進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

自然は命をムダにする

2012-12-01 17:02:00 | AKB48_行動原理系
『フリー』つながりで。


■哺乳類たる人類


我々、人間の脳はムダなことに抵抗を感じるように配線されている。

それは我々が哺乳類だからであり、自然界では比較的珍しいことだ。

哺乳類は動物の世界で最も子供の数が少なく、その結果、我々は子供が大人になるまで守るために膨大な時間と手間を費やす。

人間ひとりの死は悲劇であり、時には残された者が二度と立ち直れないこともある。

そして、我々は個人の命を何よりも大切にしている。


そのため、我々はムダに関して非常に発達した倫理観を持っていて、気に入らない玩具や食べ残しを捨てることに罪悪感を覚える。

その感情にちゃんとした理由がある時もある。

浪費によって社会的コストが増えることを理解している時だ。

だが、たいていは、単に我々の哺乳類としての脳が、罪悪感を覚えるようにプログラムされているからなのだ。


■自然界の多くの生き物


自然界の他の生き物はそうではない。

クロマグロは一回の産卵で1000万個もの卵を放出する。

成体になるのは、おそらくそのうちの10個くらいだ。

ひとつが生き残るために100万個が死ぬ計算になる。


自然は、よりよい命を探すために命をムダにする。

失敗に失敗を重ねながら、新しいDNA配列がときに古い配列を駆逐することを期待して遺伝子を変異させる。

そのようにして種は進化する。

生殖の優位性を決める過酷な争いによってその創造物のほとんどをすばやく殺すことで、自然はみずからの創造物をテストするのだ。


■進化戦略


自然界にこれほどムダが多い理由は、数学者が言う「ありうべき空間の完全な探査」を行うためには、やみくもに撃ちまくる戦略が最良の方法だからだ。

砂漠に少し離れて二つのオアシスがあるところを想像してほしい。

片方のオアシスのふちに生えた木には、子孫を残すためにふたつの戦略のどちらかをとることが出来る。

自分の根の近くに種子を落とせば、その種子が水を得られる可能性は非常に高い。

これは安全だが、すぐに過密状態を招くことになる。

あるいは、種子を空中に投げ上げ、遠くまで風に運ばせることも出来る。

これは、ほとんど全ての種子が死ぬことを意味するが、もうひとつのオアシスを見つける唯一の方法だ。

そこを新しい生息地として、おそらくはより豊かに繁栄することができる。

数学者が言うところの「局所的最大値」から「大域的最大値」へ至る道とは、その途上で多くの「最小」を探索して、消していくことなのだ。

ムダは多いが、最終的にはうまくいく可能性がある。


SF作家のコリイ・ドクトロウは、これを「タンポポの考え方」と呼んでいる。

タンポポの視点から見れば、個々の、というよりほとんどの種子の損失は重要ではない。
重要なのは、春が来るたびに全ての舗装道路のすべての裂け目がタンポポで埋まることだ。
タンポポはただひとつの貴重な自分のコピーを世話して、それがやがて自分の元を離れ、注意深く道を選んで生育に最適な環境へと到達し、そこで家系を永続させることを望んだりしない。
タンポポが望むのは、あらゆる繁殖の機会を利用することなのだ。



■進化状態によって異なる進化戦略


哺乳類は、地球上では最も知的に進化した部類に入る。

それも、他の追随を許さない圧倒的な強者だ。

だから、進化のスピードは速くなくていい。

少なくても短期的には、進化せずとも生き残れるからだ。

急激な変化をするよりも、一つ一つの命を大切にすることによって、最も生き残る可能性が高くなる。

だから子供の数は少なくていいし、一つ一つの物事に安定を求める。


これは、生物だけの話ではなく、組織に置き換えても同じである。

イノベーションを求める企業は、クロマグロと同じく多くの施策を試す探索型の組織でなければならない。

逆に持続的イノベーションに力を入れる企業は、一つの事業を大切に育てていくことになるだろう。


理想を言えば、出来る限り多くのことをやりながら、その一つひとつを大切に育てることだが、そこにはコストとのトレードオフがある。

矛盾する双方を追求していきながらも、しかし、どこかで妥協点を見出さなければならない。

「フリーランチはない。」である。


■転じてAKB48


可能な限り大量に取って、出来うる限り一つひとつを大切に育てる。

が、いろんな可能性を探す方にバランスをとっているので、あえてをムダを作って、それを排出もしていくのは致し方ない。

という方向性であるのだよなぁ・・。

こればっかりはぁ・・。

いや、誰が悪いという話ではないんだよなぁ・・。



--------------------------------


如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062


AKB48を語るときに知っておきたい「フリー」
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/82ed0d579063ea817ff35cfff964832d


「潤沢さ」を理解し利用することで、フリーを武器にする
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/8ba5c9561ee4339a13781c118036e9ee


AKB48とフリーミアム
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/967345b9aeaa28b123bdca39a426e4d8

AKB48とフリーミアム

2012-12-01 14:14:11 | AKB48_行動原理系
AKB48を語るときに知っておきたい「フリー」
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/82ed0d579063ea817ff35cfff964832d


つい先日、↑上で「フリーミアム」について触れたが、「フリーミアムは時代遅れ」と言われた。

「Facebookの体たらくを見ていたらフリーミアムも流行言葉だったね。」と。

何を言っているのかわからない。



クリス・アンダーソンは、「フリーミアム」は「時間と金の方程式」に基づいているといっている。


クリス・アンダーソン『FREE フリー <無料>からお金を生み出す新戦略』




フリーミアムというのは、95%の無料ユーザに「時間」を使わせて、5%の金持ちユーザに「金」を使わせるのだ。


例えば、子供の時は、お金よりも時間を多く持っている。

だから、手間がかかっても無料のMP3ファイルの交換をするしかない。

かつてスティーブ・ジョブズは次のように指摘した。

P2Pのサービスで音楽をダウンロードすれば、問題のあるファイルフォーマットを扱うことになりやすい。

アルバム情報がなかったり、目当てでない歌がダウンロードされたり、音質が悪かったりする可能性がある。

お金を払わないために時間をかけることは、最低賃金以下で働いていることを意味するのだ。

それでも、時間がたくさんあってお金がなければ、それは合理的行動になる。

そういう人にとってはタダは正当な価格なのだ。

だが、歳を取って時間とお金の関係が逆になると、正規のダウンロードにかかる99セントはたいした金額に思えなくなる。

そうすると、フリーミアムの世界において、お金を払う顧客になるのだ。

(これがiTunesというサービスの理念的な支柱である)


無料オンラインゲームでは、いろいろなアイテムを買うことができる。

たとえば、お金を払えば一瞬で場所を移動できるので、長い時間を歩く必要もバスを待つ必要も無い。

アイテムを購入することで時間をかけずに能力を向上させることもできる。


もう一つは、我々が有料のものを選ぶ理由は、目当てのものが得られないリスクを下げるためだ。

有料のものには保証がつくが、一般にフリーには保証がない。

だが、フリーは信用を広めるのに役立つ。

例えば、オープンソースを使ってユーザはそれをリスクなしに検査し、試すことができる。

さらに、自分のニーズに合うように改良可能な無料版があるという事実は、より大きなユーザ・コミュニティを引きつける。

だから、その製品に関して多くのユーザから知識が寄せられるし、困ったときには助けてもらえることもある程度に保証されている。

フリーと有料との連携がうまく機能するのは、これが理由だ。

お金よりも時間がある人、その逆の人、自分の技能に自信があって自分の手で物を作りたい人、その逆に誰かにやってもらいたい人など、幅広い消費者心理が存在する。

フリーと有料をうまく組み合わせれば、そうした幅広い心理をすべてカバーできる。



フリーを使って、消費者があつまるコミュニティを作る。

それは結局、物語性の問題であり、人々は物語の始まりや中盤、結末や筋を知りたがる。

その上で、心理学でいうところの、他人がしていることも自分もしたいと思う「模倣欲求」をたきつけて、時間はないがお金を持っている消費者に有料サービスを売るのだ。

95%の無料ユーザを5%の有料ユーザが支えるフリーミアムの構図は、高い規模拡張性を持つインターネットと、模倣コストが低いデジタル技術が可能にしたのだ。


これをAKB48に転じてみると、フリーミアムの要素が変形した形で入っている。

インターネットを通じて膨大な情報(映像やテキスト)に無料でアクセスできる環境があり、それを使ってより大きな物語性の強いユーザー・コミュニティを作り、5%の上顧客からたんまり料金を取るのだ。

(実際、AKB48のファンの95%は在宅ファンだといわれている。)

これはAKB48にとって規模が必要になる一つの理由でもある。

それらを踏まえて、当Blogで以前から指摘しているのは、物語性の部分が弱くなってきてることなのである。


------------------------


如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062


「潤沢さ」を理解し利用することで、フリーを武器にする
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/8ba5c9561ee4339a13781c118036e9ee

「潤沢さ」を理解し利用することで、フリーを武器にする

2012-11-25 18:38:29 | AKB48_行動原理系
前回の補足を。


如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062


AKB48を語るときに知っておきたい「フリー」
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/82ed0d579063ea817ff35cfff964832d


今回も参考図書としてクリス・アンダーソン『FREE フリー <無料>からお金を生み出す新戦略』を使います。





--------------------

■ゼロの歴史

上のリンク先でも述べたのだが、ゼロの歴史は古代バビロニアまで遡る。

古代文明において文字が発明されたのは契約や管理の必要性に迫られたからだとする学説が有力であるが、おそらくゼロにも類似した背景があったと思われる。
(中国の甲骨文字は宗教的背景により生まれたとされている。)

(古代バビロニアは時間を基にした60進法だったので、時間との相性が良い。)

数の数え方を工夫する必要があったのだ。

ただ、多くの文明が記号としてゼロを使っても、「概念としてのゼロ」にはたどり着かなかった。

古代ローマ人はローマ数字でゼロを使わなかったし、古代ギリシャ人ははっきりとゼロを拒絶した。

彼らの数学は幾何学に基づいていたので、数字は長さや角度、面積などの空間を表すものだった。

そのため「ゼロの空間」は意味を成さなかったのだ。

ギリシャの数学を代表するのはピタゴラスとピタゴラス学派で、算数がマイナスの数字や無理数、さらにはゼロを生み出すことを理解していたが、それらは自然の形ではないという理由で否定していた。


■概念としてのゼロ


この視野狭窄もわからないでもない。

数学が現実の物事を表すものだとされる社会では、何もないことを表す数字は必要ない。

それは抽象的な考えであって、抽象的な数学の世界に出てくるものに過ぎない。

イギリスの数学者アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは1911年に次のように記した。

ゼロについて大事なことは、日常生活ではそれを使う必要がないことだ。
誰も魚をゼロ匹買いに行かない。
ある意味でゼロは奇数の中で最も洗練された数字で、洗練された思考のために必要となるに過ぎない。


インド人は数字が現実の物事だけを表すものだとは見ずに、概念としても捉えた。

東洋の神秘主義は陰と陽の二重性を通して、有形と無形のモノを両方とも取り込んだ。

シヴァ神は世界の創造者であると同時に破壊者だ。

ニシュカラ・シヴァ神の一側面は、「何もない」、つまり空のシヴァだった。

数字を現実の物質と切り離すことで、インド人は代数学を考え出せたのだ。

数学を発展させていき、9世紀までには、マイナスの数字とゼロなどを論理的に導き出していた。

「zero」の語源はインドにある。

インドでゼロは「空」を意味する「sunya」であり、それがアラビア語の「sifr」に転じて、西洋の学者がラテン語化し「zephirus」として、それから現在の「zero」になったのだ。


■武器となるフリー


「ゼロの概念」を理解することは、「フリー」を考える上で非常に重要だ。

今日、市場に参入する最も破壊的な方法は、既存のビジネスモデルの経済的意味を消滅させることだ。

既存ビジネスが収益源としている商品(商品を規定している重要な要素)をタダ(ゼロ)にするのだ。

すると、その市場の顧客はいっせいにその新規参入者のところへ押しかけるので、そこで別のモノを売りつければよい。

(クレイトン・クリステンセンは既存のビジネスモデルの中で中核となっている要素を無効化するそのようなイノベーションを「破壊的イノベーション」と呼んだ。)


■潤沢な時代


20世紀には、人々がフリーを概念として受け入れはじめただけではなく、そのフリーを現実のものにするための重要な現象も起きた。

それは、モノが潤沢にある時代の到来だ。

それ以前のほとんどの世代は、衣食住の欠乏を常に心配していたが、この50年ほどの間に先進国に生まれた人は、モノが潤沢になることが当たり前になっている。

そして、人間が生きるために最も必要な食料において、この潤沢さは顕著なのだ。

この50年ほどの間に、農業の世界では劇的な変化が起きて、人間は植物を育てるのがとてもうまくなった。

技術革新によって稀少だった農作物が潤沢になったのだ。

そして、この話からは、稀少な主要資源が潤沢に生産されるようになるときに何が起こるかを知る手がかりになる。


■農業革命<緑の革命>


農作物を育てるのに必要な要素は5つである。

太陽、空気、水、土地(栄養)、労働力の5つだ。

太陽と空気はタダだし、農作物を育てる場所の降雨量が多ければ、水もタダになる。

(繁栄した文明は大規模な灌漑施設を作って水の問題を解決していた。)

