進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

【AKB48】 AKB48がプロバイダをやる意味

2011-10-31 23:22:51 | AKB48
AKB OFFICIAL NET
http://www.akb48.ne.jp/

・インターネット接続サービス
・AKBaby
・@akb48.ne.jpドメインのメールアドレス取得
・各種映像先行配信
・推しメンサブドメインのメールアドレス(別途追加購入)
・AKB48公式ファンクラブの会員コンテンツ{「リクエストアワー セットリストベスト100 2012」投票権やAKB48劇場 チケット枠(11月11日の公演より予約受付可能)など}


<AKB48>公式プロバイダが発足 大島優子がCMで「私と作らない?」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111031-00000006-mantan-ent

なるほど。
これは一体何を狙っているのか考えたい。

もちろん、新しい収益源の確保や、ユーザーに対する新しいチャネルの追加は言うまでも無い。
@akb48.ne.jpドメインもAKBファンとしてはステータスかもしれない。
ドメインはオークションか何かで市場化されるかもしれない。
akb48ドメインを有料化する発想は、付加価値に関する基本的認識を再確認させてくれる。
代替性のあるドメインそれ自体は無価値だが、AKB48の付加価値を付与することで有料化さえ可能になる。
要は、AKB48の付加価値を付与することで有料化できるものは今後も仕掛けてくるのかもしれない。

しかし、それだけではないと思う。
プロバイダをやる意味が。

AKB48に関するネットワークに何らかの形で関与する仕組みを持つ、その実験的試みではないか?
AKB48ドメインを管理する立場になるということは、AKB48に関するトラフィックの重要な1つの「ハブ」になるということでもある。
情報の流通を考える上でボトルネックになるということは、ネットワーク理論的には意味がある。

問題は、FBやらTwitterという無料の手段もあるわけだから、有料のプロバイダまでやって「ハブ」になる必然性があるかだ。
もちろん、むしろ有料だから価値があるという見方もできる。
月額1,480円という敷居をユーザに跨がせる意味、これはある。
良質なユーザ層を囲い込んでクラスター化して、このクラスターを1つの大きな第2次的ハブにして、そこからの情報流通という情報ネットワークを構築するという意味が。
流行言葉で言ってしまえばエコシステムの再構築だし、ネットワーク理論でいえば情報の自己組織化といってもいいだろう。

情報源(AKB48) → 第1次ハブ(プロバイダ) → 第2次ハブ(ユーザ・クラスター) → 一般ユーザ

つまるところ、情報を階層化して、上位階層の情報に価値を作り出すというネットワーク理論を基にした戦略に、実験的に取り組むということではないか?
と、妄想してみた。

もっと深いのかもしれない。


【追記1】
どうもネット上での反応はあまりよくないみたいですが、皆さん予定通りにうまく乗せられてますね。
全く持って出し手(広告代理店)の思惑通りに事が進んでいるようです。
(この企画はフルキャスト・マーケティングという会社によるものみたいですね。)
批判の矛先のほとんどは「子作り(AKBaby)」みたいですが、こんなサービスのためだけに毎月料金が発生するプロバイダ契約するわけないので、単純に話題づくりに決まっているじゃないですか。
プロバイダのオフィシャルサイトでも「子作り」が前面に出て、さらに大島優子さんにプレスリリースの場でそこを言わせる。
「また馬鹿なことはじめるらしい」と皆が皆に伝えるので話題になる。
皆がオフィシャルサイトのHPへのリンクを拡散する。
なんせ大島優子さんが前面に出て「子作り」ですからね。
普通にプロバイダやるって言ってもさほど話題にならないので、これはいい宣伝になりますね。

だいたい「子作り=性」みたいな捉え方がヒステリック過ぎるのだが、インターネットというメディアの特徴として、こういった反応が起きやすいということも、中身のない批判だからすぐ沈静化することも、全て計算どおりなのですよ。

IT革命による社会的イノベーションの本質  ~新文化人と旧文化人~


【追記2】
そういえば、前回のエントリで
過ぎた期待とバブル

でも、最近のAKB48、なんだか元気ないような気がします。

と述べたばっかりだったのですが、個人的には久しぶりに面白いと思いました。

過ぎた期待とバブル

2011-10-29 00:55:04 | AKB48
日本のコンテンツはなぜ海外で勝てないか――AKB48生みの親、秋元康氏が語る
http://news.livedoor.com/article/detail/5968871/

