進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

[つぶやき] やっぱりね

2010-08-31 18:58:53 | 経済
現状からすれば「やっぱりね」という感じ。

円高問題については、評論家ではなく専門家に話を聞きたい(進化する魂)
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/769bdd24a9120191caa9022560d4b521

金融業界の相場を動かしたい猛者どもにいいように踊らされたマスコミに宣伝に使われて・・


[24時間テレビ] くだらない批判が多すぎるからこそ、やる意味がある

2010-08-30 15:49:50 | TV・書籍
毎年のように繰返される「24時間テレビ」批判。
批判理由は様々のようだが、つまらないものが多いようだ。

私は、数年ぶりに24時間テレビをがっつり見た。(こんなに見たのはじめてかも・・)
日曜日の昼間は八景島シーパラダイスで遊んでいたので見れなかったが、それ以外はほとんど見た。

事前に24時間テレビ批判については知った上で見たが、
普通に面白かったし、いろいろ考えさせられた。
浅い理解にしか繋がらない表面的な番組編成に対して不満はあるものの、
嵐の桜井くんが番組内でも言及したように、

一つ一つの問題について深い理解を得られないとしても
「自分達にできることは何か。まずは知るところからはじめるしかないんじゃないか。」

教科書どおりの発言であるが、しかし、その通りなのである。
その方法論が王道であり、正攻法である。
一つの障害や病気について深堀しようとすれば、それだけで24時間かかってしまうし
そして何よりも、その障害や病気に関わらない人は、そんな24時間テレビを見ようとしないだろう。

誰にも見てもらえない困難を取上げた番組を作成しても、
そんなものは製作者の自己満足にしかならないし何の意味もない。

私は、昔聞いた日本テレビのある番組制作者の言葉を今も忘れられない。


テレビ局にとっての最大の資産は何か?
それは、決してコンテンツ(番組)ではない。
人にその番組を見たいと思わせる力、「編成力」だ。


砂漠のオアシスにロバを連れて行っても、
オアシスの水を飲むかどうかを決めるのはロバだ。
コンテキストを発火できるかどうかだ。

24時間テレビも、これと同じだ。
どれだけ内容の素晴らしい番組を作成しても、
最終的に消費者が動きを変えなければ何の意味もない。
見てもらって、そして何かを感じ取ってもらえなければ、番組として何の価値もない。

私は日本にこのようなテレビ番組があることを誇りに思う。
純粋に日本人としてそう思う。


日テレ24時間番組に対してYahoo!のコメント欄が大荒れ「数億円のCM収入料とタレントのギャラを、全額募金しろ」([2ch]ニュー速VIPブログ)
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52363584.html


毎年この季節に恒例の番組と言えば日本テレビの
『24時間テレビ33 愛は地球を救う(以下、24時間テレビ)』だ。
2010年8月28日、29日に放送され今年のマラソンのランナーは、はるな愛。

無事完走することもでき母と抱き合う場面もあった。
チャリティー番組『24時間テレビ』のゴール時点での募金額は
2億7992万6839円という集計が発表されている。尚、この数字は番組終了間際の仮集計で、
最終的にはこの番組を通し例年9億円~10億円の募金が集まっているようだ。

そんな『24時間テレビ』に対しYahoo!ニュースのコメント欄では
約1200件もの投稿がされており批判が相次いでいる。そんな批判の一部を紹介したいと思う。


これらの批判に真っ向から反論しよう。
批判のレベルが低すぎて話しにならない。


・三億円弱の募金集めるのに、15億円かける馬鹿な番組。


費用対効果について批判しているようだが、
24時間テレビの効用が募金にしかないとする狭い認識に基づく誤解。
24時間テレビの目的は募金なのではなく、
その視聴者に対する影響力であるので、この指摘は意味を成さない。
こんな理由で批判するのは単に批判したいだけの連中と思われる。

・日本テレビは、数億円のCM収入料とタレントのギャラを、全額募金するべき

24時間テレビの目的が募金の金額であるなら、この指摘にも意味があるが、
最初の批判に対する反論でも述べたが、24時間テレビの目的は募金の金額ではない。
番組意図を誤解した間違った指摘でしかない。

・なぜ午後8時45分にゴールなんだ? 完璧に計算されてる。

計算するのは当り前の話で、
製作者側の意図通りの作りを、意図しているからNGというのは批判になっていない。
無理のないペースで、番組のクライマックスにゴールすることが、
このマラソンの最低限の要件である。
このマラソンの目的は、競技大会とは違い計測時間を競うものではない。
必ずしも運動の得意でないランナーが苦難を乗越えてゴールする、
そのことに意味があるのであって、時間は関係がない。
計算すること自体を批判するのであれば、計算してはならない理由を述べよ。

・そろそろこの企画止めない? わざとお涙頂戴誘ってるようで、わざとらしい。

こういう社会的な想像力の欠如が問題なのであり、
むしろ、こういう想像力のない批判をする人々がいるからこそ
24時間テレビが存在する意義があるといっていい。
当事者にとっては涙だけでは語れない物語があるのだ。
それを第3者に伝えるためにはどうすればよいのか。
自分は絶対に当事者にならないと考えるならば、批判すればよい。
だが、そういう想像力が欠如する者に限って、
自分が追い詰められた時に自暴自棄になる。
神は準備の無いものを決して助けはしないのである。

・チャリティーの割にギャラ入るとか矛盾してるよな。

チャリティーとは募金のことなのか。
まったく言葉の定義も知らずして批判だけをする批判屋が多いことが、
この日本の閉塞感をよく表していると言ってもいい。
ギャラが入ると何に矛盾するのか、批判者は全く論拠を示せていない。

・次から次へと障害者を餌に涙をさそうのはやめようや 度が過ぎるといやになる

この批判には既に回答した。
ただし、私は24時間テレビの編成についてもろ手を挙げて賛成するものではない。
改善点は腐るほどあると思うが、その番組意図は、批判者の想像力を遥かに超えている。

・不謹慎かもしれないけどこの番組は障害者を”見世物”にしてるとしか思えないんだよね。

では、障害者をどう扱うべきなのか。
自分の批判の意味を理解しているとは思えない。

・最後徳光さんの実況がかなりウザいウルサい耳障りだった!黙れ!