残るのは土地(肥料)と労働力ということになるが、これはタダではないので、農作物の価格の大半はその費用となる。


産業革命は19世紀になると農業を機械化し、労働コストを大きく下げて、収穫量を増やした。

だが、食糧経済を本当に変えたのは、1960年代に発展途上国で農業の効率化を進め、労働力の削減へと繋がった「緑の革命」だ。

この第2の革命の鍵は、化学にあった。

人類の歴史の大半において、人間が得られる植物の量を決めてきたのは、実は「肥料」である。

農作物の収穫高は、動物と人間の排泄物を中心とした肥料をどれだけ使えるかで決まった。

そして、農地で家畜と作物による栄養サイクルの相乗効果を望むのであれば、両者の使う土地を分けざるを得なかった。

しかし、19世紀の終わりに、植物学者は植物に必要な主栄養が「窒素」と「リン」、「カリウム」であることを解明しはじめたのだ。


20世紀に入ると、一部の化学者がそれらの栄養素を合成する研究にとりかかり、そして飛躍的進歩はBASF社で働くフリッツ・ハーバーの発見によってもたらされた。

空気と天然ガスを高圧・高温下で混ぜることによって、空気の中から窒素をアンモニアの形で取り出すことに成功したのだ。

安価な窒素肥料は1910年代にカール・ボッシュの手で商品化された。

それにより農作物の生産量は大きく増え、マルサス主義的災厄、つまり人口爆発による飢餓という長年危惧されてきた辞退を避けられるようになった。

現在、アンモニアの製造で世界の天然ガスの約5%を消費していて、それは世界のエネルギー消費の2%に当たる。


この窒素肥料は、肥やしに頼っていた農民を解放した。

窒素肥料と化学殺虫剤、化学除草剤によって緑の革命は成し遂げられ、世界の食料生産量を約100倍に増やすことで地球は増加する人口を養えるようになった。

特に、新たに登場した中産階級は食物連鎖の高いレベルにある食べ物を望み、穀物よりも資源集約的な肉を好むようになった。

食料生産量が上がった効果は劇的だった。

先進国の家庭の平均収入に占める食費の割合はかなり低下したのだった。


■潤沢さの象徴:トウモロコシ


農作物の潤沢さを私たちが実感できるものといえば、「トウモロコシ経済」だ。

実にデンプンが詰まったこの特別な植物は、人間が何千年もの間、品種改良により実を大きくしてきたので、1単位面積あたりの生産高は地上のどの作物よりも高い。

歴史家は、米と小麦、トウモロコシという3つの穀物を通して主要な古代文明を見てきた。

米はたんぱく質が豊富だが、育てるのが難しい。

小麦は育てやすいが、たんぱく質が少ない。

トウモロコシだけが育てるのが簡単な上、たんぱく質が豊富なのだ。

それらの穀物が必要とする労働力に対する実に含まれるたんぱく質の量の割合が、その穀物を主食とする文明の進む道に影響を与えた。

その割合が高ければ高いほど、少ない労働で自分たちを養えるので「社会の余剰」が発生する。

それが与える影響は肯定的なものに限らない。

米と小麦を主食とする社会は農耕社会で、内側へ向く文化になりやすい。

おそらく米と小麦を育てる過程で彼らはかなりのエネルギーをとられてしまうからだ。

一方、マヤやアステカなどトウモロコシを主食とする分化は、時間とエネルギーが余っていたので、よく近隣の部族を攻撃したという。

この観点に立てば、アステカ人を好戦的にしたのは潤沢なトウモロコシだったのだ。

(実際の歴史は、このトウモロコシによって支えられた文明は大陸からやってきた侵略者に征服されてしまう。これはトウモロコシの品種改良には非常に長い時間がかかっており、古代文明の食糧生産における優位性は小麦や米のほうに軍配が上がるからだ。また南北アメリカ大陸には大型動物が生息していなかったため、動物の家畜化による恩恵を受けれなかったことも大きい。このあたりは『銃・病原菌・鉄』が詳しい。)


今日、我々はトウモロコシを食べる以外の用途にも使っている。

合成肥料と育種技術により、トウモロコシは太陽と水を他のどんな植物よりも効率よくデンプンに変換できるようになり、人間が食べきれないほどの量を作れるようになったのだ。

そのため、トウモロコシは絵の具から容器まで様々な製品の材料となっている。

チキンナゲットはトウモロコシ尽くしだ。

鶏はトウモロコシを餌に育てられ、ナゲットにはつなぎとしてコーンスターチが使われているし、バターにもコーンフラワーが入っているし、コーンオイルで揚げている。

ナゲットに入っている酵母やレシチン、モノグリセリド、ジグリセリド、トリグリセリド、魅力的な金色にして鮮度を保つためのクエン酸も全てトウモロコシを原料としている。

練り歯磨きや化粧品、使い捨てオムツ、洗剤、段ボール箱、壁張り用材やパテ材、床、接着剤にまでトウモロコシが含まれる。

スーパーマーケットにある商品の4分の1にトウモロコシが入っているといわれている。

有り余るトウモロコシは、今ではエタノールという形で車の燃料にも使われている。


■たくさんありすぎて気づかない


人間は、モノが潤沢なことよりも、稀少なことを理解しやすいようにできている。

なぜなら私達は生存のために、脅威や危険に過度に反応するように進化してきたからだ。

我々の生存戦術の一つに、モノがなくなりそうな危険に注意を向けることがある。

進化の観点から言えば、潤沢にあることは何の問題にもならないが、稀少な場合は奪い合いになる。


トウモロコシの例のように、我々はその一生の間にモノが潤沢になっていくことを実際に経験しても見落としがちだ。

ひとたびモノが潤沢になると、ふだん空気を意識せずに呼吸をしているのと同じで、我々はそれを無視しやすくなるのだ。

経済学が「稀少なものの選択」の科学だと定義されるのはここに理由がある。

潤沢にあるときには選択の必要がないので、それについて考えなくてよいのだ。


中世ヨーロッパでは、海に面していない地域では塩が不足していたので、塩は金と同じように「通貨」として使われた。

現代の塩はどうだろうか?

どの料理もタダ同然で入れられる調味料だ。

安すぎて誰も気にしない。


1900年に、最も基本的な男性用肌着はアメリカでの卸価格が約1ドルだった。

(この価格はインフレ調整前のもので、当時の1ドルは今の25倍、今なら25ドルだ。)

1ドルは高かったので、平均的なアメリカ人はシャツを8枚しか持っていなかった。

しかし、今では使い捨てである。


20世紀における潤沢さの最も身近な例は、プラスチックだろう。

タダに等しく、加工しやすい。

究極の代替商品であるプラスチックは、製造と材料のコストを実質的にゼロにまで下げた。

形も質感も色もお望みのままだ。

第2次世界大戦中に、プラスチックは重要な戦略物資となり、アメリカ政府は10億ドルをかけて合成樹脂製造工場を作った。

戦後、その生産能力はすべて消費者市場に向けられ、この加工しやすい素材はとても安くなった。

プラスチックの第1世代は、使い捨てではなく、優れた素材として売られた。

それは金属よりも望みの形に加工しやすいし、木よりも長持ちする。

ところが、第2世代のプラスチックやビニール、ポリスチレンはとても安くなったので、無造作に捨てられるようになった。

1960年代には、カラフルな使い捨て商品が物不足を克服した工業技術の勝利を告げる社会の象徴となった。

工業製品を使い捨てることは無駄ではなく、進んだ文明の特権だったのだ。

ところが、1970年代に入ると、使い捨て文化が環境に与えるコストが目立つようになり、過剰に溢れるモノに対する姿勢が変わり始めた。

プラスチックはタダ同然の価格だったが、それはたんに適切な価格付けがなされていなかったからだ。

環境に悪影響を与える外部不経済のコストも考えれば、おまけで付いてくるおもちゃを1回遊んだだけで捨ててしまうのは、後ろめたく思うべきなのかもしれない。


■潤沢さは勝利する


20世紀について特筆されるべきは、潤沢さがもたらした大きな社会・経済的変化だ。

自動車は膨大に蓄えられた石油を地下から採掘できるようになったことで実現した。

石油は、稀少な鯨油に代わり、どこでも手に入る液体燃料となった。

巨大コンテナのおかげで、港での積卸に大勢の港湾労働者は必要なくなった。

そのため、船積みの費用は安くなり、余った労働力を他に回せるようになった。

そして、コンピュータは情報を潤沢にした。


水が常に低いところへ流れるように、経済も潤沢な方へと流れた。

あらゆる製品はコモディティ化されて安くなっていき、企業は儲けを求めて新しい希少性を探している。

ここで一つ重要なことは、コモディティ化した商品は安くなるが、その価値はよそに移っていくということだ。

クレイトン・クリステンセンは(『イノベーションのジレンマ』次作の)『イノベーションへの解』の中で、マイケル・E・ポーターのバリューチェーンを産業界全体に拡張した上で、価値がそのバリューチェーンの上を移動していく「魅力的利益保存の法則」を主張している。

価値あるものがコモディティ化して価値が下がり、価値のあるものは、まだコモディティ化していないものへと移る。

知識労働者は希少性を求めてコモディティ化の川をさかのぼっていくが、その線引きは常に動いている。

システムは本質的に動的で複雑なのだ。


潤沢さにもとづく思考は、何が安くなるのかを見つけるだけではなく、価値がどの方向へと移ろうとしていて、その結果、何の価値が上がるのかを探り、利用することでもある。

それは、19世紀はじめにイギリスの経済学者、デイヴィッド・リカードが国同士の比較優位を唱えるずっと前から、成長の原動力となってきた。

これまでの潤沢さは、他国の潤沢な資源や安い労働力による製品で成り立っていたが、今日の潤沢さは、シリコンチップと光ファイバーによる新しい製品によって作られている。


■潤沢さを理解し利用する


ここまで長々と説明してきて、最後はあっさり締めようと思う。

(いや、疲れたんだ・・昨日、知人の結婚式で深夜まで飲んで二日酔いっていうのもあり)



稀少なものと、潤沢なものの管理が重要だ。

いや、正確には、何を稀少なものとして、どういう潤沢さを利用するか、もしくはどういう潤沢さを醸成するかという視点である。

何か望むもののために、価値のあるものを実現しようとする時、その前段で、どういう潤沢さを獲得すべきなのか、ということである。

潤沢さそのものは目的ではないが、目的を達成するために必要なものである。

さらにいえば、潤沢さは目的の達成を保証しない。


だが、潤沢さの勢いは留まることを知らない。

あらゆる業界で潤沢さの波は押し寄せてくる。

しかし、人間は潤沢さには気づけないから、潤沢さを理解しようとしなければ、押し流されてからその波に気づくことになる。

そして潤沢さは勝利するであろう。

「フリー」を武器にできるもできないも、この「潤沢さ」理解し、利用することができるかどうかにかかっている。

AKB48を語るときに知っておきたい「フリー」

2012-11-23 18:33:16 | AKB48_行動原理系
題名が偉そうですみません・・
今日は過去エントリの補完をしておきたいと思います。

※よく使う概念は書いておいて使い回すのが吉ですな


如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062


上のエントリで「ゼロ」の力を使ったAKB48の戦略のあるべき姿を述べたのですが、一段と理解を深めるために、今回はそこでは説明しなかった前提知識をいくつか書きます。

参考図書は、フリーといえばこの本が有名ですね。

クリス・アンダーソン『FREE フリー <無料>からお金を生み出す新戦略』




--------------------------


■「フリー(free)」とは何か?

「フリー」という言葉は多くの意味を持つし、その意味は時間とともに変わってきた。
フランス語やスペイン語、イタリア語などラテン語を起源とする言語では、「自由」と「無料」は別々の単語となるのでわかりやすい。
それに対して、英語の「free」は「自由」と「無料」の2つの意味を持つ。
その両義性ゆえにマーケティング上の長所もある。
「自由」という良い意味が、セールス上の策略に対する我々のカードを下げさせるのだ。
とはいえ「free」が2つの意味を持つのは紛らわしくもある。

どうして、英語では「free」という1つの言葉になったのだろうか?
面白いことに、「free」のルーツは「friend(友人)」と同じだという。
語源学者のダグラス・ハーパーはこういう。

「free」と[friend」の古英語の「freon」「freogan」という「自由」と「愛」を意味する言葉に由来する。
元の意味は、「最愛の、友人」だったと思われるが、ドイツ語やケルト語をはじめ、いくつかの言語で「free(自由)」の意味が発達したのは、「親愛の」や「友人」の言葉が、同じ氏族の奴隷に対して使われるようになったからだろう。
「無償で与える」という意味は1585年に登場したと思われるが、これは「費用からの自由」と考えられたのだ。

「free」は、社会的意味の自由、つまり「奴隷からの自由」と「費用からの自由」に由来する。

なので、ここでは「free」という言葉を「無料」ではなく、「費用からの自由」の意味で使うことにする。


■内部相互補助


There's no such thing as a free lunch.
(「この世にただのランチはない」を意味する慣用句)


この言葉の本質にあるのが、「内部相互補助」である。
ランチを食べた者がお金を払わないとすれば、それは結局、その人にタダでランチを提供しようとする誰かが払っているに過ぎない。

人々は時々、こうして間接的に商品の代金を払っている。
フリーペーパーは広告収入で運営されていて、それは広告主である小売業者などのマーケティング予算から出ている。
そして、その費用は商品の価格に上乗せされるので、最終的に読者かその周りの人が、価格が少し高くなった商品を買うことでそのコストを負担することになる。
スーパーマーケットの無料駐車場は、商品からの利益でまかなわれているし、無料サンプルのコストは、その商品を買う客によってカバーされている。

贈与経済というのもある。
例えば、ブログは無料で、広告収入がない場合も多いが、読者がブログを訪問するたびに何かしらの価値が交換されている。
コンテンツを無料とする代わりに、読者がそのブログを訪問したり、そこにリンクを張れば、そのブロガーの評判が上がる。
ブロガーはその評判を利用してよい仕事を得たり、ネットワークを広げたり、多くの顧客を見つけたりできる。
時として、その評判はお金に変わることもあるが、いろいろな方法があるので、一概にいうことはできない。



内部相互補助には、現在確認されているモデルが3つある。

- 直接的内部相互補助
- 三者間市場
- フリーミアム

そして、贈与経済のモデルとして1つ。

- 非貨幣経済


それぞれ説明する。


・直接的内部相互補助




「DVDを1枚買えば、2枚目はタダ」だとか、「無料サンプルお配り中」だとかといった売り文句に接することが多いだろう。
このモデルの先駆的な商品となったのが、ヒゲ剃りの「ジレット・モデル」だ。
ジレットは、使い捨ての刃がついたT字型の安全カミソリを開発し、安い値段で安全カミソリを売り、利益率の高い替え刃で儲けるビジネスモデルを構築した。
この数十億枚の替え刃を売ることで利益を上げるビジネスは、あらゆる産業のお手本となった。
(カミソリを無料で配ったという話は都市伝説らしい。)
「携帯電話をタダで配って月々の利用料で儲ける」や「テレビゲームの端末を安く売って、ゲームソフトで儲ける」、「オフィスにタダでオシャレなコーヒーメーカーを設置させてもらい、利益率の高いコーヒーパックで儲ける」といった話など様々である。


・三者間市場




メディアの基本がこのモデルである。
メディアが制作物をタダかもしくは安い価格で消費者に提供し、広告主がお金を払う。
おかげで、日本ではラジオもテレビも無料である。
(有料放送もあるが)

経済学者は、これを「市場の二面性」という。
お互いに支え合う2組のユーザー集団がいるからだ。
広告主は広告を消費者に届けるためにメディアにお金を払い、消費者はその代りに広告主を支援する。
結局のところ、そのマーケティング費用は、商品の代金に上乗せされた形で消費者が支払うことになる。

