進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

焚香のAKB48

2014-06-11 16:17:25 | AKB48_軽ネタ
コメント欄を読んでいて、どの意見にも読む価値があるなと思っています。
ここで私の考えを述べたいと思います。


リーダーシップにはいろんな形があると思います。
マッチョで派手なものから暗黙的で静かなものまで、世の中にあるリーダーシップ論の数だけあるのだと思いますね。

しかし、組織やチームを構築するにあたって重要なことは、ある程度決まっています。
これはあくまで私の考えですが、

組織やチームビルディングにおいて重要なことは、どれだけ優秀な人材を集められるかではなく「組合せ」です。
一にも二にも組み合わせが重要です。
スーパーリーダー・タイプだけ集めてもチームは成立しません。
ここでいう「成立しない」の意味ですが、「チーム」というのは1+1が2以上になるために存在するのであって、足し算にしかならないのであれば、チームになる必要がありません。
「6人で9人分の仕事ができる」といった生産性向上を可能にするチーム学習や相乗効果にこそチームの存在意義があります。

それを踏まえて書くのですが、

私は以前よりAKB48が新しい価値(物語)を生み出していくためには、多様性の醸成が必要不可欠と主張してきました。
外に向かっていく力と内に向かっていく力の双方を活かし、外部環境よりも豊かな多様性を醸成することが大事です。
その観点からして、「こうでなければならない」という意見が多様にあっていいと思うのです。
その価値闘争による創造的摩擦が新しい価値を生み出す原動力になるからです。

ただ、それが成立するためには「理念」が必要だとも主張してきました。
ただ異なる意見があることがよいのではなく、ひとつ高い視点から見た時に、それが実は大きな枠組みでは同じ方向を向いていることが大事です。
でないと価値分裂して一つひとつが小粒の多元社会になり、統合的な活動の効果が減少し、全体としては徐々に衰退すると考えるからです。

アイドルグループとしては非常に大きな多様性を持つAKB48をどう統合するかが問題になると思います。
そこで私は「ガチ×マジ」をわかりやすく体現する「理念としての恋愛禁止条例」を提案しました。
今でもリーダーシップやマネジメント手法の違いを乗り越えることができる理念だと私は考えています。

一方で、恋愛禁止条例は原理主義的な発想だと批判される時もありました。
ですが、私は、恋愛に関する様々な考え方があることを知っています。
恋の力は理性が抗えないほど強い力であり、時として判断を誤る時もあるでしょう。
しかしながら、だからといって恋愛禁止条例の旗を下げる気持ちにはなれません。

私の考える恋愛禁止条例は踏絵ではないし、失敗を責めたいのでもありません。
マジかどうかを問うものです。
しかし、マジにはいろんな種類があるでしょうし、誰でも失敗はするものです。
ですが、同じ方向を向いていればこそ(その旗の下に集う限り)、その失敗を取り返すことができるのです。
それも倍返しで。

AKB48は未来の正統派である ~ 「踏絵のアイドル」と「焚香のAKB48」 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1ac77147ea4e33f6ceef3a40ff34b0c5


私から見ると、渡辺麻友も指原もマジであるように見えます。
両者が評価されること自体はなんら不思議なようには思えません。


少し話を変えて、

指原のHKTでのマネジメントとしての役回りはわかりやすいですが、一方、渡辺麻友はどうでしょうか。
「彼女はリーダーとして何かをしているのか?」という問いが発せられて当然だと思いますが、実はしています。
それも大きなリーダーシップを発揮しています。
渡辺麻友はみんなの期待を背負う形で、その存在によってリーダーシップを発揮しているのです。
世代交代が行われる時に、この役割を引き受けてくれる人材がいることはとても幸運なことです。

逆に、ちょっと不幸だったのは他のキャプテンたちですね。
組織全体が落ち込む時、キャプテンというのは損なものです。
全体の落ち込みの責任の一端を背負わされるからです。
他のメンバーとは異なる基準で評価され、評価を落としてしまうという場面もあるでしょう。
そういう意味で今回の総選挙はわかりやすかった。
人は現状を打破したい時には強いリーダーを求めるものです。
その傾向が出たように感じています。
しかし、だからといって日常的な活動のマネジメントに価値がないわけではありません。
また見直される時期がくるでしょう。