周りを見ながら作るのではなく、自分が良いと思うものを作る。止まっている時計は1日に2度、正しい時間を示します。でも周りをうかがっていると絶対に合わない。正しい時間を追いかけ続けるだけです。

上の言葉だけじゃないですが、秋元氏は相変わらず冴えているなと思います。

でも、最近のAKB48、なんだか元気ないような気がします。
拡大戦略に手がとられて足元のAKB48の地盤が揺らいでいるとか、秋元さんが忙しいからとか、個別の活動が増えてAKB48としての活動が中途半端になっているとか、いろいろ言えるのかもしれません。

また、AKB48が成長して大きくなってしまった結果、これまでと同じ成長をしても、元が大きくなったがために成長率が下がって見えるということも言えるのかもしれません。
たぶん、AKB48は今でも、これまで以上の躍進を遂げているのだと思います。
質、量の両方の点において、おそらく申し分ないのであろうと。

これは企業でも同じことです。
あるスタートアップの売上げが5億で、次の年は10億でした。
倍になったわけですから、この場合、成長率は100%です。
しかし、ある老舗大手企業の売上げが1兆円で、次の年が1兆1000億だったとなると、成長率は10%です。
片方は売上げを5億円伸ばして成長率100%ですが、もう片方は売上げを1000億円伸ばして成長率10%で、成長率だけを見れば1/10です。

しかし、私はちょっと違うことを考えています。

売上高という絶対値ではなく、成長率という相対値で見ると、違った世界が見えてくるという統計トリックの話をしたいのではありません。
そうではないのです。
この件についての最も困難な問題は、相対値で見ると成長が止まって見えるということではなく、成長を期待しすぎるところにあるのです。

絶対値評価力を身につけるというのはごもっともなのですが、それだけでこの問題は解決しません。
成長率ではなく絶対値として1兆→1兆1000億と評価したとしても、1兆1000億円に満足できるかどうかは別の問題です。

(眠いので早々にまとめに入ろうと思いますが)
何が言いたいかというと、こういった過ぎた期待に答えようとすると、無理な拡大戦略をとってしまう恐れがあるので、AKB48は、あくまでAKB48を貫いて欲しいと、そう思うのです。
まぁわかりきっていることなのだとは思いますが。

視力

2011-10-28 01:03:16 | ブログ情報(News Release)

最近知ったのですが、現在学校での視力検査はABCで表すようですが
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012865

現在の視力測定法は平成4年 (1992年) の文部省 (現文部科学省)体育局長通知によるものです.
区分A 視力1.0以上
区分B 視力0.9-0.7
区分C 視力0・6-0.3
区分D 視力0.3未満


なんてこった・・。

ホテルで服を買う人たちも、自分だけの物語を紡いでいる。

2011-10-27 23:39:14 | 経済
ホテルで服を買う人たち(漂流する身体。)
http://d.hatena.ne.jp/bohemian_style/20111026/p2

このブログは、いつも勉強になる。
今回の記事も面白い。
何よりも読ませるのが上手い。
思わずコメントしてしまった。


すばらしい考察ですね。読ませられました。

人はみな自分だけの物語を紡ぐのだと思います。
その要素は、安くて、軽くて、小さくて、短くて、とりわけ時間が掛からないものが多い方がよいと、思います。
その方が、紡ぐ自由度が増すからです。

ホテルでの買い物は、服を買うプロセスを構成する要素の一つひとつが、時間を掛けずに安く手に入るということなのだと思います。
他の場所で同質のプロセスを実現するには、相当のコストが必要で、かつ混んでいることもあるからです。
自分だけの物語を紡ぐことがプロセスで、プロセスを構成する要素である接客姿勢や、空いていること、服そのものも、自分の物語を紡ぐ1つの要素なのだと思います。

意見するのも恐縮ですが、上記の考えに基づいて考えると、AmazonやYahooオークションが究極の形というのは、少し違うと思います。
AmazonやYahooオークションで、自分だけの"最高"の物語を紡げるかどうかですが、私は極めて懐疑的です。
まずもって、要素が少なすぎます。
買い物を、その対象を獲得する行為として捉えていらっしゃるのかもしれないなと思いました。
男性的発想だと思います。