この形はメディア以外でも成り立つ。
例えばクレジットカードでは、銀行は無料で消費者にカードを発行し、消費者が店でそれを使えば使うほど、銀行に手数料が入る。
OSのプラットフォームを消費者にとって魅力あるものにするために、より多くの消費者に使ってもらおうと、アプリケーションソフトの開発者にOSツールを無料で配るのも同じだ。
消費者が基本製品が無料だと感じるように、コストは分散されたり、隠されたりする。


・フリーミアム




これはベンチャー・キャピタリストのフレッド・ウィルソンの造語だ。
Webにおけるビジネスモデルとしては一般的だ。

フリーミアムは無料サンプルを配るのとは少し毛色が違う。
従来の無料サンプル、たとえば試供品を作るのには実費がかかるので、生産者は少量しか配れなかった。
少量で消費者を引き付けて、より多くの需要を生もうとしていたのだ。

一方、デジタル製品においては、無料と有料の割合は全く異なる。
世にいう「95:5の法則」や「5%ルール」のことだ。
つまり、5%の有料ユーザーが残りの95%の無料ユーザーを支えているのだ。
フリーミアムのモデルでは、有料版を利用するユーザー1人に対して、無料の基本版ユーザーが19人もいることになる。
しかし、それでもやっていける理由があるのだ。
19人の無料ユーザーにサービスを提供するコストが、無視できるほどゼロに近いからだ。


・非貨幣経済




WkipediaやLinuxなどを見れば、金銭以外にも人を動機付けるものがあることはわかる。
エドワード・L・デシの「内発的動機付け」を筆頭に、最近ではダニエル・ピンクの「モチベーション3.0」として語られることが多いものだが、利他主義は常に存在してきたが、WebやSNSの登場で個人の行動が世界に影響を与えられるようになったのだ。
流通コストがかからないことが、「共有」を一つの産業規模にしたと言える。

貨幣経済からしてみれば、不当な価格競争のようにも見えるかもしれないが、その見方は、そこで創られるものの価値を近視眼的にしか評価していない。
シェア(共有)を促すものは、評判や関心であり、それより目立たないが表現、喜び、善行、満足感、あるいは単なる私利である。
時に知らないうちに誰かに何かを与えていたり、いやいやながらも与えたりする場合もある。

余談だが、私たちは、SNSの「いいね!」や「+1」を押したり、投票に協力したり、ヤフー知恵袋に応えたりする。
グーグルで検索するたびにユーザは、ターゲット広告の為のアルゴリズムにグーグルが磨きをかけるのを助けている。
サービスを利用する行為が、なんらかの価値を生み出している。
それはサービス自体を向上させるためだったり、どこかで役に立つ情報を作る事だったりする。
知る知らないに関わらず、我々は何か無料のものを手に入れる代償として労働力を提供しているのだ。


■ひるがえってAKB48


上記で、フリーの基本的なモデルについて説明したが、AKB48のビジネスの多くの部分はこのモデルを使って解釈できるし、戦略を練るにあたってはそのままというより、これらをミックスしていくことになる。

(『フリー』については広告やメディア業界の皆様はよくご存知であろうから、当然そうなる。)

AKB48は各コンポーネントを持っているし、創り上げる力もあるので、それらをストーリーとして繋げていけば競合よりも強いビジネスモデルを作れるのであるし、実際これまでのAKB48の新規性の背景には、この収益モデルの新規性があったのである。

しかし、ここで注意すべき点は、環境が変化するとモデルにも修正が必要になってくるということだ。

状況が変わってきているのに、既存のモデルを使いまわすと無理が出やすい。

全てが変化するこの宇宙では、モデル自体をアップデートしていくのは必然であるのだが、このアップデートのスピードよりも状況の変化のスピードが上回ると衰退することになる。

状況が非連続に変化する時には、「持続的イノベーション」による漸進的な変化スピードではなく、「破壊的イノベーション」のような非連続なモデルのアップデートが必要となる。

最近のAKB48の勢いが落ちてきていると思われるような背景には、成長率の落ち込みの他にも、運営がどのようなモデルで収益を上げようとしているのか見えなくなってきているからというのもあるし、既存のモデルの無理強いに感じることが多くなってきているということだと思う。

(ちょっと最後時間ないのでなげやりに・・)

揺れ動く恋心 ~「選択の自由」と「報酬の不規則さ」の曖昧な関係~

2012-08-06 00:29:31 | AKB48_行動原理系
さて、ニワカな知識でAKB48について語るシリーズの続編です。


「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152


指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c


人はおとりに釣られる。 相対性の前では全てが錯覚。 ~おとり効果~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7fc79b658340efabf6fb9461cbf8231d


如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062


エンターテイメントが感動を求めてやまない理由 ~ピーク・エンドの法則~ [作成中]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1437ce8f735583fa0634880965a7d219


AKB48と自分のモノという意識の深い関係 ~所有意識~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e763b2d0812b7407b30562276345df02


人と違うことは良いことなのか? ~独自性欲求~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1f96c889e6710c1b2bddda22cc72366e


今回の参考図書はダン・アリエリー『予想通りに不合理(増補版)』です。





◆◆◆◆◆◆



■揺れ動く恋心


こんな経験をしたか、もしくは聞いたことはないだろうか。


元カレ(元カノ)と今カレ(今カノ)の間で揺れ動く経験。


架空の女性マリ(まりやぎのマリね)は元カレと今カレの2人について悩みを抱えていた。

マリの前には、2つの選択肢がある。

新しい彼にエネルギーと情熱を注ぎ込んで、(できることなら)長く続く関係を築く。

あるいは、消えかけている元カレとの関係に時間と努力を注ぎ続けることもできる。

元カレより今カレの方が好きなのはハッキリしていたが、マリは元カレとのこれまでの関係を手放すことができないでいる。

そうこうしている内に、今カレがそわそわしはじめた。


マリにこう質問してみる。

「君は、そうまでして愛する今カレを失う危険を冒したいのかい?」
「今カレとのデートを重ねているうちに、やっぱり元カレの方が好きだと気づくかもしれないという万に一つの可能性のためだけに、吹っ切れないのでいるのかい?」

すると、マリは首を横に振り、泣きながらこう言った。

「いやです。」


選択の自由というのは、何がこれほどまでに難しいのだろう?

たとえ大きな犠牲を払ってでも、できるだけ多くの選択肢の扉を開けておかなければならない気がするのはなぜだろう?

私達は、なぜハッキリした態度を取ることができないのだろう?


■扉ゲーム実験


MITで行われたコンピューターゲームをベースとした実験「扉ゲーム実験」の結果を使って、人間の選択に関するある特徴を浮き彫りにする。


実験1:

コンピューター画面に「赤」「青」「緑」の3つの扉が現れる。

被験者は、3つの扉どれかを開いて部屋の中に入る。

部屋の中をクリックすると、1クリック毎に賞金が手に入るが、その額は部屋によって異なる。

額は部屋ごとに変るが、固定ではなくある範囲でランダムで決定される。

クリックの上限は100回だ。

簡単な実験だ。

この実験で最大にお金を稼ぐには、最も高い賞金が用意された部屋を見つけて、その部屋でクリックしまくることだ。


実験結果は予想通りとなった。

最初に3つの扉すべてを開けて部屋に入り、最も賞金の高かった部屋に戻ってクリックしまくるのだ。


考察:

単純な設定とハッキリした目標(この場合はお金を稼ぐ)が与えられれば、人間は誰でも、かなりうまく喜びを追い求められる。

この実験をデートに置き換えると、マリは1人目の相手と試しにデートし、別の相手でも試し、そのうえ3人目にも浮気したことになる。

3人みんな試した後は、最高の相手に戻り、ゲームの最後までそこで過ごした。

しかし、マリはハッキリ言ってたいして苦労していない。

他の誰かと浮気している間に、それまでの相手はマリが自分の腕の中に戻ってくるのをおとなしく待っていたのだ。

もし、そうではなく、しばらく放っておいたら他のデート相手がマリに背を向けるとしたらどうだろう?

選択肢が閉ざされはじめても、マリはそのままにしておくのだろうか?

それとも、できるだけ長い間、すべての選択肢にしがみつこうとするだろうか?



実験2:

実験1に手を加えることにした。

今回は、どの扉もクリック12回分のあいだ放っておくと、永久に消えてしまう。

しかも、1回クリックする度にその扉は12分の1ずつ小さくなっていく。


(長くなるので経過を省略するが)

結果は面白いものとなった。

実験1の結果より、実験2の獲得金額がかなり小さいものとなったのだ。


考察:

被験者は、扉が閉ざされてしまわないよう必死になってしまったのだ。

この実験からハッキリわかるのは、あちらこちらへと目まぐるしく動き回るのは、ストレスになるだけでなく、不経済だということだ。

毎日一つや二つ新しい扉が加わる日々の生活のことを考えると、はたしてこれが効率的な方法なのだろうか。


実験3:

実験2に、手を加えることにした。

扉をあける費用を3倍にしたのだ。

部屋の中でクリックするのに消費するのは1回だが、扉を開ける(部屋を移動する)のにかかる費用を3倍にしてみた。

結果は、実験2と変らなかった。

被験者はみな、選択肢を保持し続けることに熱中したのだ。


実験4:

実験3に、手を加えることにした。

各部屋で獲得できる賞金の正確な金額を事前に被験者に伝えた。

それでも結果は変らなかった。


実験5:

実験をやる前に、練習をしてもらってから実験をすることにした。

それでも結果は変らなかった。


実験6:

「復活」オプションをつけてみた。

12回放置すると扉は消えるが、1回クリックすると扉は復活するようにした。

だが・・意外にも被験者は扉を消さないように必死になった。



失うと思うだけで耐えられず、選択の扉が閉じるのを防ぐためにできることなら、なんでもしたいというわけだ。


■価値のない扉に惑わされる


無用の選択肢を追い求めたくなる不合理な衝動から自由になることはできるのだろうか?

近代では、人々は機会がないことではなく、目まいがするほど機会があり過ぎることに悩まされている。

私達は、やりたいことは何でもやれるし、なんでもなりたいものになれると、言い聞かせられ教育されている。

私達は、あらゆる方向に自らを成長させなければならないのだろうか?

人生の全ての側面を味わわなければならない?

死ぬまでに見るべき1000ものモノのうち、999番目で止まっているか、しっかりと見届けなければならないのか?

私達は無理に、いろいろなことに手を広げすぎてはいないのだろうか?

扉ゲームの中で、扉から扉へ走り回る人間の行動は十分に奇妙だ。

しかし、もっと奇妙なのは、ほとんど価値のない扉、消えかけているチャンスや、自分にとってほとんど興味のないチャンスを追いかけたいという抑えがたい衝動だ。


マリは、元カレにはまず見込みがないと既に結論を出していた。

なのになぜ、今カレとの関係を危険にさらしてまで、魅力に変える元カレとのしおれかけた関係に栄養を与え続けるようなまねをしたのだろう。

同じように、私達は安売りしている品物を見て、ほんとうにそれが必要だからではなく、バーゲンセールが終わるころには全て売れてしまって二度とその値段で買えなくなるからという理由で、特売品を何度買ってしまったことだろう。


ダニエル・カーネマンは「保有効果」を使って、この特徴を説明している。


AKB48と自分のモノという意識の深い関係 ~所有意識~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e763b2d0812b7407b30562276345df02



■価値のある扉を忘れる


扉ゲームは消える扉がわかりやすいからいい。

だが、実際には扉が消えていくということに気づかないことが多い。

人生の中で、本当に消えかけている扉があり、すぐに注意を向けなければならないのに、私達は気づかない時がある。


たとえば、息子や娘の子供時代がいつのまにか過ぎ去ってしまうことに気づかずに、職場で必要以上に働く。

こうした扉は、閉まるのがあまりにゆっくりで、消えていくところが目に入らないことがある。

しかし、私達には、大切な選択の扉が閉じようとしている時に警告してくれる体内アラームのような機能はない。



■2つの選択肢


たくさんの扉を閉じて、あと2つだけ残っているとしよう。

こうなれば選ぶのは簡単だと言いたいところだが、そうではない場合が多い。

同じくらい魅力のある2つの選択肢のどちらを選ぶかを決めるのは、もっとも難しい決断の部類に入る。


ある女性ヤギ(まりやぎのヤギね・・)は、デジタルカメラを選ぶのに、ほとんどそっくりの2機種のどちらにするかで3ヶ月迷った。

ヤギがようやく一方に決めたとき、こう聞いた。

写真を撮る機会を何度ふいにしたか、どちらにするか決めるためにどれだけ貴重な時間を費やしたか、この3ヶ月のあいだ家族や友人を写したたデジタル写真が手に入るならいくら支払うか?


「カメラの値段以上だ」とヤギは応えた。


似たような経験をしたことはないだろうか?


