goo blog サービス終了のお知らせ 

進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

イノベーション普及理論とキャズム理論から、研究生ゴリ推しの理解と進め方を考える。

2013-08-19 16:37:42 | AKB48_イノベーション

これまで何度か「チーム4」「チーム8」「イノベーションのジレンマ」「スピンオフ」「リーン・スタートアップ」「AKB48第2章」etc.. と述べてきました。

今回はまた視点を変えて、エヴィリット・ロジャース『イノベーション普及理論』とジェフリー・ムーア『キャズム理論』から、「なぜ若手メンバーによるスピンオフなのか?」という疑問に対する問題提起をしたいと思います。

『イノベーション普及理論』に関しては、以前「イノベーター理論」として過去のエントリで用いたことがありますが、ここでは「イノベーション普及理論」と呼びます。


で、言葉で説明するのが面倒なので、PPTの画像を貼り付けときます。

(あえて画像のサイズを小さくしているので文字が小さくて見難いなどあるかと思いますが、ご容赦ください。)

何を言いたいかと言うと、例えば「研究生ゴリ推し」について、みんながみんな納得しないとか、「イノベーション普及理論」からすると当たり前なのです。

以前から主張しているように、この時期にゴリ推し批判と無駄にやりあっても体力の無駄遣いなので、運営はこのあたりをよく考えて、「創造的な価値観の摩擦」と「無駄な摩擦」の区別をしっかりして進めて欲しいなと、思うわけであります。

もっとわかりやすく言うと、「ゴリ推し」が「グループ全体推し」と解釈されると生産性の低い価値闘争が起きるから、「研究生ゴリ推しやるなら、独立した形で、たとえばスピンオフ的な形でやった方がいいよ。」といういつもの話です。

いつも通り使い回しなので、これ使い回しじゃんとわかった人はブロバレしてしまうわけなので絶対に口外しないように!











スペインのキリスト画に見るイノベーション

2012-08-27 13:32:39 | AKB48_イノベーション
あくまで一般論です。特定の何かに対する意見ではありません。





素人が修復しちゃったスペインのキリスト画、海外のお前らにも大人気でコラが作られまくってる件
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-2629.html



こういうことだ。

観光名所になり、このままにしてくれと嘆願書まで出てくる結果になった。

本人も含め、誰が、こうなることを予想できたか?

誰もいなかった。



事件の発覚前と発覚後で、問題のフレスコ画に関する価値観が変わっているのだ。

以前にはそこになかった価値が、今はあるのである。

価値がどこからか沸いて出てきたように見えるが、モノは変わらずそこにあった。

見る側の視点が変わったのだ。

価値というのは、どこかに浮遊しているようなものではなく、見出されるものなのである。



この件の凄さは、誰も狙っていなかったが事態は起きた、ということだ。

こういうことは狙ってできるものではない。

背景には、インターネットによって情報が拡散しやすくなったことと、IT技術の発展で様々な形の編集やデフォルメがし易くなったことがある。

これまでローカルでは許されなかったことが、グローバルに展開されることとなりネットワーク効果が働きやすくなった。

結果、ムーブメントが発生しやすくなり、禍を転じて福と為す的なことが起きやすくなった。

(一方で、炎上リスクも高まった。)



重要なことは、狙ってできるものではない、ということだ。

なぜなら、これまでになかった価値だから、それまでには誰も気づけない。

だとすれば、我々が得るべき教訓はなんだろうか?

意図しない「新しい価値観の創造」が起きやすい環境を作ることくらいだ。



フレスコ画の件でいえば、80過ぎのおばあさんが自らの手で修復できる環境がなければならなかった。

しっかりと導線が張られ、フレスコ画に近づけない環境であったら、今回の事件は起きただろうか。

フレスコ画を劣化したまま放置せず、すぐに修復していたら今回の事件は起きただろうか。

もちろん、自由放任が素晴らしいなどというつもりは全くない。

そうではなく、何が本質的に守るべきものなのか、何は変えてもよいのか、ということを常日頃から考えることが重要だ。

その場合には、議論が偏らないように、ダイアログ(前提を保留した対話)が一つの方法となるだろう。



ただし、それでも結果は意図できない。

状況を不確実性の下に置くということが、新しい価値を創造する第一歩だから、本質的に意図できるものではない。

だから、その不安定な状態に耐えられる信念を持つ者だけが、イノベーションを起こすことができる。

不安に耐えきれず、状況を管理可能なものにしようとしたとき、見えない可能性が消えるのだ。

(その可能性が消えたことに我々は気づけない。見えないのだから。)

信じることが最初の小さくても大きな一歩なのである。



田野しいやつらが引き起こす創造的摩擦 ~イノベーションのジレンマを超えるバリュープロポジション~

IT革命と視覚と社会と

価値を決めるのは顧客である、現実を決めるのは顧客ではない

2012-07-13 00:29:50 | AKB48_イノベーション
昨日久しぶりに新宿行ったのだが、ロシア料理を食べるつもりが途中にあった居酒屋の誘惑に負けてしまい・・まだ調子が悪い(笑)

何も考えられない・・今日は早く寝よう(--;)


◆◆◆◆◆◆


乗り遅れた感があるのだが、BLOGOSで元AKB48アシスタント・プロデューサーの岩崎夏海さんが面白いことを書いていた。
コメント欄も盛り上がっていたようなので、私もちょっと反応したい。

(書きたいネタがどんどん後回し・・)


面白さを決めるのは読者ではない
http://blogos.com/article/42575/


絶対的な「笑いの法則」
http://blogos.com/article/42712/


2つ目の補足記事はいらないような気がするけど・・話がわかりにくくなっている



まず、最初に明らかにしておくべきことは「面白さ」の意味である。

一般的に「面白さ」は「効用(満足度)」であるので、主観評価にあたる。

この意味では、多くのコメンテーターが批判しているように「面白さを決めるのは読者」である。

しかし、岩崎さんは、一般用法としての「面白さ」を「満足度」に置き換えているわけなので、主観評価としての「面白さ」を前提とした批判は、この場合は批判として成立しない。