聞かなければいい。
聞きたい人もいる。
むしろ、あなたの主観を他人に強要するな。

・24時間テレビを1秒も見ませんでした。

批判ではないね。

・感動の押し売りはやめてほしいですね。

感動するかどうかは視聴者の判断。
製作者は材料を提供するのみ

・AKBの前田って奴は感情が現れないのがよくわかりました。

なぜ?どういう根拠でそういう誹謗中傷をしている?
この批判者は、人の感情が読めるのか。
きっと読心術でも身に着けているのだろう。
こういう唯我独尊な批判者こそ危険である。
人の心を推しはかろうとしないからだ。

・その番組制作費を募金しろ

この批判には既に回答した。
もう少し考えてから出直して来い。

以上。

政局批判する前に「ブラックスワン」について考えよう

2010-08-27 14:21:39 | 政治
みんな世の中の仕組みがわかっていないと見える。

世の中は「勝者総取り方式」になっている。
「トーナメント方式」と呼んでもよい。

スポーツしかり小選挙区制度しかり、ビジネスしかり戦争しかりだ。

こういう世の中では、絶対的基準に基づいて相手に対して優劣をつける必要は無い。
相手を少し上回ればよい。
相手に勝るために、その道を極める必要はない。

小選挙区制度のもとで構築される政治の世界が、
全体最適のようなより絶対基準的に基づいて動くとは限らない。
いや、相手を少し上回ればよい勝者総取り方式において、そんなことをする必然性はない。
政治家が相手を少し上回る票を獲得するために全力を尽くすようになるのは必定である。

だから!だから!だから!!

首相公選制のように全国民から直接選挙で選ばれる首相を選んだり、
衆議院議員を100人にするなどして、1選挙区のパイを広げる必要があるのだ。
全体最適思考を政治の世界に取り込みたいのならね。


注意しなければならないのは、
「勝者総取り方式」には勝者にバイアスがかかるということだ。
例えば、トーナメント戦の優勝者が、
必ずしも1回戦敗退者よりも圧倒的に実力が上とは限らない。
サッカーワールドカップの優勝国が1回戦で敗退した国よりも
圧倒的に強いとは限らないようにだ。
その時点で相手より少しでも上回った方が残るというだけだからだ。

また、「勝者総取り方式」による勝者がずっと勝者だとは限らない。
というのも「勝者総取り方式」の勝者は、多分に不確実性に左右されているためだ。
不確実性の要因によって、勝者が敗者になる可能性が多分にある。
恐竜は「勝者総取り方式」になぞって勝者だったが、環境の変化によって敗者になった。
つまるところ、恐竜が勝者でいれたのは、「たまたま」環境が整っていたからだ。

その「たまたま」を過剰評価してしまうところが、人間の性なのだが。

このあたりの考え方はナシーム・ニコラス・タレブ著「ブラックスワン」を読んで欲しい。

実は「ブラックスワン」の考え方と、コミュニタリアン的考え方は相性がいい。
このあたりについてもいつか語ろうと思う。

中高教育で「これからの『正義』の話をしよう」を使っては如何?

2010-08-26 13:05:39 | 社会
サンデル教授の授業が日本で行われたようです。

サンデル教授、東大で白熱授業 正義について熱く討議(asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0825/TKY201008250419.html

人気の「白熱教室」の日本出前授業が実現した。米ハーバード大で空前の履修者数を誇るマイケル・サンデル教授(57)の来日特別講義が25日、東京大(東京都文京区)で開かれた。身近な題材から問いを投げかける有名な対話型講義に聴衆が積極的に参加し、本家さながらの熱い討議が繰り広げられた。

[中略]

サンデル教授の講義は日本でも今春から「ハーバード白熱教室」と題して連続放映され、大きな反響を呼んだ。講義をまとめた「これからの『正義』の話をしよう」の翻訳本は30万部を超えるベストセラーになっている。今回の特別講義は10月下旬以降にNHK教育テレビで放映予定という。


「これからの『正義』の話をしよう」は30万部を超えるベストセラーだそうです。
そういう私もすぐ買って読みました。

書評もそれなりに出ていて「わかりやすさ」を評価するものが多いようですが、
私の感想としては、普段から政治哲学に関心のある人を除いては、
突然この本を読んで、内容を理解できるほど簡単でもないと思います。
わかった気になることはできますけれど、
言っていることは、それほど簡単でもないと思います。

もちろん、サンデル教授の講義は「哲学」ではなく、あくまで「教養」ですから
哲学書を読むよりもずっと簡単です。
(実際の講義は、事前に多くの哲学書を読む必要があるようですが)
小難しい哲学書を幾つも読むよりは、この本は議論が整理されているので、
時間を短縮して政治哲学の論点をつかむことができる価値は多いにあります。
でも、だからといって内容が簡単ということにはなりません。
サンデル教授の説明がわかりやすいというだけで、言ってる内容は簡単ではないという意味です。