失礼しました。


詳しくは、↓こちらをどうぞ。

IT革命による社会的イノベーションの本質  ~新文化人と旧文化人~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/d1130a80a9b4ae5f165b423fee27075d

「価値基準の共有」と「ゆとり」は関係があるのか

2011-10-25 23:43:13 | 社会

ゆとりの大罪
http://anond.hatelabo.jp/20111024123904

私は、このリンク先の文章を読んで、「ゆとり」の何が悪いのかさっぱりわからない。

この文章の中で語られている要点を整理してみる。

・当人は「お菓子を買って来て」という言葉通りに要求を受け取った。
・ロールケーキはお菓子だから要求通りのはずである。
・しかし、要求を出した側は、お菓子にロールケーキが含まれるとは考えていない。

つまり、要求者と被要求者は「お菓子」という定義を共有していない。
片方はお菓子にロールケーキは含まれないと考えていて、もう片方はお菓子に関する制限はないと思っている。
お互いに共有している定義が異なるのだから、問題が起きてもおかしくない。

この話の問題点はこうだ。

(1) 「大事なお客さんへ持っていくお土産用のお菓子」に関する暗黙の了解を共有していない。
(2) わからなければ要求者かもしくは第3者に質問するなり相談するなりして確認すればよいが、当人はその必要性に気づけなかった。
(3) なぜなら「お菓子を買って来て」のメッセージに含意があるとは思わなかったから。
(4) (1)に戻る。

被要求者からすれば、「"適切なお菓子"というものがあれば、先に言ってくれればよいのに」という気持ちだろう。
要求事項に含めてくれれば問題は起きなかったかもしれない。
「○○を買いなさい」かもしくは「△△を買ってはいけません」かだ。

被要求者の立場からすると「言ってくれればできた。」と言いたいかもしれない。
事実、言わなければわからないことも数多くある。
しかし、要求者の立場からすると、いちいち全てのことを言わなければならなかったら、それは自分でやることと変わらないのだ。

そもそも分業とは、お互いに役割を分担することである。
相手の役割の全てについて自分が管理していたら分業の意味が無い。
自分の分身として育てるという目的以外で、自分と同じように相手を管理するのはコストの面からいって意味が無い。
相手に任せる部分がないと分業が成立しないのだ。

だが、分業をするにあたってお互いに安心して任せることのできる関係でないと、分業もままならない。
どうやって分業を実現するかといったところで、水平分業やら垂直統合やらという話が出てくるのだが、面倒なので説明を省略する。
要は、日本的組織によくあるのが価値基準を濃密に共有することで、コミュニケーション・コストを低減させ、意思疎通を図り分業を可能とするのだ。
すり合わせアーキテクチャと呼んだりする。

だから、この場合の根本的問題は、価値基準を共有していない、これに尽きるのだ。

では、なぜ価値基準を共有していないのか。
もしくは、価値基準を共有しなければいけないと思っていないのか。
(価値基準を共有していなくても、価値基準を共有しなければと思っていれば、何か理解すべきことがあるかもしれないと思える)
その理由が「ゆとり」ならば、「ゆとり」が原因だろうが、おそらく違う。

すみませんが、疲れて眠いのでまた今度にします。

「AKB48×イノベーション」でまとめるつもりはあります。

2011-10-25 22:55:53 | ブログ情報(News Release)
これまでAKB48ネタでかなりの数のエントリを書いてきたのですが、中には時間を掛けずに適当に流した感じのものもあったり、その当時AKB48に関してよく知らなかったりして、後から読むと「これはちょっと誤解を生むなぁ・・」思うものも少なくありません。
また、主張がいろんなエントリに分散して記載されているため、1つのエントリだけ読んでも当Blogの言わんとしていることが把握しずらいというのもあります。
なので、時間を見つけて、一貫性や統合性を持った1つのエントリにまとめた方がよいかなという気がしています。

しかし、ただまとめると、すごく長いエントリになってしまって読みにくくなるので、そこの工夫をするのが面倒だというか・・。
あと、まとめるぞと気合を入れると、たいていは行き詰るので、軽い気持ちでやらないといけないのも大変というか・・。

とにかくイノベーション系のネタはGoogleで検索すると上位に出てくるし、アクセス数も多いので、恥ずかしくない内容にまとめないと・・という危機感もあったりします。

まさか・・オリンパスお前もか?