「面白さ」という言葉をそのまま使うことを批判するのは有りだと思う。

誤解を招かない為には、例えば「面白さ」ではなく「真・面白さ」「面白さ定理」といった言葉を使うことが有効だろう。

(自分のネーミングセンスの無さに嫌気がさす・・orz )



では、ここでの「面白さ」とは何なのか?が一つの重要なテーマになる。

岩崎さんはこう言っている。


それ(面白さ)は、この世にすでにもともと存在している、先天的なものなのだ。この世には、ピタゴラスの定理みたいに「面白さの公式」というのがあらかじめ在って、ゆるがせにしがたい。


この宇宙には「面白さ」に関する公理のようなものがあるという。
コメント欄の中に、プラトンの「イデア」を持ち出して説明するものがあったが、そんな形而上の話を持ってこなくても簡単に説明できる。



こういう場合は比喩を使うのが手っ取り早い。


たとえば、ここに高層ビルがあるとする。
さらに、このビルは震度7の揺れにも耐える最新の免震構造を持っているとする。

このビルは「安全」だろうか?

安全かどうかは主観である。
安全基準が定義されていようとなかろうと、最終的に「安全かどうか」を判断するのは人間の仕事だからだ。

しかし、「安全」かどうかを判断するにあたって参照するであろうこのビルの震度7にも耐える免震構造は主観ではない。
免震構造そのものは「安全」ではないけれど、安全と判断されるべきモノとしてそこに存在するわけだ。

これは「現実」だ。



たとえば、予防注射をすることを考える。

注射は「痛い」のだろうか?

痛いかどうかは主観である。
しかし、痛いという判断の基になる注射針が身体に刺さるというコトはそこに存在するわけだ。

これも「現実」である。



当Blogのいつもの主張になるのだが、価値を決めるのはいつだって顧客である。

だが、その価値判断の基となる現実を決めるのは作り手である。

現実によっては価値が変わってくるが、でも価値判断は現実だけによって決まるわけではないのでやや面倒だ。

「価値」と「現実」は違うものだという、極当たり前の話である。


たぶん、岩崎さんが言いたかったのは、それとは別に、この現実から価値への変換経路(主観評価)上に「面白さの定理」があるという話だと思うが、あるとも言えないし、ないとも言えない。

当Blogの行動経済学シリーズで人間の主観評価が如何にいい加減か説明してきたが、人間のその時々の心理状態も含めた上での統一理論的なものがあるとは言える段階にない。



細かいこと言い出すときりがない。
「認知されない現実は存在していると言えるのか?」とか
「現実はありのままの存在で、認知した現実は事実だ。認知したものを現実と呼ぶなら、現実を決めるのも顧客だろ?」とか。

田野しいやつらが引き起こす創造的摩擦 ~イノベーションのジレンマを超えるバリュープロポジション~

2012-06-13 23:18:46 | AKB48_イノベーション
面白い。

期待通りだ。


■田野しいやつら

【G+まとめ】山内鈴蘭と永尾まりやが無事和解
http://akb48matome.com/archives/51826391.html








■限定合理性


釣りがいいとか素がいいとか、下品だ上品だとか、ぽんこつだとか優等生だとか、AKB48に限った話ではありませんが、対立する意見は世にいろいろあります。

哲学的な話がしたいわけではありませんが、どれもアリだし、どれもナシです
何でもアリだと言いたいのではありません。
物事には必ず多面性があるということです。
ある角度から見ればアリなものが、ある角度から見ればナシになったりしますし、その逆もまた真なりです。

つい先日も書きましたが、同じ人が同じ物事について判断するにしても、状況によって結論は変わります。
空腹な状態でスーパーに買い物に行くのと、満腹の状態で買い物に行くのと、買うものが変わってしまうでしょう。
そのくらい、人というのはある一定の枠の中でしか合理的に振舞えないのです。(限定合理性)


「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152


■何が良くて何が悪いかを決めるのは顧客


経験を積めば、ある程度は筋の良い悪いはわかります。
やることの方向性が良いのか悪いのか、上手に判断できる人も中にはいます。
しかし、最終的に何がアリで、何がナシなのか、それを完璧に予測できる人なんていないのです。

なぜなら、何がアリで、何がナシなのかを決めることができるのは「顧客」であり、その顧客は上で述べたように限定合理的に振舞う「人間」だからです。
それも、一言で「顧客」といっても、顧客は一様ではありません。

ここで毎度おなじみクレイトン・クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』の登場です。




鈴木まりやに贈る 愛のダメだし ~イノベーションのジレンマ編~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/5589b5803ccdd9895ee920d7d983f89b

当Blogの主張は一貫している。

マスメディアやスポンサー企業、広告代理店の立場で考えてみると、視聴率が取れないのにAKB48をゴリ推しする意味はない。
ゴリ推しをしようと思っても成果が得られなければ、近いうちにゴリ推しを止めることになる。
だから一時のキャンペーンはあっても、本質的にゴリ推しなどというものは持続的で有り得ない。

たとえやすす先生がゴリ推ししようと思っても、顧客が振り向かなければどうにもならないのだ。
AKB48が営利組織である限り、顧客から支持されない、利益にならないことを続けることはできない。

実はこれ、クレイトン・クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』の主要テーマでもある。

(本エントリの内容に合うように一部の文章を改変し、さらに再構成していますので、そのままではありません。)

たいていの経営者は、組織を運営し、重要な決定を下すのは自分であり、自分が何かをやると決めたら、すぐに全員が動き出すと信じたがる。しかし、企業に何ができて、何ができないかを実質的に決定するのは、企業の「顧客」である。

