里山日記

NPO法人「里山を守る会」における活動の内容。
その日にあった様々な出会いと、感じたことをつづりたい。

あれから1年。

2012-03-12 05:33:06 | Weblog

あれから1年。 3月10日、義母の一年祭(一周忌)に行く。義母は3月12日の未明に亡くなったが、前日の大震災の余震が続く病室の中で、

どこにも連絡が取れず、遺体を移したものの、電気も水道も止まった状況の中で、果たして葬儀の準備が出来るのかまったく見当がつかなかった。

明るくなるのを待って、母を実家に移した。 とりあえずの食料を奇跡的に開いていた一軒のコンビニで調達し、なんとかしのぐことが出来た。

車で親戚の家を廻り、母がなくなったことを伝え歩いた。一夜明けた日、葬儀場から何とか営業が可能との連絡が入り、ほっとしたことを思い出す。

昨年の3月11日。私は近くの梨畑にいた。突然の揺れに驚いたが、そのうち収まると思っていた。揺れは想像を超えるほどになり、道行く車は全部止まり、上下左右に大きくバウンドしていた。

事の重大さに気づき、梨の木につかまりながら家に急いだ。妻は病院に、母だけが家にいた。無事だった。今思い出しても震えがくるようだ。

今年の3月11日。やはり梨畑でその時間を迎えた。ラジオで天皇陛下の追悼の言葉が流れている。2時46分、サイレンが鳴った。

私は北に向かい、手を合わせた。心から冥福を祈った。

 

 


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2 コメント

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あのときは… (コカリナ)
2012-03-12 07:32:51
お義母さまが亡くなられたときは
大変でしたね…

つらい追悼の一日が過ぎ、
無事12日の朝を迎えて、
何か、ほっとしました。
朝、井戸水が出て電気がついて
そんな何気ないことがとてもありがたいです。

ゆうべの激しい春雷は、
被災された方々が帰ってきて、
一緒ににぎやかに夕食を楽しもう、
ということだったのかな?
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Unknown (ゆきじい)
2012-03-13 17:39:13
お気遣い有難うございます。
東日本大震災と義母の死がどうしても重なり、強烈な印象として残っています。
13日の春雷は負の思い出を、勢いよく洗い流してくれる雨にも感じました。
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