私がそう思うのは、もし30万人の人が、この本の議論に参加できるレベルであれば、
日本の政治的混乱ももっとマシになっているはずだと思うからです。

そういう意味では、ちょっと強引な意見ですが、
この本を学校教育に取り込んではどうでしょうか。
先生に読ませる意味もありますし、先生に説明させて、
そして生徒間で議論してはどうでしょうか。
噛み砕けば、中学生、高校生でも議論できる内容になると思います。

日本で道徳教育というと、なにか強制的な価値観の押し付けのイメージがあり、
多くの反論が生まれるのが必定ではありますが、
サンデル教授の本などを使って道徳議論をすることは可能なのではないでしょうか。

小沢の民主主義の限界 

2010-08-26 12:24:09 | 政治
小沢も老いたか。
どうしたのか。
残念極まりない。

一部分を除いては、非常に素晴らしい講演だが、
そのたった一部分がこの講演の全てを台無しにしている。
自分で自分の講演を無価値に陥れてしまっている。

まずは、素晴らしい内容から。
以前から当Blogで小沢を支持するのは、日本で唯一、民主主義を理解する政治家であるからだ。

【小沢氏講演要旨】「日本のあらゆる分野で精神の荒廃、劣化が急速に進む」(産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100825/stt1008251212007-n1.htm

絶対にあり得ないと思っていたアメリカ社会で、黒人大統領が誕生した。危機にあって変革を訴えた(オバマ)大統領を選択した。私は決してアメリカ人を利口だと思っていないが、自分の意志による選択を実行していることを高く評価している。

 政治経済ともに困難な時にあたって、日本人自身が自立した人間(になって)、自分で判断し、行動し、責任を持ち、きちんとしたモラルを身につけることが大事だ。今こそ急がば回れ、教育に思いを馳せなければならない。


小沢氏「米国人は単細胞、英国は紳士面してる」(YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100825-OYT1T00995.htm

米国のオバマ大統領について「絶対、黒人大統領はあり得ないと思っていた社会で、黒人大統領が誕生した。黒人が出たら暗殺されるといううわささえ以前にはあったが、この危機にあたって変化を強調したオバマ氏を選んだ」と指摘。「決して米国人は利口だと思っていないが、民主主義、危機にあたって国民の意思による選択がきちんと実行されていることを非常に高く評価している」と強調した。

第2次世界大戦を舞台にした映画「戦場にかける橋」に登場する英国人捕虜の規律正しさを紹介し、英国を「さんざん悪いことをして紳士面しているから好きではない」としながらも「祖国のために戦う軍隊も、自分たちの意思で(作った)という意識がある。自分たち自身の社会であり、国であるという民主主義の基本の意識が徹底している」と評価した。


そして全てを台無しにしている部分がこれだ。

【小沢氏講演要旨】「日本のあらゆる分野で精神の荒廃、劣化が急速に進む」(産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100825/stt1008251212007-n1.htm

今後のことを考えると、外需に頼りきりの日本経済は大きな打撃を受ける。中国は経済的崩壊が政治的動乱につながる恐れがある。政治経済は不安定な状況になりつつある。本来の日本人の精神力と知恵と力さえ持っていれば、このくらいの困難を克服するのは容易に可能だ。しかし、今日の日本社会を見るとあらゆる分野で、政界、官界、財界、一般社会においても、精神の荒廃、劣化が急速に進んでいる。規律、モラルという美徳がかけらもみられなくなった。


小沢氏「米国人は単細胞、英国は紳士面してる」(YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100825-OYT1T00995.htm

小沢氏は「政界でも官界でも財界でも、精神の荒廃、日本人の劣化が急速に進んでいる」と問題提起。


民主主義感は私も同意するところだが、日本の現状認識が全く間違っている。
「日本人の劣化が進んでいる」などと考えているとは・・情けない。
マスコミ批判なのか、小沢も老いたのか。

日本人が過去に素晴らしく高い美意識を持っていたとかいう話を一切信じない。
有り得ないことである。
そうであるなら、なぜ太平洋戦争で日本は焼け野原と化した?
そうであるなら、なぜ高度経済成長期、バブル経済の負の遺産を今も背負う?
そうであるなら、なぜ行方不明の高齢者が多く存在する?

「古き良き時代」など人間がつくった「幻想」である。
我々の頭の中にしかない「虚像」である。

人が劣化することなど生物学的には有り得ない。
変るのだとすれば、それは環境が変ったのである。

構造的な部分に問題意識が向かないのだとすれば、
小沢による日本の民主化も危ういものになるだろう。

今秋の一押しカメラ Sony製α55

2010-08-25 12:35:18 | デジタル一眼レフ
そういえば、これまで一切触れなかったのですが、
私はデジタル一眼レフを使って写真を撮る趣味を持っています。
もっぱら子供ばかり撮っていますが。

そんな私が神推しするのは今秋にSonyから発売される「α55」。
まさにまさにまさに、こんなカメラを求めていました。

一眼レフを使っているとビデオカメラを使わなくなるディレンマを抱えるわけですが
そんな人にも神推しです。
Translucentという透過ミラーを採用することで、
常にAFが追従可能する上、秒速10コマの高速連写も可能ですが、
なんとこの一眼テクノロジーを用いてビデオ撮影が可能です。
素晴らしい・・。