企業は、顧客がその製品を求めていると分かれば、技術的にリスクの大きなプロジェクトにも投資を惜しまない。しかし、収益性の高い既存顧客が製品を求めなければ、はるかに単純な破壊的プロジェクトを完成するための資源も集められない。これは、企業の行動の自由は、企業存続のために必要な資源を提供する社外(主に顧客と投資家)のニーズを満たす範囲に限定されるという主張である。

企業が依存する資源を提供するのが顧客であるがゆえに、実際に企業の行動を決定するのは、経営者ではなく顧客である。企業の進路を決めるのは、組織内の経営者ではなく、組織の外部の力である。

特に、成功している企業では経営陣の決定より、顧客重視の資源配分と意思決定プロセスの方が、投資の方向を決める上ではるかに強力な要因になるという点で一致する。

それでは、顧客が明らかに求めていない破壊的技術が出現したとき、経営者はどうするべきだろうか。その技術を必要とする新しい顧客のなかで活動させるべきなのである。

つまり、企業経営においては、どの顧客に貢献するかという選択が、戦略的に重要な影響力を持つ



釣り師が生きるも死ぬも、素が生きるも死ぬも、それを決めるのは「顧客」です。
だから、「顧客は誰か?」ということが決定的に重要なのです。

これを「バリュー・プロポジション」という。


■バリュー・プロポジション


企業の目的の定義は1つしかない。
それは顧客を創造することである。

イノベーションとは、新しい顧客満足を生み出すことである。

(ピーター・F・ドラッカー)


なぜ「顧客」が必要か?


「起業するいいアイディアが浮かびそうなんだけど」

と父に言ったらこう言われました。 「必要なのはアイディアじゃない、顧客だよ。」

(カーティス・R・カールソン)


物事の「価値」を決めるのは「あなた」ではなく、「顧客」だから。(あなたも顧客)
「価値」のない仕事を持続的に続けることはできないのです。


「顧客価値」がなければ、企業価値、株主価値、従業員価値、社会価値のすべては成り立ちません。
ゆえに、顧客価値を創造し、提案することが重要です。
これが「バリュープロポジション」です。

つまるところ、

誰に?(Who)

何を?(What)

どのように?(How)



■新しい価値の創造


バリュープロポジションが重要だとして、では、どうやって新しい価値を創造するのか?
「価値」と「価値」の摩擦によってです。

つい先日のエントリから一部をそのまんま転載します。


なぜAKB48は予定調和を壊し続けることをモットーとするのか? ~多様性とイノベーション
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/a6c037c1f0413c59b507b4c0357c8227


■創造的摩擦

そうした組織に摩擦や軋轢が無いはずがない。
しかし、摩擦はどんな代償を払っても回避しなければならないものではない。
複数のパフォーマンス基準が、機知に富んだ不協和を創りだすことが重要である。
組織が置かれた環境が騒然としており、変化する状況の下で何が組織の資源になるかが不透明な場合、価値について論争する枠組みが、組織の貴重な財産になるのである。
不確実性を徹底的に活用する起業家精神に富む活動とは、個人の資質ではなく組織形態の機能のことであり、「複数の評価原理」が機能する状態を維持しつつ、生産性の高い摩擦から利益を享受する能力のことである
(複数の評価原理を用いながら、その結果、相互作用によって生じる摩擦を徹底的に活用する能力ともいえる)

ここでの不確実性とは、経済学者フランク・ナイトによって定式化された「リスクと不確実性」のことである。
ナイトによれば、この2つはともに将来がわからないことによって生まれるが、リスクはある環境においてチャンスは計算可能、結果の分布は確率で表現できるとするが、不確実性は計算不能である。
不確実性の問題は、人間の計算能力の限界によるものではなく、予測できない状況によるもの、我々が知ることができない何かなのである。

どの価値基準が使われているのかよくわからない状況を徹底的に活用するために、所有する資産の多義性や意味の曖昧さが必要だ
起業家は曖昧なものから資産を創り出す。
複数のパフォーマンス基準による競い合いが、多義的で意味の曖昧な資産を定義し直し、組み換え、再配置を促すのだ。
(複数の評価原理の曖昧さは、合意を形成するのではなく、結果が読めない状況をつくりだす。)
複数の価値観の作用を維持する組織では、創発力のある摩擦が育まれ、それが受け入れられるビジネスの分類を混乱させ、継続的な資源の組み換えが可能になるのだ


■ブローカーモデルと創造的摩擦モデル

「創造的摩擦」は、どういうところで起きるのだろうか。
少なくとも「媒介」ではない。

「媒介」とは、ノードとノードが繋がっていないネットワーク構造上の穴、つまり自分が橋渡しをしなければ結びつかない自分以外の二者の間にある隙間(ギャップ)を、仲介者として戦略的に利用し、利益を得ることである。
媒介は、しばしば起業家精神に富む活動と取り違えられるが、両者の役割と社会的プロセスははっきりと異なる。
媒介者は「当事者」ではなく情報の流れに料金を課す者である。
一方、起業家とは、いくつものゲームの当事者であり、組み換えによって価値あるものを生み出す者である

イノベーションの元となるアイディアは、集団の環境の中に漂いながら存在しているのではない。
アイディアは見つけてもらうのを待っているのではなく、意図的に創り出さなければならない
情報へのアクセスではなく、新しい知識を創造することが求められいているのであれば、仲介による関係の橋渡しでは不十分である。

イノベーションには、互いに影響し合うようなやりとりをしながら相互に交流することが必要なのである。
ネットワーク分析の用語を用いれば、まとまりが強く凝集性の高いネットワーク構造の重複部分、つまり凝集性の高い結びつきとして定義された幾つもの異なるコミュニティが、それぞれの個性的な集団のアイデンティティを崩壊させることなく、メンバーが重なり合った部分でイノベーションは生まれるのである。

