里山日記

NPO法人「里山を守る会」における活動の内容。
その日にあった様々な出会いと、感じたことをつづりたい。

二日目 大牧温泉

2016-10-27 01:56:49 | Weblog

二日目は白川郷観光から待望の大牧温泉泊である。

白骨温泉を9時に出発し、白川郷に入った。丁度「どぶろく祭り」が行われており、正装した地元の皆様が神社にお参りする行列に遭遇した。この日は観光客にも「どぶろく」が振舞われるとのことであったが、午後3時ごろからということで残念ながら「どぶろく」は口にすることはできなかった。広大なせせらぎ公園のバス駐車場から出会い橋を渡り、合掌造りの集落に入る。ここでも外国の観光客が至る所に溢れ、日本人の姿を見つけるのが難しいほどだった。台湾、中国からの観光客はもちろんであるが、欧州からと思われる観光客も多かった。

 広大な駐車場 と 民家園    

白川郷は2回目であったが、数年前とは比べ物にならないほどの「観光立国ニッポン」を感じた旅行となった。

  荘川  民家園の縁側で

出会い橋を渡り、合掌造りの集落に入ると 漆器を並べる露店があった。立ち寄ったが高価なものが多く、目の保養だけにさせてもらった。

 出会い橋を渡る  

 整備された街並み

匡の重要文化財である和田家に立ち寄り、2階、3階部分を見せて頂いた。1階ではご家族が普通に生活されている。

 2階部分  

白川郷を後にして、もう一つの菅沼合掌集落も見学した。十戸ほどの集落で、観光客へのお土産と食事の提供で生計を立てているとのことだった。

 菅沼集落 

こうした集落が富山県、岐阜県には40か所以上もあったというが集団離村、互助制度(ゆい)の崩壊により、減少の一途をたどり、現在では59戸だけになったそうだ。

保存運動 

合掌造り家屋は、江戸中期から昭和初期まで白川村から富山県の五箇山地区にかけて建てられました。古い建物で築300年と言われています。しかし、昭和20年代から始まった庄川流域の電源開発によるダム建設により集落が水没するなどして減少していきました。さらに、小集落の集団離村や火災による焼失もあり、合掌家屋の多くが転売され、あるいは消失しました。1924(大正13)年に約300棟あった合掌建物は、1961(昭和36)年には190棟に激減してしまいました。

こうしたなか、昭和40年代に荻町集落の地域住民が、このままでは遠からず白川村の合掌造りがなくなってしまうという危機感を抱き、集落内から保存する動きが出てきました。

1971(昭和46)年には、地域内の資源を「売らない」「貸さない」「壊さない」の3原則を掲げ、「白川郷荻町集落の自然環境を守る会」を全住民の総意で発足、保存活動を展開し始めました。

これらの保存活動が認められ、1976(昭和51)年に国の重要伝統的建造物保存地区に選定され、1995(平成7)年には世界遺産に登録されました。

1997(平成9)年には、(財)世界遺産白川郷合掌造り保存財団を設立し、集落内の景観保存活動を行っています。

(白川役場HPより)

さて、いよいよ大牧温泉に向けてバスは出発した。

庄川流域のダムに水没し、今では船でしか行くことが出来ない秘湯の宿である。遊覧船の発着所に3:00に着いた3:30分春の遊覧船に乗った。結構大きな船だった。ここでは一人の外国人も見なかった。

 いよいよ船で出発 

約30分、穏やかな水面を快適に進む。ついに大牧温泉の宿が見えてきた。あちこちから歓声が漏れた。

 出発後30分、ついに宿が見えた 

 船はUターンして桟橋に・・ 

 船着き場から10分。宿が見えた 

 宿のロビー(狭いのでごった返していた)

 建物内部は意外に整備され、きれいだった。

 通路に飾ってある片岡鶴太郎さんのふすま絵

 部屋は川に面したとても良い部屋だった。

 お風呂へ通じる地下 

 透明の弱アルカリ源泉かけ流し 

 夕食も二の膳、三の膳があり、イワナの串焼きも最高だった。

翌朝早く、宿の裏山にある露天風呂に入った。

 内風呂より大きな露天風呂 

白骨温泉、大牧温泉ともに「源泉かけ流しの湯」で、泉質は異なったが、久しぶりに心ゆくまで温泉に浸った旅行となった。

 大牧温泉玄関で

久しぶりに女房孝行が出来たかも・・・・

この後、飛騨高山市に足を延ばしたが、ここでも多くの外国観光客がひしめき、大変な賑わいを見せていた。

今年発足した筑西市観光資源調査・発掘協議会のメンバーの一人として籍を置くことになったが、取り立てて特徴のない筑西市の魅力をどうアピールできるか、今までの旅行体験からも大いにヒントをいただき、その会議に活かしていけたらと考えている。

 

 

 

 

 


妻への感謝旅行

2016-10-24 04:28:14 | Weblog

10月13日~15日まで、妻と長野、岐阜、富山方面に旅行に行った。毎年、梨の収穫が始まる前の7月と収穫後の秋に旅行に行くことがほぼ定番となっている。私のわがままを、ほとんどあきらめの境地で見守ってくれている妻への感謝の旅行でもある。

