コメント欄を読んでいて、どの意見にも読む価値があるなと思っています。
ここで私の考えを述べたいと思います。
リーダーシップにはいろんな形があると思います。
マッチョで派手なものから暗黙的で静かなものまで、世の中にあるリーダーシップ論の数だけあるのだと思いますね。
しかし、組織やチームを構築するにあたって重要なことは、ある程度決まっています。
これはあくまで私の考えですが、
組織やチームビルディングにおいて重要なことは、どれだけ優秀な人材を集められるかではなく「組合せ」です。
一にも二にも組み合わせが重要です。
スーパーリーダー・タイプだけ集めてもチームは成立しません。
ここでいう「成立しない」の意味ですが、「チーム」というのは1+1が2以上になるために存在するのであって、足し算にしかならないのであれば、チームになる必要がありません。
「6人で9人分の仕事ができる」といった生産性向上を可能にするチーム学習や相乗効果にこそチームの存在意義があります。
それを踏まえて書くのですが、
私は以前よりAKB48が新しい価値(物語)を生み出していくためには、多様性の醸成が必要不可欠と主張してきました。
外に向かっていく力と内に向かっていく力の双方を活かし、外部環境よりも豊かな多様性を醸成することが大事です。
その観点からして、「こうでなければならない」という意見が多様にあっていいと思うのです。
その価値闘争による創造的摩擦が新しい価値を生み出す原動力になるからです。
ただ、それが成立するためには「理念」が必要だとも主張してきました。
ただ異なる意見があることがよいのではなく、ひとつ高い視点から見た時に、それが実は大きな枠組みでは同じ方向を向いていることが大事です。
でないと価値分裂して一つひとつが小粒の多元社会になり、統合的な活動の効果が減少し、全体としては徐々に衰退すると考えるからです。
アイドルグループとしては非常に大きな多様性を持つAKB48をどう統合するかが問題になると思います。
そこで私は「ガチ×マジ」をわかりやすく体現する「理念としての恋愛禁止条例」を提案しました。
今でもリーダーシップやマネジメント手法の違いを乗り越えることができる理念だと私は考えています。
一方で、恋愛禁止条例は原理主義的な発想だと批判される時もありました。
ですが、私は、恋愛に関する様々な考え方があることを知っています。
恋の力は理性が抗えないほど強い力であり、時として判断を誤る時もあるでしょう。
しかしながら、だからといって恋愛禁止条例の旗を下げる気持ちにはなれません。
私の考える恋愛禁止条例は踏絵ではないし、失敗を責めたいのでもありません。
マジかどうかを問うものです。
しかし、マジにはいろんな種類があるでしょうし、誰でも失敗はするものです。
ですが、同じ方向を向いていればこそ(その旗の下に集う限り)、その失敗を取り返すことができるのです。
それも倍返しで。
AKB48は未来の正統派である ~ 「踏絵のアイドル」と「焚香のAKB48」 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1ac77147ea4e33f6ceef3a40ff34b0c5
私から見ると、渡辺麻友も指原もマジであるように見えます。
両者が評価されること自体はなんら不思議なようには思えません。
少し話を変えて、
指原のHKTでのマネジメントとしての役回りはわかりやすいですが、一方、渡辺麻友はどうでしょうか。
「彼女はリーダーとして何かをしているのか?」という問いが発せられて当然だと思いますが、実はしています。
それも大きなリーダーシップを発揮しています。
渡辺麻友はみんなの期待を背負う形で、その存在によってリーダーシップを発揮しているのです。
世代交代が行われる時に、この役割を引き受けてくれる人材がいることはとても幸運なことです。
逆に、ちょっと不幸だったのは他のキャプテンたちですね。
組織全体が落ち込む時、キャプテンというのは損なものです。
全体の落ち込みの責任の一端を背負わされるからです。
他のメンバーとは異なる基準で評価され、評価を落としてしまうという場面もあるでしょう。
そういう意味で今回の総選挙はわかりやすかった。
人は現状を打破したい時には強いリーダーを求めるものです。
その傾向が出たように感じています。
しかし、だからといって日常的な活動のマネジメントに価値がないわけではありません。
また見直される時期がくるでしょう。
私は、ここ数か月AKB48から離れておりましたのでちょっと第3者的な意見になりますけれども、総選挙において渡辺麻友と指原の対立軸が浮かび上がったこと、非常に喜ばしく見ています。
こういう価値の創造的摩擦を起こす内在的な力がAKB48にはまだあるのだと驚きました。
ここ1年失望することの多かったAKB48ですが、まだまだその瞳は死んでいないと思わされました。
これも渡辺麻友と指原という一見対称的な2人が、実は同じ旗の下に集っている仲間であるということなのだと思います。