言葉で説明しても理解し難い部分だと思うので、図を添付する。




図の右「創造的摩擦モデル」の重複部分に注目してもらいたい。
たとえ同一組織内であっても、多様なパフォーマンス基準がぶつかり合い、競い合う。
ここではパフォーマンスを評価するために、複数のコード化された規則としての体系を抱えることになり、体系化された知識が壊され、再びコード化される可能性が高くなる。
遺伝学に模して、競い合う基準同士の摩擦が高いほど、突然変異が生じる確率が高まると考えてみればよい。

多様な評価のフレームワークによる不協和は、単に目新しいものを生み出すスピードを高めるだけではない。
いくつもの原理に基づいた立場が併存することは、自然な帰結として、どの立場も当たり前のものとして受け入れられなくなることを意味する
創造的摩擦が、基準の多様性による様々な可能性について、柔軟な思考をめぐらす状況を組織として作り出すのである。

組織としてイノベーションを育むために有効なのは、情報の円滑な伝達や固定化されたアイデンティティの確認を通じてではなく、生産的な摩擦を育み、組織的に当然と思われてきたことを混乱させ、新しい知識を生み出し、経営資源の定義の見直し、再配置、組み換えを可能にすることを通じてであることがわかるだろう。

思慮の浅い組織への固定化を阻止することが可能となるかは、変化し続ける状況において、基準や原理の曖昧さや多義性、深く再帰的に思考をめぐらせる「再帰的認知」能力を備えるかどうかが非常に重要なのだ


■まとめ


田野ちゃんの釣り師批判は、一面的な視点に偏った理解に基づいたもので、決して賞賛できるものではない。
しかし、田野ちゃんの意見も一面的に見れば正しいのである。

「価値」というのは、ダイヤモンドの多面体のように、様々な側面を持っている。
どれか一つの側面だけが重要ということではない。
ダイヤモンドが輝くためには、全ての側面が必要だ。

AKB48というダイヤモンドが輝くためには、多くの側面が必要なのだ。
その一つ一つの側面が、無関係に並ぶのではなく、お互いに対立し協調することでより輝くのである。

創造的摩擦を引き起こせ!



一体何のためにここまで説明しているんだ私は・・笑

【AKB48】なぜAKB48は予定調和を壊し続けることをモットーとするのか? ~多様性とイノベーション~

2012-06-02 22:04:33 | AKB48_イノベーション
わるきー、チームBをぶっ壊せ! そしてチーム4について
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/d9417df3351c0d60e6b54b77d677b5af

のつづき。

◆◆◆◆◆◆


よく使われる言葉「化学反応」とは何なのか?

これをいつもより真面目に(出来る限り)簡単に説明しよう。
参考文献として用いるのはこれだ。

『多様性とイノベーション 価値体系のマネジメントと組織のネットワークダイナミズム』
(デヴィット・スターク著、中野勉/中野真澄訳)





組織生態学が専門である社会学者デヴィット・スタークがイノベーションについて語ったもの。
イノベーション論や組織論にある程度の興味がないと読むのがつらい本だが、内容はさすがに世界屈指の社会学者らしい広範で深遠な洞察がそこかしこに散りばめられており、一読の価値はあると自信をもっておススメできる。
(当Blogの内容では物足りないと思っている方には是非読んで頂ければと思う。)


■検索(サーチ)とイノベーション

「検索(サーチ)」のテクノロジーは、我々の働き方だけではなく、買い物の仕方、社会の中での自分の位置づけなど、多くのものを変えてきたが、現代組織が抱える課題は検索では解決できない。
サーチのテクノロジーは、組織の知識管理上きわめて貴重だが、それが生み出す結果は今日の組織が直面する、より根本的な問題には答えてくれないのだ。
そのような根本的な問題を解決するためのサーチとは、あらかじめて特定されている物やカテゴリーを結びつけるサーチでもなければ、明確に定義された問題の解決方法を探すことでもない。
探している間は何を探しているかわからず、答えが見つかった時に初めてそれがわかるという類のサーチなのである。

そのようなプロセスと、単純なサーチを区別するために「リサーチ(Re-Search)」という用語がある。
(リサーチは「研究」と訳されることが多い。アメリカの哲学者ジョン・デューイは「探求(inquiry)」といった。)

また、リチャード・レスターとマイケル・ピオーリによる研究によれば、イノベーションの最も大切な要素は、きちんと定義された問題を解決する過程をとらないことだと結論づけた。
過去の事例を精査する限り、いずれのイノベーション事例も異種分野の結合を伴うことを明らかにしたのである。
「異分野の境界を横断した統合なしに、新製品が生まれることはない」のだ。

多くの産業においてイノベーションは、少なくとも初期においては特定の必要性や問題への対応として生まれてくるものではなく、製品が使われるようになってから問題が明らかになるものである。このような場合、製品開発者はしばしば何を創ろうとしているのかはっきりわからないまま着手していることが多い


既にカテゴリー化されているものをパターンとして認識することと、新たな関連性を見出すことは全く別次元のことである。
未知なるものを認識する、つまりカテゴリーとして認知されていないものを認識する興味深い認知機能を含むイノベーション過程は、矛盾をはらんだものになるのだ。
このような過程については、「リサーチ」「イノベーション」「探求」「探索」と様々な表現方法があるが、それは単に情報をうまく管理することではなくて、何度もいろいろな思考を巡らせ解釈を通じて機能する「熟考型の認知(reflective cognition)」を必要とするサーチなのである。

ジョセフ・シュンペーターは、イノベーションとは組み換えなのであり、それは文化として、当然のことと思われていることや組織的な認知のルーティンを根底から破壊するものだと主張した。
(創造的破壊)