10月は里山の行事が重なり、会員の方も出番の多い月となっており、今年は無理かもしれないと思っていたが、前々から行きたいと思っていた富山県の大牧温泉のツアーが見つかり、慌てて申し込んだ。おまけに一日目の宿泊がこれも初めての長野県、白骨温泉である。横浜駅出発のバスの旅である。トイレ付きバスで22名のツアーでゆったリとしたバスの旅が出来た。

一日目は長野県の国宝「松本城」を見学。私は何度も来た場所であるが、妻は初めてだという。天守閣に登り、秋の信州の山々がくっきり見えた。この松本城は明治時代に競売で民間に払い下げされ、解体の危機もあったが、地元有志の尽力により、買い戻され、のちに国宝の指定を受け、現在に至るという。 長野県の観光の目玉として、この日も多くの外国の観光客で賑わっていた。

 外国の観光客が至る所溢れていた。

 国宝松本城天守閣

 天守閣から見た松本市

 

昼食の後、いよいよ白骨温泉へ向かった。上高地へ向かう国道156号線を折れ、一本道の曲がりくねった細い山道をゆっくりと走り、山奥の秘湯の風情を漂わせる白骨温泉郷に着いた。山奥ではあるが大小の結構な数の温泉宿があった。

私たちの宿は「白骨温泉、白船ホテル」という大きくはないが、きれいなホテルだった。

 宿泊の宿 

なんといっても泉質がとても気に入った。弱酸性で白濁した湯で、特に胃腸病に効果があり、飲泉も出来、私も2杯飲んだがちっとも違和感が無かった。

 胃腸に良い温泉

 内風呂

 露天風呂 

 夕食会場(22名でご夫婦が多かった。)

翌朝、出発前に近くを散策したが、家族だけで営む小さな旅館から、結構大きな旅館がほどほどの距離にあり、その数も多かった。皇族方も泊ったという新宅旅館もすぐ近くにあった。

 新宅旅館

 飲める温泉があちこちにあった。

泉質が気に入り、3度も風呂に入ったが、また来たいと思った温泉地である。

今日は岐阜県白川郷に向かう予定である。 


第14回里山フェスティバル盛況の内に 無事終了

2016-10-11 04:09:57 | Weblog

10/10日(祝・月) 第14回里山フェスティバルが無事終了した。 雨で順延となったが、当日はまずまずの天気で、入場者も過去最高の1000人(?)近い家族連れで賑わった。

 今年もam7:00に花火をあげた

今回は「初」となる試みが多くあった。それも盛況になった要因だと思う。まず、他団体とのコラボ(連携)である。子ども会、Flex,森のマルシェが主であるが、特に森のマルシェとして出店していただいた5店舗が加わっただけで賑わいが一気に倍増した感があった。

9時からのオープンセレモニー時はむしろ前回より来場者が少ない感じであったが、時間が経つにつれ、家族連れが次々と来場し、次第に会場に人が埋まっていった。それは途切れることなく続き、里山駐車場はほどなく満杯となり、お借りした選果場もほぼ満車となったようだ。

オープニセレモニーング        

来場者の車のナンバーを見ると、他県からの来場者がほぼ半数を占めたという。私たちのイベントの入手手段を後で分析したいと思っている。助成金を提供してくれたフレックスインターナショナルからは20名(男子12名、女子8名)近い社員の方がお手伝いに来ていただき、大助かりした。

特に駐車場の誘導には多くの人員を配置しなければいけないので、大変ありがたかった。マルシェの出店は日程が変更したため、5店舗だけになってしまったが、それでも人の往来は活発でコーヒー屋さん、めん屋さんは完売してしまった。当会が出店した焼きそばは11:30に完売となり、ピザも一部の材料が品切れとなり、終了となった。

コンサートの前に自然博物館学芸員の小幡先生の講話(里山の保全について)を初めて企画したがわかりやすいお話で好評だった。

今年のコンサートは午後1:40分にスタートし、おなじみの酒井和嘉子(二胡)さんとCiel(ピアノ ,バイオリン)のコラボである。酒井さんが家族連れの多いフェスティバルに絶対合うとCielさんを今回、特に推薦してくれたのである。

  酒井和嘉子さん(二胡)

迫力あるバイオリン(浅沼杏花)のとコミカルなピアノ(石川陽亮)との絶妙なコンビで瞬く間に観衆の心をわしづかみにしてしまった。

   Cielのお二人(バイオリン、ピアニカ    客席に降りて熱演

酒井さんの思惑通りになった。 観客数も昨年の倍以上のお客様がコンサートを楽しんでくれた。わざわざこのコンサートを楽しみに遠方より来られる方も着実に増えている。

しかし、気になっているのは地元の地権者の来場が少ないことである。毎回招待状、昼食券をお送りしているが、数人の御顔しか拝見しないのはなぜだろう?

