進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

「紅白歌合戦」ではなく「東アジア国別対応歌合戦」にしたらどうか

2010-12-30 01:21:29 | TV・書籍

北島三郎、演歌枠縮小を憂慮 「演歌を大事にしてほしい」(オリコン)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101229-00000306-oric-ent

演歌だPOPだという前に、ライフスタイルの多様化を前にして
歌の影響力が落ちてきていること自体が大問題だろう。
このご時世に「紅白歌合戦」というネーミングからして、もう時代遅れなのかもしれない。

もうVHSやCDが一般的に普及した何十年も前にこの流れは出来ていて、
消費者からすれば、CDやYouTubeで歌を聴く事ができる以上、
TV番組で原曲のまま聴く事になんの意味もない。
精々一部のファンが喜ぶのと、普段歌を聴かない人々が時短で楽しむ程度の価値しかなく、
実際に多くの歌番組は消えていった。

現在残っている歌番組はほんとわずかで、
しかも歌って聞かせる歌番組なんてほとんどなく、
ゴールデンタイムでやれるのは
お笑い芸人にホストをやらせてエンターテイメント性を持たせた番組くらいで、
あとは深夜にランキングをやるのが精一杯というところだ。

ただでさえ、技術革新で音楽番組の価値が低下の一途にあるのに、
ここにきて現役世代の減少(世代交代)によってライフスタイルの多様化が進み、
歌そのものの影響力さえ怪しくなってきている。

もちろん、若い世代も歌は聴く。
そして歌を嫌いになったわけでもない。
人間である以上、歌から離れることはできないだろう。
ただ、歌以外にも影響力を持つものが増えた。
だから、相対的に歌の地位が落ちたのだ。

また、もはや1つの価値観でマスを捉えることができないことも大きい。
紅白歌合戦に出場する少数の歌手だけで日本全国民の趣味趣向をカバーできない。

それでもまだ、FNS歌謡祭や紅白歌合戦はまだ努力を重ねている方ではある。
その場でしか見れないもの、聴けないものにこだわった番組制作をしているからだ。
紅白歌合戦の場合は、その年のテーマを取り込むなどかなりの創意工夫の形は見える。
しかし、それもあと10年もすれば様変わりするだろう。
世代が変わるからだ。
20年先に紅白歌合戦が存続しているかは怪しい。

個人的には、21世紀に国民的番組を望むこと自体に無理があると考えながらも、
ただ1つだけ、可能があるのキーワードがあるように思う。

それは、ナショナリズムである。

ナショナリズムという言葉を出すと過剰反応をする人もいるが、
私がここで述べるナショナリズムは愛国心とは少し違う。
同郷・同胞精神のことで、国家レベルで語ればナショナリズムになるだろう。

人間であればコミュニティに対する愛着心を持つ。
これは遺伝的にも血肉化した人間であるが故の性だ。
戦争などを観察しても、ナショナリズムが主義主張に勝るのがわかる。

この人間ならば誰もが持つ、ナショナリズムを発火させることだろう。
典型的な例はサッカーワールドカップやオリンピックなどである。

ただ、問題は紅白歌合戦は非常にドメスティックな番組という点だ。
40年くらい前なら「都道府県対抗歌合戦」でも盛り上がれたかもしれないが、
今なら「東アジア国対抗歌合戦」的なもので盛り上がれるかもしれない。

オリンピックが運動による平和的戦争なら、
「東アジア国対抗歌合戦」は文化による平和的戦争みたいな感じで。

どうやって勝ち負けつけるのかが問題ではあるが。

あと、紅白歌合戦を日本の文化を守る防波堤だと思われる人もいて反対されるかもしれない。
でも、国別対抗でやった方が日本らしさも浮かび上がってくるという考え方も可能だ。
自己認識もできて、発展にも繋がる。
そして相互理解にも役に立つ。
いいアイディアだと思うのだが。