2つの物事の類似点とわずかな相違点に注目していた時、ヤギが忘れていたのは、「決断しないことによる影響」を考慮にいれることだ。

ヤギは撮れずに終わった素晴らしい写真のことを考えていなかった。

家電量販店で過ごした時間だけのことではなくて、さらに重要なのは、どちらかに決めることで生じる違いが、ほんの僅かだという点を考えに入れてなかったことだ。

どちらのカメラを選んだとしても、同じように満足しただろう。

(どちらを選んでも細かい愚痴はこぼすかもしれない。)


■諦める勇気


多様性の観点から言えば、選択肢をできるだけ多く確保しておくのは適切な方法論に思える。

しかし、一方で私達は決めることができない、という事実も確かにある。

マリの揺れ動く恋心は、選択肢があることによる苦しみだ。

逆に、選択肢を捨てることによる便益もある。

極端な例かもしれないが、有名な話を持ち出すことにしよう。


井ケイの戦い

紀元前204年、中国の楚漢戦争の中での話。

劉邦軍の別働隊として進発した韓信軍は、趙へとやってきていた。

趙を攻めるに先立ち、兵力不足の劉邦本軍は韓信に対して兵を送るように命令し、韓信はこれに答えて兵を送ったために韓信軍の兵力は少なく、三万程しかなかった。

一方、趙は三十万と号した大軍を派遣して韓信軍を撃退しようとしていた。

韓信軍は、あらかじめ二千の兵を別働隊として分け、趙の本城を襲うように指示しておき、自らは、河を背にして布陣し城壁を築いた。

水を前にして山を背に陣を張るのが布陣の基本であり、これを見た趙の将軍は「韓信は兵法の初歩も知らない」と笑い、兵力差をもって一気に攻め滅ぼそうとほぼ全軍を率いて出撃、韓信軍に攻めかかった。

韓信は初め迎撃に出て負けた振りをしてこれを誘き寄せ、河岸の陣にて趙軍を迎え撃った。兵力では趙軍が圧倒的に上であったが、後に逃げ道の無い漢の兵士たちは必死で戦ったので、趙軍は打ち破ることが出来なかった。

趙軍は韓信軍、更に河岸の陣ごとき容易に破れると思いきや、攻めあぐね被害も増えてきたので嫌気し、一旦城へ引くことにした。

ところが城の近くまで戻ってみると、そこには大量の漢の旗が立っていた。

城にはわずかな兵しか残っておらず、趙軍が韓信軍と戦っている隙に別働隊が攻め落としたのである。

大量にはためく漢の旗を見て趙兵たちは「漢の大軍に城が落とされている」と動揺して逃亡を始め、更に韓信の本隊が後ろから攻めかかってきたので、挟み撃ちの恐怖にかられた趙軍は総崩れとなり敗れた。

これが世に言う「背水の陣」である。



選択肢を諦めることによって、得るものがある時もあるのだ。


高橋容疑者逮捕のその裏で ~諦める勇気~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e775ef9c7e932f041e6e96a485efb8a4

「決める」ということは「諦める」ということと同義語だ。

なぜなら「諦める」必要がなければ「決める」必要がない。

だから、2つの可能性があるとき、どちらか一方を選ぶ必要がある場合、もう一方を諦めなければならない。

「決断」や「英断」というものは、その一方で同時に「諦める」ということなのだ。

「諦める」ゆえに「覚悟」が必要なのである。

一方の可能性を捨てる「勇気」であり、「意志」であろう。


「決める」ことのできない人は、「諦める」ことができない人である。

優柔不断は「諦める」ことが出来ない人のことをいう。

また、責任のある意思決定というものが往々にして苦しいのは、何かを「諦める」ことだからなのである。



■記憶に残る「幕の内弁当」はない


アンチに悩む人へ ~記憶に残る「幕の内弁当」はない~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/618ed3aee1b857694cbeb5370df658b3


■報酬の不規則さ


B.F.スキナーの「定率強化スケジュール」と「変率強化スケジュール」の話。

ググタスとコメント数上限、メンバーの投稿タイミングなどと絡めて。


(つづく・・かも)

人と違うことは良いことなのか? ~独自性欲求~

2012-07-20 15:58:17 | AKB48_行動原理系
さて、ニワカな知識でAKB48について語るシリーズの続編です。


「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152


指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c


人はおとりに釣られる。 相対性の前では全てが錯覚。 ~おとり効果~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7fc79b658340efabf6fb9461cbf8231d


如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062


エンターテイメントが感動を求めてやまない理由 ~ピーク・エンドの法則~ [作成中]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1437ce8f735583fa0634880965a7d219


AKB48と自分のモノという意識の深い関係 ~所有意識~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e763b2d0812b7407b30562276345df02


今回の参考図書はダン・アリエリー『予想通りに不合理(増補版)』です。




◆◆◆◆◆◆


■チーム4などについて語る前に


「独自性欲求」について知っておくことは有意義と考えますので、その話をしたいと思います。



■ビールの注文実験


これから説明する話は、多くの人が遭遇するであろう"あの状況"についてだ。


とあるバーで、客に無料でビールを配る実験をする。

メニューの中に無料ビールを載せるのだ。

ただし、一つだけ条件がある。

店員が客のところに行って無料ビールの注文をとっていいのは、客が席についてから1分以内に限る。

時間が過ぎてしまった場合は、通常の注文を取る。


無料のビールは4種類あり、それぞれに説明がついている。

(1) コパーライン・アンバー・エール
バランスのとれたホップとモルトが特徴で、伝統的なエールのフルーティさがある、ミディアム・ボディのレッド・エール。


(2) フランクリン・ストリート・ラガー
ソフトなモルトの風味と爽やかなホップの後味をもつ、ボヘミア・ピルスナー・スタイルのゴールデン・ラガー


(3) インディア・ペール・エール
イギリスからアフリカの喜望峰を回ってインドまでの長い船旅を耐え抜くように醸造された、ホップをよく効かせた力強いエール。誇り高いフローラルな後味のために、カスケードホップをドライホッピングしている。


(4) サマー・ウィート・エール
小麦50%で醸造されたバイエルン・スタイルのエール。ホップはやわらかめで、本物のドイツのイースト株によるバナナとクローブを彷彿させる独特の香りがする、ライトで爽快な夏向きのビール



あなたなら、どれを選ぶだろう?


・実験結果の例 1:皆が見ているところで注文を取る


ダブルデートをしている二組のカップルが席に着いた。

まず男性の1人にどれにするか尋ねた。

彼は「(3)インディア・ペール・エール」を選んだ。

続いて女性に尋ねると、

彼女は「(2) フランクリン・ストリート・ラガー」を選んだ。

もう1人の女性に尋ねる。

彼女は「(1) コパーライン・アンバー・エール」を選んだ。

最後に、その女性の彼氏に尋ねると、

彼は「(4) サマー・ウィート・エール」を選んだ。

この4人が、他の人のビールを味見するかどうかを確認したが、誰も仲間とビールを交換することはなかった。


・実験結果の例 2:個別に注文を取る


今度は口頭で注文を取るのではなく、4種類のビール名を載せたメニューを1人ひとりに配り、どのビールがいいか記入してもらった。

個別に注文を取るので、他の人が何を注文したかわからない。


はたして結果はどうなったか?


想像がつくと思うが、結果が異なった。

口頭で注文を取る時の方が、一つのテーブルで注文されるビールの種類が多かったのだ。

つまり、多様性が好まれるということだ。


この理由を理解するのに「(4) サマー・ウィート・エール」について考察してみるのがよい。

このビールは大半の人にとってあまり魅力的ではないようだった。

ところが、他のビールが先に取られてしまうと、客はそれ以外のビールを注文しなければならないと考えて、おそらくは他人を真似しているのではなく、自分自身の意見を持っていると示すために、誰も注文していないビールを選んだ。

はじめに注文しようと決めていたものではないかもしれないが、個性を顕示できるビールだ。


・満足度はどう変わったか?


実は、ビールを注文した客にアンケートを取っていた。

選んだビールの満足度を観測するためだ。

人々がもし、独自性を顕示するためだけに誰も注文していないビールを選ぶのだとしたら、本当は望んでもいないし好きでもないビールを飲むはめになるのも納得がいく。

結果は?

はい、予想通り、実験結果はそうなることを示していた。

口頭でビールを注文した人たちは、人知れず注文したために他人の意見に左右されなかった人たちよりも満足度が低かった。


ただし、一つ重要な例外がある。

口頭で注文したグループの中でも最初に注文した人は、他の人の選択に左右される余地がなかったため、最も満足度が高く、人知れず注文したグループの人たちと同じくらい満足していた。


■独自性欲求


デューク大学で行われた研究によって、「同じテーブルの他の人たちと違うアルコール飲料を注文する傾向」と、「独自性欲求」と呼ばれる性格特性の間に相関があることがわかった。

独自性を表現することに興味がある人ほど、テーブルではまだ誰も頼んでいないアルコール飲料を選んで、自分が本当に個性的だと示そうとする傾向が強いのだ。


この結果は、人がときとして、他人に何らかの印象を与えるために、消費行動から得られる快楽を犠牲にすることを示している。

人が食べ物や飲み物を注文する場合、目標は2つあるようだ。

「自分が最も楽しめるものを注文すること」「仲間に好感を持たれるように自分を表現すること」の2つだ。

問題は、料理なりなんなりを注文した後、好きでもない料理に閉口させられる場合があるということだ。

ちょくちょく後悔するはめになる。

つまり、独自性への欲求が強い人たちは、評判等の効用を得るために、個人の効用を犠牲にすることがある。


■文化が違っても当てはまる独自性欲求


独自性欲求を望ましい特性と考えない文化では、結果は変わるのだろうか?

香港で実験を行ったところ、人前で口頭で注文する場合、グループへの帰属意識を示すために、他の人に同調したものを選ぶという結果が得られた。

また、人知れず注文した時より、人前で注文した時の方が、好みでない料理を選びやすいという点では同じだった。

香港の人たちの場合、先に他人が注文したものと同じ料理を選ぶ傾向が強かったが、料理を注文する時の失敗として、後悔が残る失敗であるという点では同じである。


■ちょっとしたアドバイス


レストランでは、ウェイターがやってくる前に注文を決め、それを変えないことだ。

まわりの人が選んだものに影響されると、イマイチなものを選んでしまいかねない。

どうしても他人に左右されてしまうと心配なら、ウェイターが来る前に自分の注文をテーブルのみんなに宣言するといいだろう。

そうすれば、それを注文するのは自分の権利だと主張したことになり、たとえ誰かが同じ料理を選んだとしても、テーブルの他の人はあなたに独自性がないとは思わないだろう。

だが、もちろん最善の策は、一番に注文することである。

(「わたし無意識にそれやってる!」と気づいた人もいるのでは?)


■独自性欲求をどう捉えなおすか


「独自性欲求」が私たちに訴えかける本質的な問題は、私たちの意思決定が環境や状況に左右されてしまうということだ。

私たちは環境や状況によって、意思決定を良い意味でも悪い意味でも変えてしまう。

もし、「独自性欲求」が悪い方向に作用してしまっているようなのであれば、その意思決定のやり方を修正する必要がある。

先述したように、ウェイターが来る前に注文する内容を宣言するようにすることもその一つだ。

マネジメントのレベルでは、「独自性欲求」が望ましくない方向に作用していると気づいた時には、環境や状況を変える努力をすることが必要だろう。


ただ、「独自性欲求」にはメリットもある。

なんといっても「多様性」の確保ができることだ。

私たちは、独自性欲求があることによって多種多様な言動を獲得することができる。


一方で、「独自性欲求」は意思決定をする側だけではなく、意思決定をされる側にも影響を与える。

誰かがした意思決定が独自のものであるのかを、私たちは気にかけてしまうのだ。

(だからこそ、意思決定をする側は独自性を追求してしまう。)

それゆえ、独自性欲求が示唆するものは「一番初めの先行者が最も満足度も高く、また受け手も独自性が高いという評価をしやすい」ということだ。

心理的な面からも「先行者利益」の一端を説明することができるのだ。


ただ、当Blogの主張としては「先行者利益」を単純に受け入れるものではない。


「独自性欲求」が投げかける問題提起は、むしろ私たちは「先行者利益」に釣られやすいということなのだと思う。

このことが、個人レベルで「先行者利益」を獲得しようと合理的に行動することが、組織レベルではある種の不整合を引き起こすのだ。

そして、これがチーム4に関して考察する上で、非常に重要な問題であると私は考えているのだが、これについてはまた後程語ることにする。


個人レベルでも組織レベルでも、メリットとデメリットをよく考察して、考える必要がある。

という玉虫色の結論を最後に述べてこのエントリは終了することにする。

AKB48と自分のモノという意識の深い関係 ~所有意識~

2012-07-10 19:39:19 | AKB48_行動原理系
今日は『所有意識』について語りたいと思います。


◆◆◆◆◆◆


さて、ニワカな知識でAKB48について語るシリーズの続編です。
当初の予定からどんどん、どんどん解離していってます・・。


「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152


指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c


人はおとりに釣られる。 相対性の前では全てが錯覚。 ~おとり効果~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7fc79b658340efabf6fb9461cbf8231d


如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062


エンターテイメントが感動を求めてやまない理由 ~ピーク・エンドの法則~ [作成中]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1437ce8f735583fa0634880965a7d219


今回も参考図書はダン・アリエリー『予想通りに不合理(増補版)』です。




◆◆◆◆◆◆



■高価な所有意識


なぜ人は、自分の持っているものを過大評価するのか?


■保有効果


あるバスケットボールの試合の観戦チケットにまつわる実験の話。
(話を短くするためにかなり単純化しているのは予めご了承いただきたい。)


この観戦チケットを手に入れるためには、列を作って並んだ上に抽選で当選しなければならない。
つまり、とても苦労するものだと思ってほしい。


・実験1
「チケットを勝ち取った学生」と「チケットを勝ち取れなかった学生」の間で、どちらがよりチケットを高く評価するだろうか?



実際のやりとりが次だ。
ウィリアムはチケットを持っていない。

「やぁ、ウィリアム。チケットは外れてしまったそうだね?」

「ええ、そうですけど」

「一枚、手配できるかもしれないよ?」

「やった!」

「1枚にいくらなら払ってもいいと思う?」

「1万円でどうでしょう?」

「それじゃぁ安すぎるよ。もっと出さないと!」

「1万5千円とか?」

「もっとだな」

ウィリアムはしばらく考えて
「1万7千5百円かな」

「たったそれだけか?」

「ええ、それ以上は1円も出せません」

「わかった。待機者リストに載せておこう。また連絡するよ。」
「ところで、どうやって1万7千5百円に辿り着いたんだい?」

「1万7千5百円あれば、スポーツバーに行って酒を飲みながら試合を見て、少し買い物できるくらいのお金が残ると思うから」

ウィリアムは、チケットに対して1万7千5百円は高額だと認識している。


--------------


次の電話の相手はジョーゼフだ。
ジョーゼフはチケットを持っている。

「やぁ、ジョーゼフ。いい話があるんだが、チケットを売る気はないかい?」
「最低額を聴かせてくれよ。」

「最低額なんて知りませんよ」

あるパチーノ風に言う
「大金を積まれれば誰だってなびくもんだぜ?」

「30万円なら売ろう。」

「おいおい、それはいくらなんでも高すぎるだろう。」
「常識的に考えてくれよ。もっと安くしてくれないか?」

「わかりました。じゃぁ24万円で。」

「そんなにもするのかい?」

「これ以上は下げられません」

「わかった。その値段で買いたいと言う人がいたら連絡するよ。」
「ところで、どうやってその値段に行きついたんだい?」

ジョーゼフは熱く語る。
「自分の人生にとって意義深いことなんだ」
「子供や孫たちにも話してあげるいい経験になる」
「なのにどうして値段をつけろっていうんです?」
「思い出に値段なんてつけられると思いますか?」



--------------


というようなやりとりを100人以上に行った結果、チケットがはずれた人は平均して1万7千円を支払う意志を見せた。
みな1万7千円という値段の理由をウィリアムの場合と同じように、「お金の他の使い道」によって調整されていた。


一方、チケットが当たった学生は、1枚のチケットに平均して24万円を要求した。
こちらは、ジョーゼフと同じように、この経験が重要で、生涯忘れえない思い出になるだろうことを価格の理由にした。


驚くべきことは、100人以上に実験したのに、買う側が支払ってもいいと思う金額でチケットを売ろうという人は1人もいなかった。


これは一体どういうことだろう?