2011-10-24 23:02:02 | ブログ情報(News Release)
本エントリは根拠の無い妄想であり、フィクションです。

架空計上した利益をM&Aの失敗に見せかけて蒸発させた?
狙ったのか偶然なのかリーマンショックで目くらましさせた上で。
もしかして、これはかなり大胆な粉飾スキームではないか。
しかも組織的な粉飾の可能性がある。
大型経済事件の予感がする。

現金は動いていないのだとすれば、当局は現金の流れを追えばわかるはずだ。
しかし、ウォール街出身の日系バンカーが粉飾スキームを提供したとして、ここまでは想定内か。
足がつかないように細工している可能性はある。

FBIも調査を開始したようだ。
初めは放漫経営の類かと思ったので経営者クビで済むかと思ったが、逮捕者が出る騒ぎになるかもしれん。

まるでドラマを見ているかのようだ。


ばれなきゃ出たのか・・恐ろしい。

オリンパス会長兼社長:世界経営者会議への登壇をキャンセル
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=jp09_newsarchive&sid=aoTULkMQCxM0

株価は急落

【AKB48】 AKB48ファミリーの年齢分布図と、地方アイドルの経済モデルの確立

2011-10-23 22:55:52 | AKB48
やはり図にするとわかりやすい。



個人的には、HKT48の平均年齢が13.8歳というところが趣き深い。
これは、AKB48がそうであったように、育てる期間を多くとるということではないか。
NMB48は大阪が大都市圏ということもあるし、東京(AKB48)と対抗し得るライバル性ということもあって、最初からマス展開を視野にいれたグループであったが、当初から心配されたように、その路線が裏目に出ている部分も多く見られている。
よって、HKT48は時間をかけて地道にいくような気がしている。
日本国内で考えると、都市圏での競争は激化していくので、今後は地方圏の市場をしっかり固められるかが重要となるからだ。

そのためにも、支持される基盤、とりわけ地方アイドルの経済モデルを確立することが重要である。
でないと結局、都市圏での競争に巻き込まれることを意味し、パイの取り合いになるだけだからだ。
都市圏経済に依存しないビジネスモデルを構築できるかが鍵であり、HKT48は、それに挑戦するグループなのだと、とりあえず考えておくことにする。

IT革命がメディアの特性を強調し、社会に変化を与えている

2011-10-23 22:49:36 | 哲学・思想
前回のエントリを少し補足しておきます。
IT革命による社会的イノベーションの本質  ~新文化人と旧文化人~

メディアとはメッセージである。


これはマーシャル・マクルーハンの有名な言葉だ。
マクルーハンはメディアを情報密度の高い「熱いメディア」と、情報密度の低い「冷たいメディア」とに定義した。
これは抽象的な概念で、この定義に厳密にこだわることに意味は無い。
(どのメディアが熱くて、どのメディアが冷たいかという事を真剣に考えるのは時間の無駄だ。)
ただ、この定義が言わんとしていることには大きな意味がある。
彼はこう言う。


ラジオのような「熱い」(hot) メディアと電話のような「冷たい」(cool)メディア、映画のような熱いメディアとテレビのような冷たいメディア、これを区別する基本原理がある。熱いメディアとは単一の感覚を「高精細度」(high definition)で拡張するメディアのことである。「高精細度」とはデータを十分に満たされた状態のことだ。写真は視覚的に「高精細度」である。漫画が「低精細度」(low definition)なのは、視覚情報があまり与えられていないからだ。電話が冷たいメディア、すなわち「低精細度」のメディアの一つであるのは、耳に与えられる情報量が乏しいからだ。さらに、話される言葉が「低精細度」の冷たいメディアであるのは、与えられる情報量が少なく、聞き手がたくさん補わなければならないからだ。一方、熱いメディアは受容者によって補充ないし補完されるところがあまりない。したがって、熱いメディアは受容者による参与性が低く、冷たいメディアは参与性あるいは補完性が高い。だからこそ、当然のことであるが、ラジオは例えば電話のような冷たいメディアと違った効果を利用者に与える。


つまり、こうだ。
情報密度の高い熱いメディアの場合は、受け手側で情報の補充なり補完なりをする必要がないので、受け手側の参与性が低い。
反対に冷たいメディアの場合は、受け手側が情報の補充なり補完をする必要があるので、受け手側の参与性が高い。
この2つのメディアに関する違いは、受け手側にに異なる効果を与える。

