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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

ニュースつまみ食い 胃もたれ気味

2011-03-28 22:30:38 | ブログ情報(News Release)
ネタ元が夕刊紙とかスポーツ新聞というあたりで、そんなネタだと思ってください。
(どういうネタ?それは想像にお任せします)

テレビ局スタッフもPTSDに…報道映像がトラウマ(夕刊フジ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110328-00000011-ykf-ent

TVや新聞で悲惨な状況が一切報道されない件について。
衝撃的過ぎて苦情がすごい出ることや、PTSDを訴える視聴者が増えることはあるでしょうね。
たぶん、今回の衝撃度は半端ないと思います。
だって、幾つもの戦場を見てきたあの戦場カメラマンでさえ・・

渡部陽一氏も惨状に震えた「こんな光景は見たことがありません」(スポーツ報知)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110327-00000220-sph-ent

NHKが地震直後に津波が押し寄せる状況を生放送していましたが、走っている車などが飲み込まれそうになるとカメラワークを変えていましたからね。
当日、私は帰宅難民化して会社で一夜を過ごしたのですが、TVを見ながら「なんで映さないんだ?!」などと同僚と言っていましたが、見なくてよかったです。
きっと見てしまったらただでさえ地震直後で動揺していたのに、一層気分が滅入ってしまうところでしたね。

TVや新聞などは受け手に関係なく一方的に伝達されてしまいますからね。
そういう意味では、NYTの記事とか、女川の様子とか注目を浴びていましたが、ネットでは見るか見ないかは視聴者に委ねられているわけですから、ネット上では公開してもよいような気がします。
最近は、実際に被災地に行って戻ってきた人達の情報などもブログなどであがってきてますから、知りたい人はネットでとなってしまうでしょう。

でもそうなると、余計にネット弱者などの情報弱者の方々が現実離れしてしまって・・という危惧がありますね。
「お花畑映像ばかり見て暮らす人々」と「地獄絵図を見て暮らす人々」とでは話が合いにくいという気もしますが、このあたりの問題をどう考えるべきか、少し悩みます。
お花畑映像ばかりを見ることが決して悪いわけではないのですが、これからの話について意見が食い違うのは避けられないでしょうね。


それと、地震後は本当にいろいろなデマが出回っているので、たまにデマ掴まされてしまうわけですが、これは本当なのでしょうか?

東電「決死隊」1日2食の劣悪環境 一時は水も1・5リットルのみ(産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110328/dst11032814430035-n1.htm

もし本当なら信じられない状況で、福島原発問題に対処する作戦本部は十分に機能していないとしか言えない。
非常に慎重な仕事が求められている人々に十分な環境を与えていないのだとすれば、まさに帝国陸軍みたいな状況じゃないですか。
ひたすら現場の作業員の規律に依存しているような状況だと、いつ大事故が起きるかわかりませんよ・・。



こ、これは・・・何が不謹慎なのかわからない(T-T)

ニホンムラハオソロシイデス

「読者に不快な思いさせた」 林真理子ブログで「お詫び」(J-CAST)
http://www.j-cast.com/2011/03/28091497.html?p=all

東京の水は戻った

2011-03-28 21:36:28 | ブログ情報(News Release)
これを見る限り検出できないところまで落ち着いたみたいだ。
少なくても浄水場の値は戻った。

放射線ヨウ素131検出量調査結果


あのフィーバーはなんだったのか。
誰かが言ったがバブルと同じメカニズムだな。
リーマンショックの時に散々「強欲資本主義!」と叫んでいた人々が、買占めに走るんだから。
これで世界には「強欲な人々」と「そうでない人々」がいるのではなく、欲深い人間が1種類いるということがよくわかって良かったのではないでしょうか。
そういう自分と他を分けて考える限り、真なる意味での想像力というのは身につかんでしょうな。
きっと自己反省もなしに事が進んでしまうのでしょうけれど。

にしてもマスコミ拡声器は恐ろしい。

市民社会の到来?:「被災者」か「リーダー」か

2011-03-28 15:52:31 | 社会
今はまだ気にならないが、皆が「復興」のビジョンを語りはじめるとき、我々は国家と市民社会との間を行き来することになるだろう。
こういう時、被災地の指導者には、「被災者」としてではなく「リーダー」として振舞ってほしい。
国家から施しを受けるのではなく、自分達のために助けを引き出し、投資を呼び込むのだ。

順風満帆な時なら誰でも輝ける、逆境の時に輝ける者こそが英雄だ。

下記は市民社会を念頭においた名演説だが、人間の心情として、これは被災した立場の者にしか言えない。
今回であれば誰が言えるのか・・県知事達にこれが言えるか?
「市民社会」という文脈では民主党の十八番のはずだが果たして・・。

東京市長永田秀次郎、関東大震災後の名演説「市民諸君に告ぐ」
http://kousyoublog.jp/?eid=2572

大正十二年(一九二三)九月一日に帝都東京を襲った関東大震災の半年後、新たな東京を作るための区画整理の認可が降り、大正十三年三月二七日、整理地区が告示された。その発表とともに、東京市長(現在の東京都知事東京府知事が現在の東京都知事にあたり、その下で東京十五区を統括する立場にあたる)永田秀次郎は「市民諸君に告ぐ」と題した演説を行った。


「市民諸君に告ぐ」

市民諸君
我々東京市民は今やいよいよ区画整理の実行にとりかからなければならぬ時となりました。

第一に我々が考えなければならぬことは、この事業は実に我々市民自身がなさなければならぬ事業であります。決して他人の仕事でもなく、また政府に打ち任せて知らぬふりをしているべき仕事ではない。それ故にこの事業ばかりは我々はこれを他人の仕事として、苦情をいったり批評をしたりしてはいられませぬ。


