蒼穹のぺうげおっと

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蒼穹のファフナー 最終話 感想

2004-12-27 17:40:00 | 蒼穹のファフナー
「蒼 そ ら 穹」

■はじめに
半年前に蒼穹のファフナー第1話、第2話(1時間SP)を見てから、昨日の最終回(1時間SP)に至るまで、まさかここまで成長する物語になるとは思いもしませんでした。
前半第12話までの長いタメから、第13話以降に一気に開花していく展開に毎週驚愕し、涙し、感動してきました。
今思えば意味が分からない前半のタメの時点から実は一貫してテーマは変わっておらず、最後までそのテーマを掘り下げ、昇華してきたわけで、その蒼穹のファフナー制作スタッフに惜しみない拍手を。

第1話を見たときの最初の印象は、多くの人が思ったようにエヴァなのか?と思いました。

しかしながら、回が進むごとにその印象は薄れていき、第13話以降に訪れたテーマの顕在化により私の中のその印象は完全に払拭されることとなりました。
エヴァが寂しくて寂しくて他者に理解を求める反面、他者を受け入れることを否定するストーリーだった(と個人的に解釈しています)のに対し、蒼穹のファフナーでは徹底して会話、理解、受け入れることをメインテーマとして語っており、実は温かい人間讃歌の物語だったとのではないかと思うのです。
#もし制作サイドにエヴァを意識したところがあるならば、エヴァを補完する意味合いはあったのかもしれませんね。これは私の勝手な想像ですが。

そうして完結した蒼穹のファフナーは、近年観た作品の中でも紛れも無い傑作だったと、素直にそう言えると思うのです。

■既に答えは出揃っていた・・・、対話の先にあるもの
最終回に至るまでに本作における大きなテーマは実は既に大半が昇華されていて、今回は最後のテーマを語るために1時間を費やした、観終わった直後に感じたことがそれでした。
このブログでは蒼穹のファフナーについては一貫してテーマを「対話」「理解」「受け入れ」にあり、それが「受け継がれていく」ことにあるんではないか、最終回は最大のテーマである「対話」の先に何を描いてくるのかを観ていくことがポイントになると思ってきたので、最終回はそれらが全て語られる結果となり、個人的にはこれ以上ないほど満足しています。
#この辺のポイントについてうちのブログのコメント欄で盛り上がったあたりがまた一つコンテンツとして価値がある。

順を追って自分がテーマだと思っていたことを見ていくと、

■「対話」
本作での最も大きなテーマだったと思うのですが、実はこれは既に中盤で昇華されていたと思っているんです。
第15話における一騎の独白、そして総士と改めて交わす「対話」、ここにこそお互いを理解しようとする大きなテーマが投影されていて、溶岩の中から復活するマークザイン=一騎の姿を描いた時点で私個人としてはこの物語はここで終わっても大満足できるほど、それほど明確に「対話」「言葉」の重要性、「ひとをひとたらしめるもの」について言及されていました。
既にここで総士との「対話」のテーマの大半は昇華されていたので、最終回ではこの先にあるものに自然とポイントが絞られたわけですね。
それにしてもこの第15話は今思い出しても傑作だった・・・。

■「理解」
第15話が一騎と総士の関係性における一つの回答であるとするならば、各キャラに対して選択を迫り、自分たちの立ち位置を「理解」して前に進むことを決めた、全体に対して方向性を決定付けたのが第18話
一騎と総士の「会話」が相互理解に位置するならば、第18話では自分たちの内面に向けた「理解」であり、全体として「生きる」ことに、この作品のテーマで言えば「そこにいる」ことに目覚めたこの回はこれもまた一つのテーマだったのだと思います。
ここで竜宮島の意味について大人を含め、パイロットたちのベクトルが一つになったからこそ、ほんとうに守るべき場所になっていて、そこが「帰る場所」になっているわけです(これに対し人類軍は最終回において帰るべき場所がなく、撤退はありえなかったという対比が熱い)。

竜宮島が現在の位置から動くことは無い
君たちが帰るべき場所に我々がいる

真壁 一騎 遠見 真矢 近藤 剣司 カノン・メンフィス
君たちに未来を託す


蒼穹作戦の号令直前、真壁指令のこの言葉はやはりこの第18話があるからこそ生きてくるのであり、真矢が全員の腕に書いた竜宮島の座標にも意味が出てくるんですね。

■「受け入れ」
燃え尽きるかと思いました。
最終回で乙姫(つばき)の口から「受け入れることも一つの力」という台詞が出た時は正直奮えました。
なぜなら第24話の感想追記「土と理解と親子の絆」の記事に、真壁紅音(ミョルニル)と真壁史彦との会話は、土は呼び水で最終回では直接表現として語られるのではなく、土を通じて「対話」し続けること、「理解」し続けること、「受け入れ」続けることが重要で最後はそこに帰結するのではないか、とコメントを含めて書いたのですが、その内容が乙姫(つばき)からストレートに語られた瞬間、今まで蒼穹のファフナー観てきてほんとうに良かったと思った瞬間でした(もう泣いてました)。
紅音という存在はこの時点で役目を終え、史彦に「ありがとう」と伝えた時点で、そして一騎が二人の想いを受け継いだ時点でやはりこの二人のストーリーは完結していたんだ!なんて奮えながら思ったものです。