国内サービス業の労働生産性の低さは国内価格競争の結果

2010-12-29 13:57:40 | 経済
今日は朝の通勤電車がガラガラだった。
駅までの道も、今から帰省するであろう人たち以外とほとんど合わなかった。
まだ元旦の方が人を見るという感じだ。
毎日こんな感じで電車が空いていれば気持ちも楽なのだが。

年末のこの閑散とした雰囲気の中で気が緩んでしまったのか
過労だと思うのだが今週になってから体調が悪い。
いつも気が張ってる時は元気なのだが気が緩むとどっとくる。
年末年始の間に回復するのかが心配だ。


さて、最近ちょっと気になった話題で、
日本のサービス業の労働生産性が低いというお話について。

サービス過剰との批判もあるが、これは一面的な意見だと思う。

同じ料金でサービスに違いがあるというのであれば、
裏で企業がサービスコストを負担しているということなのである。

サービス料があらかじめ料金に織り込まれているのであって、
客観的にサービス競争を見れば、
企業側からすれば差異化戦略なのであるが、
第3者的観点から見れば、これは価格競争なのである。

どれだけ裏でサービスコストを負担したかということなのであるから、価格競争なのである。

では、何ゆえ日本の企業がこのサービス競争に乗り出すのかといえば、
大きく2つ理由があると思われる。

1つは、文化的背景である。
日本人はより良いサービスを選好する傾向があるというもの。
この話はよく聞く話なので、ここでは説明しない。

もう1つは、市場の飽和である。

当Blogでも以前触れたことのある話なのだが、
人間は物欲的な部分が満たされると、次はサービスに目がいく。
経済的にある程度発展した国家では、サービス業の占める割合が大きくなるのだ。

企業戦略的な観点では、
一般的に既製商品で差異化が難しくなると、高付加価値路線を取るようになる。
より良いサービスを提供する方向に舵が切られるわけだ。

しかし、経済成長が停滞してくると、
商品の価格を上げることができなくなってくる。
顧客の財布の中身は豊かにならないからだ。
つまり、パイの取り合いになる。

市場が大きくならない場合に、何が起きるか。
それは客の奪い合いである。

だが、価格の上限はある程度決まってくる。
そうすると、お値ごろ感が重要になる。
「この価格で○○が!」というあれだ。

価格競争には幾つかの側面があって、
1つは単純に値が下がること。
他には、値を据え置いたままサービス品質が向上すること。
どちらにせよ企業が負担するという意味において、本質的には同じ価格競争である。

それで、今の日本を見てみよう。
過剰品質にしろ、サービス残業にしろ、みんな価格競争なのだと思えてこないだろうか。

結局、日本という国がドメスティックな内向き指向である限り、これは続く。
さらにいえば、今後日本市場は収縮していくであろうから、余計この傾向はひどくなる。

この問題について、通常2通りの考え方がある。
1つは市場拡大を目指す。
もう1つは、価格競争に歯止めをかける。
これまでは後者のお話が多かったわけだが、
今後前者の議論が活発になっていくだろう。

また、最大の問題は、海外に価格競争力を持ったグローバルカンパニーが出現してきていることだ。

国を閉ざせば、生産性は頭打ち。
国を開けば、価格競争力に勝る海外勢が攻め入ってくる。

低成長時代の経済に変革するか、
打って出て活路を見出す経済に変革するか、
舵取りの難しい問題であることには変わりない。

戦争が起きるのに万人に理解できる合理的理由など必要ない

2010-12-21 22:17:55 | 社会
最近の韓国と北朝鮮の緊張や中国の台頭を目の間にして、
日本でも安全保障や戦争について語られることが多くなったように思う。
しかし、多くの日本人にとって戦争という脅威は現実のものではないのではないか。
日本の近くで韓国と北朝鮮があれだけやり合っていても、
やはりどこか対岸の火事なのであって、
まさか自分たちが武力衝突に巻き込まれることはないだろうと
そう考えているのではないだろうか。

