里山日記

NPO法人「里山を守る会」における活動の内容。
その日にあった様々な出会いと、感じたことをつづりたい。

いばらき地域づくり人材育成講座

2015-09-29 05:02:20 | Weblog

去る9月27日(日)いばらき地域づくり人材育成講座(フィールドワーク)が五郎助山にて開催された。

茨城県では明日のいばらきを担う「地域づくりの真のリーダー」を養成するため地域づくりに関心を持つ方を対象に、地域における課題の発見能力や解決能力を高めることを目的とした講座を例年実施しているが、今回4つのコースでフィールドワークを行うこととなった。

今回、県内各地より16名の方が受講され、各コースに分かれ、通算4回のカリキュラムを受けるという。

その一つに当会の活動が選出され、受講生4名(男性2、女性2)とコーディネーター1名、担当者1名(企画部地域計画課)計6名が五郎助山に調査訪問に来られた。開催に先立ち、担当の澤田女史と何度も打ち合わせを行い、今回のフィールドワークに合わせ、臨時作業日を設け、活動の一端を見ていただいた。

来る10月11日の里山フェステバルに向けた会場整備作業が会員により粛々と進められている現場に、早い方は9:10に到着し、約束の10時前に6人全員が揃った。受講者にはすでに当会の詳しい資料が配布されており、受講者の質問に、理事長、副理事長、事務局長が答えるという形式で、カリキュラムが始まった。(その間、会員は黙々と作業に集中している)

各受講者からまんべんなく質問が飛び交い、その都度、丁寧に正直にお答えした。受講者の皆さんはお住まいの地域ですでに町おこしやそれにつながる活動を実践しておられる方々で、それぞれの活動での悩みも併せて話してくれた。

質疑応答が一段落し、作業の現場である五郎助山のフィールドを瀬端副理事長、佐藤事務局長が参加者全員を隅々までご案内した。

丁度、12:00となり、会員と一緒に昼食を取り、里山特製のシイタケ入りカレーにご満足の様子だった。

休憩の後、会員全員が加わり、再び、受講者からの質問にお答えした。入会の動機、各専門部会の売上、活動の内容などに質問がおよび、会員の立場で率直にお答えした。

 受講生の皆さん 

 説明する会員

 丁度収穫した原木「舞茸」に興味津々!

 

一行はこの後、丸山にも足を運び、五郎助山とは違う風情を確認し、五郎助山に戻り、今日一日のまとめを各々記載し、午後3:00に現地解散をした。(古河市、日立市、から参加)

次回は10月17日(テーマ・フィールドワークのまとめと状況の共有)水戸で行われる予定。

 

 

 

 

 


社会貢献活動

2015-09-27 04:33:21 | Weblog

9月25日(金) 社会貢献活動である保護観察対象者のボランティア活動がいよいよ五郎助山にて始まった。 本日は1号保護観察対象者と言われる軽度の罪を犯してしまった未成年者2名がボランティア活動に参加した。

当初3名(男性2、女性1)が参加の予定であったが、体調不良のため一人(女性)欠席となった。地元保護司(4名)担当保護司(2名)、保護者(1名)、そして保護観察官(2名)の方も参加し、当会からは理事を含む6名で対応した。

今回は約10名の対象者に声をかけ、3名のみが希望したということである。(あくまでも任意)

午前10:00から午後12:30までの約2時間半。当初、遊歩道の整備のお手伝い、池の周りの清掃のお手伝いを考えていたが、あいにくの雨で屋内での作業となった。

田崎保護司の進行で本日の趣旨、そして参加者全員の自己紹介が始まった。対象となる二人の若者も、就労先の服装で参加し、悪びれることなく堂々と自己紹介をし、良い雰囲気でスタートが切れた。

予め、雨の時はと、用意した、来る10月11日に開催の里山フェステバルに行う、「竹とんぼの下ごしらえ」のお手伝いをお願いすることになった。中山さんに用意していただいた道具、材料を参加者全員に配布し、使い方、どの工程まで行うか説明していただき、早速取り掛かった。

二人は、現在、就労しており、今日はこの時間、休みを取って活動に参加したということである。 当初、ナイフを使い、竹を削ることに戸惑いを見せていたが、会員の指導で次第に竹とんぼづくりに夢中になっていった。

二人共、初めての体験にもかかわらず、ナイフの使い方をすぐに習得し、会員の指導に従い、とてもうまい製品を作った。

途中、休憩を挟み、田崎保護司が持参した梨を頂いた。保護司の方も監察官も仕事を忘れ(?)、竹とんぼづくりに熱中していた感があった。

傍で見ていても、二人とも、この作業にはまってしまったみたいである。 体験の後、二人にアンケートが用意されており、観察官より、その内容を見せていただいたが、本人たちも「いつの間にか、夢中になってしまった」と書いてあった。

あっという間の2時間半であったが、終了の挨拶を交わし、二人は担当保護司、保護者とともに岐路に着いた。

その後会員、保護司、観察官が残り、振り返りを行う。

当会も、保護司も観察官も初めての野外での奉仕活動ということで、全くの手さぐり状態であった。(どんな若者が来るんだろう?、どんな風に声をかければいいんだろう?どこまで話せばいいんだろう?)思うほどに不安は尽きなかった。

 今回、雨ということで屋内の限られた空間で参加者が同一の作業をすることとなったが、これが期せずして、それぞれの距離感をぐっと縮めたように思えた。

次回は11月下旬に第2回目が予定されている。気負わず、一回ごとに課題を見つけ、対象者が参加しやすい雰囲気、体制を作り出して行くことに腐心したい。

 