「焚香のAKB48」なのです。
ここで私の考えを述べたいと思います。
リーダーシップにはいろんな形があると思います。
マッチョで派手なものから暗黙的で静かなものまで、世の中にあるリーダーシップ論の数だけあるのだと思いますね。
しかし、組織やチームを構築するにあたって重要なことは、ある程度決まっています。
これはあくまで私の考えですが、
組織やチームビルディングにおいて重要なことは、どれだけ優秀な人材を集められるかではなく「組合せ」です。
一にも二にも組み合わせが重要です。
スーパーリーダー・タイプだけ集めてもチームは成立しません。
ここでいう「成立しない」の意味ですが、「チーム」というのは1+1が2以上になるために存在するのであって、足し算にしかならないのであれば、チームになる必要がありません。
「6人で9人分の仕事ができる」といった生産性向上を可能にするチーム学習や相乗効果にこそチームの存在意義があります。
それを踏まえて書くのですが、
私は以前よりAKB48が新しい価値(物語)を生み出していくためには、多様性の醸成が必要不可欠と主張してきました。
外に向かっていく力と内に向かっていく力の双方を活かし、外部環境よりも豊かな多様性を醸成することが大事です。
その観点からして、「こうでなければならない」という意見が多様にあっていいと思うのです。
その価値闘争による創造的摩擦が新しい価値を生み出す原動力になるからです。
ただ、それが成立するためには「理念」が必要だとも主張してきました。
ただ異なる意見があることがよいのではなく、ひとつ高い視点から見た時に、それが実は大きな枠組みでは同じ方向を向いていることが大事です。
でないと価値分裂して一つひとつが小粒の多元社会になり、統合的な活動の効果が減少し、全体としては徐々に衰退すると考えるからです。
アイドルグループとしては非常に大きな多様性を持つAKB48をどう統合するかが問題になると思います。
そこで私は「ガチ×マジ」をわかりやすく体現する「理念としての恋愛禁止条例」を提案しました。
今でもリーダーシップやマネジメント手法の違いを乗り越えることができる理念だと私は考えています。
一方で、恋愛禁止条例は原理主義的な発想だと批判される時もありました。
ですが、私は、恋愛に関する様々な考え方があることを知っています。
恋の力は理性が抗えないほど強い力であり、時として判断を誤る時もあるでしょう。
しかしながら、だからといって恋愛禁止条例の旗を下げる気持ちにはなれません。
私の考える恋愛禁止条例は踏絵ではないし、失敗を責めたいのでもありません。
マジかどうかを問うものです。
しかし、マジにはいろんな種類があるでしょうし、誰でも失敗はするものです。
ですが、同じ方向を向いていればこそ(その旗の下に集う限り)、その失敗を取り返すことができるのです。
それも倍返しで。
AKB48は未来の正統派である ~ 「踏絵のアイドル」と「焚香のAKB48」 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1ac77147ea4e33f6ceef3a40ff34b0c5
私から見ると、渡辺麻友も指原もマジであるように見えます。
両者が評価されること自体はなんら不思議なようには思えません。
少し話を変えて、
指原のHKTでのマネジメントとしての役回りはわかりやすいですが、一方、渡辺麻友はどうでしょうか。
「彼女はリーダーとして何かをしているのか?」という問いが発せられて当然だと思いますが、実はしています。
それも大きなリーダーシップを発揮しています。
渡辺麻友はみんなの期待を背負う形で、その存在によってリーダーシップを発揮しているのです。
世代交代が行われる時に、この役割を引き受けてくれる人材がいることはとても幸運なことです。
逆に、ちょっと不幸だったのは他のキャプテンたちですね。
組織全体が落ち込む時、キャプテンというのは損なものです。
全体の落ち込みの責任の一端を背負わされるからです。
他のメンバーとは異なる基準で評価され、評価を落としてしまうという場面もあるでしょう。
そういう意味で今回の総選挙はわかりやすかった。
人は現状を打破したい時には強いリーダーを求めるものです。
その傾向が出たように感じています。
しかし、だからといって日常的な活動のマネジメントに価値がないわけではありません。
また見直される時期がくるでしょう。
私は、ここ数か月AKB48から離れておりましたのでちょっと第3者的な意見になりますけれども、総選挙において渡辺麻友と指原の対立軸が浮かび上がったこと、非常に喜ばしく見ています。
こういう価値の創造的摩擦を起こす内在的な力がAKB48にはまだあるのだと驚きました。
ここ1年失望することの多かったAKB48ですが、まだまだその瞳は死んでいないと思わされました。
これも渡辺麻友と指原という一見対称的な2人が、実は同じ旗の下に集っている仲間であるということなのだと思います。
「焚香のAKB48」なのです。