少なくても私の周囲において、戦争を現実のものとして考えている人は皆無である。
戦争を経験したことのない者にとって、
戦争とはどこまでいっても非現実的なものなのかもしれないのだから、
そもそも日常の生活に忙しい現代人に対して、
戦争という夢物語のようなものについて考えを巡らせろという方が無理なのかもしれない。

そんなことを考えていると、
私は第1次世界大戦について想いを馳せずにはいられない。

私は文献でしか第1次世界大戦について知る由もないが、
多くの語り部たちの言葉から、私は第1次世界大戦についてこう考えることにしている。

誰にとっても戦争が非現実的なものだったからこそ、戦争は起きたのだと。

当時、誰もが戦争が起きるだなんて、あれほど拡散するだなんて思っていなかった。
だけど、世界大戦と呼ばれるほど大きな戦争になった。

経緯は↓このページがわかりやすく書いてあるので参照してほしい。

戦争はなぜ起こるか4 時刻表と第一次世界大戦(リアリズムと防衛を学ぶ)
http://d.hatena.ne.jp/zyesuta/20090910/1252570201


[前略]

一次大戦の当事者の一人であるロイド・ジョージは「我々はみな、混乱のうちに戦争に突入した」と述べています。

[中略]

直接のきっかけは暗殺事件です。セルビアを訪問したオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子が殺されました。サラエボ事件です。

[中略]

困ったのはロシアです。ロシアは色々な都合があって、セルビアがオーストリアに呑み込まれるのが不満でした。だからセルビア支持の立場でした。

そこでセルビア支持を打ち出し、オーストリアを脅しつけるため、「総動員」をかけることにしました。

[中略]

オーストリアとセルビアの戦争に対してセルビア支持を打ち出すため、ロシアは動員をかけました。訓練を受けた市民たちに対し召集をかけたのです。ですがロシアは戦争をするつもりはありませんでした。

[中略]

ところがロシアの動員をきっかけとして、事態は思わぬ方向に向かいます。

[中略]

ドイツがロシアとフランスに宣戦を布告しました。そしてドイツ軍は中立国ベルギーに侵攻し、フランスになだれ込みました。それに対してイギリスがドイツに宣戦します。

[中略]

「ロシアが動員したので、ドイツはフランスに攻め込む」では、まったく非論理的に見えます。

[中略]

一度「動員する」と決めたら変更がきかない戦争計画。この束縛がドイツを全面戦争に駆り立てます。

[中略]

ロシアが動員を開始したことで、ドイツの戦争計画にスイッチが入ってしまいます。「まずフランスを討ち、取って返してロシアを…」という時間の余裕は、ロシアが動員を終えるまでの隙を突く予定でした。

[中略]

ロシアが動員を開始したからには、その完了までに、何としてもフランスを撃破せねばならない…さもないと全ての計画が台無しです。

[中略]

フランスに恨みがあったから戦争を仕掛けたわけではありません。ただそれが軍事的に必要だ――と、そう計画に書いてあったからです。

[中略]

本来、軍事は政治の道具です。しかしこの場合は逆に、政治が軍事の道具となりました。動員がはじまって以降、軍事の論理がすべてを超越し、国家を振り回してしまったのです。

(続きはリンク先をお読みください。面白いです。)



他にも、第1次世界大戦後、ナチスが政権をとることだって当時の人々は予測していなかった。

未来から今を見たら、なんでそんな当たり前のことがわからないのかと思うようなことが
今を生きる我々にはわからないのだ。
「そんな馬鹿な」なことは起きるのだ。

歴史を振り返って見た時、ついつい我々は過去を今と比べ方を失敗する。
過去を知っている今の人々と、今を知らない過去の人々をそのまま比べても有意なものは出てこない。
今を知っている未来の人々と、未来を知らない今の人々(我々)を比べて見てほしい。
今と未来との断絶に気づくであろう。

リンク先の言葉で締めてしまおう。


多くの錯誤で出来上がった戦争計画は、一度スイッチが押されれば絶対に止まらない、大戦への急行列車と化しました。発車したなら、後は時刻表にそって行けるところまで行くだけです。