逆説的に言えば、「リサーチ」や「イノベーション」は「問題を抱えた複雑で耐え難い状況」によって必要性にかられて引き起こされるということだ。

つまり、複雑な状況が創発的な探求を生むのであれば、イノベーションを求める組織は、複雑な状況を避けるのではなく、受け入れることが必要だ

もっと基本的なレベルでいえることは、何が重要かについての評価原理に関する相違がある時に、我々を困惑させる状況が生まれるのであるから、生産性の高い複雑な状況を模索するのであれば、ある一つの評価原理を組織が認める正統なフレームワークとして強制するのではなく、何が重要か、何に価値があるか、何を重視すべきかについて、別の考えをはっきり主張することが合理的であると気づくべきである
序列化された指揮命令系統があり、モノを認知するカテゴリーに概念的な序列がある形態とは異なるガバナンスが必要だ。
イノベーションを喚起する状況を積極的に生み出す「熟考型の認知」が働くことを可能とする「認知環境」である。


■創造的摩擦

そうした組織に摩擦や軋轢が無いはずがない。
しかし、摩擦はどんな代償を払っても回避しなければならないものではない。
複数のパフォーマンス基準が、機知に富んだ不協和を創りだすことが重要である。
組織が置かれた環境が騒然としており、変化する状況の下で何が組織の資源になるかが不透明な場合、価値について論争する枠組みが、組織の貴重な財産になるのである。
不確実性を徹底的に活用する起業家精神に富む活動とは、個人の資質ではなく組織形態の機能のことであり、「複数の評価原理」が機能する状態を維持しつつ、生産性の高い摩擦から利益を享受する能力のことである
(複数の評価原理を用いながら、その結果、相互作用によって生じる摩擦を徹底的に活用する能力ともいえる)

ここでの不確実性とは、経済学者フランク・ナイトによって定式化された「リスクと不確実性」のことである。
ナイトによれば、この2つはともに将来がわからないことによって生まれるが、リスクはある環境においてチャンスは計算可能、結果の分布は確率で表現できるとするが、不確実性は計算不能である。
不確実性の問題は、人間の計算能力の限界によるものではなく、予測できない状況によるもの、我々が知ることができない何かなのである。

どの価値基準が使われているのかよくわからない状況を徹底的に活用するために、所有する資産の多義性や意味の曖昧さが必要だ
起業家は曖昧なものから資産を創り出す。
複数のパフォーマンス基準による競い合いが、多義的で意味の曖昧な資産を定義し直し、組み換え、再配置を促すのだ。
(複数の評価原理の曖昧さは、合意を形成するのではなく、結果が読めない状況をつくりだす。)
複数の価値観の作用を維持する組織では、創発力のある摩擦が育まれ、それが受け入れられるビジネスの分類を混乱させ、継続的な資源の組み換えが可能になるのだ


■ブローカーモデルと創造的摩擦モデル

「創造的摩擦」は、どういうところで起きるのだろうか。
少なくとも「媒介」ではない。

「媒介」とは、ノードとノードが繋がっていないネットワーク構造上の穴、つまり自分が橋渡しをしなければ結びつかない自分以外の二者の間にある隙間(ギャップ)を、仲介者として戦略的に利用し、利益を得ることである。
媒介は、しばしば起業家精神に富む活動と取り違えられるが、両者の役割と社会的プロセスははっきりと異なる。
媒介者は「当事者」ではなく情報の流れに料金を課す者である。
一方、起業家とは、いくつものゲームの当事者であり、組み換えによって価値あるものを生み出す者である

イノベーションの元となるアイディアは、集団の環境の中に漂いながら存在しているのではない。
アイディアは見つけてもらうのを待っているのではなく、意図的に創り出さなければならない
情報へのアクセスではなく、新しい知識を創造することが求められいているのであれば、仲介による関係の橋渡しでは不十分である。

イノベーションには、互いに影響し合うようなやりとりをしながら相互に交流することが必要なのである。
ネットワーク分析の用語を用いれば、まとまりが強く凝集性の高いネットワーク構造の重複部分、つまり凝集性の高い結びつきとして定義された幾つもの異なるコミュニティが、それぞれの個性的な集団のアイデンティティを崩壊させることなく、メンバーが重なり合った部分でイノベーションは生まれるのである。

言葉で説明しても理解し難い部分だと思うので、図を添付する。




図の右「創造的摩擦モデル」の重複部分に注目してもらいたい。
たとえ同一組織内であっても、多様なパフォーマンス基準がぶつかり合い、競い合う。
ここではパフォーマンスを評価するために、複数のコード化された規則としての体系を抱えることになり、体系化された知識が壊され、再びコード化される可能性が高くなる。
遺伝学に模して、競い合う基準同士の摩擦が高いほど、突然変異が生じる確率が高まると考えてみればよい。

多様な評価のフレームワークによる不協和は、単に目新しいものを生み出すスピードを高めるだけではない。
いくつもの原理に基づいた立場が併存することは、自然な帰結として、どの立場も当たり前のものとして受け入れられなくなることを意味する
創造的摩擦が、基準の多様性による様々な可能性について、柔軟な思考をめぐらす状況を組織として作り出すのである。

組織としてイノベーションを育むために有効なのは、情報の円滑な伝達や固定化されたアイデンティティの確認を通じてではなく、生産的な摩擦を育み、組織的に当然と思われてきたことを混乱させ、新しい知識を生み出し、経営資源の定義の見直し、再配置、組み換えを可能にすることを通じてであることがわかるだろう。

思慮の浅い組織への固定化を阻止することが可能となるかは、変化し続ける状況において、基準や原理の曖昧さや多義性、深く再帰的に思考をめぐらせる「再帰的認知」能力を備えるかどうかが非常に重要なのだ


(あまり長くなっても読みにくくなるので、ここで切り上げます。)


◆◆◆◆◆◆


■参考
本エントリは、松井珠理奈と渡辺美優紀の兼務問題について語っているわけではありませんが、適応できる話だとは思います。
過去のエントリにリンクをはっておきます。