私は、ここ数か月AKB48から離れておりましたのでちょっと第3者的な意見になりますけれども、総選挙において渡辺麻友と指原の対立軸が浮かび上がったこと、非常に喜ばしく見ています。
こういう価値の創造的摩擦を起こす内在的な力がAKB48にはまだあるのだと驚きました。
ここ1年失望することの多かったAKB48ですが、まだまだその瞳は死んでいないと思わされました。

これも渡辺麻友と指原という一見対称的な2人が、実は同じ旗の下に集っている仲間であるということなのだと思います。
「焚香のAKB48」なのです。

運営にはメンバーを守る意思がない ~「自己責任」の本当の意味~

2014-03-16 13:25:18 | AKB48_軽ネタ

忘れさられている観点があるから代弁しておこう。

みな「スルー」を打算的なものと解釈しているようだが、実態はもっと酷い。

戸賀崎さんの時も言ったことだが、運営としてスルーするのは組織の機動性を貶めるばかりか、本人を苦しめる残酷なやり方である。

断腸の思いでも何でも、組織として何らかの処分をしてケジメをつけるのはメンバーを過剰な攻撃から守るための優しさであり思いやりである。

今回のことであれば、半年間程度の研究生降格、選抜凍結、兼任解除あたりで禊のチャンスを与えてやれば、まだ本人にも努力のしようがあるだろうが、スルーではどうしようもなく手が詰まる。

どうやら最近の運営にはメンバーを守るつもりがないらしい。

酷なことをする。

これが本当の「自己責任」の意味であろう。



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Google先生に聞けば何でも教えてくれる時代において、隠し事してどうする。

アイドルや、そのファンはピエロか。

違う。

これは政治でも企業のブランドマネジメントでも同じこと。

みんながわかっているのに、玉虫色で決着つけようとしても、そんなもの何の役にも立たない。

逆に、自分達を貶めるだけだ。

AKB48はタダでさえいろいろ批判されるが、自分達の進む道を信じなければ何もできない。

誇り高く生きよ!!

誇り高く生きるとは、条件によって人生を生きるということではなく、信念によって生きることをいうのだ。

信念は君達を貧しくも、孤独にもするかもしれない。

だが、それが君達の人生を気高いものにする。

美しくも、素晴らしくもするのだ。


変わりたくない人へ
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/d37210581b47b4c5f7349e05ad43a429


ググタス黒歴史記念!咲子師匠、あやりんに贈る『風は吹いている』
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7d18beac2c9b79c9486e83f4dc7618f3

人はどこかで心のバランスをとってる。

2014-03-13 13:17:28 | AKB48_軽ネタ
それぞれのダイヤモンド
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ace542f42bc7d4829e28372bb1dc31ef


人には多面性がある。

なぜか?

人格形成の過程において多面性が必要になるからだ。

「私の信条は、"正義は必ず勝つ"です。」と主張する人が、本当に正義しか認めなかったら、この人は生きていけないだろう。

不確実性のある環境下で生きていくのには、様々な面でバランスをとらなければならない。



表向き聖人君主と呼ばれる人が、実は裏でスキャンダラスな生活を送っているかもしれない。

外で壮大なビジョンを語る大演説家が、自堕落な生活で生活習慣病に苦しんでいるかもしれない。

おしどり夫婦が家では喧嘩ばかりかもしれない。

プロ意識が高く目先の利益に惑わされないと言われている人が、実はウソをついているかもしれない。


しかし、それは当然だ。

むしろ、「あの人はすごい」と言われるような人こそ、危うい。

特別なコトや無理をしなければならない人は、その反動を必ず何らかの形で処理しなければならない。

バランスをとる必要があるからだ。

だから、とりわけ特別なことを宣言しなければならないような人こそ、危うい。

自分を追い込んでいるわけだから。



ゆえに、問題はバランスが崩れることではなく、「どうバランスを取るか」ということなのだ。

本当の人生巧者というのは、このバランスの取り方を知っている人のことを言う。

しかし、人生経験の浅い若者に、このバランス感覚を持てと言うのは少し酷なことなのかもしれない。

佐村河内守というイノベーション

2014-02-12 22:18:23 | AKB48_軽ネタ
世間とは真逆のことを言う。


佐村河内守『交響曲第1番 HIROSHIMA 』
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0ebe8dab31cbcc5df38603638d561e96