これは直感的だ。
新聞やラジオよりテレビの方がイメージを与えるのには適している。
百聞は意見に如かずではないが、文字や音声だけで説明されるより、映像で見たほうがイメージは持ちやすい。
逆に、何かの数値や手順といった詳細情報などは、映像よりも文字であった方が漏れが無く伝わりやすいだろう。
どちらが優れているかではなく、特性の違いである。

しかし、世の中の一般的な考え方はこうだ。

冷たいメディアより、熱いメディアの方が進んでいる。
だから時代は、冷たいメディアから熱いメディアへと移行していくのだ。

これはある側面では真実だ。
冷たいから熱いへの移行は、技術の進歩と関連している。
新聞 → ラジオ → テレビ → ハイビジョン・テレビ という流れは技術の進歩によってもたらされた変化だ。

だが、ここでも注目すべきIT革命による社会的な変化がある。
それは、Webの広がりによって、冷たいメディアである文字情報がメディアの主役に返り咲いたということだ。
勘の言い方はもうおわかりだろう。
そう、この変化は「マスの崩壊」とも関連している。
最近皆が「ごり押し」と感じることにも。

前回のエントリでも述べたことにつながっているのだ。
前エントリでは、情報の交換技術が進化し、情報が断片化されたことで、違いが先鋭化されたと説明した。
マクルーハンの言葉で言えば、受け手側の参与性が高いメディアが、IT技術によって力を得て、人々に自分だけの物語をつむぐ余地を作り出したということだ。
人々が扱う主要なメディアが変化したこと、そのメディアの性質によって、社会全体に変化が起きているというイメージを、ここで少しでも共有できれば幸いだ。

IT革命による社会的イノベーションの本質  ~新文化人と旧文化人~

2011-10-22 02:13:24 | 哲学・思想

久しぶりに本気出して書いてみました。が、書いた後に読み返してみたらヒドイ文章ですね。後で文章校正するかもしれません。
内容について気になる点やおかしな点、議論したい点などがあればご指摘頂けると嬉しいです。


違いが災いの元ではなく恵みであるためには、交換がためである。


分業は資本主義の基本的メカニズムと言われているが、この分業を可能にするのは交換だ。
交換できなければ、生きるための全てを賄わねばならず、特定の仕事に特化することができない。

交換を可能とする技術は時代とともに進化してきた。
池田信夫氏が言うように原始の時代に物々交換が存在したかどうかはわからないが、ドルや円の前にも、古くは絹や米などが貨幣として交換手段になっていたし、今では電子マネーやら電子決済という形態など様々な形での交換も可能となっている。

そして、今、IT技術の進化が、この交換にまつわる状況を急激に変化させ、社会的構造を大きく揺るがしている。
モバイル技術やクラウド技術の進化が不偏的な情報アクセスを可能にし、Webが、映像、音声、テキストなど電子化できるあらゆる情報へのアクセスコストを限りなく0に近づけているのだ。
さらに、BlogやSNS、とりわけTwitterなどのサービスは情報を細分化・断片化し、その断片化された情報を収集し、編集し、整理し、再構成することも技術の力で容易にした。

端的に言おう。
あらゆる情報が断片化され、交換可能になっているのだ。
これがどのような社会的変化をもたらすだろうか。
本エントリの初めの文章に戻ればわかるだろう。

違いが災いの元ではなく恵みであるためには、交換がためである。


あらゆる情報が交換可能となれば、違いが恵みとなり分業が進む。
つまり、このような社会においては、「違い」が先鋭化するということだ。
これは現在進行形で起きている変化だ。

そして、もう1つ見逃せない変化がある。

情報へのアクセスコストが限りなく0に近づくと、情報が自分のところにある必要がなくなる。
外部に整理された情報があり、その情報にいつでもアクセスできるのであれば、自分のところで解釈し整理する必要がなくなるのだ。
自分が整理したいと思う情報のみに専念し、他は外部から調達するのがよい。
交換技術の進化によって、ここでも分業が進むのだ。

この分業は非常に興味深い社会的変化をもたらす。
比較的に大きな物語や文脈といったものを練り上げるためには、ある程度の総合的な知見が必要であり、"専業化したい人々"には苦しい作業になる。
こうした専業化したい人々が、外部から大きな物語なり文脈を調達するようになるのだ。
そして、自分たちは自分たちの専念したいことに取り組む。
これがソーシャル・ネットワークにおいて、数多くの文脈のない言葉たちが生まれるメカニズムである。