私はひたすらハイスペックを求める頑固なカメラオタク様たちとは違いまして、
サイズとデザインを気にするタイプで、
特に女性にも使いやすいでデザインを高評価しています。
(基本的に男性的デザインが好きではないだけなのですが)
その視点からしても「α55」は光っています。
NEXも売れているようですが、断然α55です。

http://www.sony.jp/CorporateCruise/Press/201008/10-0824/

http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20100824_388902.html

http://www.rbbtoday.com/article/2010/08/24/70058.html

円高問題については、評論家ではなく専門家に話を聞きたい

2010-08-25 09:52:20 | 経済
私はマクロ経済の専門家でも、金融理論の専門家でもありませんので、
これまであまり立ち入らないようにしてきたのですが、
(語ったところでツッコミどころ満載だろし、沈黙していたわけですが)
毎日のようにマスコミが「円高ヘビーローテーション」をし、
様々な大物財界人の方々の「なんとかしろ!」みたいな大合唱が起きてくると、
いい加減、気が滅入ってきます。

日本の大企業の経営者ってほんと情けないというか無知というか、
金融業界の相場を動かしたい猛者どもにいいように踊らされたマスコミに宣伝に使われて・・
あとは精神論偏重の政治家

君達は一体何を言っているのかね。
国家・政府に「なんとかしろ!」と叫んでる君達こそなんとかしたまえ。

為替介入とか言って国民の税金を自分達の利益にしようとか考えるのやめたまえ。

経営判断として為替に関する影響を考慮したまえ。
してるくせに、踊らされてコメントするのやめたまえ。

円高なんだから積極的に海外資産でも買いに出たまえ。
貯蓄していないでさ。
そうすりゃ円安になるだろ。
めちゃくちゃ円で持ってる資産を死蔵させてるくせに、何言っちゃってるわけ。
金利1%に満たない国債に消化されちゃったりしてさ。
こんなこというと、「国民の財産を破綻に陥れる市場原理主義の手先め!」とか
言われちゃうんですがね。

トンデモと思われる「貯蓄税」であったが、
真剣に日本国民への脅しとして使った方がいいんじゃないのでしょうか。

まぁ、そういう「物語」を政府が語る効果は多いにあるでしょうね。

世界的に見ればドル高っぽいんだけどね。
日本政府が無能とかいうけど、基本的には米国要因で、円は日銀様のおかげで安全通過ですよ。
中央銀行が通貨の価値を守って何が悪いのか。
責任転嫁もいい加減にしたまえ。
やはり「これからの責任シリーズ」を進めていかなければならないようだ。

アメリカではガイトナーの首が飛ぶとか飛ばないとか・・
どこも大変なんだよなぁ。

小泉純一郎待望論

2010-08-24 20:25:06 | 政治
もはや伝説となった小泉純一郎氏による郵政解散会見での演説。

今、改めて見ると、感嘆する。
小泉純一郎待望論が出るのもよくわかる。

なにやら代表戦を前に民主党がもめてるそうですが、
スケールが小さいところでもめてるなと思わざるを得ない。
「国民のための」というデマゴギーに踊らされて政治のスケールが落ちた。

小泉郵政解散会見【2/2】


日本にも、総理大臣がこんな素晴らしい主張をする時代があった。
もう遠く昔のことのようだ・・。

ただ、待望したところで本人にやる気はないし、
なによりも待望するより自ら立つ気概が重要なのだが。

第百五十一回国会における小泉内閣総理大臣所信表明演説(小泉純一郎)
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/0507syosin.html


・・・

私に課せられた最重要課題は、経済を立て直し、自信と誇りに満ちた日本社会を築くことです。同時に、地球社会の一員として、日本が建設的な責任を果たしていくことです。私は、「構造改革なくして日本の再生と発展はない」という信念の下で、経済、財政、行政、社会、政治の分野における構造改革を進めることにより、「新世紀維新」とも言うべき改革を断行したいと思います。痛みを恐れず、既得権益の壁にひるまず、過去の経験にとらわれず、「恐れず、ひるまず、とらわれず」の姿勢を貫き、二十一世紀にふさわしい経済・社会システムを確立していきたいと考えております。

[中略]

日本経済再生の処方箋に関しては、これまで様々な議論・提言が行われてきました。これらの提言は、地球的規模での競争時代にふさわしい、自立型の経済を作ることで幅広い意見の一致をみており、私がかねてから主張してきた「構造改革なくして景気回復はない」という考えと軌を一にするものです。
処方箋は既に示されています。日本経済の再生を真に実現するために、今、私がなすべきことは、決断と実行であります。

[中略]

我々が目指す経済社会は、国民一人ひとりや企業・地域が持っている大きな潜在力を自由に発揮し、潜在力そのものを更に高めていける社会です。そこには、真に豊かで誇りに満ちた、自立型の日本経済の姿があります。私が主宰する経済財政諮問会議では、六月を目途に、今後の経済財政運営や経済社会の構造改革に関する基本方針を作成します。

[中略]

社会保障制度は、国民の「安心」と生活の「安定」を支えるものであります。今世紀、我が国は、いまだ経験したことのない少子高齢社会を迎えます。これからは、「給付は厚く、負担は軽く」というわけにはいきません。社会保障の三本柱である、年金、医療、介護については、「自助と自律」の精神を基本とし、世代間の給付と負担の均衡を図り、お互いが支え合う、将来にわたり持続可能な、安心できる制度を再構築する決意です。私は、国民に対して道筋を明快に語りかけ、理解と協力を得ながら、改革を進める考えです。また、広く地域住民やNPO等のボランティアの参加を呼びかけ、介護や子育て等を皆で支え合う「共助」の社会を築いてまいります。

[中略]

