかあります。)

今まさに「研究生ゴリ推し」に対する反発がちらほら散見される状態だと思いますが、研究生に資源を配分すれば、その分だけ割を食うメンバーたち(いわゆる干され)が一方にはいるわけですから、そのスタッフ、メンバー、ファンたちからすればゴリ推しは簡単には許せず、組織内駆け引きや組織的怠惰が引き起こされる可能性が増します。

逆に、たいして炎上もしないようだと、それは研究生に配分している資源の価値が低いということであり、実のところゴリ推しの効果がないことになります。

つまり、「正しいゴリ推しは必ず反発なり炎上を引き起こす」ということです。

それに耐えられねばゴリ推しを撤退することになりますが、最悪なのはやり続けて成功しないパターンです。

この場合は撤退するよりも大きな損失を被ることになるでしょう。

成功しても既存の収益構造を部分的には失いますので、それ以上の収益に繋がらなければ損失を被ることになります。

ギャンブル性は避けられず、賭けの要素が多分に出る意思決定となるでしょう。

それゆえ、私はチーム4時代から今チーム8で「スピンオフ」を提案しているわけで、メンバーとしてはAKB48に所属しながらチームとしては独立した別働隊として活動するのが、同じ賭けならこちらが筋がいいと思います。

今のようにAKB48体制の中にがっつり組み込んだ形でのゴリ推しは、私は筋の悪い政策だと思っています。

あくまでも個人的な考えです。

ただ、グループを跨いだ研究生グループの結成については、これは評価できると思います。

研究生時代の横のつながりを強化する政策は、兼任よりも効果があるかもしれないと考えます。

私は以前AKB48グループ全体の研究生を組織化する「研究生会議」を提案しています。

時間を必要とする政策ではありますが。


※注意
まだ皆がその価値に気づいていない資源を配分する場合は、ゴリ推しには該当しません。
例えば、SKE48松村がよい手本なのです。
ググタスという他のメンバーが価値を見い出せずにいるツールをいち早く使うことで存在感を高めることができました。
ググタスのように他のメンバーにコスト負担が発生しない場合、スピンオフに近い効果を発揮することができます。
資源の所有・使用権に自由裁量があることがイノベーションには重要です。
詳しくは過去のエントリを参照してください。


ダラダラと書きましたが、以上が1つ目のお話でした。

運営と私の考えは別物です。



次は2つ目。

運営がなぜ研究生ゴリ推しをするのか。

私は、それが「もともとのAKB48が目指していた姿だから」だと思います。

世代交代もないわけではないと思いますが、それよりもあるべき姿に戻ろうという「原点回帰」の意思を強く感じています。

最近の恋愛禁止条例に関する混乱を乗り越えるためにも、「恋愛禁止条例よりも前に戻ろう!」という意思ですね。

「恋愛禁止条例」なんてあえて言わなくてもよかった時代「ガチ・マジ」の原点に戻るという意味です。

実はそんな時代は頭の中にしかなく、単なるノスタルジーなのかもしれません。

しかし、それでも今一度「原点に戻ろう」ということです。

AKB48は当初予備校がコンセプトでしたが、成功した後は、選抜などの組織資源の取り合いという組織内の序列や政治が主な関心事になり、手段の自己目的化が横行してしまっています。

簡単に言えば官僚化です。

少し前に「AKB48は社会的な存在になろうとして背伸びをして失敗した」というコメントを頂きましたが、一理あるお話です。

社会的存在としてのAKB48を否定するのではなく、根っこのアイドルの部分が弱体化しているため、原点回帰をしてまず根をしっかり張り、養分を吸収する体制を整える必要性に気づいたということでしょう。

私は「最高レベルの重罪人」とまで言われてしまいましたが、歴史がどちらが正しいのか証明してくれると思いながら、今後もウォッチしていきたいと思います。


簡単ではありますが、以上が2つ目のお話です。