本当のところ、松井珠理奈に限界を与えているのは誰なのか?
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/c6f70e7179b2ba0c3ecad170f021c492

松井珠理奈がチームK、渡辺美優紀がチームBを兼任へ ~AKB48の成長戦略~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/45c9b642fd1b6d0f5b97244ed0fee051

松井珠理奈と渡辺美優紀はなぜ「移籍」ではなく「兼務」なのか 説明しよう ~分化と統合の物語~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/9366d66554175d8acae2c098f7cd4fb3

やすす先生! 鬼になれ! そして前へ進み、河を渡るのです!
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e757f5634174d9975a4874bed4b2e24e

サプライズ手法に対する疑問に回答します(1) ~直接的な情報発信~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/2b073e5db2ac14c7c2f3d4756030801e

サプライズ手法に対する疑問に回答します(2) ~「マクロ vs. ミクロ」の構図~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/fb8016295797abd4e6befdce2b362718

サプライズ手法に対する疑問に回答します(3) ~采配~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/825893f0f01429761f0656144c1061a3

サプライズ手法に対する疑問に回答します(4) ~顧客と共に成長する関係~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/be0378157c58eb812530701d02da5d32

【AKB48】AKB48若手メンバーに贈る「創造的模倣」のススメ ~守破離~

2012-05-12 12:12:10 | AKB48_イノベーション



◆◆◆◆◆◆


真の意味でオリジナルなものなど存在しない

(セオドア・レビット)



【学ぶ】は、「まねぶ(学ぶ)」と同源で、「まねる(真似る)」とも同じ語源である。つまり「学ぶ」ということは、「真似る」ということである。


よく「サルまね」と言うが、実はサルはそれほど真似をしない。
真似をするのは高等なオラウータン、ゴリラ、ボノボ、チンパンジーの霊長類だ。
人間の場合、赤ちゃんは生まれてすぐ物真似を始める。


脳神経科学の最先端の英知をもってしても未だ「微笑み返す」ことの原理は解明されていないそうだ。
微笑み返すためには4つのステップが必要だ。


1.相手の顔を「顔」として認識する
2.相手の顔が笑っていることを認識する
3.自分の顔のどの部分の筋肉を動かせばよいかを認識する
4.筋肉をどのくらい収縮すればよいかを認識する


赤ちゃんは教えられたわけでもなく、なぜ微笑み返すことができるようになるのか?


ここで面白い話がある。


美容整形の分野では、歳を取るとできるシワを目立たなくすることができる。
ボトックス注射を使うのだが、芸能人には利用者が多いらしい。
ボトックス注射はボツリヌス菌の力で神経を麻痺させて筋肉の動きを抑制させるため、表情が作りにくくなる副作用がある。
ボトックス注射の被験者に人の笑顔を見せて、その顔が笑っているかどうかをテストすると、成績が悪くなるという結果が出た。


なぜだろうか?


人間は他者の笑顔を理解する時に、自分も無意識に真似して笑っているのだ。
ボトックス注射を使うと笑う真似が出来にくくなるので、他者の笑顔を理解しにくくなるのではないかと言われている。
「ミラーニューロン」が何らかの形で関わっているのではないかと言われているが、その詳細は未だわかっていない。


これは強烈に面白い話だと思う。


他者にしろ外界にある何かにしろ、それを理解するには、自分の中にないものは理解できない。
これは考えてみるとすぐわかる。
他者に「共感」や「同情」といったものをする時、それは自分の中にある何かに反応しているのだ。
それについて何も知らないとき、共感や同情などできようはずも無い。


「共感における物語(を共有していること)の重要性」は、この観点でも説明できるわけだ。




「真似をする」のは高等な生物にしかできない。
そして、人間はさらに「真似」を超えて「創造」を行うことができる。


チンパンジーなどが「サルまね」をすることができると先述したが、人間にしかできない真似の仕方というものが実はある。
チンパンジーは「AはBである」と教われば、それができるようになる。
人間は、「AはBである」と教わるだけで「BもAである」と考えることができる。
「AはBである」から「BもAである」を創造するのだ。


チンパンジーが「演繹法」の思考しかできないのに対して、人間は「帰納法」の思考ができるのだ。


だが、「AはBである」だからといって「BもAである」わけではない。
「私は会社員」だからといって「会社員は私」ではない。


つまり「勘違い」や「偏見」などである。
そう、「勘違い」や「偏見」は「創造性」と密接な関係にあるのだ。


人間は進化の過程で、誤解や勘違いを受け入れる代わりに、創造力を獲得したのだ。



◆◆◆◆◆◆



メンバーとして個性やオリジナリティ、つまるところ創造性を磨き上げるための方法論を説明しよう。


創造的に模倣しよう。とうことだ。
まず、「型」を身につけ(演繹法)、それから「型を破る」(帰納法)のだ。


型破りとは型のある人がやるから型破り。

型のない人がやったら、それは形無し。

(中村勘三郎)



「創造的模倣」の意味がわかりにくかったら、「盗む」と考えればいい。
「コピー」は単なる真似だが、「盗む」は自分のものにする(創造)ということだ。


メンバーにせよファンにせよ、自分の立ち位置や個性、キャラを見出そうと一生懸命だが、そんな悩みを持つのは早すぎる。
まずは、盗め!
先生たち、先輩たち、同僚たち、みんなから盗め。
いいと思うところは自分の立場や役割に関係せず、どんどん盗め。


ピカソには格言がある。彼はこう言った。
「そこそこのアーティストはコピーし、偉大なアーティストは盗む。」
私たちは前から偉大なアイディアを盗むことを恥ずかしいとは思っていなかった。


(Steve Jobs)



実際には、Picassoの発言は「Bad artists copy. Good artists steal.」。
これをジョブズが言い換えて「Good artists copy. Great artists steal.」にした。

そして、これを読もう。


怪盗スティーブ・ジョブズ その魂よ 永遠に
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e3d0b9f1ea80677dbe271508283d4fc4




どの部活に入るか悩めるメンバーへ ~基本に忠実に。ただし、革新的なやり方で!~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1a7baeb9321456252d9ae5c1521e68f9

【AKB48】「推し」という破壊的イノベーション ~「推し」知らずしてAKB48を語れず~

2012-03-17 14:00:47 | AKB48_イノベーション
AKB48について語る場面の多くで出会う言葉がある。

「推し」である。

推しメン、神推し、一推し、二推し、推し変、○○推し、etc..


