藤沢周平の代表作の一つに「蝉しぐれ」がある。 彼が死んでもう二十年になるが、その後を継いで現在活躍中なのが葉室麟。彼の「蜩の記」は藤沢の作品を意識したものなのかもしれない。
朝から我が裏窓にもその鳴き声が大きく聞こえる。 蜩はひぐらし。盛夏を過ぎた今頃は、ものの哀れを感じさせる響きがする。
そのヒグラシについて「ことばの歳時記」の金田一春彦先生はこんな小咄をしてくれている。
日頃下手な俳句を捻ってとくとくとしているサラリーマン。一句湧いたか紙に何やら書こうとして隣の同僚に尋ねた。
「おい、ヒグラシってどういう字だ?」
「ムシヘンに中国王朝の周の字だよ」
「シュウってどういう字さ?」
「調べるのゴンベンのないやつ」
「シラベルって?」
「面倒見られんぞ。鯛のツクリの方だ」
その時どこかで蜩が「かなかな」と鳴いた。
「そうだ。かなで書こう」
世の中には万というヒグラシの句がありそうだ。多くが漢字をあてているが、小咄のように仮名を使っている佳句もある。「かなかな」という擬音を使ったものも見つかった。今は夜九時過ぎ。金子兜太のこんな句のイメージである。
「ひぐらし止みぬ窓には夜という夜が」
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