[中略]

昭和五年(一九三〇)十月一日、再び東京市長となっていた永田秀次郎は東京市の自治記念日の式典で演説を行った。帝都復興事業の完成を祝い、市民を労い、しかしまだまだ解決すべき困難な課題が山積していることを喚起する「帝都市民諸君に告ぐ」と題されたその演説の最後はこう結ばれている。


東京市を救うものは東京市民である。東京市政の利害得失を真ともに受けるものもまた二百三十万市民である。



しかし、皮肉なことに。


永田は東京市長から鉄道大臣などを歴任したのち政界から引退、故郷淡路島に帰り、青嵐と号して俳人として余生を送る。昭和十八年(一九四三)九月十七日逝去、享年六七歳。東京が空襲に見舞われるのは翌昭和十九年からである。彼が復興に心血を注いだ東京が焦土と化すのを目にすることは無かった。

[妄想] 事故後の駆け引きがはじまっているのでは?

2011-03-28 15:24:10 | ブログ情報(News Release)
このエントリは妄想です。

[FT]それでも東電は生き残る 破綻・国有化の可能性低い(日経新聞)

私が邪推するに、既に国と東電との間で"事故後"に向けた主導権争いの駆け引きは始まっていて、それは枝野官房長官の東電への強い批判などから読み取れる。(気がする)
問題は、国が民主党なのか経済産業省なのか、そこに自民党まで絡んできて、非常に複雑な利権構造があって、難しい舵取りが求められると思われる点だ。
東電としても、これまでの天下りチャネルやバラ撒い借りなどをフル活用して抵抗してくると思われるが、今は表立った活動は厳禁だろうから、とにかく耐え忍ぶことが第一目標になるだろう。
ただ、この事態をできる限り穏便に収束させることが東電にとっての生命線であると同時に、これは国も国民も同じなので、この点については皆の利害が一致するから、今皆が同じ方向へ向いている状況は当分は維持できる。
問題はその後だ。

ただ、これまでと根本的に異なる点は、今回ほど国民的関心を集めるチャンスが潤沢な機会はない。
管直人がこれまでのように腰砕けにならないためには、いかに国民的関心を自分達の目標に向かって集めることができるか、という点にかかっている。
東電の解体議論を下手に進めて魑魅魍魎たちの食い物にされないことを願う。

技術が人間社会を規定する

2011-03-28 09:16:35 | ブログ情報(News Release)
題名に対して内容が軽いのですが、いろんなものに当てはまるのではないかという気がします。
今日的な文脈だとエネルギーとかね

不覚にも体調を崩してしまいダウンしてました。朝生を見た後にほとんど眠らないまま出掛けていたのですが、これがだめだったかもしれません。筋肉痛と同じで歳を重ねると次の日ではなく次の次の日に出てしまうというのが認めたくなくても認めざるを得ない事実なのかと思い無念です。

さて、私は今、とあるカフェで初めて携帯でのブログ更新に挑戦中です。若者はみんな携帯でブログ書いてるらしいですが、改めて世代間ギャップを感じてしまいます。思考スピードにタイプスピードが追い付かずイライラしてしまいます。といっても私は親指族ほどとはいかないまでもメールで鍛えた携帯入力スピードは早い方だと思います。両手の親指を駆使してますから相当自信あります。

ところで、若者はどうやってこのギャップを克服してるのでしょうか?非常に興味があります。そこで、ちょっと考えてみました。
(けして暇なわけでは…)

最初に排除しておきたい考えは、若者が言葉をあまり必要としない浅い文章しかかかないってことです。浅い深いは相対的な基準によるものなので見てる側が浅いと思っても本人にとっては深いかもしれません。

次にタイプスピードが早いから問題が起きないという可能性について考えます。この問いの重要性は「タイプスピードが何に対して早いか?」という点にあると思います。私は普段PCを使いますからキーボードの入力速度に合わせて思考の仕方が最適化されているのではないかと考えます。ゆえにPCに比べて携帯の入力スピードが遅くてイライラします。よく考えてみると、タイプライターが誕生する前に筆で文字を書いていた時、たぶんその時は手で書くスピードに最適化されていたのではないかと思えてなりません。

この考えの要点は、思考のスピードだけでなく人が物事に取り組む際の行動様式、フレームワークといったものは、人間側で決めているのではなく、周りの環境にかなり強い影響を受けているという点です。これは社会や人間が技術を規定しているのではなく「技術が社会を規定する」という視点です。ベルトコンベア(大量生産方式)が人間社会に与えた影響、携帯やネット以前と以後の生活様式の変化、など見ると、そう考えることもできるでしょう。

後は、ありがちな意見ですが若者は想いを言葉にするのに言葉の数が少なくても伝わる術を開発しているのではないか?ということです。日本は欧米社会に比べてハイコンテキスト社会と言われますが、若者社会は大人社会よりも遥かにハイコンテキストであるように思います。ハイコンテキストが行き過ぎてカーストと呼ばれることもしばしばです。自分の経験からしても、空気の支配は日本の教育界の伝統である気がします。

ふぅ…携帯で書くのは疲れる。節電のせいでカフェが寒い…。
さて、これから何するかな。

え?仕事?

今日は用事があったので休暇を入れてたのですが用事がなくなって宙に浮いているのです。とりあえずいつも通り家を出たのですが電車に乗るのをやめたのです。とりあえず普段いかないところにいってみよう。