明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられました。米百俵は、当座をしのぐために使ったのでは数日でなくなってしまいます。しかし、当時の指導者は、百俵を将来の千俵、万俵として活かすため、明日の人づくりのための学校設立資金に使いました。その結果、設立された国漢学校は、後に多くの人材を育て上げることとなったのです。今の痛みに耐えて明日を良くしようという「米百俵の精神」こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。

[中略]

新世紀を迎え、日本が希望に満ち溢れた未来を創造できるか否かは、国民一人ひとりの、改革に立ち向かう志と決意にかかっています。
私は、この内閣において、「聖域なき構造改革」に取り組みます。私は、自らを律し、一身を投げ出し、日本国総理大臣の職責を果たすべく、全力を尽くす覚悟であります。
議員諸君も、「変革の時代の風」を真摯に受け止め、信頼ある政治活動に、共に邁進しようではありませんか。
国民並びに議員各位の御理解と御協力を心からお願い申し上げます。

日本の朝のカリスマ

2010-08-24 10:03:02 | TV・書籍
アヤパン、年内退社「自分を見つめ直したい」(サンスポ)
http://www.sanspo.com/geino/news/100824/gnj1008240505014-n2.htm

アヤパンのいない「めざまし」は「めざまし」と呼べるのか。
アヤパンのいないフジテレビは成り立つのか。
と考えてしまうくらいにアヤパンの存在があまりにも大きかったために、
その後が心配になってしまいます。

私は、女性というのは男性以上に、相手に格を求めるものだと勝手ですが考えています。
特に女性が女性を見る目には大変に厳しいものがあり、
男性では気づかないような些細なところまで行き届いていないと人望を集めることはできません。

女性のオピニオンリーダーになるためには、
美貌だけではだめだし、実力だけでもだめなのです。
双方そろい始めて認められることができるのです。

さらにいえば、マスメディアのように多くの人の注目を集める中で、
多くの人々から認められるには、その上に天性の才覚が必要です。
もはや言葉では説明できない領域の差、輝ける人と、そうでない人の差です。

今のフジテレビにおいて、
アナウンサーとして、共演する数多の芸能人と渡り合える実力を持ち、
そして皆の羨望を集められるのは、アヤパンを置いて他にはおりません。
5年連続好きなアナウンサーNo.1に輝き、そして殿堂入りしたのは伊達ではありません。
芸能人も一目置く存在、彼女こそ「カリスマ」なのです。

世の中には、アイドル化したアナウンサーへの批判も多いですが、
(中には「アナウンサーごときが」などと中傷される方もおりますが)
私はアナウンサーという職業もまた時代とともに変っていくものだと考えていますので、
アナウンサーのアイドル化をかなり肯定的に見ています。

いつの世にも繰返される世代交代の波、一時代の終焉なのかもしれません。
気づけば彼女も31歳。
これまで周囲の期待に答えるために自分を消費し続けてきた結果、
疲れ果てたのは想像に難しくありません。

30にして立つ。
今度は自分を取り戻す旅に出るということなのでしょう。
そういう時期なのかもしれません。

純粋に彼女の新しい第一歩を支持したいと思います。
日本の片隅で。

富と幸福の関係性について 再考

2010-08-23 21:46:02 | 社会
先週のエントリが(いつものように・・)わかりにくかったようだ。

富と幸福の関係性について(進化する魂)
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/6954933a40239bb011c6f446bce045ba

まず、次のBlogで触れられている内容は前提である。
ある水準までは富が増加することが幸福度と関係している。

「お金は人を幸福にしない」には前提がある(投資十八番)
http://stockkabusiki.blog90.fc2.com/blog-entry-1140.html

お金は人を幸福にはしないが、それは最低水準の富があることが前提だ

幸福は所得で決まらない - 『日本の幸福度』(池田信夫)
http://agora-web.jp/archives/1071134.html


特に本書でくわしく調べているのは、労働との関係である。労働が「不効用」をもたらすという新古典派経済学の想定は実証的には否定され、同じ所得を得ていても働いている人の幸福度は失業者より高い。したがって失業者に所得を再分配するバラマキ福祉より、新しい職を与えたほうがいいということになる。労働が幸福度に及ぼす影響は日本で特に強く、失業率と自殺率には強い相関がある。

他方、所得格差や地域格差が幸福度に影響するかどうかについては、ほとんど有意な差は見出せない。幸福に最大の影響を与えるのは、実は離婚・就職・死別などの個人的な「ニュース」であり、所得は幸福の要因の中ではマイナーなものだ。したがって成長率を上げることは不幸を減らす役には立つだろうが、幸福度を上げるとは限らない。

日本人の所得は、相対的には下がったといっても、まだ絶対的には高い。その自殺率が主要国で最悪なのは、所得とは別の深刻な問題があると考えざるをえない。それは大ざっぱにいうと「意味の喪失」ではないだろうか。かつては会社のために働き、それが出世や社会的地位という形で報われることが生きがいだったが、そういう価値が失われ、かといって欧米的な個人主義にもうまく順応できない。日本人がこの変化に適応するには、まだまだ長い時間がかかるだろう。


私が述べた「物語」と「相対性」というのは、「意味の喪失」これである。
その意味で前回のエントリを読み進めていただけると理解できるだろう。

また、「物語」と「コミュニティ」は不可分ではなく、別のモノだ。
単に「コミュニティ」が「物語」を提供してくれるだけの話で、
自分で「物語」を紡ぎ出せる者は「コミュニティ」が必須ではない。
ただ、なんらかの「物語」に一切触れることなく、
自分だけの「物語」を奏でられる者が存在することはできないので、
その意味では厳しくか緩くかは別として、
何らかの形で何らかの「コミュニティ」と関わって生きていかなくてはならなない。