私も感想を述べた交響曲第1番『HIROSHIMA』であるが、実はこの楽曲を作曲したのは、佐村河内守ではなく新垣隆であったわけだ。

私は驚いた。

すごいことが起きたと。

これはイノベーションである。


今回の話を総合すると、佐村河内氏は「作曲家ではなくプロデューサーであった。」という話である。

マーケティングの部分で意図的なウソがあったため、詐欺と言われても弁解の余地はない。

この部分について争う気持ちはこれっぽっちもない。



しかし、幾つかの点において誤解もある。

まず、楽曲について。

今は存在がなかったことにされそうな新垣氏が作曲した楽曲たちだが、時が経てば認められる可能性は結構ある。

後の時代の人たちはモノの良し悪ししか見ないからだ。

新垣氏は『HIROSHIMA』を作曲するにあたってマーラーやチャイコフスキーなどから多くのヒントを得たため「パクリだ」と批判されているが、実際のところパクリとかどうでもいい話だ。

それをいうと現代以降の交響曲っぽいもの、たとえば映画音楽なんかはほとんどチャイコフスキーとかラフマニノフとかクラシックのパクリである。

いや、似ていたり、ヒントを得たりということがダメなのであれば、モーツァルト以降の楽曲全てがパクリかもしれないし、全ては真似からはじまることを考えれば、その発想自体がナンセンスだ。


AKB48若手メンバーに贈る「創造的模倣」のススメ ~守破離~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0b68de7ff3d86d1def6ac1907ebdedfc


つづいて「作曲家」について。

そもそも「作曲家」という概念自体が怪しいと思う。

音楽に限らず、多くの分野で、ほとんどの作品では創造的模倣や共作は当たり前のことである。

たとえばマンガの製作においては、ペンをほとんど取らない漫画家もいるだろう。

今回の件も、佐村河内氏を「作曲家」というからおかしいのであって、「作曲チーム」と言えば何もおかしいことはない。

佐村河内氏をプロデューサーもしくはリーダーとする作曲チーム、「チーム佐村河内」なら納得である。

やすす先生が作曲家を使いこなしてこそのAKB48なのと、同じである。


そして私が最も驚いたことは、佐村河内氏が作曲に関しては素人に近いということだった。

ある人はこう言う。

「交響曲『HIROSHIMA』が佐村河内氏と新垣氏の合作だと知って納得した。」

どういう意味か?

今時、音楽的才能がある人は、交響曲など書かないのだ。

才能の莫大な浪費だからである。

にも関わらず1時間を超える超大作『HIROSHIMA』はこの時代に産み落とされた。

なぜか?

それは素人が作った「計画書」があったからだ。

専門家なら絶対にやらないであろう交響曲の作曲を、素人が何の制約も感じずに描いたアイディアを元に、一流の作曲家が四苦八苦してモノにしてみせたのだ。

この曲の出来が悪いわけがない。

これは、自分ではモノを作れないが優れた発想力を持つ経営者のアイディアを、一流のエンジニアがモノにする、という構図に似ている。

『HIROSHIMA』は、素人と当代一流の専門家という通常有り得ないコラボレーションによって生まれた伝説的交響曲なのである。

まさにイノベーションである。

(イノベーションは「組み替え」のことである。)


私は、感想の中で「21世紀の交響曲」だと書いた。

それは、今の時代に「交響曲」にお目にかかるとは思いもしないかったからだ。

外してなくてよかった(笑)

これからのAKB48の向かう方向性を示すために大組閣をする

2014-02-01 19:56:14 | AKB48_軽ネタ
大組閣について
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/8563d9a0d7b5f4ac130fbbd1795a6ae8

↑このエントリを補足しておきます。


私は大組閣に反対しているわけではありません。
今運営が「組閣をやるしかない」と判断したのであれば相当に手が詰まっている、ということを言いたいのです。
もし、組閣後のストーリーを何も示さずに組閣のみを行うようなことがあれば、ですね。

ですが、ふつうに考えたら組閣をやるなら何かとセットのはずです。
セットというより、「○○をするために組閣する」でなければ。
それが大義です。

もしその大義がないのならば論外。
そして、その大義があるにも関わらず、方向感覚を全く共有できず混乱しか生まないのであれば、地盤が緩んでるのであるから、ここで腰をすえて考えた方がいい、とういことです。

