goo blog サービス終了のお知らせ 

進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

[つぶやき] 武井咲が輝いて見える

2011-03-01 21:02:45 | TV・書籍
素人ウォッチャーによる雑感なのでさらりと読んで頂きたい。

今週も録画してあった「大切なことはすべて君が教えてくれた」を見た。
ドラマとしての完成度は決して高くないと思うのだけど、ついつい見てしまう。

武井咲が輝いているからに違いない。
武井咲が主役を食ってる。
「ラストサムライ」で主役のトムクルーズを食う渡辺謙みたいな感じ。
存在感で誰よりも勝っている。
ただ、やり過ぎ感が少し出ており、スポンサーや広告代理店、芸能プロダクションの思惑を感じずにはいられない。
今後の問題は、大人らしい少女から、大人になった時にどういう女優になれるかだ。
見てる側の意識が変わるからこの壁は大きい。

逆に、戸田恵梨香の役どころが難しすぎる。
脚本のせいか、演出のせいなのか、とにかく設定(役)がピンボケしてる。
それでも、その違和感を演技力で隠してしまえるのが戸田恵梨香の女優魂か。
しかし、これではまるで武井咲の踏み台に見えてしまう。
かわいそうな配役に思える。
もう少し1人ひとりの人物像を濃く描けば、こういう状況を回避できるのだが、製作者側の総工数が足りないことが原因か。

全体を通して思うのは、一つ一つのパーツ(シーン)は悪くないのだが、総合力を発揮できないパーツとパーツを組合せ方というか、時間がないのか予算がないのかわからないが、全体最適視点が欠けているような感じだ。
いや、むしろ様々な制約の中で、よくここまでうまくまとめてあると言うべきかもしれない。
しかし、うまくまとめるにもこの辺が限界だろう。

TV局はドラマ1つ1つの質を高めるために、もう少し戦略的にドラマに投資した方がよい。
ドラマはヒットすれば映画化やスピンオフ、パッケージメディアなどのコンテンツビジネスとして利益を生む。
現在の伸びきったドラマ戦線を維持してドラマ離れを引き起こすよりも、ドラマ枠を減らし、もっと厳選して作りこんだ方がよい。
俳優・女優は仕事は減って大変だろうけれど、中長期的な視点で考えれば、消費するだけのドラマよりも、経歴として残るドラマに出演するほうがよいことになるはずだ。

[就活]理系学生の悲劇

2011-03-01 10:32:07 | ブログ情報(News Release)
今日、いつも通り朝の通勤電車に乗っていると、途中でリクルートスーツを身に着けた就職活動中と思われる男子学生が隣にやってきた。
彼は面接用に準備したと思われるプリントを一生懸命復唱していたのだが、私は嫌らしいと思いながらついつい横目でその内容を読んでしまった。
自己紹介用の文章が尺に合わせて何パターンか書いてあり、Q&A用の文章まで準備している。

で、内容はというと、「W大理工学部○○学科の△△です。」ではじまり、なぜかメインテーマはテニスサークルの話とWebページ作成の話であった。
要約すると、とにかくテニス・サークルで主体的にいろんなことをがんばったと、そんでもってWebページを情報共有だけを目的とせずに様々な用途に活用したということだそうだ。

「理工学部なのに、テニス・サークルの話がメインっておかしいだろ。」と余計なお世話だがツッコミを入れてあげたくなったのだが、受ける企業の業種にも依るかもなと思い直してやめた。
(まぁ思い直さなくてもツッコミをいれないだろうが・・)

リクルーター活動をやった経験のある身として思うのは、大学や学生はなぜかサークル活動やバイトを取上げたがる。
だが、理系の研究者やエンジニアを採用したい企業側とすればサークル活動なんてどうでもよく、むしろ「理工学部なのにサークル活動が売りなの?」とマイナス評価になるのではないかとさえ思う。
理工学部に所属する学生なら、理工学部の学生としてもう少し目的意識を持って学生生活を送れたのではないか?
それともバイトやサークルといった課外活動の方が理工学部に在学するよりも得ることが大きいということであれば、それは自ら理工学部に所属した意味がないと言っているようなものだ。
意味がないと自覚していながら、その学部に所属し続け、そして今その学部の学生ですということで自己紹介しているというこの論理矛盾をどう説明するのだね君はと。

ただ、その学生を責めても仕方がない。
ここに日本の学生の悲しさがある。
というのは、理系学部であっても、学部在学中に特定の専門性に情熱を傾ける機会があまりないということを示しているからだ。
卒論などザル過ぎて誰も信用していないから、修士になって査読論文や学会発表などをこなしてようやくある程度の素養があることが認められる。
だから大手の理系学生の就職は今では修士卒が普通で、学部卒は稀である。

修士にならなければいけないということではなく、修士になってみないとその学生のよりエッセンシャルな部分が見えにくいと言っているのだ。
学部生が院生に劣るということではなく、判断がしにくいという話だ。
学生に機会がないことが問題なのだ。

学生側からすれば、学部の専門課程が全く専門課程になっていないので、学部を卒業しても何の専門性を持っているかということを主張できない。
これは非常に不幸なことである。
学部3年で就職活動だと3年までの過程で専門性を主張しなければならないから、これはもう悲劇である。

大学によっては専門性に触れることのできる機会を学生に広く提供しているところもあるが、一般的には学生は自ら専門性に触れる場を探しに行かなければならない。
だからそういうバイタリティと専門性を持った一部の学生が引く手数多になる。

なぜ大学が専門性を重視した教育を行っていないかについては、企業側が専門性を持った人材を求めていないからだとする意見が支配的だが、これも全てではないと思う。
そもそも博士課程の学生ならいざ知らず、修士の学生にまで強烈に専門性を求める企業があるのかといえば、そんなにないのではないか。
企業が見たいのは、専門性そのものというよりは、専門性から見えるその人の能力や人間性であると思う。
時代は移り変わっていくのに1つの専門性ばかりに着目して採用するようになるとは思えない。

もちろん雇用が流動化すれば、労働者をモジュール化して考える発想も出てくると思うが、そういう短期的な目的ばかりを追求する企業ばかりとは限らない。
やはり中長期的な課題に取り組む場合は、企業は専門性とは異なる能力を求めていくのではないか。
などと思ったりする。

[反省] 釣り過ぎました

2011-03-01 09:43:07 | ブログ情報(News Release)
昨日のエントリに対するアクセス数がえらいことに・・
ちょっと釣り過ぎたと反省しました。

この手の内容でアクセス数が増えるのは本意でないので、以後は気をつけます。。

それで、ふと思ったのですが「育てるアイドル」という観点からすると、芸能プロダクションのビジネスモデルとして、家族ぐるみで娘がスカウトされたところからアイドルになる過程なんかをコンテンツにしたら結構受けるんじゃないかと思いました。
アイドルのブログサイトって"見せたいもの"しか出てこないので、どうしても"生"感に欠けるわけですよ。
プライベートの露出度が高まると、そういう生感も少し出てくるかなという気がします。

つまるところ、もはやアイドルの商品定義すら変わってしまって来ているということがあると思います。
ブログやTwitterの影響でリアルタイム感を演出することができたのですが、まだまだ"生"感が欠けるわけですよ。

まぁキリがないのですがね。