わたし達はこのフェスティバルを通じ、自分たちの山林がどのように保全され、どのように活用されているのかをご自分の目で確かめて頂き、ひいてはこの環境、景観を一緒に守り、次の世代に繋いでいこうとの思いを共有して頂きたいと願っている。

この景観を守って行くには、地権者の理解と協力が絶対条件なのである。この点がちょっと寂しい。私たちに何か問題があるのかもしれない。一般の来場者に於いても地元の人たちが意外に少なく、遠方の方が多いというのも反省材料だ。

また、たくさんの方に来場していただきたいと心より願っているが、その人数が受け入れ側の能力を超えた場合、その対応が出来るのか、今から真剣に考えなければならない。

なぜフェスティバルを開催するのか、そのフェスティバルで何を訴えるのか、もう一度原点に返り、議論をして会員の意思の統一を図って行かねばならない。新しく加入してくれた会員のためにもその目的を常に確認しながら前進したい。

 

 

 

 

 

 


フェスティバル開催延期

2016-10-08 06:30:42 | Weblog

第14回里山フェスティバルは当日、雨が予測されるため、翌10/10日に順延した。昨日(10/7)臨時作業を行い、昼食後、会員の意見を聞いた。殆どの会員が神経質になるほど気象情報に注目していた。テレビによる筑西市の当日の予報は曇りだから、予定通り、9日に決行すべき、という意見も出た。順延すると都合が悪い会員もいるし、来場者も減る。確かにもっともな意見だった。

誰もが思い、悩み、最終的に理事長の判断に従うということになった。

私も1週間前から天気予報に一喜一憂していた。ツリークライミング、コンサート、いずれも突然の雨が致命傷となるイベントである。ツリークライミングのロープも雨に濡れると安全性を損う。楽器は演奏家にとって命の次に大事なものである。コンサート会場に屋根は無い。

「順延して10日開催とします。」晴れる確率が高い10日を選んだ。全ての会員がうなづいてくれた。吹っ切れたように、それぞれが午後の準備についた。私と事務局長の佐藤さんは 早速、各方面に連絡を開始し、10日に順延したことをお伝えした。来賓者、演奏家、ツリークライミングトレーナー、音響、協賛・協力団体、学校、関係者すべてにお伝えしなければならなかった。午後2時までにその作業を終了した。(本当にこれで良かったのか?)心のどこかにそんな思いも残った。

10日に延期になったことでスタッフの何名かが出席できなくなり、その穴を埋めるのに、苦心している。なんとかやりくりをしなければならない。

今年も異常気象が続いている。 今日は見事な秋晴れで、明日が雨になるとは思えないほどの天気である。お蔭で準備は順調であるが、これからも野外イベントは思い悩む日が続くだろう。

 コンサート会場の設営

 完成に近づいた・・・

 テントも準備OK

 


フェスティバル準備

2016-10-02 21:24:14 | Weblog

10/1はフェスティバルの準備の日だった。朝から小雨が降っていたが、副理事長の瀬端さんと相談し、予定通りやることにした。通常、雨の時、作業は中止となる。 この程度の雨足なら何人かの会員は五郎助山に来るだろう。トンボ池のハスの除去は雨でもやれるはずだ。

事務局の佐藤さん、宮本さんにもその旨を伝えた。

ほどなく、今日の作業ボランティアの申し込みがあったローターアクトクラブの副会長さんから今日の作業は中止かどうか問い合わせがあった。「予定通り行います。」「そうですか、そのことの確認です。では現場で・・」と言って切れた。

当日の看板と案内版を軽トラックに積み込み、五郎助山に向かう。雨は幾分強くなった気がした。

集合時間より早く、五郎助山に到着すると案の定2台の車がすでに駐車していた。宮本さんと、山崎さんである。五郎助庵のカギを開け、やかんに水を汲み、湯を沸かす準備をした。 そのうちに車が次々に入り、駐車場が埋まった。ボランティアのローターアクトクラブの皆さん(3名)も到着した。つくば市から倉持、櫻井のお二人も来てくれた。総勢15名を超していた。

弱い雨は降り続いていたが、皆さんやる気満々の様子。瀬端副理事長より、「雨がやまないので、一応中止とします。しかし、それでも作業を進めても良いと思う方には、トンボ池のハスの除去、看板制作、舞台の拡張をやれる範囲でご協力をお願いします。」との宣言があった。

ローターアクトクラブの21歳の女性会長は初めてのボランティアであり、雨の中での作業はきついので次回、お手伝い願うことにした。

それ以外の方は全員残り、与えられた作業に取り掛かった。女性会員もいつの間にか3名に増えていた。いつもながらその熱意とパワーに脱帽である。

 小雨の中を来場者の「釣り」に支障が無いよう、ハスを除去

 新入会員が寄付してくれた船が大活躍

 すっかり広く、きれいになったトンボ池

 活躍した船も 陸に上がり、しばし休息

 コンサート舞台の拡張作業

 

 島へ通じる橋の補修も終了

コンサート舞台の拡張作業は午後も続いた。