発信者の意思(情報)はネットワーク上に偏在しており、発信者の意図を読み取るには、ネットワーク上に偏在している情報を統合する"Key"が必要である。
外側にいる人は、それらの情報を統合する"Key"を持っていないため、文脈のない情報に見えるのだ。
それはまるで暗号のように。

しかし、ソーシャル・ネットワークの世界では情報は都市化され城壁に囲まれているため、Keyは外側には見えない。
この問題は、これから、いや既にはじまっている新しい時代の要点となるであろう。
城壁を超え都市と都市をまたぐKey、今は、その可能性を探る長い旅の始まりだ。

★★★★★★

これまでの時代は、どちらかといえば大きな物語を皆で共有する時代であった。
人々は情報の交換手段として、マス・メディアのような大きな情報しか扱えないメディアに依存していたからだ。
また、マスメディアには双方向性や直接的なアクセス手段がなかったため、人々が手にすることのできる情報は限られていた。
これがIT技術の進化、インターネットの普及によってEnd to End、そして小さな情報を扱えるようになると、様相は大きく変わる。

人は、内面的作業の充実に飢えている。
その機会をより多く得るために、情報の交換手段の進化は福音だ。
人々は、この交換手段に飛び乗った。
自分だけの物語を紡ぐのに、現在ほど恵まれている時代は無い。

この進化した情報の交換手段を獲得した人と、そうでない人の間には、深い文化的な溝ができている。
前者は進化した新文化人であり、後者は旧文化人である。

新文化人にとってIT革命はイノベーションであり、人類はブルーオーシャンを見つけたわけだが、旧文化人にとってのIT革命は文化の破壊に見えるであろう。
ITは人類にとっての破壊的イノベーションなのである。

「マイ バラード」

2011-10-21 01:02:54 | ブログ情報(News Release)

詞:松井 孝夫

みんなで歌おう 心をひとつにして
悲しい時も つらい時も
みんなで歌おう 大きな声を出して
はずかしがらず 歌おうよ

心燃える歌が 歌がきっと君の元へ
きらめけ世界中に 僕の歌をのせて
きらめけ世界中に とどけ愛のメッセージ

みんなで語ろう 心をなごませて
楽しい時も うれしい時も
みんなで語ろう すなおに心開いて
どんな小さな なやみ事も

心痛む思い たとえ君を苦しめても
仲間がここにいるよ いつも君を見てる
僕らは助け合って 生きてゆこういつまでも

心燃える歌が 歌がきっと君の元へ
きらめけ世界中に 僕の歌をのせて
きらめけ世界中に とどけ愛のメッセージ

とどけ愛のメッセージ

車が通らない横断歩道の赤信号で、青信号を待つこと

2011-10-20 00:23:15 | スピリチュアル
伊集院光が語る「iPhone 4s発売日の行列はオカシイ」
http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-1723.html

う~ん、ピンとこないね。
人間って合理的な生き物じゃないから、全然おかしくないと思うけど。
だって並ぶことが幸せなんだもの。
デジタル技術がどう発展しようが並びたくなるんじゃないかな。
並ぶことがフォーカル・ポイントなら、そうなる。

車が通らない横断歩道の赤信号で、青信号を待つってことと同じさ。
合理的でないね君はって言うのは簡単だけど
なんで渡らないの?って聞くことに意味があるかな?

お釈迦様が「人生は苦だ」と言いましたと。
個人的には、その発言自体がすごくショッキングなことなのだけど、まぁそれはおいといて、
人生が苦なら死ぬのが善ですか?
遅かれ早かれどの道死ぬのに生きるのは無駄なことですか?