対話して理解して受け入れる、人として当たり前のことなんだけど意外と難しい。
特異な生育環境、悲惨な描写や、フェストゥムという究極の無を描くことは、実はこのテーマを明確に浮き彫りにさせるために描かれてきたわけですね。
そしてこれらのテーマは最終回を前にして答えは出揃っていたわけです。
ならばそれらのテーマの先にあるものは何か、最終回はこれを語るためだけに1時間費やしたようなものでした。

■そして最終テーマへ
最終回で言及したテーマはこれまで語ってきたことからすると語るレベルが急に一段あがってしまった感があったのですが、制作サイドとしては「ここにいる」ということを語るにおいて、そこまで言及する必要があると判断したのではないかと思います。
冒頭でこの物語を温かい人間讃歌だと評しましたが、人として存在するとはどういうことか?
これを語るには「対話」「理解」「受け入れ」という極めて人間らしい営みからもう一段突っ込む必要があると感じたんでしょうね。

人は必ず死ぬ、だから「そこに居続けることはできない」、しかしながら人は死んでそして生まれてくる、生存の循環を繰り返し、「受け継がれていく」これが人の価値というものだ、ということだったのではないかなと理解しているんが。
対話して理解して受け入れていくこと、それはつまり「変化」していくことなんですが、生と死の循環が究極の「変化」であり、そこで受け継がれていく想いがその中で「変化しないもの」、それがある限り人は「ここにいることができる」、真矢が標した座標のように帰ることができる、帰る場所を作ることができる、そういうことだったのかなと。
「そこにいる」=生存を描くには、対極にある「そこからいなくなる」=死を描く必要があり、それらは絶対的二元論のように対を成すものではなく、相対的二元論である大極図のように「交流」しているしているから意味があると。

存在と無の循環(皆城総士)
生と死、存在と無が一つのものとして続いていく(皆城乙姫)


自らその存在を無に帰し、生と死の循環に飛び込んだ皆城兄妹が最後にこのテーマを体現したのか・・・。
このテーマは竜宮島のミールが死を理解した時から貼られていた伏線だと思いますが、多少突然な印象が残ります。
これは想像の域を出ませんが、製作者サイドで非常に悲しいことがあったのかもしれません・・・。
昨夜の3時からずっとこのテーマを最後に持ってきた意味を考えていたのですが、生を描くなら死も描く必要があり、それは絶望ではなく循環するからこそ救いがある、それを製作者サイドとしても描きたかったのかななんて。
#今朝自分がそういう体験をしそうになりその想いに至ったのですが、それはここでは語ることはないですけど、命って何だろうと考えた時、そこまで描きたかったのかもしれません。
だからこそ、乙姫(つばき)が新しい命として誕生してくるシーンが泣ける・・・。
これが彼女への救いだったんだ、それが描かれて個人的にも救われた気がしました。

■各キャラへの結末
上述したテーマとは別に、それぞれのキャラについてもそれぞれのテーマを持たせきっちりと昇華させていましたね。
正直ここまで彼らに感情移入するとは思いませんでした。
パイロット4(5)名と皆城兄妹のそれぞれに用意されたエンディングを見ていきたいと思います。

■剣司
パイロットの中でも最も精神的に弱かった剣司。
それがマーク・ニヒトとの決戦で最後に自分の弱さ(諦め)と向き合い、突破口を開いたのが剣司でした。
「俺、強くなれるかな」
咲良と護に向けて呟いた一言、きっちり果たしてくれました。
正直言うと、彼が一番心配だったんです。生き残ってくれて良かった・・・。

■カノン
前はどこにもいなかった
だが今はここにいる


泣きました・・・。この言葉が聞きたかった・・・。
この台詞は第20話でフェストゥムと同化した甲洋が既にいない翔子を求めて彷徨う時に、
昔はいた
だが今はいない

との対比表現になっているんですね。
以前のカノンにとっては自分なんてどこにいても、どこにもいなくても同じ、むしろいなくなりたいと思っていた。
そのカノンが甲洋の時には、「存在」について考えて答え、そして最終回では「ここにいる」ことを主張する、この「変化」の過程を思い出して泣いてました。
カノンもひとつのテーマの帰結なんですね。