みんなサプライズよりも、一緒になって「大切なもの」を作り上げたいと考えているのではないでしょうか。
それなのに、いつも運営は「大切なものはこちらが作る」というわけです。
「これだ。これに価値がある。」と言うのではなく、「みんなでこっちを向かないか?」と言うこと、それが優しさであり思いやりでしょう。
そういうところに気を配らない緩慢さは、いずれ(もうすでに)跳ね返ってくると私は思いますよ。

AKB48のアクティビティ(たとえばCD販売)が評価されていることは、推しメン・システムの頑強さを示しているだけで、必ずしもAKB48が支持されていることを意味しない、と私は思います。
この点について運営は、よくよくわかっているとは思いますが。

支配人人事のために組閣やるのだとしたらがっかりです。
それは単に組閣することと質的には何も変わらないからです。
(私は支配人兼任はやめにして、監督制にした方がいいと思います。)


今回、AKB48は、これからのAKB48の向かう方向性を示すために大組閣をするのです。
たとえば、前に述べていた「オープンAKB48」計画とかね。

AKB48を外に開く。
ただし、その場合はしっかりと内の基盤を固める必要があり、そのために自己強化型フィードバックループが回る内部的なしかけを入れる。
外と内の両面で進めなければ。

しかし、その設計が今のAKB48運営にできるのかは、わかりません。
外部の力を借りてやるのかもしれませんね。

大組閣について

2014-01-28 15:50:56 | AKB48_軽ネタ
※私は大組閣について特に強い想い入れはないが、ただ、観ていて残念な部分がある。


過ちて改めざる、これを過ちという



これは論語の言葉であるが、非常に重い言葉だ。

朝令暮改は悪い事ではない。

拙速な判断はよくないが、誤ったと思ったら修正した方がいい。


ただし、全ては内容次第だ。

今回、大組閣をやらざるを得なかったのだとしたら、運営としては相当に手が詰まってる、と私は感じる。

トライ&エラーも、予定調和を壊すのは結構だが、壊すことでしか状況を打開できないのだとしたら、ここで腰を据えて熟考した方がいい。

創造的破壊とは、創造するために破壊するのである。

今回の大組閣で何を創造しようとしているのか、それがメッセージとして伝わってこないから混乱する。

青臭い言い方をすれば、「大組閣の大義は何か?」ということだ。

それは、メンバーやファン、スタッフら1人ひとりの気持ちを乗り越えても掴み取りにいく価値があるのか、それともないのかという話だ。

明確である必要はないが、今は不確定だとしても未来を信じさせることのできる何かをメッセージとして伝えることができるか、それが大切だ。


未来は創造し、育んでいくもの。

ものが乱暴かどうかではなく、メッセージを伝えようとしているのか?

これまでは偶然に無意識的に伝わっていたものがある可能性についても忘れてはならないし、今のAKB48コミュニティでは、運営が考えている以上に空気を共有できていないから、前ほど伝わらないこともよく考えた方がいい。

これは技術論や方法論の前に「思いやり」や「やさしさ」の問題だ。

混乱の中心に「人間性」があることから目を離してはならない。


「予定調和を破壊する」という成功体験を破壊できずにいるのが今の運営だと思われても仕方がないだろう。

Team8プロジェクトについて

2014-01-25 20:56:39 | AKB48_軽ネタ
※若干追記(コメント欄から転載)しました。


Team8プロジェクトについて思うところを述べようと思います。

当Blogでは以前からTeam8構想を主張してきましたので、ようやくここまで来たかと感慨深いものがあります。

当BlogのTeam8構想にそっくりじゃないか?!と言われますが幾つか違います。


まず、一つ。

TV局が軸になっていること。

これはTOYOTAがスポンサーである以上は避けられなかった制約と思いますが、本来ならマスメディアに依存せずYoutubeやGoogle+を駆使したところです。

(正確には、広告代理店の力を借りないと出来ないプロジェクトだということでしょうかね。)

