10月9日(日)フェステイバル本番。午前7時にSさんを迎えに行く。当然のように、作業服に身を包み、準備万端 私を待つSさん。
前日(8日)の最終準備が終了し、帰路に着く途中、「充実した一週間だったなー。」とSさんが独り言のようにつぶやいた。
私は黙ってハンドルを握っていたが、その言葉に様々な思いが駆け巡った。そして(無理を承知でSさんにお願いして良かった。)と思った。
当日は暑くもなく寒くもなく、絶好のフェステイバル日和となった。
4年ぶりの開催であり、コロナ禍から決別する思いもあり、何としても雨だけは降ってくれるなと、祈っていた。
初めて、自分のご先祖さんにまでお願いした。
この日、来賓者へのご挨拶、全体の進捗状況の確認、コンサート出演者との打ち合わせ、焼きそば、カレー、ピザの状況。出店頂いた関係者への挨拶など、くまなく会場を動き回っていた。
Sさんは舞台の裏側で電気関係の保守を一手に引き受けてくれていたが、労をねぎらう時間も取れなかった。
Sさんはちゃんと昼食をとってくれたのだろうか。私自身カレーを頂いたが、それが何時だったかも覚えていない。
お陰様で、過去最高の人出だったようだ。
午後4時すべての日程が終了した。
約1時間でテント、案内板、旗、テーブル、椅子、の撤収が魔法のように終了した。
いつものことながらそのスピードとチームワークのすごさに感嘆した。
明日、残りの作業(舞台解体)と、反省会(慰労会)を行うことを約し、Sさんを乗せ、一足先に帰路についた。
「明日の反省会に出てくださいね。」と言ったが、悩んでいる様だった。
「今日は仲間とゆっくり話す時間も取れなかったので是非出席してくださいよ。」とお願いしたら、「わかりました。」と答えてくれた。
この1週間 Sさんとの交流を通じ、人は必ず老い、そして体力も低下し、気力も低下するという、当たり前ではあるが、まもなく自分にも訪れるということを実感した。
一方、仕事は、年齢と体力に合わせながら続けるべきであり、人との交流を遮断してはならないと改めて思った。
当会の設立目的は、地元に残る里山の保全と、子供たちの遊びの場として整備を図り、青少年の健全育成に寄与する。と記されている。その考え方に共感した人々が会員となり、日々活動している。 長い方は20年を過ぎています。
Sさんもその一人でした。しかし、様々な理由からその交流が途絶えてしまったのです。
しかし、自分の仕事が人の役に立ち、気心知れた仲間との交流再開により、Sさんの心に何かのスイッチが入り、かつての姿を呼び起こすという現実を私は目の当たりにしました。
そして当会の活動が、子供たちの自然体験のサポート、来場する方々へのサポートにとどまらず、会員同志の交流の場であることを再認識しました。
当会に加入するまで、それぞれの人生を歩み、それぞれの友達がいましたが、当会に加入することにより、新たな生きがい、新たな友人を得る機会に繋がると確信します。
園児や小学生との交流イベント多い当会は、会員の老化防止に特に役立ちます。
設立20年余を過ぎた当会ですが退会する会員が極めて少ない原因はこの辺にあるのではないでしょうか。
今後も無理をせず、和やかな組織づくりに努め、老若男女、そして親子が集う場所として活動を継続したいと願っています。
Sさんには今回のフェステイバル参加を機会に、様々なイベントに参加していただくべく、お迎えに上がる予定です。
里山の大きなイベントが終了し、米、梨の収穫も終えて、しばし旅行に出かけたいなと思っています。
久しぶりにSさんの姿をお見かけし、
電気工事にはなくてはならない方が
これまでと同じようにいてくださった、
お元気そうで何よりだと
嬉しく思っておりました。
あの日に至るまでには
このようないきさつがあったのですね。
Sさんにお会いできたことに
改めて深い感謝の気持ちが
わいて参りました。
五郎助庵、トンボ池、
炭焼き小屋、樽の小屋、
手入れされた雑木林…
五郎助山に佇むと、
そこかしこに、
かかわってきたみなさんの想いを感じます。
大切に守っていきたい場所です。
グットとくる内容ですね!社会に必要とされている喜び・・・・・・!!!
五郎助山は素晴らしい!
このところ、忙しくて参加できずすみません・・・。