実は「推し」という言葉の発明と、AKB48の躍進は深い関係にある。
この「推し」なくして、現在のAKB48はなかっただろう。

そのことについて考える前に、そもそも「推し」とは何であるかを考える。

辞書を調べると次のように出てくる。

・ goo辞書:http://dictionary.goo.ne.jp/

「推す」

1 人や事物を、ある地位・身分にふさわしいものとして、他に薦める。推薦する。

2 あることを根拠として、他のことを判断する。推し量る。

3 さらに突き詰めて考える。


・ 三省堂 大辞林:http://www.weblio.jp/

「一推し」

第一番に評価し、最も推薦できるもの。


・ はてなキーワード:http://d.hatena.ne.jp/keyword/

「推しメン」

「イチ推しメンバー」の略。好きなメンバーや、応援しているメンバーの事。
主にハロプロ関係やAKB関係などのアイドル界で使用。
ジャニーズだと「自担(担当)」になる。


現在の使われ方としては、多くの人の認識としては、「はてなキーワード」が説明する意味が最も近いと思われるが、当Blogではこれをもう少し補足したい。

◆◆◆◆◆◆

「推し」の前には「ファン(fan)」という言葉があった。
「ファン」の同義語は「ヲタ」ではない。
(あくまでも当Blogの考え方)

・Wikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/

「ファン」

ファン(英: fan)は、特定の対象に対する応援者、愛好者のこと。「狂信者」を意味するファナティスト(英: fanatist)の略。
古来日本語では贔屓(ひいき、贔負とも)といった。語源は「盛んに力を使う」「鼻息を荒くして働く」を意味する古中国語の「贔き」(ひき)。日本ではこれに「重いものを下で支える」という意味が加わり、これが「特に目をかけて引き立てる」に転じた。


AKB48に関して言えば「ファン」という言葉はあまり使われない。
AKB48に関心を持っていない一般層に向けた情報発信の場合でこそ使われるが、AKB48を語る際にはほとんど出てこない言葉である。

なぜだろうか?

それは、AKB48が登場する以前に「ファン」の衰退があったからだ。
これは、マスメディア、アイドルの衰退と無関係ではない。
そして、AKB48を語る上で理解しなくてはならない、根本的な競争基盤の変化(パラダイムシフト)がここにある。
AKB48が破壊的イノベーションたる主な理由の一つなのだ。

◆◆◆◆◆◆

「推し」は意味としては「ファン」に近い。
好き、推薦、応援などをカバーした幅広い概念で、「ファン」の意味もである「贔屓(ひいき)」に最も近い。

だが、「ファン」とは違う。

どう違うか?

「推し」と「ファン」とは距離感の違いがある。
ここでいう距離感とは、「推し」を行う「自分」と、「推し」される「相手」との距離感だ。
つまり、自分と相手の距離のことだ。
「ファン」は「自分と相手との距離」が近いのに対し、
「推し」は「自分と相手との距離」が比較的に離れている。

もちろん重複している領域はあるだろうが、大局的に捉えればの話だ。

上で「ファン」の衰退があったというが、それは「アイドル」が「多くの人々(自分)」との距離を近づけることができなくなったということから来る。
一般的には価値観の多様化が原因と言われるが、その実は情報技術を主とした技術革新による高度情報流通社会基盤の社会への浸透である。

人々は簡単に即時的に欲しい情報を入手することができるようになると、中途半端な物事、劣っているとわかっているものには興味を示さなくなる。
人々の実利主義に拍車がかかり、また、どの世界でも1番ばかりが注目を集めるようになって両極端化する。

簡単に言ってしまえば、楽しいことや面白いことは世の中にいっぱいあるのに、なぜアイドルに関心を持たなければならないのか、ということを人々が思ったというこどだろう。(これはマスを狙う商品やサービス全体にいえることだ。)

◆◆◆◆◆◆

「ファン」は衰退していた。
ゆえに、新しい「ファン」ではない何かが求められいた。
そこに現れたのが「AKB48」であった。

ただ、「推し」はAKB48以前にもあった。
だが、AKB48によって「推し」は育まれ、その存在を確かなものにした。
それはAKB48が育まれるアイドルであったことと無関係ではない。


と、盛り上げるだけ盛り上げておいて何ですが、ここでタイプアップとなってしまいました。
なので、年末に米ウォールストリートジャーナル(WSJ)が秋元康氏にインタビューした時の記事にリンクを張ることにして、ここで一時中断にしたいと思います。

↓AKB48のエッセンスは、秋元氏本人の口から述べられています。

AKB48を創った男
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/fccb6a6b91474c53082190b49b06a4cf

↓ついでに、「推し」を具現化する「面」戦略についても是非ご一読ください。

やすす先生!あなたがもっとググタスで語るべき理由の1つを説明します。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/160f4c424d60acd40b875393f558faa9


◆◆◆◆◆◆

今、AKB48公式ライバル、乃木坂46が壮大な社会実験を行っている。
AKB48が5年かけて投資してきた分を、5ヶ月で一気に投資したら市場がどう反応するのか、物量によるパワープレイがどこまで通ずるのかという、ある意味で常識破りの戦略だ。
「推し」という概念に正面から勝負を挑むその勇猛さには敬意を表するが、しかし、その向かう先が「ファン」なのであれば、この勝負の結果は陽を見るより明らかである。

乃木坂46の運営陣が、今後どういう手立てを打ってくるのか、楽しみです。

【AKB48】鈴木まりやに贈る 愛のダメだし ~イノベーションのジレンマ編~

2012-03-06 02:45:56 | AKB48_イノベーション
佐藤夏希と鈴木まりやがGoogle+でファンと生会議(AKBまとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51807694.html

いいね!
作戦会議は、ググタスの使い方としていいよ。
顧客の理解を引き出すからね。

よし!