列車に乗せられて戦争に向かう兵士たちは「クリスマスまでには戦争が終わり、家に帰れるさ」と思っていました。そしてそれだけは、時刻表通りにはいかなかったのです。

就活問題に関連して電車で聞いたある女子高生の会話

2010-12-20 19:08:00 | 社会
就活問題がいろんなところで議論を呼んでいるようです。

さまざまな立場から賛否両論溢れかえっておりますが、
それに関連して印象的であった話と、その感想を少し述べたいと思います。

少し前、朝の通勤電車内で聞いた女子高生2人の会話が印象的でした。
受験談義に花を咲かせていたのですが、
彼女らは当事者として、しっかりとした問題意識を持っていたのです。

まず、彼女らは「何学部の何学科に入るのか」について議論をしていました。
それぞれの学部の特徴について語らいながらも、その評価軸は「就職」だったのです。
彼女らの興味は、就職先だけでなく、就職後の仕事内容にまで及んでいました。

次は、そんな会話から印象的だったやりとりを拾い上げました。


「結局さ、今の受験ってどこの企業にどの大学から入るってだけの違いじゃね?」

「そうそう、おかしいよね。どこに就職するかで大学を選んでいるだけじゃね?」

「本当は、やりたいこととか夢とか、そういうもので選ぶべきじゃね?」

「何のために大学入るのかおかしくね?」

「でも、現実的に生活していくために就職中心に考えるしかなくね?」

「新卒の就職ひどいしね。」

「もっとさ、日本にもベンチャーとかいっぱいできるようになると変わるんじゃね?」

「っかいってさ、結局レールにのって受験するしかないんだよね~(やってらんないね~)」


カッターのように鋭い言葉たちが、大人たちの作り出した電車内の静寂を切り裂きました。

話の内容からして彼女らは高校2年生らしいのですが、
実にリアリスティックな目で社会を見ています。
大人たちの作り上げた社会に失望しながらも、
その一方でとても冷徹な目で自分たちの無能感を認識しています。

ある人から見れば現実のよく見えた「お利口な高校生」なのかもしれません。
しかし、私は彼女らが社会人になり、親になり、
そして後進を指導する立場になる時のことを考えると背筋の凍る想いがします。

若者から希望を奪い去ることは社会にとっての損失に違いありません。
社会の潜在力を活かせないばかりか、
社会からダイナミズムを奪い、自滅への道を歩ませる要因となるからです。
彼女らが大人になり、新しい世代を再生産する時、
今私が見た現実、これが悪循環に陥る可能性は否定できないのではないか。
いや、既に大人たちの世界にも蔓延している社会病だと考えるべきなのです。

停滞や下流、下り坂の人生論はあるでしょう。
しかし、それらの人生論は、人に誇りを与えるべくして生まれるものです。
決してルサンチマンを癒すためのものではありません。

就職の問題から見えてくるこういった問題についても考えなければならないでしょう。
今、発想の転換が求められているのです。
最大の問題は、産業社会に適した哲学がないことなのかもしれません。

率直に言って、私にはどうすればよいかわかりません。
ただ、なぜか次のドラッカーの言葉たちが私の頭の中で繰り返し響くのです。


ビジネスとは、社会のニーズを事業上の機会に変換することであり、
またマネジメントとは、人の強みを生産的なものとすることである。

やる気に関する驚きの科学

2010-12-14 00:48:38 | ブログ情報(News Release)
「ハイコンセプト」や「モチベーション3.0」の著者として知られるダニエル・ピンクの話が面白い。
有名政治家のスピーチライターをやっていたこともあり、非常に聞き手に優しい。
アメリカ人にはこういうのが得意な話し手が多い。
思うに日本人に巧い話し手がいないのは、相手とする聞き手に最適化するからなのだろう。