地方のTV局と組む意味ですが、「あまちゃん」的な発想で考えれば、地方のお茶の間をとるということでしょうね。

地域性をもった愛されるアイドルという軸ならAKB48と地方の良好な関係性を構築できると考えています。

アイドルという枠組みを通してローカルとマスの融合をうまく体現できるかもしれない、という可能性は大いにあると思います。

ただ、それだと拡散性がないので、Google+やYoutubeをうまく使っていきたいところですね。

TV局が絡むとそのあたりのバランスがどうなるのか心配ですが、うまくやって欲しいと思います。


もう1つ。

Team8のメンバーを研究生ではなく、地方オーディションで集めるGMT47式にしたのであれば、なぜローカルアイドルとの兼任を認めないのか、という点です。

もちろんTeam8を優先する条件付き兼任制度です。

ローカルアイドルとの兼任を認めた上で、チーム8のメンバーには選抜総選挙への立候補資格を与えるのです。

チーム8のセンターを目指し、さらにはその先でAKB48のセンターを目指す。

この2段階の物語が醸成可能です。

ドラフト&ペナントレースよりもこっちの方が筋がよいでしょう。

ローカルアイドルとAKB48の両方を盛り上げるWin-Winの関係を構築できる可能性があります。

地方とAKB48の関係性を再構築できるチャンスです。


ちなみにTeam8構想の時に何度も説明しておりますが、Team8はAKB48グループでありながらも、マネジメントはAKB48とは独立したものにすべきです。

AKB48からの制約を受けないようにするためです。

AKB48と乃木坂46くらいの距離感が望ましいでしょう。

乃木坂46よりはちょっと近いくらいかな。


好き勝手言いましたが、ようやく動いたこの機運、ものにして欲しいと思います!

向田茉夏の卒業

2014-01-18 00:30:45 | AKB48_軽ネタ


向田茉夏が卒業か。

ネットでの存在感は大きかったので、なんだか寂しい気持ちになる。

前田敦子にしろ向田茉夏にしろ、あのタイプがグループ内にいて存在感を持ち得るということが、AKB48グループの面白いところだと私は思うよ。

そして、AKB48グループの中にいて新しく向かう先を見つけることはできなかったということが、より一層淋しくさせる。

何様のつもりだと言われるかもしれないが、私はこのままSKE48にいても向田茉夏がブレイクしたとは思わない。

しかし、単純に芸能界に向いてる向いていないだとか、競争うんぬんとかではなく、AKB48グループの中に入れば何か新しいものが見つけられる!という確信が薄くならざるを得ない今の現状に、どれだけの人々が危機感を持っているか、ということに危機感を拭い去れない。

彼女のような存在がAKB48グループの強さの象徴なのだ。

そして、彼女のようなタイプがブレイクする可能性を秘めているのもAKB48グループの強さの象徴なのだ。

私たちに必要なのに不足しているもの、それは「夢や目標を叶える場所」ではなく、「夢や目標を発見する場所」なのだ。


過渡期だな。

「見えている」ものと「知っているもの」は別モノ

2014-01-17 16:56:52 | AKB48_軽ネタ
線が平行に2本、並んでいる。

パッと見、下の方が長く見える。






この図はよく知られたもので「ミュラー・リヤー錯覚」という。

水平に並ぶ2本の線の長さは全く同じだ。


「なんだ、錯覚の話か?」


ではない。

この錯覚について知っている人は、たとえ下の線が長く見えたとしても、「2本の線の長さは同じです。」と言うだろう。

我々は、それを「知っている」からだ。

だが、それでもあなたには下の線が長く「見えている」だろう。


そう、「知っている」ことと「見えている」ことは別なのである。

さらに、ここで重要なことは、あなたは、あなた自身で「どう見えるか」を決めることはできない、ということだ。

「見えている」ことはあなたにとっての「事実」ではあるが、「現実」ではない。

ありのまま視野や視点を広く持ちたいのであれば、それが錯覚である、ということを知らなければならない。

さらにいえば、錯覚を引き起こすのは視覚だけではない。

我々は「思い違い」という認知的錯覚も引き起こす。

見たもの、感じたものが現実であるとは、まったく言えないのだ。

それゆえ、古代から人は精神的鍛錬によって一つひとつの錯覚を解きほぐし、知覚を超えて純粋経験を得ることができる、と夢を抱いてきたのだ。


なぜ、この話題を?