抽選の結果が出る前は、喉から手が出るほどチケットを欲しがっている人々の一群があった。
ところが、結果が出た途端に、2つのグループに分かれたのだ。


チケットの「所有者」「非所有者」だ。


試合の素晴らしさを想像する人たちと、チケットの代金で買える他のものを想像する人々の間に、感情の隔たりが生じた。
それも、約14倍もの隔たりだ。

ランダムな抽選によって「チケットの価値」が、これほどまでに劇的に変わってしまったのはなぜだろう?


■私たちの生活全体に浸透する所有意識


所有意識は、私たちの生活を奇妙な形で方向づけている。
人間性の中にある3つの不合理な癖のせいだという。


[1] 自分の持っているものに惚れ込んでしまう

恋のキューピット役がうまいと言われる人々がいる。
適した異性を紹介するのがうまいのだ。
だが、組み合わせを完璧にするのはその人の才能ではなく、何かを手にした途端に愛着を感じ始める人間性の力なのかもしれない。


[2] 手に入るかもしれないものより、失うかもしれないものに注目してしまう

これは前に語った『プロスペクト理論』を参照して欲しい。
人は損失に近視眼的集中を起こしてしまう。

「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152


[3] 他の人が取引を見る視点も、自分と同じだと思い込んでしまう

どういうわけか、人間は相手が、自分と同じ気持ちや感情や思い出を共有していると思ってしまう。
しかし残念ながら、実際は必ずしもそうではない。

これは前に語ったミラーニューロンが関係しているかもしれない。

AKB48若手メンバーに贈る「創造的模倣」のススメ ~守破離~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0b68de7ff3d86d1def6ac1907ebdedfc


■奇妙な所有意識


所有意識には奇妙な特性がある。

1つは、私たちは何かに打ち込めば打ち込むほど、それに対する所有意識が強くなる。
それどころか、所有しているという誇りは、打ち込む際の容易さと反比例している。
難しいものほど所有感が高くなるのだ。

(家具の組み立てが難しいほど所有効果が高まることから一部では「イケア効果」と呼ぶらしい・・)

別の奇妙な特性は、「仮想の所有意識」だ。

(「仮想の所有意識」こそ本エントリの本丸だ。)


■仮想の所有意識


実際に何かを所有する前に、それに対して所有意識を持ちはじめる場合があるのだ。
ネットオークションを用いた実験がある。


月曜日の午前中、腕時計に最初の入札をし、この時点であなたの入札額が最高だったとする。
その晩、インターネットに接続した時も、あなたは一番だった。
次の晩もそうだった。
そのうちあなたは、洗練された腕時計のことを思い浮かべ始める。
自分が腕にはめているところを想像し、人に褒められているところを想像する。
そして、オークションが終わる一時間前にもう一度接続してみると、どこかの輩があなたより高い額を入札しているではないか!
あなたの腕時計が他人に取られてしまう。
そこであなたは、初めに予定していた金額をオーバーしてまで入札額を上げる。


この部分の所有意識は、ネットオークションでよくあるように入札額が上がり続ける原因の1つである。
オークションが長ければ長いほど、様々な入札者が仮想の所有意識を強め、もっと高い金額を入札するようになる。
実験では、最も長いあいだ最高額の入札者だった人は、最終的に仮想の所有意識を最も強く抱いていた。
もちろん、最高入札者の立場は危ういものだ。
そのため、いったん自分が所有者だと感じると、その立場を失わないように、しかたなくどんどん高い額を入札していた。


「仮想の所有意識」は広告業の推進力の一つになっているのは言うまでもない。


幸せそうな夫婦が高級車で海岸線を走るのを見て、そんな自分の姿を想像する。
罠が仕掛けられているところに、私たちは喜んで踏み込んでいく。

そして、まだ何も手にしていないうちから、部分的な所有者になってしまうのだ。

「お試しパック」なんかは、この仮想の所有意識を巧妙に使ったマーケティングの一種だ。


■所有意識の適応範囲


所有意識は物質的なものに限ったことではない。
ものの見方にも当てはまる。
政治に関するものであれ、スポーツに関することであれ、なんらかの思想の所有権を得たら、私たちは大事にし過ぎるほど後生大事にし、ほんとうの価値以上に高く評価するだろう。
もっともありがちなのは、その思想を失うことに耐えきれず、なかなか手放せなくなることだ。


その結果、残るモノは何か?


頑なで柔軟性のないイデオロギーだ。


自分の所有物を過大評価してしまう傾向は、人の基本的な偏向であり、自分自身に関係のあるもの全てに惚れ込み、過度に楽観的になってしまうという、もっと全般的な性向を反映している。


■所有意識から上手に逃れるためには


所有意識という病を治す既知の方法はない。
所有意識は私たちの生活に織り込まれている。

(実はある。その方法論を解くものが宗教や哲学だ。仏教では解脱という。禅をするのもいいかもしれない。)

できることと言えば、あえて自分と目的との間に距離を置くことである。
できるだけ自分が「非所有者」であるかのように考える方法だ。


■AKB48と所有意識


ようやく本題まで来て、息切れしました(汗)
関わりが深すぎて簡単に述べられないので、後述することにします。

(とかいいつつ、他のもずっと作成中のまま・・)

ググタスはコーヒーだ!

2012-07-09 11:59:50 | AKB48_行動原理系
これまで何度も同じ内容を述べてきたのですが、また書き直します。

非常に参考になる事例として「マクドナルド」を簡単に取り上げます。


◆◆◆◆◆◆


アンチに悩む人へ ~記憶に残る「幕の内弁当」はない~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/618ed3aee1b857694cbeb5370df658b3


↑の補足。
日本マクドナルドCEOの原田泳幸さんの『勝ち続ける経営』を参考図書にして語りたいと思います。
(書籍名からなんとなくジャック・ウェルチの『勝利の経営』を連想してしまいますが・・)





原田さんは、iPhoneやiPadで有名なApple社から移籍して日本マクドナルドの社長になった人です。
(「Mac」から「マック」へと言われておりましたね。)


その原田さんが入社した時のマクドナルドは低迷期でした。


入社した時にマクドナルドの経営幹部が原田さんに説明した低迷の理由は「カニバリゼーション(多店舗展開の結果、店舗同士で客を奪い合う共食いのこと)」だったといいます。


しかし、原田さん自身が調査したところ低迷の原因は違うところにあると突き止めました。
原因は多店舗展開ではなく、外食産業の基本中の基本である「QSC&V」が出来ていないことだったのです。

(あくまでも原田さんの意見ね)



Q(Quality):
最高の美味しさ、安全性

S(Service):
心温まるおもてなし、クイックサービス

C(Cleanliness):
快適な食事空間、清潔さ

V(Value):
総合的な価値ある食事体験



店の売り上げは店長の能力に大きく左右され、収益性は店長の腕次第なのだそうです。
店長次第でアルバイトクルーの満足度が変わり、離職率も変わるからです。
離職率が上がると、QSCが下がり、顧客満足度が落ちます。
そうなると店の売り上げが下がる構造があるのです。


実際、店舗ごとの業績を見ると、店長の能力と売上高には見事な相関があるようです。
外食産業は「ピープルビジネス」であると原田さんは語気を強めます。
低迷期に、人材育成よりも店舗拡大を優先してしまったというのです。


人は、業績が低迷しているときにいろいろなことをやり過ぎてしまいます。
基幹ビジネス以外の新規ビジネスに手を出したがるのです。
業績不振だから本来のビジネスに危機感を覚え、「新規ビジネスでもう一本柱を立てておこう」となりがちです。
結果、経営資源が分散してしまいます。

(これはまさにジェームズ・C・コリンズ『ビジョナリーカンパニー3 衰退の五段階』)


 マクドナルドもこのコアのビジネス、つまりハンバーガーを売るという基幹ビジネスがマイナスの時に、新規ビジネスをやろうとしていました。私も入社してびっくりしましたが、一時はカレーライスやチャーハンを出していたそうです。
 現在も日本で一番おいしいおにぎりをマクドナルドのレジの横に積み上げれば、必ず売れると私は思います。ただ、それは絶対にやってはいけない。マクドナルドしかできないことではないからです。


原田さんの就任によって、売上高は7年連続マイナスから7年連続プラスになりました。
正誤は別として説得力が違います。


■顧客の期待をどのように超えるかが重要


顧客に「どんな商品が欲しいですか?」とアンケート調査をすると、必ず「低カロリー」とか「オーガニック」とか「ヘルシー」とか、健康重視のメニューが挙がるといいます。

ところが、4枚のパティが入ったメガマックを発売しても、クォーターパウダーを発売しても、若い女性が平気でメガマックやダブルクォーターパウダーを食べるわけです。

顧客の言うことと、実際の行動は全く違うということです。


顧客の希望ばかりを聞いて、その通りにしていたらダメなのです。
顧客の要望以上のことをやらなければならない。
しかも「自分らしさ」を忘れてはいけないのです。


原田さんが就任してから8年間、6回値上げしたが、1回も値下げしていないのです。
これは驚き以外の何物でもありません。
コモディティ化の最たる産業において、値下げではなく値上げしているのですから。


■コーヒー


外食産業における売り上げに関する考え方は下記です。

(売上)=(客単価)×(客数)
    =(客単価)×(顧客獲得率)×(来店頻度)


つまり、「来店頻度」をどうやって上げて、「新規顧客」をどう獲得するかです。

コーヒーは、ある意味ではコモディティで、どこでも扱っています。
消費者にとって、どのメーカーのモノでもそれほど変わるモノでもありません。

しかし、顧客の「摂取の頻度」は非常に高いものです。

したがって、顧客獲得の施策として、ベストクオリティのコーヒーを、最もお得感を感じて頂ける価格で提供するべく「プレミアムローストコーヒー」を開発したのです。
高等級アラビカ豆だけを使用したマクドナルドのオリジナルブレンドで、その結果オリコンの「買いたいコーヒーNo.1」に選ばれ、新規顧客の獲得にずいぶんと貢献したのです。


なぜコーヒーにこだわったのか?


コーヒーが売れれば、ビックマックが売れるからです。


マクドナルドのコーヒーは他の競合店と対抗するための商品ではないのです。
あくまでもビックマックを売るためのものなのです。

これを商品のポートフォリオ戦略で、「ビックマックはもう伸びないのだからコーヒーで別の柱を立てよう」などと考えた瞬間、ビジネス全体がおかしくなってしまうのです。


■まとめ


以上を、凝縮すると一言になる。

基本に忠実に。ただし、革新的なやり方で!


あくまでもマクドナルドでの話ですが、ただ、統計を取る限り、長年にわたって生き残る企業には「基本に忠実」な企業が多いのです。
このあたりを詳しく知りたい方はジェームズ・C・コリンズ『ビジョナリーカンパニー』をおススメします。



何度も繰り返し述べているが、ググタスをコーヒーにするべきだと提言する。

より上質なコーヒーにするべきだ。

Youtubeも同様だ。


■参考

どの部活に入るか悩めるメンバーへ ~基本に忠実に。ただし、革新的なやり方で!~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1a7baeb9321456252d9ae5c1521e68f9


AKB48若手メンバーに贈る「創造的模倣」のススメ ~守破離~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0b68de7ff3d86d1def6ac1907ebdedfc

如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062

エンターテイメントが感動を求めてやまない理由 ~ピーク・エンドの法則~ [作成中]

2012-07-04 23:53:01 | AKB48_行動原理系
時間がなくていつ書き終わるかわからないから、ちょっとずつ書きます(笑)
しかも構想段階から。
自分にプレッシャーをかけるのと、まぁ永遠に終わらない可能性が高いから出来高で書くというのが一番大きいかな。
完成前にネタバレ必至・・


◆◆◆◆◆◆


さて、ニワカな知識でAKB48について語るシリーズの続編です。
当初の予定からどんどん解離していってます・・。


「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152


指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c


人はおとりに釣られる。 相対性の前では全てが錯覚。 ~おとり効果~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7fc79b658340efabf6fb9461cbf8231d


如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062


◆◆◆◆◆◆


一流とのクロスオーバー 非選抜アイドルなやかんに賭ける
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/531d9316b29bc5f3aa6d82e9a8ac8467


↑上のエントリに頂いた「ちんとも」さんからのコメント。

やっぱエンターテイメントは『加点方式』ですね。一般社会の「減点方式」とは違う。
だからこそ夢がある。

面白い着眼点だと思いました。
今回はこの話を膨らませたいと思います。


日本社会において、よく「減点方式」が問題になることがあります。
教育の世界でも、仕事の世界でも「減点方式」が幅を利かせています。

一方、エンターテイメントの世界では「加点方式」が採用されることが多いです。
(クラシック音楽のコンクールなどは「減点方式」ですが)

一芸に秀でることが高い評価を得る鍵です。


これはなぜなのでしょうか?