日本には構えている聞き手が多く、話の外堀を埋めるのに多くの時間がとられて、非常に回りくどい話になりがちだ。
単純明快な話は怪しまれ疎まれる。
むしろ論理的整合性や厳密性よりも、聞き手がよく理解できないレベルくらいに”よく練られている”ということが重要なのである。
極論すれば、結論よりもじっくり検討したということが重要なのだから驚くべき性格といえるだろう。
こういうのは文化論的側面から考えるとじんわり傾向が染み出てくると思う。

やる気に関する驚きの科学 (TED Talks)
http://www.aoky.net/articles/daniel_pink/dan_pink_on_motivation.htm

FNS歌謡祭

2010-12-04 21:27:43 | TV・書籍
久しぶりにじっくりテレビ番組を見た。
本当に素晴らしいと思う。

フジの「FNS歌謡祭」。

最高の酒の肴だ。

限界価値効用説によれば、
「希少性」「有用性」「象徴性」で価値は決まるという。

技術は時空間を縮めて「希少性」を貶める。
これまで価値のあったものを無価値にしてしまうのだ。
活版印刷しかり、TVしかり、インターネット、携帯電話しかりだ。

この番組の素晴らしいところは、
本当に素晴らしい歌は何か、
本当に素晴らしいコラボレーションとは何か、
それを追求しているところだ。

今、最も素晴らしいと思う「方法」で魅せる。

こんな贅沢があるだろうか。
紅白歌合戦がとてもつまらないものに見えてくる。

考えてもみて欲しい。
人気のある歌手が自分のものではない歌を
でも、素晴らしいと想う歌を

歌うのだ。

日常のビジネス、プロモーションから離れて
いいと思うものを表現する。

歌うのだ。

ここでしか見れない歌を歌う。

FNS歌謡祭は時空間を超えた。

そこには、そこにしかない価値がある。

潜在的 大観光都市 金沢でも主張したが、「文化」こそ重要なのだ。
グローバリゼーションはローカリゼーションを先鋭化させる。
なぜなら、文化はそこにいる人に会わないと伝わらないものだからだ。
技術だけでは伝えられない、人によってしか伝えることのできない価値がある。

FNS歌謡祭には、FNS歌謡祭だけの文化がある。
フジテレビ恐るべし。

ごぶさたしております Part2

2010-12-03 21:14:42 | ブログ情報(News Release)
久々の更新です。

全く更新していないのに毎日結構アクセスがあります。
期待を裏切って申し訳ありません。。
どこを目指すのかという問題を置き去りにしたままですが、
がんばります!

ブログから遠ざかっていた間に世の中では本当にいろいろなことがあったようです。

ふと思ったのは、北朝鮮の金ジョンウン氏ですが、
本当は心優しい人なんだろうなぁ~と感じています。
立場上、厳しい顔をしなければと思っているのがヒシヒシと伝わってきます。
「○○の天才」などと言われているのが可哀相です。
自分の置かれた境遇を恨みながら、それでも金一家の後継者として生きるのだろうなと。
北朝鮮に一番足りないのは「信用」なのだと思います。
皆が疑心暗鬼にかかっているから低位で均衡するしかない。
誰もがこのままではダメだと思いながら動けない状況。

何も考えない人は、北朝鮮や金一家を非情な人間達と見るかもしれないけれど、
おそらく、キムジョンウンは血を見ずに武力放棄できるならやりたいと思っているのではないか。
いや、金正日こそ本音はそうではないのか。
だが自分も自分の一族もタダではすまないからできない。
本当は亡命できるならやりたいと思っているのだ。
長男の金ジョンナム氏を見ていると、そんな想像をしてしまう。
何にもなりませんが、同情します。


一方、日本に目を向けると変な風潮が出てきたなと思います。

世の中には「特別な人間」がいるというのです。
変わった事が起きるのは、変わった人間がいるからだ。
そんなことを考える人達がけっこういるみたいですね。
人間なんてここ数千年間全く進化していないのにも関わらず。

そんなことを時間があったら述べていきたいと思っています。