「生きていかなくてはならない」と書くと誤解されてしまうのだが、
本来的な意味でいえば、「コミュニティ」に関わらないで生きていくことはできない。
なぜかといえば、あなたが「あなた」なのは、
何らかのコミュニティに属しているからに他ならない。
いつもの「相対性」の議論だ。
他者がいて、あなたがいるのだ。
あなただけなら「あなた」は存在できない。

屁理屈でも何でもなく、これは本当の話だ。
あなたの親の子供として「あなた」がいるのは、あなたの親がいるからだ。
あなたがサラリーマンとして働くのは、あなたを雇う人がいるからだ。
あなたが社会の中で孤独を感じるのは、社会というものがあると思うからだ。
あなたが幸せについて考えるのは、不幸と呼ばれるものがあるからだ。
あなたが生きているのは、死があるからだ。
「あなた」が存在するために、相対的な価値から逃れることはできない。

あなたが社会の中にいて、「あなた」の幸せや不幸について考えるとき、
必ずあなたは社会というものの中に「あなた」を置いている。

では、あなたが社会から距離を置き、孤独に生きる時の「あなた」はどうなるか。

時間切れ。
また明日・・。

最大の敵は日本人の驕り

2010-08-23 12:10:20 | 経済
なぜ日系企業でストが起きるのか
本当の理由を話します(日経ビジネスオンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20100819/215871/?P=1

むぅ・・耳が痛いというか、
やっぱりさ、日本人って中国人を少し見下しているような気がするのね。
「新興国」という見方ではなくて「後進国」を見る目だよね。
日本が中国に勝っていたのは、ほんのここ100年足らずの話でしかないのにさ。
中国の経済力を煽る人々も日本には大勢いるけど、口先だけなんだと感じる。
本心のところでは、下に見てるのさ。
経済的の前に、社会的、文化的に劣ったものとして。

これはさ、実は明治から太平洋戦争の終戦まであった考えと同じだと思うね。
自分達が、明治維新に成功して日露戦争に勝利するまでになったことを驕り、
アジア諸国を劣等国として見るようになったあの時代の日本と同じ。

その後の日本がどうなったのかは言うまでもない。

辿り着いたのは「焼け野原」だった。

結婚制度を規制緩和して自由恋愛市場を拡大せよ

2010-08-23 11:59:00 | 社会
さきほどのエントリの続き。

結婚と恋愛のレート (Chikirinの日記)
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100822

これは非常に、その通りなのだけれども。
私が思うに、このChikirinのエントリになんとも言えない煮え切らない感が漂っているのは、
「結婚」を脱構築できていないからなのだな。

Chikirinが問題提起している「結婚と恋愛のレート」って「結婚」と関係ないんだよ。
結局は。
「結婚」だって一過性のものでしかないから、
その恋愛が「結婚」に至るかどうかの部分について分析することにはとても意味があるのだけど、
(少子化とかいろいろ叫ばれているからね)
「結婚」に着目すると本質的な問題意識を失ってしまう。

「結婚」したからといって人間の何かが変るわけではないよね。
生活が変るし、法的や社会的な責任が増すことによって、考え方は変るかもしれない。
けれど、人間そのものに何らかの影響力を行使し得ないわけ。

よく「あいつは結婚して変った。」などというけれど、
それは単に、法的、社会的、そして文化的に「結婚して変ること」を要請されるからであって、
人間そのものが変るからではないよね。

「変らなければならない。」もしくは「仕方がないから変る。」ということがあるためで、
例えば「結婚」が遺伝的に影響を及ぼすなんて聞いたことないよね。
「結婚」って人間が作った制度だから当り前なんだけどね。


で、私が何を言いたいかっていうと、次の問題提起なのだよね。
(これは以前からの私の主張の繰り返しなのだけど)


お姫様になった女性達は「妥協する必要はない。私らしさを諦める必要はないんだ!」と理解する。ドラマに後押しされた女性達は、男性がついてこれなくなっても諦めなくなった。

著者はこれを「女性が恋愛のレートを上げた」と呼び、このため男性は「ゲームに参加できなくなった」と言います。すばらしい洞察と言葉のセンスだよね。


というわけで、経済力のない男性は恋愛市場から閉め出されてしまった。また、「なんでここまで女性に尽くす必要があるのか」と疑問に感じた男性は勝負から降りた。

そして現実の女性についていけなくなった男性は、AVやヘアヌード、二次元に逃げた。堀井氏の分析によると、この頃からAVにめちゃめちゃかわいい子が登場して本番をするようになった。信じられなかった、こんなかわいい子がカメラの前で本番をしているなんて!・・・とのこと。

かくして圧倒的な勝ち組の男女以外は結婚できなくなり、そうでない女性はトレンディドラマの世界に、そうでない男性はヴァーチャルの世界に逃げ込んだ。


そもそも「結婚」というワーディングにこだわるから、上記の問題が出てくるわけだよね。
(問題かどうかわからないけれど)
そうではなくて、「結婚」にこだわらない自由恋愛市場を拡大しようよってことです。

「結婚」制度を失くして、民間に委ねるとかね。
そもそも国家が「結婚」制度を奨励する理由ってどこにあるのかねと。
「結婚」なんてものが公的なものだから、話がおかしくなるのです。
そうではなくて、「結婚」なんか自由にしちゃえばいいのさ。
結婚したい人は、町の教会や神社、祭事場でやればいいじゃないか。