実は、しっかりとした理由があります。

今回も参考図書としてダニエル・カーネマン『ダニエル・カーネマン教授 心理と経済を語る』を使います。






■ 決定効用と経験効用


(まだうまくまとめれていない・・ここは後で書き直す)

「効用」という言葉には2つの意味がある。
「決定効用」と「経験効用」だ。

「決定効用」は、なぜそういう選択をするのかを説明するために使われる用語だ。

一方、「経験効用」というのは、結果と結びついた快楽体験である。
この効用は、ジェレミー・ベンサムが提起したもので、19世紀の経済学者が「効用」という場合には、たいていこちらの意味だ。
たとえばエッジワースの『数理心理学』には、これが明白に示されており、「幸福とは瞬間的な経験効用の経時的な総和である」と定義されている。
しかし、効用が「決定効用」と解釈されるようになった20世紀の初めになると、経済学の論文で「効用」という言葉が経験の一面で使われることはほとんどなくなった。

以前の「効用」の解釈によれば、選択が効用を最大化するかどうかは「人は自分にとって最も好ましい選択肢を選ぶかどうか」とうことだった。
しかし、「経験効用」と「決定効用」の区別を無視する現在の「意思決定理論」では、問題のあり方は非常に異なる。
選好は、選好同士がお互いに、また合理的選択の公理に矛盾しないかどうか、ということが問題とされるのだ。
アレやエルズバーグの「パラドクス」から「フレーミング効果」に至るまで、長きにわたって続けられた効用理論に対する現代の一連の挑戦によって、選好は矛盾するということが明らかにされてきた。

選べる選択肢からどんな満足な結果が得られるかを、正確に、あるいは少なくとも先入観に左右されずに予想する経済主体の能力は、人間にはない。
人は必ずしも、自分の好みがわかっていないし、選択の結果としての未来の経験を予想するに当たって、系統的なエラーを犯すこともしょっちゅうで、その結果、経験効用を最大化するのに失敗してしまう。

未来において自分が経験するはずの結果の効用を予測することを、「快楽予測」と呼ぶことにする。

快楽予測による効用の予測は、明白なこともあるし、はっきりとは示されないこともある。
はっきりと示されない場合、現時点での主体の選択か推測しなければならない。

恐ろしく空腹な状態の買い物客が、食料の買出しに出かけたとしよう。
彼は予測エラーを犯し、それによって間違った選択をしてしまう可能性が高い。
こうした予測エラーは、様々な理由で起こり得る。
快楽予測のほとんどは、注意深く考え抜いた結果ではなく、むしろ直感的なものなのでバイアスの影響を受けやすい。

直感的思考を支配するヒューリスティックスの多くには、置き換えプロセスが関わっている。
人は難しい問題に直面すると、それに関連する別の問題の答えが先に心に浮かんでくることがよくある。
違う問題に答えているなどと思いもせず、アクセスしやすい答え(直感的判断)が、必要な答えの代用として採用される。

たとえば、お腹を空かせて買い物に行き、美味しそうな食べ物をみてヨダレを流す人は、特別お腹が空いていない明後日の夜のことについて冷静に予測する代わりに、今現在の空腹状態で決定を下すかもしれない。
こうした代用は、聞かれてもいない質問に対して非常にアクセスしやすいという理由だけで応えてしまうという「アンカリング」といわれる方向性のバイアスに繋がる。

つまり、将来の快楽や感情の状態の予測は、現在の感情や動機の状態にアンカリングされているということだ。
この結果は「投影バイアス」と呼ばれる。
消費者が現在の自分の精神状態を、将来の精神状態に投影しているように見えるからだ。

ローウェンスタインは「熱情と冷静の共感性のギャップ」という現象を証明している。
空腹、性欲、怒りなおdによって興奮している時、人は、自分が「冷静な」時にどんな行動をするかを見誤る。
逆に、冷静な時には、興奮の影響を見誤る。
どちらの状況でも、現在の状態からの変化が与える影響の大きさを見くびっているわけだ。

投影バイアスは、効用最大化に反している。
効用最大化の観点では、来週おやつを食べる時の楽しみが、それを選んだ時点の空腹の度合いに左右されることなどほぼ有り得ないからだ。



■ ピーク・エンドの法則


我々には自分自身の過去の経験を「喜びや悲しみのピーク」と「終わり(エンド)」がどうだったかで判断する癖がある。

直感的に納得する人もいるかもしれないし、納得できない人もいるかもしれない。
ただ、実験では「ピーク・エンドの法則」は確かめられている。


(ここでダニエル・カーネマンの実験の話。手術の件かな。図もね・・)


これは、我々の知覚特性が、平均値を直感的に求めることができても、合計値を直感的に求めることができないことから来ていると思われる。
我々は、過去の出来事に対する評価を「総満足度」ではなく、他の指標で判断するのだ。

実験によれば、過去の出来事について考える時、我々の思考は「ピーク」と「エンド」にアンカリングされているという。


指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c


■知覚の特性:足し算をすべき時に平均値を求めてしまう


私達は平均値を直感的に求めることができるのですが、合計値を直感的に求めることができません。
なので、ある一組のグループの価値の判断を直感的に行うと、エラーを犯す傾向が強くなります。
合計値ではなく平均値を使ってしまう極めて強いバイアスがかかってしまうのです。
私達のする判断が平均値に「アンカリング」されているからだといわれています。


アンカリング効果:ある初期値が錨(いかり:アンカー)のような機能を果たし、思考が縛り付けられること。



■ 失敗の許されない世界


いわゆる「加点方式」がよいのか「減点方式」がよいのかは、仕事の特性による。
目的次第ということだ。

(行政機関の話なんぞする)


■ エンターテイメントは感動を追い求める


「ピーク・エンドの法則」のところで説明したように、人々の心に残るものを創るためには「ピーク」と「エンド」が重要になってくる。

ここで一つの例を考える。

AKB48のコンサートを2通りの方法で演出する。

[1] 中盤と終盤に盛り上がるよう演出する
[2] 初めから終わりまで程よく面白くなるよう演出する

この2つのコンサートに鑑賞にきたある観客の満足度をリアルタイムに観測することにすると、下図のようになった。





どちらがより観客の思い出としてより強く残るであろうか?

『ピークエンドの法則』によれば [1] になるはずだ。

そして、これがエンターテイメントが万能型のタレントではなく、一芸に秀でたタレントを求める理由だ。
「ピーク」を求めて、それゆえに「加点方式」の評価が必要になる。


■ 思い出というアンカリング


(冗長かも。期待効用と経験効用の話をしているのだから不要かな。)


■まとめ

如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~

2012-06-25 21:45:14 | AKB48_行動原理系
さて、ニワカな知識でAKB48について語るシリーズの続編です。
続きというより、ちょっと逸脱してしまいます・・。


「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152


指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c


人はおとりに釣られる。 相対性の前では全てが錯覚。 ~おとり効果~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7fc79b658340efabf6fb9461cbf8231d


今回も参考図書はダン・アリエリー『予想通りに不合理(増補版)』です。




今回はちょっと長いです。


◆◆◆◆◆◆


■今回のテーマは「顧客の日常」になるための秘策


これまで当Blogでは、ググタス(AKB48 Now on google+) を例にとって「如何にして顧客の日常をおさえるか」が重要な戦略になるということを述べてきたつもりです。

つい数年前まで観られた議論ですが、ネットビジネス界隈の多くの人々は「キラーコンテンツ」を求めていました。
顧客を獲得するには「キラーコンテンツが必要だ」というのです。
多くのインフラ企業がコンテンツ企業を買い漁りました。
高級な価値を持つコンテンツで顧客から高額の支払いを引き出そうと躍起になっていました。

結果は、ほとんど惨敗です。
そして、今ではこのような論説を述べる人はほとんどいなくなりました。
「SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)」や「ソーシャルゲーム」の浸透がキラーコンテンツ論を駆逐したのです。

人々はそんな大それたものを求めていなかったのです。
多くの人が日々求めているのは、4年に1度のオリンピックのような出来事ではなくて、もっと日常生活をよりよくしてくれるものだったわけです。
人々が求めてやまなかったものは、朝起きた時のだるい時間帯、電車の待ち時間や寝る前のふとした瞬間の暇つぶしだったのです。
(もちろんたまに行くシルク・ド・ソレイユや高級フレンチ料理も魅力的ですが。それが魅力的なのはたまにだからです。)

賢い企業や人々は思想的転換の必要性に気づきました。


さて、今日はそんな話を理解するのに一助となるであろう話をしていきたいと思います。


■ゼロの歴史


「ゼロ」の歴史は長い。
ゼロの概念を発明したのはバビロニア人だ。
古代ギリシャ人たちは、高尚な言葉でゼロについて議論した。

どうして何かが何もないことがありえるのか?

古代インドの学者ピンガラは、ゼロと数字の1を組み合わせて2進数を創った。
マヤ人もローマ人も記数法にゼロを使っていた。
しかし、ゼロが本当に居場所を見つけたのは、西暦498年ごろ、インドの天文学者アリヤバータがある朝ベッドから起きあがって叫んだ時だ。

「スタナム・スタナム・ダシャ・グナム」
(値が10倍で位から位へ)

この時、10進法の位取り記数法の概念が生まれた。
あとはとんとん拍子だ。
ゼロはアラブ世界に広がって繁栄を究めると、イベリア半島を通ってヨーロッパに達し、イタリア人に少し手を加えられた。
ゼロはやがて、大西洋を横断して新世界に伝わり、ついにはシリコンバレーと呼ばれる場所で山ほどの仕事にありつくことになった。
(デジタル技術という意味)


■お金のゼロ「無料」


「無料」には重要な意味合いがある。
値下げやマーケティングの話だけではなく、どう使えば自分や社会の利益につながる決断に役立つかという話にも関わってくる。

MITで行われた実験結果を説明しよう。


実験でチョコレートの商売を始めた。
トリュフと大量生産されている市販されているチョコレートの2種類を使う。
(つまり高級チョコと安物のチョコの2種類だ。後者を市販チョコと呼ぶことにする)

※お客はどちらか一方しか選べない。
(二者択一の選択)


・実験1

価格をトリュフを1つ150円、市販チョコを10円に設定する。

お客はトリュフと市販チョコの値段と品質を比較してから、どちらかを選んだ。
およそ73%がトリュフを、27%が市販チョコを買った。


・実験2

価格をトリュフを1つ140円、市販チョコを無料に設定する。

果たして違いは出るだろうか?
どちらのチョコレートも10円安くしただけなのに。

およそ31%がトリュフを、69%が市販チョコを買った。


一体、何が起きたのだろう?
お客がこれほど劇的な反応をしたのはなぜだろう?


2つのチョコの相対的な価格差は変化していないし、それぞれから得られるであろう満足度も変わっていない。
値下げ後も相対的には何も変わっていないのだから、値下げしてもお客の反応は全く同じはずだ。

ところがどうだろう。
お客は我先にと人を押しのけて市販チョコを掴みとった。
それも事前に理論整然たる費用便益分析をしたからではなく、単に市販チョコが「無料」だったからだ。


・実験3

価格をトリュフを270円→260円→250円市販チョコを20円→10円→0円と変えてみた。

トリュフを270円→260円市販チョコを20円→10円と変えた時に結果に変化は見られなかった。
しかし、市販チョコを0円にした途端に、やはり劇的な変化が見られた。
お客は圧倒的に市販チョコを欲しがったのだ。


・実験4

お客は小銭を出すのが面倒だったかもしれないし、お金を持ち合わせていなかったかもしれない。
この可能性を検討するために、レジの脇にチョコレートを陳列して実験を行った。

結果は同じだった。


■無料の力


「無料」の何がこんなにも心をそそるのだろうか。
自分は本当に求めているものではなくても、無料となると不合理にも飛びつきたくなるのはなぜか。

ダン・アニエリーはこういう。

たいていの商取引には良い面と悪い面があるが、何かが「無料」となると、私たちは悪い面を忘れ去り、「無料」であることに感動して、提供されるモノを実際よりもずっと価値のあるものだと思ってしまうのだ。


なぜだろう?

それは、人間が失うことを本質的に恐れるからではないか。
「無料」の本当の魅力は、恐れと結びついている。
「無料」のものを選べば、目に見えて何かを失う心配はない。
(無料だから)

ところが「無料」でないものを選ぶと、まずい選択をしたかもしれないという危険性がどうしても残る
だから、どちらにするかと言われれば、無料の方を選ぶ。


そのため、価格設定の世界では「ゼロ」は単なる価格設定とは思われない
もちろん、企業活動などにおいて1円の差が大きな違いを生むことはある。
しかし、「無料」の感動に打ち勝てるものは何もない。
値段ゼロの効果は、単独で独自のカテゴリーをつくっている。

「タダで何かを買う」というのは少し矛盾した表現だろう。

しかし、この粘着力の強い「無料」のせいで、私たちがいかに罠にはまり、いらないものを買ってしまうのか。


■交換でも発揮される無料の力


値段を話題にする限り、「無料」は間違いなく人を引き付ける。
しかし、値段が無料となるのではなく、交換が無料だとしたらどうだろう?
我々は無料の品物に釣られるように、品物を無料で手に入れることにも釣られるのだろうか?

こんな実験がある。

大きいチョコバー(60g)、小さいチョコバー(30g)、市販チョコ(5g)があるとする。
子供に市販チョコを3つ先にあげておく。

・実験1

その上で、「市販チョコ2つくれたら大きいチョコバーを、市販チョコ1つくれたら小さいチョコバー、どちらかをあげる。」と言う。

子供は賢い。
単純な計算を難なくこなす。

[A] 市販チョコ2つで大きいチョコバーと交換する場合:
 60g - (5g * 2) = 50g

[B] 市販チョコ1つで小さいチョコバーと交換する場合:
 30g - (5G * 1) = 25g

子供は瞬時に[A]を判断する。


・実験2

今度は、「市販チョコ1つくれたら大きいチョコバーを、無料で小さいチョコバー、どちからをあげる。」と言う。

さて、子供はどう行動したか?

だいたい想像がつくと思うが、7割の子供が選ぶのは「小さいチョコバー」だ。

[C] 市販チョコ1つで大きいチョコバーと交換する場合:
 60g - (5g * 1) = 55g

[D] 無料で小さいチョコバーと交換する場合:
 30g - (5g * 0) = 30g

よく考えてみよう。

[A] - [B] = 25g
[C] - [D] = 25g


どちらが損得は変わっていないのに、結論が変わった。
ちなみに、これはもう少し大きな子供であるMITの学生で実験しても同様だった。


お気づきの方も多いと思うが、この「無料」の魔法を使っている商取引は多い。
例えば、Amazonで1冊買うと配送料がかかるが、2冊買ってある金額を超えると配送料が無料になる。
人によっては、配送料が無料になることが魅力的で2冊目を買ってしまう。

Amazonが始めたこの配送料無料サービスは好評であったが、世界でたった一か国だけ売り上げが伸びなかった。
Amazonのフランス支社が配送料を「無料」とするのではなく「1フラン」にしたからだ。
「無料」と「1フラン」は金額だけ見るとたいして変わらないように思うが、意味合いは大きく違うということだ。


■時間にもあてはまるゼロ


ある活動に費やした時間は、他の活動から奪われた時間だ。
だから、「無料」でアイスクリームを試食するために1時間並んだり、わずかな払い戻しのために30分かけて長い書類に記入したりすれば、その時間にやらなかったコトが発生する。


■情報としてのゼロ


「カロリーゼロ」商品が、「1キロカロリー」と表示していたら、きっと売れないだろう。

これは私の体験からしても間違いないが、カロリーゼロのビールが健康にいいことをしている気分を高めてくれる。
おかげで気分が良くなり過ぎて、フライドポテトを一皿注文してしまうかもしれない。


■値引きによる需要増加


伝統的な考え方に基づくと、2つの理由から値引きによって需要は増える。

・市場に参加する顧客が増える
・値段が安くなることで複数買う顧客が増える


■社会規範と市場規範


わかっている人は言わずもがなだが、市場の法則は我々に働く力の一部に過ぎない。
社会的動物である我々には社会的な力にも対峙しなければならないが、経済と社会の力が混ざり合うと、予想とは違う結果になる場合がある。

例えば、私が

「タイヤの交換を手伝ってくれ」


と頼めば、あなたはこう答えるかもしれない。

「そうだな。お前にはいつもお世話になってるし、ちょっと手伝ってやるよ。」


ところが、私がこう頼んだらどうだろう?