 


安保法案成立

2015-09-20 05:55:57 | Weblog

安保法案関連法が19日未明、参議院本会議で可決成立した。

従来の憲法解釈では認められなかった集団的自衛権の行使がこれで一応可能となる。集団的自衛権とはどんなことを言うのか、どんな場合に集団的自衛権となるのか国会でも議論されたが、政府の答弁も二転三転し、しばしば、審議が中断した。

つまり、提出した政府も政治家も、この集団的自衛権の具体的な内容、その場面、場面の対応をまだ決めきれていないのである。政府も自衛隊の幹部も未経験ゾーンに突入するのに十分に研究して法案を提出したとは思えないのである。

この法案が通ったことで、国の防衛が具体的にどう変わるのかはっきりとしたイメージを持てる国民が果たして何人いるのだろう。漠然と日本は他国との紛争に巻き込まれるのではないかという不安が人々の心に充満し、過去にない自発的な(動員されたものでない)反対デモにつながったという意見も多い。国民の嗅覚は時に鋭い。

歴代の自民党の内閣も、法制局も集団的自衛権は憲法違反という解釈を戦後70年堅持してきた。つまり集団的自衛権は憲法違反という常識が、歴代内閣にはあったということである。今回、安倍内閣の解釈によって憲法が国会のみで変更された事態に、憲法学者、知識人から集団的自衛権の賛否以上に大いなる危機感が漂っている。

今後、この法案が「憲法違反」との訴訟が裁判所に次々に出される予想であるが、最高裁の判決が出るまでに相当の期間がかかり、その間に自衛隊は他国に出動し、任務につくことになる。実際に戦死者が出ることになるかも知れない。

憲法は国民を守る法律ということであるが、その法律を改正するには総国会議員の三分の二以上の賛成と国民の過半数の賛成が必要である。

引退した自民党の政治家(防衛大臣経験者)が、昨日、テレビのインタビューに答えていたが、今回の法案が憲法改正の案件にもかかわらず、時の内閣の解釈で国会に提出し、数の力によって成立させたということは、解釈によって憲法が改正できるという「悪しき事例」を作り、今後、野党が政権をとった場合、解釈により、また元に戻るという可能性があり、混乱の扉を開けてしまったと憂いていた。

中国の秩序ない台頭で世界の安全保障のバランスが変わり、これからの我が国の安全保障を国民が真剣に考えることに私は賛成である。

憲法第九条は世界にまれな憲法であり、世界の安全保障から見ると非常識という認識もある。しかし、現憲法が作られた当時の日本の状況、そのために七〇年、どの国とも紛争、戦争をおこしてこなかったという現実をもう一度かみしめ、日本が採るべき安全保障を考える良い機会にすべきだと思う。

しかし、ルールを無視した手続きを黙認すると、取り返しのつかないことになり、戦争を経験した年配者はそこに言いようのない危機感を感じているように思う。

七〇年以前とは比べようのない情報網の発達、人種間の交流により、簡単に戦争は起こらないと私は確信している。今、世界で起きている紛争は、国内での政情不安とそこに介入する大国の思惑が、より紛争を複雑にしている気がする。

今回、各国は日本の集団的自衛権の行使について、さほど驚きは無く、むしろ、内閣の憲法解釈によって こと が進むという事態に、警戒心を持ったのではないだろうか?

 日本の安全保障はどうあるべきか?

国会議員だけに任せず、国民が自分の問題として真剣に議論できる材料と場を国は積極的に設け、討論、議論を積み上げ、意見の集約を図る義務があると思う。それだけ重い、案件である。各地区の与党、野党と言われる議員も参加し、それぞれの意見を述べ、国民に判断材料をあたえ、最終的に国民投票によって判断すべきだと思う。

まさに憲法改正の手順により進めることが必要である。

  

 


大雨による洪水被害

2015-09-13 05:45:48 | Weblog

台風18号から変わった温帯低気圧の影響で50年に一度の規模と言われる記録的な大雨となった。鬼怒川沿いの地域では各所で堤防が決壊、氾濫し、常総市では特に甚大な被害が発生した。いまだ行方不明者も15名に及んでいる。

 大海原のような鬼怒川 

私の住んでいる筑西市でも鬼怒川沿線の下川島地区、船玉地区で床上、床下浸水が相当数発生した。

 床上まで浸水した船玉地区

会員、3名の方も被災され、被災後の後片付けに追わ

れている。9月11日、役員でお見舞いに伺い、そのまま後片付けのお手伝いに参加してくれた役員、会員に深く感謝している。

筑西市の鬼怒川の堤防もわずか数メートルで越水する場所も現れ、私も堤防まで数時間ごとに状況を見に行ったが、10日の午後には氾濫を覚悟したほどだった。遊水地を含めた河川はまるで大海原の様相で、濁流が立木、軽飛行機までも飲み込み、目の前を通り過ぎた。

 河川敷に保管されていた軽飛行機も目の前を流れていった。

10日午後、常総市の堤防決壊を期にみるみる水位が下がり始め、危険が去って行くのを感じた。一方で常総市の惨状は時間が経過するほどに広がり、かつて経験したことがないほど、甚大な被害に見舞われた。

 堤防、越水まで数メートルに迫る

常総市の犠牲で、上流の町が助かったとも言えます。(複雑な思いですが、当地の堤防が切れたら常総市と同じような惨状になっていたかもしれません。一刻も早い復興と、不明者の発見をお祈りします。)

改めて自然の猛威、怖さを感じた三日間でした。