税制や手当てなんて、いくらでも他のやり方あるはずだしね。
子供そのものに手当てすればいいわけだし。

で、こういうこと言うと、必ず出される反論に、
「そんなことしたら、子供を産んでも顧みもしない、無責任な親が増える。」と言われるわけです。
実は、これがさ、日本の少子化の最大の要因であると私は想う。

私なんかはそういう意見を聞くたびに首を傾げたくなる。
「少子化に悩んでるなら、それでもいいじゃないか。子供が欲しいんでしょ?」
「じゃぁ欲しいのは、子供の面倒をしっかり見る親とパッケージになった子供なの?」
「だったらさ、親を保護しないとだよね」
「でも結局さ、子供をしっかり見れる人しか親になれないのだったら、少子化止まらないよね」
「だって面倒見れる人間の数って限られているじゃない。」
「けど、今も昔も大家族って子供の面倒よく見てるっけ?見てないよね」
「つまるところさ、結婚にこだわるのもさ、面倒を起こしたくない、リスク回避したいっていう話なんだよね。」
「子供を育てるなんてリスクの塊みたいなもんだからさ、やっぱりリスクにこだわっちゃ結婚なんかできるかね。」

・・・。

見えてきたでしょ。
少子化の原因が。
結婚や少子化に留まる話じゃないよね。

続きはまた今度。
そんじゃーね。

恋愛も結婚も社会現象の一つ

2010-08-23 11:18:58 | 社会

このChikirinは秀逸ですな。
正確にはChikirinではなく堀井憲一郎氏の方なのだろうけれども。

結婚と恋愛のレート (Chikirinの日記)
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100822


“80年代に女の子が恋愛のレートをあげて、結果としてみんな不幸になった”

[中略]

つまり、“80年代に高騰し、90年代に高値安定してしまった女性の結婚レートを、適正レートまで下げましょう”というのが、婚活の本質なんですよね。なんとデフレ時代にぴったりのトレンドでしょう。
[中略]

で、80年代と90年代のプライシングの間違いに気がついて高値修正を始めたのが2000年代・・・と考えてると、今度は、次の10年くらいは婚活時代が続くけど、その後は“婚活世代、大量離婚の時代”になるかもね、と思えてきた。

[中略]

というわけで、

1980年代:暴騰

1990年代:高値安定

2000年代:下落

2010年代:投げ売り

2020年代:大規模な調整局面

次の10年は結婚も就活も、レート投げ売り気味の時代に突入するのかも・・


この解析が面白いのは、流行や社会現象には、流れと時間差があるということです。
人間という物理的実態は、鈍重なのです。

思考は非常に早いスピードで遷移できます。
想いは光の速度で巡ります。
あなたが一緒にいたいと思うあの人と、あなたが理想とするあの世界に、
あなたは一瞬にして辿り着くことができるでしょう。
思考の中で。

言葉というものもあります。
音速は光ほどの速度はでませんし、移動可能距離も短いですし、
また、どんなに文学的才能があったとしても
言葉にできない想いなどというものは存在します。
ただ、言葉は思考よりも具体的なものですから、
言葉を使って相手に想いを伝えることができます。
思考よりも遅いといっても人間が行動するよりも軽くて早いですね。

行動というのもあります。
これはとにかく鈍重です。
まず遅い。
100メートルを10秒で走れれば、かなり速いほうです。
そして移動可能距離が短いです。
行動によって影響力を行使できる距離というのは、
触れることができる距離です。


昔から「考えるだけなら誰にでもできる」などという言葉を聞くこともあります。
そうなのですね。
思考の速度は速いですから、考えることはあっという間に思考の中で実現します。
またこうもいいます。
「あいつは言葉だけ」
考えたことを、言葉にすることも、それなりの能力があれば比較的速い段階で実現できます。
言葉の世界では。
ただ、それを行動によって具現化するのは大変です。
行動というのは鈍重ですから、非常に労力と時間がかかります。
大きな仕事になればなるほど、大きな労力と、長い時間がかかります。

金融取引などではHFTの登場で、相場は電子制御による一瞬の判断で左右されるようになってしまいました。
人間の鈍重な行動の速度に合わせていたのでは、とても相手になりません。

株式市場の構造改革を議論せよ(JB Press, Financial Times)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4255


人間がつくる流行や社会現象もまた、時間がかかるのです。
実際に人間の行動に関わることというのは、
Chikirinさんの言うように10年単位でゆっくりと進行するものなのです。
流行を追う時に、思考と行動の動きは分けて分析したほうがよいでしょう。

Google検索「進化する魂」でトップをゲット

2010-08-20 13:43:22 | ブログ情報(News Release)
な、な、なんと!!

Googleで「進化する魂」で検索すると

Amazonのジェームズ・レッドフィールドの『進化する魂』を抜いてトップで表示されます!!

いつのまに・・ついに当Blogもここまで来たのかと考えると感慨深いです。

まぁ「進化する魂」というキーワードが稀なのでかなり競争率は低いのですが。

しかし、1ヶ月ほどエントリ更新していなかったのでアクセス数が以前の半分に落ち込んでしまいました。

(今は、月間アクセス数が1万ほどです。)

また、有名BlogなどにTrackBackを貼るなどして、アクセスを集める必要がありそうです。



そ、そうだ。

大切なことを説明することを忘れていました。

当Blogの名前は「進化する魂」でコアコンピタンスとして「スピリチュアル」を掲げています。

そして一方の書籍の『進化する魂』の著者はジェームズ・レッドフィールドです。

『聖なる予言』などの著作はスピリチュアル愛好家の間で人気があります。

なんらかの関係性がありそうですよね。

で、

でも!!