「タイヤの交換を手伝ってくれないか。300円でどうだい?」


すると、あなたはこんな感じで考えるだろう。

「おいおい、冗談じゃないぜ。俺の時間にそんな価値しかないって言うのかい。」

基礎となる教訓は、社会規範が支配する状況で金銭による支払いを持ち出すと、金銭が加わったせいで、手伝ってやろうという相手の意欲が減る可能性があるのだ。


■無料による総需要の変化


逆に、こちらが何かを提供するからお金を払ってくれと求めたらどうだろう?

面白い実験がある。


お菓子売り場を設置して、キャラメルを売ることにする。
売り方は2つ。
同じキャラメルを「1個10円」で売るか、「無料」で売るかの違いだ。


・実験結果1

「無料」の時の方が「1個10円」の時よりも客数が3倍になった。
これは、これまでの説明から言えば、想像通りだろう。
では、次の結果はどうだろうか?


・実験結果2

1人の客が何個キャラメルを買ったか?

「安い方が多くキャラメルを買うはずだ」と考えるのが普通だが、結果は・・

キャラメルが「1個10円」の時、1人の平均購入数は平均3.5個だったが、
キャラメルが「無料」の時、1人の平均購入数は平均1.1個だった。


「無料」だと消費者は自制するようだ。
そう、多くの消費者は、無料の時には社会規範の決まりを適用していたと考えることができる。
簡単に言ってしまえば、無料の場合、人は礼儀正しくなるのだ

結局、「無料」の方が客数は3倍に増えたが、消費者あたりの購入数がそれ以上に減ったので、売れたキャラメルの総数は「無料」の方が少なかった。

非常に面白い結果だ。
価格が交流の一部ではない時、我々があまり利己追求をせず、他社の幸福を気にし始めることを意味する。
値段がゼロの時、商品はより多くの人にとって魅力的になるものの、同時に、人々は他の人の事をもっと考えたり、気にかけたりするようになり、他の人の利益のために自分の欲望を犠牲にするようになる。

我々は「思いやりのある社会的動物」だが、ゲームの規則にお金が絡むと、この性向が抑えられてしまうことがわかる。


■大皿に残る最後の1つ


みんなで大皿料理を囲むとき、最後に1つだけぽつんと残る経験をしたことがないだろうか。
どうやらこの現象は多くの国でみられるものらしい。

大皿という共同の皿が、食べ物を共有資源に変えてしまうからだと思われている。
何かが社会的なものになった途端、我々は社会規範の領域へと誘われ、他社と共有するための決まりごとに従うことになる。

実験によれば、この奇妙な人間の行動は、値段がゼロになった時にしか現れない。
なぜなら、我々は価格が交わらない場合のみ、自分の行動の社会的影響を考えはじめるからだ。
利用できる資源に負担をかけすぎない程度まで消費を抑える。
値段がゼロになっている時、人々は世界を共同体のモノとしてとらえる。


■まとめ


一般に知られている需要の理論は確かなものだと考えることができます。

ただし、値段ゼロ「無料」を扱う時を除いては。

「ゼロの力」をうまく使えば、値引きよりも有利に顧客層の拡大ができます。

そして「ゼロの力」に関して言うと、AKB48のビジネスにとってさらに特徴的なことが言えるのです。

値段ゼロの時、市場規範よりも社会規範が優位となるため、人々に他者の幸福を思い出させることに着目してください。

値段を持ち出さないことが社会規範をもたらし、社会規範があることで私たちは他者のことをもっと気にかけるようになるのです。

これは、まさにAKB48ビジネスのコアである「顧客との関係性」を構築する足がかりになっているものですし、ググタスを使ってさらに加速することのできるものです。

ググタスのコメンテーターはメンバーに対してプロデューサー気取りで指導することから「エア・プロデューサー」などといって批判されることがありますが、このような事象がなぜググタスで起きやすいのか、本エントリをお読みいただいた方にはご理解頂けるものと思います。

つまり、この性質を利用すれば、多くの「エア・プロデューサー」を獲得することができるのです。
「エア・プロデューサー」は報酬(外発的動機付け)によって動いているのではなく、自らの意思(内発的動機付け)によって動いているため、モチベーションが高いというメリットがあります。

「推し」という概念の発明にも繋がっているものです。
(今はググタスに着目していますが、握手会なども同様の理屈で説明できます。)


「推し」という破壊的イノベーション ~「推し」知らずしてAKB48を語れず~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/fb3d486d39725c251911af9d07c763cc


指原の成功(今となっては・・)も、ググタスにおけるBBQのヒットも、そもそものAKB48全体の成功は、このような性質によって支えられているのです。
これだけで説明するには少し強引かもしれませんが、こういった大きな思想的変換を理解できているかどうかで、今後の成功は大きく左右されることでしょう。


料金をとってアイドルをプロデュースとか訳の分からないビジネスも多数ありますしね(゜Д゜)

人はおとりに釣られる。 相対性の前では全てが錯覚。 ~おとり効果~

2012-06-21 21:34:33 | AKB48_行動原理系
昨日は酒を飲み過ぎてぶっ倒れてしまって更新できませんでした(汗)

最近、スキャンダル話が盛り上がっているということで、それに関連することについて数回に分けて話をしていこうと思います。


一度スキャンダルが発生すると、その報道内容の正誤以外にも、そこから派生した憶測やデマなども多く出回る問題が起きます。
炎上マーケティングのように、これを巧く利用しようとする方法もありますが、一般的には好ましい状況ではありません。
しかし、なぜスキャンダル報道があると、その報道の真偽だけではなく、そこから憶測やデマといったものが発生してしまうのでしょうか。


最近、ダニエル・カーネマンの『プロスペクト理論』のお話を多用していたのですが、その中で「アンカリング効果」という言葉が出てきました。
私はこの「アンカリング効果」が憶測やデマの発生プロセスを読み解く鍵だと考えています。
つまり、それがわかると、憶測やデマの発生をいかに抑え込んでいくかについて、一つの答えになると思うわけですね。


「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152


指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c


今回の参考図書はダン・アリエリーの『予想通りに不合理(増補版)』です。




◆◆◆◆◆◆


■人は真ん中を選ぶ


テレビ販売員のサムの例:
サムは、どのテレビを並べて展示するかを決める時、よくある同じような騙しの技を使う。
 
・パナソニックの36インチ(690ドル)
・東芝の42インチ(850ドル)
・フィリップスの50インチ(1480ドル)

あなたならどのテレビを選ぶだろう?

サムは、お客にとって、異なる選択肢の価値を見積もるのが厄介なことを承知している。
選択肢が3つあると、たいていの人が真ん中を選ぶことも心得ている。
サムはどのテレビを中間の値段に設定したいだろうか?

番売りたいテレビだ。

抜け目がないのはサムだけではない。
飲食店経営コンサルタントのグレッグ・ラップは、メニューの価格設定を考えて報酬を得ている。
ラップがこれまでの経験から学んだのは、値の張るメイン料理をメニューに載せると、たとえそれを注文する人がいなくても、レストラン全体の収入が増えることだ。
たいていの人はメニューの中で一番高い料理は注文しなくても、次に高い料理なら注文するからだ。そのため、値段の高い料理を一つ載せておくことで、2番目に高い料理を注文するようお客を誘うことができる。
そして、2番目に高い料理からより高い利ザヤを確保できるよう調整しておくこともできる。


■英『エコノミスト』誌の3択


さすが世界的な経済誌『エコノミスト』ロンドン事務所の利口な人たちは、人間の行動について重要なことを知っている。
人間は、ものごとを絶対的な基準で決めることはまずない。
ものごとにどれだけの価値があるかを教えてくれる体内計などは備わっていないのだ。
他のものとの相対的な優劣に着目して、そこから価値を判断する。
たとえば、6気筒の車にどれだけの価値があるかはわからなくても、4気筒モデルよりも高いだろうことは想像できる。


・エコノミスト誌の年間購読料

(1) Web版だけの購読(59ドル)
(2) 印刷版だけの購読(125ドル)
(3) 印刷版とWeb版のセット購読(125ドル)

これをMITスローン経営大学院の院生100人に選ばせたところ、次のような結果を得た。

(1) 16人
(2) 0人
(3) 84人

さすがMITのMBA学生たちは優秀だ。印刷版とWeb版のセットの方が印刷版だけより得だと全員が気づいている。

では、選択肢が次の2択だったらどうか。

(1) Web版だけの購読(59ドル)
(2) 印刷版とWeb版のセット購読(125ドル)

結果は次のように出た。

(1) 68人
(2) 32人

学生たちは一体なぜ考え方を変えたのだろう。明らかに合理的な理由ではない。
私たちは、身の回りの物を常に他のモノとの関係で捉えている。
そうせずにはいられないのだ。
この宇宙が相対的だからだ。


■相対的な宇宙


「相対性」
これがキーです。

先述しましたが、人間は、ものごとを絶対的な基準で決めることはまずあり得ません。
ものごとにどれだけの価値があるかを教えてくれる体内計などが備わっていないからです。
他のものとの相対的な優劣に着目して、そこから価値を判断するしかありません。

だからこそ、以前述べたように、人間は「絶対量」ではなく「変化」に注目してしまいます。


「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152


相対性は人生における決断を助けてくれますが、私達をとんでもなく惨めな気持ちにもさせることもあります。
嫉妬や僻みは、自分と他人との境遇を比べるところから生じるのです。
モーセの十戒で

隣人の家、畑、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のモノを一切欲しがってはならない。


と戒めたのも、それなりの理由があったわけです。


■余談:給料と相対性


1992年に、アメリカの証券規制当局が各企業に経営幹部の報酬と役得をこと細かに開示するようはじめて義務付けた。
報酬が公開されれば、理事会も幹部に法外な給料や手当を出しづらくなるだろうとの狙いがあった。
これまでどんな規制も法律も株主の圧力も抑えることのできなかった幹部の給与増加がこれで止まるのではと期待された。
1976年、平均的な最高経営責任者の給与は、平均的な従業員の36倍だったが、1993年には131倍にもなっていたのだ。

ところがどうだろう。

幹部の報酬が一般に公表されるようになると、マスコミが定期的に最高経営責任者の報酬ランキング特集を組むようになった。
公になったことで幹部の報酬が抑えられるどころか、アメリカの最高経営責任者たちは自分の収入をよその最高経営責任者の収入と比べるようになり、その結果、幹部の報酬はうなぎのぼりに上昇した。
この傾向を助長したのは報酬コンサルティング会社で、顧客である最高経営責任者たちに、法外な給与を要求するように助言した。
 
そしてどうなったか。

いまや平均的な最高経営責任者の給与は、平均的な従業員の369倍、報酬を開示する以前の3倍の額になっている。

おかしな話ではないか。

給料の多さと幸福感との間に、私たちが思っているほどの強い関連がない、というよりむしろ弱いことは、これまで繰り返し立証されている。
研究によれば「最も幸福な」人々が住んでいるのは、個人所得が最も高い国ではないこともわかっている。
それなのに、私たちは、より高い給料を求めてやまない。
そのほとんどは、単なる嫉妬のせいだ。
ニューヨーク・タイムズ紙の見出しによればこうだ。

世界はいまや金持ちが大金持ちに嫉妬する時代



■まとめ


今回は、まず「おとり効果」について説明しました。
私たちはいろんなところで「おとり」に釣られています。

AKB48には「おとり効果」が内在していると、よく言われます。
各メンバーの相対評価がやりやすい環境があるためです。
あっちゃんとぱるるを比べてみたり、オリメンと9期を比べてみたりなどといったことがやりやすいわけです。

AKB48が大所帯で、多種多様なメンバーが在籍しているため、その中である程度に世界が完結しており「おとり効果」が発揮されやすい状況を作り出しています。
選抜総選挙はその最たるものです。


その一方で、スキャンダルなどがあると、この「おとり効果」が逆方向に働いてしまう場合もあります。

正しくない情報で選択肢を作り上げられると、あたかもそこに真実があるように釣られてしまいます。
間違った情報でも、それらの言葉が並びたてられると、あたかもその中に事実が埋もれている錯覚が起きると言うことです。

私は、今回の指原の件だけについて述べているわけではありません。
もちろん本当のこともあるのでしょうし、まちがったこともあるのでしょう。
ただ、間違った情報であったとしても、私たちは自然と釣られている可能性があるということに注意が必要だということです。

そして、間違った情報を放置すると、それらの錯覚を引き起こす要因になるということです。

だから私は、以前からコミュニティの力が大切だと主張しているわけです。

指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中]

2012-06-17 01:46:04 | AKB48_行動原理系
ちょっと時間がとれないので、予告だけしておきます。
(詳しい人なら題名から何を言おうとしているか、わかると思いますが)

当BlogのAKB48の歴史は2年あるのですが、今回の件ほど当Blogの主張が外したこともなかった気がします。
(予想的なことはあまりしていないのですが)


指原莉乃の交際? そんなわけがない [追記]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/d3ac14e48e8db1787325ace3a6cfb64d


過去の私信事件に関しても、そこまで発展しているとは思いませんでした。
この点、やすす先生と全く同感です。


生まれて初めてANNを聴くことにした [実況中]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bb287e5257a1355efd4468409bfdc499


やすす先生「まさか指原にスキャンダルが出るとは思わなかった。」

やすす先生「指原はないと思ったけどな。」


最後の一線を超えることが指原には出来ないと思い込んでいました。
もし問題とされているようなことがあったのなら、指原の精神力ではもたないはずで、とっくに潰れていると。
だけど、事実は違った。
ある意味で、やすす先生も私も、指原莉乃という女性を見くびっていたようです。
私が思うよりもずっと気骨のある女性だった。

その気骨があれば、かならずやっていける。

さて、本題へ・・


◆◆◆◆◆◆


さて、先日の続き。
参考はダニエル・カーネマン。

「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152




■知覚の特性:足し算をすべき時に平均値を求めてしまう


私達は平均値を直感的に求めることができるのですが、合計値を直感的に求めることができません。
なので、ある一組のグループの価値の判断を直感的に行うと、エラーを犯す傾向が強くなります。
合計値ではなく平均値を使ってしまう極めて強いバイアスがかかってしまうのです。
私達のする判断が平均値に「アンカリング」されているからだといわれています。



アンカリング効果:ある初期値が錨(いかり:アンカー)のような機能を果たし、思考が縛り付けられること。


■優越性ルール


選択肢がAとBの2つがあるとする。
この時、Aが少なくとも1つの点においてBより望ましく、なおかつその他の全ての点において同等に望ましいかそれ以上である場合、AはBに対して選択肢として優越しているという。
この状況ではAを選択することが、「優越性ルール」に従うということになる。


■一括評価 vs. 個別評価


クリストファー・シーの研究成果を簡略化して説明します。

在庫一掃セールにかけられた食器類のセットに関するお話です。
小さいセット「A」と、大きいセット「B」があるとします。


Aセット(小)

ディナー用の皿: 8点  (全て状態良好)
サラダボウル:  8点 (全て状態良好)
デザート用の皿: 8点 (全て状態良好)


Bセット(大)

ディナー用の皿: 8点  (全て状態良好)
サラダボウル:  8点 (全て状態良好)
デザート用の皿: 8点 (全て状態良好)
カップ:      8点 (2つは壊れている)
カップの受け皿: 8点 (7つは壊れている)


この2つのセットに値段をつけるように頼みます。
ただし、2通りのやり方で実験をします。
一括評価」と「個別評価」です。

一括評価は、両方のセットを並べて見ます。
個別評価は、AセットかBセットのどちから一方しか見ません。


さて、結果はどうなるでしょうか?


