進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

紅白での大島優子の卒業発表はサプライズでも報告でもなく、演出である。

2014-01-03 04:04:04 | AKB48_軽ネタ
最近AKB48にかける時間が減ってしまったため空気を読めていないかもしれない。

が、私なりの解釈を述べようと思う。



なぜ紅白でヘビロテをセトリに入れたか、から入れば全体像を理解できる。

ヘビロテが大島優子の曲だからであり、ヘビロテがAKB48の代名詞だからだ。

「AKB48=ヘビロテ=大島優子」という構図、これがこれまでの「AKB48」だ。

大島優子が卒業するのであれば、紅白で「AKB48」をセトリに入れるには今回が最後のチャンスだったのだ。

「恋チュン」と「ヘビロテ」、「新しいAKB48」と「これまでのAKB48」のクロスオーバーを演出したい人にとって、それはどういう意味を持つのだろうか。

それは、舞台として紅白を選んだ、ということになるのだが、同時に「恋チュン」と「ヘビロテ」の2曲を競演させることができるのは、今回の紅白のタイミングしかない。

そういう意味で、「AKB48の私的な話をなぜ紅白(公共の場)でやったのか?」という批判はピントがずれている。

卒業発表を紅白でしたかったのではなく、AKB48を演出をしたかったのだ。

つまり、大島優子の卒業は、AKB48の演出に使われたということだ。


大島優子ほどのキャリアと知見を持ってる人物なら、紅白で卒業発表をすれば批判されるであろうことくらいよく理解しているだろう。

そして卒業発表のタイミングと、どう表現するかなどといったことのほとんどは彼女に任されてるであろう、ということもよく認識しておくべきだ。

その上で、あえて紅白での卒業発表を彼女は選んだ。

それが彼女の意思であったかどうかに関係なく、最後に彼女がそう選択した、ということの意味をもっと噛み締めるべきだと思う。

大島優子は、最後までAKB48を背負っている、ということだろう。

重ねてこう言おう。


本当にありがとう、大島優子。


ありがとう、大島優子
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/2578a18c9a27c6aa40c3e7f1702d21ce



ちなみに、上記の意味からすると、AKB48が紅白でヘビロテを歌うのはこれが最後になるのではないか。


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4 コメント

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あけましておめでとうございます (今推し)
2014-01-03 22:20:49
今年もよろしくお願いします。

AKBのことはほとんど追いかけていなくて、
乃木坂も2期生加入をきっかけに
追いかけていないので、
議論には参加できませんが、
今年もいろいろ教えてください!!

今年こそは恋したいですね(笑)。
返信する
あけましておめでとうございます (advanced_future)
2014-01-04 09:11:16
よろしくお願いいたします。

恋ですか(笑)
いいですね!
陰から応援しますよ!
返信する
大島優子の「紅白」での卒業発表こそ、「AKBは社会的存在であるべきだ」という意地と誇りであり、その優子の想いに「AKBファンは救われた」のだ (よしりんファン)
2014-01-05 18:51:32
大島優子が紅白での卒業発表した。
私はこのことに、「AKBファンとして救われた」想いでした。

もはや「反社会的」な不祥事やスキャンダル続きで、
プロデューサーも総支配人も、それを反省どころか、ネタにしたり隠蔽したり、
マスコミや政府を利用して報道規制、言論統制、
AKBがいかに下衆で反社会的で低俗でヤクザであるかを自ら上塗りする、
そんな人間ばかりが権力を握って居座る現状のAKBに、怒りや憎しみを超えて、
あきらめしか感じない中でした。
AKBを応援してきたことを、ある部分では否定された、反社会的集団を応援していたんじゃないかって、
悔しさも感じていた。

そんな中、この日本という国で(かつてほどではないにしろ)
老若男女に最も広く愛され親しまれている「社会的番組」である紅白歌合戦、
この「社会的価値を示す」場で、「AKBの顔として卒業発表した」ことこそ、
「私たちAKBは、社会的存在を目指して、社会的価値を高め、社会的成長、
社会的楽しみを互いに分かち合うこと、それを求めて、すべてを懸けて頑張り、
成長することを望んできた、AKBの真のガチ・マジ・理念、原点・原典の想い、
熱い気持ちを、大島優子が代弁してくれた。
「私たちAKBは反社会的集団なんかじゃない」「私はそんなAKBを求めていない」
「この社会的存在の番組で、私が人生を賭けたAKBに別れを告げるのだ」、
その大島優子のAKBに対するプライド、これこそが、私たち「AKBファンの誇り」です。
私たちの気持ちの代弁です。
周囲が例え「紅白を私物化するな」と批判しようが、大島優子が社会的価値のある場で、
発表してくれたこと自体が重要なのです。

最近のAKBの価値をわざわざ下げるような言動、それをこともあろうに秋元康さんや戸賀崎さんが行っている。
「それも含めてAKBなんだから諦めてくれと」言わんばかりに。
冗談じゃない。
運営の意識よりも、大島優子の理念・想い・意識・情熱のほうが、はるかに上なんです。
確かにスキャンダルをネタにしたり、不祥事を容認隠蔽して存続すれば、
カネは稼げるかもしれない。芸能界で生きる上では、反社会的言動も受け入れざるを得ないのかもしれない。
でも大島優子の誇り高き宣言、それは人間としてはるかに価値の高いものですよ。