錯覚が起きる状況なのであれば、「知る」ことが大事だと思うのである。

知られたくないと身構えた時点で誤解されることは覚悟しなければならない。

ただ、錯覚が大好きな人もいるので、これが全てではない。

厳しい話だが、これも現実だ。


お互いに、という意味だ。

大島後のチームKのキャプテン

2014-01-11 19:59:16 | AKB48_軽ネタ
外からもってこない前提で考える。


順当にいけば倉持。

だけど、私だったら「ヒラリー」に賭ける。

平田梨奈をキャプテン、倉持をサブキャプテンにする。

平田の実直な人格を信じたいし、私はそういう実直さをAKB48に見たい。

そして、ぐぐたすを使って地味なプロモーションを展開しよう。

平田が先輩からいろんなことを教えてもらいながら、それをチームKに反映する形で進めるのがいいと思う。

海外出張公演をやるのもありかもしれない。


大島優子の卒業をどう活かすか考えた方がいい。

変わるんだ。

これまでとは違う姿になるチャンスだ。

当ブログによるTEPPENは、乃木坂46の生田絵梨花

2014-01-09 21:43:46 | AKB48_軽ネタ
このエントリは完全なる戯言です。参考にしてはいけません!





芸能界特技王決定戦『TEPPEN 2014』
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2013/131218-509.html


HKT48森保まどか ピアノ上手すぎww
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/d73f5a36c3e1a3d0d4fe9799796b9991



バラエティ番組に目くじら立てるのはどうかと思うものの、過去にピアノに関するエントリを書いたこともあり、どう思うかと聞かれたので私見を述べます。

少なくても私と、私の周りにいるピアノ有識者の人々にとっては、乃木坂46の生田絵梨花の演奏が抜きんでてよかったように感じました。

(私以外、AKB48/HKT48/乃木坂46の区別もつかない人たち)

もちろん、審査員の方々にも思惑があるのでしょうから、自分たちの評価を絶対視するつもりは全くありません。

感性の問題を定量化するつもりも絶対化するつもりもありません。

ただ、いま思うのは、次回からは採点基準を明確にした方がよい、ということです。

審査員の評価を疑っているのではなく、「審査員がどういう評価をしたかがわかること」が重要だと考えるからです。

そこがブラックボックスのままだとガチ度が落ちますので、観てる方が興醒めしてしまいますし、TEPPENの格も落ちるでしょうから、しっかりした方がいいでしょう。


さて、松井咲子(AKB48) → 森保まどか(HKT48) → 生田絵梨花(乃木坂46) の順で弾いたわけですが、私は生田が弾き始めて10秒で生田の勝利を確信しました。

ので、生田の敗退を自分の中で消化できずにいて、今日までエントリ化できませんでした。


松井は非常にうまく、そしてゴージャスに弾いたと思います。

音大に通っていることもあり、演奏には表れていない部分を含めた総合力の高さを感じさせるものがあったように思います。

そして、生田の点数87点の発表の後に私が松井の91点について率直に感じたのは、審査員はまさにその演奏には表れていない部分の総合力まで点数に入れてしまったのか、ということです。

#これでは勝てないよなと。


森保の技術的なレベルの高さにも目を見張るものがありました。

タッチが軽やかで、和音の安定感には驚きました。

審査員も述べておりましたが、クラシックのピアノ・コンクールならば評価が高くなるのではないでしょうか。

しかし、ピアノをデジタルに弾き過ぎたため、聴き手の気持ちを盛り上げるのが少し難しかった気がします。

評価は難しいところで、審査員が何を基準に点数つけるか次第だと思います。


もともとピアノはデジタルですが引き方次第で情緒にうったえるアナログになるのです。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/5d4a9a006fb00b5b4327500d7ea985ea



しかし、生田の演奏はダントツで良かった。

とにかく音がキレイで、リズムが見えるくらい音のノリがよかった。

あの音のキレイさだけで、TEPPENに相応しい。

(以前Youtubeでプロコイエフを弾いているのを視聴した時には感じなかったのだが)

これはピアノを自分のモノにしている人の演奏だ。

生田なら「のだめカンタービレ」の野田恵をやれる。

そう確信させるTEPPENでした。


ということで、当BlogによるTEPPENは、乃木坂46の生田絵梨花でした。

AKB48第2章は三銃士とチーム4が天下を取るまでの物語 ではないと思う。

2014-01-08 00:36:03 | AKB48_軽ネタ
AKB48第2章は三銃士とチーム4が天下を取るまでの物語(AKB48タイムズ)
http://akb48taimuzu.livedoor.biz/archives/36220937.html


う~む、しっくりこないなぁ。

ここずっと↓のエントリがアクセスされてるのだけど、↑と同じ主旨のエントリだと思われるのは本意ではないので補足しておきたい。


チーム4を組閣でいじるべきでもないし、JPN48もいらないということを、今一度説明してみる
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/32bcca4fef220cd7ac0819eb84bf620c


チーム4でAKB的な成功を収めても仕方がないと思うのですよ。

まずもってそんなこと出来ないと思う。

誰が喜ぶのそんなことして?