物語るってことなんじゃないかな。
生きるということは。
誰もが、自分自身の人生を生きているのさ。

オリンパスの自滅

2011-10-19 23:42:18 | 経済
これは・・興味深い。

解任されたウッドフォード前社長が菊川会長に宛てた手紙の和訳
http://japanprof.blogspot.com/2011/10/blog-post_17.html

で、菊川剛会長と森久志副社長に対し辞任を求めたウッドフォード氏が社長を解任されたと。
昔は他でもあったような話かもしれないけれど、今日こんな話聞くと驚くばかりだ。
取締役会が何を考えたのかよくわからないが、ウッドフォード氏を解任して問題の解決を図ろうと思ったのか?
オリンパスの取締役会って何の役にも立たないザルだということを周知するようなものだろう・・
会社よりも自分たちの利益を守ろうという経営陣では・・信用が急低下して金融機関などからの風当たりが強くなって、どのみち追い込まれて自分たちが辞めることになる気がするけれどね・・

【ももクロ】 Connecting the dots

2011-10-19 23:04:45 | ブログ情報(News Release)

ももクロ、日本最大のメタルフェスでアニメタルUSAとサプライズ共演

15日、埼玉・さいたまスーパーアリーナで開催されたメタル・フェスティバル「LOUD PARK 11」にて、ももクロがメタルバンドのアニメタルUSAとサプライズ共演した。
ももクロはメタルメーク&衣装で登場し、楽曲「マジンガー・メドレー」で共演。

ライブ後には、アニメタルUSAのメンバーと一緒に囲み会見に応じた。リーダーの百田夏菜子(17)は「普段とは違って衣装も違うし、曲も全部英語だったり、すごい緊張したんですけど、楽しかったです」とにっこり。有安杏果(16)も「こんなすごい生バンドさんと、すごいビートと音圧の中、一緒に歌わせていただいていい経験になりました」と達成感のある表情。佐々木彩夏(15)は「ももクロは言葉の壁を乗り越えようと努力しているので、その結果が今日のステージに表れたなと思います」と胸を張った。

 アニメタルUSAのボーカル、マイク・ヴェッセーラは、ももクロとのステージを「グレイト!」と喜び、「一緒にできて楽しかったですし、かわいい女の子だったのでまたぜひやりたいね」と感想。ももクロを本場アメリカのメタルフェスに連れていきたいと思う?と質問されると、メンバーは「いいね。われわれの女性版として一緒にやりたいね」と口をそろえ、将来の再共演を約束した。


ももクロの最近のマスへの快進撃は目覚しいものがあると思うのですが、
ここまで来ると流石としか言いようがありませんですな。
表現のしようがないでしょ。
形容する言葉が思いつかないんです。
だから言葉が生まれるんですね。
ももクロらしさとは、これなんです。

このピースが思いがけない繋がり方をする時、大輪の花を咲かすのだろうなぁと
感慨にふけてみました。

Connecting the dots.

若者の非活動性は、IT技術の進化による必然的な変化であり、彼らは文化的に進んでいる人たちである。

2011-10-19 22:47:52 | 社会
格差と若者の非活動性について(内田樹)
http://blog.tatsuru.com/2011/10/18_1255.php

大変恐縮ですけれども、内田先生、それは全然違います。
相変わらずイデオロギー史観という古いフレームに基づいた議論のように思います。

若者の非活動性をイデオロギーの埋め込みの失敗として語るのは、「社会」を弱者と対置して悪として描く物語としては面白いですが、まったくもって現実をいい当てていないです。

若者の非活動性は、社会的な取り組みの結果ではなく、技術(とりわけIT技術)の進化による必然的な社会的変化なのです。
それは、ビックピクチャーのような大きな情報ピースしか手に入らなかった時代は終わって、情報の断片化と、その情報へのアクセスコストが急激に下がったため、情報の編集や整理により自分だけの物語を創るという、より幸福度の高い内面的作業にかけれる時間が増えたわけです。
また、個人の裁量が増えたため、それだけ自分だけの幸福を追求できるようになったのです。

ソーシャルネットワークを見れば、この流れが一目瞭然ではないですか。
利用できるメディアの性質が変化してきていて、それが人間の精神的な消費行動にプラスに働いているということです。
Twitterの140文字制限によって、発言者はもはや文脈すら自分で持っている必要がなくなりました。
この変化の歴史的意味を感じましょうよ。

むしろ、非活動的な若者はあなたがたよりも文化的にはずっと進んだ存在なのですよ。
(自分たち大人は正常だと思うから、その正常性から逸脱した若者文化を理解できない。)
歴史認識を新たにする機会なのだと思います。

それを、今の若者は非活動的だといって「連帯せよ」などといって煽ることは、イデオロギーによる社会的失敗を、イデオロギーによって取り返そうとしているわけですね。
実に皮肉なことです。