大島優子の紅白発表の誇り高き宣言、
ある意味、「秋元さん、戸賀崎さん、AKBをこれ以上舐めないでくださいね!」の想いですよ。

AKBに人生を捧げるまで身を削った大島優子ならではの「国民的社会性のある場」での卒業発表。
それこそが、「AKBは社会的存在であるべきだ」という意地と誇りであり、
その優子の想いに「AKBファンは救われる」のです。
返信する
大島優子の「紅白」での卒業発表こそ、「AKBは社会的存在であるべきだ」という意地と誇りであり、その優子の想いに「AKBファンは救われた」のだ ② (よしりんファン)
2014-01-05 19:49:17
上記の大島優子への感謝の続きです。
紅白という「日本で最も広く社会性のある番組」に誇りをもって発表できるのは、AKBでは大島優子しかいないでしょう。

また、大島優子の紅白での発表という誇り高き意識(およびそれに対する反感)を観て、
以下のことを思い出しました。

私は洋楽(ロック&ポップス)好きで、いくつかの好きなアーティストは
ワールドツアーの追っかけを長く続けているほどです。
今でこそ市民権を得ているロック&ポップスですが、60年代にビートルズが来日したときは、
「武道館をロックに使うのは絶対に許されない」「ロックは日本の若者を滅ぼす」と、
政治団体の街宣車まで出動して抗議行動が繰り広げられ、
各地の中学や高校では「コンサートに行った退学処分」の発令も出されました。
武道館ではコンサートに来ただけで、中高生を警察官が補導するモノモノしい状況でした。
1万人収容の武道館に数千人の警察官や機動隊まで出動したのです。

しかし記者会見で、「コンサートに武道館を使うのは日本の伝統に反すると
抗議運動が起きている」という尋問に対し、メンバーもポールマッカートニーは、
「日本の舞踊団がイギリスの王立劇場に出演してもそれが伝統を汚すことにはならないでしょう。
私たちもあなたたち日本人と同じで、社会的存在として活動しているし、伝統的ですよ」と一蹴した。
ロックは決して若者を滅ぼすものではない、私たちは自分たちの活動を本気で誇りを持っているし、
社会的存在なんだというメンバーの想い。
同じくメンバーのジョン・レノンも、「ビートルズは世界の若者にとってキリストより有名」という発言が曲解されて
世界で抗議活動を受けましたが、主旨を誤解されただけであって、それだけの誇りを持って活動していたことの
裏返しでもあります。彼は最終的には40歳で暗殺されてしまいましたが、
「コンサートに行ったら退学」のバンドが、彼に関わった多くの人たちの想いによって、
社会科、音楽、歴史、英語の教科書に載るまでになったのです。

71歳になったポールはつい11月に来日しましたが、追っかけマニアの私は福岡ドーム公演翌日の西日本新聞
(スポーツ紙ではなく九州で発行部数一位の一般新聞です)は、一面トップの大きな写真でコンサートの感動を伝え、
社会面を丸々1ページ使って「ビートルズは人生の応援歌」と題して、さまざまなファンの人生と
昨日のコンサートをオーバラップさせた記事を載せていました。
永遠のアイドルであり続けると同時に、その地方で最も支持されている社会的新聞の、
一面・社会面を丸々使うほどの、社会的出来事であるわけです。

だから、「紅白で卒業発表するな」と抗議を受けている大島優子ですが、
50年後は「大島優子がコンサートをした」「AKBが我が国にやってきた」ということが、
社会的事象になっていてもおかしくないし、大島優子のAKBに捧げる思いは、
それくらい意識の高いものを描いて頑張ってきたことへの裏付けであるともいえます。
大島優子(匹敵するとしたら前田敦子)だからこそ、です。

だから、嬉しいのです。AKBファンは誇るべきなのです。
大島優子が卒業発表の場として、日本で最も広く社会性のある「紅白」を選択したことを。

そして、それはスキャンダルをネタにして不問にしたり面白がったり、薬物のような
「反社会的行為」を黙認、是としないまでも明確に「否」としないAKBに対する、
「高い意識」を放棄したとしか思えない運営に対する、痛烈な一撃の面もあったと思います。
反社会的言動ばかりが話題になるAKBにおいて、少なくとも、前田敦子や大島優子、
(あるいはそれに続く、高橋みなみや渡辺麻友たち)に象徴されたAKBは、
ファンが本気で応援し、に喜怒哀楽を共有し、成長を楽しむ対象としてAKBが歩んできた道は、
決して間違っていなかったんだ!そう感じました。

だから、大島優子の「紅白」での卒業発表こそ、「AKBは社会的存在であるべきだ」という意地と誇りであり、
その優子の想いに「AKBファンは救われた」のです。

もし大島優子に「今のAKBにはそこまで情熱を捧げるだけの価値を見いだせなくなってしまった」と
感じさせてしまったのだとすれば、それは運営の大失態です。

逆に運営、特に秋元さんや戸賀崎さんに言いたい。
自分たちはさんざんAKBの価値を落とすような茶番や不祥事を容認しておいて、
大島優子にこの国で最も社会性ある場で発表されて、「自分たちは恥ずかしくないのか」と。
戸賀崎さんにいたっては、大島優子の卒業を受けてもまったく触れない。
Google+の投稿なんて何の気持ちもこもっていない内容だ。
どうでもいい話題にはすぐ反応するくせに。自身の週刊誌記事の説明責任と、
優子卒業発表の二つは、「AKBを本気で想っている人間」であるなら、
自らが恥を晒しても何らかのコメントは「人間なら」出すべきだろう。
芸能界のルールなんてくだらない次元で保身している秋元さんや戸賀崎さんは、
自信を恥ずかしく情けなく思わないのだろうか。
まあそう思わない(思っていたとしても、AKBの未来よりも自らの保身が優先だから)、
ここまでAKBの価値を落としてしまうのでしょう。

それに比べて、大島優子の何と気高く、美しいことよ。

大島優子の「紅白」での卒業発表こそ、「AKBは社会的存在であるべきだ」という意地と誇りであり、
その優子の想いに「AKBファンは救われた」のです。
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