チーム4のファン?

それって発展性があるのかね。

そうではなくて、当Blogが主張してきたのは、チーム4というアイドルでブレイクすることが大事。

課題は経営資源の配分だと思うのだけど、

回せないなら、何かをアウトソースしてでも、こっちに集中投資するべき。

誤解されたくないのは金かけようっていう話ではなくて、しっかり独立したチームとしてマネジメント含めて創り上げようという話。

冗談半分だけどHKT48を指原にアウトソースすれば・・指原がキレそうだけど・・むしろそこと勝負になっていいのでは。

ただ、大島優子の卒業が決まったし、チーム4をスピンオフする余力がどれだけあるか・・は未知数ですが、チーム8は作らずに15期以降はAKB48、チーム4だけ別というのもありかと思ったりもしますね。

新チーム4のメンバー構成が今のままが最適かどうかは、1人ひとりをよく見ていないので議論の余地があるような気もしますが、まぁ無責任発言です。

紅白での大島優子の卒業発表はサプライズでも報告でもなく、演出である。

2014-01-03 04:04:04 | AKB48_軽ネタ
最近AKB48にかける時間が減ってしまったため空気を読めていないかもしれない。

が、私なりの解釈を述べようと思う。



なぜ紅白でヘビロテをセトリに入れたか、から入れば全体像を理解できる。

ヘビロテが大島優子の曲だからであり、ヘビロテがAKB48の代名詞だからだ。

「AKB48=ヘビロテ=大島優子」という構図、これがこれまでの「AKB48」だ。

大島優子が卒業するのであれば、紅白で「AKB48」をセトリに入れるには今回が最後のチャンスだったのだ。

「恋チュン」と「ヘビロテ」、「新しいAKB48」と「これまでのAKB48」のクロスオーバーを演出したい人にとって、それはどういう意味を持つのだろうか。

それは、舞台として紅白を選んだ、ということになるのだが、同時に「恋チュン」と「ヘビロテ」の2曲を競演させることができるのは、今回の紅白のタイミングしかない。

そういう意味で、「AKB48の私的な話をなぜ紅白(公共の場)でやったのか?」という批判はピントがずれている。

卒業発表を紅白でしたかったのではなく、AKB48を演出をしたかったのだ。

つまり、大島優子の卒業は、AKB48の演出に使われたということだ。


大島優子ほどのキャリアと知見を持ってる人物なら、紅白で卒業発表をすれば批判されるであろうことくらいよく理解しているだろう。

そして卒業発表のタイミングと、どう表現するかなどといったことのほとんどは彼女に任されてるであろう、ということもよく認識しておくべきだ。

その上で、あえて紅白での卒業発表を彼女は選んだ。

それが彼女の意思であったかどうかに関係なく、最後に彼女がそう選択した、ということの意味をもっと噛み締めるべきだと思う。

大島優子は、最後までAKB48を背負っている、ということだろう。

重ねてこう言おう。


本当にありがとう、大島優子。


ありがとう、大島優子
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/2578a18c9a27c6aa40c3e7f1702d21ce



ちなみに、上記の意味からすると、AKB48が紅白でヘビロテを歌うのはこれが最後になるのではないか。

AKB48グループとして年頭所感を出すべきだ

2014-01-02 09:47:38 | AKB48_軽ネタ

ありがとう、大島優子
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/2578a18c9a27c6aa40c3e7f1702d21ce


