5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

秋来ぬと目には

2011-09-01 22:59:25 | 自然
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」

「古今集」にある藤原敏行の有名な秋歌巻頭の歌だ。目に見えるものより先に、風の「気配」によって秋の到来を知るという発見が、この秀歌のかなめであるとは、「折々のうた」の大岡信。

時の移り行きを、目ではなく耳で聴き取るこの「内面的」な日本人の意識の働きは後世の美学にも影響したと書かれている。

今日は9月の1日。歌の趣ではないが、南の海を北上してくる台風の外延がそろそろかかり始めたのか、風が立った。今日も気温は30度以上、だから汗をかきそうに生暖かいだけで、とても涼しい秋の風とはいえない。

大岡は、藤原敏行の歌のすぐ後に、パロディとして大伴大江丸という江戸時代の俳人の句を並べて見せる。

「秋来ぬと目にさや豆のふとりかな」

さや豆とはエンドウのことだろうか。「感じるのは風だけではないよ。畑にはさや豆がふくらんで、ここにも秋が来ているよ」と巧みな俳諧に転じている。

江戸後期の庶民にもエンドウはなじみの野菜だったのだろう。日本には10世紀に穀物として伝えられたという。サヤエンドウとしては江戸時代に欧州から伝来したのだとか。

絹サヤというくらいだから、実が感じられないほど薄いものが上質だが、そうすると、句の太った「さや豆」とはグリーンピースのことになるのだろうか。

エンドウの「豌」の字。そのつくりの「宛」は曲がった輪のこと。眉の細く曲がった中国美女の容姿という意味でもあるのだとか。柔らかくて美しいエンドウの若さをあらわすのに、豆に宛を組み合わせ”豌豆”にした中国人の造語力も面白い。

サヤエンドウもグリーンピースも、秋風が吹けば、夏とは違った味で楽しめる。







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