5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

小坊主の読経

2021-06-06 21:49:44 | ことば

6月6日のコロナは、全国で2022人(延763223人)の感染と48人(累13596人)の死亡が確認された。愛知県では169人(延48822人)の感染と4人(累843人)の死亡の発表があった。全国的な感染者数の減少傾向が見らえるようだが安心はできない。

左足の親指に内出血があってちょっと痛い。バンドエイドを巻き、薄いビジネス用の靴下を履いてスニーカーに足を入れた。駅の階段はなるべく爪先に力をかけぬようにゆっくり上り下りしながら、それでも日課の万歩をこなした。

途中のコンビニの窓には習字紙に書いたように「芒種」と貼り紙がしてある。ニ十四節気の夏の項だが、なんでコンビニがこんな風流な案内を出したのかは知れない。

後でカレンダーを見ると昨日、6月5日がこの「芒種」だった。

「小満」に続く節気で、次の「夏至」までの17日間をいう。ウイキには「芒(籾殻にある棘のような突起)を持った植物(稲)の種を撒く頃だとあったが、現代の稲の種まきはすっと早い時期に終わって今は田植えの時期だから、季節のズレは大きくなっているようだ。昔は陸稲だったからなのだろうか。

七十二候は、初候が「 螳螂生」で螳螂が生まれ出る頃、次候は「腐草為蛍」で腐った草が蛍となる頃、末候は「梅子黄」で梅の実が黄ばんで熟す頃となっている。カマキリもホタルも身近ではとんとお目にかからなくなって久しいが、黄色の梅の実ならスーパーの棚に袋入りで盛られ、買い手の現れるのを待っている。

芒種を季語にした俳句はないかとウェブを探るうち、こんな一句を見つけた。

「小坊主の読経立ちたる芒種かな」

得度した小僧の習わぬ経読みだが、かん高いその幼い声が先輩僧たちの読経の温気の中をよく通って聴こえるという意味だ。

これは、世阿弥が残した能の教え「風姿花伝」に習い事を始めるによい日として書かれている由縁で(指折り数えるとき、六で小指が立つことを「子が立つ」として)習い事の初稽古は子供が六歳になった六月六日から始めるのがよいのだとされることをヒントとして詠まれた句らしいが、なかなか初々しくてヨロシイではないかと思った。

 


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