実は、全く関係ありません!!

私は『進化する魂』を読んだことはありません。

たまたま名前が重なっただけで、言わんとしてる内容が似ていただけだと思います。

あしからず。

富と幸福の関係性について

2010-08-20 13:24:16 | スピリチュアル
久しぶりにスピリチュアル的観点から話をする。
当Blogのコアコンピタンスでありますので。

前回のエントリは時間がなかったので引用に留めていたが、少し私見を述べたい。
なんとことはない、当Blogで何度も繰り返し述べる「相対性」と「知的好奇心」についての議論なのだ。


[当Blogの主張]
生命の根源的欲求は「知的好奇心」であり、その欲求を満足しようとして生命は、この相対的な宇宙において「相対性」を用いる。

相対性の悪魔 再び(進化する魂)
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/107b2e19917ea0866c323c6f30edea2f

ハーバード大学社会心理学部のダニエル・ギルバート氏。
おそらく多くの日本人が彼を知らないが、でも彼を見たことあるだろう。
大和証券のCMだ。

ボブは告白できない。

ジョージは告白を待っている。

ボブは、過去の失恋を忘れられない。

ジョージは、女の子からほめられた事を忘れられない。

滅多に起こらない出来事は 滅多に起こらないのに。

「人は未来を予測する時、最良と最悪の出来事ばかり思い出してしまう」

を説明する博士だ。
他にも「人は未来を予測する時、極端な出来事を想像する傾向がある」版のCMもあった。

そのダニエル・ギルバード氏が提唱するのが「実際の経験によって幸せの尺度が拡張される」という説(experience-stretching hypothesis:邦訳すると・・経験的価値尺度拡張仮説?)だ。
未来を予想しているときは幸せだが、実際に経験すると簡単には満足できなくなるという。
「幸せはいつもちょっと先にある」のだ。

で、今回、ベルギーのリエージュ大学の心理学チームが、ダニエル・ギルバード氏の仮説を確かめるために実験(実験の正当性については横に置くとして)を行ったと。


お金は人が最高に贅沢な喜びを味わうことを可能にする(贅沢なホテルに泊まり、高級な寿司を食べ、素晴らしいガジェットを買える)が、それゆえに、日常のありふれた喜び(天気の良さや冷えたビール、チョコレートなど)を味わう能力を低下させると考えている。そして、われわれが遭遇する喜びのほとんどはありふれたものであるため、贅沢をする能力を得ることは、喜びを味わう能力にとっては、かえって逆効果になるのだという。


右肩上がりの時の幸福感の説明にもなるわけだ。
次から次へ新鮮な経験が待ち受けているから、幸福を感じると。
そして、よく聞くあの言葉に繋がる。

人間、登っている時はいいが、登り切ると後は下るだけで、
そうすると現在位置は豊かにも関わらず幸福を感じれず不満を覚えてしまう。

それに対し、最近、一部の言論人から聞くのは、逆に下り坂を楽しめれば、
下り坂でも幸福を感じれるはずだ。
そういう生き方が大人の生き方ってもんだぜ。というものだ。
内田樹とかね。

さて、この問題、「幸せの正体とは何か?(幸せって何?)」という古典的な問題について
我々はどう考えるべきだろうか。
当Blogの古参読者の方には繰り返しになってしまうが、今一度語ろう。

「幸せ」とは何か。

こんな宇宙の神秘のような難解な問題に、当Blogでは非常に簡単な答えを用意している。



幸せとは、「知的好奇心」の充足である。
道具は無限の「相対性」。



幸せを説明するにはたったそれだけで十分だ。

生命の欲求に「知的好奇心」以外の欲求は存在しない。
全ては「知的好奇心」の派生的欲求に過ぎない。
(ただ、この「知的好奇心」が何者かについては後述する。)

実は、これとマイケル・サンデルらコミュニタリアンがいう
コミュニティ内で自己を確立するための「物語」は、非常に濃密な関係がある。

物語が提供するのは、未来に対する予想および期待(それを時に妄想という)だ。
人間は、その予測に対して幸せを感じるのだとすれば、
その予測を提供する「物語」こそ、幸せの源泉といえる。

当Blog流に言えば、「物語」が提供するのは、予測および期待であり、
その予測および期待の正体は「知的好奇心」である。
そして「物語」の正体は「相対性」だ。
「物語」は人間が相対性によって生み出したもの以外の何物でもない。
「相対性」によって喚起された「知的好奇心」の充足、これが幸せなのである。
この考えは、コミュニタリアンの主張と親和性が非常に高い。

もう少しだけ詳しく説明することとしよう。

知的猛者の人々は、「知的好奇心」の充足というが、では「知的好奇心」とは何か?
ということが気になるだろう。

直感的には理解できるかもしれないが、少し説明が必要だ。
ただ、実はこの「知的好奇心」を完全に説明することはできない。
言葉の範疇を超えているからだ。
言葉で表現できる概念を超えていると言ったほうがいいだろう。
こう話すと、いつもスピリチュアリストの都合のよい現実逃避のように責められるのだが
私は、討論に負けるのが恐くて正確に説明できないと言っているのではない。
単に言葉で全てを表現できると考える方が理性万能主義の危険な発想だと言いたいだけなのだ。
だが、それでも私は説明を試みることにしよう。
これは自分自身への挑戦でもある。
(とかいいつつ既に息切れ気味なので、如何に早くこの文章を終わらせるかしか考えていないが)

「知的好奇心」とは何か・・・はやっぱり後でまた

今疲れて眠いから・・