■優越性ルールの侵害


2つのセットを同時に見ることができる一括評価では、被験者はAセット(小)よりもBセット(大)の方に必ず高い値段をつけました。
当然の結果だと思います。
Bセットの方が多くの食器が含まれるわけですから、より価値があるわけです。
(優越性ルールの観点からすれば当然です。)

しかし、どちらかのセットしか目にしない個別評価では、逆の結果が得られるのです。
被験者は、Bセット(大)よりもAセット(小)の方に高い値段をつけました。
これは、明らかに優越性ルールを侵害しています。

個別評価では、お金を支払おうとする意思は食器それぞれの価値の加重平均にアンカリングされていて、Bセット(大)には壊れた食器が含まれているので、その平均値がより低くなってしまったのです。

一方、一括評価では、誰もが優越性ルールを当てはめるので、ルールが直感を圧倒したのです。


■壊れたカップ


これから述べることは、一面的な意見でしかないことを先に説明しておきます。


なぜ不祥事が起きると解雇や降格、移籍といったことが必要となるのでしょうか?

誤解を恐れずに言います。
グループの中に壊れたカップがあると、平均値を下げてしまうからです。
これはグループについても言えるし、個人についても言えることです。

『プロスペクト理論』のところでも説明しましたが、人には「変化」について近視眼的集中を引き起こしてしまう癖があります。
そうすると、多くの部分は変わっていないとしても、変化したわずかな部分に心象を左右されてしまうのです。
その上、平均値にアンカリングされてしまう場合もあります。

ちょっとした変化が大きな心象の違いを生み出してしまうということです。

だから、変化した部分、平均値を下げてしまう部分を切り離すということが、意識的にしろ無意識的にしろ組織的には行われるわけです。
不祥事による更迭劇はいろいろなところで見られる景色です。

これは個人についても言えるわけなのですが、しかし個人の場合は変化した部分を切り離すことができません。
そうです、ずっと背負っていかなければならないカルマとなってしまうのです。


■カルマ


「業(カルマ)」というのは、本人の自覚するものとは限りません。
むしろ本人のあずかり知らぬところで発生したものだからカルマなのだと言えるかも知れません。


■適応


■アドバイス:状況を創りだす



(つづく?)

【AKB48】 「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。

2012-06-10 00:37:09 | AKB48_行動原理系
選抜総選挙は悲喜交々ですね。
刺激を受けてやる気になったメンバーも多いかと思いますが、順位が低かったり、圏外だったからといって、必要以上に落ち込む必要はないと思います。
(余計な心配だと思いますが)

当Blogの選挙結果まとめを見て頂きたいのですが、全体としては票数ベースはUPしているし、64位内で前回よりも票数を伸ばしたのは52人と多数です。
順位とは別に、全体傾向としては各メンバーに投票された数は確実に増えています。
ほとんどのメンバーへの支持は広がっているし深まっていると考えてよいです。


第4回選抜総選挙 結果の図解 [一部修正] [追記3]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/c153b4df0c7d5748202b695e610752ee


ただ、どうしても周りのメンバーと比べてしまいがちですよね。
これは仕方のないことです。

そこで、気休めにしかなりませんが、今回は私達がそのようなことを、ついつい重視してしまうことについてお話したいと思います。
本日の参考図書は『ダニエル・カーネマン 心理と経済を語る』です。




ダニエル・カーネマンは2002年にノーベル経済学賞を受賞した"心理学者"です。
(今では「行動経済学者」なのかもしれません。)

そして、彼とエイモス・トヴェルスキーの共同研究として有名で受賞理由にもなったのが『プロスペクト理論』です。


人には、変化には敏感に反応するが、同じ状態が続くと反応しない"癖"があるというのです。
効用(満足度)は、最終的には富の状態によって感じられるのではなく、参照点といわれる何らかの基準との違いや、そこからの変化によって感じられるものであるのです。
効用の担い手は「変化」であり「得失」であって、「富の絶対量」ではないのです。


■ヒューリスティックとバイアス

説明に入るまえに、1つステップを踏みます。
プロスペクト理論を理解するにあたって知っておきたいのが「ヒューリスティックとバイアス」です。

バイアスというのは「偏見」だと思ってください。
ヒューリスティックというのは、人が判断するときに多用する直感的判断のことです。
直感的判断は、簡便で素早く結論を導き出しますが、バイアスという弊害があります。

進化論的な考え方としては、「直感」は、動物と共通して持っている「知覚」メカニズムから進化してきたメカニズムで、人間だけが持っているもっと高度な「推論」のメカニズムとの間の橋渡しをしているとされています。

 知覚 → 直感 → 推論


直感には制約があります。
たとえば、トランプに関するこんな問題を考えます。

[1] トランプ1枚の面積はどのくらいか?

[2] トランプ1組の厚みはどのくらいか?

[3] 1組分のトランプ全部を足した面積はどのくらいか?

[1]と[2]は直感的に処理できます。
しかし、[3]については計算してみないとわかりません。
直感的判断では解けない問題です。

直感を正確に定義することは難しいのですが、直感というのは、私達が一生懸命に努力して考えるのとは対照的な、大変に素早く働く考えのことです。
だいたいの場合、私達は直感的に考えています。
私達のもっとも熟練した認知活動のいくつかは直感によってなされているのです。
ただ、直感は、非常に洗練され大変高度なことをするのですが、系統だったバイアスやエラーを犯してしまう傾向があります。
じっくり考えた後であっても、時には直感から来る印象や判断が訂正されない場合もあります。
人が下す最終的な判断の中には、直感が犯しがちエラーの痕跡が見られるわけです。


■知覚の特性

知覚には、「変化」に集中し「状態」を無視する特性があります。

この特性を、温度に関する例を使って説明します。

ボウルを3つ用意して、1つには冷たい水、2つ目には暖かいお湯、3つ目にはその中間の温度の水を入れます。
一方の手を冷たい水のボウルに、もう一方の手を暖かいお湯のボウルに浸けて、しばらくそのままでいます。
その後で、中間の温度の水に両手を入れてみると、右手と左の手の感じ方は違います。
中間の温度の水を、一方の手はとても暖かく感じ、もう一方ではとても冷たいと感じます。

つまり、手はそれぞれに前の温度に適応してしまったわけです。
このように、どんな刺激に対しても、私達の感覚や知覚は、適応のレベルによって感じ方が変わってしまうのです。
もし、判断や選択が知覚のルールに則って作用するのなら、変化は際立ち、一方、一定に保たれた状態はほとんど無視されるはずです。


■ベルヌーイの偉大なアイディア

1738年に、物理学者ダニエル・ベルヌーイがある論文を出版しました。
この論文の中でベルヌーイは、意思決定の問題を分析し「賭けは期待される貨幣の価値(金額)ではなく、期待される心理的価値(効用=満足度)で評価される。」、つまり「賭けは結果の期待効用によって評価されるべきである。」と提案しました。
これが「期待効用理論」のはしりです。


■ベルヌーイの誤り

次のような例を考えます。

[A]
 50%の確率で150万円もらえて、50%の確率で100万円を失う

[B]
 現在1億円持っているとする。
 50%の確率で150万円もらえて、50%の確率で100万円を失う

[A]と[B]で、賭けに対する魅力が変化すると思います。
ベルヌーイのアイディアが正しければ、人は[A]と[B]両方とも同じ魅力に感じるはずですが、おそらく[A]と[B]で感じるものが違うはずです。


■プロスペクト理論

不確実な状況で人が選択をする時に、どういう行動をとるかについて、2つの特徴があります。

1つは「損失回避性」で、人は何かを得るときよりも、何かを失う場合の方に強く反応するのです。
実際、この反応は2倍も強いのです。


もう1つは、人は意思決定をする時、損失の領域、つまり負の選択に直面したときにはリスクを追求する傾向があり、逆に利得の領域ではリスク回避的であるのです。

ここでも1つの例を考えます。

ある2人の人が証券会社から月例報告を受けたとします。
Aさんは、金融資産が400万円から300万になったと言われました。
Bさんは100万円から110万円になったと言われました。
さて、AさんとBさん、どちらがより幸せでしょうか?

答えは明らかで、Aさんの方がはるかに惨めな気持ちで、Bさんは満足のはずです。
では、ここでもう1つの質問です。

AさんとBさん、どちらの方が自分の全体的な資産状況に満足すべき理由があると思いますか?

ここでは、資産額の多いAさんの方が、自分の資産状況に満足すべきことは明らかです。
前述したプロスペクト理論の説明に戻りましょう。

効用の担い手は「変化」であり「得失」であって、「富の絶対量」ではないのです。

変化は、基準となる「参照点」からの変化です。

そして、その変化に関しては、利得よりも「損失」を重視してしまいがちなのです。



■まとめ

知覚にとっては、状態よりも変化の方が優位なのです。

それによって、意思決定の際に変化に対する近視眼的集中が引き起こされます。

しかし、これは人間の生来持っている癖です。

この癖をなくすことはできません。

ただ、そのような癖を持っていることを理解することはできるはずです。

選抜総選挙の結果には大きな影響力がありますので、順位が上がった落ちたという変化に一喜一憂するのは仕方がありません。

ですが、まず真っ先に見なければならないのは、「変化」ではなく本質的な「絶対量」です。

順位が下がったからといって票数が減っているとは限りません。

圏外だからといって、応援してくれる人がいないわけではありません。


どの部活に入るか悩めるメンバーへ ~基本に忠実に。ただし、革新的なやり方で!~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1a7baeb9321456252d9ae5c1521e68f9

忘れてはならないことは、AKB48のコアは「顧客との関係性」であり、一時の人気ではない!
超選抜や古参メンバーは、これまで長期間にわたって築き上げた顧客との関係があればこそ、部活が活きてくるのです。
これは絶対に忘れてはならないことです。
AKB48の基本中の基本だからです。


しっかりと、自分の支持基盤を固めること。

つまり、顧客との関係性を構築することを忘れてはならないのです。

選挙はその結果でしかないのですから。

【AKB48】ググタスを加速させる力 ~宇宙最強の力、複利~

2012-05-08 12:35:43 | AKB48_行動原理系
いや~、さきほどようやく戻ってきました。

今日は新東名に乗ってみたのですが、旧東名に比べるとずいぶんと運転しやすくなりましたね。
三ケ日から御殿場までかなりスムーズになった気がします。
GW中は渋滞してたとは思いますが・・平日なら全然OKですね。
2車線の箇所があるのが確実にイケていないですが、それでもかなり走りやすいです。
全線開通するのが待ち遠しいです。
(といっても利用するのは年に数回だと思いますが・・)

おっと、題名と全く関係の話をしてしまいましたね。
では本題に・・。

◆◆◆◆◆◆


宇宙最強の力、それは複利の力だ

(アルバート・アインシュタイン)


いきなりアインシュタインの名言から入りましたが、先日のエントリを補足します。

ググタスの投稿は少なくても朝・昼・晩・夜の1日4回、夜は24時過ぎまでに。ただし深夜枠は別。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/70e52157c4e410960b4e813185c6767a


これまで当Blogでは「ネットワーク効果」について何度も語ってきました。
とりわけググタスとネットワーク効果の親和性の部分に注目していたつもりです。
(どこかでまとめた方がいいかもですね・・自分でも何を書いたか覚えていない・・)


やすす先生!あなたがもっとググタスで語るべき理由の1つを説明します。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/160f4c424d60acd40b875393f558faa9

ググタスの使い方についての考え方 (メンバー向け)
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/3ecc801a92fef3d7b56137fa26aa8c45


ただ、それだけだと説明不足だなと思っていたので、簡単ではありますが「複利」に関する考えを述べたいと思います。

複利の説明は面倒なので、Wikipediaから引用します。

複利(ふくり)とは、複利法によって計算された利子のこと。複利法とは、元金によって生じた利子を次期の元金に組み入れる方式であり、元金だけでなく利子にも次期の利子がつく。したがって、各期の利子が次第に増加していく。投資や借金などでは、雪だるま式に利子が増えていくことになる。





この例からもわかるように、重要なのは「利率」と「福利回数」です。
(これが高利貸しの手口なのです)
私はこれまで何度もコンテンツに対する捉え方を「重厚長大」から「軽薄短小*多」に変換する必要性を説明してきたつもりです。
ネットワーク効果によって進歩は指数関数的に進化するようになった。
この「変化の質」を理解しなければなりません。

この理由は2つあります。
1つは、情報を整理すること自体が人間の快楽であるから、情報が細切れで編集可能であることが非常に重要であるということ。

「BBQ松村香織の今夜も1コメダ」の本質を語ろう
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/f78a991a1a21721f8e51945893f38884



もう1つは、情報が「複利の力」で増幅するからです。

前から繰り返し主張しているように、顧客を「点」でとらえようとしてはならんのだ。
これまでのコンテンツ概念だと、鋭く刺さるサーベルや、爆弾のような大きい点を考えるけれども。

でも、単純な「線」でも「面」でもない。

「点」を多く打つ。
「点」を数限りなく打つ。
日常的なものとして「点」を打つ。
そして「点」と「点」を結び、「線」なり「面」にする。
顧客の心の壁に楔を打ち込み、壁を割るのだ。
そしたら顧客の心はあなたのものになるだろう。

これがわからないと今はやりの「ソーシャル」の本質を理解することはできないと思うよ。

複利の力が働くにも時限範囲があるので、ある時間内に点を打っていかないと複利の力は働かないため、点を数限りなく、タイミングを狙って要所を押さえつつ打っていくことが大切です。

「ネットワーク効果」と「複利の力」はセットで1つなので、一緒に理解しておきたいところです。