のつづき。


AKB48グループが置かれている今の状況は、姉妹グループが地方に根差していなければAKB48に統合することを考えるくらいの危ない状況だと思う。

今、手を打たなかったら、あらゆることが後手に回ると思う。

私だったら、SKE48もしくは乃木坂46を、たとえば「横浜みなとみらい」に持ってくるくらいのことも考えるだろう。

交通の便を考えると、みなとみらいは若干不利だが、それが逆にいいようにも思う。

ガチな勝負を演出して都市効果を得たいと考えるなら、そのくらいの近接性が欲しい。

SDI48やSPR48をやってる余裕なんてないのではないか。


以上は、そのくらいの認識を持つべき状況だという話を合わせるためにしただけなので、本題に移ろう。



AKB48運営は、早く年頭所感を出すべきではないか。

昨年続いたスキャンダル、そして紅白での大島優子卒業で、AKB48グループには悪い意味でのアノミーが発生しやすい状況だと思う。

アノミーとは「分化した機能を統合する相互作用を営まないために共通の規範が不十分な状態」をいう。

この状況が継続されると、モチベーションが下がり、だんだんと気持ちが離れていくだろう。

今、わかりやすいストーリーが必要だ。

現状認識を示し、今後の方針を述べるのだ。


AKB48グループは、今年はこういう方針で活動していく。

こういう価値観を大切にし、こういう活動を積極的に評価していき、全体の力へ繋げていく。

そして、その結果をメンバー、ファン、スタッフ、AKB48グループに関わる全員に還元していく。

しかし、それにも増して新しい可能性については常に窓を開いていく。

そのために、これまでの慣行や価値観を変えていくことについても覚悟をしている。

既成概念にとらわれない新しい考えや意見を求め、共創関係を築ける相手がいると思えばどこにでも会いに行って話を聞く。

また、東日本大震災に関するチャリティーや、これまであまり力を入れることができなかった地方にも積極的に関わっていく。

これまで興味関心を持ってもらえなかった人たちにも見てもらえるAKB48、

関心を失い離れていった人たちを再度惹きつけるAKB48、

今見てくれている人たちにはさらなる進化をしていくAKB48を魅せる意志を強く持ち、まだ見ぬAKB48に挑戦していく。

もちろん、この物語の主役はAKB48に関わる全員だ。

AKB48に関わる全員にとって今年が最も良い年になるよう、AKB48も我々も進化していく。

今年も、どうぞよろしくお願いいたします。


とかとかね。

そういうことを発信できる人を運営の代表に置くべき。

今言えなくなっているとしたら、変えるべき。

知らず知らずのうちに自分たちの行動原理が変わっていることに気づいた方がいいと、思うよ。

いきなり具体的な話になるけど、私としては、今年はじゃんけん大会をやめて、前から主張してる「冬の選抜」をやったらいいと思うよ。

今年から「夏の選抜」と「冬の選抜」やるって言っちゃいなよ。



言葉が過ぎましたかな。

ありがとう、大島優子

2014-01-01 08:54:02 | AKB48_軽ネタ
あけましておめでとうございます。

お久しぶりの更新です。


昨夜、NHK紅白歌合戦を観ました。

司会の綾瀬はるかのタドタドしさと、「あまちゃん」の演出がよかったです。

それとやっぱり大島優子の卒業ですね。

印象的だったのは。

いろんな想いがあって言葉にするのが難しいのですが、

率直に言えば、「(これまでAKB48を支えてくれて)ありがとう」と思ったし、「来る時が来たな」と感じました。

はじめて「ありがとう」と思えるメンバーの卒業であったと同時に、

驚きはしませんでしたが、少しショックを受けました。

驚かなかった理由は、大島優子が潜在的にいつ卒業してもおかしくない、と考えていたからです。

みんなそういう気持ちでいたと思います。

ショックだったのは、大島優子にとってのAKB48が「卒業すべきもの」であったという現実を、目の当たりにしたことです。

一時期において、自分自身が描いていた「AKB48の未来」と、昨夜見た「AKB48の現実」のギャップを受け入れるのに少し時間がかかりました。

「状況が違えば、違った未来もあったのではないか?」という想いをどうしても拭い去ることができません。


しかし、名実ともにAKB48の代名詞であった大島優子が卒業するという、

こんなにインパクトの大きなことはありません。

未来が決められた定めである必要はまったくありませんし、

未来というのは常に創られていくものですし、まだ見ぬ可能性をいつも秘めているものですから、

この卒業をターニングポイントにして、私なんかの考えを遥かに超えていく、AKB48にはそんな存在になって欲しいと切に願います。


2014年が、大島優子とAKB48にとって素晴らしい年になりますように。

ありがとう、大島優子