急いで書いたのでまた後で修正する可能性があります。
批難覚悟で・・・・(藤波心)
http://ameblo.jp/cocoro2008/entry-10839026826.html
藤波心さんというアイドルのブログが注目を集めているそうです。
読んでみると「原発」に関する内容で、とても中学2年生とは思えない知性的なものです。
彼女は「反原発」のポジションをとっているため、私とは意見が逆なのですが、ただ主張はよくわかります。
昨日取り上げた内田先生と基本的には同じスタンスです。
いわゆるブラックスワン的な観点で原発を考えているわけですね。
原発というのは、(確率は低いが遭遇すると大損害を被る意味での)テイル・リスクを軽視してベネフィットを得ようとする行為だと。
しかし、その結果として稀ではあるが、長年のベネフィットを一気に吹き飛ばす大損害を被ることがあり、まさに今がそれであると。
そうした認識に立って、内田先生や藤波さんが提唱するのが「原発停止」。
首都圏にお住まいのみなさんであれば、「原発停止」したら経済活動が停滞するのは、今回の計画停電で嫌というほど理解したと思いますが、内田先生や藤波さんは「それでいいんだ。」「ライフスタイルを変革するんだ。」「新次元の生活様式を手に入れるのだ。」と主張しています。
私は、その考え自体を否定するつもりは全くありません。
なぜなら、私自身も「現状の生活が最高」などと考えているわけでは全くないからです。
より幸せな人生を歩めるのであれば、そうしたいと日々考えています。
そして、それが「原発停止」によって得られるのであれば、賛成です。
しかし、私にはどうしても"今"「原発停止」することによって、より幸せな人生が歩めるとは思えないのです。
少なくても、今「原発停止」すれば東北地方にて被災された方々への復興支援は大きく後退すると思います。
「原発停止」を実施してしまえば、電力供給が低下しエネルギーコストは跳ね上がり、結果として生産活動が停滞し、物資の供給も停滞します。
藤波さんが援助した物資の調達も、これまでの経済活動があればこそ可能なのです。
単に貧しくなるというだけではなく、日本国内の産業は空洞化し、雇用は失われ、失業者が街に溢れ、社会情勢は不安定化し、治安も悪化していくでしょう。
私には、それが認められません。
内田先生や藤波さんは「そうはならない」というのかもしれませんが、「そうはならない」保証はどこにもありません。
「そうあって欲しい」というだけでは、「想定外」を言い訳にする専門家と同じレベルの議論でしょう。
どうして日本人は貧しく賢く生きれるとお思いになられるでしょうか。
そんな保証がどこにありますか。
「想定外」に結果が異なったらどうしますか。
「想定を超える変化が・・」とか言い訳をするつもりですか。
原発の即時停止など絵空事にしか聞こえない提案です。
将来、原発のない世界を作ることができるかもしれませんが、そこまでの道のりは決して短くはならないはずです。
真っ当に考えれば自然と物事には段階というものがあることに気づくはずです。
この現実の世界は、即座に結果が得られるような簡単な仮想世界ではないのです。
小さな出来事がやがて大きな変化を生み出す力になることもありますが、それにも時間が必要です。
宇宙の法則からはみ出して飛躍することは誰にもできない。
「時間」が何かという点について物理学者も哲学者も完全な答えを持っているわけではないですが、でもすくなくても我々が現実だと思っている世界には「時間」というものが関係しています。
残念ながら文学者や理想主義者たちには、「時間」という概念が少し欠けているように思えます。
ついつい人間という生き物は、問題が一気に解決する方策を好みます。
しかし、現実の問題というのは様々な要因が複雑に絡んでいるため、簡単にはいかないことの方が多いのです。
「原発の即時停止」などの意見を聞くたびに、まるで、日米安保に対する平和主義者の主張のようだと思います。
「軍隊はいらない」「戦争反対」「米軍は出て行け」
言うのは簡単ですが、どうやって実現するかは簡単ではありません。
「平和」を叫ぶだけで争いことが止まるなら、どうして世界中で戦争がなくならないのか。
誰だって戦争を望んでいるわけではないのにも関わらずです。
私には「原発の即時停止」と「米軍の即時撤退」は同じ構図に思えてなりません。
この議論に答えが出た験しがありません。
地に足をつけた議論が展開されない限り「安保」と同じく「原発」も永久に続く議論となるでしょう。
★★★★★★★★★★★★
(この話はある本の内容を独自に脚色したものです)
少し前の話です。
米TIME誌が「20世紀の人物」を選びました。
その人物は「アルバート・アインシュタイン」でした。
それを見た人々は「?」と思いました。
確かにアインシュタインの業績は大きいが、しかし相対性理論は彼が発見しなくても5年以内に発見されたであろうといわれているものです。
20世紀を代表する人物としてアインシュタインが選ばれるのはよことなのだろうか?
皆が、他にも選ばれるべき政治家や活動家がいたのではないか?と思いました。
TIME誌の真意を確かめたところ、あることがわかりました。
TIME誌は20世紀の重要人物をピックアップして、その中からアインシュタインを選んだのではなく、20世紀を代表する産業として「科学技術」を選んで、その中から代表的人物としてアインシュタインを選んだのです。
20世紀は科学技術が飛躍的に革新しました。
しかし、20世紀は本当に科学技術の世紀だと言ってよいのでしょうか?
実は、これは人々の心理を如実に表していると言えるでしょう。
人々は生まれながらにして科学技術への罪悪感や不安、恐れといったものを抱いているのです。
原始的な生物だった時からつい1世紀ほど前まで、長らく人類が使用可能だったエネルギーは些細なものでした。
コントロール可能なレベルのエネルギーしか使ってこなかったのです。
それが20世紀に入って人類は莫大なエネルギーを手にしました。
人類は、先天的なものとして、このエネルギーの使い方を知りません。
人類が科学技術とエネルギーをコントロールできるのだとすれば、それは生まれた後、科学技術に関する教育によってのみ可能なのです。
科学技術をコントロールする力は、生まれながらにして備わっている能力ではないのです。
ゆえに、科学技術に関わる者を教育する養成機関(特に大学)では、必ず「科学技術倫理」といったものを必修にし、初めに叩き込むことにしています。
科学技術に関わるということには訓練が必要なのです。
(訓練されていない者が科学技術について語る時に説得力がない理由でもあります。)
人類は科学技術の力を手にしました。
これを即時破棄することは文学や夢物語としては面白いですが、現実ではありません。
我々は現実に直面し、そして現実に向かっていかなければならない。
科学技術者たるものは、こうした認識のもとに、日々現実(過去・現在・未来)に立ち向かっているのです。
たとえ、将来的に破棄する方向へ向かうとしても、今立ち向かっていくべきものがあるのです。
そうした認識に基づくと「原発の即時停止」などというものが実に非現実的な絵空事なのだと思えるのではないかと、私は思います。
あくまでも私の意見です。