当Blogは、これまでBBQ松村香織を応援してきたが、受け入れる素地のあるメンバーなら誰にでも積極的に応援したいと思っているので、今後は鈴木まりやさん(まりやんぬ)に役立たないアドバイスをしていくことにする。
ググタスへのコミットを継続するのならばね。

しかしながら、正直に言って、私はまりやんぬについて何も知らない。
ググタス以外で見たこともない。(ホント)
だから、これから勉強する。

まりやんぬ推しの人がいたら情報を希望山脈!

◆◆◆◆◆◆

で、さっそくダメ出しなのだが・・

流れを否定するわけではないが、「アピール」の仕方を間違えてはいけない。
昨日、やすす先生が「中塚の男が作れるスイーツ」と言った意味をしっかり掴んだだろうか?





「中塚のスイーツ」ではなく「中塚の男が作れるスイーツ」と言ったことに気づいただろうか。
これが何を意味するかは、やすす先生も過去に次のように説明している。





当Blogのエントリに対して、過去何十回もなされたコメントがある。
「AKB48のゴリ推しをなんとかしろ!」という主旨のコメントがそれだ。

だが、当Blogの主張は一貫している。

マスメディアやスポンサー企業、広告代理店の立場で考えてみると、視聴率が取れないのにAKB48をゴリ推しする意味はない。
ゴリ推しをしようと思っても成果が得られなければ、近いうちにゴリ推しを止めることになる。
だから一時のキャンペーンはあっても、本質的にゴリ推しなどというものは持続的で有り得ない。

たとえやすす先生がゴリ推ししようと思っても、顧客が振り向かなければどうにもならないのだ。
AKB48が営利組織である限り、顧客から支持されない、利益にならないことを続けることはできない。

実はこれ、クレイトン・クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』の主要テーマでもある。

(本エントリの内容に合うように一部の文章を改変し、さらに再構成していますので、そのままではありません。)

 たいていの経営者は、組織を運営し、重要な決定を下すのは自分であり、自分が何かをやると決めたら、すぐに全員が動き出すと信じたがる。しかし、企業に何ができて、何ができないかを実質的に決定するのは、企業の「顧客」である。

 企業は、顧客がその製品を求めていると分かれば、技術的にリスクの大きなプロジェクトにも投資を惜しまない。しかし、収益性の高い既存顧客が製品を求めなければ、はるかに単純な破壊的プロジェクトを完成するための資源も集められない。これは、企業の行動の自由は、企業存続のために必要な資源を提供する社外(主に顧客と投資家)のニーズを満たす範囲に限定されるという主張である。

 企業が依存する資源を提供するのが顧客であるがゆえに、実際に企業の行動を決定するのは、経営者ではなく顧客である。企業の進路を決めるのは、組織内の経営者ではなく、組織の外部の力である。

 特に、成功している企業では経営陣の決定より、顧客重視の資源配分と意思決定プロセスの方が、投資の方向を決める上ではるかに強力な要因になるという点で一致する。

 それでは、顧客が明らかに求めていない破壊的技術が出現したとき、経営者はどうするべきだろうか。その技術を必要とする新しい顧客のなかで活動させるべきなのである。

 つまり、企業経営においは、どの顧客に貢献するかという選択が、戦略的に重要な影響力を持つ。


◆◆◆◆◆◆

では、やすす先生の言葉をもう一回読んでみよう。

「中塚の男が作れるスイーツ」

意味はもうわかっただろう。

料理研究家やパティシエにはプロが山ほどいる。
料理がうまいということやスイーツ作りが上手というだけでは、優位性はない。

既存の顧客は、料理やスイーツに関する情報を、わざわざAKB48のメンバーから教わろうなんて思わない。
料理に興味のある人が週刊プレイボーイを買うわけがなく、週刊プレイボーイでの連載なら、その読者が求める情報でなければならない。
だから「男が作れる」という部分が必要なのだ。

◆◆◆◆◆◆

やすす先生に採用されても、顧客に求められなければ持続的な活動にはならないのだ。
だから、やすす先生にアピールするのは間違いなのである。
それは、やすす先生が一番よくわかっているのだ。




ファンにアピールし、ファンが求めるようになれば、やすす先生も採用せざるを得なくなるだけのこと。
だから、ググタスのコメント欄に、「動画を!」とか「レシピを!」とかいろいろアドバイスがあるが、どれも中途半端です。

誰に、何のために、その情報を提供していくか?

これが大事。
それを意識した情報発信かどうかで、受け取る側の評価は全く違ったものになると考えた方がいい。

さらに、もっと大事なことがある。

まりやんぬが料理人やパティシエになりたいのならいざ知らず、AKB48のメンバーであることを望むのであれば、メインはあくまでも「まりやんぬ」であり、料理やスイーツは脇役であるという点を忘れてはならない。

料理やスイーツを通じて「鈴木まりや」という人物を1人でも多くの人に知ってもらい、好きになってもらう、これが何よりも重要なことだ。

◆◆◆◆◆◆

今回は、理解すべき基本事項を述べた。

次は基本コンセプトについて述べたい。

1人でも多くのまりやんぬファンに読んでもらい、意見を出してもらいたい。

うぉー!寝るぞー!