■甲洋
こっちが作中のジョーカーだった!
どこにも居ない存在になりかけた境界線上の甲洋が、最後に総士と一騎を存在する側へひっくり返す、これは熱かった。
第20話であちらの側へ行きかけたところを友の呼びかけによって戻ってこれた甲洋が、今またあちら側へ落ちようとする友を引き揚げる、甲洋登場自体で既に泣きそうだったけれど、この描写、泣けた。

■真矢
やはり最後に迎えに行く役目は彼女でしたね。
もっとドラスティックに関わっても良かったのかなという気がしないでもないですが、いつも写真を撮る側の存在から、最後は「私も戦う」という決意のもと、写る方へ飛び込んでいった真矢自身もやはり変化したんですね。
あの座標は彼女自身だったと思います。

■一騎
ここにもひとつの『Separation』が・・・。
一騎自身は第15話でひとつのテーマを消化しているんで、残った一騎のテーマは別離だったんですね。

憂鬱な目覚め 隠せない絶望
それでも世界は美しくて

It makes me sad
I want to see you remember again


最終回で『Separation』がかかることはありませんでしたが、今ようやくあの歌詞が少し分かるような気がしました。
総士を失った絶望を残しつつも、真矢へ向けた笑顔、それこそ絶望の中でも世界は美しく、また総士と出会うまでそこに居つづける決意の笑顔だったんでしょうか。
最後に蒼い空に煌いて飛翔するマーク・ザインは、それこそほんとうに「蒼穹のファフナー」を象徴する美しいシーンでした。

■総士
今なら分かる
例え苦しみに満ちた生でも、僕は存在を選ぶだろう
もう一度お前と出会うために
お前が信じてくれる限り
いつか必ず帰る お前のいる場所に


これがかつて自分の存在を否定し、フェストゥムと同化しようとした男の言葉・・・。
フェストゥムとの同化ではなく、存在と無の循環に身を投じる、一見同じように見えるけれど、これは存在するために無に帰ることを選んだ結果・・・。
第15話で一騎が出した答えに対する、これが「対話」の先に見えた総士の答え。
ここまで突っ込んでこの作品描いてくれたら、もうこっちも天晴れって感じで観るしかないじゃないか。
総士、納得のラストでした。

■乙姫(つばき)
総士と乙姫(つばき)、この皆城兄妹、最高でした。
特に乙姫(つばき)の描かれ方は総士とともに最後のテーマ昇華を体現したほんとうに切ないものでした。

ここにいたい、ここにいたいよ・・・、お母さん

号泣しました。
ただでさえ、悟りポジションにいた乙姫(つばき)の魂の叫びと涙に心揺さぶられているというのに、このシーンの裏では総士がフェストゥムと対峙し、「存在することの苦しみ」「いなくなることへの恐怖」を語る、それが今乙姫(つばき)が直面している状況を代弁していて、余計に切ない。過酷過ぎる。
そんな彼女が千鶴に抱きしめられ、この島の母となる決意をするシーンはもう涙が止まりませんでした。

生と死、存在と無が一つのものとして続いていくことを示すためにこの世に生まれた

彼女の同化は「いなくなった」わけではなく、新しい命として生まれ変わりそして近い将来再び会話を交わしていく未来を彼女にとっての救いとして描いてくれた、そのことで胸が一杯です・・・(涙)。

■最後に
蒼穹のファフナーはやはり温かい人間讃歌の物語だったのではないかな。
フェストゥムを通じて描いたのは人間の絶望面で、それは無という生と対極にある概念でした。
また全25話(実質26話分)を通じて描かれた中には過酷な表現も多々ありました。
しかし、そういう描写があればあるほど「生きるってことは大変だけれども、それでも生きているからこそ人は素晴らしい」という温かい表現が鮮明に浮かび上がってきたように思います。
そしてそれは形を変えて循環=受け継がれていく、新しい命として人は続いていく、という形に帰結したのかもしれません。

私はこの作品の脚本を担当した冲方丁(うぶかたとう)先生の大ファンであると公言して憚りませんが、これはやはり冲方丁(うぶかたとう)という稀有な脚本家の「精神の血の一滴」(マルドゥック・スクランブルあとがきより)を投じた作品であり、もうこれで私はこの天才の書く文章からずっと離れられないと感じています。
近々このブログでも冲方丁先生の作品を紹介いたしますが、とりあえず今はこの「蒼穹のファフナー」という傑作に浸りたいと思います。
再びこんな傑作にめぐり合えることを祈って。
#放送直後DVDで全巻購入を決意しました。
#SEED以来だ・・・。

■蒼穹のファフナー 公式HP■


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